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2013.06.30

ミトコンドリア病治療を含めた人工授精の倫理的課題

 ミトコンドリア病治療含めた人工授精について、英国議会での承認を目指すというニュースが27日のBBC(参照)や28日のガーディアン(参照)で話題となっていた。確かにこれは倫理的な課題がありそうだなと私も思い関心を持ったが、いち日本人としては、日本ではこれは話題になりそうにないなとも思っていた。
 日本で報道はないかもしれない。ブログに書くべきだろうかとためらっていたが、昨日付で共同の報道があった。邦文で読みやすいので紹介し、簡単にメモ程度であるが言及してみたい。
 共同「他人の卵子に核移植、英が体外受精で実用化検討」(参照)より。なおこの報道は英メディアの伝聞なので、全文引用する。


 遺伝性のミトコンドリア病の予防などを目的に、受精卵の核を、別の女性から提供され核を取り除いた卵子に移植して胚を作る体外受精の方法について、英政府が実用化のため、来年の議会での承認を目指し検討を進めていることが28日分かった。英メディアが伝えた。承認されれば世界初となる。
 作った胚は受精卵の核の遺伝子と、卵子の細胞質中の正常なミトコンドリア遺伝子を受け継ぐため、生まれた子どもは遺伝的に3人の親を持つことになり、倫理的な問題を指摘する声も出ている。
 心臓や骨格筋などに異常を来すミトコンドリア病の大半は、細胞質に含まれ母親から子どもへと受け継がれるミトコンドリア遺伝子の異常が原因。ミトコンドリアに異常がある受精卵から核だけを取り出し、正常な卵子に入れて子宮に戻すことで、生まれる子どものミトコンドリア病を防げるとされる。
 子どもが別の女性から受け継ぐ遺伝子は、全体のうちごくわずかな比率で、子どもの外見的特徴などには影響を与えないという。
 英国で政府の研究監視機関「人受精・発生学委員会(HFEA)」の認可を受け、実用化に向けた研究が進められてきた。HFEAはこの手法について、世論からは広範な支持を得られているとの見解を示している。(ロンドン=共同)

 英国メディアはBBCやガーディアンなどを指すのものと思われる。基本、現状では英国での話題だとも言える。
 記事をまとめた共同記者がこの技術について理解しているか、多少疑問が浮かぶが、この技術の概略自体はそれほど難しくないのでその点は理解はされているだろう。
 補足すると「母親から子どもへと受け継がれるミトコンドリア遺伝子」ということだが、ミトコンドリア遺伝子(mtDNA)は37個で22,000個ほどの核の遺伝子とは異なる。数の上では千分の一ほどではある。そこで「子どもが別の女性から受け継ぐ遺伝子は、全体のうちごくわずかな比率で、子どもの外見的特徴などには影響を与えないという」ということになるのだが、この評価は難しい。ごくわずかというが、この異常が決定的な問題を引き起こしていたからである。
 技術的には、ミトコンドリア異常のある人工授精の受精卵から核を抜き出し、これを正常なミトコンドリアをもつドナーの卵子から核を除去した卵子に移植しすることだ。ミトコンドリア部分を入れ替えると言ってもよい。

 もう一点補足すると、「世論からは広範な支持を得られているとの見解を示している」とあるのは、英国ではこの病気で7人の子供を失ったシャロン・バーナードさんが注目されていることがある(参照)。また、ナイチャーでも3月に議論されていた(参照)。
 共同報道での倫理的な問題の所在指摘についてはどうだろうか。記事では「生まれた子どもは遺伝的に3人の親を持つことになり、倫理的な問題を指摘する声も出ている」として、三人の親という点が論点のように読める。
 AFP報道でもこの点が表題になっていた。「体外受精を「3人の親」で、 英が新技術の実用化を検討」(参照)。


【6月29日 AFP】3人の親のDNAから胚を作る新たな体外受精の方法の実用化を、英国政府が検討する方針であることが28日、明らかになった。筋ジストロフィーや心臓障害など母親から受け継ぐ深刻なミトコンドリア病の予防を目的として、体外受精(IVF)に新技術の導入を認める方向で研究を支援しており、来年にも議会で審議を行う。承認され、実用化されれば世界初となる。

 遺伝子上は親が三人になるということも確かに倫理的な課題ではあるだろう。
 が、より課題となるのは、そのような操作を受精卵に施してよいものかという点だろうし、BBC報道などの報道でもその点を含めて議論されていた。
 広義に見るなら、遺伝子欠陥のある新生児を人類がどのように受け入れるかという問題でもある。これに対して、遺伝子欠陥を病気と見なし、それを「治療」してよいのかということである。
 この問題は遺伝子検査の結果で中絶をするかという問題より、一段複雑な様相をしているように思われる。
 自然的な状態であれば、生存に適さない遺伝子は淘汰されると理解してよいだろうが、この「治療」は進化に対してどのような介入になるのだろうか。
 私はこのニュースでミトコンドリア病という「病気」の設定以前についても問題意識をもった。簡単にいえば、この技術は人間の改良に繋がるのではないかということだ。
 共同報道などでは、あくまで「病気」の文脈にあり、ミトコンドリア遺伝子の異常か正常かという二者択一としているが、ミトコンドリアDNAの遺伝子多型は代謝効率などを介して、肥満や運動能力に影響している可能性がある。またミトコンドリアは細胞死にも関連しているので、癌との関係もあるかもしれない。仮に生存に有利なミトコンドリア遺伝子があれば、この技術はその面で優秀な人間を作り出す技術になりかねない。
 もう一点、これはインターネットで「ミトコンドリア治療」を検索するとげんなりするのだが、卵子老化と関連づけた話題が多くヒットする。まさかとは思うのだが、卵子の若返りといった文脈で語られる懸念もありそうだ。
 話を戻して、英国でこの治療の対象となるのは、5人から8人程度らしい。単純に人口比で見るなら日本では10人くらいだろうか。その「少数」に対して、この「治療」の国家的な意味は何だろうかとも考えさせられる。当然ながら、少数だから無駄だという議論ではないことは、英国政府が市民の声を受けて推進することからも理解できる。
 
 

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2013.06.22

仏教徒による人権侵害とレイシズム

 人権問題を考えるとき気を付けることは、人権とは普遍的なものだということだ。陰画的にいうなら、ナショナリズムの枠組みのなかで人権が問われているときには、人権を希求するかに見えて、巧妙に転倒されたナショナリズムに陥ってしまう危険性に注意を払うべきだろう。特に、日本の人権問題を日本の権力構造や社会構造として問うとき、それは具体的な条件においては例えば日本国の法のありかたとの関連で問うときには十分な有効性をもつが、いつしか、日本の権力構造や社会構造を批判するがために人権がその批判の道具となっているなら、批判という構図でありながら、現実的には日本にしか関心が限定されていない極めてナショナリズムの傾向を帯びる。また、日本の人権が個別の他国との関連で問われるときも、その傾向が強まる。しかし、人権とは普遍的なものであり、普遍の光の下で、日本を越えた世界の全体のなかの市民としてまず本質的に問われるものだ。そしてその全体像のなかで、むしろ各個別の国家が有している、結果的に普遍的人権を隔離するナショナルな仕組みを暴露してくことが問われる。具体的にそれはどういうことなのか?
 この問題で現下興味深いのは、ミャンマーで生じている、仏教徒によるイスラム教徒迫害である。すでに仏教徒によってイスラム教徒250人が殺害されている(参照)。虐殺と言ってよい。さらに主にイスラム教徒だが15万人が住居を追われた。深刻な状況は現在も継続している。
 国際的な報道では、20日にタイム誌が取り上げ(参照)、同日ニューヨークタイムズも取り上げた(参照)。この二つを受ける形でワシントンポストも21日に取り上げた(参照)。概要はワシントンポスト記事がわかりやすい。
 これらに先だってガーディアンも4月の時点で、この仏教徒によるイスラム教徒迫害の中心人物ウィラトゥー師を取り上げていた(参照)が、日本国内報道ではなぜか、タイムス、ニューヨークタイムズ、ワシントンポストでのこの数日の話題に言及せずに、ガーディアンのみを記した21日付け毎日新聞記事「ミャンマー:「イスラム嫌悪」広げる高僧 仏教徒に陰謀論」(参照)が見られた。それでも日本語なので読みやすい。人権が日本の報道においてどのように配慮されているかという視点に留意して読んでみたい。


敬虔(けいけん)な仏教国とされるミャンマーで仏教徒とイスラム教徒の宗教暴動が頻発している。テインセイン大統領は「民主化への脅威だ」と危機感を募らせるが、国民の9割とも言われる仏教徒の「イスラム嫌悪」は強まるばかりだ。そんな中、米欧メディアやイスラム教徒から暴動の「黒幕」「扇動者」と指弾され、「ビルマのビンラディン」と呼ばれる高僧の存在がクローズアップされている。【マンダレー(ミャンマー中部)春日孝之】

 以下に内容が続く。質疑の部分が毎日新聞の記者の独自取材なのかは明瞭にはわからない。

 ◇「釈迦の教えだ」
 「ビンラディン(2011年、米軍により殺害)は国際テロ組織アルカイダを率いたイスラム過激派ですね。あなたも過激派ということですか?」
 古都マンダレーの僧院で渦中のウィラトゥー師(45)にそう向けると「仏教は中庸の宗教で、私は釈迦(しゃか)の教えに従っているだけですよ」と笑みを返した。
 師は、イスラム教徒の商店でモノを買うなといった「不買(ボイコット)」を奨励する。改宗を迫られるイスラム教徒との結婚は避けるようにとも説く。
 「彼らは人口を増やして経済力をつけ、国家を乗っ取るつもりだ」とみているからだ。政府統計ではイスラム人口は4%で主にインド系。だが、専門家の間でも「統計は過少」との見方が一般的だ。
 師の僧院はビルマ王朝期の創建で国内最多の約3000人の僧を擁する。古代インドで仏教を保護した大王「アショカ」の名を冠し、国民の敬意はあつい。その中で師は仏法を極めた順に上位7番目の中心的な立場にある。
 師は自らの布教を、仏教の三宝(仏法僧)を意味する数字から「969運動」と呼ぶ。運動のステッカーにはアショカ王の有名な石柱をあしらった。石柱に彫られた王の紋章の車輪は「真理」を意味し、神話ではこれを回し「悪」を退治した。
 師が運動を始めたのは軍政期の01年末。この年3月、アフガニスタンのバーミヤンで大仏がイスラム勢力に爆破されたのがきっかけだ。9月には米同時多発テロが起き、これら事件の背後にいたのがビンラディンだった。
 師は「歴史的にイスラム教徒はジハード(聖戦)の名の下に異教徒を殺りくし、改宗を強いてはイスラム支配圏を広げてきた」と指摘する。かつてバーミヤンを含むアフガン東部からパキスタンにかけてのガンダーラでは仏教が隆盛したが、今はイスラム一色。「わが国も危ういと感じた」と振り返る。

 わかりやすく書かれている点は優れた記事だと言ってよい。が、冒頭「ビンラディン」が出てくるのは、4月のガーディアン記事にそれを自称したとあることを受けているためだが、背景の文脈はこの記事だけではわかりにくい。
 なぜこのような事態になったのかついては。

◇「行動は自己防衛」
 「私たちの行動は自己防衛です。仏教徒は穏やかで我慢強い。攻撃的なイスラム教徒から、せめて自らを守る必要があるのです」
 師がそう語るように、説法でも「イスラム教徒を排撃せよ」とは言わない。ただ、ヘイトスピーチ(憎悪表現)のような誇張や陰謀論が頻繁に顔を出す。
 「民主化」以降、最初の宗教暴動が起きたのは昨年6月。西部ラカイン州で仏教徒女性がイスラム教徒の男たちに集団でレイプされ、殺害された事件がきっかけだった。師は言う。「問題を起こすのは大抵はイスラム教徒です。彼らはこの国のすべての町や村で仏教徒をレイプしています。障害者であろうが少女であろうが。しかも異教徒へのレイプを称賛し合うのです」
 イスラム教徒の乗っ取り計画は、中東のオイルマネーが資金源なのだそうだ。計画遂行は21世紀中。イスラムの聖数786をそれぞれ足すと21になる、というのがその根拠だ。

