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2013.03.31

三月尽

 本を読んで考え事したり、そのあと息抜きに『にゃんこ大戦争』をしたり、どうにも第三章の西表島がクリアできないものだと悩んだり、季節外れの風邪を引いたりして、一週間過ぎてしまったような感じというか、世相や国際情勢について普通にニュースも目を通して、それはそれで思うことはあるのだけど、ブログに書く気力みたいのが抜けていた。
 一つには、とりあえず日本も普通の金融緩和ができそうなのといわゆる政局の話はほとんど論点が見えないこともある。でも、選挙制度改革については少し書こうかとも思ったが、なんだか書いても空しいなあというのか、それも野田政権時点でこの危険性は書いたけどな感がきつい。
 話題については、昨年11月に「ばか正直では首相は務まらない: 極東ブログ」(参照)で関連のことを書いた際に、補足の意図もあってコメント欄で少し返信も書いたものだった。


無名さんへ。

>レイムダック政権の存続が、昨日の野田の仕掛けに比
>べて誰にとってどのようなメリットを持つ可能性があ
>るものだったのか、finalventさんの考えがピンと来な
>いな。

とのことですが。

>違憲状態の是正は、建前上重要ですが、(まあ確かに
>良くないよね)程度の事で、別に国民が望む優先課題
>でも、先送りで問題が手がつけられなくなるような喫
>緊の課題でも無い。

そのあたりの認識がまったく異なるので、ピンと来ないというのはむしろ当然のことのように思いますよ。現状の違憲状態は、司法が議会を違法としてもまったくおかしくない異常事態だと考えています。つまり、この問題を国民に粘り強く説得して、自民党の外堀を埋めていくべきでした。

投稿: finalvent | 2012.11.15 18:35



無名さんへ。

>つーか、「議員定数問題の解決」なんて全然最優先課題じゃな
>いよ?
>外交・経済・年金・復興とまさに緊急かつ日本の根幹を揺るがす
>課題が山積みなのに、「議員定数問題の解決」をするために民主
>党政権が続くべきだと思うわけ?

ええ、そう思います。

さらに加えれば、外交・経済・年金・復興にとってまず重要なのは政権の安定であり、次に専門家の知識を十分に活かせる土壌です。その意味で、不安定な政局を無責任に招くべきではありません。

>馬鹿ですか? よほど暇な金持ちなの、アンタ?

そうよく言われますが、「私」を問題にするより、テーマを問題に考えていきたいと思っています。

投稿: finalvent | 2012.11.16 10:18


 自分としては昨年の11月の時点の考えに加えるべきことはないが、しいていえば、安倍政権になって金融緩和の道筋が出て来ただけ、結果論だが、民主党政権を早々に終わらせた意味はあったといえばあったかなとも思う。
 国際問題についても、ブログの文脈上特に目新しい話題もないように思えるが、北朝鮮の現状については、明日エントリーを書く予定。
 あまり話題を見かけなくなったが、エジプトの世相が経済困窮からだいぶ深刻になっているのと、シリアの毒ガス兵器問題もけっこう深刻になっている。そういえば、ケニア情勢と……連想ゲームのように思うことはないわけではない。
 以前、はてなの日記で毎日、大手紙社説の批評をしていた。癖で今でも、ざっと見渡しても見るが、読むべき主張は特にないような印象もある。
 世相の話題のネタでというと、日本の少子化はどうするとかいうのも、すでに書いてきた以上のことはないし、個人的にはどうかということは自著で自分の例を上げてみたし……、そういえば、ブロガーのやまもとさんも年内には三児の父になるらしい。頑張れ、さらにあと一子。
 芸能関係の話題にはほとんど関心ないが、わくわくさんの引退は、ぐっと来るものがあった。久保田雅人さんには間近でお目にかかったことがあり、リアルの場での芸もなかなかのものだった。今後の活躍を期待したい。
 で、坂口良子さん。『池中玄太80キロ』は第二シリーズまで見た気がする。1981年。26歳だったのではないかな。玄太に比べて若い女という配役ではあったが、当時の26歳はいっぱしの女の扱いだったし、私より2歳年上だが、ずっと年上のお姉さんというイメージだった。『純と愛』に出て来た朝加真由美やユーミンなんかも同じ印象。55歳のおっさんが57歳の女に、憧れのお姉さんイメージを持つのは、今の若い人にはシュールな感じだろうけど、そんなもんよ。
 坂口良子はだから自分には26歳くらいの時のイメージしかなく、その後のことはあんまり知らないでいた。結婚され、再婚されというのも最近知ったし、娘さんが芸能活動されているのも合わせて知った。借金苦もあったのか、大変でしたね。普通の人生は大変なものですよ、そういうのに関心ない人もいるけど。
 坂口良子は「玄太」のイメージに加えて、少しだがセクシーアイドルのイメージもあり、朝加真由美も同じ。この人の出る『純』という映画は面白いよ。
 訃報を聞いたときに奇妙な感じがしたが、その後の話では肺癌とのことで、こういうとなんだが訃報の状況に納得はした。
 自分に近い年代の人の訃報を聞くとそれだけで、ふっと自動的に嘆息するもがあるが、次第になれつつある。
 ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』(参照)にというか、映画のほうでは本人も出ていたが、有名なフレーズがあって、桜を見ながら思い出していた。拙い意訳を添えておく。

Because we don't know when we will die, we get to think of life as an inexhaustible well. Yet everything happens only a certain number of times, and a very small number really. How many more times will you remember a certain afternoon of your childhood, some afternoon that is so deeply a part of your being that you can't even conceive of your life without it? Perhaps four or five times more, perhaps not even that. How many more times will you watch the full moon rise? Perhaps twenty. And yet it all seems limitless.

私たちは自分が何時死ぬかを知らないから、人生はまだ先があると考えるようになる。でも、なんであれ、物事の回数というのは決まっているし、実際には、数回といったところだ。幼い頃の午後のひとときをあと何回、思い返すだろうか。午後のひとときには、自分の一部になっているものもあるから、それなしの人生はわからなくなるのに。なのに、まあそれも四、五回といったところだ。のぼる満月を見るのもあと何回だろうか? 二十回くらいなものだ。なのに、すべて何回でもあるような気がしているのだ。


 まだ散ってないけど、今年の桜を見ながら、「あと何回桜の花を見ることがあるだろうか」みたいに思ったのだった。
 てな感傷を呟いたら、え、死んじゃうのとご心配いただいた。
 いかんな、これじゃ、かまってちゃんだよな。
 
 

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2013.03.23

花咲く小道で

 世の中には見てはならないものがある。例えば……おっと、それを語っていいのだろうか。語る分にはかまわないか。語ることと見ることは違うからな。例えば、花見客のおっさんが夜陰で……おっと、見るのはいけないが書くのはいいともいえない。いやいや、例なんかどうでもいいといえばいいんだ。とにかく世の中見てはいけないものがあると僕が、今日夕暮れの桜の小道を歩いていて思ったのには、ちょっとしたわけがある。
 一通でもないのに自動車がすれ違うのはちょっと無理だろうという、歩道もないような小道を歩いていると、なにやら向こうから、接近するのだった。あれがピンク色だったら、きっとカービーだと思っただろう。でも緑の色だった。緑の玉のような、それでも人間だったのだけど、ようするにけっこう太った感じの人だった。太っていようが本人の自由だと思うし、僕は目が悪いんで、より接近して見たら、それほど太っている人でもなかったのだけど、同時に、その人が女性だということに気がついた。その気づきというのか、ああ、いけない、見、見ちゃったと思ったのだった。
 見てはいけないものを見ちゃったんじゃないか、僕は。とっさに喉にくぅと詰まる感じがあった。で、見たもの。それは、何かって。簡単にいうと、おっぱいだった。乳房というのか、それも特大の乳だった。いや、もちろん、乳房がそのまま露出していたというのじゃない。緑のセーターのようなものに覆われてはいた。
 巨乳とあれを呼んでよいのだろうか。ちょっと違うような気がする。光景を思い出すたびに、モグラ叩きゲームのように頭をこづかれているような感じもするけど、なんというのだろう、あれはふたつ、大きな乳がぶら下がっているという感じだった。こう言うと、別にそれほど、どうっていうことないじゃないか、という感じにもなる。お相撲さんだってそんな感じだよ、とか。
 ちょっと違う。それは、明らかにブラをしてない感じだったのだ。とても馥郁と豊満で豊潤な何かが、雨に濡れた新緑の色のセーターの下に、そのままアジアの大自然のように広がっている、という感じだった。それは、もう、生の乳、百パーセントという圧倒的な存在感で僕を打ちのめした。それは地球の重力の本来的な力のありかたのように、ぶぶぶぶらーんと揺れていた。見ちゃいけなかったのにと愕然と思ったけど、遅かった。僕の目は数秒だったけど、ロックインされていた。
 本当にブラをしていなかったのかどうかは、今となっては確かめようもない。そもそもそんなこと確かめようものない。だけど、たぶん、ブラをしていなかった。なぜあれほどの巨乳がブラをしてなかったのだろうか。それから呆然と立ち尽くして、けっこう夕暮れの街は薄暗くなっていることに気がついて、それからまた桜の小道を歩きながら、巨大な豊満なあの乳のことを思っていたのだった。
 
 

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2013.03.21

シノドス・インタビュー on 『考える生き方』(finalvent著)

 アカデミックなオピニオン・ブログであるシノドス・ジャーナルに、先日したfinalvent著『考える生き方』(参照)の関連でしたインタビューのまとめが掲載されました(参照)。

