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2013.08.26

ブロガーであることは自由な言論社会で成り立つ

 昨日だったかツイッターのタイムラインを見ていたら、ブロガーサミットという話題があった。ブロガーが多数、一同に会して議論するらしい。サミット(頂上)というのだから、著名なブロガー中心の会合だろう。
 そういう会合があることは二週間くらい前だろうか、一応知っていた。それ以上の関心は、なかった。私に関係なさそうだったからである。
 私も、もう10年前だが、アルファブロガーと呼ばれたことがある。今ではすっかり落ちぶれブロガーで、日本のブログ界の中心からは離れている。愛も叫ばない。誰からのお誘いというのもない。もともとブロガーとして長いこと一切の付き合いをしてこなかったせいもある。ちょこっと出て来たのは昨年からだ。
 などと言うとひがみのように聞こえていけないが、その10年前、同じくアルファブロガーとなり、その後は飛ぶ鳥を落とす勢いの切り込み隊長さん(いまでは「やまもといちろう」さん)にもお声はなかったらしい。よくわからない。まあ、ブロガーサミットになんら批判的な思いがあるわけではない。(追記8.27 やまもとさんには企画段階でお声がかかってたそうです。)
 ブロガーサミットで何が話題になっていたかは、その後、ツイッター経由でいくつかブログで見かけた。が、よくわからない。もしかすると、「プロブロガー」が話題だったのだろうか。プロブロガーというのは、ブログで収入を得ていくブロガーである。職業ブロガー。その成功の秘訣・儲ける秘訣のようなことがブロガーサミットで話題だったか。ということでもなさそう。
 仮に私がなんらかのブロガー会議のようなものに出席したとして、そして何か言うとしたら、何を言うだろうかと、ふと思いをはせた。たぶん、ブロガーであることは自由な言論社会で成り立つ、ということだろう。
 日本でブロガーであることは、陰湿な嫌がらせを受けることはあるが(これが10年間にけっこうあったものだったが)、権力サイドから脅され、危機を感じるようなことはなかった。もう時効だと思うが、このブログも以前、NHKクローズアップ現代でブログがテーマのおり取材を受けたことがあったが、最終でカットされた。いや、それほど大した話ではない。取材の一つを整理して最終で外したくらいだろう。私としては、もともとメディア側から見たブログ像には、このブログは合わないだろうと思っていた。
 こう言うのはなんだが、このブログは結果に過ぎないのだけど、そしてあまり注目されないのも幸いといってよいのだが、政治的にかなりきつい発言をしてきた。中国など言論規制の強い国であれば、私はさっさと牢獄入りである。ゆえに、そうした言論ゆえに牢獄に入った各国のブロガーに共感を持ってきた。日本人だから暢気なことをブログで言ってられるが、そう言えない社会がこの地球にはまだまだある。日本人でブロガーであることは、彼らと共感を得る地平で何かを語れることだろうと思ってきた。
 話は連想ゲームのように中国の言論規制に向く。先日、中国のネットで「九号文件」が暴露された。英語では「Document No. 9」と呼ばれている。自由な言論を規制をするための中国共産党の指針をまとめた文書である。19日に香港の明鏡新聞網に一部が掲載された(参照)。


《明鏡月刊》獨家全文刊發中共9號文件
明鏡新聞網記者 陳曦

 今年春天以來,國內和海外即盛傳中共高層下發文件,要求“七不講”,一些網絡活躍人士並披露了“七不講”的具體內容,但是一直沒有得到官方權威證實。是真是假?衆說紛紜。於2013年8月上旬最新出版的《明鏡月刊》43期,獨家全文刊發了中共中央辦公廳9號文件,人們才得知“七不講”的源頭——雖然措辭和文意在坊間流傳過程中,已經與原來的論述有了出入。


 私は中国語はわからない。GlobalVoiceの英語版に一部英訳があった(参照)。その前に。GlobalVoiceだがこう日本語で説明がある。

GVについて
グローバル・ボイスは 300 人を超える世界中のブロガーや翻訳者からなるコミュニティで、国際主流メディアには取り上げられない意見に重点を置き、さまざまな地域のブログや市民メディアの記事を届けるため力をあわせています。

 GlobalVoiceの日本語には「九号文件」の話題はない。
 「九号文件」の要点は、7つ破壊動向(seven subversive currents)を定めた項目である。戦前の日本の特高が目を付けた危険思想の、現代中国版のようなものだ。

1. Promoting Western constitutional democracy. Attempting to negate current leadership and deny the socialist political system with Chinese characteristics.
2. Promoting the universal value of human rights. Attempting to shake the party's ideological and theoretical foundation.
3. Promoting civic participation. Attempting to disintegrate the social basis of the ruling party.
4. Promoting neo-liberalism. Attempting to change China’s basic economic system.
5. Promoting Western-inspired notions of media independence. Challenging the principle of party-controlled media and the press and publication management system.
6. Promoting historical nihilism. Attempting to negate the history of Chinese Communist Party and the history of the New China.
7. Questioning the Reform and Opening up, questioning socialist nature of socialism with Chinese Characteristics.

 重訳になるが試訳を付けておく。

1. 西側の立憲民主主義の促進。現行の指導者と中国らしさのある社会主義政治制度を否定する試み。
2. 人権の普遍的価値の推進。共産党のイデオロギー的かつ理論的基礎の動揺への試み。
3. 市民参加の推進。共産党統治による社会的基礎を不調和にする試み。
4. 新自由主義の推進。中国の経済制度基盤の改変の試み。
5. 西側から唱道されたメディアの独立という考え方の推進。中国共産党によるメディア管制の原則と報道及び出版管理制度への挑戦。
6. 歴史的ニヒリズムの推進。中国共産党の歴史と新中国の歴史の否定の試み。
7. 改革開放への疑念。中国らしさのある社会主義者のありかたへの疑念。

 これらを見ていると中国に関心をもつ人なら「七不講」を連想するだろう。5月18日産経新聞記事「「七不講」騒ぎが示す習近平体制」(参照)より。

 昨年11月の共産党大会で習近平体制が発足して半年。習総書記は「中華民族の偉大な復興を果たすという中国の夢を実現しよう!」と呼びかけ、当初はそれなりに一般大衆などの人気も得た。だが政治・経済改革への極めて保守的な姿勢が次第に明らかになり、知識人や若者らの失望や反発を強めている。
 「習政権が七不講(チーブジャン)と言い出した」。ある知識人は最近、緊張の面持ちでこう語った。
 各種情報によると、七不講とは「七つの言葉を使ってはならない」との党中央弁公庁の指示で、具体的には(1)人類の普遍的価値(2)報道の自由(3)公民社会(4)公民の権利(5)党の歴史的錯誤(6)権貴(特権)資産階級(7)司法の独立-を指す。
 それぞれを解読すれば、(1)人権侵害(2)言論統制(3)政治活動の制限(4)国政選挙権の不在(5)(文化大革命や天安門事件などの)歴史的過ち(6)特権層の権益独占と腐敗(7)党権力による司法の支配-となり、こうした共産党独裁体制の矛盾や恥部に対して国民の目と口をふさごうというわけだ。
 インターネット上の情報や香港紙によると、こうした通知文書が先週、一部の地方政府や学校に届いたもようだ。しかし今ではネットで検索しても、関連情報は「削除された」との表示が残っているだけだ。
 真相は不明だが、共産党政権は新規の政策や指示を地方や一部組織で試し、反応を見ながら全国に広げることが多い。「七不講」への反発があまりに大きいため、党中央がひとまず引っ込めた可能性もある。

 話を「九号文件」に戻すと、これは真正の中国共産党政府が発した文書なのだろうかという疑問が沸く。
 日本国内の報道機関では、「七不講」を取り上げた産経新聞を含めて、「九号文件」報道を、なぜか、見かけない。欧米では、ニューヨークタイムズ記事(参照)などでも取り上げられている。
 印象としては偽文書でもなさそうだが、この文書の位置づけや政治的な意義については、よくわからない。
 それでも、この「九号文件」が敷かれた中国には言論の自由というものはない。自由なブロガーというのも存在しづらい。
 で、ブロガーに求められることは何か?
 自由に発言できる社会基盤についての世界規模での連帯の意識ではないだろうか。
 
 

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2013.08.23

[書評]果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々(増田晶文)

 それほど気にしているという問題でもないし、自分の周りで見かけるということでもないのだが、いやほんと気にしているわけでもないのだが、誤解してほしくないわけだがそこ、その、つまり、女性ボディビルダーのバストというのは、どうなっているのか?