 毎日新聞の報道からは、妄想的な狂信の宗教指導者が引き起こした問題が浮かびあがる。ウィラトゥー師をそのように狂信者として批判したいという視点もなりたつだろう。
 しかし、問題はそこだろうか?
 元になるガーディアンの4月の記事では、タイトルから明瞭に「レイシズム」が問われていた。
 先に仏教徒による虐殺者数を挙げたが、現実に発生しているのは虐殺であり、人権問題である。宗教という枠組みで問うなら、毎日新聞記事もガーディアン記事を引用して他の仏教徒の見解を載せているように、同じく仏教を信仰する仏教徒がこの事態をどう受け止めるかも問われる。
 現実を見るなら、ウィラトゥー師が問題の事態をすべて指導しているわけではない。仏教におけるビン・ランディン自称が物語るのは、その願望であって、実態にはあるのは、多数の仏教徒によるイスラム教徒への迫害である。ウィラトゥー師は問題の原因ではなく、問題の結果の一つである。
 宗教的な覆いをはずせば、これは民族紛争でもあり、すでにジェノサイドの様相を含み込んでいる。実は人権が問われている問題なのである。
 ウィラトゥー師に焦点を当てる毎日新聞記事は、当然ながら次のように背景を語る。

 実は、旧軍政は師を「危険人物」とみなし、刑務所に放り込んだ経緯がある。師が運動を始めた2年後の03年、師の出身地で軍政下では異例の宗教暴動が発生。「国家分断の阻止」を国是とする軍政は国家を不安定にした罪で禁錮25年を科す。
 だがテインセイン政権は段階的に「政治囚」を釈放。昨年1月の恩赦でウィラトゥー師も出獄した。ミャンマーにとり、師は民主化が解き放った救世主なのか、疫病神なのか。

 すでに述べたようにこの問題は、ウィラトゥー師という狂信的に見える仏教指導者に起源するわけではない。背景要因が大きい。この地域の仏教徒には民族迫害の素地があったが、ミャンマーの軍政権が強権によって抑圧していた。
 当然ながら、人権を優先する民主化指導者であり、ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチーはどうこの問題を見ているのだろうかが気になるところだが、毎日新聞記事からはうかがえない。人権という問題視点から論じられていないせいもあるかもしれない。
 欧米メディアは当然ながらアウンサンスーチーの関連動向も伝えている。どうか。彼女はこの問題への関与は弱いのが現実である。これには次の背景がある。
 仏教徒とイスラム教徒の衝突の後、イスラム教徒のみ子供は二人までしかもてないというこの地域の法律が成立した(参照)。この悪法は仏教徒には適用されない。言うまでもなく、国家が民族浄化に関与した深刻な人権状況であり、アウンサンスーチーはこの法を批判した(参照。だがその結果、アウンサンスーチーはミャンマーの多数から反感を買う結果になった(参照)。
 問題が深刻なのは、毎日新聞記事のように特定の指導者に問題があるのではなく、民族浄化に見えるような状況をミャンマーの多数が黙認しているかに見えることだ。この状況にあってアウンサンスーチーは大統領選挙を目論んでいるため、この問題にこれ以上関わらないようにしている。
 ただ、それでは人権活動とは何なのだろうか。国家的に政治状況の従属なのだろうか。
 この点、ミャンマーの人権活動家ムアン・ザーニは、仏教徒はナチズムになり得ると指摘し(参照)、ミャンマーの現状と戦前のドイツに例えている。
 ここで、もし仏教が「正しい」のなら、それはナチズムに繋がるわけはないと言えるだろうか。むしろ、独裁政権がこの問題を抑制していたように、それは他面において人権侵害を引き起こしてきたが、政治的な原理によって人権を擁護するような現実性が問われるのだろうか。


 
 

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2013.06.21

男は中年になると郷愁の味を好むのか?

 俳優というかコメディアンというか大竹まことの料理本『こんな料理で男はまいる。』(参照)の、レシピ説明の合間に彼のちょっとした食のコラムが入る。そのなかに「人は郷愁という味を食べる」というのがある。


 人にとって「おいしい物」とは何だろう。
 これまで食べたことのない新鮮な味覚に「うまい!」と感じることもあるだろう。だが、自らの郷愁をかきたてられたとき、もっとも強く感じるのではないか。

 実は私はまったくそう思ったことがない。
cover
こんな料理で男はまいる。
大竹まこと
 大竹は子どものころ食べた料理をもとにこのレシピを48点考えたという。どんなものか。帯にこうある。
 基本の和食の朝ごはん/だしまき卵/カニチャーハン/卵丼/そぼろ丼/海鮮キムチ丼/スパゲティナポリタン/豚肉のしょうが焼き/ハンバーグ/野菜炒め/薄切り肉のカリカリ揚げ/ポテトコロッケ/鶏の竜田揚げ/肉天/いろいろフライ/オムライス/焼きそば/アンチョビとキャベツのスパゲティ/ベーコンと野菜のスパゲティ/あさりとバジルの和風スパゲティ/スパゲティカルボナーラ/じゃがいものチーズ焼き/ホットドッグ/ガーリックトースト/バゲットサンド/ハムサンド/キャベツとベーコンのスープ/豚汁/牛スジとごぼうの甘辛煮/あじのしょうが煮/里芋のそぼろ煮/ゆで豚/小あじの南蛮漬け/なすの油炒め/じゃがいもとセロリの炒め物/ピータン豆腐/中トロとネギの串焼き/JJ風サラダ/トマトサラダ/焼くだけ5品/鯛茶漬け/昆布茶漬け/いつでもトマト/とうもろこし/ふかしいも/揚げパン/いちごジャム/みそ汁
 冒頭の「基本の和食の朝ごはん」は、正確にはレシピではない。ただ写真があるだけ。

 おいしいそうかと問われたら、おいしそうに見える、と私は答える。食べたいかと言われると、他になければ、と答えるだろう。朝、生臭いものはほとんど食べられない。食べられるのはハムやベーコンくらい。
 大竹は、男というはこんな朝食が食いたいんだというのだ。そして、先のレシピになる。どれも、たしかに郷愁のようなものは感じられるし、面白いと思うし、さらに手軽なのでこのレシピで料理を作ることもある。
 思ったのは、こうした料理を好むは今年64歳になった大竹まことの世代ではないか。昭和24年。村上春樹も同じ。村上の小説にはサンドイッチやスパゲティといったカタカナ料理から『多崎つくる』でもレストラン料理などが出てくるが、彼の味覚の重心は和食的で大竹の同世代らしいなと思う。中華が全然ダメというのは個人的なものだろうが。
 こうした料理に郷愁を覚えるのはどの世代までだろうか。私は昭和32年生まれ。郷愁のようなものは感じられるが、郷愁というのとは違う。
 そして思うのだが、大竹のこれらの料理は、本当に郷愁なんだろうか? 肉じゃがもカレーもない。肉豆腐も野菜炒めもない。大竹の料理は、どちらかというと、和風の飲み屋の料理に近い。彼のいう郷愁というのは、彼が大人になって酒を飲み出して擬似的に作り出された郷愁ではないだろうか。
 人はというか、男は郷愁の味を好むのだろうか。自分にはそんなことはないと思いつつ、考えてみると、私の場合は、アメリカ料理がそれに近い。キャンベルスープとか。世代の差だろうか。
 あの時代、昭和30年代から40年代、朝食は少なからぬ家庭でパンが中心だったと思う。昭和の時代、みんなよくパンを食っていた。大きめな国鉄の駅にはどこもミルクスタンドがあって、サラリーマンが朝、ホームであんパンを牛乳で飲み下していたものだった。
 話が少し散漫になるが、肉じゃがというのが普及したのは、1970年代後半だったような気がする。60年代には見かけなかったように思う。そのあたりの食と時代の感覚がよくわからないが。
 食卓から味の素が消えたのがいつかもよくわからない。60年代の食卓にはあった。もう現代では普通の家庭に味の素はないだろう。吉本隆明の家にはずっとあったらしい。吉本の味の素好きは、以前から知ってはいたが、『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)の挿話を読むと、実に驚く。娘のハルノがイラストを描いているが、どさっと味の素を使っている。これでは味もなにもあったものではないなと思う。吉本の食の感覚は、ある種の美食家と言えないかもしれないが、およそ私なんかとは志向が違う。
 この吉本の晩年の本も、男は郷愁の味を好むというテーマに近い。彼の場合は、戦前の東京下町の食や、九州父祖の食ということになる。
 中年以降の味覚の志向はなにで決まるのだろうか? 私は味噌汁はあまり飲まないが、飲むなら信州人の子孫らしく信州味噌を好む。万事がそうかというと、醤油は関東の濃い口は使えない。
 ご飯におかずという食をしないので、料理は基本的におかずほど味が濃くない。沖縄暮らしの影響もある。
 まあ、よくわからないが、中年過ぎると、味覚というのは回帰的になっていく人と、時代に流されていく人と、自分なりに独自のものになっていく人と三種類くらいありそうな気がする。なにがそれを分けているのかも、よくわからないが。
 
 

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2013.06.20

老いの、身体が壊れて死に至るという意味合い

 人はいつから年を取るか。自分の場合は、20歳になったときも年取ったなあと思ったし、35歳を過ぎたとき、村上春樹の短編「プールサイド」(『回転木馬のデッドヒート』収録・参照)のようにも思った。
 40歳過ぎたときもがくっときたものだし、50歳のときは漱石の年を越えることに怖れのようなものもあった。昨年55歳になったときは、父親の世代ならもう定年退職だなと思って、自著『考える生き方』(参照)も書いた。この本でも触れたが、この年まで生きられなかった人も少なくないのだから、あとの人生はちょっと別の視点で生きていこう、というか、自分を退けて、若い世代の邪魔にならないように生きるほうがよいだろうと思った。まあ、そんな感じ。
 でも、ちょっと違うかなあという感じもしている。違うかなというのは、本格的に「老い」というのが襲ってくるのはまだ先というか意外とそこまでがきついのかもしれない。『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)で吉本さんがこう呟いているのを読んで、そう思った。


 何歳くらいから、老いの自覚がやってくるのか。それは人によってさまざまだろう。
 勤務先の定年によって、生活のリズムが変わったとき、という人もいるだろう。足腰が痛くて身体を折りたたみするのがままなくなった七十歳代のとき、という人もいるにちがいない。老いなんてものは気にもしなかったのに、八十歳を過ぎた途端、これはいかんと思うようになったと告白する人もいるはずだ。

 そう言われてみると、祖母が身体の不調を訴えたのは八十過ぎてからだった。気丈な人だったが、身体も頑丈な人だったのだろう。若い頃、ドイツ人の看護婦の補助みたいなこともしていたらしく、健康には乳製品をしっかりとるという人でもあった。それはさておき、吉本さんだが。

 私の場合は七十歳と八十歳の間で、少し八十歳に近いくらいの頃だったような気がする。

 ふと、七十八という年を思った。邱永漢さんがたしか、そんころの平均寿命を目安にだったか、その頃を死ねばいいという話を書いていた。彼はその後も矍鑠と長生きしたわけだが。
 吉本さんの老いの自覚は、ちょっと意外に思える記述になっていた。

 そのとき、何が自分のなかで変わったのかを、思いつくまま挙げてみると、ひとつは、自分より年寄りだとわかれば、性別や世間的な因縁に関係なく、敬意を表すようになったということ。いきおい、近所で出くわすおばあさんやおじいさんに対して、ということになる。

 そういう感覚があるのかと読んで思った。そして、それは70代半ばにでもならなければわからないのかもしれないとも思った。
 が、それに比べればまだ若い自分でもふと似たことを思う。似たというのは、60歳過ぎた人は、どんな生き方であれ、ちゃんと60年という歴史の経験を刻んでいるだなという感覚である。その人々のなかに、なんというか、本当の歴史の経験というのがきちんと維持されているのだという、ある敬意でもある。
 これは、なんというのか、吉本さんの文脈からはずれるのだけど、性的な意味での若さが結果的に削られることにも関係している。
 老いと性の感覚というのは、実は相当にやっかいな問題なんだろうというのの半面、現実問題としては、性の感覚は若いころとは大きく違う。石田純一のような例外みたいな人もいるし、案外少ないわけでもないのだろうが、概ね50代半ばになれば現実的な意味での生殖とは関わりはなくなる。終わったというか。あるいは別の局面に移るというか。いずれにせよ、生物的な意味での生殖からは解放されてしまった人間の存在として、自分を見つめるとなる。これは奇妙な感覚ではある。人間というのは、なんとかそこまで生きて、ある種、精神的な存在になるべくしてなるようにできているのだろうか。よくわからないが。
 吉本さんの老いの話は、続いて、歯が浮くことに移る。いわゆる身体の衰退でもあるが、娘ハルノの話では60代から入れ歯だったようでもある。
 吉本さんは糖尿病でもあった。30代のころに発症している。そういえば、邱先生もそうだった。糖尿病は(糖尿病と限らないが)恐ろしい病気で、結局、吉本さんも晩年それに苦しむことになる。歩けなくなり、失明もする。
 ハルノの話では1990年代末には、尿漏れもあったらしい。

