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2013.12.31

2013年を振り返って

 大晦日。年越しと正月の買い物はあらかた昨日に済ませた。今日になっていざとなるとどの店も混んで面倒だからだ。そのわりに、あるいはそのせいなのか、のんびりと朝起きて、ああ、今日は大晦日だったな、と改めて思ったりもした。今年はどんな年だったか。
 今年、個人的に一番大きなできごとは、自著『考える生き方』(参照)を出したことだった(参照)。これまでブログを読んでいた層とその少し先の域のかたまでよく読んでいただけて嬉しかった。ありがとう。
 この本では、本人としてはブログにこれまで書かなかった、どちらかというとパーソナル部分を、普通の市民の立場から書くことで、もう少し広い層にまで届くことを願っていた。

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考える生き方
 客観的に見れば、それは充分にはかなわかったかと思う。非力だった。書籍のビジネスとしては成功とはいえないし、その線で僕がまた本を書くことはないんじゃないかとも思う。
 それでも個人的には、60歳の時点でこの本の続編は書きたいかなという気持ちは、その後、あった。ブログにあえて書かなかったことや、パーソナルな思いなどは今年も貯まってきた感じはする。では、そういうチャンスがあるかというと、それ以前にその歳までできるだけ健康に生きていたいものだ。
 自著を書いたのはブログを書いて10年という節目と、55歳という年齢の節目があった。ブログを書いてきてよかったかというと、自分としては楽しいことも多かったが、振り返るとつらい部分もあった。随分とひどい罵倒を多くもらったし、裏でけっこう嫌がらせも受けた。
 コメント欄も率直にいうと閉じようかと思った。個人的な名指しの罵倒でなければ、どのような意見もあってもよいというのが自分の立場だが、そもそも掲載に値しないトンチンカンなコメントをそのまま落書きのように公開してよいのだろうかという疑問が、なんとなくつのり、コメント欄のメンテナンスが億劫になってきた。
 コメント欄の常連さんにはある種の妄想に近い感性を持っている人がいるようにも思えた。というわけで、今後はコメント欄で、「これは普通の神経ではどうなんだろうか」というコメントは公開しないかもしれない。むしろ、きつい批判は今後とも公開したいとは思っている。
 微妙なコメントもある。たとえば。

お久しぶりです。

最近はツイッターが主なフォローソースなんですか?コメント欄が寂しいですね。それともコメント欄は基本的に非公開にしたんですか?

ところで、弁当さんは最後まで評論家なんですね。もっとも、子供もおらず、年齢的にも評論家として逃げ切り可能なので、まあ幸せな時代に生きたということでしょうね。

日本は、我々の世代が当事者として支えていきますから、弁当さんも、目と指が健康なあいだは、評論家として頑張ってくださいね。


 いやはや、どう応答してよいのだろう。「やあ、君も元気?」ということかな。
 率直に言って、コメント欄に公開する意味はないだろうと思う。
 一つわかるのは、自著『考える生き方』は、このかたには読んでいただけてないんだろうなということ。それでいいとは思う。だけど、もし気になるなら読んでいただけたらよいのに、と悔やまれはする。
 健康については、難病を患っていることは自著に書いた。幸い今年は大きな発作は少なかった。このコメントのかたは「目と指が健康なあいだ」と書かれているが、たぶん老眼を指しているのではないだろうか。かねてから言っているが僕は老眼はない。老眼かなと思うのはどうも乱視のせいのようだ。目は難病の影響のほうが大きい。指はさして問題ない。喋るより早くブラインドタイプができる。なので、悪い目とブラインドタイプが結合すると誤字脱字になりがち。
 健康状態がわりとよかったのは、この半年の筋トレの効果だったかと思う。半年、続けた。冬に入るころまで体調は妙に好調だったが、先月下旬、風邪を引いた。寝込むほどではないが、体調の不調はだらだらと続き、筋トレがうまくいかない。
 半年筋トレやってどうだったかというと、残念ながら、筋肉むきむき、とはいかない。もともと標準体型の部類なので、何キロ痩せましたということもない。肩の筋肉は少しついた。自然な肩パットみたくなったのでその分、着るものが着やすくなった。体型は30代ころと変わらない。筋トレでさらに締まった。いわゆる中年体型ではないので、遠目には30代くらいに見えるのではないかと思う。
 筋トレの成果は、そのくらい。実際のところ、並行している有酸素運動のほうが健康には効果があったようだ。現状、年末年始で体調は不調だが、これも来年も続けていきたい。その意味では、今年は、自分にとっては筋トレ元年だったし、そうでありたい。
 個人的にも今年はいろいろあったし、来年もいろいろあることがわかっている。先にも触れたが、それはもし『考える生き方』の続編でも書く機会があったら書くというタイプの話題なので、ブログのほうに書く気力がない。
 自著に似た活動では、今年も、cakesの書評『新しい古典を読む』(参照)の連載にけっこう注力した。
 この連載だけのために既読書を含めて一日二冊ペースくらいで読んだだろうか。けっこうきつい読書でもあった。が、いずれ人生のどこかでこれらの本や著者については、きちんと書くべきだったという思いがあったので、ライフワークのような意識で取り組んだ。が、その割には、山本七平や小林秀雄などについてはまだ書いていない。
 この連載は、ツイッターでの応答からは定期的に読まれているかたがいる。ありがとう。
 広く読まれているふうはない。またネットでの話題にもなっていないようには思えた。その意味で、この連載も成功とは言いがたいのかもしれない。個人的には、この書評もできたら書籍にまとめたい気はしている。『考える生き方』で書かなかった部分もだいぶ表現できたようには思う。もっとも、それが読まれるかたにどういう意味があるのか。そこは悩むところだ。自分の書くものにそんな意味はないんじゃないかとも思う。
 今年の思い出で、個人的なこととネット的な活動の中間にあるのは、この三か月間のフランス語の学習だった。56歳になって、ほぼゼロ状態の外国語を学習して、なんの意味があるのだろうか? ということが当初あったが、やってみてよかった。
 先日、三ヵ月終えたという記事を書いたが、その晩、なんとも言えない奇妙な幸福感があった。ああ、自分ってまだ成長しているじゃないかというか、自分もそうダメなもんじゃないんじゃないかというか。そういう言葉にするとうまく表現できていないが、なんか10代のころの知への向かい方を思い起こしていた。
 ちなみに、ピンズラー方式のフランス語学習だが、ちょうどフェーズ3まで基本は終わりで、その後は、むしろ応用になるようだった。今日もフェーズ4の二日目を終えた。
 このフランス語学習のために自分の持っている時間をだいぶ調整することになった。結果的にブログを書く時間を削ることになった。ブログを書く時間があれば、フランス語学習に充てた。
 それでも、ぼんやりとだらだら、ツイッターでつぶす時間はあったりもするが、そこを削るのはなんとなく無理のように思えた。
 ブログに時間を割かなくなったことの関連で、毎年書いていたクリスマスの短編も書かなかった。まあ、今年は無理だ。書いても、いやなコメントもらうくらいだし。ダメなものはダメと受け入れようと思った。ツイッターで今年は書かないの?と聞かれても、ええ、くらいに答えた。
 が、不思議なことに、書き出したら、まるで預言のように書けた。心のどこかでこの短編のことが引っかかっていたせいもあるんだろう。書いてみて、その内容とは別に、まあ、でも、今年もブログを書けたんじゃないかと思えた。それはなにか、自分に、ブログを書くということが神様のプレゼントにように与えられたような感じだった。
 今年は、ブログの世界も変わってきたなと思えた。もちろん、自分も変わってきたが、どちかというと僕とブログの基本的な関係はあまり変わっていないように思う。
 僕を政治的に非難する人は左派にも右派に多い。今年はどちらかというと左派からの批判が多かった。僕を「保守主義者」と呼ぶ人もいた。別にかまわない。僕は自分では保守主義者ではないと思っているが、その人に釈明する義務はない。
 僕は、まだブログを書き続けるようには思う。僕は自由でありたいと思うからだ。自由な市民でありたい。
 僕のブログは、僕が自由な市民であることの、ひとつの表明である。それ自体――自由に市民が発言すること――が一つの戦いだとも思っている。
 Liberté, Égalité, Fraternité !
 
 

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2013.12.30

奥克彦さんと井ノ上正盛さんの死から10年

 先日、安倍首相の靖国神社参拝が話題になっていたが、結果としては、彼の思いとしては「いつ行くか」というタイミングの問題だけでもあったのかもしれない。現下の国際状況を鑑みたら、別の考えもありうるだろうとも思いつつ、それはそれとして、ふとではいつだったら、例えば、自分にとってその心情なりが伝わるだろうかと、とりとめなく思った。
 自分の思いの裏にあったのは、奥克彦・駐英参事官と井ノ上正盛・駐イラク三等書記官のことだった。2003年11月29日、日本国の命令でイラクに派遣されていた二人が、バグダード近郊で射殺された。
 あれから、10年たった。
 10年前、2003年、その9月に、安倍晋三氏は、当時の小泉首相によって、自民党幹事長に抜擢されたのだった。その彼のことだから、奥氏と井ノ上氏のことは、かたときたりとも忘れることはなかっだろう。その追悼はどうされたのだろうか。二人は靖国神社に祀られてはいないはずだ。
 安倍氏に次いで幹事長となった武部勤氏は、2005年、当時の小泉首相が靖国神社に参拝したおり、こう述べていた。2005年6月1日の共同通信「首相は今年も靖国参拝 武部氏、新追悼施設が必要」(参照)より。


首相は今年も靖国参拝 武部氏、新追悼施設が必要
 自民党の武部勤幹事長は10日午後、札幌市で講演し、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について「今年もご自身の考えに基づいて参拝するのではないか」との見方を示した。
 靖国神社には戦没者が祭られているが、武部氏は「外国の元首がお参りできない、天皇陛下もお参りできないのは良いことではない」と指摘。さらに、イラクで殺害された奥克彦大使らを挙げ「テロと戦って心ならずも命を亡くした人々。世界で活躍し、命を亡くしている人々を慰霊する墓地をつくるべきだ」と述べ、新たな追悼施設の必要性を強調した。

 新たな追悼施設ができていたら、今頃、奥氏と井ノ上氏はその追悼施設で慰霊されていたことだろう。
 二人の慰霊に気に掛けていた国会議員もいた。奥克彦氏がラガーであったことから、超党派議員19人による「国会ラグビークラブ」主催で奥大使追悼試合が11月18日に開催された。一番の後ろ盾はおそらく、この会のキックオフをした日本ラグビー協会会長の森喜朗氏であっただろう。
 奥大使追悼試合だったからといって井ノ上氏の追悼がなされなかったわけではないだろう。ただラグビーをオモテに立てたので、新聞記事などでは奥氏がおもに語られることにはなったのだろう。
 その点、宮崎県都城市では10年目にあたる日、井ノ上氏の母校で井ノ上氏の追悼式があった。事件当時の校長だった田爪俊八氏が中心になって呼びかけたものだ。読売新聞「「井ノ上桜」に平和誓う イラク外交官殺害10年」(参照)より。

 上長飯小の校庭には「平和の木『井ノ上桜』」と名付けられた1本の桜がある。
 井ノ上さんは生前、妻のおなかの中にいた2人目の子どもが女の子だと分かると、名前に「桜」の文字を入れると決めていた。その話を聞いた当時の校長、田爪俊八としやさん(61)(宮崎市)や6年生が先輩の遺志を継いで平和の大切さを伝えていこうと、卒業記念に植樹した。
 追悼式には開催委員長を務めた田爪さんや当時の6年生、その保護者ら約40人が参加。「井ノ上桜」の横に置かれた井ノ上さんの遺影に花を手向け、遺徳をしのんだ。
 植えた当時、高さ2メートル足らずの幼木だった「井ノ上桜」はいま、2階建ての校舎の屋根に迫るほど。田爪さんは「立派な木に成長し、井ノ上さんもうれしく思っているだろう。彼が願っていたように、世の中が平和になってほしい」と語った。
 植樹した介護士、上原智恵さん(22)は「井ノ上さんのように頼りにされる存在になりたい」と話していた。
     ◎
 集会には都城市内に住む両親も駆けつけた。
 妻と小学6年生の長男、そして事件当時、妻のおなかの中にいた小学4年生の長女の3人は県外で暮らしているが、年に4回程度は都城を訪れるという。
 父親の靖夫さん(69)は「正盛は桜が好きだった。こんなに立派になって、天国で喜んでいることだろう」。母親のイク子さん(67)はこの10年を振り返り、「早いもの。孫たちはどんどん大きくなっていく。よく遊びに来てくれるので癒やされています」と話していた。

 安倍首相や国会議員がその追悼式に参加していたかについて記事にはない。電報なりでメッセージは伝えたのかもしれない。
 
 

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2013.12.29

ピンズラー方式のフランス語学習、3か月目を終えた。ふー。

 3か月経った。
 基本、音声だけを使ったピンズラー方式の外国学習がどのようなものか。自分が習得してない英語以外の外国語を対象に、自分を実験台に学習の実験をしてみようと思って試してみた。学生時代わずかにかじったもののすっかりだめだめなフランス語を例にした。
 当初、1か月で脱落するかと思ったが、1か月はなんとかクリア。ピンズラー方式は、もう徹底的に耳から学ぶから、発音はさすがにフランス語っぽくなる。内容もちょっとフランスに旅行したら楽しいかなくらい。
 そのあとも、もうちょっと深めたいなと、2か月目に入る。これもなんとかクリアした。この時点で、なんとかフランス語がわかったような気がしてきた。
 そしてようやく3か月目もクリア。
 クリアというのがどういうことかというと、音声教材で求められる応答や意味了解ができるということだ。聞いてて、ちんぷんかんぷんじゃないし、応答が求められて、口ごもってしまうということもない、ということ。「ああ、なんか、俺、フランス語聞いて理解し、しゃべっているじゃん」という不思議な体験である。

