「帚木」のことなど
このところ小林秀雄のことなどを思い出しては考えたりする。きっかけの一つは『考える生き方』(参照)を書いたことがある。この本で55歳の小林秀雄について少し触れた。そういえばと、彼がまだ50代で『本居宣長』(参照)を書く前のこと、59歳の声を『現代思想について―講義・質疑応答 (新潮CD)』(参照)で聞くと、なんとも心に迫るものがある。
59歳と言えば、けっこうな年齢だが、自分も今年は56歳となり、それ近い年齢にもなりつつある。彼はこの時期、後の『本居宣長』を構想していた。その後の新潮での連載は、僕が高校生時代に話題だったものだが、あのころを回想すると、数度、長期の休載があった。
休載の理由はなにかと言えば、源氏物語を読み返していたらしい。源氏物語といえば、同書の冒頭に折口信夫の思い出の挿話が印象的だが、さて、50代にもなって源氏物語を読み返すというのはどういうことだろうか。自分も読み返してみたい気になり、ぽつりぽつりと読むに、なかなか微妙な心持ちになる。
光源氏自身は、もちろん虚構の人物だが、「幻」から見るに52歳を過ぎたころ亡くなった。55歳には届かなかっただろうから、私なぞ差し詰め物語を眺むる死霊のごときではある。そういう立場から源氏物語を読むと人間の一生の奇妙な味わいを感じるし、どことなく村上春樹が64歳で書いた『色彩を持たない多崎つくると巡礼の年』(参照)にも似た基調を感じる。
「帚木」の雨夜の品定めなども、この年齢になると、年長をもって弁じる左馬頭なども30歳くらいだろうか、それでも年齢的には若いものだなと思うし、しかし、この女への男の感性は現代では45歳くらいだろうかなどとも思う。
ところで、これがエントリーの話題なのだが、「帚木」は後半、方違えの話題から、後の空蝉との出会いに転じていくのだが、ここで、あれれと思った。
源氏が紀伊守の屋敷にくつろぎ、夜中、その父・伊予介の後妻(空蝉)の寝所に闖入して一夜を過ごすのだが、さて、このとき、つまり、やったのか?
この時の源氏は17歳くらいだろう。対する空蝉の年齢なのだが、弟・小君が12歳くらいだろうから、そう年は離れていないとは思いつつ、既に一女は儲けているので、19歳くらいなのではないか。
僕が高校三年のときだが、どういう趣向だかしらないが、教頭が古典の時間枠で源氏物語を教えた。枯れた感じであまり色気のある爺さんではなかったが、今思うとどことなく色気があったかな。そういう面を高校生には出さなかったが、自分も年を取るとちょっと思うことはある。で、その頃というか、それ以降もだが、空蝉は「帚木」では源氏にスカを食わしたとばかり思っていた。
どうなんだろうか。どうも描写がよくわからない。
消えまどへる気色、いと心苦しくらうたげなれば、をかしと見たまひて、「違ふべくもあらぬ心のしるべを、 思はずにもおぼめいたまふかな。好きがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」とて、いと小さやかなれば、かき抱きて障子のもと出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。
ちなみに与謝野訳。
当惑しきった様子が柔らかい感じであり、可憐かれんでもあった。「違うわけがないじゃありませんか。恋する人の直覚であなただと思って来たのに、あなたは知らぬ顔をなさるのだ。普通の好色者がするような失礼を私はしません。少しだけ私の心を聞いていただけばそれでよいのです」と言って、小柄な人であったから、片手で抱いて以前の襖子からかみの所へ出て来ると、さっき呼ばれていた中将らしい女房が向こうから来た。
この「かき抱きて」というのは、現代語の「お姫様だっこ」というやつなのかよくわからない。与謝野訳だと「片手で抱いて」とあるが、ちょっと状況が想像つかない。右腕で小脇に寄せて歩かせたのだろうか。とすると、空蝉もそれに従って歩いたというシチュエーションなのだろうか。
問題はむしろその先だ。
心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入りたまひぬ。障子をひきたてて、「暁に御迎へにものせよ」とのたまへば、女は、この人の思ふらむことさへ、死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いと悩ましげなる、いとほしけれど、例の、いづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、情け情けしくのたまひ尽くすべかめれど、……
与謝野訳だと。
こう思って胸をとどろかせながら従ってきたが、源氏の中将はこの中将をまったく無視していた。初めの座敷へ抱いて行って女をおろして、それから襖子をしめて、
「夜明けにお迎えに来るがいい」
と言った。中将はどう思うであろうと、女はそれを聞いただけでも死ぬほどの苦痛を味わった。流れるほどの汗になって悩ましそうな女に同情は覚えながら、女に対する例の誠実な調子で、女の心が当然動くはずだと思われるほどに言っても、女は人間の掟おきてに許されていない恋に共鳴してこない。
情事があったとすればこの過程だろうと思われるのだが、どうもはっきりしない。やったのか、やってないのか。
というあたりで、「流るるまで汗になりて」という描写は、心理描写じゃなくて、実際に、源氏と空蝉が、ぎしぎしとやりあって、汗、汗、汗、という描写じゃないのかと読み返す。いや、文法的には、心理描写ではあるから、与謝野晶子の訳が違っているというわけではないが。
それにしても、空蝉が本当に嫌だというなら、やってきた中将(女)に助けを求めるか、源氏に恥じをかかせるような動向をとるかするはずだが、そうでない理由はその前に、一応こうある。
並々の人ならばこそ、荒らかにも引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。心も騷ぎて、慕ひ来たれど、動もなくて、奥なる御座に入りたまひぬ。
並み並みの男であったならできるだけの力の抵抗もしてみるはずであるが、しかもそれだって荒だてて多数の人に知らせることは夫人の不名誉になることであって、しないほうがよいのかもしれない。
相手が源氏だし、大騒ぎして人に知られるのもいやだから、受け入れちゃったということなのだろう。ふーむ。しかし、これは現代的には単なるレイプだなという感じはするなあ。
変なところに拘るようだが、ここで一発やっているといないとでは、空蝉の物語の意味合いは随分違うような気はするのだが。どっちなんでしょうかね。
というか、古典を読むというのは、こういう部分で解釈を決めるコードが存在していて疑問を持たない、ということかもしれないとは思う。「たけくらべ」などでも、美登利の変心をどう取るかでもめていることがあったが、一葉には特定のコードが存在したかもしれない。こういうコードというか、社会コンテキストの評価が文学では難しいところだなと思う。
ただ、なんというか、この年になってみると、源氏と空蝉は、とりあえず汗だくつゆだくになってやっちゃってから、相見ての後の心をうだうだと応答しあっていたという解釈が正しいような気はする。
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