尿モレはダイレクトに人間のプライドを挫く。そこで実験好き薬好きの父のことだ。『ユンケル(のかなり高価なヤツ)』と『QPコーワゴールド』と、あるカゼ薬の組み合わせで、尿モレが軽減することを発見した。

 そのあと、それはエフェドリンのせいだろう。そして肝臓に悪影響が出たと続く。それからさらに大腸癌手術の際に、履くタイプのおむつを使うようになった。その後、吉本さんはそれを履き続けたという。
 このあたりの身体の、ある種、崩壊の感覚は、心底怖いなあと思う。自著にも書いたが私は別の方面で神経系が崩壊していくので似たようなものなのだが、それをふと忘れて他の人のことも思う。
 ハルノは続けて、こう隆明を評する。

 ある一線を越えた瞬間から意地をかなぐり捨て、限りなく自分を赦す――というのも、父の珍妙な特質だと思う。

 吉本さんは、そういう人だったのか。
 そんなはずはないとは思わない。人間というのは不可避の一本道を辿るだけだと言う彼にしてみれば、どうしようもない道はそこを辿るしかないし、それは傍からは「意地をかなぐり捨て」のようにも見えるかもしれない。が、「限りなく自分を赦す」というのはどうなのだろうか。娘が父をそのように見ていたというのは、それはそれで偉大な父だったということではないのか。
 江藤淳が死んだとき、たしか吉本さんは、そのいさましい自決の文章より、前立腺炎に注目した。いや、そのあとの脳梗塞もあっただろう。そこで、その地点で吉本さんは、彼の自殺もわからないではないとしていた。
cover
開店休業
 老いて、しかも、ほぼ完全に身体が崩壊させられ苦しむとき、死を選んでしまうということもあるだろう……そういう同情の心の動きのなかに、考えてみれば「赦し」というのもあるようには思える。
 考えてみれば、吉本の文学者としての一つの業績は、「追悼」を著すことでもあった。多くの死に出会い、死を貯め込んで、死を自分の身体に煮詰めて煮詰めて、それが直接の原因ではないにせよ、自身も身体を崩壊させていった。
 俺はあと何年生きるだろう。そしてその最後は、吉本や江藤のような境涯に至るのだろうかと思うと、また恐怖のようなものも沸いてはくる。が、それもまた逃れがたいものなのだというとき、人生とはなんだろうなと思う。それは、本質的に誰にも逃れがたいものであるのだろう。
 老いて、精神として生きる、という裏側で、そういう新しい局面というか、崩壊していく身体を抱え続けるという苦しみはあるのだろうな。
 
 

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2013.06.19

2013年・主要国首脳会議(G8)パズル「安倍首相を探せ」

客「日本に関連した国際報道で、今、何が話題?」
主「そうだなあ、まあ、2016年夏季オリンピック開催でトルコに並んだブラジルでも暴動とか、いくつかあるんだけど」
客「ブラジルで暴動?」
主「報道、見てない? でもま、ここはG8から見るといいかもしれない」
客「G8って、主要国首脳会議っていうやつだよね。それが?」
主「会議はいつもどおりさして意味なんかないよ。でも最後に首脳の雁首並べて記念写真を撮るんだけど、あれが重要なんだよ」
客「そうなの? ニュースで見なかったような気がするけど」
主「じゃあ、その話からするかな。今回は北アイルランドの ロックアーンで開催。G8っていうからには、V8みたいに8つの国があるわけだよ」
客「日本、米国、英国、フランス、ドイツ、これで5つ。あと3つ、イタリア、カナダと、あと1つ、ロシア?」
主「そう。安倍ちゃんでしょ、オバマさんでしょ、キャメロンぼっちゃま、オランドおっさん、メルケルばあちゃん、レッタさんとハーパーさん、そして我らがプーチン」
客「我ら?」
主「今回の主人公はまさにプーチンだから。シリア問題で西側の連携をつぶしてくれたから。でもシリア問題はこないだブログに書いたからもういいよね」
客「で、記念写真がどうなの? プーチンが端っことか」
主「そこがこのパズルの面白いところだよ。どう並ばせるか? パズルタイムの始まりだ」
客「8人の偶数だから、主役は2人だな」
主「ちょっと違う。実はあと2人、いる」
客「我らがシルビオ?」
主「いいセンスしているね」
客「君のツイート見ているからね」
主「欧州委員会委員長バローゾさんと欧州理事会議長ロンパウさん。ポルトガル人とベルギー人」
客「G8が10人なんだ」
主「というわけで、端っこはこの2人で決まり」
客「中央は開催国のキャメロンと米国のオバマかな。そして端っこの横がイタリアとカナダかな。あとは残り6人をどう決めるか」
主「とか思うよね。キャメロンとオバマはアフガン戦争も仲良く敗戦したしね」
客「左右の2人ずつの順序と考えるとするか」
主「ヒント。重要人物ほど中央に来る」
客「すると安倍ちゃんの立ち位置が気になる。もしかして、オバマさんの隣?」
主「どう思う?」
客「こんとこ韓国・朴大統領や、中国・習主席をよいしょしているオバマさんのことだから、すねないように、こんどは日本の安倍ちゃんにも気配りとかしてれるんじゃないの?」
主「プーチン、オランド、メルケルはどう?」
客「独仏は同じくらいのポジションで、連合国のよしみでフランスが上かな。とすると、キャメロンの横がオランドで、安倍ちゃんの横がメルケル。それだと独仏が同じポジションにならないか」
主「まとめると?」
客「左からレッタ、プーチン、オランド、キャメロン、オバマ、安倍、メルケル、ハーパー」
主「ファイナル?」
客「うーむ。欧州の金融問題も大変なんだよね。金を持ってるドイツをよいしょか。じゃあ、メルケルとオランドを入れ替えて、左からレッタ、プーチン、メルケル、キャメロン、オバマ、安倍、オランド、ハーパー」
主「ファイナル・アンサー?」
客「難しい。案外、安倍ちゃんがもう一段低いかもしれない。左からレッタ、プーチン、メルケル、キャメロン、オバマ、オランド、安倍、ハーパーかな」
主「ファイナル?」
客「よし!」
主「正解はこれ」

客「あれ?」
主「バローゾ、安倍、メルケル、プーチン、キャメロン、オバマ、オランド、ハーパー、レッタ、ロンパイ、でした。場所はエニスキレン城」
客「うわっ…私の首相、低すぎ…?」
主「ですな」
客「それとヒールなプーチンが高い」
主「G8の主役だからね」
客「厄介者も主役ってことか。オランドもか。ところでハーパーが高いのはなぜ」
主「だからさっき、キャメロンとオバマが仲良くアフガン戦争に敗戦したってこっそりヒント出してたんだよ」
客「カナダも戦死者出しているもんね」
主「その先はそれは言わないほうがいいかもね」
客「ところで、この写真、ZDFドイツってあるけど」
主「ツェットデーエフの報道だから」
客「日本では報道された?」
主「まあ、ね」
客「まあ、ね、ってなんだよ」
 
 

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2013.06.18

[書評]開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)

 どれが吉本隆明の最後の著作かと判じるのは案外難しい。が、その最後の様子が極めて明瞭にわかるという点では、『開店休業(吉本隆明・ハルノ宵子)』(参照)に優る書籍はないだろう。

cover
開店休業
 ある意味で、痛ましさを感じさせる書籍でもあり、また、吉本隆明が意図していない部分で、性と家族の世界、つまり対幻想というもののなかで、人がどのように一生を終えるのかを結果的に示した希有な書籍である。
 本書は、中高年向けグルメ雑誌と呼んでもよいだろう『Dancyu(だんちゅう)』の2007年1月号から2011年2月号に吉本隆明が40回連載した食についてのエッセイをまとめ、その40編それぞれに同等程度の長さの、ハルノ宵子によるエッセイを、彼の死後に追悼的に加えたものだ。
 連載の始まりが2006年の年末。彼が82歳といったところだ。最初の数編からは、老いてはいるもののまだ健全といってよい吉本の口調・文体が見られる。と同時に、それは吉本の著作を読み続けてきたファンにとってはそれほど目新しい話でもない。率直にいえば、80歳を越えてなお、文章量に見合った文章を見事に書き上げる売文家魂が感じられるが、それ以上のものはそれほどはない。
 吉本隆明が亡くなったのは2012年3月。おそらくこの連載を終えて1年ほどしての死であった。問題は、いや問題と言ってよいのかわからないのだが、28回目の「陸ひぢき回想」あたりから、奇妙な認識の歪みが始まり、微妙に文体に影響を与えるようになることだ。端的に言えば、惚けが文章に含まれ始まる。ハルノもその次の回のエッセイで「思えばこのころから、父の記憶の混同や迷妄は始まっていたのだと思う」とある。そして最終に向かうにつれ、しだいに文章は壊れていく。怖いものを読んでしまったなあという感じもする。
 それでいいのだ。そこが本書の独自の価値でもある。
 そこをハルノが上手にすくい上げ、彼女による白眉ともいえる結語「氷の入った水」という文章に至る。人が神人になる姿とでもいうのだろうか、それが生きた伝説のように描かれている。
 本書は結果として、吉本隆明という人が、娘・ハルノとの結果的な掛け合いのなかで、「父」の相貌を示し、それが「死」に、これも結果的にだが、収斂していく姿を描いている。そこに本書の独自の美でもあるが、これに加え、ハルノは「父」の「男」としての姿を、「母」・和子の思い出で示しているところが、もう無類に面白い。対幻想というもの、ある意味「戦場」が如実に描かれている。しかも、「食」という生物的な行為に近いところで描かれているのである。
 こう言ってもいいのかもしれない、吉本隆明という変な男と吉本和子という変な女が、ここにいる。「変な」というのは、隆明が食についての売文家らしいそつのない文章をまとめている実態の男の奇妙な偏食と、和子という食を拒絶した生涯喫煙家だった女がいるのだ。活き活きと娘の視線のなかでそれが映し出される。
 白菜ロース鍋に寄せて、こう書かれている。「はらわた煮えまくり」は和子のことである。

 でも今となっては、そんなことはどうでもいい。母は料理を食べることも作ることも、まったく愛せなかった。それだけが事実だ。きっと私にとっての、完璧な書類を書くとか、美しく印鑑を押すとか、一円の間違いもなく帳簿を記す……とかに匹敵する位、絶望的にムリな行為だったのだと思う。
 それでも母は、彼女なりに頑張ってくれていた。そこに「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家吉本」的、分かりやすい構図が、買い物カゴをぶら下げた姿で周知となってしまったことが、”はらわた煮えまくり”ポイントだったのだろう。

 彼女は生涯、喫煙を続けていた。

 母は筋金入りの”デカダン”で、結核で片肺だったにも係わらず、タバコを手放さなかった。医者に「呼吸困難で苦しんで死にますよ~」と脅されても、「そうねぇ―」と聞き流していた。そして亡くなる前夜まで、いつも通り酒もタバコもやっていた。

 和子は結局、隆明を追うように半年ほどして死んだ。ばななの言葉では、ふだん通りに寝て朝見たら死んでいたらしい。苦しみはなかったのだろう。
 吉本隆明は「病弱な妻に代わって家事を引き受ける、大衆に寄りそった思想家」というより、対幻想という戦場に最後まで立ち尽くした戦士だった。究極の逆説的なマッチョといってもいいだろう。これが夫という男であり、父という男の姿であった。
 私は他者に憧れをもたない。自分の他者からの隔絶感が強いからだ。尊敬しても、他人は他人である。吉本隆明も、冷静に考えれば自分とは随分違う人だと思う。が、その死の姿には、密かに絶望的に、憧れを持つ。
 
 

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2013.06.17

[書評]太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで(イアン・トール)

