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2013.05.29

他の国の人から見ると、米国人って変なやつらだなと思われる13のこと

 ビジネスインサイダーのサイトに28日付けで「他の国の人から見ると、米国人って変なやつらだなと思われる13のこと」(参照)というネタが載っていて、なんというか微妙に面白かった。いやぁ面白いというほど面白いわけではなくて、なんとも微妙で、ちょっと考えさせられちゃうわけなんだよ。
 米国人って英国人から見ても、なんだろこいつらというふうに見えるらしい話は、れいのコリン・ジョイス君が『「アメリカ社会」入門―英国人ニューヨークに住む (生活人新書)』(参照)に書いていて、死ぬほど笑ったことがある。米国人ってまあ、そうなんだろう。
 というわけで、以下、テケトーにご紹介。正確に知りたい人がいたら元ネタにあたってくださいな。

1 どこに行くのにも車を使う
 米国人はよく何十時間も延々ドライブをするというのだ。

cover
辺境・近境
(新潮文庫)
 しかし、しかたないだろあの国土ではという気もする。村上春樹の『辺境・近境』になんか笑える北米横断記録があるけど、ああいう国なんだしなあと思う。広い国だから。
 でもごく個人的に思うのは、自著『考える生き方』(参照)に沖縄生活体験の話を書いたわりに、自動車のことは書かなかったけど、沖縄は本土の人からみると、めっさ自動車社会だった。鉄道網がないせいもあるんだけど、なにかと自動車。
 ところが東京のほうが交通は便利だなと思っていたが、東京にもどったら、いつのまにかショッピングは郊外大型店舗型になって、車でないと利用しづらい。沖縄に似てきた。

2 ウォルマートで何でも買えちゃう
 もと記事では、ウォルマートでトイレットペーパーとショットガンが買えちゃった、なんなのこの国という話が載っている。ピストルが買えちゃうところが、他国人にはぎょぎょぉなんだろう。日本人からして見てもそうだけど。
 米人と銃のことはいろいろ日本では話題になるけど、小型の護身ガンのことはあまり聞かない気がするんだけど、どうなんでしょ。
 あと、米国でなんでも買えちゃうで思うのは、処方薬かなあ。この話は長くなりそうなんで、パスるけど。

3 購買価格と違う値札
 税金分が含まれていないということ。外税ということで、これは慣れの問題かな。そういえば、以前、通販していると、お前の住んでいるところがMAだったら税金がこんだけというのがよくあったが、最近そういうのなくなってきたなあ。
 日本でも書籍は外税なんで、ショップで微妙に金額差があったりしたけど、最近気にしてないんで、どうなんだっけ。
 個人的には、市民に税を意識させるのはいいことだと思う。

4 妙に清く正しい
 元ネタでは「ピューリタン(清教徒)」とあるけど、ようするに映画とかをきっちりレイティングして残酷表現とか性表現を滅菌しちゃうところ。
 これは、慣れかなあ、と思う。
 僕が小学生のころは、街中に、今思うととーんでもないエロ映画ポスターとかあったものだった。

5 チーズ
 ようするに米国人、チーズ食い過ぎだろという話。それはそうかなと思う。というか、チーズがけっこう、なんというか、どかんと乳製品で味わいというか風味の複雑さに欠けると思う。でも、日本に蔓延しているプロセスチーズよりはかなりましかも。そういえば、もう20年くらい前だけど、ソノマからチーズを輸入しようといろいろやってめんどくさくてやめたことがある。乳製品の関税はめんどくさい。
 元ネタには、マカロニ&チーズ、そうマッケンチーズの写真が、うへぇな感じのアップで載っているけど、僕は思うのだけど、日本ってなぜか、マカロニ&チーズって見かけない気がするのだけど、なぜなんでしょ。ウサギ印とか売ったら売れるんじゃないでしょうか、ってか、売ってたっけ。カルディとかでも見かけない気がするんだけど。
 日本だとグラタンになっちゃうからかな。
 以下のレシピだと死ぬほどデブになれそう。最後に振りかけるチーズはなんなんだよ。

6 なにかとカボチャ
 正確にいうとパンプキン。カボチャとパンプキンは違うとも言えるけど。
 感謝祭の影響だろうとは思うけど、元ネタには、パンプキンフレーバーのコーヒーの話がある。ほんとかね。

7 チアガール
 そのとおりだと思う。米国文化のなにかが変かといえば、チアガールだろうな。なにあれ? 正確には、チアリーディングという。
 でも、先日、たまたま、日本のチアガール大会を見たら、えらく感動してしまった。日本もやるもんだなあと思った。チアボーイもいた。これも感動した。
 感動しちゃったから、もうなんでもいいや。

8 米国旗
 生活シーンになにかと米国旗が出てくることだなあ。もう日本の日章旗の比ではないよね。英国もそんなところあるけど。
 まあ、どうでもいいけど。国旗とかあまり深く考えるほどの問題じゃないんじゃないか。

9 どこにもコーヒーがある
 日本人からするとアメリカンコーヒーというやつ。日本人の番茶みたいなものじゃないか。
 もう随分前になる。日本来ていた米人が、日本のコーヒーはおいしいと言っていた。スタバが出来る前だ。そうだったのだろうな。

10 出身校をやたら気にする
 米国の場合、大学っていうのが地域コミュニティと関連が深いというのと、あとそれなりに卒業生で階級を作ることもあるので、出身校でグループしちゃうのもわからないでもないし、日本なんかもっとひどいじゃんとは言えるかもしれない。
 ただ、米国の場合、大学のシンボルとかがやたら派手ではあるような気がするなあ。なにかと出身校マークとか。

11 ダンスパーティの仰々しさ
 ダンスパーティと訳すのは正確じゃなくて、「プロム」っていうやつ。映画とかでよく見る、あれ、青少年が正装してなんか社交界するやつ。あの経験はないなあ。

 日本の成人式がプロム化しているかな。

12 歯を白くしたがる
 これはもう日本もそうなりました。
 個人個人、歯の自然な色は違うのだけど、白くしちゃいたいんだろうと思う。しかたないんだろうな。

13 世界一の国だと思われたい
 これはけっこう他の国でもそうじゃないかな。日本とか韓国とか、なんか、やたらと滑稽なほどに。最近では中国とかも真似しはじめているけど。
 いろいろ言われはするけど、実際、米国は何かと世界一だろうなとは思う。
 
 以上、13個。
 こうしてみると、日本もけっこう米国に似てきたし、日本人の、他国から見た変さかげんは米国人の比ではないだろうな。
 
 

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2013.05.28

橋下徹大阪市長による日本外国特派員協会での記者会見報道についてニューヨークタイムズでの取り上げかた

 27日に日本外国特派員協会で行われた橋下徹大阪市長による記者会見報道をニューヨークタイムズが取り上げていたので、その報道のされかたについて、簡単にメモしておきたい。
 該当記事は「Japanese Politician Reframes Comments on Sex Slavery」(参照)で田渕広子記者によるもの。
 最初に概括だけしておくと、一部でよく言われるような偏向報道という印象は受けなかった。どちらかというとそっけないほどプレーンな記事で、最後は、民主党の海江田万里代表が中国のことわざだとした「火を油紙で包むことはできない」という評で締めている。英文で読むと冗句なのか判然とはしないが。
 橋下市長のスピーチは英文(参照)と和文(参照)が存在するので、田渕記者が橋下発言とした部分の引用の正誤が確認できる。というか、そのあたりを以下にまとめてみた。基本的に二個所ある。
 まず一点目から。以下が田淵記者の報道文。太字が橋下氏の発言とされている部分。


“We must express our deep remorse at the violation of the human rights of these women by Japanese soldiers in the past, and make our apology to the women,” Mr. Hashimoto said, speaking to journalists at the Foreign Correspondents’ Club of Japan. But, he added, “it is not a fair attitude to blame only Japan, as if the violation of human rights of women by soldiers were a problem unique to Japanese soldiers.”

 次に橋下市長の英文。田淵記者の引用部に相当する部分を太字にした。

We must express our deep remorse at the violation of the human rights of these women by the Japanese soldiers in the past, and make our apology to the women. What I intended to convey in my remarks was that a not-insignificant number of other nations should also sincerely face the fact that their soldiers violated the human rights of women. It is not a fair attitude to blame only Japan, as if the violation of human rights of women by soldiers were a problem unique to the Japanese soldiers. This kind of attitude shelves the past offenses that are the very things we must face worldwide if we are truly to aim for a better world where the human rights of women are fully respected.

 日本語での対応は以下。ただし、直訳ではないので、文章単位で対応しているわけではない。

 かつて日本兵が女性の人権を蹂躙したことについては痛切に反省し、慰安婦の方々には謝罪しなければなりません。同様に、日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならないと訴えたかったのです。あたかも日本だけに特有の問題であったかのように日本だけを非難し、日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざすのはフェアな態度ではありませんし、女性の人権を尊重する世界をめざすために世界が直視しなければならない過去の過ちを葬り去ることになります。

 田淵記者の引用のしかただが、記者の関心から抜き出したのだし、それは記者の考えによるものだが、普通に読んでも、橋下市長が強調したかった部分、「日本以外の少なからぬ国々の兵士も女性の人権を蹂躙した事実について、各国もまた真摯に向き合わなければならない」「日本以外の国々の兵士による女性の尊厳の蹂躙について口を閉ざす」が抜け落ちているのは、発言者の意図を伝えるという点ではあまり正確ではないようには思えた。
 なぜこの部分の橋下発言を記事から除去したのか。その部分について田渕記者が触れたくなかったのか。疑問にも思う人もいるかもしれない。だが、そうでもない。引用という形ではないが、田渕記者のまとめとして次のように言及されている。この部分は先に触れた後半分に相当する。

Mr. Hashimoto charged that Britain, France, Germany, the Soviet Union and the United States were guilty of similar violations of women’s rights in World War II, as were South Korean soldiers who served in the Vietnam War. He urged those countries to acknowledge their past before scrutinizing Japan’s wartime history.

橋本氏は、英国、フランス、ドイツ、ソビエト連邦、および米国が第二次世界大戦における女性の権利について、同様の侵害した点で有罪であったし、ベトナム戦争で軍役に服していた韓国兵もそうであったと告発した。彼は、これらの国々に対して、日本の戦時史を詮索する前に自身の過去を認めるよう勧めた。


 田渕記者がこのようにまとめたオリジナルの橋本発言は、先の発言に続く以下である。

Sexual violation in wartime was not an issue unique to the former Japanese army. The issue existed in the armed forces of the U.S.A., the UK, France, Germany and the former Soviet Union among others during World War 2. It also existed in the armed forces of the Republic of Korea during the Korean War and the Vietnam War.

 和文は以下。

戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。第二次世界大戦中のアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍、ドイツ軍、旧ソ連軍その他の軍においても、そして朝鮮戦争やベトナム戦争における韓国軍においても、この問題は存在しました。

 田渕記者のまとめとほとんど相違ないように思われるので、引用の形態を取らなかったのは、記事のトーンを整えるためであったように思えるが、よく読むと、意外にも思えたのだが、ベトナム戦争での韓国軍については田渕記者の文章に参照されているが、朝鮮戦争(the Korean War)については抜け落ちている。なぜだろうか。この部分を抜くために引用を避けたのだろうか。疑問は残る。単純な話、この文脈において朝鮮戦争を無視するのはそれなりの意図が想定されてもしかたないだろう。
 もう一つの部分に移ろう。田渕記者の記事における引用部から。

“That was not what I meant,” Mr. Hashimoto said. “My real intention was to prevent a mere handful of American soldiers from committing crimes. In attempting to act on my strong commitment to solving the problem in Okinawa stemming from crimes committed by a minority of U.S. soldiers, I made an inappropriate remark.”

 対応する橋下氏の発言だが、次のようになっていて、また欠落部が目立つ。

There was a news report that, while visiting a U.S. military base in Okinawa, I recommended to the U.S. commander there that he make use of the adult entertainment industry to prevent U.S. soldiers from committing sexual crimes. That was not what I meant. My real intention was to prevent a mere handful of U.S. soldiers from committing crimes and strengthen the Japan-U.S. Alliance and the relations of trust between the two nations. In attempting to act on my strong commitment to solving the problem in Okinawa stemming from crimes committed by a minority of U.S. soldiers, I made an inappropriate remark. I will elaborate my real intention as follows.

 対応する和文は以下。

 また、沖縄にある在日アメリカ軍基地を訪問した際、司令官に対し、在日アメリカ軍兵士の性犯罪を抑止するために風俗営業の利用を進言したという報道もありました。これは私の真意ではありません。私の真意は、一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪を抑止し、より強固な日米同盟と日米の信頼関係を築くことです。一部の在日アメリカ軍兵士による犯罪被害に苦しむ沖縄の問題を解決したいとの思いが強すぎて、誤解を招く不適切な発言をしてしまいましたが、私の真意を、以下に説明いたします。

 田渕記者の記事から抜けているのは、「より強固な日米同盟と日米の信頼関係を築くことです」の部分であり、オリジナルでは「私の真意を、以下に説明いたします」とある部分でもそこが強調されているので、やはりあえて橋下氏の意図したい部分だけを田渕記者が抜いたようには見える。
 以上でニューヨークタイムズに掲載された田渕記者による記事中の、引用の照合は終わりだが、あと簡単に同記事を読んでひっかかった点に触れておきたい。

He also invoked a belief shared by many Japanese, including Prime Minister Shinzo Abe, that there was no evidence to suggest that Japan’s wartime government directly forced women to serve in the brothels. He brushed aside, as unreliable, testimony to the contrary from a number of women who had been enslaved.

彼はまた、日本の戦時政府が直接、売春宿で勤務するよう女性に強制したと示唆する証拠が全然なかったとの信念を呼び出した。この信念は、安倍晋三総理大臣を含む多くの日本人によって共有されている。彼は、奴隷にされていた多くの女性から証言は、信頼できないとして、払いのけた。


 この点については、田渕記者の知識が足りないのかもしれない。ここで信念(belief)とされている内容だが、閣議決定され、日本の公式見解になっている(参照)。この公式見解を変更するには、安倍首相を含め多数の日本人が信念を変えたのち、政治的な手順を取る必要がある。信念を変えることは公式見解を変えることの第一歩ではあるが、信念を変えるだけで済む問題ではない。
 
 

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2013.05.26

最近食って記憶に残っている3つの食品。麻婆豆腐、カレー、ラーメン

 そこら辺のスーパーマーケットで売ってて、なんだこれ?と思って食ってみたら、へえぁという感じで記憶に残っている食い物の話でも。三点。

新宿中村屋 本格四川 コクと旨み、ひろがる麻婆豆腐
 まず、これはうまかったなあというのから。これです。「新宿中村屋 本格四川 コクと旨み、ひろがる麻婆豆腐」(参照)。なんのことはないレトルトの麻婆豆腐ソース。調理に必要なのは、豆腐と長ネギだけ。調理もいたって簡単。うまい。
 豆腐はパッケージ写真を見ると木綿漉しか、中華豆腐というか島豆腐というかれいの固いやつっぽい。でも、自分の好みからいうと絹漉し豆腐がうまいです。飲み物にすんなよ。

cover
新宿中村屋
本格四川 コクと旨み、
ひろがる麻婆豆腐
150g×5個
 ここだけの話だと言いつつ諸処で言っているのだが、僕は、なにがおいしい麻婆豆腐なのかさっぱりわからない。
 中国で食ったことはないので、どれも本場じゃないというのはあるだろうけど、それなりにいろんな調理人のを食ってきたが、どれも、はて?という感じで、さほどおいしいと思ったことがない。
 麻婆豆腐についてはうんちくさんの話も聞いた。豆板醤がどうたらとか山椒がどうたらという話も聞くし、けっこう自分でも山椒はグラインドしてつかったりもするんだけど、なんというのか、隔靴掻痒というのか、どう作っても、そこそこにうまいのだけど、なんなのこの料理という感じ。
 意外だったのは、レトルトのソースなんだけど「横浜大飯店 中華街の四川式麻婆豆腐がつくれるソース」(参照)だった。どうも自分がこれまで店で食ってきたのより、うまい。レトルトでそんなことがあるかなと、なんどか試しても結局そう。
 というわけで、以来麻婆豆腐を外食で食うことはなくなって、横浜大飯店のレトルトを定番にしていた。まあ、こんなもんでしょ、人生は。いや、人生じゃないって。
 ところが、ちょっとこの「新宿中村屋 本格四川 コクと旨み、ひろがる麻婆豆腐」を試してみるかなと思ったのだ。誰だってちょっとした気の迷いってあるじゃないですか。
 中村屋だし。中村屋のカレーのレトルトうまいんですよ。ちなみに、中村屋のカレーは店舗で食ったのほうがうまいです。
 ただ懸念はあった。名前がくどくてちょっと引くじゃないですか。それと「特性XO醤」というのが引いた。これも率直に言うのだけど、XO醤を使った料理でうまいの食ったことがない。これは自分でも試してみたけど同じ。XO醤って趣味悪いよなあというのが自分の結論だったのだ。
 でもうまかったのですよ。何、これ?のうまさですよ。
 「特性XO醤」は特に浮いてこなくて、へえ、麻婆豆腐ってこういう料理だったという感じ。少なくとも僕は現状これでいいやと思った。気がつくと、これ、横浜大飯店のより安いのな。どういうことなんだろ。
 ちなみにエントリーには画像もあったらいいかとアマゾン検索したらあったので、アフィリのリンクにしてあるけど、これは5個入り。別にこのリンクで買うことはないけど、5個も食うかよというなら、僕の味覚を信じる人がいるなら、5個買っても普通に食えると思いますよ。このソース太麺に絡めてもいいんじゃないかと思うし。豆腐の代わりに茄子にしてもいいし。

ハウス ザ・ホテル・カレー ワインソース
 お次は、ハウスの「ザ・ホテル・カレー」。最近ということでもなく、一年くらい前からあるんだろうか。僕はもう何回か食った。最初はレトルトだったのがその後インスタントルーになったらしい。レトルトは食ったことない。
 二種類あって、「ワインソース」の他に「濃厚仕立て」というのがある。ワインソースはワインだろというのはわかるが、濃厚ってなにかというと、クリームの感じというあたり。どっちがうまいかは趣味の問題だけど、ワインソースのほうがおいしい。これでビーフカレーというのはけっこういい。濃厚ソースはチキンとかに使う。アマゾンでは普通に買うなら濃厚のほうしかないのでそっちの画像を貼っておくけど。