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French III, Comprehensive
 3か月めに入って10日目を過ぎたあたりからが、きつかった。現在形、未来形、過去(複合過去、単純過去)、受動態などいろいろ組み合わさってくる。もうダメかもを思ったが、できるだけていねいに二回、学習していくとなんとかついていけた。
 自分はけっこうなんでも挑戦したら3か月はやりぬこうという人なんだが、今回もそれなりに達成できた。90日間、フランス語。
 それで実際のところ、フランス語の学習としてはどのくらいなものなのか?なのだけど、3か月目を終えて思ったのは、1か月目や、2か月目のときとは違って「あー、ようやくフランス語学習の入り口に立てたような気がする」ということ。ま、たいしたことないなあということ。
 いわゆるフランス語の入門書のようなものを見ると、だいたいこのレベルかなというか、書店でNHKの「まいにちフランス語」の教材を見たら、「ふむふむ、これやったら楽しいかな」と思えるくらい。
 基本単語は結果的に500語くらいは覚えたんじゃないだろうか。動詞も50個くらい基本的な活用はできそうな気がする(音だけ)。
 語学ってこうやって学ぶものかというのを、もう一段、納得した感じがする。
 あと、フランス語のおかげで、英語の、なんというのか、呪いのようなものが解けてきた感覚もある。
 例えば、今朝方、ツイッターで「地政学を英国で学んだ」というブログの「留学する際に最も必要なもの」(参照)という記事のリンクがあって、さらっと読んでみたら、こんな話があった。

日本ではあまりこのあたりは意識されておりませんが、使う語彙が豊富であるということは、英語圏ではどうも社会の階層を上がっていく際に必須とされているようで、私は以前あるオーディオブックで「ビジネスで成功するために必要な500ワード」というものを何度か聞いたことがあります。

この一例ですが、「溝」(gap)という言葉を使う代わりに、「亀裂」(fissuer)という言葉を使えば、相手にインテリジェントに聞こえる、というものがありました。

たしかにこのような洗練された言葉や単語を使うことができる人というのは、世界のどの国でも尊敬されます。しかもそれが留学先の国で、しかも学問をやるということになると、そもそもの地頭を構成している単語の知識量を問われてくるのは、当然といえば当然のこと。


 あ、それ、フランス語だよと思いましたね、"fissuer"。
 どうも一世代前の米人知識人の傾向なのか、それ以前からなのか、英語の知的な単語にフランス語が混じっていて、普通の米人は使わないけど、インテリは使うという感じ。"pose a question"とかの表現もフランス語からでじゃないのかな。
 話、戻して。
 ピンズラー方式はとにかく、耳だ。聞く聞く聞く。聞いて理解して、それを元に、声で問われて自分の声で答える。だから、喋る喋る喋る。
 思うに、英語ですら、こんなに徹底的に喋るっていう訓練は受けたことないなあというか(ネイティブの教師はけっこうゆるい)、振り返ると、英語の学習でも、英文のネイティブ録音とか聞くとかくらいはするけど、単語はスペリング見て覚えた。いわゆる学校の英語教育っていうやつかな。
 でも今回はとにかく耳で覚えるようにした。"Mon mari est resté en haut."とかの"en haut"とか当然、スペリングを知らないので、あとで気にあって調べて驚いた。聞くと、「あお」というだけだったのだ。
 面白いことに、滝川クリステルさんの今年有名になった「お・も・て・な・し」も、なるほど、フランス語だと、けっこうそれぞれ意味をなしているんだとわかった。「お」は水、「も」は言葉、「て」は茶、「な」は単独ではないけど、"On a"とかでよく出てくる。「し」は"if"。というように、それぞれ意味が付いている。英語だとそうはいかない。
 というわけで、音声を基本に学んでいるので、依然、スペリングはわからない。それで語学の勉強なのかよというのはあるが、それでも、最低限の読みのレッスンもピンズラー方式には入っているので、簡単なフランス語は読めるようになった。フランスとかベルギーのお菓子を買うと、ごにょごにょ書いてあるのがなんとなく読める(全部理解はできない)。世界史で学んだ「レッセフェール」は、なーんだ、"laissez faire"じゃないかとか。
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フランス語筆記体レッスン
たのしく、おしゃれに始める
フランス語の第一歩
 書くのは難しい。ピンズラー方式にはあともう1か月レッスンがあるので、それにも挑戦してみて、そのあと、書く練習もしてみたいと思い、試しにパソコンのワープロに仏文モードを入れようとしたが、これが実に使いにくい。iPadのフランス語ワープロのほうがまだまし。
 というあたりで、ふと、映画とかで見たフランス語の手書きを思い出し、そういえば、あれ、英語と違うよなと思い出し、調べてみると、うむ、違う。いろいろな筆記体があるのは知っているが、フランスの学生が書いているのは違う。なんか教材はあるかと探すと、「フランス語筆記体レッスン―たのしく、おしゃれに始めるフランス語の第一歩」(参照)があって、絶版だったのだけど、たまたま近所の本屋にあったら棚にあったので買ってみた。まだやっていない。フランス語って、手書きに向いているじゃないだろうか。よくわからないが。
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文法から学べるフランス語
 ピンズラー方式に参考書は不要だけど、文法がどうなっているのだろうと疑問もあるので、参考用にフランス語初心者向けの本をいくつか買ったが、「文法から学べるフランス語」(参照)が結果、わかりやすかった。結果的に、これ一冊も並行して学んだ感じがする。
 あと、英語で書かれたフランス語の文法書、「Collins French Grammar」を当初、Kindle版で買ったけど、どうも不便なので、えいっと紙のものも買ってみた。正解。紙の書籍のほうがはるかに便利だった。こういう体験は初めてなので、驚いた。
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Collins French Grammar
(Collins Easy Learning)
 物語とかエッセイとかだと、比較的最初から読んでいく本は電子書籍もいいんだけど、語学の参考書とかは、とくにこのコリンズのがそうなんだが、レイアウトがきれいだから、紙の書籍が向いている。動詞の活用作品なんかもはるかにわかりやすい。
 紙の書籍ほうが語学に向いているじゃないか。すると、もしかして辞書なんかもけっこう紙のが便利なんじゃないか。という気がして、「大学1年の仏和辞典」(参照)という小さいハンディな辞書も買ってみた。古い本で絶版なんだけど、古本屋にあった。これ買った理由はもうひとつある。著者の林田遼右先生は、ちょうど僕が大学生のときNHKでフランス語講座やっていた先生だったのだ。
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大学1年の仏和辞典
 この辞書は名前のとおり、初心者向けで、動詞なんか変化したままの形で辞書を引ける。ピンズラー方式で音で聞いて、こんな感じかなとみると、だいたいスペリングがわかって重宝した。できたらできるだけ早く「大学1年」のレベルは卒業したいものだけど。
 
 

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2013.12.27

安倍首相のクリスマス明け靖国神社参拝は外交上の大失点

 10月3日のことだったが、そのおり来日していた米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官が揃って東京都内の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。

 AFPの記事「米国務長官らが千鳥ヶ淵墓苑で献花」(参照)で確認しておこう。


【10月3日 AFP】(一部更新)来日中のジョン・ケリー(John Kerry)国務長官とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官は3日、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ、献花した。安倍晋三(Shinzo Abe)首相が5月に訪米した際、靖国神社を米国のアーリントン国立墓地(Arlington National Cemetery)になぞらえたことに対するけん制とみられる。
 ケリー国務長官とヘーゲル国防長官は外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)のため来日中。千鳥ヶ淵戦没者墓苑によると、今回の訪問は日本の招待ではなく米国側の意向によるもので、同墓苑を訪問した外国の要人としては1979年のアルゼンチン大統領以来、最高位の政府高官という。
 同行した米国防総省高官は記者団に対し、千鳥ヶ淵戦没者墓苑はアーリントン国立墓地に「最も近い存在」だと説明。ケリー国務長官とヘーゲル国防長官は「日本の防衛相がアーリントン国立墓地で献花するのと同じように」戦没者に哀悼の意を示したと述べた。
 安倍首相は5月、訪米に際して米外交専門誌「フォーリンアフェアーズ(Foreign Affairs)」に対し、米バージニア(Virginia)州にあるアーリントン国立墓地を引き合いに出し、靖国神社は国のために命をささげた人々を慰霊する施設であり、日本の指導者が参拝するのは極めて自然で、世界のどの国でも行っていることだと述べていた。(c)AFP

 異例のことだった。
 AFPの記事は、当時の政治・外交の文脈を重視して、5月の安倍首相訪米時に米国アーリントン国立墓地を靖国神社になぞらえたことの米政権側からの反論と読んでいる。
 もちろんのことながら、外交上のメッセージが微妙な段階にあるときは、明確な言葉にはならない。誤読も生じやすい。たとえば、この話題について産経新聞記事「米の国務、国防両長官が千鳥ケ淵墓苑に献花 外務省「聞いたことない」」(参照)は逆を読んでいたものだった。

 同墓苑は、第2次世界大戦中に海外で死亡した戦没者のうち、身元が分からない「無名戦士」や民間人の遺骨を納めた国の施設。2閣僚の訪問は、日本との同盟強化に取り組む米国の姿勢を示す狙いがありそうだ。

 しかし普通に考えれば、この事態は異例であり、靖国神社を明確に避けていることはわかりやすい。よってそのメッセージも難しいものではなく、読売新聞でも理解されていた。12月1日の記事であったが読売新聞「靖国はアーリントンか」はこう読み解いていた。

 安倍首相は、A級戦犯合祀を理由に靖国神社参拝が批判されることに対し、アーリントンを引き合いに出して反論する。「中央公論」(7月号)のインタビューでは「そこ(アーリントン)に行く人々は、(南北戦争で)南軍が守ろうとした奴隷制度を肯定しているのか。そんな人間は一人もいない」と指摘した。
 しかし、その米国は、靖国参拝をアーリントンへの献花と同じように見ているだろうか。ワシントンで取材している限り、答えは限りなく「ノー」に近い。首相が参拝すれば、米国の安倍政権を見る空気は変わる。
 米政府の立場は、10月のケリー国務長官とヘーゲル国防長官による千鳥ヶ淵戦没者墓苑への献花から読み取れる。墓苑は先の大戦の戦没者のうち、身元不明など引き渡し先のない遺骨を納めている。両長官が参拝先として靖国を選ばなかったのは「靖国はアーリントンではない」とのメッセージにほかならない。

 「首相が参拝すれば、米国の安倍政権を見る空気は変わる」ということは、この米国側のメッセージは、安倍首相は靖国神社参拝をするなということである。もっともそれを言葉にすれば内政干渉にしかならないので、裏面のチャネルで具体的な動きもあったようだ。8月16日読売新聞記事「靖国 外交問題化を回避 参拝見送り 首相、中韓改善へ布石」より。

 米政府は、首相の靖国神社参拝に関する公式見解を示していないが、日中、日韓関係がさらに悪化する事態を懸念していた。ウェンディー・シャーマン米国務次官は今月6日、訪米した外務省の杉山晋輔外務審議官と会談した際、首相の靖国参拝についての見通しをただしたとされる。米政府高官は「日本と周辺国の関係に摩擦を引き起こすならば、参拝は望ましくない。このことは日本政府も理解していると思う」と話した。首相は、こうした米側の感触も考慮し、日米同盟重視の観点から今回の参拝を見送ったようだ。

 8月の時点で、米側からは明白なメッセージがあったと見てよいだろう。ただし、その後の10月にケリー国務長官とヘーゲル国防長官の千鳥ケ淵戦没者墓苑献花があったことは、米国側で安倍政権への不信感が残っていたという意味だろう。
 さて、以上の経緯の上での今回の安倍首相の靖国神社参拝である。
 米側が激おこぷんぷん丸なのは当然の帰結だろう。
 別の言い方をすれば、今回の事態で最大の問題は、軍事同盟国のメンツを丸つぶしにしたことだ。米国と日本の外交上の大失点ということである。
 もう読み間違いされても困るので、即座に米国側からは異例の公式声明が出た(参照)。

安倍首相の靖国神社参拝(12月26日)についての声明
*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
2013年12月26日
 日本は大切な同盟国であり、友好国である。しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している。
 米国は、日本と近隣諸国が過去からの微妙な問題に対応する建設的な方策を見いだし、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の目標を発展させるための協力を推進することを希望する。
 米国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する表現に注目する。

 重要部分の原文は以下のとおり。

Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan's leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan's neighbors.

 "disappointed"の響きが強いことは、速報にも近かったBBC報道「Japan PM Shinzo Abe visits Yasukuni WW2 shrine」(参照)の着目からもわかるだろう。

The US embassy in Tokyo said in a statement it was "disappointed" and that Mr Abe's actions would "exacerbate tensions" with Japan's neighbours.

