« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013.11.30

人を不幸にする50の理由

 先日、英語版のLifehackで「人を不幸にする50の理由」というネタを見かけた(参照)。これってそのうち日本語のサイトにも掲載され、それなりに話題になるのかなと思っていた。がその後特に見かけなかった気がする。どうでしょ。
 そのままパクるのもどうかと思うので、50項目に適当に自分のコメントでも付けてみるかな。訳も適当な意訳なんで、気になるかたはリンク先を当たってみて。
 さて、何が人を不幸にするのでしょうか。

1 心配事がある(You worry.)
 それはそうかな。ただ、心配事をなくせというのも無理な相談。

2 思い通りにいくと思い込んでいる(You hold onto the perceived idea of control.)
 無理なことはあるし、そもそも他人の思いというのは、どうにもならない。

3 人を恨んでいる(You hold grudges.)
 特定の怨みというより、社会正義を求める怨恨感(ルサンチマン)とでもいうか。
 以前にも増してネットで見かけるようになった気がする。
 誰かを攻撃したり貶めたい欲望がネットにあふれてきている感じがする。
 そーゆーので不幸になっているのがご本人だったりする、と。

4 世の中自分の正義に従えとする(You believe everyone should play by your rules.)
 元ネタは「ルール」なんだけど、日本語だと、俺様正義と言い換えてよさそう。
 他人や社会というのはそれ独自の行動原理を持っていて、規範的なものじゃないんですよ。

5 他人と比較する(You compare yourself to others.)
 これはしかたないな。年取ると減りますよ。
 自分って、こういう人間以外にはありえなかったなあとか、自分より不運な人をよく見るようになって。
 なにより、50歳過ぎまで生きられない人とか見ると、切なく思うし。

6 うまくいったときだけ気分がいい(You chose to be happy only when all of your dreams come true.)
 これはけっこうそう。
 なかなかつらいことやっていて、しかも報われないときでも、やっている渦中に自分でその意味を確認して、「まあ、ええんじゃないの」と思うことは人生のコツだとは思う。

7 コップの水はもう残り半分(You are a glass-half-empty person.)
 「もう」じゃなくて「まだ」というやつね。
 こういう生まれつきか育ちで、楽観的な人はいる。
 自分の経験でいうと、楽観的な人が近くにいると逆に気が滅入ることもあるので、なんとも言えない。
 人生と同じで、いずれ無くなる。何事も半分で気に病んでいてもしかたない。

8 私は孤独(You are lonely.)
 この話は自分なりに自著(参照)にこってり書いた。
 孤独から逃れることなんかできないんで、それに適応するのがよいのでは。

9 金がすべてさ(You seek materialism over everything else in life.)
 生きていると、そうでもないよなという局面は誰にでもあるし、逆に金がないとしかたないなあと思うこともある。バランスかね。

10 時間があればできるんだけど(You don’t make time for the right things.)
 時間がないという人は多い。あと、時間の多寡というより継続できるかということが大切だと思う。
 地味にくじけない特質というのは身につけておいてもいいけど、ふと思ったが、ストーカーとかもそういう部類か。わからんな。

11 ネガティブなお友だち(You hang out with unhappy people.)
 自分がそーとーにネガティブなので返す言葉もない。
 それでも、うひゃ、ネガティブなやっちゃなあという人は多い(ツイッターとか)。
 特にルサンチマン、ぶちまける人や、それに賛同しろと迫る人、ご勘弁。

12 何がしたいのかわかっていない(You haven’t discovered your purpose.)
 これはわからんもんです。
 で、さらに他人を巻き込む人もいるんだが、これも善し悪しだなあ。

13 人まね(You are more of an actor than an author.)
 意外と多いものですよ。気がついてなくてそうかもしれない。
 理想なんてもの自体、物まねそのもの。

14 過去にこだわる(You’re stuck in your past.)
 こりゃ、あれです、今だけを愛だけを見つめよう♪(参照

15 先のことにこだわりすぎ(You keep thinking about your future and can’t enjoy today.)
 それが若いってもんですけどね。
 こだわりに見合う未来はこないもんです、たいてい。

16 不健康(You’re unhealthy.)
 これは身近で友人が死ぬとかして学ぶものです、学べるなら。

17 完全主義( You’re a perfectionist.)
 リヴァイ兵士長みたいなのはうざいもんですよ、リアルでは。

18 失敗を怖れる(You’re afraid of failure.)
 ブログとか書いて、ブコメくらいつつ克服しましょう。

19 不安な気分(You’re insecure.)
 不安というのは癖だったり、外的なルーチンだったりして気がつかないことがある。なので、別のアプローチで簡単に解決することがある。

20 借金持ち(You’re in debt.)
 借金は人を変えると思うが、奨学金とかいうくらいの借金はあったほうが社会人の励みになります。

21 お墨付きがほしい(You seek validation.)
 世の中そんなもの。

22 身近な人を無視する(You neglect personal relationships.)
 しかたないことは多いと思うがなあ。

23 ぐず(You procrastinate.)
 やらない理由をうんとあげるより、とりあえず鼻つまんでやっちゃったほうがいいことは多い。学校とか。

24 学ばない奴(You’re not learning.)
 先日書きましたね、この話(参照)。

25 叶わぬ夢に縛られている(You have unrealized dreams.)
 夢を持つことがいいことだとはかぎらない。あるいは、人生いろいろ節目できちんと夢を諦めていくのもいいんじゃないのか。

26 飽きた(You’re bored.)
 気がつくと実はいろんなものに飽きている。はてなに日記を書くこととか。ブログを書くこととか。

27 忙しい(You’re too busy.)
 これは身体が悲鳴を上げるのをどう聞くかということかな。

28 睡眠不足(You don’t sleep enough.)
 じゃあ、さっさと寝ろ、といかないくて、朝になって、こうほざくわけです。

29 一人でいられない(You don’t spend enough time alone.)
 ツイッターとかしらどうなんでしょ。っていうことで、SNS中毒になるのかもしれない。
 個人的に思うのは、一人でいられるというのは、一種の能力の一つ。しかも、これはけっこう重要な能力。

30 目標が定まらない(You don’t take the time to set goals.)
 意外とそういうもの。目標を決めるというのは、目標をどう評価するかという評価基準を決めとくことだと思うのだけど。

31 他人頼み(You’re dependent.)
 共依存とかもそうかな。親元暮らしもそうかもしれない。

32 幸せになんかなれない(You don’t think you deserve happiness.)
 これは僕なんかには痛い話。なので、それなりに思うのは、一日一日がぼちぼちだったら満足して、一日おしまい。

33 適当なところで満足しちゃう(You’re always just one step away.)
 これは難しいなあ。人間を動かしているのは意思だけじゃないし。

34 チャンスを拾わない(You ignore opportunities.)
 これも痛いところ。
 だんだん自分というものが固まってくると、物に動じなくなる反面、リスクを避けちゃうようになる。しかも、ちょっと恥ずかしいなとかいうくらいの理由で。

35 ハングリー精神がない(You’re complacent.)
 逆に現在に満足していてなんか悪いんかと思うが。世の中のことは少しずつよくすべきだと思うけど。

36 今の仕事が嫌い(You hate your job.)
 仕事は好きか、職場が落ち着いてないと、仕事は続かないものです。給料より長期的にはそっちのが大切なんじゃないの。

37 求めるものが違っている(You chase the wrong things.)
 これもそんなもの。
 でも、毎年、日本経済や終わる、世界経済が終わるという本を出していても、それが出し続けられるかぎりハッピーなものだし、不幸な結果になればそれも予言的中で満足、っていうの、どうにかなりませんかねえ。

38 スピリチュアルなことがわかっていない(You have no spiritual life.)
 水に心を込めて語りかけるとよいものです。

39 親友がいない(You have no real friends.)
 これはいたほうがいいけど、それ自体、人生の幸運かもしれない。

40 そんなことできないという自分がいる(You’re afraid of yourself.)
 本当の自分を出したら大変なことになるとか。
 ツイッターとかで本当の自分を出して、世間様にご迷惑を掛けている人を見るとそう思う。ブログ書いたら嫌われるというのもあるし。

41 人がどう自分をどう思っているか気になる(You care too much about what others think.)
 多少は気にしたほうがいいと思うけど。

42 どっかいらいらしてる( You don’t relax.)
 これも無意識の問題だから意思でどうなるものでもないが。

43 怖れてチャレンジしない(You don’t take risks.)
 リスクを取らないというやつ。
 小さいリスクを取りつつ、学ぶといいのだろうけど。というか、取れるリスクくらいは取ってみるといい。

44 我慢できない(You’re impatient.)
 これは自己訓練するといいと思う。他人にいろいろ譲るとか、適度な苦痛に耐えるとか、して、自分を馴らすといい。

45 失敗から学ばない(You don’t learn from your mistakes.)
 これは嘘だなあ。本当に痛いと人は学ぶ。
 で、そうやって学んでリスクを取らなくなる。

46 ペットがいない(You don’t have a dog.)
 動物とか飼っていると心の支えや慰みになる。それは本当だろうと思うけど、ただ、依存しちゃっている人も多いように思う。というか、人間から逃げるためにペット飼う人が多いように思う。

47 幸福と安逸を取り違えている(You equate comfort with happiness.)
 楽はええわ、という人に幸せはわからないということかな。
 まあ、言うだけ通じないことではある。

48 自分を大切にしない(You don’t love yourself.)
 これはある種の人には無理。もう決定的に無理。泣きたくなるほど無理。

49 被害者正義をがなりたてる(You play the victim card.)
 これ、出てこれない人が多い。しかも下手にかかわると加害者扱いされたりする。

50 幸せであることが不安(You don’t allow yourself to be happy.)
 でも、その不安はけっこう本当だったりする。
 これは人生のどん底だわというのに落ちてみると、それなりに以降、安定したりする。

 とま、50個。
 書いてみると、自分という人間の不幸の原因が那辺にあるかわかってきそうだけど、こいつむちゃくちゃなこと言っているなというのもあるなあ。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013.11.29

ピンズラー方式のフランス語学習の60日間を終えた

 基本、音声だけで外国語を教えるメソッドであるピンズラー方式を使ったフランス語の学習、60日を終えた。ふー。けっこうきつかった。
 外国語というのは教えるメソッドが優れていたら、楽々、修得できるんじゃないかという期待もあったが、なかなかそうはいかないもんだなとも思った。

cover
Pimsleur Method
French II
 ピンズラー方式の語学プログラムは各国ごと4段階に分かれていて、今回フランス語の2番目、フェーズ2を終えたわけである。
 それで、どのくらいフランス語を修得できたかというと、とりあえず60日目のレッスンに追いつけるくらいには、しゃべれるようになった。
 ピンズラー方式はやたらと問いかけがあって、それに学習者は即座にフランス語で答えなくてはならない。この「即座」がきっつい。でもそれなりには追いついて答えらるようになった。あまり考えずに、"Est-ce que vous pouvez me montrer sur le plan où est la Place de la Bastille?"とか"Ils ont une très bonne carte des vin."とか口をついて出る(合ってるかな)。
 問いかけは英語とフランス語。基本、英語を通してフランス語を学んでいることになる。混乱しないかというと、意外と混乱しない。音の響きが違うからだろう。
 文法的な範囲では、前のフェーズとあまり変わらず、だいたい大学の第二外国語くらいなのかと思う。30日までのフェーズ1(参照)との違いは、文法事項の差というより、動詞を中心に少しずつ語彙を増やしていくというプロセスだった。「かろうじて第二外国語も勉強しました」というくらいには、ようやくなれたのかもしれないが、いまだ接続法や条件法などは入っていないので、普通の第二外国語の学習には劣るだろう。中学校の英語レベルにもまだ劣るかもしれない。
 ちなみにネットにあった仏検4級問題を見たらなんとなく答えられそうだ。受かる自信はないが、こんな感じ(というのは、あとで述べるがスペルと発音がまだ自分は十分結びついていない)。

