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2013.06.22

仏教徒による人権侵害とレイシズム

 人権問題を考えるとき気を付けることは、人権とは普遍的なものだということだ。陰画的にいうなら、ナショナリズムの枠組みのなかで人権が問われているときには、人権を希求するかに見えて、巧妙に転倒されたナショナリズムに陥ってしまう危険性に注意を払うべきだろう。特に、日本の人権問題を日本の権力構造や社会構造として問うとき、それは具体的な条件においては例えば日本国の法のありかたとの関連で問うときには十分な有効性をもつが、いつしか、日本の権力構造や社会構造を批判するがために人権がその批判の道具となっているなら、批判という構図でありながら、現実的には日本にしか関心が限定されていない極めてナショナリズムの傾向を帯びる。また、日本の人権が個別の他国との関連で問われるときも、その傾向が強まる。しかし、人権とは普遍的なものであり、普遍の光の下で、日本を越えた世界の全体のなかの市民としてまず本質的に問われるものだ。そしてその全体像のなかで、むしろ各個別の国家が有している、結果的に普遍的人権を隔離するナショナルな仕組みを暴露してくことが問われる。具体的にそれはどういうことなのか?
 この問題で現下興味深いのは、ミャンマーで生じている、仏教徒によるイスラム教徒迫害である。すでに仏教徒によってイスラム教徒250人が殺害されている(参照)。虐殺と言ってよい。さらに主にイスラム教徒だが15万人が住居を追われた。深刻な状況は現在も継続している。
 国際的な報道では、20日にタイム誌が取り上げ(参照)、同日ニューヨークタイムズも取り上げた(参照)。この二つを受ける形でワシントンポストも21日に取り上げた(参照)。概要はワシントンポスト記事がわかりやすい。
 これらに先だってガーディアンも4月の時点で、この仏教徒によるイスラム教徒迫害の中心人物ウィラトゥー師を取り上げていた(参照)が、日本国内報道ではなぜか、タイムス、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストでのこの数日の話題に言及せずに、ガーディアンのみを記した21日付け毎日新聞記事「ミャンマー:「イスラム嫌悪」広げる高僧 仏教徒に陰謀論」(参照)が見られた。それでも日本語なので読みやすい。人権が日本の報道においてどのように配慮されているかという視点に留意して読んでみたい。


敬虔(けいけん)な仏教国とされるミャンマーで仏教徒とイスラム教徒の宗教暴動が頻発している。テインセイン大統領は「民主化への脅威だ」と危機感を募らせるが、国民の9割とも言われる仏教徒の「イスラム嫌悪」は強まるばかりだ。そんな中、米欧メディアやイスラム教徒から暴動の「黒幕」「扇動者」と指弾され、「ビルマのビンラディン」と呼ばれる高僧の存在がクローズアップされている。【マンダレー(ミャンマー中部)春日孝之】