 繰り返すことになるが、米国が懸念しているのは、"exacerbate tensions"(緊張を悪化)である。靖国神社がどうかという日本国内で盛んな話題とは異なるし、中国や韓国の立場を代弁しているわけではない。
 これには、もう日本は「靖国神社問題」という外交上面倒な火種をもて遊ぶのはをやめてくれ、という意味合いもある。CNN報道「安倍首相が靖国神社参拝」(参照)もそのあたりを汲んでいた。

また、同月に日本を訪れた米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、靖国神社ではなく、近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れて献花した。同墓苑には、日本国外での無名戦没者の遺骨が埋葬されている。両長官の献花は、靖国参拝に代わる戦没者追悼の形を提案したと受け止められた。

 この点についても別の言い方をすれば、米国は日本に戦没者追悼が必要だろうという認識に達しており、そうであれば「靖国神社問題」に決着を付けてほしい、ということだ。先の12月1日の読売新聞記事でもそこは理解のうえで、こう締められていた。

米国にとって首相の靖国参拝は、日本が近隣諸国に配慮しているかどうかをはかる「物差し」になっている。靖国は単なる「宗教施設」ではなく、国際的には「外交問題に発展した宗教施設」とみられている。
 戦没者の慰霊のあり方はもちろん、諸外国の顔色をうかがって決めるべきものではない。だが、靖国に関して言えば、日本人の意見が割れ、答えを決めきれないから、中韓両国にもつけ込まれている。無宗教の国立追悼施設の建設をはじめ、最大公約数を探す努力をすべき時だ。日本人自身が答えを出さなければいけない。

 では、その「無宗教の国立追悼施設」はどうか。
 これは自民党の小泉政権下(第一次小泉内閣)で検討されていた。
 当時の福田康夫官房長官の私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が設置されていたのだった。2001年12月19日の初会合では、今井敬経団連会長が座長として、「小泉首相の靖国神社参拝であれだけ内外の意見が出た。この問題を一回きちんと整理しておく必要がある」と述べていた。
 経緯は、官邸内の「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(参照)に残されている。
 結果は、2002年12月24日には報告書「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(参照)として、すでにまとめらている。

本懇談会は、昨年12月14日、内閣官房長官から、何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる記念碑等国の施設の在り方について、国の施設の必要性、種類、名称、設置場所等につき幅広く議論するよう要請を受け、今日までおよそ1年をかけて検討を重ねてきた。本報告書は、その検討結果をまとめたものである。

 簡単に言えば、福田康夫氏の意向を強く反映したものであり、自民党という政党の一つのあり方を示していたものだった。
 靖国神社を含めた既存施設との関係は、こうまとめられていた。

追悼・平和祈念施設と既存施設との関係
 我が国にはいわゆる戦没者追悼の重要な施設として、靖国神社、千鳥ヶ淵戦没者墓苑がある。本懇談会は、新たな国立の施設はこれら既存の施設と両立でき、決してこれらの施設の存在意義を損なわずに必要な別個な目的を達成し得るものであると考えた。その理由は、以下のとおりである。
 1. 靖国神社の社憲前文によれば、靖国神社は、「國事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため」「創立せられた神社」とされている。これに対し、新たな国立の施設は、前述のような死没者全体を範疇とし、この追悼と戦争の惨禍への思いを基礎として日本や世界の平和を祈るものであり、個々の死没者を奉慰(慰霊)・顕彰するための施設ではなく、両者の趣旨、目的は全く異なる。
 また、靖国神社は宗教法人の宗教施設であるのに対し、新たな施設は国立の無宗教の施設である。この性格の違いは、異なった社会的意義を保障するものである。
 2. 千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるために国が設けたものであり、ここに提案する新たな国立の施設とは、前同様に趣旨、目的は全く異なる。

 経緯からすれば小泉改革の一環ではあった。が、当の小泉氏が靖国神社参拝を繰り返したため、福田氏および自民党有志の思いは頓挫した。
 これを継続すると明確にしたのが、当時の民主党だった。
 そのかけ声で社民党も前向きな姿勢に転じた。
 2009年8月16日読売新聞記事「国立追悼施設に現実味 民主・鳩山代表「推進」、社民も協力」より。

無宗教の国立追悼施設の建設が現実味を帯びてきた。民主党の鳩山代表が、政権獲得した場合は建設を推進する考えを表明し、社民党も協力する考えを示しているためだ。
 鳩山氏は15日、新潟県長岡市内での記者会見で、「天皇陛下が靖国神社に長い間、行っていないという現実がある。陛下にも安らかにお参りしていただける施設が必要ではないか。党としても取り組んでいく」と述べ、施設建設に改めて前向きな考えを示した。
 同党の岡田幹事長も、有識者で検討する考えを示唆している。社民党も、次の衆院議員の任期中に建設計画をまとめるよう各党に呼びかけるとしており、現・野党では推進論が大勢だ。
 無宗教の追悼施設は、憲法の政教分離に抵触することなく首相らが参拝できるようになるとの利点があるとされる。中国や韓国の反発が強い靖国神社の代替になるとの期待もある。
 民主党内では、鳩山氏の考え方に対し、今のところ反対の声は出ていない。ただ、党内には「戦没者追悼の中心的施設は靖国神社だ」として自民党議員らとともに参拝する議員もおり、建設構想が具体化した場合、反対論が表面化する可能性もある。構想は、自民党でも小泉政権時代に浮上した際に反発が強く、お蔵入りとなった経緯があり、「鳩山政権」でもハードルが待ちかまえている。

 推進の主体は鳩山由紀夫氏である。彼はこの一か月後に首相となった。では、組閣後、鳩山首相は、どうしたか。
 無宗教の新たな国立追悼施設の建設に向けた調査費の計上を見送ったのである。
 このおり、鳩山氏の側近であった松野頼久官房副長官は記者会見で「すぐさま来年度やるような話ではない」と弁明していた。
 かくして、政権交代した民主党政権下での無宗教の新たな国立追悼施設の建設は初っぱなから頓挫し、事実上立ち消えとなった。
 そういえば、その後の松野頼久氏だが、現在は日本維新の会に所属している。
 

追記
 その後の関連報道など。
 共同「安倍首相、米国の制止振り切って靖国参拝 根回しも実らず「失望」声明(2013年12月28日)」(参照)より。


 米政府当局者は26日、安倍晋三首相(59)の靖国神社参拝について、米オバマ政権が外交ルートを通じて何度も首相に参拝を自制するよう求めていたことを明らかにした。米国務省のサキ報道官は同日、参拝に対して「失望している」と在日米大使館と同じ内容の声明を発表、あらためて批判的なメッセージを送った。一方、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長(44)は参拝問題に関し、安倍首相に「侵略戦争だったとはっきり言ったらいい」と注文をつけた。
 米政府は、何度も何度も「靖国参拝STOP」のメッセージを送り続けていた。米政府当局者によると、安倍首相が靖国神社を参拝したい意向だったことを踏まえ、米側は内政干渉にならないよう非公式な形で再三にわたり自制を要請していたという。
 こうした意向を無視して安倍首相が参拝したことで、米国側も批判的な立場を明確化。26日、米国務省のサキ報道官が、靖国参拝について「失望している」と在日米大使館と同じ内容の声明を発表した。この声明は、当初「遺憾」などソフトな言葉も検討されたが「より強いメッセージを伝える必要がある」として「失望」の表現に落ち着いたという。
 日本政府は、参拝直後に出された「失望」表明が、米政府よりランクが一段下の在日大使館名で出されことで、「(米国側に)一定の配慮があった」(政府関係者)と分析していた。しかし、今回の政府声明での再発表で状況は一変。楽観ムードに冷や水をかけられた。
 また、日本側は参拝の約1時間前に在日米大使館を通じて米政府に連絡を入れていたことも明らかになった。菅義偉官房長官(65)は27日の記者会見で「了解を取ることではないが、事前に常識的範囲で報告していた」と明言。“根回し”してまで支持を取り付けたかった日本にとっては、米国の態度は完全な誤算だった。
 安倍首相は27日、首相官邸で「理解していただけるよう誠実に努力していく」と述べ、米国の反応に危機感。今回の参拝は中韓との関係だけでなく、今後の日米関係にも影を落とすことになりそうだ。

 問題の英語表現については。「Japan PM ignored Washington to visit shrine, U.S. official says」(参照)より。

The U.S. first considered expressing “regret” or “concern” in the statement, but the stronger language was chosen through prior consultation between the White House and the State Department, the official said.

The second U.S. official said the visit will have a “negative impact” on relations between the United States and Japan, especially after Vice President Joe Biden visited Tokyo, Beijing and Seoul earlier this month.


 外交的影響について。毎日新聞「首相靖国参拝:米「失望」に政府危機感 防衛相協議延期(2013年12月27日)」(参照より)。

 安倍晋三首相の靖国神社参拝を受け、米国務省は26日、「失望した」とのサキ報道官声明を発表した。在日米大使館声明と同じ内容だが、大使館声明にとどまらなかったことで、米政府の姿勢がより明確になった形だ。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に向けた同県の埋め立て承認に関し、27日に予定していた小野寺五典防衛相とヘーゲル国防長官の電話協議も延期されるなど、首相参拝の影響はさらに深刻化している。
 首相に事務方は26日、大使館声明について「『失望』は外交的にはそんなにきつい表現ではない」と説明。米側が一定の配慮を示したと受け止めていた。だが、さらに国務省報道官声明が出たことで、危機感は高まっている。首相は27日、首相官邸で記者団に、「戦場で散っていった方々の冥福を祈り、リーダーとして手を合わす。これは世界共通のリーダーの姿勢だろう」と参拝の正当性を強調したうえで、「そのことを理解していただくように努力していきたい」と付け加えた。
 政府は、参拝にあたっての首相の思いを各国に説明するため、在外の日本大使館を通じて、「今後とも不戦の誓いを堅持していく」という26日の首相談話を翻訳して発信し始めた。
 与党にも懸念の声が広がっている。自民党の石破茂幹事長は27日、テレビ朝日の番組で「米国は『不戦の誓い』を首相が強調したことにも留意している」と述べたが、同党幹部は「今回は厳しい」と漏らした。公明党の山口那津男代表は同日、「首相の理念的な面での言動が一つ一つの行動に表れている。(欧米からの懸念は)それら全体に対する評価と受け止めるべきだ」と首相に苦言を呈した。【鈴木美穂、高橋恵子】

 
 

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2013.12.26

finalvent's Christmas story 8

 人生は出会いだという人がいる。おそらくそうだろうが、出会いがあれば別れもある。ならば人生は別れだとも言いたいところだが、出会いが印象的であるのに対して、別れは必ずしもそうではない。若い日の別れは痛切な印象を残すことが多いのに、年を取るにつれ、静かに音信が途絶える別れが増える。それは悲しいことでもない。人とのつながりは必ずしも幸福に基づいているわけでもないのだ。どちらかと言えば、北風のような不幸に遭遇してたまたまそこで二人、心を寄せていることもある。いつまでもいるべき場所ではない。寄り添いから離れ、春の息吹に静かに向かって歩んでいく人がいるなら、振り返ることはしなくてもよい。残された者は、その人の幸福を祈っていればいい。たとえそこに真実がなかったとしても。
 振り返ってみると、そうした人生の友とも言えた(あるいは恋人と言うべきなのかもしれないが)ルツとの音信が途切れたとき、なんとなく不安な思いとともに、彼女の新しい幸せの旅立ちの可能性も思った。そうであってほしい。
 それ以上に気にすることはない。そう思いつつも気になっていた。彼女が関わる団体の関係者にそれとなく訊いてもみた。彼女は病気だったと聞かされた。慢性リンパ性白血病らしい。信じられなかった。叫びたいような思いにも駆られたが、身体の芯がからからに渇いたような疲労感を感じて何もできなかった。ルツはもう死んでしまったのではないか。
 しかし彼女は生きていた。たまたま手にした「サイエンティフィック・エンカレッジメンツ」の会誌のレポートで彼女の名前を見つけた。近況のようだった。前後の会誌を取り寄せてもみたが、彼女の名前があったのはそこだけだったので、見かけたのは偶然だった。いずれにせよ、元気でいたようだった。病気というのが間違いだったのか、予後が良かったのか。この地上に彼女が生きていてくれるなら、それだけでいい。
 そう思うと気が楽にもなったし、退屈も覚えたので、そういえばとKFFサンタクロース協会のボランティアリストをオンラインで覗いて見た。超大型台風ハイエンの被災地での活動はあるだろうとフィリピンの項目を見ていくと、台風被害支援とは別にマニラでの慈善会があり、そこにルツの名前を見た。会える。会いたいとも思った。が、差し出がましいのではないかともためらった。私たちは長い別れの時期にあるのではないか。
 協会のマリーには超能力のようなものがある。私はそういう類の能力は信じないが、経験的にはそれ以外には納得がいかない。彼女からそのマニラの慈善会への参加の依頼があった。「大丈夫、サンタクロースの役はないから」と彼女は言った。別段、サンタクロースに扮してもかまわないし、青年たちと個人的に話をしてもかまわない。そうした気持ちの裏で、たぶん、私はルツに会うのだろうと知った。
 もちろん、ルツには会えた。どういういきさつかわからないが、所定の活動のあと、ホテルに彼女からのメッセージが入っていた。数人で会食をするから参加しませんかというのだ。それがいい。
 指定されたスペイン料理の店に入ったとき、ルツたちの八名ほどの一行は着席して会食が進んでいたので、私は時間を間違えたのかと思った。間違えたのは彼女のほうだったらしい。「ごめんなさい。気がついたときは遅かったの。いつもそうなの」とルツは言った。私はかまわない。
 一行はイスラエルの医師たちであった。なぜ彼らがここに集まっているのかはわからない。遺伝子治療の話題が盛り上がっていた。癌患者の免疫細胞の一部を取り出し、そこに改変を加えて戻す。それによって患者の身体の癌細胞が免疫の攻撃対象となり、癌の治療が可能になるということらしい。そんな医療技術もあるのかと思ったが、会話のなかに出てきた「キメラ」という言葉のほうに私は思いをはせた。生物学・医学的には普通の表現だろうが、語源を思うと面白いようにも思えたのだ。ギリシャ神話の怪物である。ライオンの頭とヤギの胴とヘビの尾を持つ。
 散会後、ルツは医師たちに別れを告げ、私を誘ってホテルのカフェに向かった。私が何を言ってよいのかわからないでいると、ルツは「私がそのキメラなのよ」と切り出した。「私は私ではないの。私は私を救えなかったの」。話をきくとどうやら彼女はそのキメラの医療によって救われたらしかった。
 「私の中にいた癌細胞は、たぶん私の一部だった」と彼女は言った。「だからそのせいで私が死んだとしても私にとっては、それは自然だった」
 「いや病気だったのですよ」と私は言った。「君が元気そうにいてくれて嬉しい」
 「そうね。私も嬉しい。嬉しいとか悲しいとか思える自分がいること自体を嬉しいと思ってもいいんでしょうね。たとえ私がキメラであっても」
 「キメラは治療法であって、君自身じゃない」
 「いえ、私はそもそもキメラだった。私は私ではないものをいっぱい抱えて、それがぜんぶ自分だった。でも私は私が生きるためにそれをいくつか捨ててしまった」
 「比喩的な意味だろうと思うけど、人はそうして生きていくものじゃないかな」
 「ええ、そうね、たぶん」
 「もしかすると、キリストというのもキメラかもしれない」 なぜ自分がそんなことを思って口にしたのか、よくわからなかった。修道女であった彼女の気を害するかもしれない。
 「面白いわ、それ。三位一体はキメラかも」 そして彼女は、吹き出し、笑い続けた。
 「君は笑っている」と私が口を突くと、ルツは少し真面目な顔をして、「私は笑っていません。しかし、主は言われた、いや、あなたは笑った、と」
 「そして老いたサラはイサクを産んだ。神は神をあざ笑うものをその笑いで祝福するということかな」
 ルツはいたずらそうな目をして、「そうかもしれない」と答えた。「神が存在するなら、そのように存在するのでしょう」
 「メリー・クリスマス」と私は言った。
 「メリー・クリスマス」と彼女は答えた。
 
 

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2013.12.12

「組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った」という共同報道の出所はどこなんだろうか?

