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2013.03.07

[書評]夫婦格差社会 二極化する結婚のかたち(橘木俊詔、迫田さやか)

 今朝方、ツイッターから見える世間を眺めていると、「アメリカ/米国不動産投資日記」というブログの「東横線沿線の高校生は裕福? 日本でも所得別住み分けが進行中?」(参照)というエントリーのリンクが目に付いた。それだけ見ても、だいたいエントリー内容は想像できるが、リンク先を開いて読んでみようと思ったのは、その想像の確認ではなく、もしかして、という思いがあったからだ。
 もしかしてというのは、世帯の所得格差の考察において、夫婦共稼ぎの要因を考慮に入れてないんじゃないか、という思いともう一つの思いである。
 リンク先を開いて該当エントリーを読むと、男女間の人口比は考慮されているが、夫婦共稼ぎの要因はさほど考慮されていなかった。もちろん、それゆえにその考察が間違っていると言いたいわけでは全然ない。おそらく、このエントリーのような考察においては、「夫婦共稼ぎによる世帯所得の要因に地域差はない」という前提が含まれているか、あるいは「夫婦共稼ぎによる世帯所得の差違は格差に顕著な影響は与えない」という前提があるのだろう。
 単年度の所得で考察された該当エントリーの格差と地域差の話はひとまずおくとして、そもそも、世帯格差において、夫婦共稼ぎの要因はどのくらい大きいのだろうか。

cover
夫婦格差社会
二極化する結婚のかたち
 この問題を扱ったのが今年1月に出版された『夫婦格差社会 二極化する結婚のかたち(橘木俊詔、迫田さやか)』(参照)である。副題に「二極化する結婚のかたち」とあるが、どう二極化するかというと、本書の造語とみられる、夫婦ともに高収入の「パワーカップル」と、夫婦ともに低収入の「ウィークカップル」に分極していくという主張である。
 ちょっと読みが難しいのは、「パワーカップル」が夫婦ともに高収入というのはわかりやすいが、「ウィークカップル」というのが夫婦ともに低収入とまでは言い切れなさそうで、その面で言うなら、普通の収入のある夫婦と、夫だけが働く夫婦との差違はどうなるのか、という扱いも難しい。
 本書の社会学的な主張だけ取り上げれば、しかし非常に明瞭で、「ダグラス・有沢の第二法則」と呼ばれる、「夫の所得が低ければ、家計所得を高くするために妻が働き」、「夫の所得が高ければ、家計所得が十分にあるので妻は専業主婦になる」という法則が、現代日本でも正しいのかという論証である。本書の主張としては、データを用いて、これが崩れつつあるとしたいところだ。
 だが本書のデータを付き合わせて、その否定論証を読んでいくと、それほどドラスティックな破綻とも思えなくなり、微妙である。
 逆に言えば、その微妙な部分、つまり、欧米先進国的な傾向から見れば、日本社会でも高学歴層において「ダグラス・有沢の第二法則」の法則が崩れていると見てよさそうなのに、そうでもなく、それを押しとどめる要因がありそうな点が興味深い。が、その部分はあまり本書から読み取れなかった。
 この問題は一読者の心理上関連して、本書の全体を読みながらも、なんどか首をかしげた。また本書は、表題の夫婦格差を論じつつ、未婚率の高さなども論じているのだが、ところどころ、なんというのか、新書なので大衆向けにスタイルを砕いたというべきなのかわからないのだが、データをベースに学術的に扱いながらも、なんともオヤジのぼやきのような口調が、あちこちと不意に出現するのである。たとえば結婚を求める際に、「女性にふられることを恐れるな」「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」といった呟きが書き込まれている。
 おそらく主著者の橘木俊詔の実感なのだろうが、共著の若い女性研究者の迫田さやかがその部分をどう受け止めていたのか、ある種、文学的に考え込まされる。同時にこの手の問題を考える際に、いわゆるフェミニズムはどのような視点を提供するのかも、よくわからない。
 本書は基本的には学術的にデータをベースに議論されており、今年の出版ということからも、最近のデータが集まっているので、この分野の議論のための資料集としても使えるだろう。
 論述とは別に、データを眺めるとなかなか含蓄深いものがある。例えば、すでに言われていることだが、日本は格差社会とはいうものの、格差の社会学的な指標であるジニ係数で見ると他国との対比ではそれほど深刻な状態ではない。では、日本国内でジニ係数の大きな変化はあったか。たとえば、ネットなのでよく言われるような小泉政権の施策で格差社会が顕著になったというような。
 そこで本書に掲載されている1962年来のジニ係数の推移を見ると、確かに上がっているとはいえるのだが、1962年に0.35くらいのものが2008年に0.38くらい上昇で、格差社会の拡大と言えるのか、疑問に思える。ある年代に突出していることもない。むしろ、第一次オイルショック時に0.32まで下がっているので、経済の混迷が格差を減らすと読めないこともない。
 庶民生活の実感としては格差が広がりつつあるということなのだろうが、そのために格差を議論する社会学的な新しい指標がなんであるかは、別の議論なのだろう。冒頭触れたエントリーのような単純に単年度で世帯所得で比べると格差があるという素朴な議論かもしれない。
 他にもいろいろ面白い議論や視点がある。これも庶民生活の実感として頷けるのだが、日本社会の女性の就労において、若い時に働いて、子育てで家に入り、また子どもの手が離れて働くという、ふたつの就労ピークがあり、アルファベットのMの字の形で形容されてきた。が、このへこみがしだいになくなりプラトーの状態に近づきつつあるというデータが示されている。25歳から34歳の既婚女性に限定すれば10年間で10ポイントの上昇がある。M字のへこみを押し上げているわけである。ただ、それがどれほどの全体変化の要因と見るかは、やはり難しい。
 概ね、妻が働く世帯では、妻が働かない世帯より、世帯所得が上がるというのは、常識的にも明らかだろうし、おそらく女性の高学歴化は妻の就労の推進要因であると見てよさどうだが、どうも決定的な要因は、別にありそうだ。つまり、三世代世帯の妻の就労率が高いことの要因である。