 太平洋戦争とはどのような戦争であったか。なぜ日本は米国と戦争をしたのか。こうした問いに答えることは、容易でもあると同時に困難である。
 容易というのは、すでにレディメードな解答が用意されているからだ。だがこの容易さは、どれほど学問的な装いをしていても、連合国軍総司令部(GHQ)が指導した戦後神話の影響を受けているのではないかという疑念が伴う。なにより「大東亜戦争」という呼称が上書きされている。もっともこの呼称は「支那事変」を含めていると見てよいこともあるだろう。
 さらに戦後神話は近年では、太平洋戦争そのものの意味合いさえ薄め、「十五年戦争」的なアジア侵略を際立たせている。軍国主義日本といった思考の枠組みが優先されるからだろうか。「日本は戦争をすべきではなかった」から演繹されたような光景にも見える。
 困難であるとすれば、戦後神話を除いたとき、太平洋戦争がどのような光景に見えるか、と問うことだ。
 史実は史観を外して問われるものではないかもしれない。それでも型にはまった戦後神話の霧を晴らしたとき何が見えるだろうか。いや。そうした問いかけがまた別の神話への誘惑ではないのか。それも困難さの延長のようだ。
 容易さと困難さの振り子のなかで知性がかろうじて渇望するのは、史実の編み直しと新しい視点の可能性である。関連する個々の事象を丹念にかつ合理的につなぎ合わせる地味で緻密な編み上げ作業とともに、より大きな歴史の背景の奥行きのなかで視点を据え直してみることだ。市民が知りたいのはそこである。戦後神話でもなく、軍事史のディテールでもなく、実証的に理解できる歴史の意味である。

cover
太平洋の試練
真珠湾からミッドウェイまで
 本書『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで』(参照上巻参照下巻)は、読後その要望に当てはまるにように思えた。
 おそらく真珠湾攻撃の70周年を睨んでだろう、2011年に米国で出版され、話題となったとき(参照)、1967年生まれと見られる46歳の若い米国人著者が、太平洋戦争をどのように問うたか、私は興味を持った。が、大著であり英文で読み通すほどの英語の力量のない私が読むことはないだろうとも思った。しかし2年経ずして翻訳された。
 読んでみると、叙述が明晰に展開されているうえ、翻訳がよいせいもあるのだろうが、こう言うのも変な言い方ではあるが、存外に読みやすい。大学生でも読み通せる。おそらく戦争に関心を持つ日本人であれば、今後読むべき歴史書の古典として残るだろう。
 本書は、表層的な戦後神話の部分は平明に除去され、事実が手際よく記されている。また通常の戦記物とは異なり、戦闘の意味を歴史の全体像のなかで読み取ろうとしている若い筆者の知的作業が読解を助ける。
 本書の内容の時代範囲は、表面的には副題にもあるように「真珠湾からミッドウェイまで」である。そして帯にあるように「米国が戦争に負けていた180日」を描いている。
 言うまでもない。太平洋戦争はその開始から半年は日本が勝っていた。米国からすれば、米国は日本に負けていた。本書はいわば、米国版『失敗の本質』(参照)である。現代米国人も失敗の歴史から学ぼうとして、本書が読まれたとも言える。
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失敗の本質
日本軍の組織論的研究
(中公文庫)
 『失敗の本質』という書籍は日本側から見た太平洋戦争の敗戦原因追及であり、ノモンハン事件、ミッドウェイ作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄戦という6つの個別の戦闘が描かれているが、これらの戦闘を経時的に並べ変えても総合的な太平洋戦史にはならない。複数著者も弱点になる。戦争の全体を問うのであれば、一人の統一的な視点のほうがわかりやすい。
 本書が扱うのはミッドウェイ海戦までであるが、個別の戦闘は太平洋戦争という全体の流れのなかで、統一的にかつ通史的に描かれている。著者は本書の以降の戦史についても三部作として執筆する予定らしい。数年後には翻訳で読む日を期待したい。
 本書が明確に提示するのは、太平洋戦争初期において日本は明確に勝っていたことと、それがなぜ敗北に至ってしまったかということだ。
 戦後神話であるなら、そもそも戦争が悪であるうえ、国力に大差のある米国にそもそも日本が戦争をして勝てるはずもなかったということになる。あるいは、真珠湾攻撃という卑怯な奇襲によって米国が初期には怯んでいただけで、それが克服されれば日本は負けるべくして負けたのだと思いたくもなる。だが、本書の史実を読めばそれが神話に過ぎないことがわかる。
cover
太平洋の試練
真珠湾からミッドウェイまで
 本書は、日本軍がなぜ米国に勝っていたのかについて、特に米国の内情に踏み込んで、かなり明晰に描いている。日本側からすれば、日本軍の戦略が優れたからとも読める。連合艦隊司令長官・山本五十六が優秀であった。
 山本は、日本が米国と戦争をすれば負けるとわかっていた。彼はなによりも日米戦争を避けようと奮迅した中心的な人物であることも、本書はくっきりと描き出している。その彼が、なぜ太平洋戦争を引き起こしたのか?
 勝てると踏んだからである。そして実際に勝っていた。
 「しかし、太平洋戦争全体としては負けたではないか、『失敗の本質』を読め」という指摘もありそうだが、敗戦の理由付けは、敗戦を後から戦後神話と整合させる弁解として機能しやすく、勝利の側面を含めて総合的に描きにくい。
 太平洋戦争開戦時の課題に立ち返るなら、重要なのは戦争の勝利そのものではなく、勝利の意味にあった。本書にも記されているように、この点では山本の認識は明確であった。この戦争が維持できるのは、「せいぜい一年半」だったと彼は考えていた。ゆえに短期間に徹底的に米海軍を叩きつぶし、講和に持ち込むことが勝利の意味のはずだった。それでこそ米国と長期戦を避けることができる。だが、講和はできなかった。
 日本が講和の機会を失した最大の理由は、南方での石油確保もあった。が、そもそもそれは短期決戦という戦略と整合していない。このあたりの国家意思のぐだぐだ感は、現代の日本でもお馴染みである。
 ぐたぐだはあえて置くとしよう。結局、山本は正しかったのか? 山本の意図どおりに戦闘を進めたら講和に持ち込めて、日露戦争のように勝利できただろうか。これも、本書を日本人が読むときのスリリングな問いかけである。
 本書は明示的には答えていないが、結果的に答えていると言ってよい。無理だった。講和に必要なのは、緒戦で圧倒的に勝利することだったからだ。
 真珠湾攻撃について、本書は日本語で読める文献としては特徴的とも言えるほど辛酸を極めた描写によって、日本軍の攻撃が容赦なかった印象を与えているが、それでも、甘い。短期決戦であるなら、ハワイを立ち直れないほどに壊滅に追い込まなくてならなかった。
 そのビジョンにおいて山本は甘かった。真珠湾攻撃の態勢においてさらなる追加攻撃もだが、それ以前に日本軍の総力をもってハワイ攻撃に注力し、壊滅させるべきだった。それでこそ、講和に持ち込めた。山本にそれができなかったのは、妥協の限界だったか、智略に溺れたか、内面怖かったからだろうか。
 本書は後半、日本軍の緒戦攻撃の甘さを突いて、米軍が命を吹き返してくる様子が刻々と描かれる。米軍の僥倖もいろいろあったようだ、その後の米軍の戦略は総じて見事だ。東京を叩くあたりもだし、特に情報戦において顕著だが、米軍の攻撃はしだいに組織的になってくる。
 本書はミッドウェイ海戦で終わる。ここから日本にとっては敗け戦の始まりであるが、その記述を読んでいくと、類書とは異なり、太平洋戦争全体での重要性は低いとされていることに気づかされる。そうしたくだりを含めて、本書では具体的な戦闘の評価において意表を突く点がある。
 
 


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2013.06.14

シリア情勢、そのアイロニカルな現状

 米国オバマ政権がようやくシリアにおける化学兵器の使用実態を認めた(参照)。化学兵器、つまりサリンなどの毒ガス兵器の使用は、オバマ政権がシリアへの軍事介入を決断するための基準、レッドラインだと表明してきたので、話の上では、これで米国がシリア内戦に軍事介入することになる。あくまでお話としては、ということだが。
 具体的には来週英国で開催予定のG8・主要国首脳会議で関連国と協議してからということになり、早急な軍事的な展開はないだろう。
 想定される今回の決定の影響は、すでに欧州連合(EU)が下している小型の武器供与の解禁程度に留まるだろう。米国と北大西洋条約機構(NATO)の介入は、リビア内戦のときと同様、シリア上空の飛行禁止区域設定も望まれるが、すでにロシアからの反撃用の武器供与もあり、うまく行くとは想定されない。
 欧州側からすると米国の軍事介入の決断は遅きに失したと見られている。また大方の評価からしても、今月5日、それまで反体制派が抑え込んでいた、西部のレバノン国境にあるクサイルをシリア政府が奪還し掌握た時点で、反体制派の力は大きく削がれた。この点は、あとで地図で説明する。
 今回の米国オバマ政権の決断だが、表面的にはようやくシリアでの化学兵器使用の実態を認めたか、というふうに見えるが、この間の状況を見ていると、実際の意味合いはそうではない。
 シリア内戦で化学兵器が使用されてきたことは、すでにフランスやイスラエルなどから報告があった。BBCですら報道していた。が、米国オバマ政権は確実な情報ではないとして政治的に判断を遅延してきた(ニューヨークタイムズなんかもこれに賛同)。クサイル陥落までオバマ政権はその判断を渋っていたかのようである。
 結論から言うと、クサイル陥落が明らかにした事実上の米国オバマ政権の失態に押されて、ようやくオバマ政権としてもシリア化学兵器が使用されたと発表せざるをえなくなったのが真相と言ってよいだろう。
 クサイルという要所に焦点を置いて、文脈となるシリアの情勢を見ていこう。
 まず、政府軍と反体制派の勢力の拮抗だが、4月28日の時点で次のようになっている。

 赤みを帯びている部分が政府側の地域で、緑を帯びた部分が反体制派である。北部の黄色を帯びている部分はクルド人勢力であり、広義に反体制派に含まれる。東部のベージュの部分は衛星写真で見るとわかるが砂漠と言ってよい。
 北部のアサド政権側の力は弱体化し、北部のシリア第二の都市アレッポも反体制派が掌握している。だが、シリア全土で見ると人口の多い居住に適した地域の大半は依然政府軍が掌握している。その意味で、シリアのアサド政権が壊滅的な状況になるとは言いがたい。
 5月までの時点での話だが、反政府勢力の攻勢のポイントは、最終的には南部にある首都ダマスカスの攻略だが、その手前に都市ホムスの攻略となる。
 このホムス攻略において要所となるのが、その近くにある都市クサイルである。レバノン国境にも近い。地図でAのピンを立てた部分である。

 一目でわかるように、クサイルはレバノンとホムスを結ぶ交通の要所である。反政府派にとってもレバノンからの補給路となるが、同時にこの経路でレバノンからヒズボラが侵攻したことで、クサイルが陥落した。ヒズボラは言うまでもなく、シーア派を国教とするイランが支援しているシーア派組織である。背景にはイランからの軍事援助がある。
 関連した地理でもう一つ重要なのは、この地図の左上に見えるタルトゥースである。ここはロシア海軍の補給拠点となっていて、ロシアは沖合に防衛用に十数隻の艦艇を配備している。ロシアはこの不凍港をなんとしても失いたくない。
 関連都市の距離感がわかるように、もうひとつ地図を挙げておこう。左下に50kmのスケールがあるので、それでクサイル、ホムス、レバノン国境、さらにタルトゥースの距離感がつかめるだろう。

 地理上の関係は、どういうことか。
 化学兵器の使用がフランスやイスラエルなどで報告された5月の時点で、米国がシリアに介入するとなると、クサイルが焦点となり、タルトゥースを堅持したいロシアと米国は正面から対立することになる。
 これを避けたいとしたので、米国としてはまずシリア問題で米ロ会議を行い、ロシアを軟化させる必要があると判断していた。
 これがジュネーブ会議だったのだが、6月6日に開催が困難という結果になった(参照)。時期的にわかるようにクサイル陥落がこれを困難にした。
 外交という面で言うなら、ジュネーブ会議の構想は、シリア政権とロシアが組んで、クサイル陥落の時間稼ぎに米国オバマ政権の決断を遅らせるための策略だったと見てよい。
 ごく簡単にいえば、オバマ政権は、ロシアの計略に嵌って、国際的に笑い者にされたのである。しかもこの外交の主導者はケリー国務長官である。苦笑したら、"Ta gueule!"とか言われそうである。
 オバマ政権はいわば外交的な失態に蹴飛ばされたかたちで軍事介入に賛成せざるをえなくなり、その道具として今更のように、化学兵器使用というレッドラインを持ち出したわけである。むしろ当初から、このレッドラインは軍事介入を避けるためのオバマ政権の口実であったのだが、自縄自縛となってしまった。
 今後はどうなるか。リビア内戦の場合は、こっそり殺人ロボットを使ってカダフィを暗殺(参照)して納めたが(現状のリビアは混乱しているので納めたとは言いがたいのが実態だが)、シリアの場合、アサドを屠れば終わるという問題ではない。シリア人口で見ると少数のアラウィ派が弱者に置かれたときは、おそらく最悪の事態になりかねない。
 アイロニカルに見れば、クサイル陥落をきっかけにアサド政権が軍事的な安定を取り戻せば、それなりにシリアは沈静化することになる。それを平和と定義しなおすなら、オバマとケリーとプーチンの三人が最大の功労者ということになるだろう。プーチンはゴールドメダルをケリーに譲るだろうが。
 
 