 昨日共同通信の報道、「政府、共謀罪創設を検討 組織犯罪処罰法改正で」(参照)がツイッターなどで話題になっていた。理由はこの記事に「明記」されているように、「秘密法成立で言論・情報統制が強まる不安が広がっているだけに、論議を呼ぶのは確実だ」ということである。そういう議論が起こりそうなことは理解できるだが、さて、この共同通信の報道の出所はどこなんだろうか? まず、報道はこう。


政府、共謀罪創設を検討 組織犯罪処罰法改正で
【2013/12/11 00:45】

 政府は10日、殺人など重要犯罪で実行行為がなくても謀議に加われば処罰対象となる「共謀罪」創設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った。政府関係者が明らかにした。
 共謀罪が広く適用されれば、国による監視が強化される恐れがある。機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法に続く国権強化の動きといえる。秘密法成立で言論・情報統制が強まる不安が広がっているだけに、論議を呼ぶのは確実だ。
 政府は、2020年の東京五輪開催に向けてテロ対策の必要性が高まったと判断している。


 つまり、その「政府関係者」って誰なんだろうか。
 共同の同報道には、その後のものと思われるもう少し長い版がある。「共謀罪の新設、政府が検討 実行行為なくても処罰 組織犯罪処罰法改正案、14年提出へ【2013/12/11 10:51 (2013/12/11 11:54更新)】」(参照)。

 政府は、殺人などの重大犯罪で実行行為がなくても謀議に加われば処罰対象となる「共謀罪」新設を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った。政府関係者が11日明らかにした。政府は2020年東京五輪開催に向けてテロ対策を強化する必要性が高まったと判断している。
 改正案は、4年以上の懲役・禁錮に当たる罪を対象とする方向。殺人罪や強盗罪など重大犯罪の実行行為がなくても合意だけで処罰可能となる。
 共謀罪をめぐっては、国連が00年11月、国際テロの不安が広がっていることを背景に「国際組織犯罪防止条約」を採択し、参加国に共謀罪の創設を求めた。
 日本政府は同年12月、条約に署名。法務省は改正案の目的として、暴力団による組織的殺人や悪徳商法グループの組織的詐欺など、犯罪集団による重大犯罪の取り締まりを挙げている。
 政府は03年以降、数回にわたり改正案を国会提出したが、日弁連や野党が「市民活動や組合活動などにも拡大解釈されかねない」と強く反対し、廃案と継続審議を繰り返した。第1次安倍政権でも成立を目指していた。
 先の臨時国会で成立した特定秘密保護法には、実際に犯罪行為をする前でも、謀議に加わった段階で処罰対象とすることが規定されている。
 これに関連して、菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で「政府としてはまだ何も決めていない」と述べた。
〔共同〕

 後から出たと思われる長い版の報道でも「政府関係者が11日明らかにした」とあるが、後で追記されたのかわからないが、後段を読むとわかるように、「菅義偉官房長官は11日午前の記者会見で「政府としてはまだ何も決めていない」」として、その政府関係者の、おそらくリークと思われる情報を否定している。
 共同通信の誤報ではないかとも思えるが、誤報であるかどうかは、その「政府関係者」が誰だかわからないとなんとも言えない。ジャーナリズムの建前上開示はできないだろうが、気になるところだ。いずれにせよ、この共通通信の報道については、政府が11日午前中に、即座に否定しているので、この記事を元に、「組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った」と騒ぐ根拠はなくなった。もっとも、だからといってこの法案について議論するなという意味ではないが。
 共同だけが飛ばしたのかと思って他報道を見ると朝日新聞にもあった(参照)。

共謀罪の創設、安倍政権が検討 五輪に向けテロ対策強化
2013年12月11日21時47分
 安倍政権は重大な犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象となる「共謀罪」を創設する組織的犯罪処罰法改正の検討に入った。2020年の東京五輪に向けたテロ対策強化が狙い。ただ、特定秘密保護法が国民の「知る権利」を損なうと批判された直後でもあり、来年の通常国会への改正案提出は見送り、提出時期を慎重に見極める方針だ。
 共謀罪は、重大な犯罪にあたる行為を「団体の活動」として「組織により」実行しようと共謀するだけで、実際に行動を起こさなくても罰する内容。
 政府は00年に国連で国際組織犯罪防止条約が採択されたのに伴い、条約締結のために国内法の整備が必要として、03年から3度、関連法案を国会に提出した。ただ、対象となる犯罪が600以上にのぼることなどから、当局の恣意(しい)的な適用を懸念する世論の反発が起き、いずれも廃案となってきた。

 朝日新聞の報道では、明確に、この情報の出所が明記されず、「安倍政権は……組織的犯罪処罰法改正の検討に入った」とされている。同日否定した菅義偉官房長官記者会見についての追加報道は探したが見当たらなかった。
 逆にNHK報道では、こうした共同通信・朝日新聞報道を否定した菅義偉官房長官記者会見のほうだけを取り上げていた(参照)。

「共謀罪」関連法案 通常国会提出せず
12月11日 21時16分

 菅官房長官は、午後の記者会見で、テロなどの重大な組織犯罪の計画の謀議に加わった場合に処罰の対象となる、「共謀罪」を新設するための関連法案について、来年の通常国会に提出する考えのないことを明らかにしました。
 「共謀罪」は、テロなどの重大な組織犯罪について、実行していなくても、犯行の計画の謀議に加わった場合に処罰の対象とするものです。
 政府は平成12年、テロなどの組織犯罪を防ぐための国連の「国際組織犯罪防止条約」に署名し、条約の批准に必要な国内法の整備として、「共謀罪」を新設するための関連法案を、平成15年以降、国会に3回、提出しましたが、いずれも廃案になっています。
 これについて菅官房長官は午後の記者会見で、「『何も検討していない』と申し上げている。国会に提出する予定はない」と述べ、来年の通常国会に法案を提出する考えのないことを明らかにしました。
 一方、政府筋は、「特定秘密保護法に対する反発を考えると、来年の通常国会への提出はなかなか難しいだろう。ただ、東京オリンピックも控えているので、提出の検討は続けなければならない」と述べました。


 NHK報道では、共同報道と異なり、11日の午後となっているが、官邸にあたってみると、午前と午後で二回にわたって否定されている。午前「平成25年12月11日(水)午前」(参照)。

記者 長官、共同通信の橋本(?)ですけど、別件なんですけども、共謀罪創設についてお尋ねします。あの国連がですね、2000年だったと思うんですけど、国際組織犯罪防止条約を採択して、ま参加国、参加国にですね、あのー、共謀罪の創設を求めている。で、日本政府としては今後どのようにあの、進めていくお考えなんでしょうか。
長官 あのー、今ご質問にありましたように、国際組織犯罪防止条約、それを締結するための担保法でありますけども、ま、これについては、いつどうするかということは、まだ政府では決めてません。
記者 産経新聞の山本ですけど、名護市長選について……(中略)
記者 北海道新聞、佐藤です。一つ前に戻るんですけど、共謀罪の必要性について、政府としてはどのようにお考えでしょうか。
長官 ですから、国際犯罪防止法を締結すると、そういう担保法について、海外からそう言われてますけども、ま、政府としてはまだ何も決めてない、そういうことです。

 記者会見を聞いているかぎり、この時点で、すでに共同通信は「組織犯罪処罰法改正案を来年の通常国会に提出する方向で検討に入った」という報道を流していているにも関わらず、そのことには触れず、共同通信自社記者から特に文脈なく「別件なんですけども、共謀罪創設についてお尋ねします」としてこの話題が切り出されている。好意的に見れば、自社報道の裏を取りたいとも読める。だが、報道のあり方としては、この質問の後に「政府関係者」とこの記者会見をまとめて初報道したほうがよかっただろう。共同通信が自社でこの問題を作成している印象を与えてしまうことになるからだ。
 午後の記者会見でもこの話題が冒頭から扱われている。「平成25年12月11日(水)午後」(参照)。

記者 読売新聞の※※(?)ですけど、午前中の記者会見でも出たんですけども、えー、共謀罪を創設する組織的犯罪処罰法改正案ですけれども、来年の通常国会の提出に向けて検討に入ったという報道があるんですけれども、これまでの検討状況に何か変化はあるんでしょうか。
長官 ま、あのー、午前中、私申し上げましたけど、何も検討しないということを私は申し上げました。ということは、国会に提出する予定はないということです。

 これを見ると、読売新聞記者は、共同通信報道や朝日新聞報道の政府側の裏を取りたかったということがわかる。
 公式な記者会見が真実を述べているとは限らないが、状況を見るかぎり、共同通信の勇み足であることは否めないし、この段階で「秘密法成立で言論・情報統制が強まる不安が広がっているだけに、論議を呼ぶのは確実だ」と加えたのは、報道誘導の印象はぬぐえない。
 関連だが、関連報道を見ていくと、記者会見で否定された後も、興味深い報道が見られた。東京新聞「秘密の次は…共謀罪 「戦争できる国」へ着々」(参照)である。

秘密の次は…共謀罪 「戦争できる国」へ着々
2013年12月12日
 内閣支持率の急落もなんのその、安倍晋三首相が「警察国家」「戦争できる国」に向けて一気にアクセルを踏み込んだ。希代の悪法たる特定秘密保護法を強引に成立させたかと思えば、今度は、事前の話し合いだけで処罰される「共謀罪」創設が急浮上した。十七日にも閣議決定される国家安全保障戦略には武器輸出推進が明記される見込みだ。来る。次々と来る。 (林啓太、小倉貞俊)

◆市民運動監視、つぶすことも
「安倍政権は、日米で戦争を遂行する体制づくりを進める一方、戦争に反対する団体を監視して運動を委縮させたい。共謀罪は、言論の抑圧に悪用される可能性が極めて高い」。日弁連共謀罪等立法対策ワーキンググループ副座長の山下幸夫弁護士は懸念する。
 実行行為がなくても、犯罪の謀議に加わるだけで処罰対象となるのが共謀罪だ。安倍政権は、共謀罪を創設する組織犯罪処罰法改正案の検討に入った。菅義偉官房長官は11日の記者会見で、同改正案について「(来年の通常)国会に提出する予定はない」と明言したが、いずれかのタイミングで共謀罪が政治日程に上ってくるのは間違いなさそうだ。
 自公政権は2003年から三度、関連法案を国会に提出。第1次安倍政権も共謀罪の導入を狙った。そのたびに野党や日弁連から「市民活動などにも拡大解釈されかねない」と強く反対され、すべて廃案に追い込まれた。
 過去の関連法案によると、殺人や強盗、建造物等放火など4年以上の懲役・禁錮を定めた600以上の罪が対象となりそうだ。これまで政府は、暴力団や組織的な詐欺の取り締まりを共謀罪創設の目的に挙げてきたが、今回は20年東京五輪のテロ対策も「大義名分」に掲げたいらしい。
 しかし、石破茂・自民党幹事長の「絶叫デモはテロ行為」発言を引くまでもなく、自民党には暴力団も反戦団体も等しく「危険な集団」に映る。共謀罪があれば、市民運動を監視するだけにとどまらず、場合によってはつぶすこともできる。例えば、反戦団体にもぐり込んだ公安警察のスパイが「政府の建物への放火をみんなで計画している」とウソの密告をすれば「自白を証拠に、団体の関係者が有罪にされかねない」(山下氏)。
 それにしても、秘密法成立直後に共謀罪を持ち出すとは、どういう神経か。
 山下氏は「秘密保護法が共謀罪へのハードルを下げた」との見立てだ。現行法では共謀の段階で処罰できる罪は爆発物取締罰則など少数だが、秘密法にも特定秘密を知ろうと共謀するのを罰する規定が盛り込まれた。「秘密保護法の審議では、共謀の規定の危険性がそれほど問題にされなかった。共謀罪導入の露払いはできたと考えているのではないか」
 このままでは秘密法の二の舞だ。小倉利丸・富山大教授(監視社会論)は「どんなにデモで国会を囲んでも、安倍政権が続く限り、共謀罪の導入を強行するだろう。阻止するには安倍政権を退陣に追い込むぐらいの大きな運動を今からつくり出さなければならない」と力を込めた。

