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2013.06.09

手塚治虫のこと、心の奥にひりつくなにかを残した人

 手塚治虫についてはいろいろ思うことがある。それどころか、これこそ自分語りになりかねない部分だ。なにかそこに、ひりっと痛むものがある。
 またまたの話に聞こえるだろうけど、自著『考える生き方』(参照)は自分のことを書いたので(ブログに書いてない部分など)、それこそ自分語りに読まれてしまうし、それでも当然いいし、典型的な誤読があってもしかたないなあと思うのだけど、自分としては自分語りから少し距離を置いて書いていた。というかそれでようやく書けた。それでしか書けなかった。気取りというものではないけど、自分を他人、しかも、普通に凡庸な他者のように対象化して離してみた。
 実際、自分という人間が凡庸であることは確かなので、そうじゃないんだぁみたいな自分語りはない。だが、その対象化のなかの、どこかで他者に合わせてそうしている部分は残る。いずれにせよ、自分の生き方が、自分からちょっと他人に見えるかなという距離感のようなものが、さすがに年食ってようやく見えてきた部分がある。
 ところが、出し惜しみということではないのだけど、本当に自分を語るとなると、どうにもまだひりひりするものがある。もちろん、それが書けたとして意味はないのだろうけど、それはなんだろうと自分では思う。話を戻すと、手塚治虫などもそのあたりに関係している感触があるのだ。
 話がごちゃごちゃするのだけど、あえてその、ひりってする部分を少し離して言うと、昭和32年生まれの私は、まさに手塚漫画が幼児期から子どもの時代の精神の基底部分を形成していて、「ああ、手塚にやられちゃったなあ」という感じがある。手塚が自分のコアに突き刺さっているというか。それを抜いたら、自分も終わりだなというか。
 これがどうにもめんどくさいものであることは、青年期になってわかってきた。「ブッダ」(参照)について先日触れたが、どうもアンビバレンツがある。それに明確に気がついたのは、青春の時期に身近になった人が、少なからず、手塚のファンだったからだ。もちろん、手塚のことは知っているから、その人たちと話が合わないわけではない。が、そのファン的な心情の人の手塚への同一視が、自分の内面に、痛い。なぜなんだろうか。いやそれこそがアンビバレンツというもので、自分も手塚ファンですと言えたらいいだろう。いや、言ったりもするし読んでいたりもするのだが、それでも痛いのである。
 そんなことは自分の受け止め方に過ぎないし、それが自分のねじくれた性格の反映だろうくらいに、そういう痛い部分は突き放してその後生きてきたのだが、先日「ブッダ」を読み返したあたりから、いや、実はその前からなのだが、これは、自分だけの問題じゃなくて、手塚自身にも関係した問題じゃないのかと思うようになった。
 ちょっと傲慢に聞こえるかもしれないと怖れるし、そこにひりっとしたものが触るのだが、手塚ファンの人たは、手塚が差し出すものをきちんと受け取ったのだろう。だが、私は、手塚を受け取っちゃったんじゃないだろうか。そんな気がする。手塚の持っている、どうしようもない暗い部分や女性観、あれに小さいころから呼応してしまったのではないか。
 手塚治虫がどういう生き方をした人かはリアルタイムで見てきたからそれとなく知っているし、死後補正されたとはいえ、それまでは私の父親と同じ年の人であり、私の父もそれを知って手塚を理解していた。ある意味、身近に思える人だった。
 が、どうも手塚の人生には、公開されていないやっかいな秘密があるんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。そう思いつつ、それにずっと向き合うのを避けていた。循環するが、痛いからである、自分が。
 でもさすがに、少し向き合うかと手塚治虫関連の書籍を読んでみたり、読み返したりしてみるのだが、これがなんとも、なんというのだろう、悪い本ではないのだが、あれだ、私が青春時代にあった手塚ファンのノリというのか、漫画が好きすぎるというのか、自分の関心からはみごとに逸れている。