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2013.06.12

このところの世界情勢など、だらっと呟いてみますね

 気分のせいもあるがあまり政治・経済や国際情勢のことをブログに書かなくなったような気がする。ツイッターではそのときおりのニュースや思いを発言しているけど、もう一つ踏み込んで文章を起こすとなると難しいなというのがある。でもま、そのあたりを思いつくままに少しブログにメモ書きしておこうかな。
 まず国内だが、安倍政権の現状はまずまずではないかと評価している。アベノミクス第三の矢には苦笑したが、しかたがない面もあるのだろう。あまり報道されていないようだが、安倍総理の活動時間(労働時間)は近年の総理になかでは長いらしく、難病を抱えているので無理はされないほうがよいのではないかと思えてならない。難病抱えた人生はつらいもんですよ。
 国内経済については、株価の乱高下があって、ここぞとばかりに面白い批判が出てくるが、概ね予想外のことはない。現状どういう状態にあり、今後はどうなるかについては、今週の日本版ニューズウィーク(参照)に寄稿しているピーター・タスカの「アベノミクス、始まりの終わり」を読むとすっきりとわかる。関心ある人は書店で立ち読みされたらよいのではないか。
 国際的な話題としては、英ガーディアン紙と米ワシントン・ポスト紙がスクープした話題だが、米政府が国家安全保障局(NSA)を使って個人情報を監視していることが沸騰している。噂話は以前からあり、上院で二月以降追求もされていたのだが、明確な形で突きつけられたことになる。さてオバマ政権はどうなるのかという点が興味深いには興味深いが、おそらく違法性はなく、では、監視をどう規制するかというと具体論になると難しいだろう。
 スクープの元になったのは、コンサルティング会社の契約社員としてNSAハワイ支部に4年勤務したセキュリティー担当者エドワード・スノーデン(Edward Snowden)で、AFP記事によると、(参照)「年俸20万ドル(約2000万円)とガールフレンド、順調なキャリア、家族に囲まれた「快適な生活」」を捨ててまで、「市民の名の下で何が行われ、また市民に対して何が行われているのかを公に知らせたいというのが、私の唯一の動機だ」と啖呵を切ったとのこと。そのあたりで、ネット(国外)での反応を見ているとすでに英雄視されている。
 AFP記事ではスノーデンをこう伝えている。


 米ノースカロライナ(North Carolina)州エリザベスシティー(Elizabeth City)で育ったスノーデン氏は、後にNSA本部のあるメリーランド(Maryland)州へ引っ越し、地元のコミュニティーカレッジでコンピューターを専攻した。成績は平凡で、高校の卒業資格に相当する単位は取得したものの卒業はしなかった。2003年に米軍に入隊し、特殊部隊で訓練を受けたが、訓練中の事故で両足を骨折し除隊した。
 NSAに関連する最初の仕事は、メリーランド大学(University of Maryland)構内にあるNSAの秘密施設の警備員で、その後、CIAで情報セキュリティー関連業務に従事。情報要員となる正式資格は欠いていたが、優れたIT技術によって昇格し、07年からはスイス・ジュネーブ(Geneva)にCIA要員として外交官資格で駐在する地位を与えられた。09年に民間で働くためCIAを離職。民間請負業者を通じ、在日米軍基地にあるNSAの施設で任務に就いた。

 形の上では、中卒ということであり、にも関わらず「すーぱーはかー」というのだから、「オレは中卒だ」とぶいぶい語る巨漢・中年ブロガー(娘二人と美人嫁あり)を連想しちゃうが(ちなみに弾子飼さんのことね、ちゃかしてごめんね)、スノーデンは29歳。イケダヤハト、27歳に近い。
 というか、そのあたりで、あああ、ってちょっと思うものがあるんだが、というあたりで、昨日のニューヨークタイムズのデイヴィッド・ブルックスのコラムがちょっと気になっていた(参照)。
 結論から言うと、『人生の科学: 「無意識」があなたの一生を決める』(参照)を書いたブルックスのことだから、こういうコラムになるしかないだろうなというのあるんだけど、ようするに、スノーデンには社会性がなく、それで米国の社会的な絆を壊してしまったという話だ。
 どこの保守ですか?という印象だが、ニューヨークタイムズってこういう保守性があるし、しかもリベラルという点では今回のガーディアンに比べるとウィキリークスでもそうだったが、権力にへたれるところがある。オバマ政権のダメさを今一つ押し切れずに、シリア問題をぐちゃぐちゃにしちゃうところもあるんだが、って、なんだか悪口みたいだが、対政府的にはワシントンポストのほうがきちんとリベラルじゃんということも多い。ま、でも、ブルックスがニューヨークタイムズの立場を代表しているわけでもないことは、ワシントンポストをクラウトハマーが代表しているわけでもないのと同じだが、と、無駄話になったちゃったな。
 ブルックスのコラムの出だしがすでに、日本のネットなら炎上もの。意訳をそえときます。

From what we know so far, Edward Snowden appears to be the ultimate unmediated man. Though obviously terrifically bright, he could not successfully work his way through the institution of high school. Then he failed to navigate his way through community college.

現状私たちが知る限りで言うなら、エドワード・スノーデンは社会と折り合っていくことができないことこの上ない人だ。恐ろしくほどの切れ者だとしても、高校をまともに卒業できない。職能学校でも落ちこぼれた。



Though thoughtful, morally engaged and deeply committed to his beliefs, he appears to be a product of one of the more unfortunate trends of the age: the atomization of society, the loosening of social bonds, the apparently growing share of young men in their 20s who are living technological existences in the fuzzy land between their childhood institutions and adult family commitments.

思慮深く、自分の信念に忠実であっても、彼は、この時代の不幸な潮流が生み出した人物のようだ。不幸というのは、人々がバラバラな社会のことだ。社会的な絆が失われている。現在増加しつつあるように見える彼ら20代は、幼児期の環境から成人後の社会参加でも曖昧な位置に置かれ、技術優先の生活を送っている。


 このあと、日本ならさらに炎上もんの、今時の若い者へのお説教が続くのだが、割愛。
 ブルックスのお説教は、スノーデンの正義感は認めても、じゃあ、我々の社会の絆はどうするねん、という、まあ、つまらないといえばつまらないオチで終わるのだが、実際のところ、今回の事態で、ではNSAは今後どうするのかというと、未来像がよく見えない。
 こうしたビッグブラザー政治への一種のごまかし、というか、殺人ロボットでばこばこ人を殺しちゃうとか、オバマ政権ってこんなのばっかりなんだけど、ではどうするのかという落としどころは見えない。というか、前回のブッシュ・ジュニアを正義感で叩きまくった人々のツケみたいな事態になってくる。
 ブッシュはアホだアホだと言われてきたけど、怜悧なオバマさんでないと正常に維持できない強権なんていうものは怖すぎるではないかというのが、本来のリベラルの感性だと思うのだけど、ね。
 なんか、この話題だけでエントリ書いたほうがよかったかな。次。
 欧州の水害はかなり深刻。経済的にもきつくなるだろうな。うーむ、言葉がないです。次。
 トルコ暴動だが、これ、NHKを見ているとオリンピック招致の話題を出しているときは事実上ずっと隠蔽していていて、その話題が切り替わったら、どどっと出してきたあたり、なんか日本のメディアって笑えるなあという感じだったが、さて、この暴動をどう見ますか。ジャーナリストの田中龍作さんはこうツイートしていた。




 現地から報道されているのは、さすがなあと思うが、遠巻きに見ていると、エルドアン首相の地盤は全然揺らいでないし、暴動は局所に限定されてるので、これで「人々の意思が世論」という動向はなさそう。
 では早晩沈静化するかというと、トルコはもうけっこう世俗化しちゃったので、エルドアンがなんとか穏健なイスラム文化に引き戻そうとしても、都市部ではもう無理。事態が政権打倒に結びつくことはなさそうだが、亀裂は残るだろう。
 他、気になっている話題は、ナイル川の水源問題。これ、日本では報道ないなあと思ったら、AFPに「エチオピアへの「妨害工作」、エジプト政治家らがテレビ中継知らずに議論」(参照)があった。
 しかし、これもAFPかあという感じ。AFPくらいしか日本語で読めるまともな海外情報ってないのが現状なんだよなあ。
 ハフポストも頑張って日本版を作るんじゃなくて、本家をそのまま和訳しているだけで、けっこう日本に有益なんだけどなあとか思う。
 てなところで。お昼過ぎちゃった。松屋で夏野菜カレー喰いに行こうっと。
 
 

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2013.06.10

意外に知られていない米語発音・表現の現実そしてTPing

 先日のネタ、「米語発音の実態。"Mary/merry/marry"の違い知ってますか? 「ねーよそんなもん」がほとんど正解。: 極東ブログ」(参照)の続きというか、122個の事例を見て思ったことをメモ。

"ant(蟻)"と"aunt(叔母)"の発音はほとんど同じ。(1)
 これは知ってた。ここまでそうなっているのかというのはちょっと驚き。

"been"の発音は、ウィスコンシン州とかだと"ben"になる。(2)
 これも知っていたが、比較的特定の地域に固まっているのは意外だった。

"caramel"は東部だと、"car-ra-mel"で3シラブルだが、他は"car-ml"で2シラブル(4)
 予想はついていたが、Forvo(参照)で聞いてみた。

"route"はしばしば"out"のように発音される。(26)
 これは想定より地域が多いので驚いた。Forvoでも確認できた。

"cot"と"caught"は西部では同じ(28)
 これも予想していてが、はっきり見たのは初めて。

"almond"の"al"は"all"と同じ(29)
 スペリングに引っ張られるのだろうと思う。学校英語だと分けているはず。

"chromosome"の"s"の発音は"z"(33)
 これは辞書と違うのでへえと思った。理由はあとからは推測は付くけど。

"grocery"の"cer"は多くの地域で"sher"(36)
 これは意外。なぜなんでしょうかね。

"strength"の"g"の発音は"k"(42)
 "length"も同じ。日本人だと知らない人は多いのではないかな。

「みなさん」は南部では"y'all"、他は"you guys"(50)
 意外と地域差がくっきりしていた。

「蛍」は"firefly"の他に"lighting bug"(65)
 米人らしいものの見方だなと思う。即物的というか。

「ザリガニ」は南部では"crawfish"。他は"crowdad"や"crayfish"(66)
 食材が知識対象かということの差かな。

「運動用ゴム底靴」は東部では"sneakers"だが他では"tennis shoes"(73)
 これはうかつにも意外だった。

「天気雨(suns hower)」は多くの地域で知られていない(80)
 そういう気象がその地域にあるか、ということかも。

「目やに」は"sleep"で"eye booger"は使われない(82)
 これは知らなかった。

"oil and vinegar"とはいうけど、"vinegar and oil"とはあまり言わない(91)
 なぜなのかけっこう気になる。"r"を最後にしたいのだろうか。

「ゴミ箱(缶)」は北部では"trash can"、南部では"garbage can"(97)
 呼び名の違いは普通に習慣でしょうね。

「家や家の前をトイレットペーパーで巻くことをなんて言う?」答え、"tp'ing"(106)
 これはびっくり。この手の映像は見かけたことはあるけど、特定の言い方があるとは知らなかった。というか、けっこう知られているのか。

カットしてないパンの端は、"heel"(111)
 辞書だと「パンの耳」としているのがあるけど、ちょっと違う。自分でパン作ると、heelはよくわかる。前後の端のところ。

「自動車の助手席は」"shotgun"(120)
 知らなかったので勉強になった。なるほどね。これ、お子様でも使う言葉なのか。

感想
 発音関係で「ええ?」と思った部分は、Forvo(参照)に当たってみるといろいろ面白かった。
 「家や家の前をトイレットペーパーで巻くことをなんて言う?」の問題の意味がわからなかったが、"TPing"で画像検索したらわかった(参照)。なんですか、これ。