◆首相の野望 続々
 4月にスタートした国家安全保障会議(日本版NSC)に続き、外交・安全保障分野でも安倍路線は着々と“実績”を積み上げる。

(中略)

[デスクメモ]
「こちら特報部」は2006年、反共謀罪キャンペーンで日本ジャーナリスト会議(JCJ)大賞に選ばれた。私は当時、政治部記者として国会の動きを追った。権力の邪悪なたくらみは頓挫したはずだった。因果はめぐる。亡霊の復活に血道を上げる安倍政権と対峙(たいじ)しなければならない。(圭)


 東京新聞記者の思い入れはわからないではないが、現段階では、「それにしても、秘密法成立直後に共謀罪を持ち出すとは、どういう神経か」という指摘の事実根拠は、政府側がすでに公式に否定している以上、共同通信が報道の出所を明らかにしないかぎり、明確に言えることではないだろう。
 なお、以上の経緯とは別に、組織犯罪処罰法改正案だが、すでに菅義偉官房長官の会見にもあったように、国際協調の一環として過去に推進した経緯もあり、また、この推進が求められている。問題は、どのように世論の不安を了解して勧めるかだが、法務省に関連の情報が以前から記載されている(参照)。

国際組織犯罪防止条約の交渉過程での参加罪に関する日本の提案について

○  条約交渉の初期の案文では、共謀罪については、組織的な犯罪集団の関与の有無にかかわらず、すべての重大な犯罪の共謀を対象としているという問題点がありましたし、参加罪については、特定の犯罪行為との結び付きがない「犯罪集団の活動への参加」を一般的に処罰の対象としているという問題点がありました。
○  そこで、我が国は、当時の案文のままでは我が国の法的原則と相容れないとの意見を述べた上で、共謀罪については、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を加えるべきことを提案するとともに、参加罪については、特定の犯罪行為と参加する行為との結び付きを要件とした、別の類型の参加罪の選択肢を設けることを提案しました。
○  しかし、この別の類型の参加罪を設けるとの提案については、犯罪となる範囲が不当に狭くなるなどの指摘があり、結局、各国に受け入れられませんでした。
○  他方、共謀罪については、我が国の提案に基づいて、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を付することができるものとされました。
○  そこで、既に一定の重大な犯罪については共謀罪が設けられている我が国の法制との整合性を考慮し、組織的な犯罪集団の関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰する「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることとしました。


 法務省側でもこの問題は他国を説得し、自国法のあり方を含めて、検討している様子はうかがえる。
 この問題を現時点から検討することはよいが、報道社が不正確な情報を元にした問題提起のような報道をフライングするかに見える状況は、冷静な議論を進める上で好ましいものではないだろう。
 
 

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2013.12.11

なんでフランスの本はフランス国外で読まれないのか?

 なんでフランスの本はフランス国外で読まれないのか? さて。普通、そんなものじゃないのとも思うが、フランスとしてみると、なぜかと思うことはあるのかもしれない。とはいえ、そもそもこのニュース、私が見たのは、BBCであった(参照)。読んでみると、それなりに、ふーんと思える話である。適当に話をつまんでみる。
 フランス作家は、近代国家ならどこでも有名なものである。ボルテール、デュマ、ユーゴ、フローベールやプルーストなど。文学が好きなら馴染み深い。これらは第二次世界大戦前。それどころか第一次世界大戦前。その後はどうかというと、ちょっとお寒い状態が続いていると言われると、まあ、そうかな。僕なんかの世代だと、サルトルやカミュなんかの小説は読んだものだったが。
 近年ではどうかというと、フランス作家の作品は、英語圏では比較的売れていないらしい。なぜなんだ?
 しかも、当のフランス人は英語圏などから翻訳される本を好んで読んでいるらしい。小説なんかだとざっと半分くらい英米圏の翻訳物。例えば何を? この記事には書いてないが、BBC記事中の写真に写っているのは「 フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」だったりする。あのなあ。
 「ミシェル・ウエルベック」は例外としてとあるが、どのくらいフランス人作家の本が英米圏で読まれているだろうか。2008年のノーベル文学受賞の「ジャン・マリー・ル・クレジオ」さえ英米圏ではあまり知られていないとのこと。日本ではというと、それなりに知っている人はいる。僕は知っているけどね。
 こうしたフランスの出版事情の理由の一つとして記事で上がっているのは、翻訳代理店がフランス作家を拾ってくれないということだ。そうかもしれない。ということで、今年のアカデミー・フランセーズの小説賞作家、クリストフ・オノデビオという人が上げられているのだが、英米圏からは無視されているらしい。ほかにMarie Darrieussecq、Nelly Alard、 Philippe Labroとかいう作家も記事に上げられているが、聞いたこともないなあ。フランスのベストセラーならまず間違いなく英米圏では翻訳されないともある。翻訳自体にコストがかかるというのもあるというのだが、どうなんだろうか。

cover
恋人はゴースト
 『恋人はゴースト』という米国映画の原作はフランス人作家マーク・レヴィで有名な部類だが、それでもあまり関心が持たれているとも言えないようだ。ちなみに、アマゾンで見たら、英訳本はいくつかあった。邦訳はわからなかった。なさそう。この映画は見ておきたいな。
 こうした状況にフランスの知識人で苛立つ人もいるらしい。特にいらっとさせるのは、もしかしたら、フランス作品自体、つまんないんじゃないのかという疑念だ。あるいは、おフランスなエリート感が逆に嫌われているのではないのか。フランスはアマゾンに抵抗して(参照)、書店文化などを保護しているせいもあって、そうしたのが逆に過保護に働いて文化的な魅力を弱めているのかもしれない。例えば、フランスの書籍は手にとってもカバーデザインはそっけない。ジャンルも英米圏ほど幅広くもない。ノンフィクションだと知的過ぎてしまう。文学でもヌーボー・ロマンとか文学過ぎて、等身大のフランス人の生活を反映していない。ただ、そのあたりは現在のフランス人作家も留意してはいるらしいということで記事は締められている。
 かえりみて日本はどうかというと、よく言われるように日本の作家の作品も海外では読まれないが、村上春樹のようなビッグネームはある。よしもとばななも読まれているような話題も耳にするがどうなんだろうか。一昔前なら、谷崎潤一郎とかは読まれていたようでもあった。よく知らない。
 日本の場合、フランスのこうした状況と違って、英米圏の作品が圧倒的ということはないように思う。SFやミステリーなんかだと状況は違うのかもしれないが、英米圏の作品で日本人で好まれるのは、ダン・ブラウンやジェフリー・アーチャーとかふと思うがどうなんだろ。ケン・フォレットの『大聖堂』などは作品としてはけっこう読まれたか。
 ざっと思うのは、日本というのは、文化的に大衆的に洗練されていて、自然に出版の世界でもガラパゴス化しちゃうというのはあるんだろう。その点、フランスなんかだと、自国の知識人の伝統と大衆のグローバル化の二極になってしまうのかもしれない。
 
 

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2013.12.09

[書評]20時間ですばやく何でも学ぶ方法(ジョン・コーフマン)

 人はふと、なにか新しいことを学びたいと思うものだ。外国語とかプログラムとか楽器とか。では、習得するまでにどのくらい時間がかかるだろうか。20時間でなんとかなるとしたら、ちょっといい話ではないだろうか。1日1時間やれば1か月以内でなんとかなるはずだ。

cover
The First 20 Hours
  この話は、先日の記事(参照)でも言及した「20時間ですばやく何でも学ぶ方法(ジョン・コーフマン)」(参照)にある。実際に読んでみた。まだ翻訳は出てないのではないかと思う。原題は「The First 20 Hours: How to Learn Anything ... Fast」である。
 TEDでも話題になっていた(参照)。

 TEDでは、その手法を4つくらいに絞っていたが、オリジナル本を読んでみると、10に分けていた。意訳を添えておく。


  1. やるなら好きなこと。Choose a lovable project.
  2. 一度に一つに集中。Focus your energy on one skill at a time.
  3. どこまでやるかを決めておく。Define your target performance level.
  4. スキルは分けて習得。Deconstruct the skill into subskills.
  5. 道具を用意する。Obtain critical tools.
  6. 邪魔を除く。Eliminate barriers to practice.
  7. 練習時間を取る。Make dedicated time for practice.
  8. 素早く自己評価する。Create fast feedback loops.
  9. 練習時間は時計を置いて計る。Practice by the clock in short bursts.
  10. たくさんいそいでやる。Emphasize quantity and speed.

 書籍では、この10の原則が第1章で詳しく説明されている。どれも、なるほどなと呻らさせるものはあった。
 興味深いのは、以上の原則は、技術(スキル)であって、学習(ラーニング)とは分けてそれには第2章で別の10の原則が上げられていた。
 カーフマンはこれらを「高速スキル獲得」として見ていた。メタ学習の原理になる。同じような原理を自分も考えていたので、いろいろ参考になる面もあったし、自分ならちょっとこう考えるかということもあった。
 実証的なものとはいえず、カーフマンの経験談が多い。が、それも面白い。とにかく20時間齧り付けという取り組みは重要なようだ。何かの習得を始めると心理的な障壁が大きいからだとしている。
 具体的にカーフマンがそのメソッドで習得したのは、ヨガ、プログラミング、タッチタイピング、囲碁、ウクレレ、ウインドサーフの6つのスキルで、それらが第4章以降、1章ずつ当てられて、本は終わる。
 率直に言うと、これらのスキルは私の場合、ウインドサーフ以外は習得しているので、説明がわかりやすい反面、多少退屈にも思えた。ウインドサーフは20代にほんの少しやったが洋上で風に流されるくらい終わった。
 面白かったのは、タッチタイピングである。私は普通にタッチタイピングができるし、米人でできない人もよく見かけたので、そんな話かなと思ったら、違った。では毎度のドヴォラークかなというとそうでもない。Colemak(参照)である。つまり、コーフマンは従来のQWERTYのタッチタイプからColemakに変えたわけである。最初はけっこうきつそうだが、習得後の話を読むと、ああ、これはちょっとうらやましいなと思った。私もタッチタイプは変更したいと思っていたのだ。が、ISOのキーボードですら国内で買うのが面倒になりやめた。いまでは、情けない、JISを使っている。そういえば最近親指シフトの話を聞かないが、どうなったのだろうか。
 全体として、本書の大半を占める個別のスキルの話にあまり魅力がないのと、原則論が主観で終わっているのが残念だった。個別スキルについては具体的な話だから、そこから一般原則への示唆はあるだろうが、私としては、任意の習得対象の教材をどのように構成するかというほうに関心がある。
cover
はじめての
インストラクショナルデザイン
 一般にはこの分野はインストラクショナルデザイン(instructional design)と呼ばれ、当初はスキナー派の考えが主流になって、ADDIEモデル――(Analysis)、設計(Design)、開発(Develop)、実施(Implement)、評価(Evaluate)――となっているのだが、モデルというには当たり前過ぎて実際には使い物にならないように思われる。古典的な「インストラクショナルデザインの原理」(参照)も読んだが自分にはあまり実践的ではなかった。
 こうしたメタ学習の理論だが、実際にはそういうメタ性というのは存在しないのかもしれないとも疑っている。本書でカーフマンも語学について言及しているが、語学なども独自の教授法があるが、決め手はなさそうに思える。
 
 