cover
果てなき渇望
増田晶文
(草思社文庫)
 ボディビルダーは体脂肪を可能な限り絞り込んでいて、腹周りの贅肉と称する皮下脂肪などは限りなく少ない。でだ。腹周りの皮下脂肪を減らすという話題はいろいろある。が、その脂肪だけを減らすということは原理的にできない。腹筋運動してシックスパックを作るといった話でも、腹筋をむっちりさせることは可能でも、それを覆う脂肪がそれで取れるわけではない。要するに、皮下脂肪というのは部分的に落としたり付けたりできないものだ。落とそうとすると全体的に落ちる。そこで冒頭の、私がそれほどは気にしているわけでもない、その話題に戻るのだが、女性の乳房というのは脂肪なわけで、逆にそこだけ残すわけにはいかないはずだ、と思うのだが、女性ボディビルダーはどうやって、あの、いや「あの」は余計だ、バストを形成しているのか。そういう問題だ。ふー。
 「果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々(増田晶文)」(参照)を読んだら、答えが書いてあった。男性のボディビルダーと女性とは違うが、として。

 とはいうものの、コンテストで勝つために女性ボディビルダーたちは究極の筋肉を求める。ステージで肉体を誇示するのに、筋肉を覆う脂肪は邪魔だ。女性ボディビルダーたちは乳房を大胸筋に、お尻は臀筋群に仕立てて、ウエストは腹筋を浮き上がらせなければいけない。神が配分した分厚い脂肪を削ぐには極限に近いダイエットが必要となる。

 あれは大胸筋であったのか。
 ということなのだが、どうなのだろう。これで解決したわけでもないが、いずれにせよ、その手の話題がこの本の第2章「女子ビルダー」に書かれている。
 他にも、想像はしていたけど、脂肪が15%を割ると生理が止まるという話もあった。それでいいのかというのは、この章の話題にも当然なっている。
 第1章は「コンテスト」とあって、男子ボディビルダーたちが人生のすべてを投入してボディビルダーにいそしむ姿が描かれている。冒頭は、スポーツライターらしい文体で三島由紀夫の逸話ある。挿話はどれも、ものすごい。タイトルの「果てなき渇望 ボディビルに憑かれた人々」ということが確かに伝わる。第3章は「禁止薬物」で、一部のボディビルダーが利用する薬物とドーピングの話題になり、終章は「生涯をかけて」として60代のボディビルダーを描いて終わる。
 面白い。ボディビルダーたちに密接に取材してよく内情が書き込まれいる。さらに、いわゆるスポーツライターの作品を微妙に越える部分さえ、かなり追い込まれている。なぜ彼らはボディビルに没頭していくのかという問いだ。
 自分が変容していくということへの渇望。しかも、自己像として他者からも見える肉体が変貌していくことへの渇望がなぜ起こるのか?
 強くなりたい、美しくなりたい、あるいは自己愛、など。なんらのありがちな表現で済むことかもしれないが、おそらく、肉体を越えるために肉体に執着するとでもいうような超越への渇望が、人間の存在の根底に潜んでいるだろう。その片鱗がボディビルダーからうかがえる。
 その根底にあるものは何なのだろうか。うまく言い切れないその問いの重さを、この本はとても上手に描き出している。
 本書は 2000年に草思社から出版され、昨年の2012年に同社から文庫化された。内容は基本的に2000年以前の話で、現代のボディビルからすると一時代前の話のようにも思える。技術などはだいぶ変わった面もありそうだ。が、ボディビルの本質的な部分にはあまり変化はないだろう。その意味で本書は長く読み継がれそうにも思うし、読んで心にぐさっと来るものがあった。
 
 

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2013.08.22

[書評]鍛える理由 筋トレが人生を変える!(石井直方)

 先日このブログで、最近読んだ筋トレ関係の本の話をまとめた(参照)。自分でも筋トレを始めたので、参考になることはないかと思って読んでいた書籍である。その後も関連の書籍を読んでいるが、先日のまとめでもそうだが、この関連の一般書には石井直方先生が監修された本が多い。

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鍛える理由
石井直方
 石井先生はNHKの健康番組などでもよく見かける。その笑顔と温厚な人柄は私でも覚えている。若い頃はボディビルダーでもあったらしい。研究者でもありボディビルダーなのか、ボディビルダーが高じて研究者になったのか、どちらだろう。どちらもありということもあるだろう、などと思っていたが、それ以上の関心はなかった。が、関連書籍を調べていたらというか、べたに石井先生の著作を見ていたら、「鍛える理由」(参照)という本があり、筋トレをお勧めする理由でも書いてあるのかと読んでみると、自伝であった。
 1955年生まれの石井先生が2010年に出された本で、誕生日は知らないがだいたい55歳の時の著作である。おや。55歳で半生記を書かれていたのか。それはそれは、という点でも興味引かれて読んでみた。
 面白かった。私のような凡庸なのに挫折の多い人生とは違い、ピカピカのおぼっちゃマンから東大、そして東大の理学博士、国際的にも著名でありながらお茶の間にも有名人という完璧な人生である。とかいうと自分のひがみが入ったみたいだが、読んでいてそういういやみな印象はまったくない。先生の人柄がそのままに反映していて読んでいて心地のよい文章であった。もちろん、「完璧な人生」というのは反語で、いろいろ苦労されたこと、研究者として第一人者であることの困苦もじんわり伝わってきて読みごたえがある。
 面白さはいくつかの面がある。おそらくこの本を読む人は、石井先生に関心を持っている人だろうが、それは大きく分けて二つ、ボディビルに関心を持つ人たちと、先生の一般書から関心を持つ人たちだろう。
 私自身は、先に55歳の著書という点に触れたが、そのくらいの歳になった人間が人生をどう振り返るものかな、という点にひとつ関心があった。また、彼が1955年生まれ、私が1957年生まれと年代が近く、ポスト団塊世代の人生として共感できる部分が興味深かった。
 石井先生の父は早稲田大学でフランス文学を教えていた石井美久教授とのこと。現在入手可能な単著は見当たらなかった。仏文の学者さんらしく、息子さん、つまり石井直方さんは中学からは九段の暁星に通った。
 現在の暁星はよく知らないが、当時は小学校からの学生が多いようだった。私の個人的な思い出になるが、予備校時代、それほど親しくしていたわけではないが、知的な話が通じる友人の一人が暁星高校出で、いろいろ話を聞いた。いやはやハイソな世界があるものだなと思ったものだった(さらに余談だが大学ではさらにハイソな世界も垣間見た)。
 石井先生の奥さんもボディビルダー。トレーニングがきっかけで1980年に知り合ったとのこと。あの時代に女性のボディビルダーが話題になったものだった。本書にも言及があるが、なかでも西脇美智子さんが話題になった。懐かしい。彼女は1957年生まれなので、今年は56歳になる。何をされているのだろう。
 直方先生と、奥さんとなる久美子さんは1983年全日本実業団ボディビル選手権のペア部門で優勝。その写真も本書に掲載されている。なんかすごいよ。1986年に結婚され、本書出版時には、ご長男は美容師、次男は高校生、年離れて小学生の長女がいらっしゃるとのこと。そのあたりも、個人的に興味ひかれるところであった(理由は、まあね)。
 半生記としてはそのほか、学究、英国での暮らし、「あるある大辞典」出演がきっかけで一般書でも有名になるなどという話題が続く。すらすらと読み進めてしまう。
 当然だが、ボディビルや筋トレに役立つ話題も多い。なかでも、脂肪を減らしつつ筋肉を増やすという話題が面白かった。ボディビルダーとしての経験と研究者としての双方の面から書かれていて、なるほどと思わせる。
 自分もこのところ筋トレやっていて、体脂肪をもう少し絞りたいのだが、どうするのだろうと疑問に思っていた。摂取する総カロリーを大幅に減らすと体重は減るだろうが、筋肉も脂肪も両方落ちてしまう。そもそも筋肉は総カロリーが十分にないと増加しないらしい。それはそうだろうが、ではどうするか。難しいところで、上手にトレーニングするしかなさそうだ。
 石井先生の一般書に多い「スロトレ」ことスロー・トレーニングについての話題も多い。スロー・トレーニングなら筋肉への負荷も30-40%のIRMでよいらしい。これは他の本にも書かれているが、この本で読むととても納得した。私もさっそくジムでのトレーニングをスロー・トレーニングに切り替えてみた。
 いろいろ面白い本だった。こういうとなんだが、石井先生も、一般書やテレビ媒体で著名にならなければ、こうした半生記を書かれる機会はなかったのかもしれない。優れた学者であっても学究の人生としては、よい意味で普通の人生と言ってもよいだろう。
 そうした意味での普通の市民として書かれた半生記は、なんというか、小説風の半生記とは違った、実際の人生や、その時代の世相というもののじんわりとうまく伝えるものである。
 
 

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2013.08.21

[書評]科学者の卵たちに贈る言葉――江上不二夫が伝えたかったこと(笠井献一)