 以下に内容が続く。質疑の部分が毎日新聞の記者の独自取材なのかは明瞭にはわからない。

 ◇「釈迦の教えだ」
 「ビンラディン(2011年、米軍により殺害)は国際テロ組織アルカイダを率いたイスラム過激派ですね。あなたも過激派ということですか?」
 古都マンダレーの僧院で渦中のウィラトゥー師(45)にそう向けると「仏教は中庸の宗教で、私は釈迦(しゃか)の教えに従っているだけですよ」と笑みを返した。
 師は、イスラム教徒の商店でモノを買うなといった「不買(ボイコット)」を奨励する。改宗を迫られるイスラム教徒との結婚は避けるようにとも説く。
 「彼らは人口を増やして経済力をつけ、国家を乗っ取るつもりだ」とみているからだ。政府統計ではイスラム人口は4%で主にインド系。だが、専門家の間でも「統計は過少」との見方が一般的だ。
 師の僧院はビルマ王朝期の創建で国内最多の約3000人の僧を擁する。古代インドで仏教を保護した大王「アショカ」の名を冠し、国民の敬意はあつい。その中で師は仏法を極めた順に上位7番目の中心的な立場にある。
 師は自らの布教を、仏教の三宝(仏法僧)を意味する数字から「969運動」と呼ぶ。運動のステッカーにはアショカ王の有名な石柱をあしらった。石柱に彫られた王の紋章の車輪は「真理」を意味し、神話ではこれを回し「悪」を退治した。
 師が運動を始めたのは軍政期の01年末。この年3月、アフガニスタンのバーミヤンで大仏がイスラム勢力に爆破されたのがきっかけだ。9月には米同時多発テロが起き、これら事件の背後にいたのがビンラディンだった。
 師は「歴史的にイスラム教徒はジハード(聖戦)の名の下に異教徒を殺りくし、改宗を強いてはイスラム支配圏を広げてきた」と指摘する。かつてバーミヤンを含むアフガン東部からパキスタンにかけてのガンダーラでは仏教が隆盛したが、今はイスラム一色。「わが国も危ういと感じた」と振り返る。

 わかりやすく書かれている点は優れた記事だと言ってよい。が、冒頭「ビンラディン」が出てくるのは、4月のガーディアン記事にそれを自称したとあることを受けているためだが、背景の文脈はこの記事だけではわかりにくい。
 なぜこのような事態になったのかついては。

◇「行動は自己防衛」
 「私たちの行動は自己防衛です。仏教徒は穏やかで我慢強い。攻撃的なイスラム教徒から、せめて自らを守る必要があるのです」
 師がそう語るように、説法でも「イスラム教徒を排撃せよ」とは言わない。ただ、ヘイトスピーチ(憎悪表現)のような誇張や陰謀論が頻繁に顔を出す。
 「民主化」以降、最初の宗教暴動が起きたのは昨年6月。西部ラカイン州で仏教徒女性がイスラム教徒の男たちに集団でレイプされ、殺害された事件がきっかけだった。師は言う。「問題を起こすのは大抵はイスラム教徒です。彼らはこの国のすべての町や村で仏教徒をレイプしています。障害者であろうが少女であろうが。しかも異教徒へのレイプを称賛し合うのです」
 イスラム教徒の乗っ取り計画は、中東のオイルマネーが資金源なのだそうだ。計画遂行は21世紀中。イスラムの聖数786をそれぞれ足すと21になる、というのがその根拠だ。

 毎日新聞の報道からは、妄想的な狂信の宗教指導者が引き起こした問題が浮かびあがる。ウィラトゥー師をそのように狂信者として批判したいという視点もなりたつだろう。
 しかし、問題はそこだろうか?
 元になるガーディアンの4月の記事では、タイトルから明瞭に「レイシズム」が問われていた。
 先に仏教徒による虐殺者数を挙げたが、現実に発生しているのは虐殺であり、人権問題である。宗教という枠組みで問うなら、毎日新聞記事もガーディアン記事を引用して他の仏教徒の見解を載せているように、同じく仏教を信仰する仏教徒がこの事態をどう受け止めるかも問われる。
 現実を見るなら、ウィラトゥー師が問題の事態をすべて指導しているわけではない。仏教におけるビン・ランディン自称が物語るのは、その願望であって、実態にはあるのは、多数の仏教徒によるイスラム教徒への迫害である。ウィラトゥー師は問題の原因ではなく、問題の結果の一つである。
 宗教的な覆いをはずせば、これは民族紛争でもあり、すでにジェノサイドの様相を含み込んでいる。実は人権が問われている問題なのである。
 ウィラトゥー師に焦点を当てる毎日新聞記事は、当然ながら次のように背景を語る。

 実は、旧軍政は師を「危険人物」とみなし、刑務所に放り込んだ経緯がある。師が運動を始めた2年後の03年、師の出身地で軍政下では異例の宗教暴動が発生。「国家分断の阻止」を国是とする軍政は国家を不安定にした罪で禁錮25年を科す。
 だがテインセイン政権は段階的に「政治囚」を釈放。昨年1月の恩赦でウィラトゥー師も出獄した。ミャンマーにとり、師は民主化が解き放った救世主なのか、疫病神なのか。