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2013.12.07

特定秘密保護法が6日夜の参議院本会議で可決、その雑感

 特定秘密保護法が6日夜の参議院本会議で可決され、成立した。ごく簡単に言えば、見切り発車の法律となった。
 見切ってよかったのかと言えば、自民党、特に安倍首相はかなり譲歩したし、国内外から批判されていた問題点の多くも修正されたので、ここで廃案にするデメリットとメリットをバランスして見れば、しかたがなかったかという苦々しい思いはある。
 日程的に押していたのは、本法案と両輪になる日本版NSCである国家安全保障会議の効果的な運用ということがあった。逆に言えば、この法案の阻止は日本版NSCの弱化に繋がり、現時点で日本の外交・軍事弱化のメッセージを出せば、そうでなくても日本のメディアなどから発信される混乱した日本の外交・軍事情報で中韓などが勘違いした攻勢に繰り出しているなか、さらなる混乱を招きかねない。
 もう一つ日程を押していたのは、来年度の税制改正や予算編成作業だった。消費税増税によって、経済の悪化が想定されることから、各種の対応が求められる。
 今回の特定秘密保護法で可決ではいろいろな意見もあったが、タメの議論も多かった。例えば、総理が40万件とも言われる特定秘密を点検することは現実問題として不可能だといった指摘だが、9割がたは地図情報なのでその問題設定は本質的ではない。「拡大解釈」も危険視されたが、そこで重要なのは、戦前との比較といった拡大解釈の物語ではなく、現実的な現在のチェック機構のほうだった。国外からも人権の点での指摘があったが対象とされる諸点は土壇場で修正を受けている過程だったので、報道側ではもう少し整理も必要だっただろう。
 現時点で重要なのは、発車前にどたばたと口約束された、なかでも「情報保全監察室」の扱いである。
 菅官房長官は5日の参議院特別委員会で、「法律の施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要な場合は立法により、できる限り『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べたが、現状では「必要な場合は立法」という口約束だが、これを(1)法改正に盛り込み、また、(2)同室の独立性を高めて行政から分離できれば、とりあず及第点ではないかと私は思う。
 この後者の点についても、菅官房長官は「法案の付則に盛り込まれた独立した公正な立場で検証し、監察できる新たな機関は、法的にも高度の独立性を備えた機関であるべきだと考えている。実際の業務遂行の在り方などを検証しつつ、『内閣府設置法』などの改正の検討を進めていきたい」と述べ、全体としての方向性の認識は正しく示されている。が、機構的には内閣府内に設置されることになりそうなので、大きな課題を残したことになった。
 それにしても、みんなの党に押され、土壇場でチェック機構が出て来たのは、当初はそれだけずさんな法案だったことが否めない。ただし、土壇場の経緯を見ると、安倍首相はこの欠陥を予期していたようにも見受けられた。今回の法案は「強行採決」という批判もあったが、そもそも現自公体制なら、往事の民主党政権のように最初から議論もせず文字どおり「強行採決」させることもできた。むしろ、安倍首相はそれを避け、みんなの党を中心に野党や国外の批判を吸収したがゆえに、土壇場の修正となった。
 むしろ、ずさんさの根は、自民党と官僚機構のなかにあったのかもしれない。
 一連の経緯で私が一番残念だったのは、民主党の海江田万里代表が「天下の悪法が衆院を通過してしまった。全くの暴挙であり、参院の努力で廃案に追い込もう」と述べたことだった。もともと民主党政権時に蒔いた法案であり、政権政党まで担った民主党が、この法案の重要性を理解できないわけがなく、そうであれば、土壇場を前倒しにしてチェック機構を法案に盛り込む提言を積極的にすべきだった。しかし、海江田代表の頭にあったのは、「廃案に追い込もう」ということだった。落胆した。現下の政治風景でなにが残念かといえば、現政権がこけたとき、金融・経済政策と外交・軍事政策をきちんと堅持できる代替政治勢力が見当たらないことである。
 もう一つ余談めくが、知識人の頽落した光景にも溜息が出た。そんなものは1980年代の反核騒動で経験済みと言えないこともないが、むしろ、それ以降に登場した、オールタナティヴな知性が今回の件で、ばたばたと屈していく光景を見た。洒落た諧謔や、中立的な冷静な視点で議論を展開していたオールタナティヴな知性が、たとえば反自民ならなんでもいいといった素朴な政治構図に落ちていく様を見るのは、なんとも言いがたいものだった。

 ちなみにチェックの4機構をまとめておく。ソースはNHK報道である(参照)。

「情報保全諮問会議」
 政府が「特定秘密」の指定や解除、それに「特定秘密」を取り扱う公務員らに対して行う「適性評価」の統一基準の策定にあたって、有識者から意見を聴く会議。
 メンバーは、情報保護、情報公開、公文書管理、報道、法律の各分野の専門家。彼らは、政府が「特定秘密」の統一基準を策定したり変更したりする際に意見を述べる。また、「特定秘密」の指定や解除などの状況について、年一回、総理大臣から報告を受け、総理大臣が国会に「特定秘密」の実施状況を報告する際に意見を述べる。ただし、メンバーには、個別の特定秘密の内容を知る権限は与えられない。

「保全監視委員会」
 米国務省や国防総省などの代表者で作る「省庁間上訴委員会」に相当する機関。
 総理大臣が「特定秘密」の指定や解除などの状況をチェックする役割を補佐する。具体的には、定期的に会合を開き、大臣など各行政機関の長が行う「特定秘密」の指定や解除の状況、有効期間の設定や延長、特定秘密を取り扱う公務員らに対して行う「適性検査」の実施状況をチェックしたうえで、総理大臣が「情報保全諮問会議」や国会に毎年提出する報告書を作成する
 メンバーは、内閣情報官に加え、外務省と防衛省の事務次官や警察庁と公安調査庁の長官らが想定されている。

「独立公文書管理監」
 米国国立公文書館の下「情報保全監察局」に相当する機関。
 特定秘密文書の廃棄の可否を判断するほか、特定秘密の指定期限を過ぎた文書が国立公文書館に適切に移管されているかなど、文書の保存や管理の状況をチェックする。
 この機関には個別の特定秘密の内容を知る権限を与えられ、適切な運用を行っていない行政機関の長に対しては、是正を勧告することもできる。

「情報保全監察室」
 「保全監視委員会」とは別に「特定秘密」の指定の妥当性などをチェックする。具体的な内容については未定だが、原則としては「ツワネ原則」に準じるものになればよいだろう。
 
 

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2013.12.05

なぜ「パラシュート」というのか知ってますか?

 先日「シェルブールの雨傘」の話を書いた(参照)。原題はそのままフランス語で「Les Parapluies de Cherbourg」である。つまり、「雨傘」は"Parapluie"である。ではなぜ、ここで「雨傘」なのか。別の言い方すると、なぜ「傘」じゃないのか?
 「シェルブールの傘」でなにか不都合でも? というほどでもないが、思うに、案外単純に"Parapluie"を訳したのかもしれない。というのは、"Parapluie"は、"Para" + "pluie"であり、"pluie"は「雨」だからだ。ちなみに、この日のピンズラーのレッスンでシェルブールは雨が多いというのが出て来た。雨は多いのだろう。ちなみにこの地は、原潜でも有名。
 どうにもつまらない話をしているようだが、じゃあ、"Para"のほうはどういう意味かというと、さて。いや、当たり前すぎて考えたことがなかったのだが、ギリシア語の"παρά"、つまり、"paradox"の"παρά"と同じで、「越える」というふうに理解していた。雨を越えるから、"Parapluie"は「雨傘」なのでは、と。
 あれ? そうか?
 ギリシア語の接頭辞が直接フランス語に付くわけがないから、ラテン語を経由はしているだろうが、なんか変だなと思って辞書にあたって、気がついた。ちょっと、違う。
 その前にちょっと話を戻すと、フランス語の"Parapluie"で連想されるのは、"Parasol"である。"Parasol"つまり、"Para" + "sol"で、"sol"で、"Soleil"、「日差し(太陽)」から来ていて、"Parapluie"と同じ構成の言葉だ。つまり、"Para"は「避ける」「遮る」というふうに連想はされる(後述するが実際は違う)。
 ここでさらに連想されるのが、「パラシュート」だった。"Parachute"である。字面を見ると、これはどうにもフランス語が英語に入った外来語である。とすると、"Parachute"は"Para" + "chute"で、その"chute"はというと、英語にもあって「滑り台」である。普通の英語だと"slide"だろうとは思うが。で、"chute"のフランス語の意味は、「落下」である。つまり、"Parapluie"や"Parasol"の"Para"と同じだとすると、「落下」を「遮る」わけである。
 あー、なるほど、たしかに、パラシュートは落下を遮っているわけだ。
 というわたりで、これらの"Para"を調べ直したら、イタリア語の"para"でさらにラテン語の"parāre"らしい。つまり、英語だと"Prepare"に近いらしい。とはいえ、印欧語のレベルまでいけば、"παρά"と同語根にはなるかもしれない。
 ということは、この"Para"は「避ける」「遮る」ではなくて、「備える」ということになる。とんだ勘違いをしていた。
 つまり、雨傘が雨に備え、日傘が陽光に備え、パラシュートが落下に備えるわけである。
 というあたりで、言葉をいじくるほかに、ちょうど「パラシュート」で考えたのだが、「雨傘」にしても「日傘」にしても、人間がある時期作り出したものである。が、「傘」の起源はというとややこしい。対して「パラシュート」くらいは起源が探れるだろうと調べてみると、そういうものは誰でも考えそうなものだから、ごちゃごちゃとした議論がある。とりあえず"Parachute"という言葉に沿ってみると、意外にもあっさりわかった。ジャン=ピエール・フランソワ・ブランシャール(Jean-Pierre François Blanchard: 1753-1809)である。
 ブランシャールは気球の発明者ではないが、気球乗りとして有名で、ようするに「パラシュート」は、彼の気球人生の一環として発明されたわけである。
 と、ここで、ちょっとウィキペディアに当たってみると、ルイ=セバスティアン・ルノルマン(Louis-Sébastien Lenormand: 1757-1837)がパラシュートの発明・命名であるかのようにも書かれていた。そうかもしれない。
 ちなみに、気球を発明したのは、モンゴルフィエ(Montgolfier)兄弟で、公式には、1783年のアノネーでの飛行らしい。ベルサイユ宮殿でルイ16世やマリー・アントワネットの前でも実演した。こうしてみると、熱気球というのは、その後のフランス革命を支える理神教(参照)の先駆的顕現という意味合いもあったのではないか。
 ブランシャールは1785年にはドーヴァー海峡の横断しているので、当時は、いわば後の飛行機技術ブームを先駆したような状態でもあったのだろう。パラシュートもそうした「技術」のなかで人の知られるところになったのだろう。
 なお、現在のパラシュートは空軍の要請でできたようで、第二次大戦にはよく活用された。その間のパラシュートについては今一つわからないが、なんかのおりにまず熱気球史でも読んでみるかな。
 
 

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2013.12.04

ネイティブ発想という英語の難しさ

 先日、応用言語学者でまた独自の語学教育法を開発したポール・ピンズラーとその著書「外国語の学習法」の話をしたが(参照)、その中で、米人はフランス語の発音を奇妙に思う、ということに加えて、その文法も奇妙に思うらしいといった話があった。
 米人にはフランス語は、いろいろひっかかる点があるらしい。例えば、目的語の扱いもある。"Je les lui ai lus."みたいな構文である。
 確かに、なぜフランス語がこうなるのかは気になる。基本、フランス語というのはラテン語が崩れて出来たようなロマンス語なのだから、ラテン語にそうした根があるのかというと、自分が知る限りでは、冠詞の問題と同じように、そうでもない。まあ、それはさておき。
 米人にとって英語はシンプルであっても、他言語の国民からすると、英語もけっこう難しい。しかも英語の難しさは、その表層面からはわからないところがある。どうしてこうなっているのだろうかと、いろいろ考えさせる。なのでつい、考えてみたくなるものだ。

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英会話イメージリンク習得法
英会話教室に行く前に身につけて
おきたいネイティブ発想
 そんな関連もあったりして、このところ、ピンズラー方式の語学などの雑文を書いていたら、勧められた本がある。「英会話イメージリンク習得法―英会話教室に行く前に身につけておきたいネイティブ発想」(参照)である。一読してみた。ネイティブ発想という点から英語を考えたらこうなるんだろうなと、いろいろ共感するところがあった。
 同書の内容は、同書の参考書一覧にもあるが「一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法」(参照)とも重なる部分があるように思えた。また、同書での言及はないが、以前も言及した「文法がわかれば英語はわかる!―NHK新感覚・わかる使える英文法」(参照)などの内容とも重なる点はあるように思える。
 つまり、いわゆる学校文法からは見えづらい、英語独特の難しさが、よく考察されている。同書については数学科のかたが書かれたものだが、数学的な思考からは、こうした不定形にも思える英語の難しさは気になるところだろう。
 関連してちょっと脱線してみたい。
 同書のなかで、「英語は単語を並べていくことで流れをコントロールしています」として。"I want you to go the supermarket."という例文を使って、その意味と単語の流れを説明しているが、確かに、一見やさしそうに見えるこうした構文が意外と難しいものだ。
 ちょっと思いつく例を上げてみたい。
 次の文は、不自然な英語かもしれないけど、同構造のように見える。誰かに対して、何か動作を不定詞で示すというものである。

 (a) I wanted you to go the supermarket.
 (b) I expected you to go the supermarket.
 (c) I persuaded you to go the supermarket.

 これらに対して、Whatを使ってリライトすると、少し不自然だが、文法的には、たぶん、こうなるだろう。

 (a') ?What I wanted you was to go to the supermarket. ( ?What I wanted was for you to ...)
 (b') What I expected was for you to go to the supermarket.
 (c') What I persuaded of was for you to go the supermarket.

 aは、that節でリライトできないかもしれないが、bとcは可能なので、あえてやってみると、たぶん、こうなるだろう。

 (b'') I expected that you would go the supermarket.
 (c'') I persuaded you that you would go the supermarket.