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ハウス ザ・ホテル・カレー
濃厚仕立て
160g×5個
 ぶっちゃけうまいのか?と言われると、普通。
 カレーの味の志向としても、あ、こりゃハウスや、というのが明確にわかる。どこが「ホテル」なのかというと、ハウスのほうとしてはいろいろ説明があるみたいだが、僕にはさっぱりわからない。ルーが滑らかというのは感じはするけど。ホテルでもいろいろカレー食ってきたが、別にこのルーがホテルっていう感じはない。
 ただですね、これ、ご家庭カレーとして画期的だと思うのだ。入れる具は肉とタマネギだけ。ジャガイモもニンジンもない。英断ですな。
 もともとカレーにジャガイモやにんじんなんか入れなくてもいいのだが、ご家庭用で割り切ったのはこれが初めてではないだろうか。
 調理時間だが、具を炒めて15分煮て、火を止めルーを入れ、弱火で10分とある。
 が、肉のカットにもよるけど、具の炒めから10分くらいでルー入れてもできるし、その後は5分くらいでできる。だいたい20分もあるとできちゃう。その間、ご飯も炊けるから、あー、カレー食うかぁ、と思ったら、20分くらいでできちゃうのな。ええですわ。関西弁やめれ。

日清GooTa デミハンバーグ麺
 なんだこれ?と思って食ったのが、「日清GooTa デミハンバーグ麺」(参照)。なんでラーメンの上にハンバーグを載せたのか、シュールなんだけど、そこは日本食。コロッケそば(参照)の精神でしょ。ニッポン、タコヤキ、ヤキソバ、お好み焼きですよ。
 カップの蓋をそそそっと剥がすと、ありゃ、ほんとにフリーズドライのハンバーグがある。食えるんか、これ、と思って、熱湯を入れて待つこと5分。

cover
日清GooTa デミハンバーグ麺
112g ×12個
 びっくりしなったあ。ハンバーグだよ、これ。
 これってフリーズドライの試作品で来たものの、どうやって湯をかけさせるか? そもさん。ラーメンに載せたら。おい、それだよ。みたいな現場のノリが伝わってくるじゃないですか。
 味は、というと。ハンバーグの味。悪くないんですよ。問題は、これってどうやって食うか? コロッケそば的な難問で、その熟練のワザからしてまずハンバーグを先に食った。たぶん、正解。そうしないと、ラーメンのなかにぐずぐずに溶けちゃう。ご飯にシチューかけるみたいで気持ちわるいじゃないですか。
 でも、もしかすると、溶かして食うのか正解なのか。だったら、やだなあ。まあ、思うに、ハンバーグは取り出しておつまみみたいに食うといいんじゃないか。
 麺はというと、けっこう腰がある。わるくない。スープはというとまさにラーメンとドミグラ。よくこんな味、考えるよなあ、日本の未来は明るい。
 ちなみにアマゾンの評を見たら、けっこう酷評も付いているけど、そんなにひどいか、これ。麺もほぐれたし、そんな臭くもなかったが。なにより、面白いと思うけど。笑えたよ。
 ただ、442Kカロリーはきつい。あやうくギブアップしそうになった。
 
 

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2013.05.25

FOXニュース記者が米司法省から監視されていたという話題

 2009年だった。バラク・フセイン・オバマ・ジュニアが第四十四代アメリカ合衆国大統領初就任を果たしたのは。そしてその年彼は、2009年度ノーベル平和賞も受賞した。受賞理由は、ええと、なんだったか。「牛に名前をつけることでミルクの量が変化する」だっただろうか。いやそれは獣医学賞だ。平和賞はたしか、「頭を殴るときのビール瓶は空のほうがいいか」だった。いやそれはノーベル賞じゃなかったような気もする。覚えていますか、正確に?
 選挙期間中の米国メディアは、日本人からすると、狂乱だよなという印象がある。しかたがないものだろうし、かく言う日本でもこの夏からは、しだいに米国のようになっていくだろう。前哨戦とも見られる兆候もある。政治に関わる報道はいかにあるべきか。
 報道の問題といえば、なにか大切なことが日本国憲法の前文にも書いてあってような気もする。が、それとは別に偏向報道というのも問題は問題だろう。
 特に保守派の偏向は目に余るものがある。これも2009年だったが、スレート・グループ編集主幹ジェイコブ・ワイズバーグがこうした問題としてFOXニュースを取り上げ、「全米最悪FOXニュースの偏向ぶり」(参照)という記事を書いていた。日本語版Newsweekのサイトに翻訳が残っている。


 FOXニュースは右派寄りの偏向報道を行っている――10月8日、ホワイトハウスのコミュニケーション責任者アニタ・ダンにそう非難されたとき、FOXはこの種の批判を受けた際のいつもどおりの態度を取った。偏向などしていないと反論する一方で、実際には紛れもない偏向報道を続けたのである。

 FOXニュースの右派寄りの偏向報道は誰の目にも明らかなものだったらしい。

 FOXのウェブサイトでこのダンの批判に関する記事を読めば、一目瞭然だ。その記事は5人の人物のコメントを引用しているが、そのうちの2人はFOXで働いている人間。5人がそろいもそろって、オバマ政権高官によるFOX批判を事実無根と非難し、あるいは政治的に愚かな行為だと嘲笑している。ダンの主張を支持する人物のコメントは1人も引用していない。まさしく、偏向報道のお手本のような事例だ。
 ウェブサイトだけではない。テレビのFOXニュースにチャンネルを合わせると、いつものキャスターやコメンテーター連中が同じ主張を異口同音に唱えていた。オバマ政権のFOX叩きは批判勢力潰しの陰謀の一環だ、FOX以外の報道機関はすべてオバマ寄りではないか、オバマ政権はFOXを批判する暇があれば国の舵取りに専念せよ......などなど。

 「オバマ政権はFOXを批判する暇があれば国の舵取りに専念せよ」そうかもしれない。国の舵取りこそが報道より大切なのかもしれない。
 かくして執筆者のジェイコブ・ワイズバーグはそのジャーナリストの精神を高らかに歌いあげてこの記事を締めた。

 FOXとどう接するかはホワイトハウスにとっては政治的損得の問題だが、ジャーナリストにとっては倫理の問題だ。ジャーナリストがFOXの番組に出演すれば、その政治的プロパガンダにお墨付きを与え、まっとうな報道機関の役割を低下させるのに一役買う結果になる。
 良識あるジャーナリスト諸君、FOXに出演するのはもうやめよう。派手なボイコット運動を行って話題をつくれば、FOXの思うつぼだ。ただ黙殺するのがいい。
 私? この記事をきっかけにFOXから出演依頼があっても遠慮させてもらう。

 ジャーナリストの鑑ともいえる発言だが、現実面としても、FOXニュースと関わるのは危険なことだったようだ。
 それから4年。先日のニューヨーカーの記事「ローゼンの令状を秘密にしておくために検察はどのように戦ったか」(参照)を読むと、FOXニュースに関わると、政治が優先されるのだろうなという真相がわかってくる。日本国内報道は見かけないので、ちょっと読み取りの勘違いがあるかもしれないが、話の概要はこういう感じだった。
 表題にもなっている「ローゼン」は、ローゼン・メイデンではなく、偏向報道とされるFOXニュースのワシントン支局長、ジェームズ・ローゼン記者である。FOXの政治部門の中枢に近い。
 ことは、彼が2009年、北朝鮮が国連の安保理決議に逆らってミサイル実験を目論んでいることを報じた際に生じた。その報道の情報源を不審に思った米国司法省は、国務省で安全保障を担当するキム・ジンウー補佐官を調べ、国家機密の漏洩罪で起訴したのだた。
 通常に報道の自由が守られている政権であれば、司法省の関わりはここで終わり、あとは、起訴されたキム補佐官の主張の吟味に移るばかりなのだが、そうではなかった。連邦検察当局は、FOXニュースに目を向けたのである。そして、FOXニュースの記者ローゼンに共謀者の嫌疑をかけ、彼の個人メールを秘密裏に調査する権限を連邦判事に求めた。かくして、ローゼン記者のプライバシーを含めた追跡調査が国家の元に秘密裏に開始されたのだった。
 普通に考えると、いくら偏向報道と言われるFOXニュースとはいえ、ジャーナリストに対する連邦政府の介入は過剰であるようにも思われるので、ちなみに、報道の自由を求めるレポーターの会(the Reporters Committee for Freedom of the Press)もこの件について批判の声明を出していた(参照)。
 なぜこんな事態になったのか。FOXニュースの報道への弱みを握るために、記者の私信を米政府が暴いたと考えるのは、行きすぎた邪推というものだろう。司法省がAP通信の通話記録を押収していたことも発覚して問題になったが、そこはそれ、リベラルなオバマ政権である。
 その後、この問題の現状はどう推移しているか、ローゼンの名前で、ニュースを検索すると、ハフィントンポストの記事が目立つようだった――一例(参照)。ハフィントンポストとしてもこうした、政治と報道の自由について問題に関心を持つのかと、考えさせられる。日本版のほうではないけど。
 
 

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2013.05.24

国連の委員会が日本に対して、慰安婦めぐるヘイトスピーチの改善を求めたニュースに関連して

 国連の委員会が日本に対して、慰安婦めぐるヘイトスピーチの改善を求めたというニュースが流れ、一部で話題になった。報道に関連したメモを簡単にまとめておきたい。
 初出ニュースがどこであるのかがまず気になったのだが、あまり明確にはならなかった。個人的に最初に見かけたのはTBS系のニュースだったように思う。現在ネットから追跡できる日時は22日の16時21分の「「ヘイトスピーチ」国連委が日本政府に改善求める」(参照)である。


 過激な言葉で特定の人種や民族などを憎悪する表現「ヘイトスピーチ」が問題となっていますが、国連の委員会が韓国人の元従軍慰安婦に対するヘイトスピーチを防止するよう日本政府に対して求めていることが分かりました。
 過激な言葉で、中国人や韓国人の排斥を訴えるデモが各地で行われています。「ヘイトスピーチ」と言われるこうしたデモは竹島や尖閣諸島の問題が再燃した去年夏ごろから特に激しさを増してきたといいます。
 「一部の国、民族を排除しようという言動があることは極めて残念なこと」(安倍首相)
 国会でも取り上げられたヘイトスピーチですが、現在日本には言論・表現の自由の観点などから法律での規制はありません。そんな中・・・
 「委員会は日本政府に対し、慰安婦からの搾取についての教育を進め、ヘイトスピーチなど元慰安婦に汚名を着せるような運動を防ぐよう求める」(国連の社会権規約委員会の見解)
 世界の人権問題を監視する国連の社会権規約委員会は17日までにまとめた見解の中で、日本社会の元慰安婦に対する理解の足りなさを指摘し、日本政府に対して元慰安婦を中傷するヘイトスピーチなどを防止するよう求めています。この見解をまとめるための調査は、日本維新の会の橋下共同代表の従軍慰安婦に関する発言よりも前に行われたということです。見解はさらに元慰安婦の経済、社会、文化的な権利や賠償への悪影響を懸念しているとし、日本政府に必要なすべての措置をとることを要請しています。(22日16:21)

 TBS報道で事実とされる部分で気になるところは、まず、ニュースの元になるのは、「世界の人権問題を監視する国連の社会権規約委員会は17日までにまとめた見解」であること。このため、「日本維新の会の橋下共同代表の従軍慰安婦に関する発言」の文脈とは別であることをが明記されている。なお、そうであれば、ニュースの切り出しのヘイトスピーチと関連があるかについての検証が必要であるように思われるが、その部分の説明は弱い。また、「日本社会の元慰安婦に対する理解の足りなさを指摘し、日本政府に対して元慰安婦を中傷するヘイトスピーチなどを防止するよう求めています」としているが、「日本社会の」が「元慰安婦」にかかるのか、「理解の足りなさ」にかかるのかは曖昧である。前者であれば、日本社会での元慰安婦が問題ということになる。が、報道が「特定の人種や民族などを憎悪」の話題で始まっていることから、暗黙に、日本国外の慰安婦が対象となっている印象を与えている。
 新聞報道では22日付け朝日新聞「慰安婦めぐるヘイトスピーチ、国連委が日本に改善求める」(参照)が詳しくTBS報道に先行していた。報道検証なのであえて全文を引用したい。

 国連の社会権規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた。一部の排外主義的グループが「従軍慰安婦は売春婦だった」という趣旨のヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返しているのを受けたもので、政府に改善を求めている。
 同委員会は発表した見解の中で、日本政府に対して「公衆を教育し、憎悪表現や汚名を着せる表現を防ぐ」ことを求めた。さらに元慰安婦の「経済、社会、文化的な権利や補償への悪影響を懸念する」としたうえで、「必要な全ての措置」をとることも要請した。
 今回の見解では、朝鮮学校が国の高校無償化制度の対象外となったことについても、「差別にあたる」と批判し、改善を求めている。
 同委員会は、人権を保障するための国連の条約「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」の締約国を対象に、定期的に見解をまとめている。今回は4月下旬に日本政府と市民団体の双方から意見を聞いたうえで、発表した。法的な拘束力はないが、政府は誠実に受け止める義務がある。(ジュネーブ=前川浩之)
 ■国内での無理解、懸念した指摘か
 日本でのヘイトスピーチ横行が、国際人権機関から改善を求められた。
 社会権規約委員会の日本審査では、複数のNGOが国内の人権状況を報告。その中で、日本のバンドが「売春ババア殺せ チョン斬れ」などの歌詞が入った曲を作り、そのCDが韓国の元慰安婦らに送りつけられた出来事も紹介されたという。委員会はそうした情報も得た上で、教育などを通じたヘイトスピーチ防止を求めた。
 審査は、日本維新の会共同代表・橋下徹大阪市長の慰安婦発言や、西村真悟衆院議員(同党から除名)の「韓国人の売春婦はまだうようよいる」発言の前だった。委員会が政治家の発言を直接批判したわけではないが、元慰安婦について日本社会で理解が深まっていないことを懸念しての言及とみられる。
 委員会は日本が包括的な差別禁止法をつくることも求めた。「殺せ」と連呼するデモのように、きわめて差別的な表現行為が放置されている日本の現状は、今後も厳しい批判にさらされそうだ。(石橋英昭)

 朝日新聞の報道はTBS報道より詳しい。報道の元となる事実は、「国連の社会権規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた」であり、5月21日の同委員会発表であった。また、日本政府への要望は、「法的な拘束力はないが、政府は誠実に受け止める義務がある」として、法的な拘束力がないことも明記されている。
 朝日新聞の報道でも「慰安婦」の国籍については問われていない。一部の排外主義的グループの指摘を受けたとするのは、朝日新聞の解説である。
 NHKでも22日18時8分に報道された。「国連 “慰安婦”でひぼう中傷防ぐ手だてを」(参照)。

 国連は、日本国内で、いわゆる従軍慰安婦だったとされる韓国の女性たちに対してひぼう中傷が行われているとして、日本政府に、こうした言動を防ぐ手だてを講じるよう求める報告書をまとめました。
 この報告書は、世界の国の社会や経済などでの権利を調査している国連の委員会が、日本政府や市民団体から意見を聞いたうえでまとめたもので、21日、発表されました。
この中で、いわゆる従軍慰安婦だったとされる韓国の女性たちを、ひぼうしたり中傷したりする言動が日本で行われているとして、日本政府に対して、これを防ぐ手だてを講じるよう求めています。
 報告書は、日本維新の会の橋下共同代表などによる従軍慰安婦問題を巡る発言が出る前に行われた調査に基づくものですが、従軍慰安婦だったとされる女性たちを差別的な表現を使って非難する声がインターネットなどで出ていることなどを受けて指摘したものとみられます。
 また、報告書は、従軍慰安婦だったとされる女性たちについて、「さまざまな権利や補償に悪影響が出ていることが懸念される」としたうえで、こうした状況に対処するためにすべての必要な措置を取ることも求めています。

 NHK報道で特徴的なのは、慰安婦の国籍を「いわゆる従軍慰安婦だったとされる韓国の女性たちに」として、韓国に特定している点である。TBSや朝日新聞との報道の差がNHKに見られるので、この部分については報道の検証が必要になる。もし、国連委の報告に慰安婦の国籍が韓国と明記されていなければ、NHK報道になんらかのバイアスがあるし、逆であれば、TBSや朝日新聞は報告に記載されているのにそれを曖昧にしたという点で、何らかのバイアスがあるだろう。
 NHK報道では、TBSと朝日新聞報道とは異なり、慰安婦の文脈から離れた「ヘイトスピーチ」についての記載はなく、問題はあくまで「従軍慰安婦だったとされる女性たちを差別的な表現を使って非難する声がインターネットなどで出ていることなどを受けて指摘したものとみられます」として、慰安婦に焦点化されている。この点もまた報道の検証が必要になるだろう。
 その他の国内報道だが、ざっと調べた範囲ではテレビ朝日の報道があるが、手短で特徴もないので省略したい。読売新聞、産経新聞、毎日新聞ではこの話題は見かけなかったように思われる。気になるのは毎日新聞はジュネーブ共同を元に23日「橋下氏発言:国連委、日本政府の見解要求」(参照)として類似の報道を出していることだ。これは「人権条約に基づく拷問禁止委員会」で別の委員会である。なぜ毎日新聞が、人権問題を監視する国連の社会権規約委員会の話題をバイパスしたのかはわからない。
 ニュースがどのように伝搬したのかは、以上の報道からははっきりとはわからない。韓国側の報道を日本が受けた可能性もあるかもしれないと、日本語で読める範囲であるが探すと、朝鮮日報(参照)でも中央日報(参照)でも日本の朝日新聞の参照を記していることに加え、朝日新聞記事以上には事実に関する情報がないことから(報告書の関連情報は朝鮮日報の記事にあるが)、おそらく、この話題は韓国側の報道から流れたものではないだろう。総合した印象としては、朝日新聞が起点になっているように思われる。
 事実検証に移りたい。重要なのは、「経済的、社会的および文化的権利委員会(ICESCR:社会権規約委員会」の報告書である。この公開されているかについては、朝鮮日報の記事で「「日本の経済・社会・文化的権利に対する観察結果」と題する報告書をウェブサイトで公表」とある。ネットに公開されていることがわかる。この文書名とインターネット公開については、日本国内での報道には含まれていなかったのも興味深い。
 文書は探すとすぐに見つかる。該当の文書は「Concluding observations on the third periodic report of Japan, adopted by the Committee at its fiftieth session (29 April-17 May 2013)」(参照・DOC形式)である。文書は、改変しやすくかつウイルス感染の懸念のあるDOC形式である点が、奇妙にも思われるが、草稿的な含みがあるのだろうか。
 該当文書は、見るとわかるように、項目はすべてナンバリングされており、話題と勧告は7番から37番まであり、24番では東北大震災と福一原発事故に関連した弱者の問題、25番では福一原発事故の情報開示なども扱われている。
 今回の慰安婦関連の話題は26番で、以下がその全文である。

26. The Committee is concerned about the lasting negative effects of the exploitation to which ‘comfort women’ were subjected on their enjoyment of economic, social and cultural rights and their entitlement to reparation. (art. 11, 3)

The Committee recommends that the State party take all necessary measures to address the lasting effects of the exploitation and to guarantee the enjoyment of economic, social and cultural rights by ‘comfort women’. The Committee also recommends that the State party educate the public on the exploitation of ‘comfort women’ so as to prevent hate speech and other manifestations that stigmatize them.


