三月尽
本を読んで考え事したり、そのあと息抜きに『にゃんこ大戦争』をしたり、どうにも第三章の西表島がクリアできないものだと悩んだり、季節外れの風邪を引いたりして、一週間過ぎてしまったような感じというか、世相や国際情勢について普通にニュースも目を通して、それはそれで思うことはあるのだけど、ブログに書く気力みたいのが抜けていた。
一つには、とりあえず日本も普通の金融緩和ができそうなのといわゆる政局の話はほとんど論点が見えないこともある。でも、選挙制度改革については少し書こうかとも思ったが、なんだか書いても空しいなあというのか、それも野田政権時点でこの危険性は書いたけどな感がきつい。
話題については、昨年11月に「ばか正直では首相は務まらない: 極東ブログ」(参照)で関連のことを書いた際に、補足の意図もあってコメント欄で少し返信も書いたものだった。
無名さんへ。>レイムダック政権の存続が、昨日の野田の仕掛けに比
>べて誰にとってどのようなメリットを持つ可能性があ
>るものだったのか、finalventさんの考えがピンと来な
>いな。とのことですが。
>違憲状態の是正は、建前上重要ですが、(まあ確かに
>良くないよね)程度の事で、別に国民が望む優先課題
>でも、先送りで問題が手がつけられなくなるような喫
>緊の課題でも無い。そのあたりの認識がまったく異なるので、ピンと来ないというのはむしろ当然のことのように思いますよ。現状の違憲状態は、司法が議会を違法としてもまったくおかしくない異常事態だと考えています。つまり、この問題を国民に粘り強く説得して、自民党の外堀を埋めていくべきでした。
投稿: finalvent | 2012.11.15 18:35
無名さんへ。>つーか、「議員定数問題の解決」なんて全然最優先課題じゃな
>いよ?
>外交・経済・年金・復興とまさに緊急かつ日本の根幹を揺るがす
>課題が山積みなのに、「議員定数問題の解決」をするために民主
>党政権が続くべきだと思うわけ?ええ、そう思います。
さらに加えれば、外交・経済・年金・復興にとってまず重要なのは政権の安定であり、次に専門家の知識を十分に活かせる土壌です。その意味で、不安定な政局を無責任に招くべきではありません。
>馬鹿ですか? よほど暇な金持ちなの、アンタ?
そうよく言われますが、「私」を問題にするより、テーマを問題に考えていきたいと思っています。
投稿: finalvent | 2012.11.16 10:18
自分としては昨年の11月の時点の考えに加えるべきことはないが、しいていえば、安倍政権になって金融緩和の道筋が出て来ただけ、結果論だが、民主党政権を早々に終わらせた意味はあったといえばあったかなとも思う。
国際問題についても、ブログの文脈上特に目新しい話題もないように思えるが、北朝鮮の現状については、明日エントリーを書く予定。
あまり話題を見かけなくなったが、エジプトの世相が経済困窮からだいぶ深刻になっているのと、シリアの毒ガス兵器問題もけっこう深刻になっている。そういえば、ケニア情勢と……連想ゲームのように思うことはないわけではない。
以前、はてなの日記で毎日、大手紙社説の批評をしていた。癖で今でも、ざっと見渡しても見るが、読むべき主張は特にないような印象もある。
世相の話題のネタでというと、日本の少子化はどうするとかいうのも、すでに書いてきた以上のことはないし、個人的にはどうかということは自著で自分の例を上げてみたし……、そういえば、ブロガーのやまもとさんも年内には三児の父になるらしい。頑張れ、さらにあと一子。
芸能関係の話題にはほとんど関心ないが、わくわくさんの引退は、ぐっと来るものがあった。久保田雅人さんには間近でお目にかかったことがあり、リアルの場での芸もなかなかのものだった。今後の活躍を期待したい。
で、坂口良子さん。『池中玄太80キロ』は第二シリーズまで見た気がする。1981年。26歳だったのではないかな。玄太に比べて若い女という配役ではあったが、当時の26歳はいっぱしの女の扱いだったし、私より2歳年上だが、ずっと年上のお姉さんというイメージだった。『純と愛』に出て来た朝加真由美やユーミンなんかも同じ印象。55歳のおっさんが57歳の女に、憧れのお姉さんイメージを持つのは、今の若い人にはシュールな感じだろうけど、そんなもんよ。
坂口良子はだから自分には26歳くらいの時のイメージしかなく、その後のことはあんまり知らないでいた。結婚され、再婚されというのも最近知ったし、娘さんが芸能活動されているのも合わせて知った。借金苦もあったのか、大変でしたね。普通の人生は大変なものですよ、そういうのに関心ない人もいるけど。
坂口良子は「玄太」のイメージに加えて、少しだがセクシーアイドルのイメージもあり、朝加真由美も同じ。この人の出る『純』という映画は面白いよ。
訃報を聞いたときに奇妙な感じがしたが、その後の話では肺癌とのことで、こういうとなんだが訃報の状況に納得はした。
自分に近い年代の人の訃報を聞くとそれだけで、ふっと自動的に嘆息するもがあるが、次第になれつつある。
ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』(参照)にというか、映画のほうでは本人も出ていたが、有名なフレーズがあって、桜を見ながら思い出していた。拙い意訳を添えておく。
Because we don't know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times, and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, some afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four or five times more, perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps twenty. And yet it all seems limitless.私たちは自分が何時死ぬかを知らないから、人生はまだ先があると考えるようになる。でも、なんであれ、物事の回数というのは決まっているし、実際には、数回といったところだ。幼い頃の午後のひとときをあと何回、思い返すだろうか。午後のひとときには、自分の一部になっているものもあるから、それなしの人生はわからなくなるのに。なのに、まあそれも四、五回といったところだ。のぼる満月を見るのもあと何回だろうか? 二十回くらいなものだ。なのに、すべて何回でもあるような気がしているのだ。
まだ散ってないけど、今年の桜を見ながら、「あと何回桜の花を見ることがあるだろうか」みたいに思ったのだった。
てな感傷を呟いたら、え、死んじゃうのとご心配いただいた。
いかんな、これじゃ、かまってちゃんだよな。
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