 上の3例を見ていくと、これらの差は表面下の構造を暗示しているか、不定詞が代表する文内容の扱い方の差違によるものだろう。
 まあ、どうでもいいような話だが、たぶん、「ネイティブ発想」では、こうした表面の下にある構造は暗黙に理解されているというか、一見、同構造に見える文章の動詞の働きは異なるものして理解されていて、場合によっては、同一構造になることもあるということなのではないだろうか。
 こうしたネイティブ発想の部分というのは、日本語を介して、日本語として理解すると、日本語の文章として了解されるので、もはや問題としては浮かび上がってこなくなる。
 先ほど「どうでもいいような話」としたが、通常、日本人が英語を勉強する際には問題とはならない。
 ここで視点を変えると、またこの例題を使うと、"that you he would go the supermarket"という、フランス語では接続法的な内容が、米人ネイティブの頭のなかには先行してあって、それが、非接続法的的な構文のなかに現れるという経路を無意識にたどっているのだろうとは推測される。
 ちょっとわかりづらい言い方になってので、具体例で言うなら、persuadeという動詞は、接続法的な内容を、まず"of"で受けるが、"I persuaded you to go the supermarket."というときには、不定詞との関係から、"of"が消されているのだろうか。つまり、ネイティブ発想では、persuadeには、まずその接続法的な内容が、"of"をマーカーとしているという文法意識が伴っているに違いない。
 それにしてもいったいどうして、表層から見えないこうした文法をネイティブは修得しているのかというと、おそらく、ちょっと古風な言い回しだが、"How can I persuade you of my sincerity!"みたいな別のもっとオバートな構文を、構成上先行して文法意識化するからだろう。
 こうした問題は、構文論や文法論というより、動詞の意味に含意されるものかもしれない。が、まさにそれゆえに、日本人からは、翻訳された意味で打ち消されて見えてこないだろう。ちなみに、その影響で、"*I'd be delighted to accompany with you."とか言いそうになる。
 まあ、以上は、私の勘違いかもしれないし、フランス語学んでわかってきたのだけど、こうした英語構文のビヘイビアというのは、英語特有の歴史的な背景もあるのかもしれない。
 とか思うのは、フランス語の不定詞と前置詞の関係は、英語ほどシンプルではないし、考えてみると、英語の不定詞のシンプルさはちょっと無理があるかもしれないとも思うからだ。
 
 

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2013.12.03

映画「シェルブールの雨傘」のこと

 10年ほど前、「はてなダイアラー映画百選」という趣向で、お勧めの映画として「シェルブールの雨傘」のことを書いたことがある。最近、ツイッターで数度、この映画の話題があった。今年になってデジタル修復完全版が作られ、第66回カンヌ国際映画祭のカンヌ・クラシックスで上映されたらしい。自分も懐かしく思い出したので、わずかに手は入れたが、ブログに再掲しておきたくなった。

「シェルブールの雨傘」(Les Parapluies de Cherbourg)

【基本情報】
 1963年フランス、91分、ミュージカル
 監督・脚本: ジャック・ドゥミ(Jacques Demy )
 音楽: ミシェル・ルグラン(Michel Legrand )
 出演: カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)ジェヌビエーブ役、ニーノ・カステルヌオーヴォ(Nino Castelnuovo)ギー役

 

cover
シェルブールの雨傘
デジタルリマスター
  あらすじ:フランス北西、イギリス海峡に面する港町シェルブールの雨傘屋の16歳の娘ジェヌビエーブには、20歳の恋人ギーがいた。1957年のある日、ギーに召集令状が来きて出征するのだが、その前の晩、これが最後の別れかもということで一発やりまくる。そのシーンは映画には出てこない。後に彼女は妊娠したことを知る。ギーからの連絡がなく戦死したのではと不安な気持ちで待ち続けながらも、母親の勧めもあって、宝石商のオヤジ、カサールと結婚。このオヤジもけっこうかっこいいし、ワケアリ娘というのも了解の上。それから数年後、ギーは戦争で負傷してフランスに帰還した。が、雨傘屋にジェヌビエーブはいない。ぁぁ♪、人の妻ぁ♪、つうことで、他の娘と結婚し子供もできた。数年が経った1963年のある冬の夜、ジェヌビエーブは、偶然にギーと出会う。短い会話だけして、永遠に別れていく。それだけの、話。

 finalvent口上:まさか私に「はてなダイアラー映画百選」が回ってくるとは予想だにしていなかった。ちょっとしたBombです。「スターウォーズ ジェダイの復讐」から来たので、こりゃ、私の大好きな「フラッシュゴードン」と行きたいところだが、ちょっくらマジこいて、4月から47歳(当時)ってことにしたオヤジだから、ちょっとオヤジ風吹かせて、「シェルブールの雨傘」を薦めてみたい。

 どんな映画か:この映画を青春時代に見て懐かしいっていうオヤジは私より5歳から10歳年上だろう。全共闘世代か。あるいは私と同世代(昭和32年生まれ)。どの時代の思春期でもちょっと背伸びして上の世代のカルチャーを覗き見るもの。「シェルブールの雨傘」はまさに、思春期の私が、大人の世界ってこういうものかと思った作品だった。実際、大人になってみると、それは、確かに大人の世界そのもの。この映画を、何度見たことか。見るたびに、青春っていうものの痛みがうずく。

 「シェルブールの雨傘」がフランスで作成されたのは1963年。日本では翌年昭和39年10月公開。東京オリンピックと同じ時期だ。同年には、オードリ・ヘップバーンの「マイ・フェア・レディ」が公開される。英派がオードリ、仏派がドヌーヴか、と。時代は、最初の戦後生まれの世代が青春を向かえたころ。私は小学校1年生。この映画を見たのは中学生の時。とある高校の文化祭に忍び込んで、見た。その後の感動の夕暮れの世界の記憶は今も生々しい。思い返すと、今でも思春期の少年のような気持ちになる、が、あの頃ほどわけもなくチンコが勃って困る歳でもない。

 話はあらすじのとおりで、なんのヒネリもあったもんじゃない。娘の心境の変化っていうのもだし、「なぜここでオヤジに転ぶんだよぉ」と若い日にはツッコミたくなるくらい。だが、ハイティーンの娘と限らず、若い女性の心というものは、そーゆーものなのだ、と知るのは、自分がオヤジになってからだった。今にして思うと、宝石商の若オヤジの気持ちのほうがわかる。待ってくれてるとのアテが外れた青年のほうの心境は、たぶん、いずれ、ほとんどの青年が味わうことになるものなのだ、と言いたいところだが、今時は30代前半の男でも若者みたいにナンパとかやってっからなぁ。オメーらいつまで思春期だよ、とも思うが、青春の痛みをホントに引き受けることができなけりゃ、オヤジにはなれないし、子供を育てることなんかできないもんよ。

 現代は恋愛の過剰流動性ってなシャレを言う知識人もいるが、今の若い人たちは恋人を取っ換え引っ換えしているのだろうか。私にはわからないな。私は、自分の恋人だったと思える人を数えるのに片手で足りるが、少ないとも思わない。その時、本当にその人が好きだったという気持ちと、それが破れていって、人生ってそういうものだと諦める気持ちと、それにまたあの頃は、いくら好きでもそのままやって行けっこなかったんだと納得するようになる気持ちが、なんかさ、人生っていうのを、暴風のように通り過ぎていった。

 そして30歳過ぎた頃には自分の周りは、ばたばた、離婚し始めたもんだったな。恋愛沙汰なんざ、若い時やっておかなきゃ、人生の半ばでやることになるんじゃないのか。とも言えないか。それでも、そうした何かが、「シェルブールの雨傘」にシンプルに表現されていて、その核心を突く。強さに、驚く。

 この映画は、全編ミュージカル。今時の映画にはあり得ない90分という作品でもある。「渡る世間は鬼ばかり」特番より短いかもしれないのだから、騙されたと思って見てご覧なさい。

 できたら、誰もいない一人だけのクリスマスイブに見るといいとも思う。もしかすると、身体のなかの涙を全部掃き出せるかもしれない。

 主役のカトリーヌ・ドヌーヴは、この作品で国際的に有名になった。時代感覚もあるのかもしれないが、この映画のドヌーヴの美しさはそら恐ろしいほど。ちょっとキンク(変態)な雰囲気もある。この年、彼女はド・サドの古典「悪徳の栄え」(Vice and Virtue)にも出演しているが、この映画は私は見ていない。ナスターシャ・キンスキーのB級映画時代のような面白みがあるのか疑問でもあるが、こういうお趣味に答えるべくっていうか、1967年には「昼顔」(Bell De Jour)に出演していた。こっちは見た。

 古典的西洋のお変態っていうのはけっこう爆笑できるので、その意味ではお薦めかも。逆にそのお趣味の人は見ないほうがいいかも。おフランスのお変態はけっこうヤキが入っているので予言しておくが杉本彩なんかもフランスで受けると思う。

 話をドヌーヴに戻して、これもお変態ものとも言えるのだが、私生活でも共にしたマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni)との共演シリーズの頂点「ひきしお」(Melampo)も面白い。「シェルブールの雨傘」が青春の痛みだとすると、こっちのほうは中年の性がらみの恋愛っていうか、汚れっちまった悲しみの趣がある。これって、現在の30代の女性でも楽しめるのではないか。

 音楽は、ミシェル・ルグラン。もう彼の解説は要らんでしょう。「シェルブールの雨傘」の主題歌のメロディは一度聞いたら忘れませんって。今でもあっちこっちで流れてくるアレだ。この主旋律はCをキーにするとEの半音ずれで始まるという不安定なものだが、主題はまるでバロック時代の音楽のように数学的に展開されている。きれいすぎるよ。

 監督ジャック・ドゥミは、日本に「シェルブールの雨傘」のファンが多いせいか、映画「ベルサイユのばら」(LADY OSCAR)に狩り出されて駄作も作った。人のいい人。色彩や言葉の感覚はいい。

 さて、歴史のことも。この映画の背景になったアルジェリア戦争に触れないわけにはいかない。「シェルブールの雨傘」は、フランス人にとって、戦争の映画でもある。

 フランスの地中海を挟んで対岸のアルジェリアはかつてフランスの植民地だった。ジュリア集合のガストン・ジュリアやノーベル賞作家アルベール・カミュなど、アルジェリアの生れ。アルジェリアは、フランスの支配から独立するために、1954年から8年間に渡って独立戦争をした。「シェルブールの雨傘」の物語が始まるのは1957年である。

 アルジェリア各地で解放区ができた。1958年には戦争は頂点に達し、アルジェリア側武装勢力13万人にフランスは80万人の兵を投入。あっけなくアルジェリアが敗れそうなものだが、混乱は続いた。世界歴史は植民地の廃絶に向かっていた時代。エジプトのカイロにアルジェリア共和国臨時政府が成立し、社会主義国やエジプトなどアラブ諸国の承認を獲得。

 思えばこのころ、エジプトはアラブ世界の盟主のような存在だった(ソ連は軍事的にもアルジェリアに荷担していた)。だからイスラエルとも戦争したのだが。こうした中、フランス側での混乱を収拾すべく、58年に現代フランスにつながるドゴールの第五共和政が現れた。かくして1962年、エビアンで、アルジェリア戦争和平協定が実現し、アルジェリアでは国民投票(今回台湾でやったの同じようなreferendumだ)によって独立した。ギーが負傷兵として1959年に帰還。ジェヌビエーブと再開したのは、1963年。

Guy :Je crois que tu peux partir.
Geneviève :Toi, tu vas bien ?
Guy :Oui, très bien.

 

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2013.12.02

[書評]外国語の学習法(ポール・ピンズラー)

 先日、ピンズラー方式のフランス語学習のフェーズ2を終え、ちょっと気分に一段落付けるつもりで、ピンズラー方式の外国語学習法を開発した、ポール・ピンズラー自身による「外国語の学習法」(参照・英語版)を読んでみた。