 参考までに試訳しておこう。

本委員会は、‘慰安婦’の経済、社会、文化的な権利の享受と彼女らの賠償の権利について、彼女らに加えられた不当待遇による長引く悪影響を懸念している。(11.3条項)

本委員会は、該当締約国が、不当待遇の継続効果に取り組み、慰安婦’の経済、社会、文化的な権利の享受を保証すべくあらゆる手段を行使するよう勧告する。本委員会はまた、ヘイトスピーチやその他の汚名を着せる示威を防ぐべく、慰安婦’の不当待遇について、該当締約国はその公衆を教育することを勧告する。


 「exploitation」の定訳語がわからなかったが、ロングマンの「a situation in which you treat someone unfairly by asking them to do things for you, but give them very little in return - used to show disapproval」という解釈から「不当待遇」とした。通常は「搾取」であるがそれだと文脈ではわかりづらい。
 訳は拙いものの、原文に当たるとわかるように、‘comfort women’つまり「慰安婦」として表現され、これに他の形容は加えられていない。つまり、NHK報道のように「韓国」のという限定は見られない。
 この点については27条が「韓国」を明記しているのと対照的である。この話題は朝日新聞記事にあった朝鮮学校が国の高校無償化制度の対象外とされたことである。

27. The Committee is concerned at the exclusion of Korean schools from the State party’s tuition-waiver programme for high school education, which constitutes discrimination. (art. 13, 14)

 「慰安婦」の26条と比較すると、ICESCRの視点では、「慰安婦」の国籍は特定されていないと見てよい。TBS報道や朝日新聞報道がその点を配慮していたことがわかる。
 日本軍が管轄した「慰安婦」が韓国人と限定されないことは、今日の毎日新聞記事「橋下氏発言:オランダでも抗議 慰安婦支援者、大使に書簡」(参照)からでもわかる。

【ブリュッセル斎藤義彦】日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長が、第二次大戦中の旧日本軍による従軍慰安婦制度が「当時は必要だった」と主張したことに対し、オランダ人元慰安婦への「償い事業」の実施責任者だった2人が駐オランダ日本大使に「誤った危険な発言」とする抗議書簡を送ったことが23日わかった。橋下発言への欧州からの抗議は初めて。元責任者は毎日新聞に「発言は被害者を傷つけるもの」と批判した。
 長嶺安政駐オランダ大使に16日付で書簡を送ったのはマルガリータ・ハマー・モノ・ド・フロワドビーユさん(71)ら2人。旧日本軍占領下のインドネシアで慰安婦にされたとして償い事業の対象となったオランダ国籍保有者79人への医療福祉支援事業(1998〜2001年)の実施責任者だった。
 ハマーさんによると、書簡では橋下発言に「憂慮」を表明。発言は従来の日本政府見解を逸脱した「間違った方向」で、従軍慰安婦の被害国、とりわけアジアにとり「危険なものだ」と非難した。
 元慰安婦の大半は死亡しているが、全員と接触して事業を行ったハマーさんは「発言はこれまでの元慰安婦へのおわびを否定するもので、謝罪が謝罪でなくなる。日本の首相のおわびの手紙で救われた元慰安婦を深く傷つけた」と述べた。
 ハマーさんは、橋下市長が07年の安倍政権の政府見解を根拠に「国を挙げ暴行、脅迫、拉致をした証拠はない」と強制性を否定している点に関し「日本軍政下で収容所に入っていたオランダ人慰安婦への強制は明白。安倍晋三首相の見解が橋下市長の発言の基礎になった」と首相も批判した。
 オランダ政府の93年の調査報告は、インドネシアで65人が強制的に慰安婦にさせられたことは「確実」と指摘している。
 長嶺大使は「コメントは差し控える」としている。
 オランダでは下院が07年、日本政府に元慰安婦への公式謝罪と補償を求める決議を採択するなど、日本への不満がくすぶっている。
 「償い事業」は「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)が元慰安婦に対し、民間からの募金で「償い金」を払い、政府の拠出金で医療福祉支援事業を行うとともに、首相のおわびの手紙を渡す事業。基金は95年に発足、07年に解散した。
◇インドネシアのオランダ人慰安婦
 オランダが植民地支配していたインドネシアを、第二次世界大戦中の1942〜45年に旧日本軍が占領。オランダ政府の調査によると、占領下で欧州系の女性200〜300人が慰安所におり、うち65人が、強制収容所から暴力で連行されるなど「確実に」慰安婦になるよう強制された。軍の呼びかけに「自主的」に応じ慰安婦になった例は除外されたが、「背景に軍の暴力や貧困があり、自主的とは認めづらい」としている。収容所の外にいたインドネシア系オランダ人が軍に連行された例もある。

 話をICESCRの今回の勧告に戻すと、「慰安婦」が韓国人に特定されないことや、日本国内での問題とされているから、臆見なく読む限りでは、日本の国内問題への勧告であり、「慰安婦」に含まれていた日本人の慰安婦が対象と理解してよいようにも思われる。
 歴史的に見ると韓国は第二次世界大戦後に独立したが、それ以前は国連(連合国)の枠組みでは、日本に含まれ、日本と同様に敗戦国になっている。別の言い方をすれば、現在の韓国人「慰安婦」は当時は、国連(連合国)の枠組みとしては、日本人に分類されていた。本来なら、日本国家の国民としての権利や補償の対象となるはずである。
 しかし、現在の韓国政府は、その憲法などから推測されるように、李承晩の中国内の抗日政府を継いで独立したものとして、中国のように戦勝国の立場を取っているようにも思われる。いずれの場合も、独立後、韓国は日本とは別の国家となったため、こうした国民への賠償は国家間の問題に移行された。そのため、現在の日本政府としては、慰安婦への保証も日韓基本条約で扱ったことになっている。該当条約では付属協定で、請求権問題については「完全かつ最終的に解決された」と明記されているため、日本政府は現韓国人慰安婦への補償問題も「法的に解決済み」としてきた。
 しかし韓国政府は、韓国人慰安婦の賠償請求権は基本条約の対象外と主張し、これを同国の司法である韓国憲法裁判所も2011年8月に、韓国政府がその請求権について十分に努力をしていないのは違憲との判断を下した。つまり、韓国は現在、日本側に「法的責任」を認めるよう求めている。これに対しては、日本政府は従来の立場を維持しつづけている。
 台湾人兵士の補償でも問題になったが、基本的に旧日本国下の国民の保証はどうあるべきかについては難しい問題がある。それでも、韓国側の現韓国人慰安婦の賠償を日本政府が認めるとなると、同じ境遇にあった日本人の慰安婦の賠償をどうするかということが日本政府に問われるようになる。
 この問題について党内議論を進めてきた民主党は、1999年12月22日に「戦時性的強制被害者間題の解決の促進に関する法律案」(通称本岡法案)で扱い、日本人の慰安婦は賠償から除外するとした。これに対して、日本人慰安婦も同等に扱うべきだとして日本共産党は異論を唱えたものの、民主・共産・社民三党案では民主党案に折れる形になった。
 この時点での共産党・吉川春子参議院議員の見解が興味深い。「藤原美紀さんからのお便り」(参照・現在はリンク切れ)より。

「藤原美紀さんからのお便り」

疑問に思うのですが、従軍慰安婦さんて、朝鮮人よりも日本人の方が圧倒的に多かったのにどうして彼女達は名乗り出てこないのでしょうか。また、韓国人慰安婦ばかり調査するのに日本人慰安婦については何故調査しないのでしょうか。
どうして日本人慰安婦は軽視するのですか?国籍違えど同じ女性なのに!
もう一つ、「解決」とは具体的にどのような事ですか?
それと慰安婦だと判断する基準は何ですか?
慰安婦でした・・って言ったら慰安婦になるんでしょうか。
教えてください。たった10万、100万でもアジアの方には大金なのでお金目当てに近づいてくる方は絶対いないと言う保障はありませんよね。
できるだけ協力したいのですがそこら辺をはっきりさせてくれないと、出す必要の無い方にまで出してしまった・・なんて笑い話にもなりませんので。

藤原 美紀 さま

メールを有難う御座いました。
ご指摘のように日本人慰安婦は大勢いたのです。(朝鮮の方より多いかは定かではありませんが)
私も匿名で2回お手紙をいただきました。日本人慰安婦を見捨てないでほしいと書いてありました。
共産党の法案では日本人慰安婦についても補償と謝罪の対象に含めています。民主・共産・社民三党案では、旧植民地と占領地出身の慰安婦という形で日本人は対象にしていません。
理由は
(1) 日本人を含めることについては3野党で一致できなかったので共産党としては譲歩しました。
(2) しかし外国人の慰安婦について謝罪・保障するとの野党案が成立すれば、日本人の方についても当然話題になるでしょうし、引き続いて立法の努力をしたいと思います。
ともかく先ずは早く成立させるための法案にしたということです。

日本人慰安婦について

貴女のご意見に賛成です。「慰安婦」という制度が許されないのは日本人についても同じです。
三党案には、総理大臣を長とする促進委員会の設置を義務付けています。
ここでは慰安婦問題の調査を行なうこととしています。
慰安婦について詳しい資料を政府に提出させ、日本人についてもはっきりさせることができると思います。

日本人が名乗り出られないのは、韓国より、北朝鮮より、中国、フイリッピンより、インドネシア、オランダより「慰安婦」とされた女性達を暖かく受け入れる素地がないからではないでしょうか。
その点では女性の人権の確立が悲しいことに、とても遅れているのです。政治家や一部の人達が、「『慰安婦』は商行為だった」とか、「『慰安婦』は存在しなかった」など公然と言うのですから。彼女達はどんなに傷ついていることでしょう。
どうぞ名乗り出てください、と私は日本人『慰安婦」だった方に訴えたい。
彼女達の人権回復を国会議員の仕事として、私は全力で行ないます。

「解決」の意味について

私は日本政府が真に反省して、政府・国会の責任で謝罪と補償を行い、教育を通して次世代にも教訓をしっかり引き継ぐ、そして日本も本当に侵略戦争に反省し、女性の人権を踏みにじった事の反省し、2度と繰り返さないだろう、と世界の人々に認められる行為を行なうことだと思います。
それでも『慰安婦』の皆さんの心身の傷は癒えることはないのです。
原状回復という意味なら、本当の解決はないのかもしれませんね。

慰安婦の認定について

3野党の法案では、『慰安婦』と名乗り出て、その国の政府や責任あるNGOが認定した人は慰安婦と認めることにしています。
これが一番現実的方法だと思います。
『慰安婦』と名乗ることは勇気のいることで、その瞬間に地域社会から受け入れられなくなってしまうので、「インドネシアでは『慰安婦』の認定そのものを行なっていない」と政府代表が私たちに語りました。ですからインドネシアでは『慰安婦」は一人も認定されていません。
どの国でも、名乗り出ない人のほうがはるかに多いのです。
元慰安婦の方の名乗り出るまでの葛藤と名乗り出てからの周囲からの差別的な扱いやイヤがらせ等々、ご苦労はお聞きするたびに胸がつまる思いです。
お金だけが目的であれば、アジア女性基金のときに多数の方がそれを受け入れたことでしょう。それを受け取らず、正式な謝罪と国家賠償を求めています。
その思いを私たちがどう受けとめるか、そこが問われています。

貴女の疑問に適切なお答えができたでしょうか。
なかなか十分なお答えができたとはいえないと思いますが、是非今後も関心を持ちつづけて下さい。メールもお待ちしています。
                    2003.2.27.吉川春子


 興味深い私見ではあるが、全体の方向性としては、「外国人の慰安婦について謝罪・保障するとの野党案が成立すれば、日本人の方についても当然話題になるでしょう」ということで、まず日本人以外の慰安婦の賠償を優先して実施、それが実施できれば、日本人の慰安婦が問題となり、それから別途、日本人の慰安婦についての賠償を考えればよい、ということになる。
 そうした外国人を優先するという民主・共産・社民三党のような考え方もあるかもしれないし、インドネシア人の慰安婦のような事例では有益な方針でもあるだろう。しかし韓国人の場合は、基本的にその賠償の法的な根拠は日本国の自国民の補償、つまり現在は外国人であっても以前は日本人であったことの補償の枠組みになるので、その点からすれば、日本国政府は、戦前の日本の版図にある日本人を包括的に含め、全慰安婦の個人賠償を明確にし、その中で現在、韓国人となった慰安婦への賠償手続きを進めていけばよいのではないだろうか。
 具体的には、日本共産党に原点に立ち返って本岡法案への叛意を促し、さらに自民党の有志や民主・社民以外の政党へと連携し、新法案を促していけばよいだろう。なお、その際は吉川春子参議院議員が「どうぞ名乗り出てください」というようなことなく、プライバシーを配慮した認定団体への登録のみとすればよく、むしろ、「名乗り」を求めるような負担をかけるべきではないだろう。
 また慰安婦への賠償問題を日本国民への個人賠償の視点で見ていくなら、特殊慰安施設協会(RAA:Recreation and Amusement Association)――連合国軍占領下、国連軍兵士の相手をする慰安婦の国家施設――も日本国政府の主導であったのだから、同じ流れで賠償を検討していけばよいだろう。生存者の確認という点だけで言えば、RAAを先行したほうがわかりやすくはなるだろう。なお、歴史証言ではなく文学作品ではあるが1929年(昭和4年)生まれの三枝和子は『その夜の終りに』(参照)において、この時代の感性を上手に表現している。
 
 

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2013.05.23

暑くなったので散髪屋に行ったら車椅子の人が数人いたという話

 暑くなって髪の毛がむさ苦しいので床屋に行った。まあ、自著『考える生き方』(参照)を読まれた方にはツッコミがあるかもしれないが、まあ、行ったのですよ。というか普通に行くのですが。
 以前は床屋というところに行ってたけど、たまに美容院(後ろ向け洗髪のあれ)や、あと、都心だともう20年以上前だけど安い散髪屋でというのもあった。最近は、1000円カットがあちこちに出来て、しばらく前から近所にも出来た。便利と言っていいと思う。
 この手の安価な散髪屋の特徴でもあると思うけど、昭和な床屋とは違って、主人と結局ご近所さん的な繋がりはない。カットする人も入れ代わり立ち替わりということになる。けっこう一期一会で、技能に差はある。で、散髪されるほうとしても、あ、今日は当たり、あ、今日はハズレと思う。
 当初は、ハズレはやだなあ、チェインジ、いや、これは冗談。耳学問だけ。安価な散髪屋さんのハズレはしかたないと思うし、むしろ当たりの人が安価に労働しているのもなんだということかもしれないと思うようになった。
 近所の安価な散髪屋で数度行って気がついたことがある。以前行ってた1000円カットの店では、カットの人はどんな髪型にしますかみたいなことは最初に聞くけど、あとは、まあ、無言でさくさくとするという感じだった。が、ご近所のほうはというと、カット中にいろいろ話しかけてくるのだ。全員、そう。お客様とのコミュニケーションもサービスなんだろうか。指導があるんだろうか。
 最初は、うーん、そういうサービスは要らないんだけどなあというか、こっちも、相手が若い人なんで、気まずくならないようにお相手している感じで、カットが終わると、なんかちょっと疲労感のような事態になり、人と話すのめんどくさいと以前の店に戻るみたいなこともあった。
 それでも近いと便利なので、使っていて、たまたまカットする人が女性だったことがある。若い女性である。私は目が悪いこともあるが若いころから、若い女性の顔はあまり見ないことにしているのだが、なんというのか、とても普通な感じの人だった。
 そういえば、30代の初めころ都心の歯医者に通っていたころ、歯科医の補助の若い女性が、怪力で、かつ、ぐいぐいオッパイを押しつけてくる感じだったことがある。こ、これは、ある種のサービスなんだろうか?と疑問に思ったが、散髪だと、そういう懸念はもたなくてもよい。ほっとするね。ね。
 で、散髪屋とはいえ若い女性と立ち話みたいな話をする嵌めになったのだが、内容はもうよく覚えてないのだけど、あれれと思ったことは覚えている。若い女性からすると、僕はもう、お父さんというか爺さんの部類なんで、そういうふうに気を遣われているのである。うひゃぁ、中身中二病ですからぁとか、まあ、言ってもしかたないので、適当にオジサンぽく話す。
 で、これがまた、自分の困った点でもあるのだが、普通に話していると、こういうのもなんだのだけど、僕は話し言葉が丁寧で学校の先生みたいなんですよ。で、なんか、そういう先生と女子学生さんみたいな雰囲気にもなって、あ、あかん、こりゃ、とても、あかん、というわけで、できるだけ、非知的な話題に引っ張る。もう汗吹きますね。そういう自分が嫌ったらしいなあとか思うし、ネットなんかでもよくそう思われるわけなんだけど、ぐるぐる。
 適当に食べ物の話とかペットの話とかして、10分もたせてぐったりと。以降、カットするときは、女性のカットの人がいないと、ちょっとほっとしたりもするのだけど、まあ、あれも悪くなかったんじゃないかという思いもよぎって、年取ったなあ、俺とも思う。
 先日のこと。カットに行ったのだが、女性のカットの人はいない、どころか、れれれな光景である。時間帯が早かったというか、今までにない時間帯だったせいか、最初困惑したのだが、車椅子が二台、あと、電気車椅子が一台、いる。
 なんか特別の日なのかなと思って、俺、入っていいの?とか、しばし店頭にぼうっとしていると、店員がどうぞというので入った。しばらく座ってきょろきょろしながら待っていた。車椅子の人々には、だれか補助の人がいるわけでもない。組織的な活動をしているわけでもないようだ。偶然というか、早い時間帯にこういうこともあるんだろう。
 かくして僕の番。カットのお兄さんのお話が始まる。ああ、始まった。が、どうもだね、思うのだが、この店では、お客さんに話しかけるのはおまけのサービスというより、けっこうメインなサービスのようで、これも推測なんだが、車椅子の老人などはそれが楽しみで来ている印象もあった。どうなんだろ。
 いろいろ疑問が頭をよぎるので、そうだなあ、今日は無難な話をするのもなんなので、一つ、車椅子の人の話でも振ってみますか、ということで、自分からそんな話題を切り出してみた。詳細は忘れてしまったが、車椅子の人たちは、カットの人と話をするのが楽しくてやってくるかはわからなかった。そう聞くのもなんだし、答えようもないだろうと思って控えた。車椅子の利用者は多いのというと、多いらしい。
 へえと思った。さらに話を聞くと、この店舗は当初からバリアフリーを入念に設計して地域の人を助けるためできたというのだ。へえ。言われてみると、固定椅子はないし、装置の高さもそれっぽい。入店から利用まで段差はない。なるほどね。それはいいことだなあ。
 カットのお兄さんの話では、彼は、介護の散髪サービスの資格も持っているらしい。正確になんという資格かはわすれたが、東京都が認可しているものだ。認可でどうなるかと聞くと、介護でそれが有償サービにできるとのことだった。善意で頼むよりサービスがきちんと対価があったほうがいいだろうし、技能の質も維持できる。
 そのあと、いろいろ介護の現場の話などを聞いた。いやあ、いろいろ勉強になっちゃなあという感じがした。
 が、いざブログのネタにしようとするとうまくはまとまらないものです。
 