(1) Il n'y a plus ( ) pain à la maison.
(2) Les enfants boivent ( ) chocolat chaud.
(3) Nous aimons jouer ( ) tennis.
(4) Quelle est ( ) clé du bureau?
①au ②aux ③de ④du ⑤la ⑥les

 基本動詞の基本活用などは、なんかもう条件反射的に口をつくようになった。動詞の不規則変化とかも、学習法によっては不規則だとあまり意識しないものだ。
 フェーズ1のときは、10日目から30日まで、読みのレッスンもあったが、フェーズ2にはまるでなく、今日の60日目でどさっとまとめてやることになっている。さきほどやってみて、なるほど、フランス語って文字で書くとこういうことになっているのかと改めていろいろ思うことはあった。正書法というのは、どの言語でも大変なものだな、など。
 たぶん、文字を最初に見ていたら"le temp"とか「ル・タン」とか言いそうだ。耳には「ル・トン」と聞こえる、というか、「トン」とも違う。たぶん、自分の発音で正しいのではないか。"Montpellier"も「モンプリエ」と聞こえる。「モンペリエ」と別なのかと思ったが、どうもこれでよいみたいだ。フランス語らしい音の響きも出せるようになったのではないか。英語でフランス語を学んで混乱しないのも、音声中心にするからだろう。スペリングを見ると、どうしても英語やローマ字読みに引っ張られる。
 60日間、ピンズラー方式のフランス語学習を学んで、はっきりと自分はここが変わったというのはない。日本語の発音は少し変になった。一時的なものだが、レッスンを中座して電話とかに出ると、まずいなこれはというくらい変にはなっていた。しばらくすると戻る。たぶん、口内の発声用の筋肉とかの問題だろう。ちなみに、フランス語のRの音にはほとんど抵抗感はない。フランス語らしいリズム感もついたんじゃないか。
 街中というか生活にあふれているフランス語もなんとなく、英語のように身近に感じられるようになった。先日、無印で「ブール・ド・ネージュ」というお菓子を見かけて買って、それなりに美味しかったが、ああ、これは"Boule de neige"か、雪玉ということだよな、とか思った。
 ピンズラー方式では一日のレッスンは標準30分ではあるが、フェーズ2では復習を含めて1時間は越えていた。30時間以上、勉強したことになる。フェーズ1を含めると50時間以上にはなるだろうか。長いような気もするが、効率はよかったかもしれない。
 どのような外国語学習がよいのかというのは、長年の疑問であった。大学で「英語をいかに教えるか」みたいな分野も勉強したが、そういう自分がきちんと英語を習得した気もしないし、もともと語学の才能がないのだが、それでも英語をきちんと学べたという実感もない。国際的なレベルの語学教育を受けてみたいものだと思っていたが、その夢も、今回だいたい叶ったことになる。
 とはいえ、ピンズラー方式がどのくらい国際的に採用されているかはわからない。独自の語学学習法であるともいえるが、やってみた実感でいうなら、このメソッドは、基本、個人教授に近い。中世以降、語学の個人学習というのはこうやって教えていたのではないか。たぶん、ベルリッツ(Maximilian Berlitz)自身が使っていたメソッドにも近いのではないだろうか。というか、いずれ、ピンズラーとベルリッツを比較してみたい気もする。
 この先もフランス語を勉強していくとしたら、自分はどうするのだろう? いずれフランス語をきちんと読めるようにはなりたいものだとは思うが。まだわからない。そろそろへこたれるかな。
 
 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2013.11.28

中国が設定した防空識別圏について

 中国が23日、自国の防空識別圏(ADIZ: Air Defense Identification Zone)の海図と座標を発表し、同日午前10時から施行するとした。この識別圏は日本国領土の尖閣諸島を含めたことで日本国内はもとより、国際的にも問題となった。すでに南シナ海で無茶な海洋進出をしては、フィリピンなどと派手に領土問題を起こしている中国がさらに手を広げ、大国である日本までつつこうとしているかに見えるからである。
 日本の報道では、尖閣諸島に焦点が当たるのはしかたがなく、領土問題として今回の中国の行動を扱っていることが多いようだった。確かにその側面にも問題はあるにせよ、世界を唖然とさせたのは、この空域を通過する航空機に対して事前に中国に通告することを求めた点である。しかも、この通告や中国側からの支持に従わなかった場合、中国は「防御的な緊急措置」を取るともした。
 どの国も防衛上、防空識別圏を持つが、その際、今回の中国のような威圧的な「俺様」的な態度を取ることはなく、非常識、極まりない。こういう非常識な行動を取るから中国が国際的に苦笑されてしまう。先日のフィリピン台風援助で中国がドケチの骨頂を示して国際社会の失笑を買うくらいならよいが、今回は苦笑ではすまされない。しかも、中国は宣言をしたとたんに自縄自縛になって実際の行動に出てしまう国なので、笑えないホラーが潜んでいる。
 防空識別圏については、英語を直訳して理解したほうがわかりやすように、空爆防衛のため、進行してきた敵機を事前に識別するために余裕を取る緩衝領域である。中国は特定の仮想敵国を意識したものではないとしているが、具体的には、日本と米国を想定しているとしてよい。なお、識別圏が韓国にも関連していたのは中国の失念によるご愛敬だろう。
 今回の事態で米国がすぐに反応したが、そもそも今回の事態は対米的な意味合いが濃かった。というのもこの尖閣諸島域の一部は明確に米軍の管轄に置かれているからである。ごく単純に言えば、中国は米軍と戦争を起こす気満々のメッセージを投げかけていたことになる。
 この件については、平成22年10月22日、当時の菅直人・総理大臣に向けられた、尖閣諸島と日米地位協定に関する質問で明確にされている。まず、質問だが(参照)、「二」以降を注目していただきたい。


平成二十二年十月十二日提出
質問第四四号
尖閣諸島と日米地位協定に関する質問主意書
提出者  照屋寛徳

尖閣諸島と日米地位協定に関する質問主意書

 尖閣諸島が沖縄県石垣市の行政区域に属するわが国固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も明白である。菅内閣も一八九五年一月十四日の閣議決定によりわが国の領土に編入された、との統一見解を示している。
 二〇一〇年九月七日、尖閣諸島周辺でわが国の領海を侵犯した中国漁船が海上保安庁の巡視船と接触・衝突する事件(以下、中国漁船領海侵犯事件という)が発生した。同漁船の船長は公務執行妨害罪の容疑で逮捕・送検されたが、同月二十五日に処分保留で釈放されている。
 私は、中国漁船領海侵犯事件をめぐる問題について、いたずらに「中国脅威論」を煽ったり、「中国は悪しき隣人」などと感情的に批難、攻撃したり、偏狭なナショナリズムを鼓舞すべきではないと考えている。一連の問題は、国際社会に向けて、あくまでも尖閣諸島がわが国固有の領土であることを明確に主張しつつも、日中両国間のハイレベル協議と日中双方が冷静な外交交渉で平和的に解決すべきである。
 一方、中国漁船領海侵犯事件の発生を契機に、尖閣諸島が日米安保条約の適用対象であるかどうかという議論も再燃した。尖閣諸島をめぐっては、領有権だけでなく、日米安保にまつわる問題が同時に存在するのである。
 以下、質問する。
一 尖閣諸島の島ごとに所有関係及び賃貸借関係を明らかにされたい。政府が賃借している島があれば、その賃貸借契約の始期、賃貸借の目的を示されたい。
二 尖閣諸島に属する久場島及び大正島は米軍提供施設・区域である。一九七二年五月十五日の日米合同委員会におけるいわゆる「五・一五メモ」によると、両島の島全体が米海軍の射爆撃場となっている。政府が両島を米軍専用の施設・区域として提供した年月日、同施設・区域の所有者及び地主数を示したうえで、現在でも米軍は両島を射爆撃場として使用しているのか明らかにされたい。
三 久場島及び大正島における射爆撃訓練は、一九七九年以降実施されていないようだが事実か。事実であれば、米軍は三十年以上にわたって提供施設・区域を使用していないことになるにもかかわらず、政府が両島の返還を求めてこなかった理由を明らかにされたい。
 なお、一九七九年以降、両島で訓練が実施されたのであれば、その年月日を明らかにしたうえで、係る訓練に対する政府の見解を示されたい。
四 概して、米軍提供施設・区域である久場島及び大正島においては、わが国の国内法と日米地位協定のいずれが優先適用されるのか政府の見解を示されたい。
五 尖閣諸島は沖縄県石垣市の行政区に属している。行政区を預かる石垣市あるいは沖縄県が久場島及び大正島における実地調査を行う場合、施設・区域の管理者たる米軍の許可を得ることなく上陸は可能か政府の見解を示されたい。
六 米軍提供施設・区域である久場島及び大正島周辺には、訓練水域・空域が設定されている。米軍から同水域・空域における訓練通告がなされた期間中に、中国や台湾など第三国の漁船が同水域に侵入した場合、わが国の国内法と日米地位協定のいずれが優先適用されるのか、具体的な罰名及び罰条を明らかにしたうえで政府の見解を示されたい。
 また、第三国の者が久場島及び大正島に上陸した場合、わが国の国内法と日米地位協定のいずれが優先適用されるのか、具体的な罰名及び罰条を明らかにしたうえで政府の見解を示されたい。
 右質問する。


 菅元総理による回答は以下である(参照)。

二及び三について
 久場島及び大正島は、昭和四十七年五月十五日に開催された、日米地位協定第二十五条1の規定に基づき設置された合同委員会(以下「日米合同委員会」という。)において、日米地位協定第二条1(a)の規定に従い、それぞれ黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場として、米軍による使用が許されることが合意された。
 久場島は民間人一名が、大正島は国が所有している。
 黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場は、それぞれ陸上区域、水域及び空域で構成されており、日米合同委員会における合意において、米軍がその水域を使用する場合は、原則として十五日前までに防衛省に通告することとなっているところ、昭和五十三年六月以降はその通告はなされていないが、米側から返還の意向は示されておらず、政府としては、両射爆撃場は、引き続き米軍による使用に供することが必要な施設及び区域であると認識している。
四及び六について
 お尋ねの「優先適用」が何を指すのか必ずしも明らかではないが、政府は、一般に条約を締結するに当たっては、誠実にこれを履行するとの立場から、国内法制との整合性を確保してきており、日米地位協定についても、その締結に当たって国内法制との整合性を確保している。
五について
 地方公共団体の職員等が黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場への立入りを行おうとする場合には、平成八年十二月二日の合衆国の施設及び区域への立入許可手続についての日米合同委員会における合意に定められている所要の手続に従って、米軍の許可を得ることが必要である。