 「科学者の卵たちに贈る言葉」という表題に少し心惹かれた。が、私は科学者の卵ではない。それどころか私の人生はこれから手じまいに向かう。今さらそんなもの読んでもしかたがない。そういういじけた心の動きに自分が少年だったころの思いが滲む。

cover
科学者の卵たちに
贈る言葉
江上不二夫が
伝えたかったこと
(岩波科学ライブラリー)
 少年のころ科学に関心をもち、できたら科学者になりたいという夢があった。と懐古する間もなく、でもそんなことはどうでもいいと思える。瞬間、脳裏に響いたのは副題の「江上不二夫が伝えたかったこと」である。江上不二夫。少年時代に読んだ岩波新書「生命を探る」(参照)の江上不二夫である。
 表紙に江上の、短い言葉が二つ引かれている。

「実験が失敗したら大喜びしなさい」

「自然は人間の頭で考えらるよりもはるかに偉大で複雑だよ」

 そのとおりだ。僕が子供の頃に思い描いた科学者はそういう心をいつももっていた。懐かしさがぐっとこみ上げる。江上もそういう人だった。


 江上先生を知っている人にすぐ浮かんでくるイメージは「ほら吹き」である。先生の頭の中では、生命についての奇想天外な解釈や仮説、実験のアイデアなどが毎日ぼこぼこ湧き出して、とてもしまっておけず、誰かれかまわず出会う人にしゃべりまくった。「ねえねえ、お母さん、聞いて聞いて」といって言っている子供みたいな天真爛漫そのもの。

 この本は、江上に学んだ笠井献一が江上語録を残したいとして書かれた本である。江上語録――そういう本は存在していない。江上に学んだ生徒たちの頭の中に叩き込まれているだけなので、忘れられないうちに書いておこうというのだ。薄い本だが、めっぽう面白い。目次を眺めただけでもわかるだろう。

1 他人と戦わない
2 人真似でかまわない
3 伝統を大切にする
4 つまらない研究なんてない
5 三ヵ月で世界の最先端になる
6 実験が失敗したら喜ぶ
7 先生は偉くない

 これらは科学者だけに当てはまるとも言いかねるし、逆に現在の科学者が江上流にやっていけるかというと、そう素直に受け取れない部分もある。読んでいくと言っていることが矛盾してるんじゃないかと思える部分もある。
 それでも、日本の科学者を育成することをその生涯の目的に定めた江上の魄のようなものは、笠井の思い出話から伝わってくる。

 先生は若干三二歳で名古屋大学の教授になったとき、自分で実験するのをすっぱり止めてしまい、もっぱら弟子をおだてて実験させることに専念するようになった。それは実に賢明な選択だった。そういうことなら間違いなく天才だった。しかし実験となるとむしろ要注意人物だった。名だたるぶっきっちょうで、しかもせっかち。先生が実験したいなんて言い出したら、いつ遠心分離器が踊り出すか、フラスコが爆発するか、まわりはおちおちしていられなかっただろう。先生が自分で実験していたころに、放射性同位元素(ラジオアイソトープ)がまだ使われていなかったのはほんとうに良かった。

 現代ではそういうタイプの科学者が成功することはないだろうが、科学者のグループを牽引するカリスマ的な指導者としては必要になる、そういう指導者は現在でも存在するに違いない。ただ、江上のような人材は、確かに天才というか天与の才能のようなものでもあるだろう。
 こういうと何だが、読んでいて、糖研究の具体例などといった個別分野でのの面白さを除くと、夏目漱石の『吾輩は猫である』のような面白さも感じられた。そして、そういう面白さとして読んでもよいだろう。科学者の卵が読者でなくても。
 
 

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2013.08.19

松江市教育委員会による「はだしのゲン」学校図書室閉架問題について

 松江市教育委員会による「はだしのゲン」学校図書室閉架問題について、あまり関心を持っていなかったのだが、ツイッターで話題になっていたのでよく見かけた。それを見つつ疑問に思うことも多かったので、事態の経緯と論点を少しブログにまとめてみた。

報道の経緯
 初出の報道がどこからであるかは明確には追求できなかった。ネットで調べた範囲では、毎日新聞の「2013年08月16日19時22分」の記事が内容の点で比較的古く、かつ比較的に詳しいので、ことの概要を知る点から参考にしたい。記事中の「ことが分かった」という表現からわかるように、最新ニュースとして報じられていた。「はだしのゲン:松江市教委、貸し出し禁止要請「描写過激」(参照)より。


 漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験を基に描いた漫画「はだしのゲン」について、「描写が過激だ」として松江市教委が昨年12月、市内の全小中学校に教師の許可なく自由に閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことが分かった。児童生徒への貸し出し禁止も要請していた。出版している汐文社(ちょうぶんしゃ)(東京都)によると、学校現場でのこうした措置は聞いたことがないという。

 この記事では、ニュースとしては、「はだしのゲン」が閉架扱いにされた事実性が焦点となっている。
 また一読して気になるのは、昨年12月の同市教委の措置が今年の8月16日に「ことが分かった」という経緯の背景である。
 報道はこう続く。

 ゲンは1973年に連載が始まり、87年に第1部が完結。原爆被害を伝える作品として教育現場で広く活用され、約20カ国語に翻訳されている。
 松江市では昨年8月、市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出された。同12月、不採択とされたが市教委が内容を改めて確認。「旧日本軍がアジアの人々の首を切ったり女性への性的な乱暴シーンが小中学生には過激」と判断し、その月の校長会でゲンを閉架措置とし、できるだけ貸し出さないよう口頭で求めた。

 閉架措置の経緯だが毎日新聞報道によると、発端は、一部の市民から「間違った歴史認識を植え付ける」として学校図書室から撤去を求める陳情が市議会に出されたことだ。
 だが記事にもあるように、この陳情は不採択となった。一部の市民からの「間違った歴史認識を植え付ける」との主張による圧力は、市教委が排除したということである。
 公的な教育機関に政治的な意図から思想的な圧力が加えられたとすれば問題だが、これは排除されている。その点は、報道で示された経緯としては、思想的な圧力という点でのニュース性はない。
 閉架措置に至る実質の経緯だが、「市教委が内容を改めて確認」として「乱暴シーン」が問題となり、同市教委の判断から実施された。暴力の視覚表現のレーティング(表現内容と対象年齢層とを対比させた表現規制基準による取り決め)としての対処である。この点は記事でも明瞭になっている。

 現在、市内の小中学校49校のうち39校がゲン全10巻を保有しているが全て閉架措置が取られている。古川康徳・副教育長は「平和教育として非常に重要な教材。教員の指導で読んだり授業で使うのは問題ないが、過激なシーンを判断の付かない小中学生が自由に持ち出して見るのは不適切と判断した」と話す。

 毎日新聞記事の冒頭に戻ると、ニュース性は、「はだしのゲン」における暴力表現のレーティングとして閉架化したことにある。

レーティングの例外は必要か
 暴力表現の含まれた視覚作品がレーティングされること自体は一般的である(そうでなければアダルト漫画も学校図書室に置かれうることになる)。
 このレーティングの判断は機構上、市教委に委ねられているので、今回の事例にニュース性があるとすれば、「原爆の悲惨さを子供に知ってもらう」ためであれば、その暴力の視覚表現は例外としてレーティングからは排除されるべきか、ということになるだろう。
 毎日新聞記事はその視点から展開されている。


 「ゲン」を研究する京都精華大マンガ学部の吉村和真教授の話 作品が海外から注目されている中で市教委の判断は逆行している。ゲンは図書館や学校で初めて手にした人が多い。機会が失われる影響を考えてほしい。代わりにどんな方法で戦争や原爆の記憶を継承していくというのか。
 教育評論家の尾木直樹さんの話 ネット社会の子供たちはもっと多くの過激な情報に触れており、市教委の判断は時代錯誤。「過激なシーン」の影響を心配するなら、作品とは関係なく、情報を読み解く能力を教えるべきだ。ゲンは世界に発信され、戦争や平和、原爆について考えさせる作品として、残虐な場面も含め国際的な評価が定着している。【宮川佐知子、山田奈緒】

 まとめると、ニュースとされた問題は、「暴力の視覚表現も原爆の悲惨さを子供に知ってもらうためであれば一般的なレーティングからは免除される」というレーティング上の特殊ルールが公共に必要になるだろうか、ということになる。

読売新聞、朝日新聞、共同記事、の状況
 他記事の報道経緯についてもわかるかる範囲で簡単に検証してみたい。
 同対象を扱った読売新聞記事「はだしのゲン「描写過激」…小中に閲覧制限要請」(参照)も初出はリンクから「8月16日 20:41」と見られ、毎日新聞記事と同時に近い。