 

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2013.05.21

[書評]カラマーゾフの妹(高野史緒)

 奇妙な表題の『カラマーゾフの妹(高野史緒)』(参照)は、1966年生まれの日本の作家(SFなども得意とする作家であり、いわゆる純文学形の作家ではないが)高野史緒が、ドストエフスキーの大著『カラマーゾフの兄弟』の続編をモチーフに書いたミステリー作品。第58回江戸川乱歩賞受賞作も受賞し、専用サイトには賛辞が並んでいる(参照)。


「これだけでも独立した作品として十分に楽しめるように書かれているが、ドストエフスキーの原作におもむけば読書の快楽は倍加する。難解長大で敬遠されがちな古典の読みどころを、本書は的確に教えてくれるからである。快作に脱帽。」
沼野充義 「毎日新聞」2012/8/5

 私の印象では、どちらかというと独立した作品として読んだほうがよい。ただし原作を知っていると確かに「読書の快楽は倍加する」。リーザの描写やそれに関連するアリョーシャの描写など爆笑して腹痛え状態になった。それが「古典の読みどころ」かというとそういう面もある。

「ドストエフスキーの思想と時代を手がかりに続編を夢想した人はいるが、ミステリーとの整合性から続編を発想した作家は前代未聞。なんという着眼点。「前任者」の用意したエピソードを隅々まで活用した“読み”にはほとほと感嘆。洗練された結末にも、文句なく納得だ。」 
温水ゆかり 「GINGER」11月号

 ミステリーの整合性という視点はたしかに斬新だし、落ちもいかにもミステリー仕立てだった。私はあまりミステリーは読まないけど、この悪趣味のコテコテ感はカトリーヌ・アルレーを思い出した。
 「整合性」とはいっても、ドストエフスキー作品のディテールは取捨はされている。が、明確に外しているものはなかった。それでもこれに「文句なく納得」しちゃうのは、『カラマーゾフの兄弟』を、ほんとに読んだのかなという疑念は浮かぶ。

「原典に則した綿密な構成、文豪を思わせる重厚な文体、万人を納得させる強靱な論理、そしておそらく原作者も予想しなかった意外な結末。すぐれて芸術的な探偵小説である。」
郷原宏 「潮」10月号

 そういう面もある。描写で美しかったのは、エイダ・ラブレスによるバベッジのマシンに関連する部分だ。村上春樹の『1973年のピンボール』を彷彿とさせる。このあたりの描写からは、無理して本歌取り的な作品にしなくてもよかったんじゃないかなとも思えたほどだ。
cover
カラマーゾフの妹
 というわけで、ちょっとくぐもった評への評を先に書いたが、ミステリー作品としてはこれはこれでいい。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の続編という思い込みで読むと、がっかりする人もいるだろうが。私は、先にも触れたように、これはこれで楽しい作品だった。
 書名で「妹」とされている部分は本文での参照はあるものの、イワンの多重人格を説明するためのどちらかといえばチープな仕掛けで、作品としての必然性はないと見てよい。おそらく書名の洒落のインパクトとして後から考えられたものではないだろうか。
 この作品を執筆した理由はおそらく、私も感じていたのだが、『カラマーゾフの兄弟』のグリゴーリイ証言の奇妙な点にあるだろう。あの部分でドストエフスキーは何を表現したかったのか、一種のパズルが潜められているなという印象はあった。この作品でもそこが推理の足がかりになっている。
 『カラマーゾフの兄弟』には知的なパズル的要素がいくつかあり、そのわりに口述のせいか詰めが甘くてなんだかよくわからない。が、一番重要なパズルは、ゾシマ長老がドミートリイにひざまずくシーンで、単純に言えば、これはドミートリイがイエスだという意味である。ドミートリイは無罪でありながら他者の罪を負ったということで、これがこの作品の根幹、イエス・キリストを描いた作品という点である。
 こちらの『カラマーゾフの妹』ではそういう宗教や思想的な部分は一切、小気味よいくらい排除されていて、該当シーンにも笑える意図的な読み換えがある。作者・高野もわかっていてやったのだろう。悪魔も多重人格として合理的に解釈されている。
 同様に、高野はドストエフスキー作品のディテールを丹念に読み込んでいることは諸処でわかる。ドストエフスキー学者が考察した諸学説なども織り込まれているので、アリョーシャの末路も、もしドストエフスキー本人が書いてもこれに近かっただろうなという印象がある。当時のロシアについての知識も豊富で、その点も大したものだなと思って読んだ。
 こうした続編的な作品の性格上、登場人物に制約が出てくるので、しかもドミートリイはすでに亡きものにしているので、人物の使い回しに作品の窮屈さは感じられる。とはいえ、こちらの作品ならでは登場人物が一人いて、彼が事実上の主人公になる。トロヤノフスキーである。心理学者である。なぜこういう人物を配したかというのは、犯人の割り当てから逆に要請されてしまったからだろう。本来ならこの犯人が主人公である物語なのに。
 以上印象程度の話だが、こうした作品があってもよいのではないかとは思った。いわゆるコミケ的な二次創作のノリと見てもよいだろう。
 読後、なんとなく思ったのだけど、この作品をドストエフスキーの文脈でベタに書くのではなく、こういう作品理解としてドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読解した人物が犯した奇妙な犯罪の物語のような仕立てにするとエレガントだっただろう。
 
 

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2013.05.20

村上春樹・処女作『風の歌を聴け』から最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のcakes書評

 cakesで連載している「新しい「古典」を読む」(参照)で、第20回から第22回の3回で連載した『風の歌を聴け』の書評が、今日5月20日から5月24日までの間、cakes用アプリ開発記念で、無料公開になります。ご関心のあるかたはこの機会にご一読を。
 cakesでの書評は、このブログや、また自著『考える生き方』(参照)とはまた違った立場で書いています。cakesという機会がなければこうした本格的な文学書評作品を自分は書かなかったかもしれないので感慨深いです。
 該当書評のリンクリストをかねてcakesによる紹介文を借りると、以下の通りです。この紹介文は自分でも、こそばゆいですが。


「極東ブログ」ブロガー・finalventさんが、時が経つにつれ読まれる機会が減っている近代以降の名著を、”新しい「古典」”として読み返す試み。finalventさんの深い洞察に触れることで、本の面白さが何十倍にも増幅します。今回は現在進行中の「村上春樹の読み方」の中から、村上春樹デビュー作『風の歌を聴け』の書評を無料でお届けします。

【第20回】村上春樹の読み方『風の歌を聴け』前編(参照
【第21回】村上春樹の読み方『風の歌を聴け』中編(参照
【第22回】村上春樹の読み方『風の歌を聴け』後編(参照


 『風の歌を聴け』は昔一読されたことがあるという人も多いだろうと思うので、この書評を機会に再読されると、たぶん、思わぬ発見もあるかと思います。ごく簡単にいうと、この作品はかなり巧緻なパズルとしてできているので、書評ではできるかぎりパズルの解答集的にまとめてみました。
 「できるだけ」と限定したのは、作品中、ふいに登場するニコス・カザンザキスの『ふたたび十字架にかけられたキリスト』と文脈の関連といったディテールなども解説したい誘惑に駆られたのですが、やりすぎになりすぎそうなので控えました。
 文学をパズルとして見るなんて邪道という考えもあるでしょう。もちろん、パズルという言い方がわかりやすい半面よくないからでしょう。もうちょっと真面目にいうと、構造分析になります。
 書評では構造分析をかなり徹底的にやってみました。自著でも書きましたが、自分の若い時の専攻は記号学分析だったし、聖書学も記号学的な読みだったので、こうした物語構造分析は懐かしいなあという思いもありました。
 cakesの連載ではすでに『1973年のピンボール』についても3回にわけて連載してあります。こちらも物語構造分析を重視したものです。が、この作品は巧緻なパズルという趣向より、現在の村上春樹文学に連なる暗喩やシュールレアリスムの傾向が強くなっているので、分析手法も変えてあります。とはいえ、この作品にも主題に関わる重要なパズルが潜んでいるので、そこは解いておきました。
 cakesで村上春樹の初期作品を読み解くのは、最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の出版にある程度タイミングを合わせた面もあり、当初は「新しい古典」の意味合いで初期三部作または四部作として軽くまとめるかなと思ったのですが、これらの初期作品について、自分が見た範囲ではあまり適切な解説がないようにずっと思っていたので、ある程度きちんと取り組んでみました。
 以前にもふれたのですが、この後、『羊をめぐる冒険』と『ダンス・ダンス・ダンス』の書評の粗原稿もできています。が、これも長いので、世の中で話題になっているうちに『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評を先行しました。明日からcakesで公開する予定です。たぶん、これも3回シリーズになるかと思います。
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評も、物語構造分析が基本ですが、それ以前に村上春樹が意図的に振りまいた各種の解読の罠みたいなをまずフィルターアウト(除去)する前処理もしてみました。解読の罠というのは、各種の知識でこれが解き明かせるといった知識の誘惑です。ただし、これらの解読の罠がすべて罠かというとそうとも言い切れず、作品の読み込みには一定の理解は必要だろうと思われます。
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評でも、パズルとは違った仕組みですが、配備された謎をできるだけ解読してみました。パズルではないので、これで解答だとはなかなか明確に言えないのですが、構造的にわかる範囲で主題に関わる部分は粗方解けたのではないかと思います。
 自分より先にこのあたりの謎解きの解答を出している人がいるかわからないのですが、ちょっと毛色の変わった批評である『村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』メッタ斬り!』(Kindle版・参照)を読んだ範囲では、謎を解かずに批評に走るとこうなってしまうのだろうなという印象はありました。もちろん、そういう批評があってもいいでしょう。
 そういえば、cakesの連載は書籍にしないの?と聞かれることがなんどかあり、これも検討しています。個人的にはもう少し社会学的な古典や自然科学的な古典も含めたいという思いや、文学的には第三の新人あたりの作品をもう少し補いたい気持ちもあります。ただ、書籍としてみると村上春樹関連でけっこうな比重になり、ページ数の多い書籍もどうしようかなと悩んでいます。というか、それ以前に書籍にしても売れないんじゃないかと悩むんですが。
 あ、もう一つ。cakesに対談記事が載る予定です。育児の話ではありません。不倫の話でもありません(当然)。いろんな話題だったのですが、料理の話とかが盛り上がったんでそのあたりが中心になっているかもしれません。
 
 

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2013.05.19

オバマ政権を揺るがす新疑惑・IRSゲートなのか?

 米国の税務審査問題がちょっと怪しい雲行きになってきた感じがするので、簡単にメモしておこう。日本の報道を見ているとちょっと論点がわかりづらいのではないかとも思えることもある。
 米国の税務審査問題というのは、日本の国税庁に相当する米国の内国歳入庁(IRS: Internal Revenue Service)がオバマ政権に批判的な茶会党(ティーパーティー)など保守系団体に対して、去年の米国大統領選挙の期間中、通常よりも厳しい税務審査を行っていたという問題だ。簡単にいうと、オバマ政権にうるさいやつらを狙って税審査で締め付けていたという話だ。
 税についてはたいていの人や団体が痛い部分を抱えているものなので、厳しく突かれるとつらいものだし、リベラルを装っている権力者がこの手のイジメをするのもありがちなので、まあ、ふーんという感じで私は見ていた。問題点が去年のオバマ再選の大統領選挙の期間中というあたりだろう、というのは当然とはいえ、まさかオバマ政権としての組織的な関与まではないんじゃないの、またつまらない大騒ぎだろうなという印象はあった。
 そのころの様子を14日のNHK報道「米歳入庁 保守系団体を厳格審査」(参照)で拾っておくとこう。


 これについてIRSは、「ティーパーティー」や「愛国者」など、保守系の名称を持つ団体を対象に不平等な審査をしたことを認めましたが、現場の職員の独断であり、オバマ大統領から政治任用された幹部は関与していないと釈明しています。
 オバマ大統領は13日の記者会見で、「もし保守系団体だけを狙ったやり方だったのなら言語道断で、IRSは事実関係をきちんと説明しなければならない」と述べ、IRSに調査を命じたことを明らかにしました。
 ただ、この問題では、野党・共和党がIRSの長官の罷免を要求しているほか、与党・民主党からもIRSへの批判の声が上がっており、オバマ大統領は対応に追われています。

 というわけで、「愛国者」を称する団体を狙って締め上げたのは事実だった。が、この時点では「現場の職員の独断であり、オバマ大統領から政治任用された幹部は関与していない」との話であり、「IRSの長官の罷免」というはどうだろうかと私などはまったり見ていた。
 が、トップが更迭された。16日NHK「米の税務審査問題 IRSトップ更迭へ」(参照)より。

 これについてオバマ大統領は、15日、緊急に声明を発表し、「国民生活に立ち入るIRSの権限の大きさを考えれば許されるものではない。国民の怒りは当然で、私も憤っている」と述べ、保守系団体への差別的な取り扱いは許されないという立場を強調しました。
そのうえで、「IRSの信頼回復のためには人事を刷新することが重要だ」として、IRSトップのミラー長官代行を更迭する考えを示しました。
 ホワイトハウスとしては、この問題にオバマ大統領が直接関わっていないことを示すことで、事態の沈静化を図るねらいがあるものとみられますが、野党・共和党だけでなく、世論も政権に厳しい目を向け始めており、大統領は苦しい対応を迫られています。

 という動きから、尻尾切りというには大物を切った。実際、「愛国者」を称する保守派を狙い撃ちしたのだから公正性に欠くと言われてもしかたがない。問題はこのあたりで、本丸は「この問題にオバマ大統領が直接関わっていない」のか、ということになり、IRSゲートかという様相を示しだした。
 大統領選の最中にオバマ政権の高官がこの問題を知っていた可能性が出てきた。
 かくして、17日NHK「米大統領 税務審査問題への関与否定」(参照)では、IRSゲートかという疑念の枠組みが明確になってきた。

アメリカで、日本の国税庁に当たるIRS=内国歳入庁が、オバマ大統領に批判的な保守系団体に対して通常より厳しい税務審査を行っていた問題で、オバマ大統領は、記者会見で「何も知らなかった」と述べ、関与を否定しました。

 IRSで問題が閉じているなら、本丸のオバマ政権には深刻な影響はない。公的な組織を公正に管轄する責任が問われるという枠組みになる。が、そこも突破されたようだ。
 18日WSJ「米オバマ政権幹部、大統領選の最中にIRS税務審査問題を把握」(参照)より。

 米内国歳入庁(IRS)がティーパーティー(茶会党)など保守系団体を対象に税務審査を厳格化していた問題で、IRSを監督する独立機関の財務省税務管理監査官(TIGTA)が2012年6月ごろ、財務省幹部に対し、このIRSの問題を調査していることを報告していたことが明らかになった。大統領選の最中にオバマ政権の高官がこの問題を知っていたことが示唆されるのは初めて。


 財務省幹部が報告を受けていたことが判明し、今度はオバマ政権内で誰が問題を把握していたのかが問われることになる。

 これでめでたくIRSゲートの枠組みとなり、オバマ政権内に問題が及ぶようになった。
 同記事は続けて、議会公聴会の状況を記している。

この問題は、今月10日にIRS免税部門のディレクター、ロイス・ラーナー氏がある弁護士会の会議で、IRSが免税を申請した保守系団体に対して審査を厳格化していたことを明らかにしたことで発覚。その1週間後の17日、4時間にわたる米下院歳入委員会で財務省幹部への報告という新たな詳細が判明した。
 同委員会での公聴会では、10日のIRS高官による公表が演出だったことも明らかになった。更迭されたIRSのスティーブン・ミラー長官代行は、渦中のラーナー氏とこの問題の公表を事前に計画していたと証言した。共和党議員は最初に議会に報告がなかったことに驚きをあらわにした。
 しかし、公聴会を終えても、誰が保守系団体への審査の厳格化を命じたのか、なぜ不適切な行為が長期間継続されたかなど多くの根本的な疑問は解消されておらず、今後、捜査が長引く可能性がある。

 論点は、こうした問題は議会で最初に扱われるべきだということだ。現状では、あたかもIRSゲートもみ消しのような様相になってしまったのも問題である。
 今回の問題が米国で燃え上がっているのは、IRSゲートの側面の他に、公正を求められる税徴収機関が、税制について批判する市民団体を標的にしたことで、税への信頼性が毀損されかねないためである。オバマ大統領が強行に対応したかに見えるのも、IRSゲートの枠組みに加えて、税への信頼性を守るためだった。
 現下、米国のベンガジゲート(参照)とIRSゲートは、常識的に見れば、その命名すら正確とはいえず、またオバマ政権が致命的な事態になるようにも見えない。が、議会や税といった共和国の根幹を軽視する火消しを行うとそれ自体がとんでもない問題にふくれあがる懸念がある。
 
 

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2013.05.18

日本は人種差別の少ない社会を構成しているという調査結果

 15日だったがワシントンポストに、人種差別の度合いを世界地図に表示した記事が掲載され、話題になっていた。「世界でもっとも人種的な許容度の高い国と低い国を示した興味深い地図」(参照)という記事だ。読んだ人が一応に、おやっと思うらしく、タブロイド紙のメールは「君はびっくりするよ」とサブタイトルを付けていた(参照)。
 びっくりするだろうか。一目見ると、びっくりするのではないか。こんな感じだ。青色と赤色の二極からグラデーションになっていて、青色が濃いほど人種差別は少ない社会であり、赤色が濃いほど人種差別が多い社会という色分けである。