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2013.06.09

手塚治虫のこと、心の奥にひりつくなにかを残した人

 手塚治虫についてはいろいろ思うことがある。それどころか、これこそ自分語りになりかねない部分だ。なにかそこに、ひりっと痛むものがある。
 またまたの話に聞こえるだろうけど、自著『考える生き方』(参照)は自分のことを書いたので(ブログに書いてない部分など)、それこそ自分語りに読まれてしまうし、それでも当然いいし、典型的な誤読があってもしかたないなあと思うのだけど、自分としては自分語りから少し距離を置いて書いていた。というかそれでようやく書けた。それでしか書けなかった。気取りというものではないけど、自分を他人、しかも、普通に凡庸な他者のように対象化して離してみた。
 実際、自分という人間が凡庸であることは確かなので、そうじゃないんだぁみたいな自分語りはない。だが、その対象化のなかの、どこかで他者に合わせてそうしている部分は残る。いずれにせよ、自分の生き方が、自分からちょっと他人に見えるかなという距離感のようなものが、さすがに年食ってようやく見えてきた部分がある。
 ところが、出し惜しみということではないのだけど、本当に自分を語るとなると、どうにもまだひりひりするものがある。もちろん、それが書けたとして意味はないのだろうけど、それはなんだろうと自分では思う。話を戻すと、手塚治虫などもそのあたりに関係している感触があるのだ。
 話がごちゃごちゃするのだけど、あえてその、ひりってする部分を少し離して言うと、昭和32年生まれの私は、まさに手塚漫画が幼児期から子どもの時代の精神の基底部分を形成していて、「ああ、手塚にやられちゃったなあ」という感じがある。手塚が自分のコアに突き刺さっているというか。それを抜いたら、自分も終わりだなというか。
 これがどうにもめんどくさいものであることは、青年期になってわかってきた。「ブッダ」(参照)について先日触れたが、どうもアンビバレンツがある。それに明確に気がついたのは、青春の時期に身近になった人が、少なからず、手塚のファンだったからだ。もちろん、手塚のことは知っているから、その人たちと話が合わないわけではない。が、そのファン的な心情の人の手塚への同一視が、自分の内面に、痛い。なぜなんだろうか。いやそれこそがアンビバレンツというもので、自分も手塚ファンですと言えたらいいだろう。いや、言ったりもするし読んでいたりもするのだが、それでも痛いのである。
 そんなことは自分の受け止め方に過ぎないし、それが自分のねじくれた性格の反映だろうくらいに、そういう痛い部分は突き放してその後生きてきたのだが、先日「ブッダ」を読み返したあたりから、いや、実はその前からなのだが、これは、自分だけの問題じゃなくて、手塚自身にも関係した問題じゃないのかと思うようになった。
 ちょっと傲慢に聞こえるかもしれないと怖れるし、そこにひりっとしたものが触るのだが、手塚ファンの人たは、手塚が差し出すものをきちんと受け取ったのだろう。だが、私は、手塚を受け取っちゃったんじゃないだろうか。そんな気がする。手塚の持っている、どうしようもない暗い部分や女性観、あれに小さいころから呼応してしまったのではないか。
 手塚治虫がどういう生き方をした人かはリアルタイムで見てきたからそれとなく知っているし、死後補正されたとはいえ、それまでは私の父親と同じ年の人であり、私の父もそれを知って手塚を理解していた。ある意味、身近に思える人だった。
 が、どうも手塚の人生には、公開されていないやっかいな秘密があるんじゃないだろうか。そんな気がしてならない。そう思いつつ、それにずっと向き合うのを避けていた。循環するが、痛いからである、自分が。
 でもさすがに、少し向き合うかと手塚治虫関連の書籍を読んでみたり、読み返したりしてみるのだが、これがなんとも、なんというのだろう、悪い本ではないのだが、あれだ、私が青春時代にあった手塚ファンのノリというのか、漫画が好きすぎるというのか、自分の関心からはみごとに逸れている。

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手塚治虫
アーチストになるな
(ミネルヴァ日本評伝選)
 2008年の『手塚治虫―アーチストになるな(竹内オサム)』(参照)は、手塚治虫の評伝としてはよく書けているし、業績とのバランスもよい。良書と言ってよい。
 なのでそれ以上のものを求めるはお門違いなのだが、手塚治虫の暗さの起源というか狂気の起源があまり見えてこない。著者・竹内オサムにその感覚がまったくないわけでもないことは、「ジャングル大帝」への視線でもわかるのだが、まだ、そうしたレベルでの評伝が成熟しないのだろうか。
 評伝とは違うのだが、悦子夫人の回想録は読み返しても興味深いものだった。講談社プラスアルファ文庫で1999年に『手塚治虫の知られざる天才人生』(参照)と改題されているが、元になるのは1995年の『夫・手塚治虫とともに―木洩れ日に生きる』(参照)である。夫人でなければ描けなかった手塚治虫の姿はよく描かれているが、これを読み返しながら、自分のひりひりとする部分の一つの側面はわかった気がした。簡単なことだった。自分の父母の時代の生活史自体がもつ歴史の感覚、それ自体の痛みが半分くらいである。その部分でひとつ簡単に言えるとしたら、悦子夫人の回想の意識がすべて昭和の元号で体系化されていることだ。(ただし、手塚治虫自身は西暦の枠組みで生きていた。)
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夫・手塚治虫とともに
木洩れ日に生きる
 悦子夫人の回想録には手塚家や彼女の家系の話などもあり、庶民の生活史の感触を伝える点でも面白い。赤塚不二夫の自伝『これでいいのだ』(参照)でも思ったが、歴史家な知性によって滅菌されない歴史の生活の感性というのは面白いものだ。こういう書籍を使って、現代の若い人に、昭和の歴史とか高校とかで教えたらどうなのだろうかという気もする。
 話戻して、悦子夫人の回想録には息子さんの手塚眞の手記も載っているのだが、これが実に彼らしいトーンで書かれていて心惹かれる。

 親子といってもしょせんは他人です。もちろん、父親の仕事で手伝えるところは手伝わなくちゃ、ぐらいには思っておりますから、手塚治虫記念館の仕事をしたりしていますが……。

 そのあたりは、ある程度、いつもの彼らしい口調だし、そういうトーンが続くのだが、そこでぼそっと変な話が脈絡なく書かれている。

 だから肉親から「こんなこともあったでしょう」と言われて、そんなこともあったっけ、とぼんやりその気になるくらいで、どうも思い出というと家族のことより学校のことやら友だちのことばかりになってしまいます。だから父については僕よりも仕事仲間か、母や妹たちのほうがよく語れるでしょう。
 僕の記憶に一番新しい病床の父については、ここで触れるつもりはありません。その最期の瞬間に何が起こったかは、親子だけの秘密です。
 ところで今日は母のことを少しだけ書きますね。

 こう書かれれば、手塚治虫の最期の瞬間に何が起こったのかという関心をもたないわけにはいかない。それは手塚眞らしく言及されているからだと言ってもよい。別の言い方をすれば、一子相伝めくが、それが明らかにされることはないだろうし、おそらく、そこに手塚治虫の秘密が関係しているのも確かだろう。言うまでもない。私が手塚治虫にひりっと感じる部分もそこに集約されるように思えた。
 それが何かということは、「何か?」と問う枠組みではわかることは金輪際ない。また、それを自分のひりっとした体験の背景で見つめることは、間違いですらある。
 ただそれでも、「ああ、そこにあるなあ」という手応えのような対象の感覚は自分のなかでかたまりつつある。さて、そのひりついた部分を見つめてみるかなという気持ちにはなる。
 
 

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2013.06.06

米語発音の実態。"Mary/merry/marry"の違い知ってますか? 「ねーよそんなもん」がほとんど正解。

 英語の発音の話。いや、正確にいうと英語じゃなくて、米語。で、ああ、また発音の話かよ、でもあるんだけど、いやこれがなかか面白くてね。今回のネタは、米国人でも米語の発音は地域でけっこう違うよという話。そうまとめると、そりゃそうだよね、くらいなんだけど、これが具体的になると、ほほぉ、という感じがするのだった。
 具体的な話で行きましょうか。似たような発音の3つの単語がある。これだ。"Mary/merry/marry"だね。この3つの単語の発音の違いわかりますか?
 意外と日本人だとわかっちゃうと思うのだけど、あえてカタカナ風にいうと、メアリー/メリー/マリー、とかかな。
 で、米人はどうよ?
 答えは、ほとんどの地域で、この3つの単語の発音は同じ。ほとんどって、どのくらいかというと、この地図の赤の部分。

 でも、東部のニュージャージーとかは緑。ここでは、"Mary/merry/marry"の3つの単語の発音は違う。その西に接するペンシルベニアだと"Mary/merry"は同じで、"marry"は違うらしい。
 でもまあ、この地図見たら、"Mary/merry/marry"は同じ発音でもいいやあ、ってことになりそうだ。
 ほほぉと思うでしょ。いや、僕は思ったのだけどね。やっぱそうかあというか。
 ありゃあ、と思ったのは、曜日の、Monday/Fridayの最後のdayのところの発音ね。あれ、僕は大学のときの発音矯正の授業で、ええとカタカナ風にいうとですね、「マンディー/フライディ」って直されたわけですよ。でも、米人の発音聞いていると、それほどそういう発音が多いっていうことはない。「マンデェ/フライデェ」でえんじゃないかと思うようになっていたのだけど、これ見ると、やっぱそれでいいみたいだ。

 外来語の「マヨネーズ」、スペリングは"mayonnaise"。これなんかの発音も米国で割れている。というか、南部だと2シラブルで、カタカナ風にいうと、「マネーズ」になるようだ。外来語はなあ。しかたないな。
 発音以外に言葉の使い分けの話もある。これもまた面白い。
 辞書なんかだといろいろ書いてあるし、一言ある人の多いのだけど、あれですよ、supperとdinnerの違い。
 日本人だと、カタカナ風にいうと「サパー」というのは軽い夕食で、「ディナー」はきちんとした食事というふうに説明しちゃうんじゃないだろうか。僕なんかもそうだったんだけど。
 実態はどうかというと、太平洋岸だと「サパーなんて言葉使わない」というのが大半。中部から東部の大半は、「違いなんかないよ」である。ところがサウスダコダあたりだと、「サパーは夜食でしょ」である。

 ほかに、炭酸飲料の呼び名とか、けっこう地域で違うなあとか、まあ、いろいろ思いました。っていうか、これ、高校の英語の授業とかで活用したらいいんじゃないか。いろんな例が122個もあって、本にしてもよいくらい。
 ネタ元は「方言調査の結果(Dialect Survey Results)」(参照)。調査したのは、ジョシュア・カッツさん(参照)。
 
 

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2013.06.04

[書評]フランシス子へ(吉本隆明)

 まさか吉本隆明が最後の最後にこんな傑作を残していくとは思わなかった。晩年のテレビ講演などを見ると、もうほとんど惚けているとしか思えない恍惚感まで浮かべていて、死ぬ前から著作物はもう期待されないだろうと思っていた。それがまさかのまさか。

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フランシス子へ
吉本隆明
 亡くなる三か月前までの肉声を伝える、この本、「フランシス子へ」はすごかった。老人惚けのような語りと極限まで押し詰められた思念が一つの純粋な言語の結晶となっているのだ。語りがそのまま詩になっている。
 吉本さんがこんな白鳥の歌を残していたんだと、読みながら、涙があふれてきた。それでいて、可笑しくて、笑いもこぼれる。こんな本ってあっただろうか。
 タイトル、「フランシス子へ」というのは、「フランシス子」と名付けられた猫(ばななさんが命名した)の死に捧げたものである。吉本さんの死に先立つ九ヶ月前のことだった。16歳4か月だったという。猫としては高齢の部類では入っていただろう。吉本の傍に寄り添って、そのまま死んだのだという。

 フランシス子が死んだ。
 僕よりはるかに長生きすると思っていた猫が、僕より先に逝ってしまった。

 一匹の猫と一人の人間が死ぬこと。

 どうちがうかっていうと、あんまりちがわねえって感じがします。
 おんなじだなあって。
 どっちも愛着した者の生と死ということに帰着してしまう。


 愛猫ということだが、猫好きの吉本隆明がこれまで多数の猫と過ごしたなかでも、まるで自分とまったく同じじゃないかと思えるほど、心が一体になってしまった猫だったという。それでも普通の猫だったとも言う。

 とりたてなんにもいいところがねえよっていえば僕自身がそうだったわけで、そう思ってあらためて思い出してみると、痩せた体も、面長な顔も、自分とそっくりだったという気がしないでもない。


 僕は、自分の子どもに対してもそういうかわいがりかたはしたことがなかったと思う。長年連れ添った夫婦であっても、ここまでのことはないんじゃないか。そのくらい響きあうところがあった。


 もう、この猫とはあの世でもいっしょだというような気持ちになった。
 この猫とはおんなじだな。
 きっと僕があの世に行っても、僕のそばを離れないで、浜辺なんかでいっしょに遊んでいるだろうなあって。

 泣けた。
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なぜ、猫とつきあうのか
吉本隆明 (河出文庫)
 唯物論者で、親鸞すら浄土なんてものは信じてはいなかったと喝破してきた哲人・吉本隆明が、今や、静かに浄土というか天国を彷彿とさせているのは、その命のありかたを猫と同じまで掘り下げたからであって、老人として惚けていたわけではない。なんだか手塚治虫の「ブッダ」のタッタみたいだ。「最後の吉本隆明」とでもいうべき思想の行きつく姿でもある。
 猫の話から、そよ風のように話題は逸れ、ばななさんの息子、つまり吉本隆明は孫に移り、孫にも自分を見ていた。