 つまり、尖閣諸島中の、久場島と大正島にある、それぞれ黄尾嶼射爆撃場と赤尾嶼射爆撃場は、米軍から依然日本には返還されていない。米軍下にある。

 日本との協定上、この二爆撃場を使う際には日本政府に通告することにはなっているが、基本、その軍事利用は米軍の意向にまかされている。
 今回、中国が設定した防空識別圏はこの二爆撃場を含めて設置したのであり、この地域で米軍が軍事演習をすれば、中国は軍事的な対応を取るという意味になる。
 中国がいくら非常識な国であれ、同じ連合国であった米国の、この地域の状況に無知であるとまでは思えない。
 ごく簡単に言えば、今回の事態は、中国は米国にちょいと試しに喧嘩をふっかけたに等しい。
 中国としては、米国に喧嘩をふっかけてみることで、この地域から米軍の力を除去しようとしたいという意図があったかもしれない。
 いずにれせよ、こうした中国の思惑が米国側に了承されたというシグナルを米国が発すると、これもごく単純に言えば、尖閣諸島問題は日本にとっては即決で否定的に解消されてしまうことになる。
 米国側はそれでどうしたか。
 中国のそうした思惑に対して、米国側は明瞭に拒絶のシグナルを出した。あえて、わかりやすく空爆可能なB52爆撃機を飛ばしたわけである。日頃日本では、国際コミュニケーション力が足りないと話題になるが、こうしたわかりやすい事例から、国際コミュニケーション力は学ぶことができる。
 かくして現時点で、明瞭になったのは、米軍は尖閣諸島から手を引くことはないということである。
 これに中国側がどう答えるかはまだはっきりとは見えてこない。
 ところで、なぜこの時期に中国がこの態度に出て来たのか? 今後はどうなるのか?
 明確な背景は見えないものの、今回の事態は基本的に突発的な事態や奇計というより、着々と進行する軍拡の一端だと理解してよさそうだ。ようやく防空識別圏に利用できる高性能早期警戒機の実効配備が可能になったので、防空識別圏設定に乗り出したと見てよいだろう。そう理解すると、今後も留まることなくこの傾向は続くことになる。
 今後の注視点は、ロシアから中国が購入しようとするスホイ35である。Voice of Russia、7月11日「来年 スホイ35戦闘機の中国供給契約 調印の可能性」(参照)より。


 ロシアと中国は、ロシアの最新型多目的戦闘機スホイ35型機の中国への供給に関し、来年2014年にも契約書に調印する可能性がある。6日、ロシアと諸外国との軍事技術協力関係筋の話としてインターファクス通信が伝えた。
 それによれば、供給は来年末からさ来年初めに開始される見込み。以前の計画では、供給契約調印は今年度中に行われるとされていた。プロジェクトによれば、ロシアは中国に、スホイ35型機24機を売却する。しかし中国側は。追加的な要求を提示した。中国政府は、ロシア空軍用に製造されているシリーズではなく、中国向けに特別に改良された戦闘機の納入を望んでいる。
 こうした中国側の提案は、追加的な検討を必要とするものだが、スホイ35対中供給に関しての政治的決定が下されていることから、どのような場合でも調印はなされるものと見られている。また準備中の契約では、スホイ社の援助で中国にスホイ35のメンテナンスにあたる技術サービス・センターが作られる事が規定されている。センターでは、中国人専門家が働く予定。

 この手の話は以前からもあるし、Voice of Russiaはどちらかというと面白ろネタサイトに近いが、注意しておいてよいだろう。
 なお、平和を希求する日本国民としては、日本国憲法でも明記してあるように、中国側に軍事的な緊張を高めるような行動には出てほしくないと願うものである。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.27

「ラムネ氏のこと」のこと

 筋トレの成果かこの半年風邪もひかず、それどこから肌寒くなったと聞く街中も薄着で通していたのだが年貢の納め時はやってくる。鼻水、じゅるじゅる。くしょん。頭もぼうっとする。とりあえず決めておいた日課のフランス語のレッスンを終えると、頭はさらにぼうっとする。
 こうしたときはしかたがないのだ。じっとしている。そのうち退屈になる。本を読んだり、ツイッターをしたり、ズーキーパーをしたりとしているのだが、それでもなんの気力も失せてくる。かくしてほうけて座していながら「ラムネ氏のこと」を思い出した。
 ご存じであろうか? 「ラムネ氏のこと」
 坂口安吾のエッセイである。高校の一年だったか二年だったか、現代国語の教科書に載っていた。最近の高校の教科書にはあるのだろうか(身近の高校生に聞くと知らないとのこと)。今ではもう著作権も切れている(参照)。
 この雑文、面白い話かというと、僕みたいな高校生には面白い話の部類だった。が、あれから40年。56歳にもなって鼻風邪を引きながら思うに、さてあれは普通の高校生が読んでも面白いしろものでもなかろうな。
 微妙な気分である。冒頭、小林秀雄が体よく小道具に出てくるのも、自分などには笑えた。


 小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣りに来て、三好達治の家で鮎を肴に食事のうち、談たまたまラムネに及んで、ラムネの玉がチョロチョロと吹きあげられて蓋になるのを発明した奴が、あれ一つ発明しただけで往生を遂げてしまつたとすれば、をかしな奴だと小林が言ふ。

 いかにも小林が言いそうなことだ。そういうやつなのだ。安吾、うまいな。
 ちなみに安吾と小林。二人の歳差はどのくらいであっただろうか。
 安吾、明治39年生まれ。小林は明治35年生まれ。4歳ほどの安吾が若い。ついでに島木健作は明治36年、三好達治は明治33年生まれ。三好が多少年長といったところ。雑話でも三好がいい味出している。
 安吾がこれを書いたのは昭和16年11月20日から22日とのこと。
 今時分の季節であったかと鼻水をすする。
 安吾の歳はだいたい35歳ほど。小林とて、40歳になると自然がしみじみ美しく見えるものだとか初老を演じた年に、ちとおよばぬあたりである。現代のネットでブログで、やいのやいの書いているお若い衆と似たようなメンタリティーである。はしゃいでいたのだ。
 二人が知り合ったのはその8か9年ほど前。牧野信一主宰『文科』が縁であったらしい。もともと二人、仏文の繋がりでもあり、三好達治もその繋がりではあった。なるほど「ラムネ氏のこと」である。「小林秀雄と島木健作が小田原へ鮎釣りに来て、三好達治の家で鮎を肴に食事」とあるが、この時期、安吾は三好達治の誘いで小田原に転居していたのだった。
 自分もこの歳になって「ラムネ氏のこと」を改めて読み直すと、さらに微妙なものである。小賢しい高校生なら楽しめるだろうが、安吾の享年をやすやすと越えた今の自分が読むと、むしろ30代くらいの人間特有の若さが痛々しく思えてしまう。そこまで意気込むなよ。
 鼻水を啜りながら、さて記憶にひっかかっていたのは、河豚のことである。

 全くもつて我々の周囲にあるものは、大概、天然自然のままにあるものではないのだ。誰かしら、今ある如く置いた人、発明した人があつたのである。我々は事もなくフグ料理に酔ひ痴れてゐるが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一篇の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。
 その人の名は筑紫の浦の太郎兵衛であるかも知れず、玄海灘の頓兵衛であるかも知れぬ。

 最初に河豚を食った人を安吾が思うのだった。
 僕も高校生のころ、なるほどなあ、人類で最初に河豚を食ったやつがいたに違いないと、まんまと安吾に載せられてはいたのだった。

 とにかく、この怪物を食べてくれようと心をかため、忽ち十字架にかけられて天国へ急いだ人がある筈だが、そのとき、子孫を枕頭に集めて、爾来この怪物を食つてはならぬと遺言した太郎兵衛もあるかも知れぬが、おい、俺は今ここにかうして死ぬけれども、この肉の甘味だけは子々孫々忘れてはならぬ。
 俺は不幸にして血をしぼるのを忘れたやうだが、お前達は忘れず血をしぼつて食ふがいゝ。夢々勇気をくぢいてはならぬ。
 かう遺言して往生を遂げた頓兵衛がゐたに相違ない。かうしてフグの胃袋に就て、肝臓に就て、又臓物の一つ一つに就て各々の訓戒を残し、自らは十字架にかかつて果てた幾百十の頓兵衛がゐたのだ。

 痛いなあと思うのである。ネタも痛いが、その扱いも若いなあと思うのである。
 河豚と毒を分離することに命を賭けるという意気込みが、当時の安吾を包んでいた日本の状況の暗喩とかの理屈で現代国語の教科書に採用しちゃったというのが教科書編者の先生たちの思惑だろう。ゲロ吐きそうだぜ。

 いはば、戯作者も亦、一人のラムネ氏ではあつたのだ。チョロチョロと吹きあげられて蓋となるラムネ玉の発見は余りたあいもなく滑稽である。色恋のざれごとを男子一生の業とする戯作者も亦ラムネ氏に劣らぬ滑稽ではないか。然し乍ら、結果の大小は問題でない。フグに徹しラムネに徹する者のみが、とにかく、物のありかたを変へてきた。それだけでよからう。
 それならば、男子一生の業とするに足りるのである。

 文学を「男子一生の業」とか考えてしまうのも、痛いと思う。もういいだろう。安吾をけなしたいわけではない。自分も30代とか振り返って、そう思ってしまうものだなと、羞恥心をなでてみるくらいなものだ。
 もいちど鼻水をすすって、そんなことはとりあえず置くとしよう。問題は河豚だ。
 なんで河豚を食ったのか。安吾は「怪物を」というが、僕は沖縄の漁村で8年ほど暮らして、よくアバサという魚を食った。ハリセンボンという奴である。河豚みたいなやつで、怒らすと膨れて、おまえはウニかよというふうにハリが球面に立つ。
 こいつは河豚の一種だが、毒はないとされている。なので、食用にされる。どのように食うかというと、肝を添えて、ヨモギで煮るのである。うまいか。沖縄の漁師に言わせると、やめとけという人と、たまには食うには美味いという人がいる。所詮雑魚である。
 ようするに、河豚のたぐいは美味いのだが、肝を添えるとさらに美味いのである。じゃあ、河豚だってそうなんじゃないか。
 そうらしいのである。八代目坂東三津五郎の河豚毒死をかねてより疑問に思っていたが、そもそもその板前、河豚毒については熟知していたはずだ。三津五郎もそうである。さすれば、わかっていて食っていたのだ。板前としては、二皿くらいなら請われてしかたないというのだったが、さすがに五皿はいかんぞ三津五郎。
 安吾はこうしたことを知っていただろうか。知らなかったのだろう。だから「ラムネ氏のこと」なのだろう。結局長寿だった小林もこの手の食は、生涯知ることはなかっただろう。かく言う僕も、毒肝と一緒にトラフグを食べてみたいとは思わない。
 なにかこう、言いしれぬ寂しいような思いはするなあ。鼻風邪もあろう。くしょん。ぴえ・ど・くしょん。いけねえ、フランス語で駄洒落が出ちまった。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013.11.23

秘密保護法案について

 秘密保護法案についてツイッターなどを覗いていると騒がしい議論や意気込んだ反対運動などが察せられる。人それぞれの思惑というのがあるだろうし、その人の背景の思惑というのもいろいろあるのだろう。民主主義国なのでいろいろあっていいと思うが、こういうニュースは伝わるのか、記者さんはどのくらい理解して伝えているのか、と多少疑問に思えたニュースがあった。
 今日の毎日新聞「秘密保護法案:国連人権理の特別報告者 日本に懸念表明」(参照)より。


【ローマ福島良典】国連人権理事会のフランク・ラ・ルー特別報告者(グアテマラ、表現の自由担当)は22日、日本の特定秘密保護法案について「内部告発者やジャーナリストを脅かすもの」との懸念を表明、日本政府に透明性の確保を要請した。国連人権高等弁務官事務所(本部スイス・ジュネーブ)が報道声明で発表した。
 ラ・ルー特別報告者は「内部告発者や、秘密を報じるジャーナリストを脅かす内容を含んでいる」と法案を批判。秘密漏えいによる損害が国民の「知る権利」という公益よりも大きな場合に限って秘密保持が認められるが、その場合でも、独立機関による点検が不可欠だと主張した。
 国家機密を漏らした公務員らに厳罰を科す内容が法案に盛り込まれている点について「違法行為や当局の不正に関する機密情報を『良かれ』と思って公にした公務員は法的制裁から守られなければならない」と指摘した。