 誰もが自国を見る。日本はどうかなと見ると、基本、青い。つまり、人種差別の少ない社会だというのだ。
 日本の西に赤色の国があるなと見ると、韓国である。中国は中間的。台湾も青色国で日本より人種差別が少ない。フィリピンも赤色になっている。このあたりで、ちょっと誰もが首をかしげる。
 欧州はどうかと見ると、英国が人種差別の少ない社会を持ち、フランスが韓国と同じくらい人種差別の多い社会となっている。
 全体で見ると、インドが真っ赤なのにも驚く。
 なんなのこれ? と、誰もが思う。苦笑する人もいる。なので、話題になった。
 どういう基準で人種差別が少ない社会と見ているかが気になる。どうか。
 これは色の凡例にもあるが、「ご近所に別の人種の人がいてもかまわないですか?」という質問に対する回答を集計したものだ。青色国では、「別の人種の人が近所で暮らしても別にかまいませんよ」という回答者が多い国で、赤色国では、「近所に別の人種の人がいるのはいやだな」という回答者が多い国だ。
 疑問が起きる。二つ。ご近所の異人種生活を許容することが人種差別の過多の判定基準になるのか。また、その回答をそのまま正直に受け取っていいのか。
 最初の疑問については、むしろ、そういう風に問いかけたほうが生活実感に沿っているのではないかと考えたのが今回の調査者たちの創案だった。
 二つ目の疑問、回答を真に受けていいのか。規範性を共有している国家の国民、つまり、人種差別はいけないというのを建前にしている国家の国民と、正直に語っただけという国民の差かもしれない。どう考えたらよいか。
 この疑問は該当のワシントンポストの記事でもいろいろ言及され、さらに納まりがつかずさらに考察の記事(参照)まで書かれた。こうした議論が気になる人はオリジナルを参照するとよいだろう。
 私の考えでは、概ねこの地図の色分けで受け止めていいように思った。公的に問われたときその社会の市民が許容すると答える以上のことを求めるのは現実には難しいからだし、その規範性はそれなりに許容に沿っていると思われるからだ。
 というわけで、それなりにこの色分けの意義を認めたうえで、ではこれはどういうことなんだろうという考察が元の記事で展開されている。ざっくり簡単にまとめてみる。
 まず、ラテン系の国は人種の許容度が高い。またコモンウェルス(大英帝国の名残)でも許容度が高い。例外はヴェネズエラだが、ナショナリズムを高揚した反動だろう。
 他人種への許容度が低い国の理由は意外とよくわからない。インドや香港、ヨルダンなどだ。
 欧州はいろいろだが、フランスの許容度が低いのは注目される。中東は概ね許容度が低い。
 韓国の許容度の低さは異例だ。一般的に経済が発展すると他人種に許容になるものだが韓国は例外である。研究者は、韓国の国家血統主義が特異なため(racial-national identity as unique)としている。また、韓国への東南アジアからの流入が多いことと、日本と対立しつづけていることが挙げられている。
 パキスタンの許容度の高さは異例だ。韓国とは逆に経済の進展が低いのに許容度が高い。理由の考察は含まれていない。
 以上といったところ。概ね、歴史や国家主義の背景が多いように思える。
 いずれにせよ、日本は日本のネットで騒がれているほど、社会学的な調査の一例からは人種差別国としては目立っていない。普通に健全に発展した先進国のように見える。
 私の生活実感からしてもそう思う。
 先日連休のおりいろいろ出かけた際、中国語や韓国語、タイ語、フィリピン語などの会話を聞くことあったが、以前と比べると、おやっと気がつくと、耳に入るくらいだった。それほど目立たないのである。おそらく日本に暮らしているこれらの人々は、行動規範としては日本人と同じだからだろう。日本人のように暮らすことに慣れたのだろう。
 
 

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2013.05.17

橋下市長発言を米報道官が初批判した話題について

 今朝(日本時間17日)のニュースだが、旧日本軍の慰安婦を巡る橋下徹大阪市長による発言について、米国務省が非難したという報道が流れた。以下、この問題を論じるというのではないが、報道の過程をメモする意図で追ってみたい。
 まず報道だが、NHKでは「維新 橋下氏発言問題の事態収拾急ぐ」(参照)の関連ニュースとして「米国務省「異常な発言で不快」」として扱っていた。NHK報道らしく「従軍慰安婦」という術語には「いわゆる」が冠せられている。


 いわゆる従軍慰安婦の問題などを巡る日本維新の会の橋下共同代表の発言について、アメリカ国務省のサキ報道官は、「異常な発言で不快だ」と述べて、強く非難しました。
 そのうえで、「われわれは被害者に心からの同情を表すとともに、日本がこの問題や過去の問題について近隣諸国と協力し、前に進むべく関係を育むことを望んでいる」と述べて、日本政府に対して韓国や中国との関係改善を求めました。

 共同では「橋下氏発言は「言語道断で不快」 米報道官が初批判」(参照)がホームページではサキ報道官の写真ともに報道された。氏が女性であることの情報を補う意図があるかもしれない。

【ワシントン共同】米国務省のサキ報道官は16日の記者会見で、従軍慰安婦は必要だったとした、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長による発言について「言語道断で不快だ」と非難した。
 橋下市長の発言をめぐっては、在日米軍に風俗業者の利用を求めたことに絡んで米国防総省のリトル報道官が、米軍が買春を拒否するのは「言うまでもない」と述べていたが、米政府当局者が公式の場で正面から批判したのは初めて。
 サキ報道官は従軍慰安婦について「性を目的に人身売買された女性たちの身に起きた出来事は嘆かわしく、とてつもなく重大な人権侵害であることは明白だ」とも指摘した。

 ロイターでは「橋下氏の慰安婦発言は「言語道断で侮辱的」、米国務省が非難」(参照)である。

[ワシントン 16日 ロイター] 米国務省のサキ報道官は16日、日本維新の会共同代表の橋下徹・大阪市長が第2次世界大戦中の旧日本軍の慰安婦について「必要だった」などと発言したことについて、「言語道断で侮辱的」だと非難した。
 サキ報道官は「当時、性を目的として人身売買された女性たちに起きたことは嘆かわしく、大規模かつ重大な人権侵害であることは明白だ」とし、米国政府は日本が過去の過ちについて周辺諸国と協力して対処することを望んでいると語った。
 菅義偉官房長官は14日、橋下氏の発言について直接コメントはしなかったものの、「政府の立場は、これまでも述べているように、従軍慰安婦の問題で、筆舌に尽くし難いつらい思いをされた方々を思うと非常に心が痛むという点については、安倍内閣も歴代内閣と同様の思いを持って臨んでいる」と述べた。

 産経では「橋下氏発言は「言語道断で侮辱的」国務省報道官が初めて批判」(参照)である。

【ワシントン=犬塚陽介】米国務省のサキ報道官は16日の記者会見で、慰安婦制度が当時は必要で、他国も活用していたとする日本維新の会の共同代表、橋下徹大阪市長の発言を「言語道断で、侮辱的だ」と厳しく批判した。米政府高官が強い言葉で、公然と不快感を示したのは初めて。
 サキ報道官は記者会見で、慰安婦として女性が売買されたことは「嘆かわしく、明白で並外れた人権侵害だ」と指摘し、女性に対する「心からの深い同情」を示した。
 また、日本に対して、慰安婦や過去の歴史を「処理する近隣国との取り組みを継続し、前進を可能にする関係を築くことを望む」と注文をつけた。
 橋下市長の発言をめぐっては、国防総省のリトル報道官が「日本の一当局者の歴史分析にはコメントしない」としていた。

 朝日新聞では「米国務省、会見で橋下氏発言を非難 「侮辱的」と言明」(参照)である。

 【ワシントン=大島隆】米国務省のサキ報道官は16日の記者会見で、戦時中の旧日本軍の慰安婦について「必要だった」などとした日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長について、「発言は言語道断で侮辱的だ」と述べ、オバマ政権として橋下氏の発言を強く非難する立場を正式に表明した。朝日新聞記者の質問に答えた。
 サキ氏は「日本が近隣諸国とこの問題やほかの過去の問題に取り組み、お互いに前進できる関係を構築することを望む」とも話した。

 以上、検討のために五つの報道ソースを引用したが、主要な点について大きな差違はない。報道に齟齬があれば報道の歪みのようなものが暗示されるが、そうした問題はなさそうに見える。
 が、微妙に報道の副次的なポイントが違うことも読み取れる。NHKはこれを日中韓の関係の問題であることが示唆されている。共同では背景への配慮がない。ロイターでは日本政府の公式見解を示唆している。産経では以前の別報道官との対比がある。朝日では、この質問を促したのが自社の記者であることを明かしているが、この点で、他報道では今回のニュースが朝日新聞記者の質問への回答で生じたことへの言及がないことがわかる。
 オリジナルはどのようなものであったか。その前に、オリジナルの全文だと称する記事が朝日新聞のサイトに掲載されていたのでこれも検討材料に引用しておこう。「橋下氏発言を非難する米政府当局者のコメント(全文)」(参照)である。

 米政府当局者のコメントの原文と日本語訳は以下の通り。

→橋下氏のこれまでの発言
     ◇
【原文】
 Mayor Hashimoto’s comment is outrageous and offensive. As the United States has stated previously, what happened in that era to those women, who were trafficked for sexual purposes, is deplorable and clearly grave human right violations of enormous proportions. We understand that mayor Hashimoto is planning to travel to the United States, but in the light of these statements, we are not sure that anyone will want to meet with him.

【日本語訳】
 橋下市長の発言は、言語道断で侮辱的なものだ。米国が以前に述べている通り、戦時中、性的な目的で連れて行かれた女性たちに起きたことは、嘆かわしく、明らかに深刻な人権侵害で、重大な問題だ。橋下市長は米国訪問を計画しているそうだが、こうした発言を踏まえると、面会したいと思う人がいるかどうかはわからない。


 同社サイトの記事は後半が会員のみになっていることがあるので、この先の記事を含めての「全文」なのかということが、該当サイトからだけでは読み取れないが、先の日本国内報道ソースには、朝日新聞を含めて、米国としてはこの問題について周辺諸国と協力して対処するよう要望しているので、上記の一段落が全文であることはないだろう。
 加えて、訳文をみると多少違和感があるので、試訳してみたい。

 Mayor Hashimoto’s comment is outrageous and offensive. As the United States has stated previously, what happened in that era to those women, who were trafficked for sexual purposes, is deplorable and clearly grave human right violations of enormous proportions. We understand that mayor Hashimoto is planning to travel to the United States, but in the light of these statements, we are not sure that anyone will want to meet with him.

【試訳】
 橋下市長の意見は恥知らずで容認しがたいものです。米国は以前に述べたように、性目的で人身売買されたこれらの女性についてあの時代に生じたことは、嘆かわしいことであり、明らかに深刻で大規模な人権侵害です。橋下市長は米国旅行を計画していると私たちは理解しているが、こうした声明の視点から見ると、彼に面会したいとする人がいるなど確信が持てません。

【朝日新聞訳】
 橋下市長の発言は、言語道断で侮辱的なものだ。米国が以前に述べている通り、戦時中、性的な目的で連れて行かれた女性たちに起きたことは、嘆かわしく、明らかに深刻な人権侵害で、重大な問題だ。橋下市長は米国訪問を計画しているそうだが、こうした発言を踏まえると、面会したいと思う人がいるかどうかはわからない。


 試訳は拙いのだが、それでも朝日新聞訳が意訳であることはわかるだろう。政治的な英語の表現は難しいものなので、日本人に報道する際に意訳することは不思議ではないが、普通に訳として見てみても、この朝日新聞訳には疑問点が二つある。
 一つは"trafficked"が正確に訳出されていないことだ。朝日新聞訳では「連れて行かれた」と意訳されているが、"trafficked"は"trafficked women"が「人身売買された女性」と通常訳されるように、単に「取引された」というより、「人身売買」が強調される。日本は現在でも人身売買について米国から懸念を抱かれている国家であり、この問題に熟知しているはずのサキ報道官の意図からすると、この点が明確に日本に伝わらないのは残念なことだろう。別の言い方をすれば、この問題の米国の要点は、"trafficking"でもあるので、朝日新聞はもう少し国際的な人権問題の意識を持ったほうがよいかもしれない。
 二点目はこの部分の「全文」が米国発表の該当部分と異なることである。この点については、後で該当部分を取り上げるので比較すれば一目瞭然だろうが、公式発表と朝日新聞のその時点の取材が異なっているのかもしれない。
 さて、当のオリジナルはどうであったか。これはすでに米国務省から「Jen Psaki Spokesperson, Daily Press Briefing, Washington, DC May 16, 2013」(参照)に公開されている。該当部分を見よう。全体の流れを見るために、前後の質問を含めておこう。前にある話題は、パキスタンでシャリフ元首相の最大野党が選挙に勝利し、彼が首相に就任することに関連する。この問題はパキスタンの政情に関連して国際的には関心が持たれている。また朝日新聞記者の次の質問は、フィリピン沿岸警備隊が台湾漁船を銃撃した問題である。日本では報道が少ないが国際的には関心が持たれている。

QUESTION: And also as far as his ceremony is concerned, is the U.S. sending anybody for his ceremony? And also, is Secretary’s going to be in the region any time soon?
質問:そしてまた、彼の首相就任式に限定し、米国は彼の式のために誰かを行かせていることになるでしょうか? そしてまた、国務省人員が、今すぐ地域に赴くことになるでしょうか?

MS. PSAKI: I don’t have any update for you on either one, no scheduling announcements or any announcements on anyone attending, but I’m happy to look into it for you.
サキ氏:どちらの質問についても最新情報はありません。スケジュール発表もまた出席社の発表についてもです。しかし、あなたのために調べることができてよかったと思っています。

Why don’t we go to the back? You’ve been very patient.
後ろの方にしましょうか? あなたはずっと辛抱してました。

QUESTION: Hi, my name is Takashi from Japanese newspaper Asahi. Osaka City Mayor Hashimoto recently made a comment on the so-called “comfort women” issue, arguing that even though it is unacceptable from the moral perspective value, but the comfort women were necessary during the war period. And he also argued that it is not fair that only Japan is criticized by the United States and other countries, because there are other country military that were provided sexual service by prostitute. And do U.S. has any position on his comment or criticism against the United States?
質問:やあ。私の名前はタカシです。日本の朝日新聞から来ました。橋下大阪市長は最近、いわゆる「従軍慰安婦」問題に言及し、倫理的な点からは受容しがたいとしても、戦時に慰安婦は必要だったと議論しました。また彼は、売春によって性的なサービス提供する他の国の軍隊もあったのに、日本だけが米国や他国から批判されるのは公平ではないとも主張しました。そこで米国としては、米国に向けられた彼の批判についてどのような立場を取りますか?

MS. PSAKI: We have seen, of course, those comments. Mayor Hashimoto’s comments were outrageous and offensive. As the United States has stated previously, what happened in that era to these women who were trafficked for sexual purposes is deplorable and clearly a grave human rights violation of enormous proportions. We extend, again, our sincere and deep sympathy to the victims, and we hope that Japan will continue to work with its neighbors to address this and other issues arising from the past and cultivate relationships that allow them to move forward.
サキ氏:私たちはもちろんその言及を知っています。橋下市長の意見は恥知らずで容認しがたいものです。米国は以前に述べたように、性目的で人身売買されたこれらの女性についてあの時代に生じたことは、嘆かわしいことであり、明らかに深刻で大規模な人権侵害です。私たちは重ねて被害者のかたに誠意を込めた同情を表し、日本が近隣国とこの問題や過去にまつわるその他の問題について議論を継続し、これらの国の関係が前進できることを望んでいます。

QUESTION: Do you describe this issue sex slave or comfort women?
質問:あなたはこの問題をどう表現しますか、性奴隷または慰安婦?

MS. PSAKI: Again, I don’t know that I’m going to define it. You kind of laid out the specific details there, and we have described this issue in the past as comfort women[ii].
サキ氏: 繰り返しますが、私はそれ定義するつもりがあるかはっきりしていません。あなたはそこで詳細を展開しているのしょう。私たちはこの問題を、かつて慰安婦として表現しています[ii]。

Go ahead in the back.
先に移ります、その後ろのかた。

QUESTION: It’s about Taiwan and Philippines. So yesterday in Manila, American Ambassador to the Philippines Harry Thomas talked to the reporters and expressed confidence that the two sides will work together, and these things will be resolved through negotiation. And he said “we” applaud Philippines’ expression of regret over this incident. So do you consider that his statement represented the position of the U.S.?
質問:台湾とフィリピンに関連したことです。つまり、昨日、マニラでハリー・トーマス・フィリピン大使が記者に話しかけ、両国が協調し、これらの問題が外交的に解決できることに自信を示しました。また彼は、「私たち」は事件について遺憾に思うと述べました。そこでですが、これは米国としての立場であるとあなたは考えますか。


 朝日新聞記者の前後の質問は、現在の国際情勢に関連した問題である。朝日新聞記者は質問する気満々だっただろう。が、現在の国政情勢に関連してない質問はどうしようかなとためらっていたところを、サキ報道官に促されたような印象もある。
 結果は、特に新しい見解はなく、もういいですよねという感じで流されている。流れのなかで見ると、橋下発言に米報道官があらためて怒りを示したというより、そんなの怒って当然でしょくらいの話である。
 また、米発表では、橋下市長に会う人はいないでしょうという部分の発言は掲載されていない。公式には削除されたのだろうか。
 報道の末には、朝日新聞記者による「性奴隷」か「慰安婦」との問いの回答に、[ii]という注が付いているが、以下のようなものである。

[ii] Rather than focusing on the label placed on these victims, we prefer to address the fact that this was a grave human rights violation of enormous proportions. The United States is also committed to working with our partners and allies around the world to denounce modern-day slavery and trafficking in persons no matter where it occurs.