 人が立っているときに寝転んでいたりとか、座って聞いていりゃいいのに立ったままで聞いていたりとか、なんだかへんちょこりんなかたちでさかさまになっている孫の状態を見ていると、僕とそっくりだなあ、よく似るもんだなあって。


 僕なんかは、今でもあのくらいの年の子とおんなじ、そっくりなんじゃないかって気がします。

 吉本さんという人はそういう人だった。
 いつでも、ずっとがきの心を持ち続けていた。というか、読みながら、ああ、俺も長生きできたとしても、がきの心のままくたばるんだろうなと思った。吉本さんは、いつも、俺だった。

 僕は、自分のやったことに積極的な意味をみだりにくっつけたりしたら、自分はもうだめだって思ってやってきました。
 なんでそうなるかっていったら、要するに自分は何かをいっぱしにやろうとしたところで、世間並みには振る舞えないってことがいちばん根底にあるだと思います。

 それから話は村上一郎にも移る。僕は、村上一郎を直接知る人から彼のことはいろいろ伺っているので、この話も興味深かった。死期ちかく吉本も村上のことを思うのだなと、思った。
 本書の面白さといえば、フランシス子との交わりもだが、中盤に出てくる「ホトトギス会」もけっこうなものである。いわく、ホトトギスは実在するのか? 執拗に問いかけるのである。なんだそれ。
 読んでて、吉本さんが何を言っているのか理解できない。ホトトギスがいるのは当たり前じゃないか。こないだも見たぞ。テッペンカケタカ、ホトトギス、だろ。いるよ。実在しているよ、よく見るじゃん、と僕などは思うのだが、そういう話ではなく、古典文学の文脈ということなのだろうか。
 このあたりから、村上春樹の小説のように話がシュールになってくる。いや、表向きは抽象的になる。

 これは何も「ホトトギス」に限ったことじゃないんでね。
 確実に「そんなものはいるわけはない。伝説さ」って言えるだけの根拠があれば、そういうことなんだけど、根拠はなくて、ただ疑いだけがある。
 そういう場合はどうするのかって問題でもあるんです。

 それはわかる。よくわかる。
 僕は、日章旗の起源は琉球旗でありさらにそれは蛇の目だろうと疑っている。古事記は偽書だと疑っている。聖徳太子あたり以前の日本史は全部デタラメだろうと疑っている。源氏物語の作者は紫式部ではないだろう。土佐日記の作者は紀貫之のわけないだろう。さらにお釈迦様は実在しなかっただろうとも疑っている。が、通説に反対するほどの確固たる根拠があるわけでもない。そういえば、福一原発事故の危険性(四号機プール)は依然まったく変わらないなとも疑っている。

 みんなはそう言っているし、反対するほどの根拠もないんだけど、自分はどうももやもやするんだよなあとか、いかにもよさそうなことだから反対もしづらいんだけど、なんか胡散臭いとかね。

 そこから親鸞の話に移る。
 僕も中学生のことは親鸞に傾倒したし、それなりに親鸞の関連は学び、吉本さんの親鸞物もよく読んだ。でも僕は結局、親鸞にはしだいに関心を失い、なぜか道元に傾倒するようになった。まあ、それは人それぞれということだろうけど。
 ただ、本書の親鸞は房総半島の旅の姿で描かれている。僕も一時期房総半島をよく旅していて、親鸞の足跡がこんなところにまであるんだと感心したことがあった。
 そして本書の最後にまたホトトギスの話になる。どうやら編集者がホトトギスの声を録音かなにかで吉本さんに聞かせているらしい。このようすだと、ほんとうに吉本さんはホトトギスの声聞いたことないのか? これって手の込んだ冗談か。まあ、その真偽もどうでもいいや、あははという感じで終わる。笑いが、いい。笑いを残してくれるのは、いいことだ。吉本さんは死んだんだなあとじんと胸に迫る。
 本書のゲラを直したのは、長女のハルノ宵子さんのようだ。僕と同い年である。って会ったこともないけど。
 このハルノさんの「鍵のない玄関」という後書きがよい。

 吉本ファン諸君よ! 私はあなた方とはなんの関係もないのだ。
 私は訪れる方々に、これからも父の生前と変わらず対応していこうという気持ちと、父の蔵書も資料も原稿もろともすべて、ブルトーザーでぶっ潰して更地にしてやりたいという、"黒い誘惑”との間を振り子のように揺れている。

 いいなあ。それでこそ。吉本隆明の娘さん。
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開店休業
ハルノ宵子
 というか、吉本和子さんの娘さん。隆明の背中に生えた悪魔の翼がばたばたするのをじっと見ていた女の目だろう。
 
 

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2013.06.03

[書評]手塚治虫の『ブッダ』読本(潮出版社編)

 昨日のエントリーで手塚治虫「ブッダ」を久々再読した話を書いた。きっかけは、「Yahoo!ブックストア」で2013年5月28日から2013年6月4日まで(ということは明日までか)無料で読めるとのことで、無料かあ、ほんとかなあ、以前全巻持っていたが、久しく読んでないから、この機会に再読してみようかということだった。

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ブッダ全12巻漫画文庫
(潮ビジュアル文庫)
 読み返してみると、いろいろ思うことはあった。ツイッターの反応で「仏教じゃねぇ批判はよく聞くけど、お釈迦様を主人公に、これだけ面白い漫画はないのでそこを評価してほしい」というのがあったけど、ああ、それはすまなかった。批判しているつもりはなかったし、面白い漫画だというのは前提のつもりだった。そうでなければ、思春期から青年期まで読み続けることはないよ。というか、cakesでの書評のようにきちんと評価を中心に描くべきだったかなとちょっと反省した。ええ、手塚治虫「ブッダ」は面白いですよ。女の描き方が、父親の描き方が……うーん、それじゃまた、ちょっと的が外れた感じかな。
 そういえば、コメント欄でも「ああ」さんというかたら「うんこ」という一言を貰ったが、気に入らなかったのかな。最近もまた、この手のたわいない罵倒コメントをよく頂くようになった。がんばってブログ書く気を無くしていきますので、よろしくね。
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手塚治虫の『ブッダ』読本
 この本の再読のついでに、「手塚治虫の『ブッダ』読本(潮出版社編)」(参照)も読んだ。こちらは無料ではない。でも、アマゾンでは古本で300円からと出ている。
 ざっと見たところ、これの電子書籍はないようだ。ずいぶんと以前の出版物かと思ったら、2011年6月4日刊で、東北大震災以降である。出版のきっかけは、本書にもあるが2011年5月28日に全国ロードーショーとなった「手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく」(参照)に合わせたもののようだ。この話も本書に書かれているが、ええ?「ブッダ」ってこれまでアニメ化されてなかったのかと逆に不思議な気がした。たぶん、「火の鳥」のアニメ化と記憶がこんがらがっているのだろう。

 そういえば、このブッダのアニメ映画化のポスターを見た記憶があるなあ。震災のどたばたのなかでなんか忘れていた。ちょっと調べたら、映画としては成功の部類だったようだ。

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手塚治虫のブッダ
赤い砂漠よ!美しく
【blu-ray】
 アニメ映画では原作の第2部全9章までらしい。
 来年、2014年2月に、第2弾の『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ 終わりなき旅』が公開予定とのこと。全体では三部作になるそうだ。
 映画の物語としては、二部までは作りやすいだろうが、三部は難しそうな気がする。タッタの伏線を原作以上に重くしないと、終決部を原作でなぞっただけでは、映画としては不燃焼なものになるだろうから。
 ブッダの映画といえば、ベルトルッチの「リトル・ブッダ」(参照)は見たことある。というか、あれもあれで面白いと思った。こちらの作品は、手塚治虫のような大乗仏教的な枠組みというより、もろにチベット仏教的な枠組みで、映像も「ラストエンペラー」(参照)や「シェルタリング・スカイ」(参照)のような絢爛なエキゾチシズムがよかった。
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リトル・ブッダ
[Blu-ray]
 余談が多くなってしまった。「手塚治虫の『ブッダ』読本(潮出版社編)」だが、簡単にいうと、これまで「ブッダ」の巻末にあった著名人の「解説」などを再録したもの。その意味では錚々たる執筆者が並んでいる。逆にいうと、錚々たる執筆者がけっこう書き飛ばしているのもわかる。
 萩尾望都の文章が一番熱がこもっているが文章はこなれていない。岡野玲子が手塚眞と結婚するまで手塚治虫を読んでなかったというエピソードも面白かった。1960年代生まれの彼女が手塚漫画を読んでいないということがあるのだろうかとも思ったが、あるんだろう。手塚眞はそのあたりに安堵する思いがあったのではないか。ちなみに手塚眞は1961年生まれ。父親と微妙な距離を置いている感が以前はあったが、気質としては父親とよく似ているんじゃないかと思うようになった。
 また話が少しそれてゆくのだが、今回手塚治虫の「ブッダ」を再読しながら、こっそりと自分の年齢を手塚治虫に重ねていた。
 本書に寄せた大林宣彦・映画監督の1993年の文章に「この「ブッダ」が描かれたのは手塚さんの四十三歳から五十五歳の間である」とある。実は私もそれは知っていた。ああ、自分も、手塚治虫が「ブッダ」を描き終えた年齢になったなあと思っていたのだった。そのせいか、自分と同い年の手塚治虫の人生観みたいなものがこの作品からじわじわ感じられた。それほど難しい話でもない。この作品のなかに描かれている「父」像に焦点を当てればわかるだろう。あの苦悩の王たちの父親としての苦しみに手塚治虫の55歳の思いが滲んでいる。タッタが父になるシーンなどもにもそれはあるだろう。
 手塚治虫は大正15年生まれ、私の父と同い年だったせいもあり、その点からも独自の関心を持っていた。父親世代の一つの典型に見えたからである。が、亡くなって直後、年齢詐称、というのでもないだが、実際の生年が発表され、1928年(昭和3年)生まれであることがわかった。江藤淳も死んで一年補正されたが、生年の公開には微妙な陰影があるものだ。
 本書には、錚々たる執筆者の解説文の他に、手塚自身を含めた関連インタビューが掲載されていて、興味深い。1980年5月「コミックトム」では、全体でどのくらいの長さになるかと問われて、「やめようと思えば、いくらでも早くやめられるんだけど(笑)。問題は、お釈迦さまにいつ年をとらせるかということなんですね」とあり、ああ、そこは考えていたのかと私は今になって知った。
 釈尊を描くことの本質的な難しさも当初から理解されていた。「お釈迦さまの教義とか本質といったものは、漫画にならないんですね。それを描くと、解説漫画になってしまう」とある。その意味で、あれは仏教ではないとかいう批判は最初から意味がないし、読者もそれは織り込んでいたはずだった(そうでもない人もいるが)。
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シッダールタ (新潮文庫)
 執筆に至る裏話もあり、意外だったのは、手塚自身から当初、日蓮を描こうかという意図もあったようだ。しかし、創価学会系ではあるのに編集サイドからは、その前にヘッセの「シッダールタ」のような作品を、という提案が出されて、「ブッダ」となった。やはり、「シッダールタ」は意識されてはいたのだろう。ちなみにこの作品も面白いといえば面白い。絶賛する人もいれば、小説としてはつまらないという人もいる。私はといえば、やはり、女の描き方と父の描き方に興味をもつ。
 手塚治虫の年齢の話に戻ると、本書に1977年のエッセイがあって、50歳を越えた彼の述懐がじんとくる。

 人間五十を越えるとがぜんエネルギーが衰えます。五十という年齢は、会社ならば管理職、訳書でも役付で、会議に出向いたり人に会うことが多くなってくるわりに、こまかな作業ができなくなってくる。ことにこまかい絵をかく作業は無理になります。
 エネルギーの喪失です。だから、現在の僕のペースは今までで最低だし、コンディションは最悪でしょう。

 ああ、それわかるなと思った。五十を過ぎてずーんと沈む感じというか、死のせまる感じは、自著「考える生き方」(参照)にも描いたけど、じんわりとくるものだ。手塚治虫は60歳で死んだが、僕もあと5年も生きたらいいかあなの感じはする。
 
 

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2013.06.02

[書評]「ブッダ」(手塚治虫)