 この毎日新聞の報道が不正確だということはではない。むしろ、「秘密漏えいによる損害が国民の「知る権利」という公益よりも大きな場合に限って秘密保持が認められる」ことを明記していてる点はよいとも言える。
 NHKにも類似の報道があった。「秘密法案に国連人権事務所懸念」(参照)より。

 国会で審議が行われている特定秘密保護法案について、国連人権高等弁務官事務所の特別報告官は声明を発表し、「法案では、秘密の範囲が非常に広くてあいまいで、透明性を脅かすおそれがある」などと懸念を示し、日本政府に対してさらなる情報の提供を求めました。
 声明を発表したのは、スイスのジュネーブにある国連人権高等弁務官事務所で各国政府から独立の立場で人権状況の監視などを行っている特別報告官です。
声明では、日本の国会で審議が行われている特定秘密保護法案について「透明性は民主的な統治の核とも言えるものだが、法案は透明性を脅かしている」として、「深刻な懸念」を表明しています。
 具体的には、「法案では秘密の範囲が非常に広くあいまいであるだけでなく、秘密を内部告発したり報道したりする人たちにとっても、深刻な脅威となる要素を含んでいる」としています。
 そして「たとえ例外的に秘密にするケースであっても、独立の機関による再検討が不可欠である」と指摘し、秘密の指定が適切に行われているかチェックする機関の設置が法案に盛り込まれていないことにも懸念を示していて、日本に対してさらなる情報提供を求めるとしています。

 こちらも不正確な報道というわけではない。「たとえ例外的に秘密にするケースであっても、独立の機関による再検討が不可欠である」といった重要な部分も明記されている。
 オリジナルの声明は「Japan: “Special Secrets Bill threatens transparency” – UN independent experts」(参照)である。毎日新聞記事やNHK報道と比較して内容に相違があるわけではない。
 冒頭触れた懸念がどのあたりにあるかというと、国連人権高等弁務官事務所は人権状況が主眼でジャーナリストを守ろうとしているのだが、この件、つまり、特定秘密保護法案にはまず国際的な前提があり、その上で、国連人権高等弁務官事務所が述べているのだが、そうした背景が、日本の報道でどの程度伝わっているだろうかと気になったのだった。
 案じるほどのこともないのかもしれない。この問題の背景には、世界70か国の安全保障の専門家と関連法律家500人が集まって2年以上も議論し、今年の6月、南アフリカのツワネでまとめた「ツワネ原則(The Tshwane Principles)」(参照)がある。なお、日本弁護士連合会による試訳(参照)もある。
 ここで、国家安全保障上の理由で非公開とされた情報についての、現状の国際世界での水準がまとめられた。機関の関係の上では直接とは言えないが、識者の対応からして、国連人権高等弁務官事務所の先の表明が関連している。
 やっかいなのが、この「ツワネ原則」もまた、間接的な報道からは誤解されやすい性質があるように思われることだ。
 たとえばカナロコ「特定秘密保護法案を問う:国際指針「ツワネ原則」に照らし見直しを」(参照)ではこう紹介されている。

 国家の秘密保護と国民の知る権利は対抗する。しかし、バランスを取ることは可能だ-。政府による秘密の指定において知る権利や人権など配慮すべき点を示した「ツワネ原則」と呼ばれる国際的なガイドラインがある。特定秘密保護法案の今臨時国会での成立が見込まれるなか、日本弁護士連合会は「原則に照らし、秘密指定の範囲や方法、期間、解除方法、処罰対象など多くの欠陥がある」と指摘。「法案をいったん白紙に戻し、全面的に見直すべきだ」と訴える。

 気になるのは、「ツワネ原則」では「国家の秘密保護」という一般的な提起ではなく、「国家安全保障における秘密保護」が問題となることだ。
 「ツワネ原則」のロジックは、国家安全保障には秘密が避けがたいからこそ、その歯止めが必要だということであって、前提として、国家安全保障には秘密が認められている。
 「ツワネ原則」の冒頭はこうである。

These Principles were developed in order to provide guidance to those engaged in drafting, revising, or implementing laws or provisions relating to the state’s authority to withhold information on national security grounds or to punish the disclosure of such information.
本原則は、国家安全保障上の理由により情報の公開を控えたり、そのような情報の暴露を処罰したりする国家の権限に関わる法津又は規定の起草、修正又は施行に携わる人々に指針を提供するために作成された。

 どのような国家であれ、国家安全保障上の理由で非公開とする情報はあり、その保護のために処罰規定を作らなければならないから、その国家権力にどの程度の合理的な歯止めを掛けるかというのが問題意識になる。ここでようやく、これを背景に先に触れた毎日新聞記事やNHK報道の意味が現れる。
 別の視点から「ツワネ原則」を見ると、国家がその安全保障上、合理的に秘匿されうる情報の原則だともいえる。原則9に、こうした国家が安全保障上、秘匿する情報について、明記されている。

Principle 9: Information that Legitimately May Be Withheld
原則 9: 合理的に秘匿され得る情報

(a)Public authorities may restrict the public’s right of access to information on national security grounds, but only if such restrictions comply with all of the other provisions of these Principles, the information is held by a public authority, and the information falls within one of the following categories:
(a)公権力は国家安全保障を理由に、情報にアクセスする公衆の権利を制限することができるが、そのような制限は、本原則の他のすべての条文に適合しており、その情報が公的機関によって保有されており、下記のカテゴリーのいずれかに当てはまる場合に限られる。

(i) Information about on-going defense plans, operations, and capabilities for the length of time that the information is of operational utility.
(i)その情報が戦略上有効である期間中の、進行中の防衛計画や作戦、状況に関する情報
(ii) Information about the production, capabilities, or use of weapons systems and other military systems, including communications systems.
(ii)通信システムを含む兵器システムその他の軍事システムの製造、性能、使用についての情報。
(iii) Information about specific measures to safeguard the territory of the state, critical infrastructure, or critical national institutions (institutions essentielles) against threats or use of force or sabotage, the effectiveness of which depend upon secrecy;
(iii)国土や重要インフラ又は重要な国家機関を、脅威または妨害工作や武力の行使から護衛するための具体的な手段に関する情報で、機密であることでその効果を発揮するも
の。
(iv) Information pertaining to, or derived from, the operations, sources, and methods of intelligence services, insofar as they concern national security matters; and
(iv)情報局の活動、情報源、手段に関連又は由来する情報で、国家安全保障の問題に関するもの、及び
(v) Information concerning national security matters that was supplied by a foreign state or inter-governmental body with an express expectation of confidentiality; and other diplomatic communications insofar as they concern national security matters.
(v)外国や政府間機関からとくに極秘を期待されて提供された国家安全保障の問題に関する情報、及び他の外交上のコミュニケーションで提供された国家安全保障の問題に関する情報。


 繰り返すが、国家は、こうした情報を国家安全保障上の問題と非公開にせざるを得ないということが、前提にあるからこそ、「ツワネ原則」が重要になる。
 日本の事例に戻ると、「秘密保護法案」というように一般的な呼称があるために議論が広がりすぎる傾向があるが、この法案は、日本国家の国家安全保障上必要とされる秘密をどのように扱うかということが原点にあり、むしろ、日本の国家安全保障上の状況が切迫してきたから必要性が増してきた。
 日本の国家安全保障上の状況との関連では、近いところでは今年の10月3日に東京で開催された日米安全保障協議委員会がある。通称「2+2」と呼ばれるが、今回は日本側からは小野寺五典防衛大臣及び岸田文雄外務大臣が,米側からはチャック・ヘーゲル国防長官(The Honorable Chuck Hagel, Secretary of Defense of the United States of America)とジョン・ケリー国務長官(The Honorable John F. Kerry, Secretary of State of the United States of America)が出席した。内容は「JOINT STATEMENT OF THE SECURITY CONSULTATIVE COMMITTEE」(参照)である。防衛省の試訳もある(参照)。
 関連するのは以下である。

情報保全
 情報保全の強化により、二国間の信頼関係は引き続き強化され、両国間の情報共有が質量双方の面でより幅広いものとなり続ける。閣僚は、情報保全が同盟関係における協力において死活的に重要な役割を果たすことを確認し、情報保全に関する日米協議を通じて達成された秘密情報の保護に関する政策、慣行及び手続の強化に関する相当な進展を想起した。SCCの構成員たる閣僚は、特に、情報保全を一層確実なものとするための法的枠組みの構築における日本の真剣な取組を歓迎し、より緊密な連携の重要性を強調した。最終的な目的は、両政府が、活発で保全された情報交換を通じて、様々な機会及び危機の双方に対応するために、リアルタイムでやり取りを行うことを可能とすることにある

 「2+2」の声明では概略が記されているが、日本の安全保障は、実質同盟国の米国との連携が欠かせないので、その軍事同盟上の「秘密情報の保護に関する政策」が必要になる。ごく簡単にいえば、今回の「秘密保護法案」は米国との軍事同盟の前提になるものである。
 まとめると、現下の東アジアの軍事的な状況において、日本の安全保障上、どの程度、同盟国と米国と軍事的な関わりを持つかということが問題の起点にあり、次に、その関わりの維持のために、日本の安全保障の秘密をどの程度強化しなければならないかという問題に派生する。
 現状の秘密保護法案だが、国会の過半数を得た自民党はかつての民主党のように強行採決でこれを通すこともできるだが、安倍政権はあえて国会の議論を優先し、ゆえに紛糾したかにも見えるが、まさに国会とは議論のためにあるのだから、東アジアの軍事的状況と米国との軍事同盟の意味を理解した上で、「ツワネ原則」に則った形で熟議を経て法案をまとめていくとよいだろう。
 残念ながら現状では、日本の安全保障という前提が意識されない廃案運動や、「ツワネ原則」から反れた議論(残念ながら日本の知識人に多く見られる)、さらには「ツワネ原則」よりも強力すぎる案(「外国からの情報」に限定する民主党案は強すぎる)などが錯綜している。
 
 

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2013.11.21

[書評]『ドライブ・マイカー』(『多崎つくる』以降の村上春樹文学)

