「ラムネ氏のこと」のこと
筋トレの成果かこの半年風邪もひかず、それどこから肌寒くなったと聞く街中も薄着で通していたのだが年貢の納め時はやってくる。鼻水、じゅるじゅる。くしょん。頭もぼうっとする。とりあえず決めておいた日課のフランス語のレッスンを終えると、頭はさらにぼうっとする。
こうしたときはしかたがないのだ。じっとしている。そのうち退屈になる。本を読んだり、ツイッターをしたり、ズーキーパーをしたりとしているのだが、それでもなんの気力も失せてくる。かくしてほうけて座していながら「ラムネ氏のこと」を思い出した。
ご存じであろうか? 「ラムネ氏のこと」
坂口安吾のエッセイである。高校の一年だったか二年だったか、現代国語の教科書に載っていた。最近の高校の教科書にはあるのだろうか(身近の高校生に聞くと知らないとのこと)。今ではもう著作権も切れている(参照)。
この雑文、面白い話かというと、僕みたいな高校生には面白い話の部類だった。が、あれから40年。56歳にもなって鼻風邪を引きながら思うに、さてあれは普通の高校生が読んでも面白いしろものでもなかろうな。
微妙な気分である。冒頭、小林秀雄が体よく小道具に出てくるのも、自分などには笑えた。
小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣りに来て、三好達治の家で鮎を肴に食事のうち、談たまたまラムネに及んで、ラムネの玉がチョロチョロと吹きあげられて蓋になるのを発明した奴が、あれ一つ発明しただけで往生を遂げてしまつたとすれば、をかしな奴だと小林が言ふ。
いかにも小林が言いそうなことだ。そういうやつなのだ。安吾、うまいな。
ちなみに安吾と小林。二人の歳差はどのくらいであっただろうか。
安吾、明治39年生まれ。小林は明治35年生まれ。4歳ほどの安吾が若い。ついでに島木健作は明治36年、三好達治は明治33年生まれ。三好が多少年長といったところ。雑話でも三好がいい味出している。
安吾がこれを書いたのは昭和16年11月20日から22日とのこと。
今時分の季節であったかと鼻水をすする。
安吾の歳はだいたい35歳ほど。小林とて、40歳になると自然がしみじみ美しく見えるものだとか初老を演じた年に、ちとおよばぬあたりである。現代のネットでブログで、やいのやいの書いているお若い衆と似たようなメンタリティーである。はしゃいでいたのだ。
二人が知り合ったのはその8か9年ほど前。牧野信一主宰『文科』が縁であったらしい。もともと二人、仏文の繋がりでもあり、三好達治もその繋がりではあった。なるほど「ラムネ氏のこと」である。「小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣りに来て、三好達治の家で鮎を肴に食事」とあるが、この時期、安吾は三好達治の誘いで小田原に転居していたのだった。
自分もこの歳になって「ラムネ氏のこと」を改めて読み直すと、さらに微妙なものである。小賢しい高校生なら楽しめるだろうが、安吾の享年をやすやすと越えた今の自分が読むと、むしろ30代くらいの人間特有の若さが痛々しく思えてしまう。そこまで意気込むなよ。
鼻水を啜りながら、さて記憶にひっかかっていたのは、河豚のことである。
全くもつて我々の周囲にあるものは、大概、天然自然のままにあるものではないのだ。誰かしら、今ある如く置いた人、発明した人があつたのである。我々は事もなくフグ料理に酔ひ痴れてゐるが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一篇の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。
その人の名は筑紫の浦の太郎兵衛であるかも知れず、玄海灘の頓兵衛であるかも知れぬ。
最初に河豚を食った人を安吾が思うのだった。
僕も高校生のころ、なるほどなあ、人類で最初に河豚を食ったやつがいたに違いないと、まんまと安吾に載せられてはいたのだった。
とにかく、この怪物を食べてくれようと心をかため、忽ち十字架にかけられて天国へ急いだ人がある筈だが、そのとき、子孫を枕頭に集めて、爾来この怪物を食つてはならぬと遺言した太郎兵衛もあるかも知れぬが、おい、俺は今ここにかうして死ぬけれども、この肉の甘味だけは子々孫々忘れてはならぬ。
俺は不幸にして血をしぼるのを忘れたやうだが、お前達は忘れず血をしぼつて食ふがいゝ。夢々勇気をくぢいてはならぬ。
かう遺言して往生を遂げた頓兵衛がゐたに相違ない。かうしてフグの胃袋に就て、肝臓に就て、又臓物の一つ一つに就て各々の訓戒を残し、自らは十字架にかかつて果てた幾百十の頓兵衛がゐたのだ。
痛いなあと思うのである。ネタも痛いが、その扱いも若いなあと思うのである。
河豚と毒を分離することに命を賭けるという意気込みが、当時の安吾を包んでいた日本の状況の暗喩とかの理屈で現代国語の教科書に採用しちゃったというのが教科書編者の先生たちの思惑だろう。ゲロ吐きそうだぜ。
いはば、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあつたのだ。チョロチョロと吹きあげられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題でない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。それだけでよからう。
それならば、男子一生の業とするに足りるのである。
文学を「男子一生の業」とか考えてしまうのも、痛いと思う。もういいだろう。安吾をけなしたいわけではない。自分も30代とか振り返って、そう思ってしまうものだなと、羞恥心をなでてみるくらいなものだ。
もいちど鼻水をすすって、そんなことはとりあえず置くとしよう。問題は河豚だ。
なんで河豚を食ったのか。安吾は「怪物を」というが、僕は沖縄の漁村で8年ほど暮らして、よくアバサという魚を食った。ハリセンボンという奴である。河豚みたいなやつで、怒らすと膨れて、おまえはウニかよというふうにハリが球面に立つ。
こいつは河豚の一種だが、毒はないとされている。なので、食用にされる。どのように食うかというと、肝を添えて、ヨモギで煮るのである。うまいか。沖縄の漁師に言わせると、やめとけという人と、たまには食うには美味いという人がいる。所詮雑魚である。
ようするに、河豚のたぐいは美味いのだが、肝を添えるとさらに美味いのである。じゃあ、河豚だってそうなんじゃないか。
そうらしいのである。八代目坂東三津五郎の河豚毒死をかねてより疑問に思っていたが、そもそもその板前、河豚毒については熟知していたはずだ。三津五郎もそうである。さすれば、わかっていて食っていたのだ。板前としては、二皿くらいなら請われてしかたないというのだったが、さすがに五皿はいかんぞ三津五郎。
安吾はこうしたことを知っていただろうか。知らなかったのだろう。だから「ラムネ氏のこと」なのだろう。結局長寿だった小林もこの手の食は、生涯知ることはなかっただろう。かく言う僕も、毒肝と一緒にトラフグを食べてみたいとは思わない。
なにかこう、言いしれぬ寂しいような思いはするなあ。鼻風邪もあろう。くしょん。ぴえ・ど・くしょん。いけねえ、フランス語で駄洒落が出ちまった。
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コメント
ブログ読ませて頂きました。
私は高校二年生ですが私が使用している教科書には『ラムネ氏のこと』という作品は載っています。筑摩書房さんから出版されているものでかなり一般的な教科書かと思います。私個人の感想ですが、ラムネのビー玉を話題に挙げそこから主論を展開していく手法はとてもとっつき易くて引き込まれる作品だったと思いました。
投稿: 倫太郎 | 2014.02.26 23:58