 漫画家・中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」の描写が過激だとして、松江市教委が、子どもが閲覧する際は教員の許可が必要な「閉架」にするよう全市立小中学校(49校)に要請していたことがわかった。
 文部科学省は「こうした例は聞いたことがない」としている。
 市教委によると、昨年度で39校が図書室に所蔵。作品には、旧日本軍が人の首をはねたり、女性に乱暴したりする場面があることから、市民から撤去を求める声が上がり、市教委が昨年12月、全校に要請した。
 古川康徳・副教育長は「立派な作品だが、表現が教育上、不適切。平和学習に使う場合は教員が解説を加えるべきだ」としている。
 出版社「汐文社」(東京都)の政門一芳社長は「一場面を取り上げて過激だとせず、本質を見てほしい。天国の中沢さんも悲しんでいるはず」と話している。

 毎日新聞記事と比較してわかるように読売新聞報道内容は粗い。市民陳情とその却下の過程は報じられていない。
 朝日新聞記事「「はだしのゲン」閲覧を制限 松江市教委「描写過激」」(参照)も同時期「2013年8月16日22時25分」の報道だが、読売新聞記事同様の枠組みで報じられている。

 【藤家秀一、武田肇】広島での被爆体験を描いた、漫画家の故中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」(全10巻)が、昨年12月から松江市内の市立小中学校の図書館で子どもたちが自由に見ることができない閉架の状態になっていることが分かった。市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求めた。
 市教委によると、描写が残虐と判断したのは、旧日本軍がアジアの人々の首を切り落としたり、銃剣術の的にしたりする場面。子どもたちが自由に見られる状態で図書館に置くのは不適切として、昨年12月の校長会で全巻を書庫などに納める閉架図書にするよう指示したという。
 現在は作品の貸し出しはしておらず、教員が校内で教材として使うことはできる。市の調査では市立小学校35校、中学校17校のうち、約8割の図書館がはだしのゲンを置いている。

 現状追跡できる報道の時間経緯からは、共同「はだしのゲン「閉架」に 松江市教委「表現に疑問」」(参照)が「2013/08/16 12:22」が最も古い。だが、報道内容はもっとも乏しい。

 松江市教育委員会が、原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」を子供が自由に閲覧できない「閉架」の措置を取るよう市内の全市立小中学校に求めていたことが16日、分かった。
 市教委によると、首をはねたり、女性を乱暴したりする場面があることから、昨年12月に学校側に口頭で要請。これを受け、各学校は閲覧に教員の許可が必要として、貸し出しは禁止する措置を取った。
 市教委の古川康徳副教育長は「作品自体は高い価値があると思う。ただ発達段階の子供にとって、一部の表現が適切かどうかは疑問が残る部分がある」と話している。

 以上の報道経緯からは、共同報道から他新聞社が一斉に動いたようにも見える。
 いずれにせよ、なぜ12月の措置が、今年の8月16日にニュースとして報道されたかについては、以上の報道からは不明である。

レーティングから見た「はだしのゲン」初出の状況
 毎日新聞の報道検証について考察する上で手がかりとなるのは、より一時的な資料である松江市教委「平成24年第4回12月定例会 平成24年第4回松江市議会定例会」(参照)である。比較が可能なので、そこから検討してみたい。

 南波巖教育民生委員長。
 〔14番南波巖議員登壇〕
◆14番(南波巖) 閉会中の継続審査となっておりました陳情3件につきまして、去る11月26日に委員会を開催し審査をいたしましたので、その経過と結果について御報告申し上げます。
 陳情第46号「松江市の小中学校の図書室から「はだしのゲン」の撤去を求めることについて」では、執行部から、追加の見解を聞いた後、質疑では、全10巻の漫画の中でいろいろ問題があるとも言われているがどのような問題かとの質疑に対しては、執行部より、1巻から4巻または5巻までが第1部というふうに言われているが、暴力的なシーンなど、やや過激と言われるものは後半部分が多いと感じている。陳情に添付された資料も10巻の部分であるとの答弁がありました。
 討論では、一委員から、当初の教育委員会の見解では、映画が文部省や全国PTA協議会の推薦を受けていたり、漫画が中四国の県庁所在市の小中学校の図書室に置いてあることから優良図書と考えているということであった。しかし、1巻から10巻までを見ると、時代ごとにだんだんとエスカレートして大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている状況であり、第1部までとそれ以降のものが違うものということではなく、「はだしのゲン」という漫画そのものが、言い方は悪いが不良図書と捉えられると思う。当初の優良図書としての根本が崩れたということであれば、やはり教育委員会みずからが判断をし、適切な処置をするべきであろうと思うとの意見がありました。
 また、不採択とすべきものとして、一委員から、表現に若干過激な面もあるが、全体としては戦争の悲惨さ、あるいは平和のとうとさを訴えているものと思っている。1980年代から多くの図書館に置かれている状況であり、平和教育の参考書として捉えられている側面が非常に強いようである。そういう面から考えると、小中学校の図書室に置いてあってもおかしい話ではないし、図書室に置くことの是非について議会が判断することには疑問があるので不採択とすべきと考えるとの意見がありました。
 採決の結果、陳情第46号は挙手する者はなく不採択とすべきものと決しました。

 まず、陳情第46号「松江市の小中学校の図書室から「はだしのゲン」の撤去を求めることについて」が却下されたことは毎日新聞記事と整合しており、なんらかの政治的または思想的な圧力によって閉架措置が取られたのではないことがわかる。
 この機に松江市教委が独自に優良図書の見直しをしたところ、「当初の優良図書としての根本が崩れたということであれば、やはり教育委員会みずからが判断をし、適切な処置をするべきであろうと思うとの意見がありました。」として、市教委の独自の判断に至ったこともこの資料からわかる。
 日本の義務教育は、連合国軍総司令部(GHQ)の指示の骨格を保持し地方主義になっているため、こうした判断は各市教委に任されている。市教委が独自に判断するということ自体には制度上の問題はないどころか、本来の市教委のありかたである。
 同市議会事録と毎日新聞記事との比較で、情報の差分としてもう一点気がつくのは、市教委では「1巻から4巻または5巻までが第1部というふうに言われているが、暴力的なシーンなど、やや過激と言われるものは後半部分が多いと感じている。陳情に添付された資料も10巻の部分であるとの答弁がありました」として、暴力の視覚表現が第10巻に焦点化されていることだ。
 市教委の会議録からわかるさらにもう一つの点は、「1巻から4巻または5巻までが第1部というふうに言われている」というこの作品の構成への認識である。
 製本化された「はだしのゲン」は、汐文社版全10巻と中公文庫版全7巻があるが、市教委の認識は汐文社版をさしているようだ。
 ここで衆知の「はだしのゲン」の初出経緯だが、集英社の週刊少年ジャンプの1973年25号から、その媒体からわかるように子供向けに連載が開始され、そこでの連載が終了したのが1974年39号である。
 この時点の作品が汐文社全4巻の単行本として1975年に製本化された。現在ではこれを、同市議事録にあるように、第一部としていることが多い。そのこと(第一部であること)の認識も「ジャンプ」の側にはあったらしいが、実際には、第4巻までをもって、子供向けの連載は終了している。
 当時の「ジャンプ」にレーティングの明示的な意識はなかったが、講談社の「週刊少年マガジン」に1970年32号から1971年22号まで連載された「アシュラ」の描写について少年漫画に適切かという議論が当時盛んに行われた社会背景から考えると、1972年の少年漫画の世界では、それなりに少年向け作品のレーティングについて非明示的な出版側の意識は存在していた。当時のレーティング意識が現在の子供にも適切かについては別途考察は必要ではあるが、その時代としては、この作品は子供向けに第4巻までは描かれた。
 その点からして、おそらく現在でも大ざっぱに言えば、第4巻までは、当時の「少年ジャンプ」の読者対象である小学生を含めていて、レーティング上の問題は少ないと見てよいだろう。
 第4巻後の続編だが、1975年から76年に雑誌「市民」、1977年から80年に雑誌「文化評論」、82年から85年に雑誌「教育評論」での連載となる。
 これらの雑誌の性格だが、端的に言って子供向け漫画雑誌ではない。
 問題は、これらの雑誌が、子供向けの漫画として読ませることをどれだけ当時意識していたかが、非明示的なレーティングであれ、問われうる。
 この点はどうか。同市教委の「1巻から10巻までを見ると、時代ごとにだんだんとエスカレートして大変過激な文章や絵がこの漫画を占めている状況」という認識と、概ね子供向け雑誌ではないことは照合しているように思われる。むしろ第5巻以降は、「市民」「文化評論」「教育評論」という雑誌の読者層を想定して描かれていたとすると理解しやすい。
 以上の経緯の考察は雑駁だが、当時「少年ジャンプ」に連載された第4巻までは、暴力表現などのレーティングの問題は、時代的なレーティング意識の制約はあるとしても、さほど大きな問題にならないだろうと推測される。
 この点を考慮すれば、閉架措置を全巻対象とした市教委の判断は粗雑すぎるので、再考し、まず、4巻までを開架に戻すのが妥当だろう。
 その後の巻については、別途、同市教委で暴力の絵画表現の一般原則を明確に決めて公開するか、あるいは、「原爆の悲惨さを子供に知ってもらうためであれば暴力の視覚表現はレーティングからは免除される」という例外を明示的に確立するとよいだろう。
 