 村上春樹の、長編というよりは中編作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以降の作品はどのようになるのか。今月号の文藝春秋に発表された短編『ドライブ・マイカー』は、その点で非常に興味深いものだった。
 『多崎つくる』についてはcakesの『新しい「古典」を読む』(参照)のほうで書評を書いたが、独特の情感と倫理を基調にシンプルに描かれたようにも読めるし、初期作品のようなトリッキーな謎解き風の仕掛けは目立っていないものの、象徴と暗喩の構造が入り組んでいて、従来にない独自のパラレルワードが仕組まれているシュールレアリスム的な作品として難しい作品でもあった(リアリズムのなかにシュールレアリスムを埋め込む実験作品でもあった)。村上春樹文学の系列としては、彼の現状の中期的な作品である『国境の南、太陽の西』の、小説技法の一端を継いだ形になっている。
 この転機とも見られる中編的な『国境の南、太陽の西』自体もまた、表面的なシンプルさの背後に、村上独自のシュールレアリスムの装置があり、この点、あまり評論家などに読み取られなかったのか(もともと彼の作品は文化・社会現象として読まれる傾向が強く、作品自体の文学考察は存外に少ない)、彼自身が著作集の自著解説でそのヒントを出していた。
 この点についても、cakesの連載では触れたが、あえて触れなかったもう一点がある。ある意味よく知られてはいることでもあるが、この作品が『ねじまき鳥クロニクル』のバイプロダクツであることだ。シンプルに系として見ると『国境』から『ねじまき鳥』、また『国境』から『多崎つくる』という二系がある。前者が主題的、後者が技法的と見ることもできるが、彼の文学の独自の主要テーマが関連しており、むしろ技法はそれの道具立てとして現れてきたものだった。
 ではその、村上文学の「主要テーマ」とは何か。初期の作品でのその生態については、cakesで『風の歌を聴け』の書評以降の一連(参照)で扱ったが、象徴的には「直子問題」と言えるだろう。これが後期、特に、『国境』以降は独自の屈折をしているのだが、基本は、あまりこなれた言い方ではないが、「妻の問題」と言えるだろう。妻である女性の他者性、とでも言うようなものである。ややこしいのは、「妻」というと直接的には村上春樹の夫人が連想されるが、どちらかというと初期の「直子問題」の継承としたほうがよい。
 「妻の問題」は、作品系列に現れる最初のインスピレーション的な短編としては、その叙述から明白に、短編小説『パン屋再襲撃』収録の『ねじまき鳥と火曜日の女たち』があり、これが後の『ねじまき鳥』に発展している。
 『ねじまき鳥』は複雑な作品で、それ以前の村上春樹文学を集大成した趣きがある半面、当初期待されていた全体構成が崩れ、特に三巻が実質破綻した。このため、英訳では日本語オリジナルとは別の再構成が施されている。この問題をどう見るかが難しく、私などはこの「事件」を契機に長期に村上春樹の作品が読めない期間があった。
 私としては、『ねじまき鳥』の第三巻が失敗そのものだと見ていたのだが、『アフターダーク』以降彼の文学に立ち返って全作品を追い直してみると、すでに述べたように、原形が『ねじまき鳥と火曜日の女たち』であることから、むしろ、『ねじまき鳥』の主題が「妻の問題」と見てよく、むしろ、満州史などを挟んだ壮大な虚構の構築はその暗喩として見たほうがよいのかもしれないと、評価を改めつつある。
 いずれにせよ、『国境』以降に現れる「妻の問題」の行方は、『多崎つくる』のなかでも、シロとクロの線からも浮かんでいるとはいえるが、もっと直接的に肉薄する作品として、今後の発展があるのか不明瞭に思えていた。
 もう一点、補助を加えると『蜂蜜パイ』(参照)がリアリズムの形式で「直子問題」と「妻の問題」を継いでいるとは言える。その意味で、よりリアリズム的に(彼が後期に大きな影響を与えた日本の第三の新人の文学のように)、展開される新しい作品が登場するかという関心である。
 そこで今月号の文藝春秋に発表された最新作と思われる『ドライブ・マイカー』なのだが、その関心のど真ん中に当たる作品だった。非常に驚いた。
 まず気になることだが、文藝春秋ではサブタイトルに「女のいない男たち」とあり、それが次期短編集を予想させる点である。また、この短編作を読むとすぐに連想されることだが、初期に近い短編集『回転木馬のデッドヒート』(参照)に文章や展開の質が似ている。また、短編集『レキシントンの幽霊』の『トニー滝谷』にも質感が似ている。『トニー滝谷』もまた文藝春秋に当初発表され、後、短編集に含まれたので、今回の『ドライブ・マイカー』にもその期待がかかる。
 村上春樹文学観察の側からの接近ではなく、直接、この作品そのものとしてはどうか。先に述べたように、従来の村上春樹、どちらかというと若いか中年、それも40代くらいの語り手という装置から描かれているが、今回はかなり明瞭に50歳以降の人間の視点から描かれている。具体的には55歳と見てよいだろう。また第三の新人の文学のような、実際には極めて日本文学としては異質な文体の感触もある。
 結局のところ、村上春樹もまた60代後半を迎え、人生の、あるいは人間というものの、その関係性総体の奇妙な謎のようなものに向き合うようになっている。起点は20代の、原初喪失としての「直子問題」だったが、これが喪失を生きることが他者との共生となり「妻の問題」として成熟してきた。

cover
恋しくて
TEN SELECTED LOVE STORIES
 文藝春秋側としては編集の意図だけかもしれないが、紹介の煽りに「ラブ・ストーリー」としている。ラブ・ストーリーとして読めないわけでもない。ラブ・ストーリーの短編集として彼が最近編んだ『恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES』(参照)も、今年ノーベル文学賞を得たアリス・マンローの『ジャック・ランダ・ホテル』などもよい例だが、いわゆる日本人のラブ・ストーリーという思惑からそれている。あるいは、ラブ・ストーリーとはこういうものだということである。
 なお、この短編集『恋しくて』には、彼自身の書き下ろし『恋するザムザ』も含まれていて、その意味で、これらが次期短編集に再掲され、まとまる可能性はあるだろう。ただ、『恋するザムザ』がシュールレアリスム的な、どちらかと言えば知的な作品であるので、『ドライブ・マイカー』とはうまく調和しないような印象もある。余談だが、『恋しくて』では私などはシンプルにマイリー・メロイの『愛し合う二人に代わって』が面白かった。
 『ドライブ・マイカー』ではドライバーの女の子が特徴的に描かれていて、その発展にも、ラブ・ストーリーも予感させる。これがそのまま、長編に発展していく可能性もないではない。だが、そうなると、死んだ妻の時間の回想を組み込むことになり、また長編ではどうしても村上春樹お特異のシュールレアリスムが仕組まれるので、『1Q84』的な形態になりやすい。
 ただ、『1Q84』もまた17年後の未来を残した、喪失された時間があり、そこにもまだ未完の領域がある。
 今気がついたのだが、この作品の時間が現代であれば、主人公・家福が30歳だったのは1990年になる。現在を5年ほどずらせば、1984年時点あたりにもっていくこともできるだろう。またその時代からの連想から、家福の設定は『ダンス・ダンス・ダンス』(参照)の五反田君や『納屋を焼く』の「彼」にも重なる。初期作品に見られるような村上ワールド・クロニクルの後半を再構成しているのかもしれない。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.20

年取って学んでも意味ないとも思うけど、学ばないと社会の害になりかねない。そこでお勧めの三冊なども。

 先日、ぼやっとツイートしたのだが、「年取って学んでも意味ないとも思うけど、学ばないと社会の害になりかねない」ということ。あとからぼんやりいろいろと考えた。
 まず、ネット的な文脈で言うと、誰かを批判するという意図はまるでない。つまり、あいつは年取って学んでないから社会の害だとか非難・糾弾する気はない。なにより、自分について思うことだ。
 もうちょっと言うと、僕なんかもいろいろ本や雑誌を読んだり、英語のサイトとか読んだりしているけど、基本、知的関心からで、さほど「学ぶ」という意識があるわけでもない。気になることは調べるかな、というくらいだ。ただ、その調べるかな、ということが普通の知的関心で済む範囲をちょっと超えるあたりで、「学ぶ」という感覚が起きる。普通に、高校生が「生物」や「地理」を学ぶというくらいの感覚だが。
 そこで、じゃあ、実際にそうして「学ぶ」ということをして、社会の害になるのを若干免れたかもしれないという実例はなんだろうかと、思い直してみた。
 いろいろ思うことはある。このところよく書いている筋トレとか語学とか。しかし、もうちょっと一般的な意味で、いわゆる知的関心の読書から、「勉強になったなあ」という部分に移行するような読書としては、具体的にどういうのがあるかなというと、ふと三冊思い浮かべたので、そういう文脈で書いておきたい。
 新刊書ではないし、ある意味、状況的に若干古くなっているのだけど、この三冊を読んで「学んだ」おかげで社会や世界をきちんと見ることができるようになったなという実感はある。たぶん、その分、社会の害にならずに済んだのではないか、とも。

1 「世界を動かす石油戦略」
 2003年に出た本なのでもしかして絶版かなと思ってアマゾンを覗いたら案の定、絶版だった。ただ、中古で1円から売っているし、たいていの図書館とかにもありそうだ。

cover
世界を動かす石油戦略
 この本で、なるほどなあと勉強になったのは、石油というのは、ありがちなコモディティだということ。いやそんなことは当たり前ではないかと頭では理解はするのだが、昭和32年生まれの私などは、若い頃リアルに石油ショックを経験しているし、日本が戦争に追い込まれた歴史などもよく聞かされたものなので、石油について、「油断」大敵的な考えや、米国石油メジャーがどうたらとつい連想してしまいがちだ。ちなみに、逆に言えば、先日cakesに書評を書いた山崎豊子『不毛地帯』(参照)などはつい心情的に理解できたりする。
 しかし実態はというと、OPECにも石油メジャーにも石油価格の価格決定権のようなものはないし、米国の石油の中東依存は低く、また今後、石油が枯渇して世界経済が困窮することもない。こうした悪夢のような幻想は本書を学ぶとすっと消える(別の問題意識は生じるが)。もっとも、この手の幻想を騒ぐ人には独特の雰囲気があって、それだけでちょっと引いているものの、関心の片隅くらいには置くといった負担もなくなる。
 本書出版から10年経て、現状はどうかというと、状況は多少変わりつつあるし、リビアの石油の特殊性やアフリカの石油資源といった問題もあるが、本書の基本的な枠組みが変わるわけでもない。この10年間、本書の指針で世界を見ていくとけっこうすっきりとわかったし、その延長から理解できたことも多かった。
 本書の考え方の延長から、現下のシェールガスやロシアの極東開発なども見えてくる部分もある。これらの問題もすっきり見える書籍があるとよいのだけど、あまり知らない。特に、今後北極海航路がエネルギー戦略にどう影響があるかなど、中露関係と絡めて知りたいが、良書は知らない。
 いずれにせよ、今読んでも本書は良書だし、この本を読んでないで、変な幻想をばらまいて社会の害になっている老人は多いなあと思うことがある。

2 「アジア三国志」
 著者のビル・エモットはそれ以前からフォローしていた論者だが、本書が出た2008年には随分と野心的な作品だなと思った。内容はというと、表題が暗示するように、これからのアジアの力学は、日本・中国・インドを中心に経済・軍事面で動くということだ。ちょっと蛇足的にいうと、韓国は基本的に雑音でしかない。困った雑音や道具にはなりうる。北朝鮮は軍事的な意味より、現下のシリアなどと同じで国際ルールと人道問題にはなりうる。

cover
アジア三国志
 本書が出た2008年時点ではまだ中国の軍事的な海洋進出が明確ではなかったが、各種の動向は本書のフレームワークできちんと説明できた。また日本政府が軍事面で長期的に何を意図しているのかもよくわかったし、民主党政権がその点で旧来の頭脳のまま壊滅的な道を進んでいることもわかった。まあ、これらも社会の害の部類だなあと傍観していた。
 インドについては、浮沈は大きい。現状は沈静している。また、日本ではほとんど報道されないが、中印の軍事緊張はこの間、けっこうあった。ただ、両国ともけっこうきっつい状況になるとそれなりに緩和に乗りだし、特に李克強はいい仕事をしている。このあたりの中印の交渉などは、日本ももっと注視すべきだが、日本のジャーナリズムの意識は薄い。あと、日本がうっすら抱くインドに対する親和感は甘すぎるかなという印象はある(核やミサイル問題も)。
 いずれにせよ、そうしたリアリズムや全体フレームワークを見る面で、未だ本書は必読書と言っていい。多少情報が古くはなっているし、震災と民主党政権で思わぬ弱体化をくらった日本が想定外だったというのはあるもの、現在のほうが出版当時より理解しやすい。