cover
How to Learn
a Foreign Language
Paul Pimsleur Ph.D.
 実はフェーズ4まで終えたら読んでみようかなと思ってはいた。が、自分はそこまでできるんだろうかという不安と、ここでもう一度、ピンズラー方式によるフランス語学習の動機向上になればいいかなという思いもあった。読んだのは原書のキンドル版「How to Learn a Foreign Language」(参照)である。ハードカバーでも160ページほどの小冊子でもあり、平易な英語で書かれているので読みやすい。
 読み始めたら、止まらない。面白い。語学学習法についての書籍はこれまでもそれなりに読んできたし、なんどか書いてもいるが大学・大学院時代、英語や外国語の学習法についての理論なども学んできたが、それらに比べても、ピンズラーが断トツにすごいと思った。
 こう言っていいのかわからないが、ポール・ピンズラー自身の肉声というか、人柄というか、人間らしさがとてもよく出ている。しかも類書にありがちなうさんくさい誇張や偽装した科学性みたいなものが、存外に少ない(理論は当然古くさいが)。この本、そもそもピンズラー方式教材のパンフレットじゃないかと思っていたのだった。もちろん、そういう側面もある。だが、それほどでもない。むしろ、これ知らないで外国語学ぶのは遠回りだなあと思えたほどだった。
 ピンズラー方式について勘違いしていたな、ということもあった。私は、ピンズラー方式というのは、けっこう古くさい語学学習法だと思っていた。いや、それが間違いだというほどでもない。なにせポール・ピンズラーは1927年生まれ。私の死んだ父親と一歳違いくらいである(自分の父親の世代だったか)。
 当然、戦争の時代を経験した人だし、教授法(メソッド)としては古い面もあって当然。本書も、ピンズラー方式の50周年記念として再版されたものだった。半世紀前の語学学習法が、現代より優れているわけはないと思い込んでいた。
 だが、この復刻は今年の10月。長く忘れられて、ようやく今年になって、ピンズラーが再発見されたという意味合いもありそうだ。改訂にあたってはその面も配慮されている。
 ピンズラーは不運な人でもあった。早世だったのである。48歳で。1976年のことだ。まだ50歳にもなっていなかったし、初版の序からもわかるが、本書も彼が生前出版したものではなかった。ピンズラーは博士号を持っていることからわかるように論文も共著もあるが、単著はこれ一冊のようだ。
 編者には、ピンズラーがフランスで客死して数年後、未亡人から原稿を渡されたとある。それ以上のことはよくわからない。
 冒頭読み出すと、話は面白いのだが、書き込みが足りないという印象の話題もある。私の印象にすぎないが、本書はまだ草稿段階だったのではないだろうか。ただ、逆に彼の思い入れの部分は、ほとばしるように書かれている。
 ピンズラー方式の確立は、50周年ということからわかるように、50年前である。当たり前だが、最初の語学教材がそのころ出来た。それは、私はピンズラー自身が一番親しんでいた外国語であるフランス語だろうと思っていたが、違っていた。ギリシア語だった。
 本書を読んでいて、ああと溜息をついてしまったのだが、ピンズラーがこのメソッドを確立した背景には、例のスプートニク・ショックがあった。この話は以前もちょっとしたと思うし長くなるので割愛するが、私が生まれた年、ソ連が人工衛星を米国に先んじて打ち上げたことで、米国はショックを受け、教育の大改革が進められた。ピンズラーもその改革の先端にいたのだった。
 そこでピンズラーは、もっとも優れた外国学習法を科学的に提出してみせなければならなくなった。彼は、米国人が馴染んでいない種類の外国語が向いているだろうと考えた。選んだのはギリシア語である。現代ギリシア語。
 彼自身もその時点でそれほど現代ギリシア語に堪能だったというわけでもなさそうだし、この新教材の開発は、彼の妻ビバリーと一緒になされたようだ。ビバリーは被験者の意味合いもあったのだろう。1962年に夫妻は半年ほどギリシャで暮らして、教材を翌年に完成させた。ピンズラー方式の誕生である。音声テープだけで自習できる語学教材の誕生である。翌年、フランス語。さらに1966年にスペイン語。その翌年にドイツ語。さらにアフリカのトウィ語の教材を1971年に作った。そこで彼の人生は終わってしまった。
 知らなかったのだが、その後に続くのは、1982年のヘブライ語だった。10年のブランクがある。ピンズラーの死によってピンズラー方式は事実上、終息していたに等しかった時代があったのだろう。ビバリーの尽力はあるにせよ、他に誰が、これに息を吹き込んだのかは、この書籍からはよくわからない。
 1984年にロシア語ができる。ロシア語については、本書にも彼の思い入れが書かれている。どうやら祖先にロシア人がいるらしく、また彼自身のメンタリーティにスラビックなものも感じていたらしかった。
 教材史のその後は、1990年と飛び、そこからは毎年新しい教材が作成されるようになった。意外だったのが日本語教材が出来たのは1995年のことだった。つまり、ピンズラー方式で日本語を学ぶ人は1995年まではいなかったことになる。
 1990年以降の変化はESL教材にも現れている。ESLというのは、基本、米国に移民した外国人向けに英語を教える教材である。1991年にスペイン語、1994年に日本語ができている。現在、ユーキャンとかで販売されている、日本人向けピンズラー方式の英語教材はこれであろうか? いずれにせよ、その後も増えている。なお、ESLはピンズラー方式以外にもいろいろあり、まあ、私は思うのだけど、日本人も英語を学ぶならESL教材を使ったほうがよいと思う。
 本書の内容に目を向けると、まず考えさせられるのが、易しい外国語と難しい外国語という区分の議論である。当たり前といえば当たり前なのだが、こういう議論を学問的なフレームワークで見るのは初めてだった。結論から言えば、米国人にとって一番修得しやすい外国語はフランス語である。次にドイツ語。特にフランス語の場合は、語学が向上するにつれ知的用語の共通性が生きてくる。意外なのは、仏独に次ぐのがインドネシア語だった。これはわかるなと思った。
 バリ島に半月ほど知人とメード付きコテージを借りて過ごしたことがある。メードさんやお世話してくれる現地の人とたどたどしく英語で会話するのだが、彼らも善意なのか。暇もあるんだろうし、一種のエンタイメントでもあるのだろうが、インドネシア語を教えてくれるのである。ふーんと思って付き合っていて、ついでに通りの本屋でインドネシア語の入門書と字引を買ってきた。
 特にすることないときは、それを読んだりしたのだが、旅の終わりのころは、なんか自分が簡単なインドネシア語会話をしていた。それからしばらく日本に戻っても、インターネットのIRCでマレーシアの人とかとインドネシア語と英語まじりでチャットしていたことがある。現在ではすっかりインドネシア語は忘れてしまったが、なんとも不思議な体験だった。
 不思議でない分もある。知人(米人)も似たようにその間、インドネシア語ある程度修得してしまったが、いわく、この言語文法がないよ、と。英語をそのまま置き変えれば通じる。実際、そうだった。気になって、現地の人の発話も聞いていると、どうも文法は不安定に聞こえる。理由はたぶん、インドネシア語が彼らの母語ではなく、彼らも外国語として使っているからだろう。そういうクレオール的な使い方が定着しているようだった。さらにその後のことだが、どのようにインドネシア語が構成されたかも知ってうなずけた。もっとも、テレビニュースや大学で利用されているインドネシア語はもっと洗練されているだろうと思う。
 ピンズラーは本書で、米国人にとって難しい外国語を四つのグループに分けるのだが、その最難関グループにいるのが日本語である。他に中国語と韓国語。あはは、仲良しである。あとアラビア語。逆に言えば、日本人にとって学びやすいのは、韓国語や中国語という議論も成り立ちそうだ。いずれにせよ、日本人が英語を学ぶのは難しくて当然なのだろう。
 他には標題どおり「外国語の学習法」の原理もいくつか出てくる。外国語を発音、文法、語彙という三つにわけて、それぞれに議論している。ピンズラーは、この区分で一番難しいのは語彙だとしている。厳密に読むと、語彙といより、語用と言ったほうがいいかもしれないし、実質文法も含んでいる。
 発音の学習では、ピンズラー方式の面目躍如なのだが、文字を見せるなということが徹底されている。読みながら気がついたのだが、米国人がフランス語の文章を見ると、発音が修得できなくなってしまうのだろう。フランス語が堪能だったピンズラー自身もその母音の習得には苦労した話もある。話がずっこけるが、米人向けフランス語学習教材をいくつか買って見ると、特に観光向けのフレーズ集では、米人向けの「ふりがな」がふってある。これが実に異様で醜い。これは見ちゃだめだと思う。まず、発音ができてからでないと文字は見るべきもんじゃないな。また、文字を書かなければ素早い応答ができるし、その分、語学学習が濃くなる。もっとも、これは彼も指摘しているけど、ごく初期の段階のことではあるけど。
 文法については、例文主義という感じで議論されている。これもうなずける。さらに語彙との関連では、一種フレーズ主義とでもいえそうな視点か出てくる。このあたりは、実際にピンズラー方式で学んでいると、しごくなるほどと了解する。
 本書の圧巻は、外国語語彙の学習法である。ピンズラー自身、語学の本質をそこに見ていたようだ。彼は「有機的学習」と名付けているが、文法や語彙を、それが活用される有機的(生物的)な状況のなかで、教え・学べ、としている。
 簡単なようだがここがキモだな。具体例としてわかりやすいは、動詞の活用法など表のようにして教えるのはやめなさい、というあたりだ。動詞の活用が必要なシーンの会話やフレーズのなかでなんども練習させろというのである。
 他にもいろいろ思うことがあったので語学に関心ある人は読んでみるといいと思う。もっとも、そんなことは知っていたとか言いそうではあるなあ、語学好きな人の性向として。よくわからないが、日本で語学が得意な人は偏屈な人が多いような印象がある。というか、そういう人には、ピンズラー方式は向かないだろうな。
 ピンズラー方式で学び、またその背景の理論なりを知ると、これは自分が語学ができない理由も自分なりによくわかった。もっと早期に対応できたらよかったが、実質このメソッドが応用できるようになったのは、10年くらい前から。
 そして、このメソッドが実際に日本人の英語教育などに応用されるということもなさそうだ。というのも、日本の英語教育など、「日本」を冠する日本の知的分野は、今後もどれもなんの進歩もなさそうに思えるからだ。
 
 

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2013.12.01

特定秘密保護法案衆院通過についてのNew York Times記事

 New YorkTimes は11月29日に「秘密保護法案で日本は戦後平和主義から離れるだろう」という記事を掲載しました(参照)。さきほどブログ「内田樹の研究室」(参照)でも見かけましたけれど、米国の一部でこの話題がどう伝わっているか、ここでも訳出しておきました。やや荒っぽい翻訳ですけれど、飯前の暇つぶしでやったので、ご容赦ください。内容については、「特定秘密の保護に関する法律案Q&A」(参照)などとも参考にするとよいでしょう。
 では。どうぞ。

 東京 - 怒りに満ちた街頭抗議と終末論的な主要紙社説を払いのけ、保守的な日本の首相・安倍晋三が、秘密保護法を制定することは、日本の戦後平和主義を押し戻すための立法議案の初項目の一つを達成するかのようだ。
 火曜日に急ぎ衆議院を通過し、近く参議院も通過すると見られるこの秘密法案は、当地において「正常な」国と呼ばれるものへ日本を方向転換する安倍氏の尽力の初段階と見られている。それは、国防力の制限を削減し、地域の大任を担えるようにするものである。
 この法案は、今週承認された米国型「国家安全保障会議(NSC)」ともに、危機において首相の権限を強化することになる。
 国家機密をより厳しく制御することは、日本の情報保護の欠陥を補うために必要であり、なにより米国に対して、慎重に扱うべき軍事機密がより多く共有できるよう説得するためであると安倍氏は述べた。中国が台頭し影響力が強まるなか安倍氏は、日本を米国の軍事同盟国として一人前にしようとしてきた。
 しかしこの秘密法案は、瞬く間に反対者の矢面に立った。報道機関や大学に多く反対者が怖れているのは、この法案は強力な国家官僚に裁量を与えすぎるので、何が国家機密であることが判別できなくさせることや、不透明で知られる政府が一層情報公開を縮小させてしまうのではないかということだ。この法案が政府による権力の濫用をもたらすかもしれないと警告する者も多く、言論統制で軍部が日本を第二次世界大戦に引きずり込んだほどの、過酷な戦前の法律と比較してしまう評論家さえいる。
 「私たち近代史が示しているように、日本には言論についての自由の強い伝統がありません。官僚が国家機密にしたいものが何でも宣言できるようにすれば、私たちは北朝鮮や中国のような独裁主義と全く変わらないようになるでしょう」と、東京にある上智大学メディア法の教授。田島泰彦は語った。
 この法案に対する最大の批判の一つは、秘密であることの定義が曖昧で広範囲であることだ。現在の法案は、外交、防御、およびテロ対策指針など、慎重に扱うべき国家安全保障領域に触れるなら、政府機関の長に公開禁止の権限を与える。これらの秘密を漏洩させて有罪となると、日本の現行法下より長い間、最高禁固10年に直面する。
 この秘密法案は、今週衆議院で可決し、国家安全保障会議(NSC)創設の法案と並行して提出された。
 この二法案は、安倍氏の長期目標を達成するための、立法議案の初段階であり、それは、日本ではいまだ議論の余地を残しているものの、反戦憲法を改定して、貧弱な防衛力の代わりに十分に成長した軍隊が持てるよう日本の反戦憲法を改定したいということだ、と述べる政治評論家がいる。
 「この法律の枠組は、国家安全保障戦略の司令塔として役立つ新NSCが適切な運用をするのに必要である」と安倍氏が総裁を務める自由民主党の代弁役として使っている保守的な新聞である読売新聞は先月社説で述べた。
 衆参両院を統制できることから、日本国の政治的麻痺を終息させると確約した安倍氏は、この法案を三週間ほどで衆議院を通過させ、参院に送った。
 素早い対応は反面、反対左派には強引だという印象を残し、秘密保護法案は日本の民主主義の脅威だという恐怖感を与えた。さらに、日本の政治的な伝統である、大きな変革のための政治的な合意形成から、安倍氏は逸脱しているのではないかという、苦々しい苦情を引き起こした。
 「安倍氏の優雅な手袋の中に私たちは鉄拳を見た」と日本最大野党民主党指導者・海江田万里は火曜日の秘密法案投票後に述べた。
 最も声高な懸念が、福島第一原子力発電所近隣地域の居住者からも上がった。避難した浪江町の馬場有町長が、一度だけ催された月曜日の法案公聴会で言及したのは、2年前事故で放射性物質放出方向の予測発表で政府が失敗して、同町の人々が知らず汚染域に逃げたことだった。彼は、この法案が、政府が示した、危機の際に重要情報を隠蔽する傾向を強化しうると警告した。「必要なのはより多く公開することであって、減らすことではない」と馬場氏は述べた。
 この法案反対を切々と訴えている日本の一流作家、ジャーナリスト、学者も多く、少なくとも、法規定を越えて情報を宣言する官僚機構の権力に対して、より強力なチェック機構を含むべきだと促している。
 彼らや他の人も、この法案は、何を秘密とするかについて再検討する機構の創設に失敗していると述べ、米国など他の民主主義国が有するような強力な情報公開法が日本では欠落しているとも指摘している。また彼らは、この法案が秘密を漏洩させる公務員だけでなくジャーナリストや情報を得た大学研究者を起訴するためにも使われうると警告した。機密情報を代議士と共有するための明確な対応もまた存在していない。
 日本のもう一つの大手紙朝日新聞は社説で、この法案が国家機密保護に必要だとする反面、現行の法案は、有権者を無知にする「多くの問題」があると述べた。また、「国民が知る権利や調査する権利、さらには報道の自由に過大な制限を加える」とも述べた。
 今週の国会で安倍氏は、この法案は、日本が機密情報管理を強化するのに必要だと述べた。この件で彼が述べたのは、いくつかのスキャンダルの後、安全保障機密の漏洩や取り違えに対処するよう、米国が日本に求めたことだった。
 評論家たちの恐怖は間違ったものだと述べる専門家もいる。法案の中に文言はなくても、何が秘密と宣言されるかについて監視する機関の創設のために、安倍氏は貪欲なまでに野党に呼びかけをしていると彼らは指摘する。また、法案は軍事計画やテロリストから傍受した携帯電話メッセージのような機密情報に制限されるであろうとも彼らは述べている。
 「これで日本も米国並みの秘密管理になるくらいだと思う」と長谷部恭男(東京大学の情報法の教授)は言った。
 しかし、少なからぬ評論家が言うように、米国を模倣することがまさに問題なのだ。つまり、米国やその他の国が自国の政府に機密緩和を推進しているさなか、日本はこのような法案を可決すべきではない。
 国家安全保障局契約者エドワード.J.スノーデンに触れて、「米国の再考はスノーデン暴露によるところが大きい。そして日本は間違った方向からここに至っている」と上智大学教授の田島は述べた。
 
 

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