【試訳】
私たちは、これらの犠牲者の上に貼り付けたラベル(どう呼ぶか)に焦点を当てるのではなく、これがて明らかに深刻で大規模な人権侵害だったという事実を述べたいと思います。米国はまた、世界中の私たちの協力者と同盟国とともに、どこで起きようが、現代の奴隷制と人身売買を非難することで協調活動をしています。


 注が特記されたのは、米国では、慰安婦問題は、現在の奴隷制や人身売買に繋がる問題として関心が持たれている点をあらためて重視しているからだろう。
 なお、今回日本で報道されたこの米国の記者会見では、台湾・フィリピン問題の後に、再度日本記者からの質問があり、そこでは北朝鮮拉致被害者問題に関連して飯島内閣官房参与の北朝鮮訪問の質疑があった。明確な発言が引き出せなかったこともあるだろうが、この点について国内報道は見掛けなかったように思う。
 

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2013.05.16

結婚がオワコン(終了)とネットで話題になるのはなぜなんだろう

 この冬ごろだっただろうか、ネットで「結婚はオワコン」という表現を見かけるようになった。オワコンというのは、「終わったコンテンツ」の略で、コンテンツというのは「中身」という意味。普通は、提供されるサービスの中身ということ。各種サービスが人気がなくなったり時代遅れになると、実際に終了になってなくても「あれはオワコンだね」とか言われる。もうダメだねという意味だ。結婚がオワコンというのは、結婚なんかもうする人はいないよ、という意味なんだろう。
 結婚なんてもうする人はいないよ、というのは、でも、どうなんだろうか。本当なんだろうか。
 この手の話題は、個人の主観が背景にあるにしてても、主観で言ってもしかたがないから、いろいろ統計みたいなものが出てくるわけなのだが、個別にどのネットの記事がというのもなんだけど、それって「結婚はオワコン」という命題をサポートしている統計値なのか、なんかのギャグなのか、よくわからないことが多い。
 これはもしかすると、ネットによくある大喜利ネタなのかもしれないなと思った。では僕もちょっと統計とかひっぱりだして、似たようなネタを作ってみようかなとも思った。
 ネットのネタには元ネタというのが必要だし、それなりに根拠がありそうな元ネタを使うと話題になりやすいので、内閣府にある比較的近年の「平成23年3月 少子化社会に関する国際意識調査報告書」(参照)にある結婚の話題を拾ってみた。ちなみに、ブログのネタを誤解する人が多いので、あらかじめ言うと、内容に関心があるならブログのネタなんか読んでなくて、元ネタをきちんと読んだ方がよいと思いますよ。あるいは本を買うとか。ネットの無料コンテンツは、現状、広告的なリンク集くらいの意味しかないんだから。
 ネットのネタなんてそんなもんよ、ということで、話芸やアオリで引っ張るのが大喜利の特徴だが、それもなんなので、ここは最初に結論だけで示しておくと、結婚がオワコン、ということは、全然なさそうだ。
 あれです、オワコンに見えるのは定義の問題というか、定義の詐術みたいなものはないか。
 結婚とは何か? いろんなこと言えるし、僕の経験談な考察については自著『考える生き方』(参照)に書いたのでブログでまでは書かないけど、統計とかで見る場合は、定義が必要になるわけですよ。そこで、公的な定義というのは公的な関わりをどう見るか、あるいは、実態をどう公的に把握するかということになる。ちょっと難しい言い方をすれば規範的に見るか記述的に見るかというか。
 結婚を公的制度として見ると、当然各国で制度が違う。という点で、それを考慮せずに杓子定規に比較するとまじめくさったナンセンスな人気エントリーが出来ちゃう。だからネットのネタになるというのもあるけど、この手の話題は、まず実態から見るのが社会学的な考え方だろう。
 その意味で、結婚というのが個人によるパートナー生活選択という点でオワコンなのかと問うなら、実際に長期にわたり同棲している関係も、国際比較上は事実上の婚姻関係と見るといい。
 その場合、同性の結婚というのはちょっと複雑なのだけど、男女の長期同棲なら、出産や育児にも直接関係しているので、やはり公的には、長期の男女同棲も広義に結婚の関係と見てよいだろう。実際、内閣府の調査もそうした実態から見ている。
 どうか。制度的な既婚と同棲関係を合算して広義の婚姻形態として見ると、日本、韓国、米国、フランス、スウェーデンの文化的な濃淡があると見られる先進国の代表五国で比べると、あんまり差がない。グラフは各国とも2005年と2010年の二期を並べているが、内訳は変化しても総数はあまり変わっていない。

 どういうことかというと、制度とか時流によって、制度的な結婚にするか、私的な同棲にするかという違いは先進国ではあっても、基本的に広義の婚姻形態にはあまり変化がないということだ。結婚、全然、オワコンじゃないじゃないですか。
 別の言い方をすると、日本の場合、未婚率の上昇が出生率低下の要因という議論が多いが、実態はそれほど他国と変わっているわけでもない。ただし、これにはちょっと留保がある。内閣府の報告書でもそこは触れている。
 これも結論からいうと、日本の場合、若い世代で既婚・同棲率が低いためだ。言い方はなんだけど、欧米の場合は若い時代の同棲中に、まずぽこんか、ぽこぽこんか、とりあえず子供を産んでしまうということのようだ。
 日本の場合は、そうしたことがあまりないのか、あるいはそこで産む前に留めてしまうということかなとも推測する。
 報告書を読んでいくと、日本の40代だと、結婚・同棲経験率は他国より低いわけではない。どうやら長期同棲の関係が形成されるのが日本の場合、40代近くにずれ込んでいると見てもよいだろう。
 なかなかよい人に巡り会えないという思い込みの妥協が付くのが30代後半ということではないだろうか。そして事実上の結婚関係に至るのが30代半ばというようになったので、出生率が低下しているとも見てよさそうだ。
 報告書は、ではどうすればいいかについては、若い世代が広義の婚姻関係が維持できるような収入の安定が重要だといったありきたりな結論にしていて、それはそうだろと思うが、関連で、ちょっとなあ、結婚阻害について、ああ、それがあったかあ、という要素の指摘があった。親の介護である。
 単純な話、30代半ばに婚期となると、男女双方、親の介護をどうしよう問題が結婚に関係しているわけだ。これはちょっときついだろうな、と他人事みたいに言うけど。
 このあたりで、僕もブロガーらしいことを考えたのだ。
 親の人生を子供の人生と切り離せるように、親の婚姻関係のほうも変えやすくしたらよいのではないだろうか。親子ぉという関係を薄くするというか。
 あるいは、若い時に出産に至る婚姻関係をためらうのは結婚を重視しすぎているので、もっと結婚を軽くしたらよいのではないか。カジュアルに、ツイッターでブロックするみたいに。あるいはその人にとって現在の結婚がオワコンなら新しく別のを始めるとか。
 結婚というは、男女とも、人生のライフサイクルに合わせる変動的なありかたと見ていってもよいだろう。米国とかだと、すでにそうなっている感じで、若い時のパートナー、中年期のパートナー、老年期に至るパートナー、というふうに婚姻が特定のライフサイクルの出来事化してきている。
 ただし、その米国でもそうだけど、結果はたいていの場合、中年の男が若い女と結婚するということにはなりそう。
 
 

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2013.05.15

橋下共同代表による問題発言の海外反響について

 日本維新の会・橋下共同代表が大阪市で13日、記者団に向けた発言に、NHKが言うところの「いわゆる従軍慰安婦問題」が含まれていて国内で話題になっていた。今朝ツイッターを見たら、毎日新聞・和田浩明記者がまとめた英語圏での報道のリスト(参照)も話題になっていた。
 私は、グーグルニュースが自動的にまとめたリストから該当の話題を辿って読んでいただけなのだが、そのわりに特に見落としていた記事はないようだった。これらのリストの記事は用語の選択などの点も含め、各報社の特徴などがよく表れているので、比較して内容を読んでみると海外報道での日本の扱いを知る上で格好の例になると思う。
 ツイッターではこのリストを元に、海外ではこんなに橋下発言が話題になっているという話題もよく見かけた。たしかにどれもベタ記事扱いではないので、話題になっていると言える。ただ、こうしてこの話題だけに焦点を当てて抜き出すとそう見えるかなという印象ももった。昨今の関連の海外報道の文脈のなかで見ると、日韓のこうした問題は米国政権側としては比較的抑制されたトーンが感じられるからだ。
 特にこの手の話題に力を入れるニューヨークタイムズ紙での扱いだが、自著『考える生き方』(参照)でも触れたけがオーディブルのおまけで配信される同紙のダイジェスト(といっても1時間くらいあるけっこうなものなんだけど)を聞くと、この話題の国際欄での扱いが意外に低かった。代わりにベンガジゲート問題やアフガニスタンでの子供を含めた民間人虐殺が主要な話題になっていた。基本、橋下氏はまだ日本の政治に直接影響をもたらしているわけではないし、逆に日本政府や世論の多数も橋下氏のような考えを支持しているわけでもないことは、国際的にある程度知られているし、さらにレイシズムの文脈で見るなら各国自身も問題を抱えている。扱いの重要性を低くしているのも頷ける。
 話を昨今の報道文脈に戻すと、先日のエントリーでパク大統領の米議会スピーチの様子を取り上げたが(参照)、こうした米議会スピーチの際の、関連する対日意識が興味深い。具体的にはパク大統領は「歴史に目を閉ざす者は未来が見えない」という表現を使ったことだ。普通に受け取れば当然対日批判ではあるが、あえて日本を名指ししていなかった。これが米議会でそのように抑制されたというところに国際情勢読み取りのポイントがある。
 簡単にいうとパク政権としては、米国の手前不用意に米同盟国の日本を批判したくないし、かといって韓国内政上、朴正煕の娘ということで「親日派(非国民のような意味合い)」と見られることを恐れるというバランスを取ったものだった。
 米側も、オバマ政権による北朝鮮政策の失策にも見える行き詰まりと、日本ではあまり報道されていないのだが韓国自身が米国の核の傘への疑念から単独の核化を望んでいることに苦慮していて、その配慮から韓国国民向けにパク大統領を厚遇するという演出をしていた。総じていえば、問題の主軸にあるのは、北朝鮮の核化の封じ込めであり、その文脈で見ると、日本の歴史意識問題は当面は抑制しておきたいというのがパク政権とオバマ政権や議会の基本的な総意になっているようだった。
 逆に報道からは見えづらいので議論しづらいのだが、安倍総理が国立追悼施設に否定的なほうが外交的には問題になってくるだろう(参照)。日本の外務省としてもこれは困ったことになっていると頭抱えているのではないだろうか。
 冒頭のリストに戻ると、これに挙がっている星条旗新聞の記事「大阪市長:『粗野な海兵隊員』は売春婦を使うことを考慮するべきである」(参照)が、現場を知悉していることに加え、他の報道メディアの政治・外交対応とは違う背景を持っていることから興味深い。
 基本的に日本バッシング的にも見える海外報道の大半は、日本に派遣されている記者の質にも関連するだろうが、日本国内のバッシング報道をつまみ食いしてまとめたタイプが多いのだが、この星条旗新聞の記事はそれらと骨格が違っている。なお、星条旗新聞は軍部の報道機関なのでその偏向があるとナイーブに思い込んでしまう人は同紙の歴史を少し調べてみるとよいだろう。なかなか気骨のある報道機関である(参照)。
 星条旗新聞の記事では、今回の話題について、いわゆる歴史認識問題として焦点を当てるだけではではなく、橋下発言の全体を見ている。その意味で、前提として日本国内報道としての橋下発言をNHK報道から顧みておきたい。「橋下氏 慰安婦必要の認識を重ねて示す」(参照)より。


 日本維新の会の橋下共同代表は、13日夜、大阪市で記者団に対し、いわゆる従軍慰安婦問題について、「いいか悪いかは別にして、軍の規律を維持するために当時は必要だった」と述べ、当時としては慰安婦の制度が必要だったという認識を重ねて示しました。
 この中で橋下共同代表は、いわゆる従軍慰安婦問題について、「いいか悪いかは別にして、軍の規律を維持するために当時は必要だった。戦争に勝った側が、負けた側を乱暴するという事実は山ほどあり、そういうものを抑えるためにも、慰安婦のような制度が必要だったのは厳然たる事実だ」と述べ、当時としては、慰安婦の制度が必要だったという認識を重ねて示しました。
 一方で橋下氏は、「慰安婦制度を、すべて否定するとかすべて正当化するのはだめだ。戦争の悲劇で生まれたものだから、意に反して慰安婦となった方には配慮を持って接しなければならない。政府が、拉致して暴行脅迫で無理やりそういう仕事につけさせたと世界から非難されているのは、違うと言わなければいけないし、国を挙げて拉致したという証拠が出てくれば、日本国として反省しなければいけない」と述べました。
 また、橋下氏は、今月上旬に沖縄のアメリカ軍普天間基地を視察したことに関連して、「海兵隊の性的なエネルギーを解消するために、司令官に対して、『もっと風俗業を活用してほしい』と言ったら、司令官は凍りついて、『禁止している』と言っていた。法律の範囲内の風俗業は認めないと、建て前論ばかりでやっていたらだめだ」と述べました。

 NHK報道は以上だが、対して、星条旗新聞の記事で重視されているのは、橋下氏による「もっと風俗業を活用してほしい」という部分である。
 ここに焦点を当てると、NHK報道に若干疑問が生じる。NHK報道に間違いがあるというのではない。米司令官の発言は橋下氏による証言であって、実際に米司令官が橋下氏のこの発言に対してどのような応答したのか、その事実がNHKでは報道されていないことだ。星条旗新聞の記事では米側のコメントがこの時点ではないとしている。
 「慰安婦(comfort women)」ついては、星条旗新聞の記事では、日本軍が自国民女性に加え、コリアン(朝鮮人)、中国人、および他国民を性利用したとして、日本人女性の慰安婦を筆頭にあげているのも特徴と言えるかもしれない。
 同紙は、橋下氏が占領下日本での遊興施設設置について語った点も言及しているが、星条旗新聞らしいのは、こうした「売春支援」は、現状では、統一軍事裁判法の下で軍法会議に服すると明記したことである。
 なかでも興味深いのが、売春支援("Patronizing a prostitute")という表現である。これが「慰安婦」の文脈で出てくることは、そう無理なく読めると思うのだが、星条旗新聞としては、該当歴史問題を「性奴隷」というよりは、売春支援("Patronizing a prostitute")として見ているからだろう。そう見ることで現在の問題との繋がりが論じられる。
 こうした視点から記事は、売春が日本国の法律で禁止されていることや、そうはいっても、類似のソープランド("Soapland")があることに言及し、また問題のあるマッサージ店が横須賀近辺にある実態についても触れている。さらに、このタイプのマッサージ店で米兵が金を盗まれた事件に言及し、日本に派遣された米兵はこうした点についてオリエンテーションを受けておくようにと注意している。
 記事の最終段では、ワシントンDCを拠点としたNPO法人「ポラリスプロジェクト」の藤原志帆子氏による、性産業には人身売買が関与していることが多いという指摘がある。文脈的には、慰安婦問題が現在の問題でもあることへの留意である。
 星条旗新聞の該当記事の展開は以上の通りなのだが、なぜ同紙がこうした展開をしているかという点については、同紙の近年の話題の文脈からは、在韓米軍での「ジューシー・バー」の問題が背景にうかがえる。同紙の記事インデックス「韓国の”ジューシー・バー”」(参照)に数年分の話題がまとめられているが、「ジューシー・バー」は問題のある遊興施設で、在韓米軍近辺にあることが多い。同紙の記事によると、フィリピンなどからだまされて連れられてきた契約的な隷属女性も多いらしい。
 
 

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2013.05.14

軍都東京・東京陸軍航空学校のこと

 先日、ひょんなことから東京陸軍航空学校の逸話を聞いて、驚いたというのではないけど、感慨深く思ったことがあり、こういう話、現代の若い人にはどう知らせているのだろうかと気になって、わかりやすそうな本として、ムック本だが、『知られざる軍都東京』(参照)、『知られざる軍都多摩』(参照)、『知られざる占領下の東京』(参照)を読んでみた。

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知られざる軍都東京 (
 自著『考える生き方』(参照)にも書いたけど、僕は昭和32年生まれで、東京オリンピック前の東京や日本の風景をリアルに知っているし、その後の高度成長期の変化をそれ以前の風景に感覚として結びつけることができる。それを手がかりになんとなく、自分の過ごしてきた東京の戦前・戦中・戦後の風景について知っているし、折に触れて関連の書籍なども読んではいたが、知識の抜けは多いし、全体像みたいのもまだよくわからない。冒頭で触れた逸話も、ちょっと虚を突かれた感じがしたのだった。
 東京陸軍航空学校についてはウィキペディアなどにけっこうしっかりした記述があるだろうと思って見たら、自分が思っていたよりは薄い(参照)。

 勅令第599号「東京陸軍航空学校令」(昭和12年10月22日、同年12月1日施行)により、1937年(昭和12年)12月に埼玉県大里郡に設置された後、1938年(昭和13年)8月に東京府北多摩郡へと移転した。
 本校の目的は、14歳から16歳の生徒に少年飛行兵となるため一年間の教育を行うことであった。その後、操縦の実技訓練は熊谷陸軍飛行学校で、技術の訓練は陸軍航空技術学校で実施した。通信はのちに水戸陸軍飛行学校で教育されることとなった。

 簡素過ぎて込み入った間違いもしようにないが、私はちょっとこれは違うかなと思う部分があり、実は先のムック本でもその情報がなくて落胆したのだった。
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知られざる軍都多摩
 ウィキペディアの説明では歴史風景の感触がわからない。その点、中央大学FLP松野良一ゼミによる「東京陸軍航空学校 少年飛行兵の記憶」(参照)では現在の武蔵村山の風景から当時の写真などを配してわかりやすい印象を与える。が、後半は九州の知覧など特攻隊の一般的な話に流れてしまい、東京陸軍航空学校の背景や当時の状況などがわかりづらい。見ながら、番組に登場される、この研究をしている東大和市の教員の方に会って話を伺ったほうがよいかなとも少し思った。ちなみに、番組はユーチューブにもある。

 この東京陸軍航空学校にこだわることの一つは、戦前から戦後に繋がる「公共」の隠された姿にも関心があるからだ。都下で施設がある戦跡の場合、その領域は戦後、ほぼそっくり別の公共施設や教育施設に代替化されることが多い。東京陸軍航空学校については現在、石碑などはあるにせよ、事実上跡形もなく撤去され、代替の施設が見当たらず、施設再活用の経緯も感じられない。あたかも過去を抹殺するかのようになっているのはなぜなのか、疑問に思っている。名目上は、食糧難に備えるために畑・保安林・採草地とされたことだが、地方のにわか仕立ての飛行場が農地・森林に戻るというのでもない。
 とはいえ関連施設についてはまったく無くなったわけではなく、村山陸軍病院域が東経大になっているのと、どうやら村山医療センターが村山陸軍病院の継続のように見えることだ。
 また、東京陸軍航空学校の領域を詳しく見ていくと(参照PDF)、武蔵村山の四中、七小、四小、さらに大南公園、屎尿処理施設が含まれていることがわかる。だが、学校については番号から見て戦後すぐのものではないだろう。


 他にも先のムック本をぼんやり見ていて、東京陸軍航空学校と日立航空機立川工場が近いことに気がつき、こちらの銃弾の残る変電所遺跡がもしかすると、東京陸軍航空学校の慰霊的な意味を持たされているのかと思った。もちろん、日立工場自体で、1945年2月17日から3回の爆撃を受け、111人が殺害されているのでその慰霊というのが一義的ではあるだろう。


旧日立航空機立川工場変電所

 こうした歴史は該当市町村の資料に当たらないとなかなか詳細がわからないので、調べるとなると手間暇かけることになる。が、考えてみると情報とは元来そういうもので、グーグルで検索して終わりというものでもない。
 ムック本を見ていてもう少し知りたいなと思ったのは、特に地図で俯瞰して思ったのだが、鉄道網の変遷が現代の地図からはわからないことだ。こうした都下の軍史跡は、往事は鉄道など交通網との強い関連があったと思われる。そうしたロジスティクス的なものや、歓楽街との関連も知りたいと思った。というか、歓楽街が深く軍に関連しているというのが冒頭の逸話でもあった。