3 「日本経済にいま何が起きているのか」
 2005年の出版なので絶版になっているかと思ってはいた。これも案の定絶版だった。著者は現在日銀副総裁ともなった岩田規久男である。当然、リフレ論なのだが、高橋洋一などのリフレ論とは違い、また他の岩田の書籍とも違い、リフレ論を高校の教科書のように懇切に説明している。表題を見ると状況論のような印象を受けるが、きわめてシンプルな書籍である。そこが良かった。

cover
日本経済にいま何が
起きているのか
 本書が良書かというと、いろいろな評価があると思う。また、専門スジからはそれなりの実証的な批判もあるだろうと思う。
 自分にとって良書だったのは、リフレ論については、20年前くらいのクルーグマンの論調などの影響もあって、けっこう相対的に見ていた自分だったが、本書を丹念に追っていって、そのシンプルな説明でけっこう腑に落ちたことだった。
 安倍政権になってから、リフレが日本経済の突然主役に乗りだし、当初は珍妙な批判が目に付いたが、時が経つにつれそうした初期の珍妙さは減少したものの、状況論的な暫定的な是認のような議論が多くなってきた。これは、実はけっこう危ういなと思っている。露骨にいうと、安倍政権への敵意からせっかくのまともな金融政策までおじゃんにするような政争のトリックが仕掛けられる可能性はある。もちろん、安倍政権を単に支持するわけではないが、現行の金融政策はせめてあと一年は継続してほしい。雑音が起きて、状況が変わると、状況論的な暫定的な是認はすべて逆流するので、そのあたり、流されるのではなく、基本のリフレ論を理解しておくほうがよいだろうと思うのである。これは、リフレ派が正しいとかいう次元の話題ではないが、まあ、私などもけっこう誤解された。
 本書もかなり古くなっていて、その後の米国FRBの動向の意味などは十分に反映されていない。なかでも、次期FRB議長に指名されているジャネット・イエレンはリフレ派の基本をさらに労働市場の観点から見ている人なので、むしろ、そうした視点での、本書の延長のようなシンプルな解説書があれば、読んで学びたいと思う。こんなことは初歩の初歩だと識者からは笑われそうだが、シンプルな説明で腑に落ちるというのがとても大切なことだと思う。
 蛇足がてらにいうと、こうした基本もわからずに、日本経済の成長だとか企業の生産性だとか、奇妙の煽りを盛り立てては社会の害になる議論は、ご勘弁してほしいなあと思うのである。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013.11.19

20代でも脳年齢が50歳!? いや、20代と50代と脳はそんなに変わらないし、体型もそんなに変わらないよ。

 ブログがお留守になったので無駄話でも。
 で、オバマケアの頓挫でオバマ大統領もついにレイムダックかってな話もどうかと思うし、シリア情勢やエジプト情勢などは以前の予想からさして大きな変化もない。リビアもひどいまま。イラン核問題はあまり期待していない。フィリピンの台風は大変だったなあというのもあるけど、特に言及することもない。
 さて無駄話だが、先日、Woorisというサイトで「20代でも脳年齢が50歳!? 脳にダメージを与える10個の悪習慣」(参照)というネタを見て、ちょっと思ったことがあったのだった。
 僕は56歳なんだが、20代と50代と脳はそんなに変わらないし、体型もそんなに変わらないんですよね。
 元ネタは体型についての話題ではないけど、そっちでは、20代前半のころは55kgだったかな。身長は171cmあるので、BMI18.8。たぶん、痩せている部類だっただろうと思う。そのころいたガールフレンドも、僕のことを痩せていると見ていたと思う。30代に入ってどうかというと、57kg。少し増えたといえば増えたが、まあ、それでもBMI19.5。まだ痩せているほうだし、そう見られていた。
 一時期、マクロビオティックをやって52kgくらいになったことはある。即身成仏というか釈迦の苦悩図みたいな身体になった。いろいろあって、そういうのも行きすぎだなということで55kgから57kgくらいに戻る。
 その頃、父親が死んで急遽喪服を作ったおり、叔父がこれから中年になると太るから太めの礼服にしときなさいと言われ、だぶっとしたのを作ったが、さほど体型は変わらず。
 沖縄に移住したら、げ、10kg太りました。自分でもこりゃなんだと思った。さすがに中年かあと。ところが意識していると、62kgに戻り、そのくらいで中年体型が落ち着いたかなと思ったけど、この初夏から筋トレ・有酸素運動とかしていたら、58kg。そこから筋肉が多少ついて現在59kgといったところ。
 BMIで見ると、だいたい30代に戻った。
 一時期を除けば、20年くらい前のものでも普通に着られる。もっと30年くらい前のものでも着られる。ただ、体型はちょっと変わって、20代30代のころは大腿筋が太かったが、これは40代後半から痩せてがっかり。あまり戻らない。筋トレでは上半紙にちょっと筋肉が付き、特に肩筋が付いたので、ナチュラル肩パットで服が着やすくなった。
 うだっと書いてしまったが、20代の体型は50代になっても、それなりに維持できるもんだった。
 体型は変わらないが、相貌は爺になった。それはけっこう自覚している。そこは頑張ってメイクしようとかいう気はない。そもそもアンチエージングとか関心ない。
 体力はどうかというと、これも面白いなと思うのだけど、筋トレしたら、力が出るようになった。20代もへなちょこだったから、現在のほうが力が出るんじゃないか。持久力もそれほど変わらないような気がする。ただ、疲れやすさみたいのはあるし、若いときのような深い眠りはない。余談だが、試しにグリシン3g飲んだら、眠りは深くなった。これが健康にいいかわからないので継続はしていない。
 さて、脳はどうかというと、これが意外にボケない。
 特に40代くらいのころは、あれ、年取ってもあまりボケないものだなと思って変な感じがした。さすがに50代後半に入って、ちょっとボケた感じがしたので、チェックがてらにフランス語にチャレンジしているのだが、実感として、どうもボケてない。20代のころにフランス語を学んだ能力より、若干増しているような感じがする。
 他、読書などでも脳が衰えたということは特にない。徹夜して読書ということはなくなったか。文章を書く点ではたぶん能力は向上している。数学は読むばかりで実際に数式とか使わなくなったので、衰えた感はあるが、どうもこれもただ習慣っぽい。
 もっとベタな脳の能力はどうかなと、このところ『ZOO KEEPER』(ズー キーパー)をよくやっているのだが、こんなものでもやっていると能力が向上して、園長さんに褒められることもある。その他、べたなゲームもやっているとそれなりに能力が向上してきて、年齢的な限界というものでもない。ちなみに、『ZOO KEEPER』をやると脳の疲れが取れる感じがする。やっていると一種、無心の境地になるみたいだ。
 視力はじわりと衰えている。よくネットでも老眼、爺、とか言われるが、なぜそう言われるのか理解できない。老眼はほとんどないからだ。近眼と乱視。聴覚は残念ながら衰えた。たぶん、これは持病のせいだろうと思う。すごく残念。それでも、ある種の音は普通の人より聞きわけれるんじゃないかなと思うことがある。
 まあ、自分は50代になっても20代のころと変わらないことが多い。
 えっへんとか言いたいわけではない。
 自分で、なんだか、変わらないものだなあとむしろ変な気持ちでいる。
 感性はどうか?
 若い人と感性は合わない。「進撃の巨人」とか「キングダム」とか愛読しているが、「黒子のバスケ」とか、面白くない。「ファイブレイン3」はそれにかかわらず面白くない。ぷんすか。
 そのあたり、年寄りに見られるかもしれないが、これはどうもただ世代の差みたいな感じがしている。僕が20代・30代のころの文化と現在の文化が違うという差なんじゃないか。とはいえ、そう若いころの文化に愛着があるわけでもない。というか、70年代、80年代カルチャーは、き・も・い。
 話を戻して、Woorisというサイトで「20代でも脳年齢が50歳!? 脳にダメージを与える10個の悪習慣」というネタだが、これって英語サイトのネタをぱくったものらしい。
 変な気がしたのだ。米人は「20代でも脳年齢が50歳!?」といった発想はしないんじゃないか。
 ということで、同サイトにはリンクがなかったのだけどちょっと元ネタを調べたら「The 10 Best Ways to Damage Your Brain」(参照)というサイトだった。
 読んでみると、20代とか50代とかいう話は一切ない。ただ、単純に「脳にダメージを与える10個の方法」というだけのこと。つまり、Woorisというサイトの人は、脳にダメージを受けたのが50代なのだという解釈を押しつけたわけだ。
 いや、怒るというのじゃなくて、たぶん、その人、50代のことを知らないなんだろうなと、かく思った。
 その元ネタの「脳にダメージを与える10個の方法」だが、これ。Woorisと元ネタを並べてみた。


(1)朝食をぬかす(Skipping Breakfast)
(2)食べ過ぎ(Overeating)
(3)タバコを吸う(Smoking)
(4)大量の糖分摂取(High Sugar Consumption)
(5)大気汚染(Air Pollution)
(6)睡眠不足(Sleep Deprivation)
(7)頭まで布団をかぶって眠る(Cover Your Head While Sleeping)
(8)病気の時に頭を使う事(Working Your Brain During Illness)
(9)刺激不足(Lacking In Stimulating Thoughts)
(10)あまり人と会話をしない(Talking Rarely)

 9の「刺激不足」は「知的な刺激不足」としたほうがいいかもしれない。
 これらのリストだが、常識的にそうだろうという他には、さほど医学的な根拠はないんじゃないか。
 自分の経験からすると、脳にダメージを与えるのは、アルコールだろうと思う。適度ならアルコールなら健康によいとも言われるし、ストレスが低減されるというメリットもあるだろう。というわけで、人は酒を飲むのだね。僕は自著(参照)にも書いたけど、やめました。
 もう一つ、経験的に思うのは、知的関心に加えて、美的関心の欠如というのがありそうな気がする。
 まあ、そんな気がするというだけのことだけど。美しい物、美味しい物とか、そういうのに触れてないと、なんかずぶずぶ沈んでしまいそう。
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013.11.10

例の格安ホームベーカリーを使ってみた

 ホームベーカリーというのは、格安機でよい、というのが持論である。基本性能さえよければ、ごたごたした機能は要らないと思うのである。補論をすれば、どんなに高性能機でも、釜の経年損傷はたいして変わりなく、では釜とコネ羽根の交換となると、8000円くらいかかったりして、新規製品を一台買うのと価格的にあまり変わりない。つまり、格安といっても1万円を切るくらいな製品を想定していた。