cover
手塚治虫
アーチストになるな
(ミネルヴァ日本評伝選)
 2008年の『手塚治虫―アーチストになるな(竹内オサム)』(参照)は、手塚治虫の評伝としてはよく書けているし、業績とのバランスもよい。良書と言ってよい。
 なのでそれ以上のものを求めるはお門違いなのだが、手塚治虫の暗さの起源というか狂気の起源があまり見えてこない。著者・竹内オサムにその感覚がまったくないわけでもないことは、「ジャングル大帝」への視線でもわかるのだが、まだ、そうしたレベルでの評伝が成熟しないのだろうか。
 評伝とは違うのだが、悦子夫人の回想録は読み返しても興味深いものだった。講談社プラスアルファ文庫で1999年に『手塚治虫の知られざる天才人生』(参照)と改題されているが、元になるのは1995年の『夫・手塚治虫とともに―木洩れ日に生きる』(参照)である。夫人でなければ描けなかった手塚治虫の姿はよく描かれているが、これを読み返しながら、自分のひりひりとする部分の一つの側面はわかった気がした。簡単なことだった。自分の父母の時代の生活史自体がもつ歴史の感覚、それ自体の痛みが半分くらいである。その部分でひとつ簡単に言えるとしたら、悦子夫人の回想の意識がすべて昭和の元号で体系化されていることだ。(ただし、手塚治虫自身は西暦の枠組みで生きていた。)
cover
夫・手塚治虫とともに
木洩れ日に生きる
 悦子夫人の回想録には手塚家や彼女の家系の話などもあり、庶民の生活史の感触を伝える点でも面白い。赤塚不二夫の自伝『これでいいのだ』(参照)でも思ったが、歴史家な知性によって滅菌されない歴史の生活の感性というのは面白いものだ。こういう書籍を使って、現代の若い人に、昭和の歴史とか高校とかで教えたらどうなのだろうかという気もする。
 話戻して、悦子夫人の回想録には息子さんの手塚眞の手記も載っているのだが、これが実に彼らしいトーンで書かれていて心惹かれる。

 親子といってもしょせんは他人です。もちろん、父親の仕事で手伝えるところは手伝わなくちゃ、ぐらいには思っておりますから、手塚治虫記念館の仕事をしたりしていますが……。

 そのあたりは、ある程度、いつもの彼らしい口調だし、そういうトーンが続くのだが、そこでぼそっと変な話が脈絡なく書かれている。

 だから肉親から「こんなこともあったでしょう」と言われて、そんなこともあったっけ、とぼんやりその気になるくらいで、どうも思い出というと家族のことより学校のことやら友だちのことばかりになってしまいます。だから父については僕よりも仕事仲間か、母や妹たちのほうがよく語れるでしょう。
 僕の記憶に一番新しい病床の父については、ここで触れるつもりはありません。その最期の瞬間に何が起こったかは、親子だけの秘密です。
 ところで今日は母のことを少しだけ書きますね。

 こう書かれれば、手塚治虫の最期の瞬間に何が起こったのかという関心をもたないわけにはいかない。それは手塚眞らしく言及されているからだと言ってもよい。別の言い方をすれば、一子相伝めくが、それが明らかにされることはないだろうし、おそらく、そこに手塚治虫の秘密が関係しているのも確かだろう。言うまでもない。私が手塚治虫にひりっと感じる部分もそこに集約されるように思えた。
 それが何かということは、「何か?」と問う枠組みではわかることは金輪際ない。また、それを自分のひりっとした体験の背景で見つめることは、間違いですらある。
 ただそれでも、「ああ、そこにあるなあ」という手応えのような対象の感覚は自分のなかでかたまりつつある。さて、そのひりついた部分を見つめてみるかなという気持ちにはなる。
 
 

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コメント

私は市のボランテイァで退官された
高名な大学教授のお手伝いなどをしています。
その先生は、豪商とまではいかないまでも
当時はかなりのお家の長女でいらしたそうです。

ただ、当時の事ですから格式というか
家族の中でも長男・長女とその他、
異母姉妹・兄弟などへの差別やらと、
話には聞いても現代からは想像できない事が
色々とあったそうです。
とはいえ、ただ、世間一般そう育てられていた
ご様子で、今となっては先生ご自身も、
その十字架を背負っていかれるご所存のようです。

手塚治虫の作品に我々が世代を超えてシンパシーを
感じるのは、単なる勧善懲悪や死生観だけでなく、自ら体験した人間の業が行間に含まれている
からだとあらためて思います。

と、テキストにしてみるとたしかに
ありきたりで全然面白くも無いですorz

私はゼロマンが好きです(おまけのアラビアンナイト)。

投稿: @宇都宮 | 2013.06.10 10:17

興味深く拝読しました。
「やられちゃった」でいうなら、1965年生まれのボクは平井和正に手ひどくやられました。結局、自分に子ができるまで、その厭人的、反文明的な呪縛から逃れられずにいたような感触があります。

投稿: n_z | 2013.06.10 11:01

今、Renta!で『ブラックジャック21巻』「笑い上戸」を読んだところですが、そう言われてみると、いろいろ考えてしまいますね。考えすぎかな。

投稿: しみづ | 2013.06.11 02:16

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