 

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2013.08.17

極東ブログ10周年

 この「極東ブログ」というのを書き始めて、10年が経った。ちょうど10年になったのは、一昨日、8月15日のことで、その日に合わせて10周年の感想でも書こうかとも思ったが、なにかうんざりした思いがして見合わせた。言うまでもないが、8月15日はいわゆる終戦の日で、このブログも10年前、その日を意識して始めたものだった。
 今はどうかというと、終戦の日とされている8月15日にはもうなんの関心もない。まったく関心がないわけではなく、しいていうと、うんざりしている。そこに至る経緯はこのブログでも書いてきた。もう少しわかりやすい形で自著『考える生き方』にも書いた。それでもう十分だと思う。それ以上に僕がとやかく言っても伝わらない部分は伝わらない。もしかすると100年後ぐらいには、もっとまともな日本になってそのころの日本人の認識も変わり、終戦記念日が本来のあるべき日に移ればいいのではないかとも夢想する。別にそうならなくてもいいにはいい。
 投げやりというのではないが、もうその頃には僕はこの世界にはいない。死んでしまった僕というのは、仮に霊魂というのがあったとしても、別段日本人には関係ない。
 僕が日本人としてこの世界の極東地域に生まれたのは偶然以上のなんでもないのと同じだ。という理由だけでもないが、靖国神社問題も僕にはなんとも感覚的にわからない。仮に死んだ人々の霊魂があっても、別にもう日本に留め置かなくてもよいのではないか、というような感じがする。
 ブログ10年。その年月に感慨がないわけではない。その感慨は昨年の夏、55歳になったときに先行してあった。「もう10年もブログを書いてきたことになるんだろうな」と思い、「そういえば、これだけうんざり書いてきたのに、自分のことは書いてこなかった」と思った。

cover
考える生き方
 自分語りと誤解されるかもしれないが、自分という凡庸な人間の人生観みたいなのを書いてみたい気がして、誤解されがちなメディアであるブログよりも書籍とし『考える生き方』(参照)を書いた。
 当初、自分としては、『ブログに書かなかったこと』というタイトルを想定していた。でも、それだと「ファンブック」や「年寄りが書きそうなごく個人的なこと」に取られそうだなと思って、いろいろあって今のタイトルや装幀になった。結果からするとだからといって、それほど差はなかったかもしれないけど、伝わる人にはしっかり伝わって、本にしてよかった。読んでくれた人には重ねて感謝したい。
 その裏腹というのではないけど、ブログというのは、最初から僕の意見を誤読して罵倒してくる人に耐えるメディアだろうとも思っていた。
 それはそれでもいいではないか。それでも読んでくれる人は確実にいる。その実感で今でも心が揺れる。
 「自著を」という背景にはもう一つ、そのちょっと前にcakesの連載の話もあり、そういう発表の場もよいなあと思ったことがある。実際にcakesに書いてみて、いろいろ励みになった。そもそも、自分がまともに文学論というか評論的な文章を書くとは思っていなかったのだった。これも機会があったら書籍にまとめてみたい気持ちはある。
 何が言いたいかというと、ブログというのは自由にいろんなことが書けるメディアのようでいて、実際にはそうはいかないということ。人にもよるのだろうが。
 それと、すでにたいていの有名ブロガーさんがそうであるように、コメント欄やトラックバック、さらにはツイッターやフェイスブックのコメントなどを遮断して、書きたいだけ書くという流儀もあるだろう。
 でもそれはブログなんだろうかという疑問と、そういうスタイルは、別のメディアに拠点を置く人が、一種、読者ファンサービスとしてやっているということではないだろうか。僕のようなスタンスとは違う。
 ブログをやっていて、それほど面白いメディアでもないなあと思うのは、想定される罵倒が想定通りで、ぐったりくることだ。そうわかっていたら書かなくていいじゃないか。実際、最近はそういう話はできるだけ書かないようになった。でも、要所要所でそれでも市民の声の記録としてのブログなんだから、世相の記録として書こうかと思うことはあり、書いて……ぐったりする。しかたないな。ネガティブに沈んでいてもなんだし。
 それでも、炎上メディアみたいなブログは書きたくないし、自分がどうでもいいよそれと思う話題は書かない。それゆえに読む人が減っても、いいやというのはある。
 10年間書いて、メリットがあったか。よくわからない。そんなにないと思う。
 デメリットのほうは今書いたようなうんざり感とかいろいろだ。作らなくてもいい敵をいっぱい作ってしまった後悔はある。見えないところでしこたま嫌がらせを受けたけど、その、僕を頭から罵倒してかかる人にも、それだけ怒らせる攻撃を与えたということになるのだろう。そういう反省はある。自業自得だった。
 10年はそれなりに長い月日だ。自著を書いたときでも思ったが、45歳で55歳まで生きていると、そもそも思っていなかった。自分の抱えた難病も含めそのあたりの経緯も自著に書いたとおりだが、そういう思いもどこかしら自己愛的なので書いても詮無い。
 10年前を振り返って、15歳の自分ならぬ、45歳の自分に手紙でも書くとすれば、「まあ、生きているよ、ぼちぼちだよ」くらいか。もう一つ言いたいこともあるが、それも自著のほうに書いた。
 ブログを書いて考えが変わったことはというと、冒頭触れたように、終戦記念日とかの考え方は変わった。以前はもっと人権や人道主義に関心を持って書いたものだった。日本で報道されない国際ニュースとかも話題にした。現在は、そうした問題に関心をもってもそれほどは書かなくなった。ぼそぼそとツイッターでつぶやくくらい。
 ダルフール危機もずっと見つめているし、エジプト危機も概ね自分が想定したような残念な結果にもなった。東北大震災や原発事故も自分なりに書いた。
 年月を経て振り返ってみると、いろいろ自分が見てきた世界は大きく外してなかったように思うが、それをもって誇りたい気持ちもない。人によっては僕は間違い続けたというのかもしれない。僕は、人ってよく奇妙な誤読をするものだなと思うが、その人にとっては「誤読」でもない。そんなものだ。
 ブログをきっかけに世界を見てきたが、その視点は変わってきた。当初このブログは、日本の大手紙の社説批判みたいのから始めたが、しだいに日本の言論というのに関心が薄れてきた。
 日本の言論というのに、最初は違和感があり、そこからなぜこうも世界の視点と日本は違うのだろうと苛立ちがあった。今では率直に言って、日本の言論がなんであれ、メディアがどう言っていても、さほど関心はない。
 彼ら、と突き放していうのではないが、彼らは僕とは違った世界を見ているのだし、それもまた彼らの自由だろう。僕に差し迫る被害を与えないなら、みなさん勝手にすればいいじゃないか。むしろ、そういう人を苛立たせるようなことを不用意に書くと、とばっちりでめんどくさい。
 こんなこと書いていると「なんか歳を取ったなあ、自分」とも思うが、反面、自著を書いてからだが、そのせいというのでもないけど、ちょっと奇妙に復活というのか、いろいろ若返りしているような感じもしている。
 それこそ年寄りの錯覚だというのもあるかもしれないけど、感性も以前より鋭敏になったような部分はある。二か月前から始めた筋トレのせいか、タニタの計測器で体内年齢が安定的に40歳くらいは出るようになった。実際、40歳前の体型になってきて、「おお、懐かしいぞこの身体」とかちょっと思う(きもくてすまん)。30代の時の身体を取り戻したいとまでは思わないが、きちんと続けていくと、そうなるかもしれない。これで60歳まで生きていたら、『考える生き方その2』でも書きたいものだが、いやそれは無理。
 ブログのせいではないけど、ブログを書いている自分はなんだかわからないけど、変わった。それに比べると、自然に変わった部分はあるにせよブログのほうはそれほど変わらない。ブログの中の僕は成長もしない。愚かなまま。
 だから、つまらないブログをもう少し、相も変わらず書いていると思う。
 サンキュー!
 
