[書評]開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)
どれが吉本隆明の最後の著作かと判じるのは案外難しい。が、その最後の様子が極めて明瞭にわかるという点では、『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)に優る書籍はないだろう。
開店休業 |
本書は、中高年向けグルメ雑誌と呼んでもよいだろう『Dancyu(だんちゅう)』の2007年1月号から2011年2月号に吉本隆明が40回連載した食についてのエッセイをまとめ、その40編それぞれに同等程度の長さの、ハルノ宵子によるエッセイを、彼の死後に追悼的に加えたものだ。
連載の始まりが2006年の年末。彼が82歳といったところだ。最初の数編からは、老いてはいるもののまだ健全といってよい吉本の口調・文体が見られる。と同時に、それは吉本の著作を読み続けてきたファンにとってはそれほど目新しい話でもない。率直にいえば、80歳を越えてなお、文章量に見合った文章を見事に書き上げる売文家魂が感じられるが、それ以上のものはそれほどはない。
吉本隆明が亡くなったのは2012年3月。おそらくこの連載を終えて1年ほどしての死であった。問題は、いや問題と言ってよいのかわからないのだが、28回目の「陸ひぢき回想」あたりから、奇妙な認識の歪みが始まり、微妙に文体に影響を与えるようになることだ。端的に言えば、惚けが文章に含まれ始まる。ハルノもその次の回のエッセイで「思えばこのころから、父の記憶の混同や迷妄は始まっていたのだと思う」とある。そして最終に向かうにつれ、しだいに文章は壊れていく。怖いものを読んでしまったなあという感じもする。
それでいいのだ。そこが本書の独自の価値でもある。
そこをハルノが上手にすくい上げ、彼女による白眉ともいえる結語「氷の入った水」という文章に至る。人が神人になる姿とでもいうのだろうか、それが生きた伝説のように描かれている。
本書は結果として、吉本隆明という人が、娘・ハルノとの結果的な掛け合いのなかで、「父」の相貌を示し、それが「死」に、これも結果的にだが、収斂していく姿を描いている。そこに本書の独自の美でもあるが、これに加え、ハルノは「父」の「男」としての姿を、「母」・和子の思い出で示しているところが、もう無類に面白い。対幻想というもの、ある意味「戦場」が如実に描かれている。しかも、「食」という生物的な行為に近いところで描かれているのである。
こう言ってもいいのかもしれない、吉本隆明という変な男と吉本和子という変な女が、ここにいる。「変な」というのは、隆明が食についての売文家らしいそつのない文章をまとめている実態の男の奇妙な偏食と、和子という食を拒絶した生涯喫煙家だった女がいるのだ。活き活きと娘の視線のなかでそれが映し出される。
白菜ロース鍋に寄せて、こう書かれている。「はらわた煮えまくり」は和子のことである。
でも今となっては、そんなことはどうでもいい。母は料理を食べることも作ることも、まったく愛せなかった。それだけが事実だ。きっと私にとっての、完璧な書類を書くとか、美しく印鑑を押すとか、一円の間違いもなく帳簿を記す……とかに匹敵する位、絶望的にムリな行為だったのだと思う。
それでも母は、彼女なりに頑張ってくれていた。そこに「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家吉本」的、分かりやすい構図が、買い物カゴをぶら下げた姿で周知となってしまったことが、”はらわた煮えまくり”ポイントだったのだろう。
彼女は生涯、喫煙を続けていた。
母は筋金入りの”デカダン”で、結核で片肺だったにも係わらず、タバコを手放さなかった。医者に「呼吸困難で苦しんで死にますよ~」と脅されても、「そうねぇ―」と聞き流していた。そして亡くなる前夜まで、いつも通り酒もタバコもやっていた。
和子は結局、隆明を追うように半年ほどして死んだ。ばななの言葉では、ふだん通りに寝て朝見たら死んでいたらしい。苦しみはなかったのだろう。
吉本隆明は「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家」というより、対幻想という戦場に最後まで立ち尽くした戦士だった。究極の逆説的なマッチョといってもいいだろう。これが夫という男であり、父という男の姿であった。
私は他者に憧れをもたない。自分の他者からの隔絶感が強いからだ。尊敬しても、他人は他人である。吉本隆明も、冷静に考えれば自分とは随分違う人だと思う。が、その死の姿には、密かに絶望的に、憧れを持つ。
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