cover
【Amazon.co.jp限定】TWINBIRD
焼いもメニュー付き
ホームベーカリー
PY-4436AZ
【フラストレーション
フリーパッケージ(ffp)】
 ところが、これ、なんじゃあ、3580円。
 こんな値段でホームベーカリー、そもそも、出来るのかあ? これ、「【Amazon.co.jp限定】 TWINBIRD 焼いもメニュー付きホームベーカリー PY-4436AZ 【フラストレーションフリーパッケージ(ffp)】 PY-4436AZ」(参照)。
 いくらなんでもそれはないだろ、と思ったが、それがダメもとの興味をかき立てて、えいやと買ってみた。どうか。いや、そのまえに一回、パンを焼きましたぁ、みたいな話をブログに書くのはどうかと思って、もう何回も使ってみましたとさ。
 どうか?
 無問題!
 普通においしいパンが焼けます。
 こんなんでいいんだろうか、と、逆に考え込んでしまいましたよ。
 もちろん、長年ホームベーカリーを使ってきた私からすると、なんくせを付けたい部分はある。釜が安っぽい。カドがきつくて、コネがうまく行かないことがたまにある。なので、基本のコネができたあたりで、オメー、ちゃんと仕事したのかよと、ちょいと釜を覗いてみる必要がある。
 あと、できあがりが、ちっこい。まあ、これはそういう仕様なんで、そこをなんくせ付けるなよ、とも思うが、いろいろ観察してみるに、もうちょっと大きめの見映えのいいパンも焼けそうだなと思って、実験してみた。できる。粉400gでも可能。ただし、このレシピをここに書いて、機械壊れましたあ、とか、製造メーカーから、そんな使い方しないでくださいよ、とか言われるのもなんなので、まあ、そのくらいに留めておく。
 安い割に一見、多機能。食パン、早焼き、米粉パン、生地つくり、ピザ生地つくり、こね、発酵、焼き、もち、焼いも、と。
cover
たった2つ!の生地で
作れるパン
発酵は冷蔵庫に
おまかせ
 ほおという感じだが、ほらほら、よく見るとわかるように、リーガルとかにあるフランスパン風のパンがない。長時間醗酵のあれが美味しいんだよと、そのあたりの残念感はあるが、これも実は、ちょっとしたテクニックを使うとできる。この格安機、「こね、発酵、焼き」と工程が分離できるから、長時間醗酵を分離して行えばいい。このあたりのテクニックだけど簡単に言うと、イースト少なめにして冷蔵庫で長時間発酵させること。「たった2つ!の生地で作れるパン―発酵は冷蔵庫におまかせ」(参照)を参考にするといい。
 他の機能はどうかというと、早焼きは最初からやる気ない。他の機種でやってもうまかったことないし。米粉パンは個人的に作る気がない。ただ、いずれちょっとアレンジしてやるかもしれない。「生地つくり、ピザ生地つくり、こね」は基本どれも一緒。つまり、ピザ生地とかナンとかは、けっこう簡単にできるし、これって、他の機種でも普通にできる。
 問題は、もちと焼き芋。まず焼き芋だけど、私は「いもまるくん」という焼き芋専用機を持っているので、これに勝てるものができるとは思えないので、試す気がしてこない。それと、これって釜によくない気もするのだがどうだろう。
 さて、もちだ。うざったい話が多くなってすまないが、私はそもそも日本のお餅というのが好きではないのだ。理由は子ども時代に明けても暮れても食わせられてトラウマっていることもある。半面、中華餅とか沖縄の餅とかは好き。まあ、個人的な好き嫌いはどうでもよい。問題は、これで餅ができるのか?
 できた。
 けっこう美味しくできてしまう。
 ありゃあ?という驚き。
 一回にできるのは3合ほど。まあ、そのくらいでいいんじゃないかと思う。作り方のレシピは書いてあるようにすればよいのだけど、水加減や計量法はこれからもうちょっと工夫したほうがいいかもしれないなとは思っている。
 まあ、なんであれ、使えましたよ、この格安機。
cover
ホームベーカリーRecipe
 それにちょっと工夫すると、いろいろ楽しく、美味しいパンもできちゃいますよ。「ホームベーカリーRecipe」(参照)とか参考にするとよいですよ。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013.11.09

ちょっとした頭痛や首・肩の痛みに、「首巻き首枕」が多少効くかも

 お勧め商品のエントリーというほどのことでもないのだけど、ちょっとした頭痛や首・肩の痛みに、「首巻き首枕」が多少効くかも、という話。
 この手の話は、自分には効いたけど他の人には効かない、ということがけっこうあるので、適当に、自分の判断で受け取ってくださいな。医学的な根拠はあまりないんじゃないかと思う。ただ、もしかすると、けっこういいかもしれないし、そうだったらいいんじゃないかと思って、以下。
 「首巻き首枕」とは何か? なのだけど、そーゆー公式名称はないです。じゃあ、なんて呼ぶのかというと、「首枕」とあるのだけど、その名称の物って多種あって、逆になんだかわからない。そう思って、「首巻き首枕」と呼んでみた。

cover
頸椎症、首こり、肩こりに!
山田朱織のオリジナル首枕
人気整形外科医が開発!
 しかし販売されているものだから、それは何かというと、「頸椎症、首こり、肩こりに! 山田朱織のオリジナル首枕―人気整形外科医が開発! (主婦の友ヒットシリーズ) [ムック]」(参照)という代物。ムックのおまけについている首サポーターのようなもので、帯みたいに首にぐるっと巻き付ける。
 こんなふうに説明されている。

 開院以来35年間にわたり多くの患者さんを診てきた枕先生こと山田朱織先生が、持ち運び便利な首枕をオリジナル開発しました。長時間の同一姿勢、長時間の移動時、デスクワーク、家事のときなどに手軽に使用でき、不安定な首をしっかりサポートし、こりを軽減します。お肌に優しい素材で、首を優しく包み込んでくれるから、つけているのを忘れてしまうほどの心地よさ! しかもカバーは取り外して洗濯できるので、清潔を保つことが出来ます。多くのモニターから使い心地バツグン! 首の負担が減った! 首の痛みがなくなった! と喜びの声多数! さらに、首の負担を軽減する簡単なエクササイズもレクチャー。あなたの首の悩みを解消するお得度満点の1冊です。

 まあ、この手の商品にありがちな説明で、要点は、「不安定な首をしっかりサポートし、こりを軽減」ということなのだが、この説明から想像するより、柔らかい代物で、首を力学的に支えているほどのことはない。意外に柔らかい。むしろ、襟巻きみたいな印象もある。
 こんなものが効くのかというと、やってみると、なぜか効く、自分には。理由は首のサポートというのもあるのかもしれないが、首を冷やさないとか、そういう効果なのかもしれない。
 ちなみに、アマゾンの酷評を読むと。

男性だからなのか私の首が長い為なのか判りませんが、圧拍感と息苦しいだけで首を支えられませんでした。

 それは強く巻きすぎるかもしれない。息苦しくなるほど巻かないほうがよいと思う。

予想を大幅に下回るものでした。
家でタオル巻いてるのと同じです。

 これはけっこうそうなので、案外、タオルでも同じ効果はあるかもしれない。

これをして寝て翌朝起きたらよけいに首が痛くなっていた
効果があるどころか逆効果だった

 これ、首に巻いて寝るのは、単純に危険だと思う。長時間付けておかないようにとの説明もあるし。

指2本分の隙間を開けて巻きつけても血流に影響が。
首への負担も変化なし。
むくみました。
かといって軽く巻き付けると暑いだけです。

首枕を装着することでそれが気になって
前屈みになりにくい、だけかも。
それも慣れてくると自然と前屈みになり
鬱陶しくてすぐゴミになりそうです。

冊子も薄っぺらく30ページほどで
もう少し根拠や事例を挙げて欲しかった。

2000円弱と微妙に手頃で
これを買えば悩みが軽減されると思えば安いもの、と
ついつい財布が緩んでしまう

温まる効果はあるんですが
それならストールで可愛いものを買ったほうがいいですし
なんとも微妙


 これもわかる。この首枕を買ったのは春先で、今年の暑い夏には使わなかった。そのころ筋トレを開始して、こんなのもう使わないよなと思っていたら、先日、ちょっと体調を崩して、そういえばと二時間くらい装着したら、すっきりした。

長年首こり・肩こりがあります。評価が良いので購入しましたが、私には全く合いませんでした。むしろ首の痛みが悪化しました。それだけでなく肩甲骨の痛みまで発生し、また腰まで悪くなってしまいました。大変なお金の無駄でした。残念です。

 そういうこともあるんだろうなと思うので、あまり強くお勧めするものもない。
cover
首こり・肩こりを一発解消!
首らくらくサポーター
 で、首のサポートがあるとよいのかと気になって、似たようなものも買って試してみた。「首こり・肩こりを一発解消! 首らくらくサポーター」(参照)。こっちは、浮き輪みたいに空気をぷーっと入れて、首を実際に力学的に支える代物。なんか、こーゆーの昭和の時代にもあったような気がするなあ。
 効果はあるかというと、実感としては、ある。ただ、これ、付けていると見た目、そーとーに変です。付けていると違和感ありまくり。そして、一週間くらいしたら壊れた。構造というか製造に難があるのかもしれない。素材と設計をやりなおしたらいいんじゃないんだろうか。
 ところで、この手の代物は、首を物理的に支えることによる効果なのだろうか。だとすれば、空気膨らまして支えなくてもよいはず。
cover
キュールカラー
ブラック M
 そう思い、夏が近づくころだったが、頸椎保護のカラーというのも売っていたよなと思い出し、「キュールカラー ブラック M」(参照)というのも買って試してみた。まさに「頚椎サポーター夏用」である。
 固い。これは固い。固いというのは、接する皮膚が痛くなる。あと、メッシュになっていても、夏は暑い。じゃあ、使えないかというと、軽くハンカチとかでまき直してみると多少よい。でも暑い。
 効果はあるかというと、ある気がする。どうも首を物理的に支えるというのはなんか効果があるのではないか。
 この固いカラーだけど、まあ、使わないよなあと思っていたが、先日、椅子に座ってこくっと居眠りしそうになり、首をがくっと落としたら痛かったので、これ、居眠り時の首保護に使えるのではないかと試してみた。使える。ただ、これして椅子で居眠りするものだろうか。
 話は以上。結論は特にないけど、最初のソフトな「首巻き首枕」は重宝している。喉がちょっと痛い、頭がちょっと痛い、みたいなとき、なんとなく効くからだ。
 話はついでで、しかもこれも医学的な根拠のある話でもないので、体験談だが、呼吸法で頭痛を軽減するというのがあって、まさかそんなわけないよと思っていたが、これも春先だったか、頭痛がちょっとして、じゃあ、その頭痛改善呼吸法というのをやってみるかなとやってみたら、効いた。自分で呆れた。
cover
Musical Therapy
for Headache Relief
Serenity Style
 ちなみに、これ、「Musical Therapy for Headache Relief」(参照)。3種類にそれぞれ3レベルあるけど、BGMというか背景音が違うだけ。レベルが上がると、保息が長くなる。もとはヨガの、クンバカではある。まあ、ものは試しというなら、01の一個やってみるといいと思う。ちなみに、この元になっている音源は、iPhoneやAndroidのSaagaraのアプリにあって、たしか無料のもあったかと思う。
 たぶん、ロキソニンを常用してますという人には効かないんじゃないかと思うし、インフルエンザで頭痛がぎんぎんというときも効かないと思う。
 ああ、その先日の不調だけど、これで筋トレ・有酸素運動も行き詰まりかと思ったら、首枕の効果かわからないけど、翌日、戻ってきて、また、この寒くなってきたなか、半袖で過ごしている。そろそろ、年貢の納め時だろうなとは思うけど。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013.11.04