 こうしたインタビューは初めてのことです。
 もうけっこう以前の話になりますが、『アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから』(参照)にもインタビュー形式で話が載っていますが、メールでの応答をまとめたもので、あのころは対面のインタビューも控えていました。
 すると匿名を強調するのではないか、あるいは本人はいるのかという疑問も聞くようになったので、一度だけ、本人は普通にいますよという意味もあり、finalvent名で例外的に2人のブロガーさんと会ったとこがあります。
 その程度でずっと過ごしていたのですが、大震災以降、なんとなく、finalventで出て来てもよいのではないかという考えになり、しかしそれでも特に何することもなかったのですが、この本とcakesの連載をきっかけにたまに、fianventで人に会うようにもなりました。
 インタビューの内容は、シノドスのサイトにまとめられているとおりなのですが、アカデミックベースのシノドスでもあり、また自分も学者を目指して挫折した人間なんで、本の内容より少し固い話になっています。
 インタビューでは、教養ということについて、「人生を豊かにする教養」と「知に到達する基礎力としての教養」を分けて話しています。
 この分け方は本を企画する一番の原点でした。いっそ、二分冊形式にしたらという企画の影響を引っ張っています。当初は、知のノウハウ的な話の本と、自分を例に市民の教養のありかたの本、という二面で考えていました。
 今回書かなかった本は、読書の仕方、情報の読み方、英語の学習の仕方といった、ハウツー的な面に特化したものです。しかし、いろいろ書いていく過程で、そういう、なんというのか、自分をあらかじめ識者っぽく立ててしまう本より、もっと率直に、いろいろ挫折して生きて来た自分の人生から、教養の関わりを書いたほうがよいのでないかとも考え、また実際の書く作業での挫折(ノウハウ本を書いていると嘘臭い感じがして行き詰まってしまったのですよ)などもあり、現在の本になり、教養に関しては、一章の話題にまとめました。
 このインタビューでは、二面が残り、インタビュアーが、経済学者の飯田泰之先生だったこともあり、経済学的な話題の例に偏っています。余談ですが、cakesのほうでもインタビューをする予定なのですが、そちらが実現できると、また違った方向になるかとは思います。
 よくあることですが、実際のインタビューの内容はこの倍くらいあって、せっかくのチャンスですから、私から飯田先生に経済学の基本的なことを伺うなどといった部分もありました。自分としてはけっこう勉強になったなという感じでした。経済学者の小野善康先生のリフレ観のお話なども興味深いところでした。
 また国際政治に関連して、ブッシュ政権下の外交を担ったコンドリーザ・ライスに関連して、「あの自伝、日本で出版されていないのですよ」と言ったところ、同席者から出てますよとインフォを貰うなどもあり、調べてみると、いわゆる自伝のほうは出てました。が、外交関連のほうはやはり出てないみたいです、などなど。
 知識のノウハウ的な内容の本は構想としては残ったままですが、書くかどうかわかりません。あと、思考法とも違うのですが、どのように考えるかという考えるための用語集みたいな本が書けたらいいかなと、最近は思っていますが、これも未定。あと今回の本の延長で、老年と死の問題などの本も、構想としては考えています。cakesの書評も書籍的にまとめるかもしれません。
 いや、これから本をいっぱい書こうという予告というわけではありません。なんとなく、書籍という枠組みで考えているというだけです。
 そこまで書籍に拘ることはないではありませんか、というのもあるかもしれませんが、今回の本で、やはり本の形式にしてよかったなというのはありますし、意外と伝えたいことを伝えたい人に届けるのは、書籍の形のほうがよいのではないかと思いを新たにした面があります。
 
 

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2013.03.19

キプロス金融危機の論点

 キプロスの財政危機は困った問題だなと思って見ていたが、予想もしていない速度で問題化した。あらためて世界の金融問題というのは難しいものだと思った。簡単に自分なりの整理をしておこう。
 その前に目先の問題である取り付け騒ぎに関連する預金の課税についての最近の状況だが、キプロス議会で否決になりそうだ。ロイター「キプロス議会、銀行課税案を否決の見通し」(参照)より。


[ニコシア 19日 ロイター] キプロスの議会は19日の採決で、預金への課税案を否決する可能性が高い。課税案が議会を通過しなければ、同国はデフォルト(債務不履行)と銀行セクターの崩壊へ近づく可能性がある。
 キプロス議会は1600GMT(日本時間20日午前1時)に開会する予定だが、どの政党も過半数を確保していない議会で、課税案が可決される可能性は低い。

 どのような帰結になるとしても、キプロスは小国なので、規模で見るかぎりは、世界全体に対しては大きな問題にはなりえない。
 ギリシャ系住民によるキプロス共和国の面積は9,250km2で四国の半分ほど、人口は86万人で世田谷区民ほどの小国家であり、国内総生産(GDP)はユーロ圏全体から見て0.2%である。債務残高も約170億ユーロ(約2兆円)で、5000億ユーロを超えるスペインやイタリアなどとは比較にならない。
 当面の問題だけ見れば、取り付け騒ぎを引き起こした信用の毀損で、他国も疑心暗鬼に捕らわれたことだ。
 問題の発端は、ブリュッセルの15日夕方開催された財務相会合にて、債務危機のキプロスに最大100億ユーロ(約1兆2500億円)の金融支援を実施する条件に、同国の銀行の預金者に対して、10万ユーロ超の預金からは9.9%、それ以下は6.75%の課徴金を1回に限って徴収するという異例の措置に踏み切るとしたところ、これで一気に取り付け騒ぎが起きたことだ(参照)。
 ユーロ圏では10万ユーロまでの預金は保証されるというのが制度理念だが、これが崩れたと見られれば、取り付けが起きても不思議ではない。
 事前に想像できなかったのかというと、構図としては想定されていた。日経に訳出された2月12日のフィナンシャルタイムズの記事「[FT]キプロス、支援計画で厳しい現実に直面」(参照)からもわかる。

 ユーロ圏で金融危機がなお進展していた2011年初め、あるドイツの金融当局者は最も懸念される今後の問題に思いを巡らせた。
■政治的に困難な支援計画
 やや意外なことに、その当局者は「キプロス」の名を挙げた。キプロスは小規模すぎてユーロ圏の安定を脅かすほどではないと考える向きもあるかもしれない。だが彼は「同国の銀行部門は肥大化しており、ギリシャ危機の影響が非常に大きい。解決すべき悪夢のような問題になり得る」と話した。
 キプロス島は南北に分断され、南部のキプロス共和国は欧州連合(EU)に加盟している。この島には依然としてドイツが目を光らせている。そして今、この悪夢のような問題が現実のものになっている。ユーロ圏財務相は、有効に機能し政治的に認められる支援計画をどのように策定するかという問題に取り組んでいる。支援計画は同国の債務返済能力を超えてはならず、同国をタックスヘイブン(租税回避地)として利用してきた外国人預金者に恩恵を与えることになってもいけないからだ。

 EU側の思惑としては、タックスヘイブンの対応もあった。ロシア・マネーにも関連している。

 銀行部門は特にロシアからの大規模な資金流入によりこの20年間で肥大化し、支援策は常に激しい政治的議論の的となっている。


 独与野党は、キプロスを通じた脱税やマネーロンダリングをやめさせる十分な保証がなければ支援策に賛成するつもりはないと表明している。


 ユーロ圏財務相は、問題を中期的に悪化させることなく、銀行部門をこれほどまでに肥大化させた無謀な行動を利することもないような支援策を策定しようと無駄な努力をしている。

 この時点ではしかし、今日の事態は想定されていなかった。

 ロシア国民であるかキプロス国民であるかを問わず、銀行の預金者に損失を負担させる案はキプロス政府には受け入れ難い。同国財務相は11日に「いかなる状況でも受け入れるつもりはない」と述べた。
 これに代わるのはシュタインブリュック氏が望む増税だろう。キプロスは「与えられる立場の者にえり好みは禁物」という厳しい現実を知りつつある。

 転機になったのは、その後、2月24日のキプロスの大統領選挙の決選投票で、親EU派大統領アナスタシアディス氏が、事前の予想に反して勝利したことだった。25日ロイター「キプロス大統領選の決選投票、保守系候補が反緊縮派候補破る」(参照)より。

 アナスタシアディス氏は支持者に対し、「欧州が味方に必要。われわれの約束を必ず維持し、達成する。キプロスは欧州に属している」とし、「キプロスに対する欧州内での信頼、国際的な信頼を取り戻すことを約束する」と述べた。
 金融市場はアナスタシアディス氏の勝利で、欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)による救済策の実施が迅速化すると期待している。

 これが裏目に出たかたちになったようにも見える。また、EU、特に、ドイツが結果論的に失敗したと批判できそうにも思える。が、問題はもう少し入り組んでいる。
 JBPressが翻訳した18日付けフィナンシャルタイムズ記事「ドイツで決められたキプロス預金者の運命」(参照)は、問題の焦点が銀行にあることがわかりやすい。

 ECBいわく、キプロス第2位の大手銀行ライキは、財務内容があまりにひどいため、もはや欧州中央銀行制度(ユーロシステム)の緊急流動性支援――経営が厳しいユーロ圏の銀行が日々の業務をこなすために必要とする低利の中央銀行融資――を受ける資格がないという。
 ECBの交渉責任者を務めるイェルク・アスムセン専務理事がもたらしたメッセージは、合意がまとまらなければ、ライキは破綻し、恐らくはキプロスの最大手銀行も道連れにすることになり、キプロス政府が同国の預金保険機構がカバーする口座の補償に300億ユーロの支払い義務を背負い込むことを意味した。
 キプロス政府には、そんなお金はなかった。そんなことになれば、キプロスに銀行口座を持つ人すべてが一文無しになる。