 

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2013.08.10

[書評]筋力トレーニング法100年史(窪田登)

 世の中には変な本というのがある。いや、変というのは主観にすぎないが、なんなんだろうこれ、と思わせるような本がある。なんだろうこれ、というのは、目的はわかるし、価値もわからないではないし、なにより面白いんだよこれ、という本である。『筋力トレーニング法100年史(窪田登)』(参照)はまさにそういう印象の本である。

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筋力トレーニング法100年史
 内容は表題によく表れている。筋力トレーニング法の100年史である。この一世紀の間に出現した各種の筋力トレーニング法の歴史である。
 で?とここで思う。それになんの意味があるのだろうか? ごく簡単に言えば、半世紀以上昔の筋力トレーニング法から現在学ぶことがあるのかというと、まあ、ほとんどないと言ってよい。正統医学がかつて瀉血療法を中心にしていたからといって、現在そこから学ぶべきことは何もないと言ってよいのと同じだ。ではなにゆえ?
 その前にこう考えるべきなのだ。なぜ、筋力トレーニングをするのか? 自明のようでいて意外と難しい。というのは、どうやらそもそも筋力トレーニングが発生したのは、この一世紀間の出来事だったからだ。それ以前に筋力トレーニングはなかったのかというと、定義にもよるのだが、どうもなかったようだ。
 もちろん、日本のお侍さんでも、欧州の騎士でも、身体を鍛えるということはしていだろうし、古代ギリシアのオリンピックのレスリングの選手も身体を鍛えるということはしていただろう。だがそれを筋力トレーニングという組織だった自己身体変容のシステムとしてまとめられたのはこの100年のことらしい。というあたりで、ああ、これはミシェル・フコーのいう「自己への配慮」の特殊な形態ではないかと察しがつく。
 実際に本書を読んでいくと、100年前の筋力トレーニングの起源は、いわば力持ちの見世物に起源の一端がある。そのあたりで、ああ「見世物か」と思う。
 そう思うのは、自然科学、つまりざっくばらんに言えば進化論というものも、実際的には、歴史的に見ると、博物学の見世物として民衆に意識されていたものだった。どさ回りの見世物小屋なのである。
 何かが「見世物」になるという文化、それが貨幣を得る手段としてどさ回りされる文化というのが、どうもこの一世紀間の世界文化のけっこう隠れた特質でもあるようだ。
 本書を読みながら、筋力トレーニングの起源に関連して見ていくと、なんだろこれと気づかされることがある。なかでも実質近代筋力トレーニングの基礎を築いたユージン・サンドウ(Eugen Sandow, 1867-1925)が興味深い。哲学者のカントと同じ、プロイセン王国のケーニヒスベルク(現在のロシア連邦カリーニングラード)で生まれた彼は、欧州を見世物どさ回りをして、1893年に米国に入り、そこで肉体を白粉で包んでギリシア彫刻のような身体を見せるのだが、ここでこの時代の古代意識の倒錯感がじんわり伝わってくる。
 さらに彼はその筋力トレーニングの手法というか秘法を書籍にして金を儲け、筋力トレーニングマシンの販売なども手がける。筋力トレーニングというがそもそも発端からマスメディアと関連していたのである。
 というか、そもそも筋力トレーニングというのは、そうした大衆への書籍を介した文化だったのだ。興味深いことにこれは明治大正期の日本にも書籍を通して影響を与えている。
 本書はサンドウのような筋力トレーニングの揺籃期から、太平洋戦争の時期を別の歴史区分として扱っている。おそらくこの時代の筋力トレーニングは軍との関わりがあると見られるが、本書からは明確にはわからない。
 筋力トレーニングが科学的な様相を示すのは、1950年代以降らしい。プロテン摂取なども同時並行したようだ。こうした戦後の筋力トレーニングについて記述は詳しく、著者もこの時代に深く関わっていて経験的な言及も見られる。そもそもこの本は、1984年に雑誌連載され1986年に刊行されたのを2007年に加筆復刻したもののようだ。とはいえ、その歴史的な意味についても本書からはわかりづらい。
 個人的には、この本を探して読んだのは、ブルワーカーなどの背景となるアイソメトリックスの歴史とその効果について知りたかったからだ。実際に読んでみると類書以上に書かれていた。1961年から1968年がそのブームの頂点であったようだ。ちょうどそのころブルワーカーが開発されている。
 その後、アイソメトリックスが衰退していく理由は明確ではない。心肺機能向上には結びつかないことや、コンストラクションやエクストラクションでないとトレーニングできない筋力があることなどから下火になっていったようだ。またアイソメトリックスについては、静止の位置を変えることで筋肉に多様な刺激が与えられるらしい。なるほどねと思った。
 スロートレーニングにポイントを変えたアイソメトリックスを導入しても効果はありそうな印象はもった。実際にそうするかどうかは別としても。
 
 

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2013.08.07

消費税増税と税の楔(tax wedge)について

 欧米では各所からの報道でもわかるように、日本のアベノミクスの成功に期待が寄せられている反面、ふくれあがった日本の財政赤字の対応と関連して消費税増税の是非が議論されている。
 原則的には、デフレが十分に解消されていない現状では、浜田宏一内閣官房参与が示唆するように、今回の消費税率8%への引き上げに対しては「極めて慎重に判断すべきだ」と考えるのが妥当だろう。現時点で消費税増税を行うと景気に水を差すことになり、法人税や所得税が大幅に減少し、ひいては日本経済再生が失敗に終わりかねない。
 しかし国際的にそうした声が主流というわけではない。なかでもこの問題を扱ったフィナンシャルタイムズ社説「安倍政権の消費税増税の難問(Consumption tax conundrum for Abe)」(参照)では、現状の日本の経済成長率の低さを考えるとその判断は難しいとしながらも、全体としては消費税増税を支持していている("Raising the consumption tax is also better than many of the alternatives. ")。
 とはいえその場合でも、「税の楔(tax wedge)」を例として、成長戦略を明瞭にせよとしている("But these should involve more growth-friendly fiscal measures, such as cutting the tax wedge on labour. ")。
 意図だけを簡単に受け取れば、消費税は比較的に貧困層にとって負担の大きい税だから、その層に向けて減税となる政策を強く打ち出せということだ。「税の楔」例示の含みを考慮すると、雇用側よりも、低所得層、なかでも子育て所帯に向けてもっと大胆な減税をせよと受け取ってもよいだろう。
 特段に目新しい主張でもないが、一例としてあげられている「税の楔(tax wedge)」の議論が日本ではあまり話題になっていないように見えるが、どうだろうか。そもそも日本の場合、「税の楔(tax wedge)」が少ないと見られるからだろうか。
 
 それはそれとして、この議論の前提となるその「税の楔(tax wedge)」についてだが、ざっと見た範囲であるが、日本語のウィキペディアに項目がなかった。なくてもいいといえばいいのだが、難しい概念というわけでもないし、なぜこれが「楔」と呼ばれるかについては、グラフがあると「楔」の形が可視になってわかりやすいので、簡単に英語の項目(参照)を試訳した。ただし、これはあまりいい説明でもなさそうだし、また試訳も用語を含めて自信がないので、経済学に詳しいかたが日本語の項目を作成するというきっかけにでもなれば、と願う。

税の楔

The tax wedge is the deviation from equilibrium price/quantity as a result of a taxation, which results in consumers paying more, and suppliers receiving less.[1]

税の楔は、供給量に対する価格の均衡からの差である。これは、消費者の支払いが多く、供給者の受け取りが少ない状況から生じる。

Following from the Law of Supply and Demand, as the price to consumers increases, and the price suppliers receive decreases, the quantity each wishes to trade will decrease.

消費者への価格増大と供給者の受け取り減少につれ、需要と供給の法則に従い、取引を望むそれぞれの量は減少することになる。

After a tax is introduced, a new equilibrium is reached where consumers pay more (P* → Pc), suppliers receive less (P* → Ps), and the quantity exchanged falls (Q* → Qt). The difference between Pc and Ps will be equivalent to the value of the tax.

税導入後、新しい均衡が、消費側の支払いは(P* → Pc)のように増加し、供給側の受け取りは(P* → Ps)のように減少し、また取引量は (Q* → Qt)のように落ちる。このPcとPsの差が税負担に等しくなる。

While both consumers and suppliers pay some portion of the tax, the distribution depends on the structure of the demand and supply curves, respectively. As long-run supply curves tend to flatten over time, consumers tend to pay an increasingly larger portion of the tax.