どうやって英語を勉強したのか思い出せない

 フランス語をほぼゼロから勉強していて、いろいろ思うことがあるのだけど、その一つは、自分がどうやって英語を勉強したのか思い出せない、というのがある。あー、いや、その、自分は英語ができる、とか言いたいわけではないです。けしてない。
 それどころか、いろいろ言われるけど、はい、知ってます、僕はろくに英語はできませんし、英語は苦手です。でも、まあ、それなりに毎日、英語のニュースを聞き、読むようにしている。それ自体は英語の勉強のためじゃなくて、普通にニュースを知りたいなあというくらい。
 例えば、最近の例だと、イラクのクルド自治区がイラク中央政府を無視してトルコ経由のパイプライン建設をしているとかいうニュースがあって、これは事実上もうクルド自治区独立を意味しかねないのだけど、そーゆーニュースって日本のメディアからは見られないので、しかたなく英語で当たるというか、英語のニュースを普通に見聞きしているとわかる。などなど。
 話を戻して、どうやって英語を勉強していたのだろうか、自分? と問いかけてみる。不思議な気持ちになるからだ。
 英語を勉強したのは学生のころで、中学生から高校というのがまずある。いやその前に小学六年生のころだったか、父親が「田崎英会話」とかいう音声テープ学習の教材を買ってくれたので聞いたことがああった。もちろん、さっぱりわからなかった。ひとつ覚えているのは、「ぷりーず・ちゃいむやね」というのがあった。「ぷりーず」はわかる。「ちゃいむやね」ってなんだろ? 「ちゃいむ?」。ずっと後になって、あれは"Tell me your name?"というぶしつけな物言いであったなとわかったが、もうひとつついでに、"Tell me"というのは、「ちゃいむ」に聞こえるということだった。後になって、音声学を少し勉強したが、日本語のTと英語のTは違うために、ああ聞こえる。
 中学生のころの英語学習の思い出はというと、いくつか思い出すことがある。僕らのころから(1970年だったか)、なぜか、"This is a pen."というのがなくなっていた。たしか、初っぱなから、"Do you have"みたいなだった。
 その先はよく覚えていない。二年生まではクラウンを使っていたが、三年生にホライズンかなにかに切り替わって、同級生と「クラウンの英語の教科書って物語になっているんでしょ、三年はどうなるの、あれ」と話していて、そこに英語のできる女の子が、「私、三年生の英語の教科書買ってきてあげる」と提言して、彼女に数名分、買ってきて貰ったことがある。読んでみるとたしかに物語になっていた。
 高校の英語教育の記憶も、おぼろだ。教科書はなんとなく覚えている。どこの会社のだったか忘れた。三省堂だったか。ネルーのスピーチや、サキ(Hector Hugh Munro)、サマセットモーム、サローヤンの小説が載っていた。今思い返すと、けっこうレベルが高かったのか? おかげでそうした文学が好きになったというのがある。現代の学生さんで、サキ、モーム、サローヤンとか知られているのだろうか。まあ、いいけど。
 高校の英語で何を学んだかはあまり覚えていないが、先生のレベルは、微妙だったなあと思い出す。一人、きちんとした発音の先生がいて、授業教材にFENの天気予報を使っていた。この先生、「僕は英語が苦手でダメでねえ」とかよく言っていたが、今思い返すと、この先生だけがまともに英語ができた。他の先生は、うーむ、なんと言っていいやら。
 あの頃どういうふうに英語勉強していたかというと、学校で言われるとおり以上のことはしなかった。リーダーの教科書を字引を引いて訳をノートに書く。他は宿題をするくらい。
 成績は普通かそれ以下だったが、高校の途中から学校で学んでいない問題がテストに出るようになって全然ダメになった。英文法もよくわからなくなった。その先の話は『考える生き方』(参照)に書いたので繰り返さないが、まあ、普通に英語ができなかった。
 どこで英語を覚えたのだろうかという当初の疑問に戻るのだが、なんともよくわからない。覚えたプロセスをどうも失念している。そして、思い出そうとすると、なぜかとても奇妙な感じがする。
 フランス語を勉強しながら、とりあえずの目標としてはピンズラーの第一段階30日を終えることで、これは、とりあえず終えた。で、この時点で、中学校の英語くらいの初級フランス語がわかるかというと、まだまだ。ピンズラー方式では単語が限定されているので、ごく基本の単語ですら知らない。"day"が"jour"なのは知っていても、"week"が"semaine"なのは知らなかった。忘れていたかもしれない。でも知らないと同じ。では、"weekend"は? というとフランス語で"week-end"というも知らなかった。
 あと、800語くらいフランス語単語を覚えるなら、中学英語くらいのレベルに達するのだろうか? そのあたりがいま一つよくわからない。
 ところが不思議なことがもう一つあって。なんと言っていいのか、例えば、たまたまルモンドの現在のトップニュースを開くと、こういうニュースがあるのだけど。


Quatre mois après sa destitution par l'armée, Mohamed Morsi, premier chef d'Etat démocratiquement élu en Egypte, est jugé pour "incitation au meurtre". Détenu au secret depuis son renversement le 3 juillet, il est arrivé lundi 4 novembre en hélicoptère dans la cour du tribunal du Caire aux alentours de 8 heures locales (7 heures à Paris) pour y comparaître aux côtés de 14 autres dirigeants des Frères musulmans. Tous risquent la peine de mort ou la réclusion à perpétuité.

 きちんと音読すらできないのだけど、字面を追っていくと、何言っているかはなんとなくわかる。
 "premier chef d'Etat démocratiquement élu en Egypte, est jugé pour "incitation au meurtre"”とかは、「エジプトで民主的な選挙で選ばれたムハンマド・モルシ元大統領が殺人罪」ということだろう。
 ピンズラー方式のおかげなのか、それ以前からなのか、わからない。字面が英語と似ている影響は大きい。" la peine de mort"とかの"mort"は英語の"mortal"と同語源だし、日本人の常識として「死」が"mort"というのは知っているので、だから「死刑」だろうなとかの類推がきく。あと、この話題の関連ニュースは英語で聞いていたというのは、もちろん、ある。背景を知っているのは、文意の理解の援助になる、すごく。
 ちなみに、翻訳ではないのだけど、こんな話だろう。「軍による解任から4か月後、エジプトで民主的な選挙で選ばれたムハンマド・モルシ元大統領は”殺人罪”で裁判にかけらた。7月3日の拘束以降のことして、11月4日8時(パリ時間7時)ヘリコプターでカイロの裁判所に、他のイスラム教徒幹部14人と連行された。彼らは死刑か終身刑に面している」かな。
 当然、これでフランス語がわかったという気はまったくしない。ちゃんとわかるようになりたいなとは思う。無理かなあ。
 話にまとまりはないのだが、考えてみると、母国語を習得した過程も思い出せない。
 もしかすると、言語の学習・習得というのは、それのプロセスの忘却と関係しているんじゃないだろうか。語学的な脳の働きというのは、一見すると、「覚える」が中心のようだけど、実際には、「忘れる」というプロセスと一体なんじゃないかな。英文を読んでいるとき、自分の頭の中で日本語で翻訳しているわけでもなく、なんか、日本語を「忘れている」に近いような意識状態にあるし。
 
 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2013.11.02

フランス語の勉強に買った本

 ピンズラー方式でフランス語を30日ほど学んだ話を前回(参照)書いたが、とりあえず当初の目標をひとまず終えて、ふと、基本、耳だけで覚えたフランス語のしくみがどうなっているのか、知識として、ちょっと気になって、いくつかフランス語の勉強に本を買ってみた。前回にも書いたけど、昔、学生の頃にもいく冊かもっていたが、さすがにもうなくしてしまった。

cover
Essential French Grammar
 最初に買ったのが「Essential French Grammar」(参照)という本。表題からもわかるように英語で書かれたフランス語文法の入門解説書。160ページほどの薄い本。Kindleだと(参照)300円ちょっとと安価。当然内容も薄いだろうことは了解済み。この価格帯だとクズ本かなと思ったが、いちどフランスを学んだ人の便覧という趣旨。サンプル読んだ感じではよかったので、買ってみた。読んでみてどうかというと、これはこれで悪くない。とりあえずこれだけ知っていたら、基本のフランス語文法はカバーできるんだなという目安にもなる。それと、この後紹介するけど、他の本よりわかりやすい面もあった。アクサンの意味とかこれが一番簡素だった。
cover
Collins French Grammar
 が、細かい点でもうちょっと知りたいことがあるので、「Collins French Grammar」(参照)も買ってみた。320ページほど。Kindoleだと530円ほど(参照)。コビルドを出しているコリンズだから内容は問題ないだろうと思ったし、英語だけど、実際、初心者向けにわかりやすく書かれている。印象だけど、普通に米国の大学生が使っている参考書ではないかなという印象があり、懐かしい感じがした。さっきの本とどっちか一冊というなら、こっちが一冊あればよいだろう。ただ、レイアウトの性格上、PaperWhiteなどではちょっと読みづらいかもしれない。
cover
Amazon.co.jp
 コリンズでついでに辞書を思い出したのでちょっと調べたら、Kindle用に「French to English Dictionary」(参照)があったので買った。Kindleで使い心地はあまりよくない。というか、Kindleはフランス語読むようには向いていか、あるいはもっと読めるようなったら一機フランス語用にカスタマイズしたほうがよさそうだ。これも530円ほど。安いといえば安いので、ほいっと買ってしまう。
 さしてコリンズの辞書で不満もないが、この手のものは、アプリのほうがいいんじゃないかと思って、Kindle用にアプリ版も買った。800円ほど。たしかにアプリのほうが格段に使いやすい。英語からフランス語も引ける。これでフランス語関係の辞書は当面十分かなと思った。同アプリはアンドロイド用にプレイマーケットでも売っていた。性能はたぶん同じだと思う。iPad用のもあるけど、こっちはちょっと機能に差がありそう。
cover
文法から学べるフランス語
 さてと。ふと、この手の学習書って日本語のはどうなっているのだろうかと気になって、いくつか手にしてみた。率直に言って、どれがいいのか皆目わからない。要らないかなと思ったけど、まあ、一冊くらい持っていてもいいんじゃないか。そう思って買ったのが「文法から学べるフランス語」(参照)。実際にパラパラと読んでみると、へえと思えることもあり、お勧めしてもよいんじゃないかと思う。
 この手の日本語で書かれたフランス語入門書には、仮名がふってあるのが多い。この「文法から学べるフランス語」もそう。こういうのはどうなんだろという疑問もあったが、リエゾンとか知る指標にはなっている。
cover
CD活用 フランス語の入門
 さて、逆にフランス語学習に余計な情報を増やしてしまったかなと思ったが、それでもまだ、なにか隔靴掻痒の感があって、なにかなあ、あれだなあ、中学校の英文法的な知識だけではダメなんだよなという感じで、もうちょっと本を探していて、白水社の「フランス語の入門」(参照)という本を見つけた。文型の話から書かれていて、わかりやすいし、ピンズラー方式で学びつつ、疑問に思っていた点について、いろいろ腑に落ちるところがあった。よくわからないが、良書なんじゃないか。
 ピンズラー方式の教え方の特徴だが、数字を教えるのにも、また動詞の活用を教えるのにも、ずらずらとお経のように繰り返させるというこはしない。"avoir"の活用も数レッスンしてようやく全体がつかめるという感じ。また、耳から覚えると、実際には、フランス語の動詞にはほとんど活用がない! いや、そんなことはなく、活用はもちろんあるし、複雑な活用形があるのだけど、日常会話をこなす機能上は最小限にできる。あと、ピンズラー方式では、"avoir"は当然として、イレギュラーな活用の動詞がけっこう先行して教えられている。逆にレギュラーな動詞は類推して音でわからせようとしている。これってなんなんだろ。
cover
フラ語動詞、
こんなにわかっていいかしら?
 この点をもっと強調した学習書ってないんだろうか、と疑問に思っていたら、その主旨で書かれた「フラ語動詞、こんなにわかっていいかしら?」(参照)という本をめっけた。ざっとお話を読んであとは半分くらい活用表一覧なので買うまでもないかと思ったが、意外と活用表が便利なので買った。繰り返して読んでみると、雑談めいた説明に深みがあって面白かった。というか、いろいろ考えさせられた。なんというか、文法や書き言葉から見るフランス語と、実際に普通のフランス人が喋っているフランス語にはけっこう差があるんじゃないかなという印象。別の言い方をすると、書き言葉中心の学習というのは、コミュニケーション機能的には迂回していることになるんじゃないか。
cover
旅の指さし会話帳〈17〉フランス
 あと、どうでもいいと言えばいいんだけど、「旅の指さし会話帳〈17〉フランス―ここ以外のどこかへ!(参照)というののアプリ版を買った。まあ、これは余興のようなもの。アプリとして面白いんじゃないかと思ったのだった。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »