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2013.03.21

シノドス・インタビュー on 『考える生き方』(finalvent著)

 アカデミックなオピニオン・ブログであるシノドス・ジャーナルに、先日したfinalvent著『考える生き方』(参照)の関連でしたインタビューのまとめが掲載されました(参照)。

 こうしたインタビューは初めてのことです。
 もうけっこう以前の話になりますが、『アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから』(参照)にもインタビュー形式で話が載っていますが、メールでの応答をまとめたもので、あのころは対面のインタビューも控えていました。
 すると匿名を強調するのではないか、あるいは本人はいるのかという疑問も聞くようになったので、一度だけ、本人は普通にいますよという意味もあり、finalvent名で例外的に2人のブロガーさんと会ったとこがあります。
 その程度でずっと過ごしていたのですが、大震災以降、なんとなく、finalventで出て来てもよいのではないかという考えになり、しかしそれでも特に何することもなかったのですが、この本とcakesの連載をきっかけにたまに、fianventで人に会うようにもなりました。
 インタビューの内容は、シノドスのサイトにまとめられているとおりなのですが、アカデミックベースのシノドスでもあり、また自分も学者を目指して挫折した人間なんで、本の内容より少し固い話になっています。
 インタビューでは、教養ということについて、「人生を豊かにする教養」と「知に到達する基礎力としての教養」を分けて話しています。
 この分け方は本を企画する一番の原点でした。いっそ、二分冊形式にしたらという企画の影響を引っ張っています。当初は、知のノウハウ的な話の本と、自分を例に市民の教養のありかたの本、という二面で考えていました。
 今回書かなかった本は、読書の仕方、情報の読み方、英語の学習の仕方といった、ハウツー的な面に特化したものです。しかし、いろいろ書いていく過程で、そういう、なんというのか、自分をあらかじめ識者っぽく立ててしまう本より、もっと率直に、いろいろ挫折して生きて来た自分の人生から、教養の関わりを書いたほうがよいのでないかとも考え、また実際の書く作業での挫折(ノウハウ本を書いていると嘘臭い感じがして行き詰まってしまったのですよ)などもあり、現在の本になり、教養に関しては、一章の話題にまとめました。
 このインタビューでは、二面が残り、インタビュアーが、経済学者の飯田泰之先生だったこともあり、経済学的な話題の例に偏っています。余談ですが、cakesのほうでもインタビューをする予定なのですが、そちらが実現できると、また違った方向になるかとは思います。
 よくあることですが、実際のインタビューの内容はこの倍くらいあって、せっかくのチャンスですから、私から飯田先生に経済学の基本的なことを伺うなどといった部分もありました。自分としてはけっこう勉強になったなという感じでした。経済学者の小野善康先生のリフレ観のお話なども興味深いところでした。
 また国際政治に関連して、ブッシュ政権下の外交を担ったコンドリーザ・ライスに関連して、「あの自伝、日本で出版されていないのですよ」と言ったところ、同席者から出てますよとインフォを貰うなどもあり、調べてみると、いわゆる自伝のほうは出てました。が、外交関連のほうはやはり出てないみたいです、などなど。
 知識のノウハウ的な内容の本は構想としては残ったままですが、書くかどうかわかりません。あと、思考法とも違うのですが、どのように考えるかという考えるための用語集みたいな本が書けたらいいかなと、最近は思っていますが、これも未定。あと今回の本の延長で、老年と死の問題などの本も、構想としては考えています。cakesの書評も書籍的にまとめるかもしれません。
 いや、これから本をいっぱい書こうという予告というわけではありません。なんとなく、書籍という枠組みで考えているというだけです。
 そこまで書籍に拘ることはないではありませんか、というのもあるかもしれませんが、今回の本で、やはり本の形式にしてよかったなというのはありますし、意外と伝えたいことを伝えたい人に届けるのは、書籍の形のほうがよいのではないかと思いを新たにした面があります。
 
 

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コメント

書きかけの投稿が手の不自由な身につき、飛んでしまいましたが、もし届いていたら削除してください。たったひとり、とっくに失業して認められない難病とともに生きている者が個人的に感想を送ろうとしたのですが、もはや有名になられてお手紙は送れないこともわかりました。読後のよろこびの手紙のようなものではないし、批判するものでもないのですが、死んでゆく、或いはいつか死をえらぶかもしれない人間のコメントを、希望ということばが散らばるここにさらすことになるのは躊躇があり、死と言葉と表現(これは病もふくめたこと)について日日考えながら、痛みに苦しみ、家庭もなく子もなせなかった人間のコメントなので、載せていただかない方が良いと思いました。
ここまでくると、敗北も希望ものぞむものではないので、あなたと私は全く同じものを違うように見ていたのでしょう。
ひとからみたら我が人生のここまではひとに語れるようなものではない非凡と悲惨にみえるのだろうと、あなたの本から推察できました。なりたくてなったわけではないことだけが共通のことではあります。
本について批評すべきこともなにもありません。ただ似た年月を生きてしまったものとして、少し遠いまなざしで、羨望もなく読みました。
難病、精神についての病み、身体の操法については、それぞれの心身のありかたによって、ひとつ間違えば苦しみを増幅させることになるので、私はもうそれについて書く気力がありません。家族がおられると、それについての考えも異なるのでありましょうが。
以前は言葉の意味の読み違いとネットの中で生きる人への慮りが浅く失礼を致しました。身体性というのはひとりづつ異なるとも認識しました。
書籍を買う余裕がなかったので、立ち読みにしてせめて本屋で少し目立つようおきなおさせていただきました。
だんだんと目が不自由になってきたので、ネットはいずれ見なくなるかもしれません。「自身」に言論の自由があると信じられない境涯にいるので、どうかこれをひとめにさらさないでください。
かたわらにだれかがいると、人生はかくも異なるもの哉.そのかたがたのために御身ご自愛ください。
人の死に立ち会うことも多くなり、これがさらに増えてゆくとまた、なにかがかわり、ことばというものが、ここに解かれているありさまとはことなりながらこころにながれるときが、魂のかたちを変えるやも...もののあはれはまだまだその先の冷徹な風流であるやも...

投稿: ともこ | 2013.03.22 02:04

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