 国家の債務問題に見える問題に、銀行の債務問題が潜んでいた。
 ベイルイン(bail-in)の原則論(参照)からすれば、国家の債務と銀行の債務を切り離し、後者の銀行について、外資を含めてその債権者に損失を負わせるほうがよいだろう。
 今回の事態は取り付け騒ぎに目が向くが、銀行債権者への負担追求がキプロス政府にはできなかったということでもある。別の言い方をすれば、国家による補填の代替として、弱者を含めた預金者全体で肩代わりさせようとしたわけである。外資にも課税することで外資にも損失を与えるように見えながら、実際は、キプロスにおけるタックスヘイブンの仕組みを救済することになる。
 こうして見ると、今回の事態は取り付け騒ぎからユーロ危機再燃、あるいはドイツが無理難題をふっかけているといった枠組みではなく、EUのベイルイン規則が含む問題の顕在化という点で深刻なのではないか。
 
 

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2013.03.15

朝鮮半島で静かに進行している六か国協議破綻の余波

 個人的な印象に過ぎないのかもしれないが、自民党安倍政権になってから、国際情勢や安全保障について国内の報道や議論は見えにくくなったように思える。いや、そうした傾向は民主党政権下でも同じだったのかもしれない、と、いうような印象論だけ展開しても雲を掴むようなので、具体的な事例から見ていくと、例えば、国際世論を無視して2月12日に実施された北朝鮮の核実験だが、それから1か月が経ち、どうなのだろうか?
 どうなのだろうか? というのは、あれは何だったのか? あれをどう受け止めたらよいのか? 日本の安全保障にとってどういう意味があるのか?
 そうした議論が、なにか風船でも萎むようになんとなく消えてしまったような印象があるのだが。
 まず前提として、今回の北朝鮮の実験がどのようなものであったかすら、それを解明する続報があまり見られないように思う。その点はどうだったのか。
 ロイターが12日付け「北朝鮮の核実験以降、放射性物質は検知されず=監視機関」(参照)で次のように報道している。


[ウィーン 12日 ロイター] 放射性物質の監視などを行う包括的核実験禁止条約(CTBT)機関は12日、北朝鮮による2月の核実験以降、放射性物質は検知されておらず、今後も検知される可能性は非常に低いとの見解を示した。これにより北朝鮮が利用した核物質の科学的な特定は困難とみられている。
 同機関のトゥンボルク報道官は「現時点において何かが検知される可能性は非常に低い」と語った。その他の詳細には触れていない。

 表題の「北朝鮮の核実験以降、放射性物質は検知されず」というところからすると、その後、北朝鮮が核実験はしていないと受け取れそうだし、そう受け取ってもよいのだが、報道内容を見ると、2月12日の核実験の内実は今後もわからないという意味である。
 それはではどういう意味なのかというと、単純な話、今回の実験が、プルトニウム型なのかウラン型なのかわからないということだ。少なくとも、世界が懸念したウラン型であったとは言えないということになる。
 つまり、1か月経ってみて、なんとなくではあるが、あれはウラン型ではないという暗黙の合意なようなものが形成されつつあり、であれば、結局、北朝鮮のブラフ(こけおどし)だったかということもその暗黙的な合意に含まれることになる。
 ブラフ説を裏付ける報道もようやく流れてきている。14日付け共同「北の核実験めぐり軍と穏健派が内部対立か 韓国報道」(参照)である。

 14日付の韓国紙・中央日報は、北朝鮮が2月に核実験を実施する前、金正恩第1書記の叔父の張成沢国防副委員長ら穏健派が実験に反対したが、朝鮮人民軍の強硬派が強行することを主張、最終的に金第1書記が軍の意見を受け入れ実験に踏み切ったと報じた。北朝鮮消息筋の話としている。
 消息筋によると、張氏ら朝鮮労働党を中心とする穏健派は、核実験を実施すれば中国が背を向けることを理由に反対したが、崔竜海軍総政治局長ら強硬派は昨年12月の事実上の長距離弾道ミサイル発射に対する国連安全保障理事会の制裁強化決議に反発し、体制存続のために核実験が不可欠だと主張したという。
 韓国の情報当局者は「金第1書記は体制結束と対米交渉力強化のため、軍部の意見を受け入れたようだ」としている。

 その消息筋情報をどの程度受け止めるべきかだが、心証としては概ねあたっているように思われる。別の側面から言えば、北朝鮮内部、特に、張成沢が強行派に対立している点が重要である。
 話が少しそもそも論になるのだが、北朝鮮についての報道ではどうしても金正恩が中心に出て来て、あたかも彼が強い意志をもった独裁者であるかのような枠組みになる。しかし常識的に考えてもこの若造はただのハリボテであって、裏で動かしているのは、張成沢であろう。実際、これまでのこのハリボテの動きを見ていると、親中派らしい張の思惑が透けて見えたものだが、それがここに来て急激に強面に転じているのは、張の立場の変化を物語っているとみてよいだろう。
 話を戻すと、張の立場が揺らいでハリボテが強行派の看板化しているとはいえ、この強行派の動きもまた無視できるものではない。さらに核実験などをやりかねない素地は残っている。3月8日に北朝鮮が韓国との相互不可侵・非核化宣言を破棄し、敵対国に「先制的な核攻撃」を加える用意があると言い出したのもそうした動向にある。また、11日は朝鮮戦争の休戦協定が白紙になったとも朝鮮労働党の機関紙が伝えたが、これについては、国連としては認めていない(参照)。
 北朝鮮内の強行派が独走しているとなれば、その抑制に国際社会も動かざるをえないののだが、というところで米国もメッセージを出している。14日産経新聞「「核実験に見返りはない」 オバマ大統領、北朝鮮に圧力」(参照)より。

【ワシントン=犬塚陽介】オバマ米大統領は13日に放映されたABCテレビのインタビューで、米国は核実験を強行する北朝鮮に見返りを与えてきた過去の「パターンを打ち破った」と強調。米国は「悪行に報償を与えることがないよう努めている」と述べ、挑発行為にも圧力強化で対抗するなど、強い姿勢を維持する考えを示した。
 また、北朝鮮に寛容な姿勢をみせてきた中国が、北朝鮮情勢について「再計算を始めている」と指摘し、対応に変化の兆しが出てきたことを歓迎した。

 まとめると、張成沢の弱化という軸にすると読みやすい。ただ冒頭に戻るのだが、こうした情報は現状、ばらばらになっていてなかなか読みづらいし、日本国内での分析・評論があまり見当たらない。
 以上は現下の状況論で見てきたのだが、国際動向なり日本国家の安全保障という点から見ると、軸は、中国の対北朝鮮動向にある。今回の事態でも、中国が張成沢の側についたことで話がまとまってきた。
 日本国内で報道や論評がないのになんとも奇妙な感じがするのは、ここである。この状態は、どう見てもこれまでの六か国協議が破綻したことを意味しているはずである。端的に言えば、米国オバマ政権の対北朝鮮政策が失敗したことであり、それに追従した日本の対北朝鮮政策も破綻したということで、普通に考えても、ゆゆしき事態なのだが、そうした報道や視点を日本国内であまり見かけないように思う。私が見落としているだけかもしれないが。
 国際的にはしかし、すでに六か国協議の破綻の文脈で動いており、逆に中露はそこを建前にした動きを見せている。4日の聯合ニュース「北朝鮮制裁は6カ国協議再開が目的=ロシア国連大使」(参照)。

【ニューヨーク聯合ニュース】国連安全保障理事会で3月の議長国を務めるロシアのチュルキン国連大使が3日、タス通信の単独インタビューに応じ、対北朝鮮制裁などについての見解を示した。
 チュルキン国連大使は、昨年12月の北朝鮮による長距離ロケット発射を受け安保理が先月採択した制裁強化決議に基づき適切な対応を取るべきだと述べた。その上で、「安保理の新しい(renovated)対北朝鮮制裁は北朝鮮の核活動に焦点を合わせ、朝鮮半島の非核化に向けた6カ国協議再開を目的にしなければならない」と強調した。
 チュルキン国連大使のこうした発言は韓国や米国、日本などが主導する強力な対北朝鮮追加制裁に拒否感を示したものとみられる。これは今月の議長国であるロシアが今後、安保理での協議を融和的に主導することを示唆したものとして注目される。
 タス通信はまた、多くの外交官が3回目の核実験を行った北朝鮮に対する安保理での制裁協議が今月中に終了するとみていると伝えた。
 中国もロシア同様、適切なレベルの制裁と6カ国協議再開に主眼を置いた対応を求めているため、韓日米の譲歩が得られれば今月中に安保理の対北朝鮮制裁決議案が採択されるという見方が出ている。
 先月25日にはロシアのラブロフ外相が北朝鮮のミサイル・核開発計画に対する制裁は当然だが、これを朝鮮半島周辺国の軍備増強の口実にしてはならないとけん制した。さらに、制裁決議案は6カ国協議再開が北朝鮮の核問題を解決する唯一の解決策だという点を明示しなければならないと強調した。
 韓米日の3カ国は今回の対北朝鮮制裁決議案に、平和に対する脅威、破壊、侵略行為について加盟国が強制的な措置を取ることができる国連憲章7章を援用する方向で協議を進めているが、ロシアと中国はこれに反対している。

 一見すると、中露の対応がまともなように見えるが、この態度、すでにどうにも手が付けられなくなっているシリア問題と同じ構図である。実際のところ、行き先がないとわかっている口実として中露が難癖のネタに六か国協議の枠組みを持ち出している。
 そこでこの難癖の意味なのだが、表面的には北朝鮮への制裁を緩和せよとするかのようだが、具体的に中露側の安全保障にとって、現下の北朝鮮がどういう意味をもつかという問題が背後にある。
 どういうことなのか。中国の立場に立って、北朝鮮が核化するとどうなるかと考えるとよい。
 まず中国が北朝鮮の脅威に置かれるということはない。やる気になれば、中国はあっという間に北朝鮮の体制をひねり潰すことができるからだ。
 ではなぜかというと、「北朝鮮が韓国との相互不可侵・非核化宣言を破棄」の帰結を考えるとわかりやすいが、つまり、韓国が再核化するという懸念である。
 単純な話、状況の国際政治上の課題は、韓国の再核化にあると見てよい。その延長には日本の核化の問題もある。
 中国としては、韓国の再核化は避けたいし、まして日本を核化させたくはない。そのため、中国の情報操作活動はこのあたりに集約されてくることも想像されるが、問題は、国際的な状況が客観的に変化すれば日韓国内世論の操作だけではどうにもならないことだ。
 米国に目を転じる。米国はこの事態をどう見ているか? 米国は韓国の再核化をどう見ているかである。
 この部分は印象によるが、米国は韓国の再核化を望んでいないようだ。当然、日本の核化も望んでいない。中国の軍事化にさらなる燃料を注ぎたくないうことでもある。
 米国は現状、六か国協議についてのオバマ政権の失態をあまり明白にしたくないし、中国を刺激もしたくないというあたりで、ぐだぐだしている。
 他方、関係国以外はどう見ているかだが、フィナンシャルタイムズがけっこうぞっとするような意見を出していた。8日付け「北朝鮮の拡大する脅威(The growing threat from North Korea)」(参照)より。中国側も日韓の軍事強化は望んでいないだろうという流れで。

That said, the US needs to give China some reassurances. Washington must make clear that a diplomatic shift by China away from the North Korean regime does not run against Beijing’s regional interests. China has always feared that the collapse of the North Korean regime would lead to a strengthened US military presence across the Korean peninsula. Washington must make clear that maintaining such a military presence is not its long-term goal.

そうは言っても、米国は中国を安心させる必要がある。米国政府は、中国政府が北朝鮮体制から距離を置く外交転換をしても、この地域における中国国益に対立しないことを明瞭にしなくてはならない。中国は北朝鮮体制の崩壊が、朝鮮半島全土における米軍強化になることをずっと恐れ続けていた。米国政府は、そのような米軍駐留が米国の長期計画にはないことを明確すべきだ。

The US should also send a strong signal to Beijing that if Korea is ultimately unified, it would withdraw.

朝鮮半島が最終的に統合されるなら、米国は軍隊を撤去するという合図を強く中国政府に送るべきである。


 フィナンシャルタイムズ社説は、当面の課題である、在韓米軍に焦点を置いていて、在日米軍については議論していないが、統一朝鮮において、米国の軍事力が全面撤退するビジョンを中国に伝えるとよいと主張しているのだ。
 率直なところ、呆然という印象を持つ。
 現下の状況で言えば、韓国は非核化のまま米軍に見放される恐怖に怯えた状態にあり、そのなかで、米中が、統一朝鮮からの米軍撤退を密約すれば、韓国はさらなる疑念に駆られる。統一朝鮮は北朝鮮の核を廃棄して自律的に非核化するかさえわからない。統一朝鮮は対日政策だけで核化を進めかねない。
 もちろん、対抗して日本が核化せよとか、在韓米軍や在日米軍を許容せよといったばかげた話ではない。そもそも統一朝鮮といったビジョンそのものをこの地域が持ちうるのかすら皆目わからない。
 いずれにせよ、なんとも雲を掴むような日本国内世論というか、自国を含めた安全保障の議論が、曖昧模糊としているのはなんともならないのだろうか。
 
 

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2013.03.13

ランチドレッシング、売ってた

 春の陽気に誘われて散歩がてらにあまり使っていないスーパーマーケットにまで足を伸ばして、適当に食材を買ったのだけど、そのおり、たまたま、ランチドレッシングを見つけた。え? あるの? 日本に? 驚いたのである。しかも、キューピーだった。
 キューピーのドレッシングのラインナップはけっこうウォッチしているのだけど、うかつだった。いつごろ出たのか気になって、帰宅してからググってしまったよ。そうしたらわかったのだけど、今年の1月25日に発表という話だった。毎日新聞のサイトに「キユーピー、「バターミルクランチドレッシング」を発売」(参照)という発表記事まであった。けっこう、力入れてんじゃん。記事を読むと、その意気込みに少し笑える。


 キユーピーは、当社ドレッシングの主力シリーズ、金キャップシリーズから、牧場(RANCH)を語源にもつ「キユーピー バターミルクランチドレッシング」を新たに発売します。
 「バターミルクランチドレッシング」は、バターミルクパウダーのコクとほんのりとした甘みが特徴の洋風ドレッシングです。
 バターを作る過程で生じる液体清乳のことを「バターミルク」と言い、それを粉状にしたものを「バターミルクパウダー」と呼びます。このバターミルクパウダーを使い、ほんのり甘く、クリーミーでコク深い味わいに仕立てた「バターミルクランチドレッシング」は、レタスなどの葉物野菜はもとより、アボカド、ベーコンやチキンなどの肉類、チーズや卵などともよく合うことから、ご家庭で主菜サラダを手軽に楽しむのに便利な一本です。また、ほんのりとした「甘み」のある味付けが子どもにも食べやすく、ファミリー向けとしての需要も期待できます。

 まあ、そうなんだろう。
 なぜか日本でランチドレッシング売ってなかったものな。知らない人も少なくないだろう。
 知らない人にどう説明するか、悩んだのではないか、キューピー。その結果が「バターミルク」かあ。売り方をいろいろ考えたんだろう。
 前々から、なんで日本にランチドレッシングがないのか不思議だった。
 厳密にいうと、ないわけでもない。輸入食材とかにあることもある(参照)。ユウキというところから「カリフォルニアクリーミー」(参照)という名前でも売られている。たぶん、「ランチ」では通じないと思ったのか、ランチは分類名だから、ブランドとして変えたのか。
 「ランチ」というと、ランチ休憩というような、お昼のランチを連想する。日本語で「ランチ」と言うと昼飯になってしまうというのもネーミング上の問題だったんだろう。
 正しくは、Ranch、つまり、大牧場のことだ。最初、牧場で提供していたというか、乳製品なんで、牧場っぽかった。
 この手の話はどっかに書いてあるだろうとググると、ウィキペディアに書いてあった(参照)。

 1954年にスティーブ・ヘンソンとガイル・ヘンソンがカリフォルニア州サンタバーバラに"Hidden Valley Ranch"という観光牧場を開いた。そこで二人はスティーブが発案したドレッシングを訪問客に提供した。これが人気を博したため持ち帰り用の瓶詰を販売し始めるとともに、工場を作ってマヨネーズとバターミルクに混ぜるためのランチ・シーズニングのパック詰めを売り始めた(このパック詰めは現在も売られている)。そして1972年にクロロックス(en:Clorox)がこのブランドを800万ドルで買収した[1]。

 詳しい人いるんだなと思ったら、これ英語の項目の訳ですな。
 で、これ、ランチドレッシング、普通にアメリカで人気のドレッシングである。ウィキペディアにも書いてあるけど。

 アメリカにおいては1992年以降イタリアンドレッシング(en:Italian dressing)をしのぎ最も販売数の多いドレッシングとなっている[1]。ディップ用ドレッシングとしても用いられる。

 そんな感じ。
 なのになかなか日本では見かけなかった。コストコなら売っているだろうと思って探したけど無かった。
 無いものは作ってしまえということで、手作りもできないでもない。サワークリームとマヨーネーズをまぜてガーリック/パウダーでフレーバーをちょいと付ければ、なんか似たようなものができる。レシピは探すと、いろいろあるにはある。

 ところが、だんだんドレッシングを手作りしなくなってしまったのですよ。
 自著『考える生き方』に30代前半、ふらふらと旅行をした話を書いたけど、ギリシャとか地中海あたりの、普通の食い物屋にはいると、テーブルに、オリーブオイルとワインビネガーの小瓶が2つ並んでいて、あれです、昭和の食卓に、醤油とソースがあるような感じですね。まあ、あるわけだ。
 ほいで、ドレッシングとして、自分で、このオリーブオイルとワインビネガーをかけろよ、ということになっている。場所によっては、レモンとかサービスで出てくるので、それをかけろよ、というのもある。
 ようするに、地中海食だと、わざわざドレッシングなんてものは作らなくてよいわけで、私も、けっこう長いこと、そうしてきた。
 なのに、なんか、市販のドレッシングを使うようになって、特に、キューピーのイタリアンは定番になってしまった。
 トホホとか思っていたけど、一度逆走すると、それも止まらず、もう、なんでもありになり、ランチドレッシングも知ったのだけど、売ってないよ、3と4が出て、コマは冒頭に戻るみたいなことになった。
 さて、使ってみた。
 うまいですよ。
 でも、カロリーは高いはず。自分は肥満とかではないけど、あまり高カロリーなものは食うもんじゃない。
 ウィキペディアにはこうある。


ランチドレッシングは脂肪分が高いことで知られる。小さじ2杯分で145kcal(608kJ)、15gの脂肪を含む。カロリーの94%が脂肪に由来する[4]

 145kcalというと、だいたい、ご飯一杯分。
 「小さじ2杯分」で? まさか。
 と、原文を見たら、"A typical 2-tablespoon"とある。誤訳ですね。「大さじ2杯」です。
 でも、多いには多い。
 キューピーのこれはどうかと見たら、「大さじ約1杯(15g)当たり/エネルギー量60kcal」とある。大さじ2杯で、120kcalなので、やっぱり高カロリーの部類でしょう。うまいけど。
 ちなみに、キューピーのイタリアンドレッシングだと、「大さじ約1杯(15g)当たり/エネルギー量40kcal」。
 ドレッシングを使うということはそういうことです。
 でも、マヨネーズだと200kcal(30g)なので、みなさんが普通に利用されているマヨネーズを考えたら、大したことはありませんね、って、マヨネーズがそもそも高カロリーなんだけど(参照
 ドレッシングのカロリーを気にするなら、ヨーグルトベースでなんか手作りしたほうがいいかもしれない。
 まじめに、最終ランチドレッシングのレシピ考えてみるかなあ。
 
 

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2013.03.12

finalvent著『考える生き方 』に書かなかった「あとがき」のことなど

 ちょっと勘違いしていた。明日、13日に掲載されるはずと思っていた、finalvent著『考える生き方』の「あとがき」的な話が、今朝、ダイヤモンドオンラインに掲載されていた(参照)。先日、同書の「はじめに」をここで公開したのが第一回となり、今回のは第二回となっている。これでおしまいで、第三回はない。
 今回の話は、ダイヤモンド社の小冊子「KEI」に寄稿したもので、『考える生き方』を脱稿してからしばらくして、書籍紹介を目的に書いたものだ。話は、紹介的な内容に加え、脱稿後だったので謝辞的な思いも入ってしまったが、特に目新しい内容は含まれていない。なお、小冊子「KEI」については、PDFでの配布があるとも聞いている。
 自分もそうだが、書籍を買うときは、「はじめに」と「あとがき」をさっと読む。特に「あとがき」を読むと、書籍の概要がわかることが多い。書評家なども、あとがきをさらっと読んで書くものではないか。その点で言えば、「あとがき」がないことは、書籍の海図がないに等しい。『考える生き方』ではそうしたことを意図したわけでもないが、「あとがき」があっても蛇足だろうし、一度書籍にしたものは、どう読まれてもしかたのないものだと思っていた。幸い、いろいろ読後の感想や書評をいただくと、「ああ、ここまで読んでくださったか、ありがたい」と感慨深いものが多く、謝念に胸あふれる。
 本書の裏話的な話も、うるさいばかりだが、この本を書くにあたって、できるだけ参考にした書籍や知識めいた話を本文に込めるのは控えるようにしていた。が、それもかえって不自然になので、骨組みがまとまったあとで、話の流れであったほうがよい書籍については言及した。
 個別の参照ではないが、この本を書いている途中で、しばしば思い出した本が二冊あった。
 一つは、R.D.レイン『レインわが半生』(参照)である。精神医学者のR.D.レインが30歳になるまでの半生を書いたものだ。ちょうど、主著『ひき裂かれた自己』(参照)が世に問われる前までの彼の人生を記したもので、書籍の意味合いとしては、『ひき裂かれた自己』などで反精神分析といった呼称でも問われる、R.D.レインの思想の形成背景を示したことになっている。
 それはそうなのだが、私は同書を読んだとき(もちろん『ひき裂かれた自己』などの主著を読んだあとで読んだのだが)、仮にそうした功績がなかったとしたら、この本はなんだろうと思ったものだった。ちなみに、オリジナルタイトルは『Wisdom, Madness and Folly』(参照)で、旧約聖書「伝道の書」2章11節に由来している。


 わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。
 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。
 知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。
 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。
 そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。

 R.D.レインが自身の精神医学への思想から「知恵が愚痴にまさる」ことを読むのはたやすいが、彼の思いは、もう少し文学的なものではなかったかと思っていた。その核心は、伝道の書の「知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう」ということではなかったか。
 人生に成功したかに見える人も、人生に失敗したかに見える人も、「同じように死ぬ」。どうしたことであろう。
 「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」というなら、人生の失敗というもののある普遍性というものがある。
 R.D.レインの書籍にはもう一つ、それを読んだ日から忘れられない、しかし、やや難解なフレーズがあった。それも『考える生き方』を書きながら、なんども思い出していた。

 私たちの個人的な「現実」はきわめて従属的な”変数〔可変物〕”であり、それは、この「現実(リアリティー)」に従属または依拠していないのに私たちを左右していながらも私たちを越えた何らかの非従属的な〔独立した〕「実在(リアリティー)」の中に存在しているように思われる要因の結果または産物なのだ、と私は悟った。

 手元に原文がないのでもう少しわかりやすい訳文にはできないが、そのまま読めばオカルトとか宗教、せいぜいよくてもプラトニズムのようにも受け取る。このフレーズが出てくるのは、R.D.レインが催眠術を体験したときでもあり、またこれを契機に彼はある種、超常現象の存在を信じるにようにもなった。
 が、私はこのR.D.レインの考え方は、そう神秘的にとらなくてもよいと思っていた。そうではなく、人々が、たいていは凡庸な人生を歩みながら、その意味をなんとか汲もうとしているとき、個人を越えた、人間とはなにかという問題が、その人の人生を例示として、開示されると理解した。
 もっと簡単に言えば、凡庸で、社会的には失敗したよなあという人生を生きて、それでも自分の人生の意味を汲み取ろうとすれば、人間とはなにか、という問題がそのなかですかし絵のように見えてくるのではないか、ということだ。
 照れながら「自分語り」ですよとは言ったもの、自分の経験の受容がどこまで普遍的な意味に達するかは、その語りが、どこまで普遍的に届くかにかかっているし、その普遍というのは、自分が普通の市民であるということに極まるはずだ。自分に思想というものがあるなら、そこが基点だろうと思っていた。
 実際には、私の場合は、R.D.レインのような業績もなく、その半生記とは異なり、むしろ大学を出てから55歳に至る部分が中心となった。
 特に35歳までの、社会的に脱落していく姿は、それを素直に表現すれば、その時代の社会を映し出す鏡になるだろうとも思った。逆に35歳以降は、自分がそれまで想定してもいない人生展開でもあった。それもできるだけ素直に書いてみた(自分が自分の人生にびっくりした)。
 R.D.レインの話に戻れば、不思議なことに、彼は実際には、同半生記と主著を30代で仕上げたのちは、死ぬまでずっと沈黙したに等しい。その沈黙の意味も大きいがなかなか言葉になってこない。
 もう一冊、『考える生き方』を書きながら、なんども思い出していたのは勝小吉の自伝『夢酔独言』(参照)である。
 勝小吉は、あらためて言うまでもなく、とあらためて言ってしまうのだが、勝海舟(勝麟太郎)の父親である。彼の書いた自伝が『夢酔独言』である。「夢酔」は「海舟」同様、雅号であり、私なら「終風」といったころ。さながら『終風独言』といった連想もした。
 勝小吉については、当然ながら、勝海舟の父として想起され、実際、『夢酔独言』も勝海舟全集9巻にも含まれているように、勝海舟という傑物の背景としてまず読まれる。だが、『夢酔独言』が書かれた時期には勝海舟はまだ歴史に残りそうな人物として世に出ているわけではなかった。
 その意味で、『夢酔独言』は無名な人の無名な自伝であった。実際に読んでみると、破天荒な自由人であり、それ自体も面白い。
 子孫に宛てて書いたという建前になっている。

おれほどの馬鹿な者は、世の中にもあんまり有るまいとおもう。故に孫や曽孫のために咄してきかせるが、よくよく不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ

 表記は直したが、そのまま現代にも通じる口語で書かれている。もとも小吉は文字がまともに書ける人でもなかった。
 小吉は、自分を「馬鹿な者」として、いわば反面教師としての自伝という建前で書かれているし、それなりの説教なども散らしている。書いてある自伝は、なかなかの傑物を思わせるが、それでも勝海舟がいなければ、この自伝は世のなかから実質消えただろう。
 私が思ったのは、勝小吉のように爽快な小気味よい自伝回想ではないが、世に消えてしまうという点で共通に、凡庸な人間の自分というのを見つめてみたかった。
 うかつにも『考える生き方』を書いている時点で、気がついたのだが、小吉がこの自伝を書いたのは、40歳ほどだった。すでに家督を息子・麟太郎に譲って隠居していたので、自分と同じ55歳くらいに思っていたのだった。
 小吉はまだ若かったなと思った。彼は48歳で死んでいる。そう思ったとき、じんわり涙がにじんで、小吉さんに「てめーのくらだない人生論でも、自分がいいと思うなら、さっさと書けよ」と励まされているようにも思えた。南無南無。
cover
考える生き方
Kindle版eBook
 話は全然変わるが、昨日、『考える生き方』のKindle版が出ていた。以前にも書いたが、Kindle版を待たれたにもかかわらず、書籍のほうを買ったかたには申し訳ない。かく言う自分も、昨日、Kindle版を購入した。表紙はどうなっているかと見ると画像だった。また本文中でも「……」のところが画像処理してあった。自著を電子書籍で買うというのは、なんかとても変な感じがした。夢か、これ、みたいな。
 
 

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2013.03.09

[書評]就活でうつにならないための本(向後善之)

 ネットを眺めていると、とくに「はてな」界隈でよく就活の話題をよく見かける。長くデフレが続き、若い人の就職が大変なのだろうなというのはなんとなくわかるし、自分を省みて、就職や職のことも思う。そのあたりは、先日出した自著『考える生き方』(参照)にも書いた。結論だけいえば、就職が自身に馴染むのは30歳くらいのことだろうし、また、何がやりたいかといった夢よりも、落ち着ける職場がよいだろう、というものだった。自分は、どっちかというと、ネガティブな人間なので、そんなことくらいしかわからなったし、職のまつわるつらさに潰れたほうの人間だったので、そのつぶれ状態についても書いてみた。まあ、自著の話はさておくとしよう。

cover
就活でうつに
ならないための本
 現代の就活というのはどうなっているのだろうか。つらいから、鬱になる人もいそうだ、というあたりで、そのままのコンセプトに思える本書『就活でうつにならないための本』(参照)を読んでみた。これも結論からいうと、熟達の心理カウンセラーらしい視点が随所にあり、就活と限らず読んでおいてよい本だろうと思った。トランスパーソナル的な臭みは感じられはしたが、それがどうという含みはない。
 同書のまとめは5点あった。

  1. 判断基準が不確かなものであることを知る
  2. 情報とノイズを仕分けする
  3. 感覚・感情に気付く
  4. 自動思考を横に置く
  5. 緊張を解く

 自分なりに受け取ったところで言うと、「判断基準が不確かなものであることを知る」というのは、就職面接における採用基準は、けっこう不確かなものだということだ。たぶん、そうだろう。「たぶん」と留保してしまうのは、自著のほうに書いたように、一定の能力のある人だと採用基準はけっこう単純だからだ。実際のジョブで所定の能力のある人を採るというだけだ。逆にいえば、新卒だと雇う側でも、実ジョブ経験は期待できないので、判断基準は不確かにならざるをえない。ましてや新卒にリーダーシップまで期待する会社は普通はないだろう。
 「情報とノイズを仕分ける」は、この本読んで、そうだなよな、と頷くところだ。ネット全体でもそういう傾向があるが、情報として話題にとなるものが、自身の重要性から見るとただのノイズにすぎないことは多い。投資家でもない人が投資業界の問題に正義感をもってもあまり意味ないといったことなども。
 「感覚・感情に気付く」と「自動思考を横に置く」はこれは、一般的な心理カウンセリングの原則だともいえる。どういう感情を持つかということに真偽はないのだから、自分の心情に素直に気がつくことは重要である。そしてそこからネガティブな自動思考をしないことも重要だ。とはいえ、こうしたことはカウンセリングの実践に関わることで、頭で理解してわかることでもないのが難しい。加えて、最後の「緊張を解く」も同様だと言える。
 全体としては、現代の就活状況について、一定の社会人による見識と、心理カウンセラーの原則がきれいにまとまっているという印象の書籍だった。逆に言えば、そうした部分がいわゆる就活本には欠けていそうだというのが本書から透けて見えてきた。
 読みながら著者自身にも関心をもったので、他書も読んでみたい。本書に著者の生年、学歴、職歴はまとまっては記されていないが、冒頭の1981年に大学院2年生だったとあるので、当時学部4年だった私からすると、私より1歳か2歳年上だろうか。当時の就職活動を著者が顧みて、「技術職については、完全に売手市場でした」とあるが、あの時代は、概ねそうだとも言える。
 ただし、またまた自著の話になってしまうが、私ように新卒の枠からそれた人間はあの時代でも就職はきついものだった。というか、新卒的に就職を探すのは無理に近い状態だった。
 現代でも新卒のレールを外れると就職はかなり厳しいだろう。その意味では、私の時代と今の時代でも変わりないし、むしろ、新卒のレールを外れる恐怖が、就活へのプレッシャーになっているのではないかと思う。この点については、本書での言及は直接的にはなかったように思う。が、ここは私にしてみるとけっこうキモである。大半の人にとっても、新卒の就活で、安定した職業を持つことができないだろう。
 本書の本筋とはあまり関係ないが、三章「情報は、常に時代遅れ」のなかで、敗戦時の人々の精神変化について言及し、こう指摘している点も気になった。

 敗戦当時小学生から思春期あたりの人達の多くは、この安直な価値観の転換に、アイデンティティが崩壊するような感覚に見舞われたと思います。

 その見解を否定するものでもないが、私がいろいろ当時の人々の思いを読んできて思うのは、当時でも一定の年代以上は、それほど敗戦のショックはなかったらしいことだ。敗戦後の経済混乱を生き延びるのが大変だったというのはあるにせよ。
 それでも、敗戦のショックを受けたのは、「敗戦当時小学生から思春期あたりの人達」というのはけっこう当たっている。1945年に13歳くらいとすると、1932年、昭和7年生まれ。現在、80歳くらいの年代である。これには、生年月日が同じ五木寛之と石原慎太郎がいる。他に江藤淳や本多勝一、小田実などがいる。彼らは、戦前の日本の知の伝統からは反れていたので、そのまま敗戦ショックを受けて、戦後にそれを展開してしまった。こうした思想転換を課題とした人々の下限が、私の知る人のなかでは、1924年生まれの吉本隆明である。1921年生まれの山本七平には、そうした転換はなく、日本というのは戦前戦後も変わらないものだという視点をむしろ強化していた。一定の教養があれば、敗戦の世相の転換にはさほど動揺もしないもののようだ。
 そうした部分で言うなら、就活なり、人生の課題のような問題に、個別的な対応をするより、むしろ厚みのある知性が育成されたほうがよいように思う。そのほうが、世相は見やすいし、就活といった問題もすごしやすいのではないか。暢気なことを言うように聞こえるかもしれないが、繰り返すが、就活が成功してもそもまま職が安定する人は半数を満たないだろうと思うからだ。
 
 

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2013.03.07

[書評]夫婦格差社会 二極化する結婚のかたち(橘木俊詔、迫田さやか)

 今朝方、ツイッターから見える世間を眺めていると、「アメリカ/米国不動産投資日記」というブログの「東横線沿線の高校生は裕福? 日本でも所得別住み分けが進行中?」(参照)というエントリーのリンクが目に付いた。それだけ見ても、だいたいエントリー内容は想像できるが、リンク先を開いて読んでみようと思ったのは、その想像の確認ではなく、もしかして、という思いがあったからだ。
 もしかしてというのは、世帯の所得格差の考察において、夫婦共稼ぎの要因を考慮に入れてないんじゃないか、という思いともう一つの思いである。
 リンク先を開いて該当エントリーを読むと、男女間の人口比は考慮されているが、夫婦共稼ぎの要因はさほど考慮されていなかった。もちろん、それゆえにその考察が間違っていると言いたいわけでは全然ない。おそらく、このエントリーのような考察においては、「夫婦共稼ぎによる世帯所得の要因に地域差はない」という前提が含まれているか、あるいは「夫婦共稼ぎによる世帯所得の差違は格差に顕著な影響は与えない」という前提があるのだろう。
 単年度の所得で考察された該当エントリーの格差と地域差の話はひとまずおくとして、そもそも、世帯格差において、夫婦共稼ぎの要因はどのくらい大きいのだろうか。

cover
夫婦格差社会
二極化する結婚のかたち
 この問題を扱ったのが今年1月に出版された『夫婦格差社会 二極化する結婚のかたち(橘木俊詔、迫田さやか)』(参照)である。副題に「二極化する結婚のかたち」とあるが、どう二極化するかというと、本書の造語とみられる、夫婦ともに高収入の「パワーカップル」と、夫婦ともに低収入の「ウィークカップル」に分極していくという主張である。
 ちょっと読みが難しいのは、「パワーカップル」が夫婦ともに高収入というのはわかりやすいが、「ウィークカップル」というのが夫婦ともに低収入とまでは言い切れなさそうで、その面で言うなら、普通の収入のある夫婦と、夫だけが働く夫婦との差違はどうなるのか、という扱いも難しい。
 本書の社会学的な主張だけ取り上げれば、しかし非常に明瞭で、「ダグラス・有沢の第二法則」と呼ばれる、「夫の所得が低ければ、家計所得を高くするために妻が働き」、「夫の所得が高ければ、家計所得が十分にあるので妻は専業主婦になる」という法則が、現代日本でも正しいのかという論証である。本書の主張としては、データを用いて、これが崩れつつあるとしたいところだ。
 だが本書のデータを付き合わせて、その否定論証を読んでいくと、それほどドラスティックな破綻とも思えなくなり、微妙である。
 逆に言えば、その微妙な部分、つまり、欧米先進国的な傾向から見れば、日本社会でも高学歴層において「ダグラス・有沢の第二法則」の法則が崩れていると見てよさそうなのに、そうでもなく、それを押しとどめる要因がありそうな点が興味深い。が、その部分はあまり本書から読み取れなかった。
 この問題は一読者の心理上関連して、本書の全体を読みながらも、なんどか首をかしげた。また本書は、表題の夫婦格差を論じつつ、未婚率の高さなども論じているのだが、ところどころ、なんというのか、新書なので大衆向けにスタイルを砕いたというべきなのかわからないのだが、データをベースに学術的に扱いながらも、なんともオヤジのぼやきのような口調が、あちこちと不意に出現するのである。たとえば結婚を求める際に、「女性にふられることを恐れるな」「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」といった呟きが書き込まれている。
 おそらく主著者の橘木俊詔の実感なのだろうが、共著の若い女性研究者の迫田さやかがその部分をどう受け止めていたのか、ある種、文学的に考え込まされる。同時にこの手の問題を考える際に、いわゆるフェミニズムはどのような視点を提供するのかも、よくわからない。
 本書は基本的には学術的にデータをベースに議論されており、今年の出版ということからも、最近のデータが集まっているので、この分野の議論のための資料集としても使えるだろう。
 論述とは別に、データを眺めるとなかなか含蓄深いものがある。例えば、すでに言われていることだが、日本は格差社会とはいうものの、格差の社会学的な指標であるジニ係数で見ると他国との対比ではそれほど深刻な状態ではない。では、日本国内でジニ係数の大きな変化はあったか。たとえば、ネットなのでよく言われるような小泉政権の施策で格差社会が顕著になったというような。
 そこで本書に掲載されている1962年来のジニ係数の推移を見ると、確かに上がっているとはいえるのだが、1962年に0.35くらいのものが2008年に0.38くらい上昇で、格差社会の拡大と言えるのか、疑問に思える。ある年代に突出していることもない。むしろ、第一次オイルショック時に0.32まで下がっているので、経済の混迷が格差を減らすと読めないこともない。
 庶民生活の実感としては格差が広がりつつあるということなのだろうが、そのために格差を議論する社会学的な新しい指標がなんであるかは、別の議論なのだろう。冒頭触れたエントリーのような単純に単年度で世帯所得で比べると格差があるという素朴な議論かもしれない。
 他にもいろいろ面白い議論や視点がある。これも庶民生活の実感として頷けるのだが、日本社会の女性の就労において、若い時に働いて、子育てで家に入り、また子どもの手が離れて働くという、ふたつの就労ピークがあり、アルファベットのMの字の形で形容されてきた。が、このへこみがしだいになくなりプラトーの状態に近づきつつあるというデータが示されている。25歳から34歳の既婚女性に限定すれば10年間で10ポイントの上昇がある。M字のへこみを押し上げているわけである。ただ、それがどれほどの全体変化の要因と見るかは、やはり難しい。
 概ね、妻が働く世帯では、妻が働かない世帯より、世帯所得が上がるというのは、常識的にも明らかだろうし、おそらく女性の高学歴化は妻の就労の推進要因であると見てよさどうだが、どうも決定的な要因は、別にありそうだ。つまり、三世代世帯の妻の就労率が高いことの要因である。