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知られざる占領下の東京
 東京都もいろんな教育活動をしていると思うのだが、都民にわかりやすい一般的な軍施設の歴史や占領から戦後の変化をまとめた書籍など出版すればよいと思う。すでに出されているのかもしれないが、ちょっと見当たらなかった。
 
 

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2013.05.13

安倍首相は英語の発音矯正をしたらいいのに

 安倍首相が現在の政権について対外的にどう主張しているのか、本人の言葉をきちんときくべきだなと思って、日本時間だと2月23日だったが、安倍晋三首相がワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)で政策スピーチを聞いてみた。内容は官邸のサイトにある。「日本は戻ってきました」(参照)にある。


 総理の職を離れて、5年という長い年月を送りました。それは、わたしにとって省察の時となりました。何はともあれ、これからの日本はどこに立つべきか、ということについてであります。あれこれが、果たして日本にはできるだろうかとは考えませんでした。何を、日本はなし続けねばならないかに、関心が向くのが常でした。そのような場合、変わらず胸中にありましたのは、次の3つの課題であります。
 いまやアジア・太平洋地域、インド・太平洋地域は、ますますもって豊かになりつつあります。そこにおける日本とは、ルールのプロモーターとして主導的な地位にあらねばなりません。ここで言いますルールとは、貿易、投資、知的財産権、労働や環境を律するルールのことです。
 第二に、日本はこれからも、誰しもすべてを益すべく十分に開かれた海洋公共財など、グローバルコモンズの守護者であり続けねばなりません。

 なかなかいい内容のスピーチではないかと思ったし、口調からは真摯な心情も感じ取れた。が、この官邸の動画にもあるのだが、英語の発音は典型的なジャパニーズ・イングリッシュだったので、ああ、これはちょっと発音矯正すればいいのにと思ったものだった。
 ちなみにユーチューブにもあるのでこんな感じ。

 「ちょっと発音矯正すればいいのに」と思ったのは、動画からもわかるように手振りなどからしてよく練習しているようなのだから、これにちょっと発音矯正を載せるくらいのことだからなと思ったのである。
 ただ、もうちょっと注意深く口のまわりの動きを見ていると、不必要に口の形を作っているようでもあるので、これはこれで発音矯正した結果なのかもしれないとも思った。
 ユーチューブを見ていると、ダボス会議2013での2013年1月24日(現地時間)のあいさつもあり、基本は同じなのだけど、それほどは違和感はなかった。

 "Japanese"のアクセントの位置が違うので、そうしたところは練習が足りなかったかもしれないが、それはそれでいいよということかも。
 いずれにしても、スピーチにあたっては安倍総理は1時間くらいはきちんと練習していそうだし、そうした練習回数も多いのだから、まとめて一回きちんと英語の発音矯正をすればいいのにと思う。発音矯正に要する時間は全部で10時間くらいなものだろうし。
 ユーチューブを見ていると前原誠司さんの英語スピーチもあった。

 前原さんは外交つうで英語も達者だろうから、やはりちょっと発音矯正すればいいのにと思う。
 というか、不思議なのだが、なぜ政治家は発音矯正しないのだろうか。してもこんなものというのもあるかもしれないが、知力を要するというものではなく、ただ指示通り真似るだけの訓練なので、そんなに難しいものでもないように思うのだが。
 そんなことをツイートしたら、いやそもそもそんな必要はないという意見もいただいた。

 ご意見をいただいて考え込んだのだが、もしかすると、日本の政治家はあえて、英語の発音矯正をしていない、ということがあるんだろうか。そのほうが政治家としてのメリットがあるのか。
 日本人のように、発音体系も文法体系も異なる英語はあくまで異国語なので、むしろ異国語であることがわかるジャパニーズ・イングリッシュで通したほうが、国際的な英語としての意味がある、というような。英国人だって英国英語で通しているのだし、と。
 それもそうかなと思ってそういえば、朴槿恵韓国大統領はどうかと思って見ると、こんな感じ。

 コリアン・イングリッシュだが、安倍さんのジャパニーズ・イングリッシュよりは聞きやすいような気がする。気がするというだけかもしれないが。
 それはそれとして、英語の発音矯正というのがあまり普及していないふうなのはなぜなのか不思議な気がしたが、現在の中学校や高校でもやってないみたいだ。大学でもやらないのだろうか。
 米国だとESL(English as a second language)の基本は発音矯正だし、それほど時間をかけてやるようなものではないようにも思うのだが。
 
 

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2013.05.12

ヨーロッパ人の歴史は1000年ほど。彼はいったいどこから来たのか?

 先日ハフィントンポストに「欧州大陸の人々は共通の先祖に繋がることがDNA研究でわかった」(参照)という記事があり、気になってさらっと読んだのだが、それによると現在の欧州人の祖先は1000年前くらいまでだというのだ。へえ、そんなに歴史がないのかと思い、いやそんなわけもないよなと思って、ちょっと考え込んだ。
 1000年前というと随分昔のような感じもするが、日本だと平安時代で『源氏物語』が書かれたころである。藤原道長の全盛時代でもある。そう考えると随分昔といっても、それほど古代というほどの感じはしない(古代であるだろうけど)。源氏物語はフィクションだけど、あの恋愛とかをやっていた時代が1000年くらい前になる。
 欧州大陸というから西洋史の知識から見ても、そんなに昔という感じはない。神聖ローマ皇帝でハインリヒ2世が皇帝になったのが1014年である。
 1000年以前に西欧でもすでに十分現在の西欧人の祖先がいたような気がするし、いないこともないと思うのだが、先のハフィントンポストの記事を読むと、それほどでもないらしい。現在の西欧人はDNAから見ると1000年前くらいに起源を持つ先祖から派生しているというのだ。ちょっとした村の村民が散らばって現在の欧州の国々ということなのか。
 ほんとか。それってどういうことなのか、なんともわからない。なにか基本的なことを勘違いしているのかもしれないと思うのだが、関連情報もよくわからない。
 遺伝子学と歴史の時間というのが感覚としてうまく擦り合わないせいもあるのだろう。が、西欧に元来いた原住民はというと、小アジアから農耕革命によって7500年前ころにやって来て、そしてどうなったかというと、その民族は4500年前ころに絶滅したらしい(参照)。
 もちろん数年単位の短期間で激動が起こったとは考えにくいのだが、いずれにせよ、現在の欧州人は、各国に散らばっているかのようで、共通遺伝子は1000年くらいの起源をもつと言ってよさそうだ。くどくど言うことになるのだが、歴史として私たちが学んで来たことうまく調和しないようには思えた。
 ハフィントンポストの記事によると、西欧人とはいっても、イタリア人は別らしい。つまりイタリア人のほうは数千年単位の歴史がありそうだ。ローマ文明とか考えるとそれはそうだろうと思う。
 記事に書いてあるわけではないが、察するに、アルプス以南の地中海文化の歴史は、それなりに数千年単位の歴史はあるのだろう。が、アルプス以北の欧州となると、どういうわけかわからないが、そこで住んでる諸民族の起源は1000年くらいということのなのだろう。
 奇妙なのでハフィントンポスト記事の元の情報(参照)をあたってみると、ベースでは3000年から4000年の歴史はありそうに書いてある。それでもけっこう短いようには思うが。
 もう少し読んでみると任意の欧州人二人を選ぶと1500年前に共通祖先が現れるということらしい。それならそんなに違和感はないという気もする。それでも読み進めると、共通祖先が近いのはやはり10世紀あたりになんかあったのだろうという推測はされている。4世紀のフン族移動、また6世紀から10世紀のスラブ人大移動だろうかともされている。
 スラブ人の大移動はたしかに大きな事態ではあったが、なんとなく東欧で納まっているような印象がある。が、DNA研究からすると、スラブ民族と非スラブ民族というのはそれほど大きな差はないのかもしれないとも思う。もっとも東欧はさらに祖先の同一性は高いらしい。
 ハフィントンポスト記事とは違い原文のほうでは、フン族とスラブ民族の移動の影響を、フランス、イタリア、スペインは受けなかったともある。
 こうしたことをどう考えたらよいか難しいと思うのは私だけでもないらしく、想定問答集なども公開されていた(参照)。ざっと読んでみると、わかるようなわからないようなという印象。
 全体としては、西欧の歴史というのは、いわゆる西欧の歴史として語られているよりはるかにユーラシア史側からの変動を受けて、比較的新しい時代に形成されたのではないかという感じがした。
 このあたり、最新のゲノム研究による西欧史やユーラシア史のまとめか、それまでの世界史との差違みたいなまとめがあるとよいのだが、あるのか。

追記
 自分の勘違いネタから書いたエントリーでしたが、もうちょっと抑制的にすべきだったなということで前半を少し訂正しました。コメント欄でいただいた指摘も参考にしてください。エントリーでも参照で示しましたがPLOSのシノプシスは「Genomics Recapitulates History in Europe」(参照)です。FAQ(参照)も参考にしてください。個人的には、動乱の歴史が同じくらい多そうな地中海世界と欧州世界なのにDNA上の差違があるは流入民族によってもたらされた社会変化なのだろうというところに関心がありました。 
 

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2013.05.11

いかにして失恋から立ち直るかについて雨の日に考えてみた

 なんというか僕はもうけっこうな年なんで、いまさら失恋がどうたらというのは、学生時代に教科書の端っこに「芥川龍之介」の名前を何度も書くくらいの黒歴史(参照)みたいなものなんだけど、たまにだけど、どうしたら失恋から立ち直るかについて、ぼんやりと考えることがある。
 おい、失恋から立ち直ってないのかよと言われると照れるが、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(参照)ではないけど、「あなたは何かしらの問題を心に抱えている。それは自分で考えているより、もっと根の深いものかもしれない」的なもんがありそうな気がするのだ。結論からいうと、どうにもならないんだけど。
 しかし失恋から立ち直るというのは、これもけっこう普通の人の人生の大きな苦難で、歌とか聞いても出てくるし、小説とかにもある。でもそういう文学的なもんじゃなくて、なんかこう、心理学的にすぱっとなんとかなる方法とかあるんじゃないかとも思う。失恋外来みたいな。たまにあるんじゃないかと調べてみる。なさそう。
 まるっきりないかというと、心理学というのじゃないのかもしれないが、似たようなのが『45分で強い自分になろう』(参照)という本に書いてある。あ、これだこれだ。どうするかというと、好きだった人の嫌な思い出をリアルに思い出すと、その嫌悪感から、失恋のぐちゃぐちゃした思いなんか消えちゃうよというのである。7つの手順があるんだけど、2はこんな感じ。


次に元パートナーに味わわされたネガティブな経験を四つ思い出しましょう。すっかり頭にきたときのことや、いやけがさしたときのことを思い出すのです。頭に浮かぶのは、たぶん、ひどく感情を害されたときや心を傷つけられたときの体験でしょう。すぐに思い出せるよう、それをきちんと紙にメモし、リストにします。

 この嫌な感じをあと5つのステップで全身に行き渡らせると、失恋とかの思いが断ちきれるというのだ。はあ、なんかなあ。
 たしかに嫌だった経験もあるし、四つくらいは出て来そうな気はするのだが、その、ぐへぇぇという思いから失恋の痛手が消えるものかというと、なんかすごい心理的な抵抗感があって、自分ではなかなかそういう心理操作が試せない。どうなんでしょうね。
 そういえば、これはなんの本だったかな、すごく昔に読んだエッセイだったか小説だったか書名もすっかり忘れたのだけど、話は覚えている。女ときれいに別れる方法という話だ。どうするか。最後のセックス中にわざとウンコをもらすというテクニックである。そ、それはすごすぎると思って記憶に鮮烈に残っちゃったんだけど、さっきのネガティブフィーリングを使うどころか、ネガティブそのものの情景を相手に与えたら、相手も失恋の痛手とかなくなるんじゃないかというわけだ。それってとっても女に優しい別れ方なんじゃないか、とかふと思った。実践する気はないけど。
 でも、ウンコ漏らしまでいかなくても、女のなかには、別れるときにその手のぐへぇな面をずばっと見せてくれることがあって、ああ、いるなあ、というちょっと思い出すんだけど、時が経つと、あれって彼女の本心だったのだろうかという未練が残るような気がする。やっぱし、ウンコというのがポイントなんだろうか。
 1980年代ユーミン的には、失恋の痛手なんて、新しい恋で上書きしてしまえばいい、みたいのがあった。一つの恋に拘っていなくてもいいし、新しい恋で新しい自分が発見できるみたいなものだった。それでどうなるかというと、「冷たくされていつかは、みかえすつもりだった。それからどこへ行くにも着かざってたのに、どうしてなの、今日にかぎって安いサンダルをはいてた」みたいなことになる。解説はいいですよね。古いなあ。
 というか、最近思うのだ、それって1980年代的な心情なんじゃないか。NHKの朝ドラ「あまちゃん」とか見ているのだけど、小泉今日子演じるママがべたに1980年代少女の心情で、ああいうのって、四半世紀も過ぎてみると、なんだかとっても嘘ことというか、マジかよな感じがする。僕なんかにすると、小泉今日子なんかよりもさらに古い世代なんだけど。そもそも失恋とか、1980年代的な情感じゃないのか。
 なんの話だっけ。失恋の痛手からいかに立ち直るかだな。もうこの話はどうでもいいやなんだけど、先日これに関連してちょっとショックな発言を聞いた。白根柚木の真相はこうだったみたいな事実とか関係なくて、女性が失恋の痛手をどう思っているかという一般論。しかし、その女性がそれほど一般的な女性というわけでもないのだけど。
 話はこう。自著『考える生き方』(参照)を書いたおり、初稿ではそれほど失恋の話は書かなかったけど、書いた方がいいかなみたいのがあって、なんとか書ける分は書いたのだけど、けっこう痛かったわけですよ。未だに痛いもんだなと思ったりするのだけど。で、読まれたかたからも、失恋って痛いですよね、みたいな話があったのだけど、そうしたなかで、失恋の痛手みたいのって男性特有かも、というのがあった。で、その先。別れた男ってなんか昔よくかよったラーメン屋さんみたいなもの、という話を聞いた。腰が抜けた。痛え。
 そ、そんなのあり? 別れた男って、昔通ったラーメン屋さんみたいなものなのか。なつかしいけど、もう食わないみたいな。(たまに懐かしくて食ってみたくもなるんか。)
 その感覚っていうのはすごいものだと思った。なんか自分が、延びたラーメンになったような気がしたのだった。

 別れた女性に失恋で痛みがどうとかいうのじゃなくて、痛手もなくほんのり懐かしいような、すでに終わってしまったかっちりした記憶というか。それってすごいなというか、そういうふうに記憶が整理できちゃうっていうのはすごいなと思った。女性一般の心理とかじゃないと思うけど。
 でも、それはとても正しいことなんじゃないかとも思った。こういうことを僕は真剣に考え詰めるのですよ。それはもうヘーゲルの『精神現象学』を丹念に読むようにです。そして理念的にはそれが正しいだろうなと結論がついた。いかにして失恋から立ち直るか。それは過去の失恋の対象をなつかしのラーメン屋化することである。
 理念的には答えが出ても、それでどうとなるというものでもないので、なんかなあ、ぐだぐだするなあと思って、雨でも降っているので、ブログにぐだぐたと書いてみました。
 
 

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2013.05.10

普通の人が年齢とともに考えることはだいたい同じ

 世の中には一定数の割合で、他人の心が読めると思っている人々がいる。「お前がなに考えているかわかる」とか、「お前の本心はこうだろ」とかいう人々もそのくち。
 ネットにもけっこういる。いても別段不思議ではない。それだけは問題でもない。問題は、その人々が読んだと思っている他人の心とやらが、読まれたとされる側ではちっとも納得いかないことが多いことだ。普通なら、「おまえはこう思っているのだろ」と言うのに対して、「いや、そんなこと考えてないですよ」と言えば、それでちょっと考え直してもらえるものだが、この手の人々は、そういう返答を認めないのだ。というか、なにもかも抗弁というか、本心が読まれた弁解とかにされちゃう。あー、なんなんだろこの手の人々。

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心を上手に操作する方法
 とはいえ、普通に世の中を渡っていくには、ある程度、他人の心を読まなくてはならないものだ。むしろ、僕みたいに、他人の心というのがよく理解できなし、そもそも理解する気も薄いような人にとっては、他人の心を読むという技能は意識的に習得しなければならないようなものなので、ときおりそうした知識に関連する本を読む。
 『心を上手に操作する方法』(参照)という本を読んだのもそうした背景なのだが、読んでみると、面白い本ではあるが、この手の本を何冊も読んできた人にはさして新味な情報はないように思えた。特に『影響力の武器 なぜ、人は動かされるのか』(参照)の話が後半を占めているので、ああ、それ知ってると思った。(そう思っちゃうのがいけないのかもしれないのですけどね。)
 ちなみに、ちょっとググったら、『心を上手に操作する方法』の引用の多い紹介記事で、たくさんはてぶがつている記事(参照)があった。はてぶなみなさんには新鮮な内容だったのだろうか。
 でも、僕もこの本で、おおっと思った話があった。本のほうにね。はてぶな紹介記事のほうではなくて。ああ、これ知ってたら、自著『考える生き方』(参照)を書くとき、参考になったかなという話である。なにかというと、人の心を読むときには、その人の年代を見るだけで、わかることがあるというのだ。
 なぜそれが『考える生き方』に関係するかというと、自著だといちおう形式としては、僕がこれまで生きて来た経験談のように書いたし、実際に経験談でもあるから、退職した爺さんがよく書くタイプの本のように誤解されてもしかたがないんだけど、退職した爺さんのように自分は偉かったんだからして君らもこれを読むようにという意図ではなく、むしろその正反対で、僕の人生は凡庸だったから、けっこう多くの人に当てはまることや、参考になることがあるんじゃないか、それ書いておこうという意図だった。
 ある年代になると、普通の人の考えることはそれほど変わらないものじゃないかと思うのですよ。それを経験談的に書いたということなのだけど。
 それでこの本、『心を上手に操作する方法』では、そうしたことを、もっと一般的に簡素にまとめてあった。そこがなるほどと思った。もっとも、だからといって僕がそうまとめても意味はないし、結局体験談的に書くしかなったのだけど。
 で、年代ごとに考えることというのはどういうことなのか。適当にまとめるとこう。

  ※  ※  ※

18歳から35歳の人に共通する関心事
 ふたつある。
 キャリア向上と異性関係に関心がある。
 仕事とキャリア向上に関心があるから、この先、どういう勉強していくか、どういう能力を身につけるかにも関心がある。
 この年代の人は、物事の進展が遅く感じられ、自分の才能が実際より低く評価されていると思っている。
 30歳を過ぎると、年を取ることが心配になってくる。
 女性の場合は特に、安定したパートナーが見つけられかに関心がある。