 「Yahoo!ブックストア」で2013年6月4日まで、手塚治虫の「ブッダ」全14巻が無料で読めると聞いて、ああ、懐かしいなと思った。ニュースをざっと見ると、アンドロイド端末アプリを使うらしいので、持っているけど、あれで漫画を読む気にならないと思った。が、ふと気になってもう一度見ると、iPhoneアプリにも対応しているらしい。それでも画面が小さくて読む気にはならないが、もしかしてiPadで読めるのかもと思って試したら、読めた。そして、つらつら14巻を読んだ。他に、「火の鳥」全16巻と「ブラック・ジャック」全22巻も同期日まで無料らしい。そちらはいくつか覗いてみた程度。
 手塚治虫の「ブッダ」が、潮出版社の少年漫画雑誌「希望の友」に連載開始されたのは1972年のこと。僕が中学二年生の時だ。すでにその頃、僕は亀井勝一郎の「親鸞」(参照)とか、鈴木大拙の「日本的霊性」(参照)や梅原猛の「地獄の思想」(参照)とか読んでいた。中村元の「ブッダのことば―スッタニパータ」(参照)や金岡秀友の「仏典の読み方」(参照)なども読んでいた。仏典の原典も読んでいた。無駄な暗記力もあったので般若心経とかも覚えていた。それなりに仏教については知ったつもりでした。この手の知識分野への傾倒は、当時の学生によるあるタイプで、僕より一つ年上の大川隆法(ペンネーム)がご教祖様として出て来たときは、そういう世代だよなあ、なんか自分もちょっとしたきっかけでああなっちゃたかなという印象もあった。ああいう才能はなかったが。
 潮出版社はあらためて言うまでもなく創価学会系の出版で、当時住んでいた地域には創価学会の住民も少なくないことから普通の書店でも「希望の友」は売っていて立ち読みもできた。創価学会系で「ブッダ」かよと、当時ですら思ったものだった。が、「希望の友」はその前年から横山光輝の「三国志」も連載していて、なんというのか、いわゆる少年漫画でもないし、大人漫画でもないあたりを狙った、それなりにメジャーなコミック誌でもあった。
 「ブッダ」の連載は出版社は変わらないもの「少年ワールド」から「コミックトム」と続き、連載が終わったのは1983年。自著「考える生き方」(参照)にも書いたけど、僕はもうそのころはほとんど廃人状態だった。中二の思春期から人生オワタの25歳まで、考えてみると、手塚治虫「ブッダ」をずっと読み続けていたことにはなる。
 ずっと単行本で揃えていた。今でも思い出すのだが、後半に来て、たぶん「コミックトム」への移行の時期のせいだろう、長い休載があった(実際は半年ほど)。休載が明けると、主人公であるブッダの相貌が、いかにもお釈迦様になっていて、なんか物語のトーンも変わったような気がしたものだった(記憶違いかもしれないが)。
 手塚治虫「ブッダ」から感銘を受けたか。そこがなんとも微妙だ。結局ずっと関心を持ってリアルタイムで読んできたのだったが、最初から、これは仏教じゃないよなあ、でもなんとなく手塚治虫教でもいいじゃないかと思っていた。
 青年期になると、なんかもう惰性で読んでいたように思うし、最後のほうは関心も薄れていた。
 描かれているブッダの真理より、自分の人生オワタ境遇のどん底感が大きくなっていたように思う。その後は、書架に並べてあって、たまに読んだ。不思議なことだが、オウム真理教に傾倒する人達がこの漫画を好んでいるらしく、おまえらなあ、みたいな感想も持ったものだった。沖縄に転居する前ころ処分して、以降読んでいない。もう20年近くになる。
 で、久しぶりに読んだ。いくつかのシーンはリアルに覚えているが、記憶のシーンと微妙に違うので、初出との正誤を取りたいような気もしたが、まあ、めんどくさい。
 この年になって中二のころなど思い出しながら読むと、感慨深い。また、後半の物語の断絶感は今読むとどうだろうかとも思ったが、意外と違和感なかった。そもそもこの物語の実質の主人公はタッタであり、ブッダはむしろその背景であってもいいのだろう。
 また読みながら、ブッダのいわゆる悟りのシーンとか後半での真理の気づきみたいののズレ感から、ははあと思った。手塚治虫は創価学会系でもないし(共産党のメディアにも描いていた)、法華教信者でもないが、この作品は実質的に五時八教説をなぞっているわけだ。教相判釈に沿っていると言ってもよい。執筆にあたって、創価学会の影響は直接的にはなかっただろうが、結果的には天台系の思想になっているのだなと思った。
 描かれている手塚治虫流仏教は、言い方は悪いが、仏教とは似ても似つかない奇妙な思想だが、それでも、教相判釈でもあり、強烈に本覚思想でもあり、つまり、そういう点では、日本仏教の亜流と見てもよいのだろう。死後の霊魂もあるし、生まれ変わりもある。いやいや、むしろこれこそ日本の仏教か。

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ブッダ全12巻漫画文庫
(潮ビジュアル文庫)
 昔は、なんで仏陀に神(ブラフマン)が出てくるんだよとも思ったが(これは仏典にもあるので違和感ないとも言えるが)、今回読み返して、むしろ、神に従う預言者・仏陀というのは、けっこう大乗仏教での仏陀に近いのではないかと思う。大乗仏典を読めば、「仏説」とあり、「仏」が「説」くのだが、これは実際には預言の形態であり、ゾロアスター教などヘレニズム的な宗教と同形である。手塚風のブッダは西欧人もわかりやすいのではないか(何がわかるは別として)。
 普通に作品として見たとき、女の描き方にいろいろ心惹かれた。これは手塚治虫の他の作品でもそうだ。あの暗い想念とエロスへの渇望感みたいなのは、昭和という時代のものでもあるが、手塚治虫の個人的な資質でもあっただろうし、そのあたりに手塚治虫の秘密があるようにも思えた。あと、女を介した親子の葛藤なども、時代的といえばそうだが、そのあたりも、年取って読むとじんとくるものはある。
 cakesの書評がもう少し続けられるなら、いずれ手塚治虫も取り組みたいと思う。それは「ブッダ」かなあ、としばし考え込んだ。個人的には「アポロの歌」(参照)のような気がしているが。
 
 

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2013.06.01

核廃絶を目指すオバマ米大統領、2013年春、いまここ

 核廃絶を目指すことでノーベル平和賞を受賞したオバマ米大統領に関連し、核廃絶を国是としてきた平和国家日本にとって、5月30日付けの中国網「米が戦術核兵器のF-35搭載を検討 日韓豪の魅力的な戦闘機に」(参照)は多少気になる話題ではないかと思えた。軍事問題は難しく、全体像が見渡せないが、国内報道やこれをテーマとした議論も見当たらないように思えるので、簡単にブログで拾っておきたい。
 話の当面の起点となる中国語によるオリジナル記事はわからないが、日本国内向けには次のように手短にまとめられている。


 米国は新たな国防予算の中で、110億ドルを戦術核兵器の現代化改造に充てる予定だ。将来的に、これらの改良後の戦術核兵器はF-35戦闘機に搭載される。これは敵国の軍事目標に対する、爆撃効果の引き上げを目的とするものだ。
 米国の計画によると、今回の改造は核兵器および発射装置を対象とする。
 米国は欧州に配備しているB61-3/B61-4戦術核兵器を米国に戻し、その他の数種類のB61の長所と結びつけ、新たなB61-12核爆弾を開発する。同核爆弾は2019年の交付を予定している。
 B61-12の性能はこれまでの性能を上回り、TNT換算で5万トンの破壊力を持つ。米国はB61-12に、B61-7のTNT換算36万トンの破壊力をもたせようとしている。そこで米国の科学者は爆弾尾部の誘導装置を改造し、命中精度を高めた。精度が高められたことで、TNT換算5万トンの破壊力を持つ核爆弾は、36万トン級の核爆弾に相当する脅威となる。

 オバマ政権が、旧来の戦術核兵器B16を改良し、実質的に36万トン級の核爆弾に相当する核能力に高めようとしているとのこと。これにオバマ政権は現在、多くの予算をつぎ込もうとしている。
 これはどういう意味があるのだろうか?
 核爆弾の能力向上という点では、核兵器の推進の形態とも取れるし、あるいは新たな核を作らずに、旧来の核兵器を改造するだけなのだから、オバマ米大統領がノーベル平和賞の理念をこのような形で実現したと言える。どちらだろうか。
 関連して、昨年の9月だったが赤旗に興味深い指摘があった。「米核兵器管理 事実上の新型開発をやめよ」(参照)である。

 米政府は核兵器管理で、製造から年月を経た核兵器が問題なく所定の動作をするよう整備し、さまざまな実験もそのために利用しています。それは使用期限の延長であって、兵器としての新たな能力を付け加える「新型」開発ではないというのが建前です。
 しかし、整備では数多くの部品が交換され、そのなかで核兵器は改造され「近代化」が図られます。「新型」というべき核兵器に生まれ変わることもあります。
 爆発力を広島型原爆の50分の1から24倍まで選択できるB61核爆弾。既存の4種類の型を統合し、新たにB61―12がつくられます。小さい爆発力で効果をあげられるよう精密誘導装置が備えられます。ブッシュ前政権当時に“使いやすい核兵器”として大問題になった小型核兵器が、オバマ政権下でひっそりと開発されています。


 オバマ大統領が新たな核兵器を開発するのは、核兵器の役割を認めるからであり、「核抑止力」論にしがみついているからです。それは核爆発を起こさずとも、核兵器の威力を活用する立場であり、「核兵器のない世界」への最大の障害です。「核抑止力」論への批判がますます重要です。

 その後、この話題を赤旗がどう維持・継続しているかわからないが、比較的最近の関連の話題では、4月28日「核兵器向け予算を国民へ 首都選出のノートン下院議員」(参照)があった。

 【ワシントン=山崎伸治】米国の首都ワシントン選出のエレノア・ノートン下院議員(民主党)がこのほど、核兵器を廃絶し、核兵器に向けられていた予算を国民のために使うよう求める「核兵器廃絶、経済・エネルギー転換法案」を現在開会中の第113議会に提出しました。
 ノートン氏は1994年以来、毎回の議会に同趣旨の法案を提出し、今回が11回目です。
 今回の法案は、米国政府が核兵器を無力化・解体するという国際協定を2020年までに交渉することを義務付け、核分裂物質や放射性廃棄物を厳重に管理することなどを規定。さらに核兵器に使われる予算を住宅や医療、年金、環境保護に当てることも盛り込んでいます。
 ノートン氏は法案について18日の本会議で演説し、「議会が国民向けや基盤整備のための大切な予算を削り続け、世界がイランや北朝鮮への核拡散の懸念に直面するなか、この法案はことさら時宜にかなっている」と強調しました。
 法案は、93年9月にワシントンで実施された住民投票で56%の賛成を得た提案を基本にしています。

 赤旗の報道では、「世界がイランや北朝鮮への核拡散の懸念に直面するなか」という文脈が強調されている。
 だが、その一週間ほど前のガーディアン報道「誘導兵器案浮上でオバマは核化回帰が非難されている」(参照)があり、同記事では、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、およびトルコに備蓄された約200個のB61重力爆弾を、ステルスF35戦闘爆撃機で利用可能な誘導兵器に作り替える計画が話題になっていた。
 おそらく、赤旗が取り上げた4月28日の記事は、一般的な核廃絶問題ではなく、ガーディアン記事や中国網にあるようにステルスF35戦闘爆撃機に搭載可能なB16核爆弾開発の文脈だろう。
 ごく簡単に言えば、オバマ政権は今後、敵レーダーに検知されないようなステルス戦闘機に小型の核爆弾が装備できるようにするために、新たな予算をつぎ込むということである。
 核兵器強化としてこの事態を見ていくとき、多少奇妙に思えるのは、現在の報道の文脈では、基本的にNATOの強化に見えることだ。NATOに冷戦時に迫る脅威があるのだろうか? という点で考えると、イランやインドのの核弾頭搭載可能ミサイルが想起されるはする。これが大問題なのだろうか。
 オバマ政権の核化戦略の本質がよく理解できないのだが、NATOにおける核兵器強化の必要性がさほどないなら、多少陰謀論めいた推測ではあるが、むしろそれを必要とする地域を刺激させないための名目上の動向であると考えられなくもない。中国網記事の副題「日韓豪の魅力的な戦闘機に」はこの点を示唆しているのだろう。
 米国の核の傘に不安を覚える韓国や、平和への祈りを天に届けようとしている日本など、アジア地域には、大国中国を除くと、当然ながら、具体的な核戦略はないので、米国としては、核の傘のフォローアップの一環として、ステルスF35戦闘爆撃機に搭載可能なB16核爆弾開発をしているということはないのだろうか。
 この問題についてわかりやすい解説記事があればよいのだが、ニューヨークタイムズなどでも予算問題や核廃絶の文脈としてだけ取り上げているだけで(参照)、オバマ政権の軍事戦略の大筋のなかでの位置づけが見えてこないように思える。
 
 

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