消費者と供給者の双方が税金分けて支払うなら、分配はそれぞれ需要供給曲線が示す通りになる。長期的には供給曲線はしだいに平坦化する傾向があるので、消費者が税負担の分が増える傾向がある。

Europe's comparatively high tax burden has created big marginal effects and tax wedges. For example a 2007 report calculated the amount going to the service worker's wallet is approximately 10% in Belgium, 15% in Sweden, 30% in Ireland and the UK, compared to 50% in the United States.[2]

欧州の比較的高い税は限界効果と税の楔を形成してきた。例えば2007年の報告書によれば、サービス労働者の財布に行く量が、ベルギーで10%、スウェーデンで15%、アイルランドと英国で30%、これに対して、米国では50%であった。

 少し関連の余談。
 OECDは例年「税の楔」に関心を持ち、その名も「Taxing Wages」という年報を出している。少し古くなるが2011年の話題に日本語の解説があるので、一部引用しよう(参照)。


OECDの年報「Taxing Wages」によると、OECD34カ国中22カ国で税負担が増えています。オランダ、スペイン、アイスランドの上昇率が高く、デンマーク、ギリシャ、ドイツ、ハンガリーは逆に下落幅が最大でした。

賃金への課税(雇用者および被雇用者の社会保障費を含む)は、企業の雇用判断および個人の労働インセンティブにかかわる重要な要因です。財政を再建し、経済成長を促すための取り組みの一環として、各国政府は、直接税から間接税へのシフト(不動産に対する経常税の増加など)のほか、個人所得税率や社会保障費を上げるのではなく、租税支出をなくして付加価値税や個人所得税の基盤を拡大することを考えなければなりません。

Taxing Wagesでは、OECD各国の給与所得課税の状況、ならびに世帯構成や所得水準による税負担の違いを詳しく分析し、雇用者にとっての総雇用コストと被雇用者の手取り賃金(児童手当など一般的な世帯手当を含む)との差を算出しています。この「税のくさび」は、被雇用者および雇用者が支払った税金の総額(現金給付控除後)を雇用者の総人件費で割って求めます。


 ここでは「税の楔」を簡素に「被雇用者および雇用者が支払った税金の総額(現金給付控除後)を雇用者の総人件費で割って求めます」としている。
 基調としては、間接税を
 2011年では各国の動向を次のように指摘している。

  • 夫か妻のどちらか一方が働き、子どもが2人いる平均的所得の世帯の場合、課税率が最も高い国はフランス、ベルギー、イタリアで、税のくさびはフランスが42.1%、ベルギーが39.6%、イタリアが37.2%であった。(表1参照)
  • 一方、同じ条件で税のくさびが最も低かったのはニュージーランド(-1.1%)で、以下、チリ(6.2%)、スイス(8.3%)、ルクセンブルク(11.2%)と続く。OECD平均は24.8%。
  • 子どもがいない平均的所得の独身労働者に対する税のくさびが高いのはベルギー(55.4%)、フランス(49.3%)、ドイツ(49.1%)であるが、ドイツでは2010年に税のくさびが2ポイント近く低下した。(表2参照)
  • 一方、同じ条件でのチリ、メキシコの税のくさびはそれぞれ7%、15.5%にすぎず、ニュージーランドは16.9%、韓国は19.8%であった。OECD平均は34.9%。

 昨年の状況は、日本と他国を比較する図示が「Tax policy analysis - Organisation for Economic Co-operation and Development」(参照)にある。
 OECDによる昨年の日本の「税の楔」の平均は、31.2%で、OECD国平均の35.6%よりは低いが、従来低いと見られていた状況に比べると、ぐっと欧州なみに近づいている。
 ほか、OECDの項目からわかるように、「税の楔」で考慮されているのは、各国の子供のある労働者の条件での差である。全体としての印象では、二人の子供がある親についての課税を下げるような政策が求められるように見えるが、これは逆に言えば、相対的にではあるが、独身労働者への実質的な課税を強化せよということになるだろう。
 
 

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2013.08.04

「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言について

 もうだいぶ下火になっていると思うが、「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言が話題になっていた。この話題については言及しないでおこうと思っていた。各論者が持説を決めてから議論していて、かつ攻撃的な雰囲気が濃いように思えたからである。しかし、事実がある程度わかってきたので、事実と常識的にわかる部分だけからは、ブログで指摘しておくのもよいだろう。


1 麻生発言は聴衆は反語として理解していた
 もう6年近く前になる。作家の森博嗣氏が2007年11月19日のブログで「【国語】 反語が通じない」(参照・現在はリンク切れ)というエントリーを書いて、ネットで話題になっていたことがある。


 反語という表現法があるが、最近の若者に通じないことがあって困る。
 反語とは、強調するために、意味を反対にして(通常は肯定と否定をひっくり返して)、多くは疑問形にした表現のこと。たとえば、「とても不味い!」という代わりに、「これが美味しいのか?」とか、「誰が美味しいと言うだろう」といったふうに言う。あるいは、単なる皮肉を反語という場合もある。たとえば、遅刻してきた人に、「早いね」と言ったりする。

 当時これを読んで「そうだなあ、現代だとそういう傾向があるかもしれない」と私も共感したものだった。
 なぜ反語が通じなくなったかについて、森氏は面白いことを言う。

 ようするに、通常の会話にはもうほとんど登場しない言い回しなのだろう。少なくとも、その人の周囲ではそんな言い方をする人間がいない。本を読まずに育つと、そうなる。そういう人が、「一度くらい、本でも読んでみようか」と読み始めると、書いてあることが全然わからない。つまり、「読めない本」がとても多い。

 なぜ反語が通じないのか。それは本を読まずに育ったからだ、しかしではそういう人は本を読めばいいのではない、でも、読んでも理解できない。
 笑った。
 この段落自体が反語表現なのである。
 反語表現はこのように人に笑いを誘う。ジョークにも使われる。
 しかし、言葉によって生きている人々にとっては反語的なジョークで済まされるわけにもいかない。

 さて、これを、「困ったものだ」で済ませてしまうのか、それとも、そのレベルに合わせてコミュニケーションが取れるものを書くのか、は自由だと思うし、作家はある程度、この選択をしなければならないだろう。

 ここは反語表現と取るべきかは悩むところだ。正直な述懐だろう。
 反語表現というのは、修辞として見ると、難しい部類に入る。
 反語表現を読み解くには、森氏は読書という教養の背景を挙げていたが、ほかにも鍵はある。
 まず、慣用的な反語表現が思いつく。英語の"Who cares?"という慣例句のように、「誰が気にする?」と言う場合、字義通り誰かを問うのではない(「気にする人はいないよ」「気にするなよ」という意味)。まさに慣例句だからだ。
 文脈からも反語がわかる。
 この「文脈」という言葉だが、英語の「コンテクスト」に含みがあるように、例えば、談話なら、聴衆の笑いの反応があれば、「ああ、あの笑いは、あの発言を反語表現で受け止めているのだ」とわかるものだ。
 このところ話題になっていた、「ナチス憲法」を引き合いにした麻生太郎副総理発言、「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と報道された発言についても、その聴衆がどう受け止めていたか、ということがわかれば、少なくともそのコンテクストでは反語であったかどうかがことがわかるはずだ。
 そこでできたら書き起こしではなく、聴衆の声を含めた録音を聞きたいと思っていた。
 幸いユーチューブに上がっていた共同ニュース「改憲でナチス引き合い 麻生氏「誤解招いた」」(参照・現在リンク切れ)で確認できた。その後、この音声は削除された。現状コピーされた音声も挙げられている(参照)。
 その音声で確認すると、「あの手口学んだらどうかね」のあと聴衆が大爆笑している反応が聞き取れる。
 つまり、この表現を聴衆は反語表現として受け止めていたことがわかる。
 そうであれば、反語表現という修辞を解けば、"Who cares?"が「誰も知らない」と解されるように、「あの手口を学ぶのはやめなさい」と理解できる。
 麻生氏の発言が、聴衆にとっては反語表現として理解されたが、この部分だけを書き起こして伝えれば、森氏が懸念したように、反語が通じないという自体になっても不思議ではない。
 ここで重要なのは、反語として理解される聴衆およびその会合の特質である。
 森氏が作家として反語を使うか考慮するようになったのは、彼の言葉が本という媒体で届く範囲を想定しているからだ。反語表現は、その聴衆が反語と理解される範囲でしか使えないと言ってもよい。
 麻生氏の今回の発言でいえば、その聴衆と会合では反語表現して理解されたが、その部分だけを新聞や報道の書き言葉で抜き出せば、そのコンテクストは失われ、反語表現と解さない人もでてくるのは当然の成り行きである。この点をどう考えたらよいか。
 この点については、そもそも麻生氏がこの会合の発言を、反語表現が届かないかもしれない聴衆まで意識していたかにかかっている。
 朝日新聞の報道では、この会合は「東京都内で開かれたシンポジウム」とあるが、具体的には「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)が7月29日、東京・平河町の都市センターホテル・コスモスホールで開催した「日本再建への道」と題題する月例会であったようだ(参照)。
 同サイトの説明を読むと「政治家、メディア関係者をはじめ会員、一般参加者など合わせ540人が詰めかけた」とある。なので、麻生氏としては反語表現はそれを理解しえない人々まで届くと想定すべきだだった。その意味では、反語表現が理解されない事態については、麻生氏は責任を持つべきであり、それが後に「誤解招いた」として麻生氏自身が公式に述べたのも当然である(参照)。