 すでに述べたようにこの問題は、ウィラトゥー師という狂信的に見える仏教指導者に起源するわけではない。背景要因が大きい。この地域の仏教徒には民族迫害の素地があったが、ミャンマーの軍政権が強権によって抑圧していた。
 当然ながら、人権を優先する民主化指導者であり、ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチーはどうこの問題を見ているのだろうかが気になるところだが、毎日新聞記事からはうかがえない。人権という問題視点から論じられていないせいもあるかもしれない。
 欧米メディアは当然ながらアウンサンスーチーの関連動向も伝えている。どうか。彼女はこの問題への関与は弱いのが現実である。これには次の背景がある。
 仏教徒とイスラム教徒の衝突の後、イスラム教徒のみ子供は二人までしかもてないというこの地域の法律が成立した(参照)。この悪法は仏教徒には適用されない。言うまでもなく、国家が民族浄化に関与した深刻な人権状況であり、アウンサンスーチーはこの法を批判した(参照。だがその結果、アウンサンスーチーはミャンマーの多数から反感を買う結果になった(参照)。
 問題が深刻なのは、毎日新聞記事のように特定の指導者に問題があるのではなく、民族浄化に見えるような状況をミャンマーの多数が黙認しているかに見えることだ。この状況にあってアウンサンスーチーは大統領選挙を目論んでいるため、この問題にこれ以上関わらないようにしている。
 ただ、それでは人権活動とは何なのだろうか。国家的に政治状況の従属なのだろうか。
 この点、ミャンマーの人権活動家ムアン・ザーニは、仏教徒はナチズムになり得ると指摘し(参照)、ミャンマーの現状と戦前のドイツに例えている。
 ここで、もし仏教が「正しい」のなら、それはナチズムに繋がるわけはないと言えるだろうか。むしろ、独裁政権がこの問題を抑制していたように、それは他面において人権侵害を引き起こしてきたが、政治的な原理によって人権を擁護するような現実性が問われるのだろうか。


 
 

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コメント

中国の「一人っ子政策」は漢族に適用され、少数民族には適用されません。そして、この政策を人権侵害だと糾弾する人は、世界的に見てほとんど目立ちません。

世界の人は、中国人はただでさえ多すぎるのだから減ってくれた方がいいと思って黙っているのでしょうか。
人権侵害かどうかの判断は、その国やグループの人口という要素が左右するというのであれば、「人権は普遍的なものである」という主張とどう整合をとるのでしょうか。

#このミャンマーで起こっている産児制限問題で、まず引き合いに出すべきは、過去のナチスドイツではなく現在の中国だと思います。

投稿: うぐいすパン | 2013.06.22 20:28

>政治的な原理によって人権を擁護するような現実性が問われる

その通りだと思います。
或いは擁護に限らず人権の制限や制度内では時として人権剥奪も無くならないでしょう。まぁほとんどの場合は闇にまぎれてか、ドサクサの中で事故を装ってね。
人権の概念は普遍性と不可分ですから、各グループや国の為政者達はその都度毎に、その外のグループや国に対して過渡期的に概念や制度で折衷案を出すでしょう。
そういう意味で別に仏教思想から導かれる集団だけは例外と期待するより、寧ろ彼らも多くなれば慣習的生活集団と捉えるべきだと思います。

投稿: ト | 2013.06.23 00:24

これは知りませんでした。驚愕しております。熱心な(ということは原理主義的で過激な)仏教徒は、むしろ、中国共産党系の権力者たちに迫害されているとばかり思っておりました。

これは、バングラデシュで存在した、そして現在でもおそらく存在しているビルマ系の仏教徒に対するイスラム教徒による迫害に対する報復行動なのではないでしょうか。

この件については、続報を記事にしてくださることを期待しております。

投稿: enneagram | 2013.06.23 05:03

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