老親が一緒に住んでいれば、子育ての支援が期待できるので、妻の就労確率は高まる。このことから、女性が働くためには子育て支援の充実が必要だいうことがわかる。

 妻が就労するかどうかについては、子育てを老親に委ねることができるかの要因も大きい。
 というところで、ひとまず置いた冒頭参照のエントリーを見直すと、住む地域の格差というより、三世代世帯の要因が大きいのではないかというのが、実は、最初に思えたもう一つであった。
 さらにいえば、高学歴というのも、三世代世帯の余波ではないだろうか。まあ、このあたりは、その観点からデータを解析しないとわからないことではあるが。
 ついでにいうと、未婚率が上昇しているのは、潜在的な三世代世帯形成の傾向の同じ余波ではないかという印象もある。つまり、親と別れて世帯をもつと貧困に転じてしまうので、それを避けたいというのが社会学的な結果として出ていると見えないだろうか。
 そうだとするなら、政策的に考えるなら、親の世帯の資産をどう解体するかということがテーマになりそうだが、その場合、三世代世帯や潜在的な三世代世帯傾向にある若者層にも大きな打撃を与えることになるだろう。
 本書は、読み方によっては各種の議論が散漫に詰め込まれている印象もあり、それはそれで、私のように世間に疎い人間には面白いし、いろいろ想像力をかき立てられる。たとえば、女性が夫を選ぶ際に大学名を重視しているというデータなども、なかなか含蓄がある。単純に考えれば、高収入に繋がる高学歴な夫を求めていると受け取れそうだが、三世代世帯が日本社会を見る上でのキーになるとすれば、「お父様やお母様の卒業された大学に恥じない大学卒」を夫に求めることではないだろうか。
 そう考えると、日本社会は、普通に安定した社会にありがちな、身分社会のような傾向にあると見てよいのではないだろうか。そして格差というのはその付随現象ではないか。案外、格差補正として低所得層の処遇を厚くすると、「低い身分」の世帯の再生産になりそうでもある。
 もちろん、それがいけないわけでもない。
 個人的には、高学歴な貧乏人が、文化的に豊かに暮らせたら、所得格差みたいな問題はそれほど社会の主要テーマではなくなるだろうなという思いはある。
 
 

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2013.03.06

女子高校生の中尾ミエ

 cakesに五木寛之の『風に吹かれて』(参照)の書評(参照後編)を書いたとき、同書とのその複数の版や、関連書籍を読み返しつつ、ここが核心という部分に絞ったのだが、そのために同書のもつ、あの時代を描いた豊潤さの部分は捨象してしまった。その一つが、女子高校生の中尾ミエと、それを見つめる30歳ほどの五木寛之の視線だった。
 話は、同書の「光ったスカートの娘」に含まれている。五木寛之がまだ作家として登場する前のこと、早稲田大学を除籍され(後、中退に変わる)、そのまま社会に出て、新しいメディアの世界でCMソングを書いたり、ショービズに関わったりしていたころのことだ。同エッセイには「三十四歳の今日まで、様々な人間を見てきた」とも書かれているように、このエッセイ執筆時は、34歳だった。
 エッセイは、彼が初めて作詞者としてその名前を記したCMソングの思い出である。当時、彼はまだ五木姓ではなかったが。
 製品は「パピー」という、水気を拭き取る道具だったという。「パピー、パピー、何でもふいちゃう パピー」というものらしい。私は知らない。逆算すると私が4歳ころのことなので、記憶にもない。パピーとは何か、今回書評書きに合わせて少し調べてみたが、わからなかった。
 その五木の初CMソングの歌手は、彼の知らない人だったという。録音のスタジオで、録音の用意ができた。


用意が出来たころ、マネージャーに連れられて、一人の小柄な女子学生がやってきた。カバンを下げ、セーラー服を着ている。
「この人が歌うんですか?」
 私はいささかガッカリして聞いた。私は自分の最初の作品を歌うタレントさんに過大なイメージを抱きすぎていたのだった。
「だいじょうぶ。この子は凄い才能がありますよ。将来きっと大物になります」
 マネージャー氏が、私をなぐさめるように言った。
 「はあ」
 私は半信半疑であった。何でも、学期末の試験で大変疲れているという。マイクに向かったセーラー服のスカートのお尻の所が、ピカピカ光っているのが目についた。

 五木の懸念に反して、歌は張りがありパンチがあった。「その声の背後ににじむカレンなお色気が私を驚かせた」とも書いている。
 中尾ミエである。

 その少女が、中尾ミエ、という名前であることを、私は後で知った。その日から私は彼女にあったことがない。

 中尾ミエは1946年生まれ。今年、67歳になる。
 五木のCMソングを歌った高校生の中尾ミエは、高校何年生だっただろうか?
 ウィキペディアの情報によるのだが、「1961年に渡辺プロと契約。園まり・伊東ゆかりらとスパーク3人娘を結成。ザ・ピーナッツの後継として期待され、クレージーキャッツ主演の『シャボン玉ホリデー』などに出演し、一時代を築く」とある。1961年は、彼女が15歳の年である。
 中尾ミエで決定的なのは、彼女を一躍スターにのし上げた歌「可愛いベイビー」である。

 元歌をコニー・フランシスが歌ったのは1961年。翌1962年に中尾ミエがカバーして日本でも大ヒットになった。
 1962年というと、中尾ミエは16歳である。高校2年生といったところだろう。すると、五木寛之が作ったCMソングを歌ったのは、1961年、高校1年生だったのだろう。
 相当に若いなと、ちょっとショックを受けると同時に、もし彼女が高校3年なら、五木は光ったスカートの女子高校生と見るより、すでに女を見ていただろう。
 五木はこの時、ちょうど30歳になったばかりだろう。すでに、後に「配偶者」となる玲子さんとはすでに同棲していたと見られる。
 五木は、真摯な15歳の中尾ミエを見つめながら、ショービズにかけたプロの魂といったものを見て取り、自身をこう省みていた。


おそらく私が見たものは、一人の歌い手の卵ではなく、幼くして一つの道に賭けた人間の後姿だったのだろう。そして、小説を書くという年来の抱負から遠ざかって、一向にめざす仕事のいとぐちに近づけずにもがいていた私自身に対する、恥ずかしさだったのかもしれない。

 五木寛之はこのそのころ、30歳で、小説家にならんともがいていた。どのように生きていったらよいか、その一つの道が見いだせなかった煩悶もあった。
 道の定まらない30歳の五木寛之と、15歳の中尾ミエの光景を想像すると、胸になにか、ぎゅーんと響くものがある。ノスタルジーというのでもない。昭和がどうということでもない。
 自分も、『考える生き方』(参照)にも書いたが、そんな時代があったなと思う。私は女性と同棲ということはなかったどころか、恋愛の気配さえなかった。30歳を過ぎて、ああ、自分は、おじさんになってしまったなあと、街行く女子高校生がとても遠く思えたことがあった。いや、女子高校生趣味といったものはないのだけど。
 

 
 

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2013.03.05

finalvent著『考える生き方 』の「はじめに」を公開

 先日出した、finalvent著『考える生き方 』の、カバーにもなっている「はじめに」の部分が、ダイヤモンドオンラインのサイトで無料公開になりました。「からっぽな人生を生きてきた |考える生き方 空しさを希望に変えるために」(参照)です。未読の方で、あの奇妙な表紙の先になにが書いてあるのか、ちょっと気になるかな、という人は、ご覧ください。

 この「はじめに」ですが、書いた手順としては、初めに書いたものではありませんでした。ちょっとその経緯の裏話でも。
 先日、この本は、ブロガー本だからブログ論とから始まったという話(参照)を書きましたが、他の部分も、現在のような自分語り的スタイルではなく、個別の議論のような体裁で書き進めていました。そしてそれぞれに一例として自分の体験談を混ぜていくというスタイルです。が、どうしても体験談を書き進めていくうちに、「うぁ、これはつらい、書けない、もうだめ」という事態に陥り、「さて、どうしましょうかね」ということになりました。この時点ではまだ書籍の企画としても、危うい状態だったので、企画練り直し、となりました。そこで再開するのに、「まず、本の全体のコンセプトとなるような一文を書いてみましょう」という話になり、今日公開の「はじめに」ができました。
 この「はじめに」は、執筆という点では一気に書いたものですが、これも書き出すまでが自分としては、けっこう大変でした。この本ってなんなの?というのを自問し続けていたわけです。
 その一つの答えが、この「はじめに」にでも書きましたが、普通の人生を書こうというものでした。


 普通、本を書く人というのは著名な人や、それなりに偉業を遂げた人だ。その成功例から何かを学ぼうということだ。私の場合は、そういうのは何もない。
 たいていの人もそうだろう。若いころ思っていたような希望に挫折して、それなりに運命と折り合って生きていく。
 世間的に社会的に、自分の人生の意味はないとしても、自分の内面から見れば、それなりにある種の手応えのようなものがあれば、それを支えに生きていける。

