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2013.05.21

[書評]カラマーゾフの妹(高野史緒)

 奇妙な表題の『カラマーゾフの妹(高野史緒)』(参照)は、1966年生まれの日本の作家(SFなども得意とする作家であり、いわゆる純文学形の作家ではないが)高野史緒が、ドストエフスキーの大著『カラマーゾフの兄弟』の続編をモチーフに書いたミステリー作品。第58回江戸川乱歩賞受賞作も受賞し、専用サイトには賛辞が並んでいる(参照)。


「これだけでも独立した作品として十分に楽しめるように書かれているが、ドストエフスキーの原作におもむけば読書の快楽は倍加する。難解長大で敬遠されがちな古典の読みどころを、本書は的確に教えてくれるからである。快作に脱帽。」
沼野充義 「毎日新聞」2012/8/5

 私の印象では、どちらかというと独立した作品として読んだほうがよい。ただし原作を知っていると確かに「読書の快楽は倍加する」。リーザの描写やそれに関連するアリョーシャの描写など爆笑して腹痛え状態になった。それが「古典の読みどころ」かというとそういう面もある。

「ドストエフスキーの思想と時代を手がかりに続編を夢想した人はいるが、ミステリーとの整合性から続編を発想した作家は前代未聞。なんという着眼点。「前任者」の用意したエピソードを隅々まで活用した“読み”にはほとほと感嘆。洗練された結末にも、文句なく納得だ。」 
温水ゆかり 「GINGER」11月号

 ミステリーの整合性という視点はたしかに斬新だし、落ちもいかにもミステリー仕立てだった。私はあまりミステリーは読まないけど、この悪趣味のコテコテ感はカトリーヌ・アルレーを思い出した。
 「整合性」とはいっても、ドストエフスキー作品のディテールは取捨はされている。が、明確に外しているものはなかった。それでもこれに「文句なく納得」しちゃうのは、『カラマーゾフの兄弟』を、ほんとに読んだのかなという疑念は浮かぶ。

「原典に則した綿密な構成、文豪を思わせる重厚な文体、万人を納得させる強靱な論理、そしておそらく原作者も予想しなかった意外な結末。すぐれて芸術的な探偵小説である。」
郷原宏 「潮」10月号

 そういう面もある。描写で美しかったのは、エイダ・ラブレスによるバベッジのマシンに関連する部分だ。村上春樹の『1973年のピンボール』を彷彿とさせる。このあたりの描写からは、無理して本歌取り的な作品にしなくてもよかったんじゃないかなとも思えたほどだ。
cover
カラマーゾフの妹
 というわけで、ちょっとくぐもった評への評を先に書いたが、ミステリー作品としてはこれはこれでいい。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編という思い込みで読むと、がっかりする人もいるだろうが。私は、先にも触れたように、これはこれで楽しい作品だった。
 書名で「妹」とされている部分は本文での参照はあるものの、イワンの多重人格を説明するためのどちらかといえばチープな仕掛けで、作品としての必然性はないと見てよい。おそらく書名の洒落のインパクトとして後から考えられたものではないだろうか。
 この作品を執筆した理由はおそらく、私も感じていたのだが、『カラマーゾフの兄弟』のグリゴーリイ証言の奇妙な点にあるだろう。あの部分でドストエフスキーは何を表現したかったのか、一種のパズルが潜められているなという印象はあった。この作品でもそこが推理の足がかりになっている。
 『カラマーゾフの兄弟』には知的なパズル的要素がいくつかあり、そのわりに口述のせいか詰めが甘くてなんだかよくわからない。が、一番重要なパズルは、ゾシマ長老がドミートリイにひざまずくシーンで、単純に言えば、これはドミートリイがイエスだという意味である。ドミートリイは無罪でありながら他者の罪を負ったということで、これがこの作品の根幹、イエス・キリストを描いた作品という点である。
 こちらの『カラマーゾフの妹』ではそういう宗教や思想的な部分は一切、小気味よいくらい排除されていて、該当シーンにも笑える意図的な読み換えがある。作者・高野もわかっていてやったのだろう。悪魔も多重人格として合理的に解釈されている。
 同様に、高野はドストエフスキー作品のディテールを丹念に読み込んでいることは諸処でわかる。ドストエフスキー学者が考察した諸学説なども織り込まれているので、アリョーシャの末路も、もしドストエフスキー本人が書いてもこれに近かっただろうなという印象がある。当時のロシアについての知識も豊富で、その点も大したものだなと思って読んだ。
 こうした続編的な作品の性格上、登場人物に制約が出てくるので、しかもドミートリイはすでに亡きものにしているので、人物の使い回しに作品の窮屈さは感じられる。とはいえ、こちらの作品ならでは登場人物が一人いて、彼が事実上の主人公になる。トロヤノフスキーである。心理学者である。なぜこういう人物を配したかというのは、犯人の割り当てから逆に要請されてしまったからだろう。本来ならこの犯人が主人公である物語なのに。
 以上印象程度の話だが、こうした作品があってもよいのではないかとは思った。いわゆるコミケ的な二次創作のノリと見てもよいだろう。
 読後、なんとなく思ったのだけど、この作品をドストエフスキーの文脈でベタに書くのではなく、こういう作品理解としてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読解した人物が犯した奇妙な犯罪の物語のような仕立てにするとエレガントだっただろう。
 
 

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