2 全文や全録音はいまだに公開されていないのではないか
 麻生氏発言の報道が話題になるにつれ、実際にはどのような発言をしたかが問われ、その問いに嵌るような報道も出て来た。だが、これが問題をかえってこじらせている。
 なかでも朝日新聞の「麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細」(参照)については、2点考慮するべきことがある。
 1点目は、この「詳細」だが、公開されている録音と比較すると、朝日新聞による詳細であって「書き起こし」ではないことだ。
 朝日新聞は該当個所はこう報道されている。


 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 録音から書き起こしてみよう。

 僕はあの4月の28日、忘れもしません4月の28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だらって言って、月曜日だったから靖国神社に連れて行かれましたよ。それが、初めて私が靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、まあ、けっこう歳食ってからも毎年一回、必ず行っていると思いますけれども、そういったようなもんでいったときに、わーわーわーわー騒ぎになったのは、いつからですか、これは。(聴衆笑いなし)
 昔はみんな静かに行っておられましたよ。各総理も行っておられたんですよ、こりゃ。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。(聴衆拍手)だから、そ、いつのときから、騒ぎになった?と私は、騒がれたら、中国も騒ぐことにならざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうやというんで、憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法にいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。(数秒間を矯める)だれも気づかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。(聴衆大爆笑)
 もうちょっとわーわーわーわー騒がねえで。本当に、みんないい憲法と、みんな言って納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりまったくありませんし、しかし、私どもはこういったことは重ねて言いますが、喧噪のなかで決めてほしくない。それだけは是非お願いしたいと。

 朝日新聞の「詳細」と実書き起こしと、麻生氏のべらんめー口調しか違いがないようだが、実際に書き起こしてみると、問題とされた部分に奇妙だが重要な違いがあることがわかる。

朝日新聞
だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。


書き起こし
だから静かにやろうやというんで、憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法にいつのまにか変わってて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。(数秒間を矯める)だれも気づかないで変わったんだ。あの手口学んだらどうかね。(聴衆大爆笑)

 聴衆の反応はあえて取り上げないとしても、朝日新聞詳細では、「ワイマール憲法は」と「は」として主題提示されているが、実発言では、「ワイマール憲法も」と、「も」で例示されているに留めている。つまり、この実際の麻生氏発言の文脈では「憲法」は例示に扱われている。主題提示ではない。
 また、実発言にある「さっき話しましたけれども」の文言が朝日新聞詳細では削除されている。
 「は」か「も」の差違はそれほど大きな差違ではないとも言えるが、この削除はなぜだろうか。意図的だろうか。朝日新聞詳細にはその参照個所が含まれているようにも見えるのに、なぜ削除されたのだろうか。
 ここで奇妙なことに気がつく。朝日新聞詳細は特定の視点から見た「詳細」であって全文ではないことだ。どうも前方部分が欠損しているようだ。あたかも、日本国憲法10条以降をもって平和憲法を論じるような形になっているようだ。探ってみたい。
 まず詳細の全文はこうである。

麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細
 麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。
ナチスの憲法改正「手口学んだら」麻生氏発言に関する記事はこちら
 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、どう運営していくかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、その人たちがもっている見識であったり、矜持(きょうじ)であったり、そうしたものが最終的に決めていく。
 私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。ここが一番問題なんです。私らから言ったら。なんとなくいい思いをした世代。バブルの時代でいい思いをした世代が、ところが、今の20代、30代は、バブルでいい思いなんて一つもしていないですから。記憶あるときから就職難。記憶のあるときから不況ですよ。
 この人たちの方が、よほどしゃべっていて現実的。50代、60代、一番頼りないと思う。しゃべっていて。おれたちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構しゃべる。しかし、そうじゃない。
 しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。
 そのときに喧々諤々(けんけんがくがく)、やりあった。30人いようと、40人いようと、極めて静かに対応してきた。自民党の部会で怒鳴りあいもなく。『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。偉い人が『ちょっと待て』と。『しかし、君ね』と、偉かったというべきか、元大臣が、30代の若い当選2回ぐらいの若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを聞けるところが、自民党のすごいところだなと。何回か参加してそう思いました。
 ぜひ、そういう中で作られた。ぜひ、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、わーっとなったときの中でやってほしくない。
 靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
 何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
 僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
 昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 ところがこの麻生講演について別途次のような要旨を朝日新聞は公開している(参照)。詳細で欠損され要旨で見える部分を強調しておく。それ以外が後で「詳細」として取り出されたわけである。

麻生副総理の憲法改正めぐる発言要旨
 麻生副総理の憲法改正関連の発言要旨は次の通り。
 麻生氏発言に関する記事はこちら
 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。
 ヒトラーは民主主義によって、議会で多数を握って出てきた。いかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違う。ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだ。ワイマール憲法という当時欧州で最も進んだ憲法下にヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくてもそういうことはありうる。
 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧騒(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 麻生講演の全文と理解されがちな「詳細」には、次の部分の要旨に相当する前の部分が存在したことがわかる。

 護憲と叫んでいれば平和が来ると思っているのは大間違いだし、改憲できても『世の中すべて円満に』と、全然違う。改憲は単なる手段だ。目的は国家の安全と安寧と国土、我々の生命、財産の保全、国家の誇り。狂騒、狂乱のなかで決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、この状況をよく見てください、という世論の上に憲法改正は成し遂げるべきだ。そうしないと間違ったものになりかねない。

 この部分に関連した報道は、講演当日の朝日新聞報道で見つかる(参照)。

「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理
■麻生太郎副総理
 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。(東京都内で開かれたシンポジウムで)

 朝日新聞としては、当初、麻生講演をこのように報道して、後に共同報道から「ナチス憲法」が着目されるようになってのち、「麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り」として、その部分を取り出して「詳細」という報道をしたことが理解できる。


3 麻生氏講演の論旨は意外に明確。現状での改憲を望んでいない
 以上の考察から、麻生講演の全体像はまだ報道されていないように思える。
 加えて、その「詳細」に見られる前方部の欠損のために、問題とされる部分ついて、麻生講演の冒頭にまとめた論旨の文脈が見失われることにもなった。
 そこであえて、現状わかる部分の冒頭論旨と、問題箇所を簡素に要旨(書き起こし補正を加え)として繋げてみよう。こうなる。


 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。
 今回の憲法の話も狂騒のなかでやってほしくない。靖国神社も静かに参拝すべきだ。お国のために命を投げ出してくれた人に敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。いつからか騒ぎになった。騒がれたら中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから静かにやろうや、と。憲法もある日気づいたら、さっき話しましたけれども、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。(聴衆、反語表現に大爆笑) わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、私どもは重ねていいますが、喧騒(けんそう)のなかで決めてほしくない。

 こうしてみると麻生氏講演の骨格が明確になる。
 まず、麻生氏は現状での改憲を望んでいない。
 それ以前に「仮に改憲できたとしても」として、改憲に懐疑的である。
 ある意味奇妙とも言えるのだが、麻生氏は「国家基本問題研究所(櫻井よしこ理事長)」という改憲派と見られる人々を前にして、現状での改憲は望ましくないと述べているのである。
 現状の改憲が好ましくない理由は、ヒトラーがワイマール憲法下で全権委任法を通し独裁を招くような事態が懸念されるからだ。そもそも麻生氏は「国家の安全や国家の安寧」が重要で「改憲は単なる手段」としている。
 ゆえに、喧噪の中で改憲を議論するのではなく、「国家の安全や国家の安寧」を国民が静かに議論ができるようになったら、その達成の手段として改憲を行うべきだと麻生氏は主張し、その際の陥穽として、反語表現として「あの手口をまなんだらどうか(その手口を学んではいけない・喧噪がないからと言って独裁はまずいでしょ)」としているわけである。


 しかし、なぜ麻生氏はこのような臆病な改憲論をもっているのだろうか。
 ここからは私の推測だが、日本国憲法はかなり改正が難しい硬性憲法であり、その硬性の意味を麻生氏が生涯問い続け、そこで2つの障壁を認識していたからだろう。一つは国民の喧噪という熱狂なかで改憲は行ってはいけないこと、二つ目は、しかし静かといっても民主主義を否定するわけにはいかないから、国民を誘導するような独裁性政権を導く手口は危険だ、ということだ。
 いずれにしても今回の口禍は麻生氏が、きちんとしたスピーチライターをもっていたら回避できたことだろうし、麻生氏の「失言」は記者が狙ってもいたのだろう。こうした事態を麻生氏が繰り返す点については、政治家としての資質に問題があると見なされてもしかたがないだろう。
 
 

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