[書評]筋力トレーニング法100年史(窪田登)
世の中には変な本というのがある。いや、変というのは主観にすぎないが、なんなんだろうこれ、と思わせるような本がある。なんだろうこれ、というのは、目的はわかるし、価値もわからないではないし、なにより面白いんだよこれ、という本である。『筋力トレーニング法100年史(窪田登)』(参照)はまさにそういう印象の本である。
筋力トレーニング法100年史 |
で?とここで思う。それになんの意味があるのだろうか? ごく簡単に言えば、半世紀以上昔の筋力トレーニング法から現在学ぶことがあるのかというと、まあ、ほとんどないと言ってよい。正統医学がかつて瀉血療法を中心にしていたからといって、現在そこから学ぶべきことは何もないと言ってよいのと同じだ。ではなにゆえ?
その前にこう考えるべきなのだ。なぜ、筋力トレーニングをするのか? 自明のようでいて意外と難しい。というのは、どうやらそもそも筋力トレーニングが発生したのは、この一世紀間の出来事だったからだ。それ以前に筋力トレーニングはなかったのかというと、定義にもよるのだが、どうもなかったようだ。
もちろん、日本のお侍さんでも、欧州の騎士でも、身体を鍛えるということはしていだろうし、古代ギリシアのオリンピックのレスリングの選手も身体を鍛えるということはしていただろう。だがそれを筋力トレーニングという組織だった自己身体変容のシステムとしてまとめられたのはこの100年のことらしい。というあたりで、ああ、これはミシェル・フコーのいう「自己への配慮」の特殊な形態ではないかと察しがつく。
実際に本書を読んでいくと、100年前の筋力トレーニングの起源は、いわば力持ちの見世物に起源の一端がある。そのあたりで、ああ「見世物か」と思う。
そう思うのは、自然科学、つまりざっくばらんに言えば進化論というものも、実際的には、歴史的に見ると、博物学の見世物として民衆に意識されていたものだった。どさ回りの見世物小屋なのである。
何かが「見世物」になるという文化、それが貨幣を得る手段としてどさ回りされる文化というのが、どうもこの一世紀間の世界文化のけっこう隠れた特質でもあるようだ。
本書を読みながら、筋力トレーニングの起源に関連して見ていくと、なんだろこれと気づかされることがある。なかでも実質近代筋力トレーニングの基礎を築いたユージン・サンドウ(Eugen Sandow, 1867-1925)が興味深い。哲学者のカントと同じ、プロイセン王国のケーニヒスベルク(現在のロシア連邦カリーニングラード)で生まれた彼は、欧州を見世物どさ回りをして、1893年に米国に入り、そこで肉体を白粉で包んでギリシア彫刻のような身体を見せるのだが、ここでこの時代の古代意識の倒錯感がじんわり伝わってくる。
さらに彼はその筋力トレーニングの手法というか秘法を書籍にして金を儲け、筋力トレーニングマシンの販売なども手がける。筋力トレーニングというがそもそも発端からマスメディアと関連していたのである。
というか、そもそも筋力トレーニングというのは、そうした大衆への書籍を介した文化だったのだ。興味深いことにこれは明治大正期の日本にも書籍を通して影響を与えている。
本書はサンドウのような筋力トレーニングの揺籃期から、太平洋戦争の時期を別の歴史区分として扱っている。おそらくこの時代の筋力トレーニングは軍との関わりがあると見られるが、本書からは明確にはわからない。
筋力トレーニングが科学的な様相を示すのは、1950年代以降らしい。プロテン摂取なども同時並行したようだ。こうした戦後の筋力トレーニングについて記述は詳しく、著者もこの時代に深く関わっていて経験的な言及も見られる。そもそもこの本は、1984年に雑誌連載され1986年に刊行されたのを2007年に加筆復刻したもののようだ。とはいえ、その歴史的な意味についても本書からはわかりづらい。
個人的には、この本を探して読んだのは、ブルワーカーなどの背景となるアイソメトリックスの歴史とその効果について知りたかったからだ。実際に読んでみると類書以上に書かれていた。1961年から1968年がそのブームの頂点であったようだ。ちょうどそのころブルワーカーが開発されている。
その後、アイソメトリックスが衰退していく理由は明確ではない。心肺機能向上には結びつかないことや、コンストラクションやエクストラクションでないとトレーニングできない筋力があることなどから下火になっていったようだ。またアイソメトリックスについては、静止の位置を変えることで筋肉に多様な刺激が与えられるらしい。なるほどねと思った。
スロートレーニングにポイントを変えたアイソメトリックスを導入しても効果はありそうな印象はもった。実際にそうするかどうかは別としても。
| 固定リンク
「書籍」カテゴリの記事
- 『ツァラトゥストラはかく語りき』の思い出(2018.03.21)
- [書評] コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生 (岡本和明・辻堂真理)(2017.12.12)
- [書評] 東芝解体 電機メーカーが消える日(大西康之)(2017.06.18)
- [書評] 学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで(岡田麿里)(2017.04.15)
- [書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子)(2015.09.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いつも興味深く拝読しています。さて、本論とは関係ない事なので、どうでもいいと云われればいいのですが、瀉血療法は今でも、ある種の肝疾患に有効性が証明されています。あまりに安価で改善するので、日本ではあまり普及していませんが、東南アジアの国々ではありがたがられているようです。以上、ご報告まで。
投稿: たぬき53 | 2013.08.12 20:27
噛む力がないと、筋肉はつきにくいのでないかと、思ってる最中。病気ではない範囲で「噛み合わせ」の悪い人の方が多くて、ほんの一部の良い人たちが豊かな筋肉をもち、プロスポーツ選手になれるんじゃないかしら。
歯全体となると、とても難しい問題だけど、一番奥の奥歯と親知らずが大きすぎると、よく噛めないし、片方だけが大きいと悲惨って感じなんじゃないかしら。
ま、無難なのは、マウスピースして運動して、マウスピースして寝れば、案外、年をとっていても筋肉はつくんじゃないかしら。あと、歯の方の老化は、一番奥の歯は全体的にみれば、あまり使っていないから、そのままの大きさで、前の方が磨り減って、噛めてるような噛めてないようになって、体全体の老化になるんではないかしらね。
投稿: | 2013.08.17 15:49