老親が一緒に住んでいれば、子育ての支援が期待できるので、妻の就労確率は高まる。このことから、女性が働くためには子育て支援の充実が必要だいうことがわかる。

 妻が就労するかどうかについては、子育てを老親に委ねることができるかの要因も大きい。
 というところで、ひとまず置いた冒頭参照のエントリーを見直すと、住む地域の格差というより、三世代世帯の要因が大きいのではないかというのが、実は、最初に思えたもう一つであった。
 さらにいえば、高学歴というのも、三世代世帯の余波ではないだろうか。まあ、このあたりは、その観点からデータを解析しないとわからないことではあるが。
 ついでにいうと、未婚率が上昇しているのは、潜在的な三世代世帯形成の傾向の同じ余波ではないかという印象もある。つまり、親と別れて世帯をもつと貧困に転じてしまうので、それを避けたいというのが社会学的な結果として出ていると見えないだろうか。
 そうだとするなら、政策的に考えるなら、親の世帯の資産をどう解体するかということがテーマになりそうだが、その場合、三世代世帯や潜在的な三世代世帯傾向にある若者層にも大きな打撃を与えることになるだろう。
 本書は、読み方によっては各種の議論が散漫に詰め込まれている印象もあり、それはそれで、私のように世間に疎い人間には面白いし、いろいろ想像力をかき立てられる。たとえば、女性が夫を選ぶ際に大学名を重視しているというデータなども、なかなか含蓄がある。単純に考えれば、高収入に繋がる高学歴な夫を求めていると受け取れそうだが、三世代世帯が日本社会を見る上でのキーになるとすれば、「お父様やお母様の卒業された大学に恥じない大学卒」を夫に求めることではないだろうか。
 そう考えると、日本社会は、普通に安定した社会にありがちな、身分社会のような傾向にあると見てよいのではないだろうか。そして格差というのはその付随現象ではないか。案外、格差補正として低所得層の処遇を厚くすると、「低い身分」の世帯の再生産になりそうでもある。
 もちろん、それがいけないわけでもない。
 個人的には、高学歴な貧乏人が、文化的に豊かに暮らせたら、所得格差みたいな問題はそれほど社会の主要テーマではなくなるだろうなという思いはある。
 
 

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