18歳から35歳の人に共通する心理的特徴
 20代前半までは自分探しをいろいろする。熱狂できることをもとめ、自分らしさを探す。
 18歳から35歳の人では、表面的には自信がありそうに見えても内面には不安を抱えている。
 30歳を過ぎると、自分が決めたことなのに窮屈を感じ、なにかと制限されているように感じる。そのことがチャレンジにつながることもある。
 35歳前後は、仕事に専念して時間が足りないと思うようになる。

35歳から55歳の人に共通する心理的特徴
 若い時代の目標や夢がどれだけ達成できたかと考えるようになる。これからできることは何かも考える。
 女性の場合は、自分が選択した人生でよかったという確信を持ちたがっている。
 考えることが変化に繋がり、40歳前後で、転職したり、パートナーを変える人も多い。

56歳以上の人に共通する心理的特徴
 56歳以上の男性は、あとどれけ生きられるかと考え込む。
 男性もいわば更年期に入る。これまでの経験が悲しみや絶望になりがち。
 女性の場合は、老後の計画を考える。本気の恋がまだできるかも知りたい。

  ※  ※  ※

 なるほどねと思った。
 自分の場合、55歳で、この本のいう56歳以上の兆候がどどっと出てきたわけだ。
 他の年代でもそういう感じだったし、そういうことを自著に書いた。
 僕が平凡な人間だったからというのもあるんだろうけど。
 いずれにせよ、普通の人間って年代的に考えることはあまり変わらないみたいなんで、普通の人は普通の人生をいろいろ見ていくといいと思いますよ。親の人生をちょっと聞いてみたりするのもいいかもしれません。
 人と接するときにも、相手の年代から、この人も普通の人のような思いを抱えているんだなと想像すると、話を合わせるのによいと思う。
 
 

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2013.05.09

バングラデシュのビル倒壊とグローバリゼーション

 先月24日、バングラデシュの首都ダッカの近郊で、縫製工場が入居する8階建てビルが倒壊し、そこで働いていた労働者を中心に多数の死者が出た。こうした事故では救助の限界から日を追うにつれて死者数が増える。7日までに2400人が救助されたものの、死者は900人を越えた(参照)。
 ビル倒壊による事故は途上国ではそう珍しいことではない。韓国でも1995年6月29日、ソウル特別市瑞草区の三豊百貨店が突然倒壊し、死者502人を出したことがある。この事件でもビル建設の問題が指摘されたが、今回のバングラデシュのビル倒壊でも、現地では倒壊の危険がある程度予想されていたらしく、バングラデシュ警察は危険性を知りながら労務させた責任者を逮捕し、取り調べている。
 この事件の報道が日本に比べ、欧米で大きく取り上げられているのは、途上国にありがちな問題として矮小化されないからである。どのように問題となっているか。
 なお、日本の知識人と称する人たちは、途上国の労務関連の問題を、グローバリゼーションがもたらす労働環境の劣悪さや、それをもとにした日本の消費活動といった問題に歪曲しがちであり、グローバリゼーション批判という思考制度に嵌ってしまっているようでもある。
 今回の問題は大別して二つある。一つは、倫理基準である。そう言うとまたグローバリゼーション問題のように日本では受け取られがちであるが、事態は逆でもある。今回の事件では、倫理基準がなかったのではない。その適用に不備があったとはいえるとしても。結論から先に述べると、倫理基準をきちんと普及させることがグローバリゼーションであり、グローバリゼーションによって今回のような悲劇は回避が可能である。
 今回の事例で問われたのは、英国の倫理的業者推進非政府組織(NGO)の倫理的貿易イニシアチブ(ETI: Ethical Trading Initiative)である。1998年に英国の企業、労働組合、NGOが協力して、公正貿易の問題と企業の倫理規範を検討して、2000年1月に策定された倫理規範である。経緯から了解しやすいが背景には国際労働機関(ILO)の動向もある。
 今回の倒壊ビルで製品を調達していた激安ブランド「プライマーク(Primark)」は世論から事故の責任を問われたが、問われた要点は、日本でよく取り上げられる枠組みのように安売りのために倫理規範を無視していたことではなさそうだ。プライマークとしてはETIと共同し、倫理規範には配慮していたらしい(参照)。しかし現地で倒壊の懸念がありながらこの事故が発生したことは、ETIの現状の限界を示している。その意味で、問題は安売りをもたらすグローバリゼーションの弊害ではなく、グローバリゼーションをより厳格にするための、グローバリゼーションの推進の方向性にある。
 今回の事例でいうなら、バングラデシュでは建造物の施工規制が十分ではないので、むしろ対外的に規制強化を推進させる必要がある。
 もう一つの問題は、この事故をきっかけにグローバリゼーションをもたらす外国資本がバングラデシュを回避するとなれば、バングラデシュの産業が衰退し、この国の貧困を深刻化する懸念があることだ。
 今回の事態で、バングラデシュ政府が自国の繊維・衣料品産業を守ろうとして、労働者をないがしろにしているように見える部分もあるが、国家経済の全体を配慮せざるをえない側面もある。
 基本的にグローバリゼーションがもたらす安価な製品の貿易は、輸出側の国益にもかない、その国の生活レベルを向上させ、輸入側の貧困層にも安価な製品による生活レベルの向上をもたらす。グローバリゼーションは貧困層の生活水準を押し上げる避けがたい運動でもある。
 フィナンシャルタイムズへのジョングラッパー(John Gapper)氏の寄稿でも、同種の指摘がなされている。JBPressの翻訳記事「バングラデシュのために西側企業がすべきこと」(参照)より。


西側企業がまずしなければならないことは、最も簡単なことだ。今回の事故に関連してイメージが傷つくことを恐れてバングラデシュから撤退したりせず、同国内にとどまり、女性に仕事を提供し続けることだ。何はともあれ、繊維産業は別の選択肢――地方の農場で働くこと――よりも高賃金の仕事を提供しており、女性を解放する助けになってきた。

 もちろん、グローバリゼーションの弊害はある。だが、その弊害をもって、諸悪の根源にすることはできない。当たり前のことだが、その調整に政治や各種の政策が必要になる。
 
 

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2013.05.05

夕陽のあたる小道での出来事

 夕陽の美しい日だった。夕焼けにはまだ少し間がある。まっすぐに西に向かう歩道を夕陽が鋭く照らしていて、まるでその先が天国だか浄土だかに続いているような気がした。
 そんな気がしたのは、その道を歩いているのが僕一人だったせいもある。連休で多数の人々はどこかに出かけてしまったからだろうか。たまたま偶然、その時間帯、その歩道を西へと、とぼとぼと歩く人なんていなかったというだけのことかもしれない。いつもは、そんなに閑散とした小道ではないのだ。
 まぶしい夕陽が目に痛くも感じられて僕はどちらかというと下を向いて歩いていた。下を向いて歩こうよ。そんな歌があったっけ。心が沈んでいたわけでもないけど、そんな格好で歩いていると、心はちょっと沈んでくるのものだ。とはいえ真下を見ていたわけではない。3メートル先を見ていてたわけでもない。10メートルくらいは先を見ていただろう。もう少し先だろうか。きらーんと100円玉でも光ったら、ちょっとハッピーになれたかもしれない。
 がそのとき、10メートルくらい前方に見えたのは靴のサイズくらいの石の影ようなものだった。歩道に石が置かれているのだろうか。いいことじゃありませんねと思って、その影を見ていると、動く。石が動くのか。自分の意思で。いかんな。無言でだじゃれを思いついちゃったじゃないか。ふつう石は自分の意思で動かない。
 なんだろ。風が強いわけでもない。もっとも風であのサイズの石が動くわけもない。そう思っているうちに僕もそれに接近していくし、それがなんであるかは目の悪い僕でもわかった。鳩である。鳩が歩道を歩いているのだ。西に向かって。しかも歩道の中央を。巡礼の旅のように。
 なんで? 僕にだってわからない。接近しつつわかったことは、鳩は西に向かって歩いていることだけだった。おごそかな歩みである。僕だって西に向かって歩いている。西にはあるんだ夢の国。にんにきにきにきにん。
 急がないとお釈迦様の涅槃に間に合わないぞといった切羽詰まった思いは僕にはない。鳩にもないようだった。それに釈尊入滅のメッセージがスマートフォンで伝わってきたわけでもないのだ。僕らは西に向かってとぼとぼと歩いているだけなのだ。
 そこで問題に気がつく。鳩くんが歩む速度と僕が歩む速度が違うのである。どちらが速いかというと、僕のほうが速い。光の速さに比べれば同じようなものかもしれないが、後ろを歩む僕の速度のほうが速いから、その間の距離は縮まっていく。先ほどの鳩君発見地点Aからすると僕の現在地点Bは鳩君の現在瞬間的位置Cの半分になっているかもしれない。このままいくと、さらにその半分の地点Dを通過するだろう。そしてさらにその半分、半分と接近していくと、僕はついに鳩くんを追い抜くことはできない。なんてことはないよ。問題はそれじゃない。
 僕は鳩を追い抜くことになる。するとそのとき、鳩くんはびっくりするに違いなのだ。どひゃあ。後ろに人間がいたよ。しかも男だよ。年は55歳らしいぞ。
 驚かしてすまなかった、鳩くん。いや、女性で鳩さん、かもしれない。女性の後ろにそっと接近していくというのは僕の趣味じゃないんだ。困った。大問題じゃないか。鳩さんはどこかの地点で、とってもびっくりして、そして慌てて天に向かって飛び立つことになるに違いない。
 どうしたらよいのだろうか。ちょっと通りますよとか声をかけてみるのもいいかもしれないが、それもきっと鳩さんをびっくりさせてしまうことになり、やっぱり慌てて空に向かって飛び立たせてしまうことになるかもしれない。鳩さんの、この西に向かう輝く小道の精神的な歩行の意味を僕は壊してしまうかもしれない。
 なにか平和な手立てはないのだろうか。僕は先日のことを思い出した。この道のことである。そのときの僕は東に向かって歩いていたのだ。不死の薬がどこかにあるに違いないと思って歩いていたわけでもないが、ふと道脇のフェンスに鳩がいたのを見た。え? 驚いたのは僕だった。フェンスの高さは150センチくらい。つまり僕の目の先、20センチくらいのところに鳩がぼうっと休んでいるのである。もっともフェンスは草木が茂っていて、鳩は葉のなかに埋もれているふうに見えないこともないから、目の悪い僕なんかが気がつかないでしょと、たかをくくっていたのかもしれない。鳩がたかをくくるなんて奇妙なことだねとか思ったが、そのとき、目が合った。
 やあと心の中で僕は、一休みしている鳩に語りかけた。やあと鳩もそのチャネルで答えた。じゃあねと僕は言うと、じゃあねと鳩は言った。そこから先は沈黙。僕らは同級生でもないんだし、ここでつもる話もないしね。
 ああいうこともあるんだなあと思い出して、もう数メートル先に迫っている鳩さんのことを思った。同じ鳩ではない。色の違いでわかる。近くに寄るにつれこの鳩さんには緑色っぽい輝きがあるのがわかる。先日の鳩さんは、ふつうに鳩色だった。目立たないタイプだったのだ。
 困った。ここで急に歩を遅くしても不自然だ。ここはあれかな、心のなかで、ちょっと後ろを通りますよと念じてみるかな。
 そう思ったのが漏れちゃったのかわからないが、そのとき、彼女は振り向いたのである。
 どきっとした僕が見たのは、彼女がそれから右の道脇にそそっと寄っていく光景である。僕は左を通れということである。そんなことがあるんだろうか。鳩に道を譲ってもらうなんていう経験はしたことがないぞ。近くによったら、結局、鳩さんが飛び立つということになるんじゃないか。
 その瞬間。すれ違うその時。普通に、すれ違った。
 どもと僕は心で小声で鳩に語ると、鳩さんはさほど関心なさげに、はあという感じでちょっとだけ僕を見た。僕たちはもうすれ違うことはない。
 それから僕は夕陽のあたる小道を歩き続けた。振り向きもせずに。
 
 

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2013.05.01

とても賢い14歳のベトナム人少年の話

 日本だと弥生時代、中国では漢の時代。第七代皇帝・武帝は隣国を攻め国を広げたが、たびかさなる戦争のための徴兵で人々の生活は苦しいものになっていった。そこで八歳で武帝を継いだ第八代皇帝・昭帝は若いながらも、徴兵を軽減し、内政に力を注ごうとした。内政の充実には、民間から広く賢者を集めることが大切である。昭帝はその自覚のもと、自らその賢者の選抜にも当たった。
 その選抜の年は昭帝が十八歳であっただろうか。宮殿内の庭に壮年から初老まで見るからに賢そうな学者の並ぶなかに、みすぼらしいと言えないまでも質素な身なりで小柄で色の黒い少年が一人が混じっている。あれはいったいなんなのだと若い昭帝は思ったが、自分より若いその少年の目の輝きに興味を引かれ、少年が自分の前に現れるのを待つことにした。
 少年の番となった。眼前にすっと立つ少年に昭帝はまず年を聞いた。
「おまえは何歳だ?」
「十四です」
「十四だと。賢者を集めるこの選抜になぜおまえのような年端もいかぬ少年が混じっているのだ。おまえはいったい何者だ?」
「学者であります」と少年は答えた。「皇帝が賢者を募るのというので、はるばるやってまいりました」
 少年が答える途中で昭帝はおかしくて吹き出してしまった。「おまえのような少年が学者か。自ら賢者だというのか。私を笑わせに来たお笑い芸人ではないのか」
「お言葉を返すようですが、私は学者であります。皇帝は広い世界のなから最高の賢者を探し求めているというので、遠路をいとわず参じたのです。学者というのは年や身なりから推し量るものではありません。その学才をもって問うものであります」
 昭帝の朗々たる笑いは苦笑に転じ、険しい目つきとなった。言葉も荒く「おまえはどこから来たのだ」と問う。
「日南からまいりました」
 日南は今日の北部ベトナムである。
「名前はなんというのか?」
「張重と申します」
 現代のベトナムなら、チョン・チュオンとでも呼ぶだろうか。昭帝の父・武帝はベトナムの中部までを漢の領土としたのだった。これも父の所業の結果であろうかと昭帝はふと思う。
「日南の出身と申したな。日南とは、それ、太陽の南の地ということか。するとおまえは故郷で太陽を北の方角に見ていたのであろうな」昭帝は少年をからかってみた。
 少年は軽く目をつぶり、そしてかっと見開いて歌うかのように答えた。
「北方に雲中という地あり。その国人は雲の中に暮すや。東方に雁門という地あり。その地に雁を連ねたる門のありや。東北に北海という地あり。その国人は海中に暮らすや。西南に塩城という地あり。塩にてなる城のありや」
 ありはしない。言い込められてむっとした昭帝に少年はさらにこう語る。
「日南の地ゆえに太陽の南の地だと理解するとは、なんと愚かなこと。皇帝は天下一のバカ殿様なのでしょうか」
 昭帝はぐぬぬと怒りに顔を紅潮させた。それを見た大臣たちも血相を変え、「張重なる者、皇帝陛下を愚弄しております。処罰せねばなりません。殺せとのご命令を」と声を上げた。
 昭帝は思わず肯き、怒りの目を少年に向けると、少年は目を閉じて合掌している。さては観念したのだろうか。と直後、少年は目を開き、天を仰ぎ、高らか笑った。清く澄み、天にまで響くほどの笑い声であった。
「なんと」驚いたのは昭帝だった。「私はおまえをここで殺そうとしているのだぞ。私が一声かければ、そこに居並ぶ強者が刀をもっておまえを切り刻むことになる。なのにその愉快な笑いはどうしたことだ?」
 少年は皇帝の目を貫くように見つつ、「あまりの幸運に喜びに耐えず、思わず歓喜の笑いをあげてしまっただけなのです。失礼しました」と答えた。
 昭帝が黙っていると、少年は言葉を継いだ。「私が日南で暮らしていたら遠からず、熱病で死に骸は奥深い密林にうち捨てられることでしょう。葬式を司る喪主もなく葬礼もなく土に帰していくことでしょう。しかし、なんたる幸運。皇帝の手によってここで死ぬというなら、あなたさま、皇帝がわが喪主となるのです」少年は大臣や兵士らを静かに見渡して言う。「そしてここに居並ぶ大臣や高位の方々が私の葬礼に連なるのです。なんという名誉でありましょう」
 昭帝は静かにじっと少年を見つめた。いきり立つ大臣たちを目で抑えた。
「みごとな機転だ。みごとな度胸だ。おまえは、雲中の長官となれ、よいか」
「私は政治家ではありません。学者なのです。学者とお認めになり、中華第一の学者の称号をお与えください。もし、お疑いであれば、皇帝にお仕えする学者とここで議論をして打ち負かしてごらんにいれましょう。私が負けるようなことがあればここで自害するといたしましょう」
「まだたいそうなことをほざくか」昭帝は静かにそう語り、奥まった列で青ざめた顔をしている韋玄成をわずかに見て、その父・韋賢のことを思い出した。韋賢は「鄒魯の大儒」と呼ばれた賢者であった。四書五経に通じ、知恵をもって民を導くことを幼い日の昭帝に教えたものだった。韋賢のすずしげな声で歌う詩経がふと脳裏をよぎる。
 「いや、私が試そう」昭帝は微笑みながら少年に語った。「天に頭がありや」
 「ございます」すっと少年は答える。「乃ち眷として西に顧みる」と歌う。
 昭帝は微笑み心中に思った。みごとだ。詩経だ。韋賢の声を聞くようだ。『乃ち眷として西に顧みる』とは、天が情をかけること。自らへの温情もだが、恥をかかさないように韋玄成をおもんばかったことを察しているのだろう。
 「天に口はありや」皇帝は問う。
 「ございます。『玉女、投壺し、天之がために咲う』」少年は即座に答える。
 笑いが堪えきれず吹き出したのは昭帝である。自らを玉女として投壺(天女がダーツのような遊びをする)するので天が笑うとは、私の笑いを誘ったユーモアであろう。しかも天は天女が壺を失して笑うのである。この少年、まじめくさっていながら、心の余裕からおどけてみせているのだ。
 「天に耳がありや」
 「ございます。『鶴九皐に鳴き、声、天に聞こゆ』」
 「『声、天に聞こゆ』か」昭帝は詩経の句を思わず呟く。少年の学才はもう私に十分とどいたと答えたのである。この少年を用いて、国の文化を新しく起こそう。そうではないか、少年。
 「天に足はありや」
 「ございます。『天の歩みは艱難なり』」
 「よろしい。中華第一の学者を称するがよい。私の治世の艱難を共に歩もうぞ」昭帝は優しく声をかけると、少年は、いや、14歳にして中華第一の学者・張重は、深く若い皇帝に頭を下げた。
 
 『千字文』に「男效才良」とある。男の子は、サイリョウとしわざのよからんことを、ならえ。
 

cover
千字文
(岩波文庫)

 
 

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