 それなりに挫折やトラブルはあるにしても、まあ普通といえそうな人生を、意識して書いてみようと思ったわけです。仕事を退職したお年寄りがよく、自費出版でだれも読みそうない自伝とか出したりするものですが、まさにそんな感触で受け取られてしまいそうな本を、あえて書いてみよう、と。
 小さな物語を、できるだけ、小さく書いてみよう、と。
 でも、お歳寄りの自費出版の自分語りは、大きな物語の幻想をもってしまいがちに思えます。
 また、政治評論でも哲学や思想でも、人はつい、大きな物語を志向してしまいがちです。
 人生の意味や、書籍の価値というものを、つい、大きな物語のなかで見てしまいがちなります。
 ひとつには、これまでの人生の語りというものには、大きな物語が関わってきたからでしょう。
 その近景には戦争があり、背景には貧困がありました。それらのなかに、普通の人を置いた場合、置かれた位置によって濃淡はあるにせよ、大きな物語のなかで、自分を語ることができたわけです。
 その年代の境目は、現在の80歳ではないかと思います。
 現在の80歳。1932年生まれ。
 戦争が終わったときに、12歳。
 ようやく、生涯の基礎になるものの心が固まる時期。世界というものが見えてくる時期。
 12歳のときに、戦争と貧困をどう見たか?
 このとき、大きな物語を見たか、大きな物語のような幻影を見たか、その差が明確に分かれてくるのが、現在の80歳。1932年生まれ。昭和7年生まれ、だろうと思います。戦後の「若者」の原型です。
 ということで、同じ生年月日でありながら、大きな物語を見た五木寛之と、大きな物語のような幻影を見た石原慎太郎という話を、これもまた今日後編公開のcakes連載「新しい「古典」を読む」(参照)の「【第18回】風に吹かれて(五木寛之)」(参照後編)に書きました。
 文学と人間の内省的な自覚というのは面白いものだなと思うのですが、大きな物語の中にいた五木寛之は意識して自身について小さな物語を語るのに対して、大きな物語のような幻影の中にいた石原慎太郎は大きな物語を語ってきました。
 私の時代には、普通の人にはもう大きな物語はありません。
 ただ、大きな物語を希求してしまう幻影だけがあります。
 それゆえに、大きな物語を希求すれば、石原慎太郎やその支持者や、あるいはその熱狂に捕らわれて熱狂的に憎悪する人々が絡め取られるようになりがちです。
 そこをやめよう、大きな物語が失われても、私は、五木寛之の側のスタイルでいようと、思いました。
 今回ダイヤモンドオンラインで公開した、「はじめに」のなかでは、山本七平にも言及していますが、彼もまた大きな物語に翻弄されつつ、小さな物語のなかで生きた人でした。
 あと、ダイヤモンドオンラインでは、次週、3月13日に「あとがき」に相当する、ダイヤモンド社の小冊子「Kei」に寄稿した文章が公開になります。なお、「Kei」はオンラインで無料配布になると伺っています。
 こちらも「あとがき」として意識して書いたものではなく、『考える生き方』脱稿後に、紹介的に書いたものでした。
 『考える生き方』では、「あとがき」は意識して書きませんでした。
 特に要らないだろうというのと、書籍という形をそれほど意識する必要はないようにも思えたからでした。
 スタイルとしては、この本は、自分語りにも見えるだろうし、これまでこのブログを読んでくださった方には、深読みができるだろうとは思います。そうでありながら同時にこの本を通して、平凡な人生の内側(考えることで掘り下げられる内面)をできるだけ、幅広い人に通じてほしいと思っています。その意味で、後書きで自分の書いた本を強調するより、むしろ私から、離れていけばいいという思いでした。
 それと、先ほどアマゾンを見たら、もうKindle版の予定(3月11日)が出ていました。同じ出版社の『統計学が最強の学問である』(参照)のKindle版が出ているので、いつかは出るのだろうとは思ったのですが、そのいつかがわからず、書籍版を買ったけどKindle版が欲しかったのにという人には、情報が足りず、申し訳ありませんでした。
 
 

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2013.03.04

フィナンシャルタイムズはアベノミクスをどう見ているか?

 昨日付けで、フィナンシャルタイムズがアベノミクスをどう見ているかについて、社説を出していた。内容は、当たり前といえば当たり前だが、それなりに踏み込み、かつある程度明確に論点を整理していた。
 おそらく今日明日には、フィナンシャルタイムズの邦訳を掲載することが多いJBPressや日経に訳文が掲載されるのではないだろうか。だから、それを待ってもよいのだが、フィナンシャルタイムズ関連でちょっと気になる別記事があったので、該当社説のネタを、正式邦訳が出る前にブログのネタで拾っておいてもよいかもしれないと思った。
 まず、その気になる記事のほうだが、JBPress訳では「日本経済、手早い対策は緩やかな停滞より危険か」(参照)、日経訳では「[FT]アベノミクスが危険なこれだけの理由」(参照)である。邦題は異なり訳文も異なるのだが、日経訳には「翻訳協力 JBpress」とあるので、基本的に同質の訳文であろう。
 オリジナルは、ヘンリー・センダー(Henny Sender)氏による2月28日付け「‘Abenomics’is not enough to rescue Japan(アベノミクスは日本救済には十分ではない)」(参照)である。副題は「Structural reforms needed rather than just driving down the currency(単に通貨安に操作するよりも構造改革が求められる)」というもので、趣旨は、その表題と副題から察せられるように、邦題の視点とはやや異なっている。
 センダー氏の見解はフィナンシャルタイムズに掲載された一つの見解であるが、同紙としての見解ではない。では、社説ではどう見ているか。
 安閑とした態度はとっていないという点では、センダー氏の見解に近いとも言える。黒田氏が説くデフレ脱却の意向について。


The attempt to do so will shake Japan’s economy and, maybe, the world’s. This shift is necessary but risky. It is likely to be destabilising, at least in the short run.

デフレ脱却の試みは日本経済と世界経済を揺り動かすだろう。この変化は、必要だが危険が伴う。少なくとも短期的には、不安定な状態をもたらしかねない。


 そして、同社説は、3つの問いを立てて、それに答えている。


1 アベノミクスで弱インフレが達成できるか?


The first question is whether, contrary to the pessimistic view of the BoJ, monetary policy can deliver higher inflation even in a country with entrenched expectations of mild deflation.

最初の問題は、日銀の悲観的な見方に反し、弱デフレ期待に突入している国家において、金融政策によって高めのインフレが実現できるだろうか、である。


 これに対する同社説の答えは、イエスである("The answer is yes.")。
 ただし条件があり、期限なしの外貨購入(open-ended purchases of foreign currency)、より大きな規模での国債引き受け( monetisation of even larger fiscal deficits)、リスクのある国内債券の直接引き受け(direct purchase of risky domestic credits)などが必要だとしている。そしてこれらは政府と日銀が協調しないと無理だとしている。
 理論的には無理ではないにせよ、政策の実施面ではなかなか難しいと私には受け止められた。


2 アベノミクスで日本経済は上向くか?


The second question is whether the achievement of higher actual and expected inflation would end Japan’s long economic malaise.

2番目の問題は、期待されている実質のインフレによって、日本の長期経済停滞が終わりを告げるだろうか、である。


 フィナンシャルタイムズの答えは、「多分、としか言えない("The answer is only perhaps. ")」として、アイロニーを込めている。
 デフレ下で高まった実質金利の低下によって、貯蓄傾向が減ることや、債務の軽減は期待できるが、他面、長期金利の上昇が債務軽減を相殺するかもしれない。つまり、なんとも言えない、ということだ。
 この点について私も、フィナンシャルタイムズ同様、そうかなという印象は残る。


3 アベノミクスで円売り・円逃避が起きるか?


The third question concerns the indirect consequences of this new policy. Higher expected inflation, particularly if accompanied by negative real interest rates, could trigger a run from the yen, not just by foreigners but by domestic residents too.

3番目の問題は、新方針の間接的な結果に関係する。高めに予期されるインフレ、特に実質金利がマイナスになる場合、外国のみならず国内からも、円からの逃避を起こしかねない。


 この点については、フィナンシャルタイムズは、前2問のようには、手短な答えを上げていない。
 理由は、文脈から見ると、国際経済の対応によるとしているためだろう。つまり、世界規模での金融緩和競争になるかもしれないし、日本が近隣窮乏化政策だと非難される可能性もあるということのようだ。


で、結局どうなのか?
 結論は、読みようによってはグダグダしている。


Ending deflation is, in brief, risky. But the status quo is riskier. On its present path, Japan’s public indebtedness will, in time, become unmanageable. Deflation just guarantees a bigger disaster down the road. Instead, the economy has to be brought back into balance and the debt overhang reduced.

一言で言って、デフレ終息には危険が伴う。しかし、現状のままのほうが危険が大きい。現状のまま進行すれば、日本の公的債務はいずれ、対応不能になる。デフレの道の先にはより大きな惨事があるだけだ。その逆に日本経済は、バランスの良い状態と過剰債務削減に立ち返るべきだ。

It would have been far better to have taken these steps 15 years ago. But the BoJ, in its folly, did not act in time. Acting too late is bad. But it is at least better than never acting.

15年前にこの手順を取っておけばよかったことだろう。だが、日銀は、愚かにも、適時の対応を取らなかった。遅すぎた対処はよいことではない。だが、少なくとも、手をこまねいているよりはましである。


 このまま日本経済が進んでいっても地獄があるばかりなんだから、方向を変えるのはしかたないんじゃないかというトーンである。なお、日銀を「愚か」と呼んでいるのは、私ではなく、フィナンシャルタイムズなので、ご注意。
 で、結局どうなのか?

Positive inflation has a role to play among a set of policies aimed at encouraging more private-led spending and growth. Mr Abe is right to take the gamble on inflation. But a gamble it clearly is.

民間部門の支出と成長を鼓舞する一連の政策において、インフレには相応の役割がある。安倍氏がインフレに賭けたのは正しい。だが、これは賭けなのだ。


 賭けだから、失敗するかもしれないよ、というのである。
 そういえば、民主党政権になるときも、政権交代の賭けにかけてみたら、と勧めていたのも、フィナンシャルタイムズの社説であった(参照)。
 お後がよろしいようで。
 
 

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