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2013.03.12

finalvent著『考える生き方 』に書かなかった「あとがき」のことなど

 ちょっと勘違いしていた。明日、13日に掲載されるはずと思っていた、finalvent著『考える生き方』の「あとがき」的な話が、今朝、ダイヤモンドオンラインに掲載されていた(参照)。先日、同書の「はじめに」をここで公開したのが第一回となり、今回のは第二回となっている。これでおしまいで、第三回はない。
 今回の話は、ダイヤモンド社の小冊子「KEI」に寄稿したもので、『考える生き方』を脱稿してからしばらくして、書籍紹介を目的に書いたものだ。話は、紹介的な内容に加え、脱稿後だったので謝辞的な思いも入ってしまったが、特に目新しい内容は含まれていない。なお、小冊子「KEI」については、PDFでの配布があるとも聞いている。
 自分もそうだが、書籍を買うときは、「はじめに」と「あとがき」をさっと読む。特に「あとがき」を読むと、書籍の概要がわかることが多い。書評家なども、あとがきをさらっと読んで書くものではないか。その点で言えば、「あとがき」がないことは、書籍の海図がないに等しい。『考える生き方』ではそうしたことを意図したわけでもないが、「あとがき」があっても蛇足だろうし、一度書籍にしたものは、どう読まれてもしかたのないものだと思っていた。幸い、いろいろ読後の感想や書評をいただくと、「ああ、ここまで読んでくださったか、ありがたい」と感慨深いものが多く、謝念に胸あふれる。
 本書の裏話的な話も、うるさいばかりだが、この本を書くにあたって、できるだけ参考にした書籍や知識めいた話を本文に込めるのは控えるようにしていた。が、それもかえって不自然になので、骨組みがまとまったあとで、話の流れであったほうがよい書籍については言及した。
 個別の参照ではないが、この本を書いている途中で、しばしば思い出した本が二冊あった。
 一つは、R.D.レイン『レインわが半生』(参照)である。精神医学者のR.D.レインが30歳になるまでの半生を書いたものだ。ちょうど、主著『ひき裂かれた自己』(参照)が世に問われる前までの彼の人生を記したもので、書籍の意味合いとしては、『ひき裂かれた自己』などで反精神分析といった呼称でも問われる、R.D.レインの思想の形成背景を示したことになっている。
 それはそうなのだが、私は同書を読んだとき(もちろん『ひき裂かれた自己』などの主著を読んだあとで読んだのだが)、仮にそうした功績がなかったとしたら、この本はなんだろうと思ったものだった。ちなみに、オリジナルタイトルは『Wisdom, Madness and Folly』(参照)で、旧約聖書「伝道の書」2章11節に由来している。


 わたしはまた、身をめぐらして、知恵と、狂気と、愚痴とを見た。そもそも、王の後に来る人は何をなし得ようか。すでに彼がなした事にすぎないのだ。
 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。
 知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。
 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。
 そもそも、知者も愚者も同様に長く覚えられるものではない。きたるべき日には皆忘れられてしまうのである。知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう。

 R.D.レインが自身の精神医学への思想から「知恵が愚痴にまさる」ことを読むのはたやすいが、彼の思いは、もう少し文学的なものではなかったかと思っていた。その核心は、伝道の書の「知者が愚者と同じように死ぬのは、どうしたことであろう」ということではなかったか。
 人生に成功したかに見える人も、人生に失敗したかに見える人も、「同じように死ぬ」。どうしたことであろう。
 「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」というなら、人生の失敗というもののある普遍性というものがある。
 R.D.レインの書籍にはもう一つ、それを読んだ日から忘れられない、しかし、やや難解なフレーズがあった。それも『考える生き方』を書きながら、なんども思い出していた。

 私たちの個人的な「現実」はきわめて従属的な”変数〔可変物〕”であり、それは、この「現実(リアリティー)」に従属または依拠していないのに私たちを左右していながらも私たちを越えた何らかの非従属的な〔独立した〕「実在(リアリティー)」の中に存在しているように思われる要因の結果または産物なのだ、と私は悟った。

 手元に原文がないのでもう少しわかりやすい訳文にはできないが、そのまま読めばオカルトとか宗教、せいぜいよくてもプラトニズムのようにも受け取る。このフレーズが出てくるのは、R.D.レインが催眠術を体験したときでもあり、またこれを契機に彼はある種、超常現象の存在を信じるにようにもなった。
 が、私はこのR.D.レインの考え方は、そう神秘的にとらなくてもよいと思っていた。そうではなく、人々が、たいていは凡庸な人生を歩みながら、その意味をなんとか汲もうとしているとき、個人を越えた、人間とはなにかという問題が、その人の人生を例示として、開示されると理解した。
 もっと簡単に言えば、凡庸で、社会的には失敗したよなあという人生を生きて、それでも自分の人生の意味を汲み取ろうとすれば、人間とはなにか、という問題がそのなかですかし絵のように見えてくるのではないか、ということだ。
 照れながら「自分語り」ですよとは言ったもの、自分の経験の受容がどこまで普遍的な意味に達するかは、その語りが、どこまで普遍的に届くかにかかっているし、その普遍というのは、自分が普通の市民であるということに極まるはずだ。自分に思想というものがあるなら、そこが基点だろうと思っていた。
 実際には、私の場合は、R.D.レインのような業績もなく、その半生記とは異なり、むしろ大学を出てから55歳に至る部分が中心となった。
 特に35歳までの、社会的に脱落していく姿は、それを素直に表現すれば、その時代の社会を映し出す鏡になるだろうとも思った。逆に35歳以降は、自分がそれまで想定してもいない人生展開でもあった。それもできるだけ素直に書いてみた(自分が自分の人生にびっくりした)。
 R.D.レインの話に戻れば、不思議なことに、彼は実際には、同半生記と主著を30代で仕上げたのちは、死ぬまでずっと沈黙したに等しい。その沈黙の意味も大きいがなかなか言葉になってこない。
 もう一冊、『考える生き方』を書きながら、なんども思い出していたのは勝小吉の自伝『夢酔独言』(参照)である。
 勝小吉は、あらためて言うまでもなく、とあらためて言ってしまうのだが、勝海舟(勝麟太郎)の父親である。彼の書いた自伝が『夢酔独言』である。「夢酔」は「海舟」同様、雅号であり、私なら「終風」といったころ。さながら『終風独言』といった連想もした。
 勝小吉については、当然ながら、勝海舟の父として想起され、実際、『夢酔独言』も勝海舟全集9巻にも含まれているように、勝海舟という傑物の背景としてまず読まれる。だが、『夢酔独言』が書かれた時期には勝海舟はまだ歴史に残りそうな人物として世に出ているわけではなかった。
 その意味で、『夢酔独言』は無名な人の無名な自伝であった。実際に読んでみると、破天荒な自由人であり、それ自体も面白い。
 子孫に宛てて書いたという建前になっている。

おれほどの馬鹿な者は、世の中にもあんまり有るまいとおもう。故に孫や曽孫のために咄してきかせるが、よくよく不法もの、馬鹿者のいましめにするがいいぜ

 表記は直したが、そのまま現代にも通じる口語で書かれている。もとも小吉は文字がまともに書ける人でもなかった。
 小吉は、自分を「馬鹿な者」として、いわば反面教師としての自伝という建前で書かれているし、それなりの説教なども散らしている。書いてある自伝は、なかなかの傑物を思わせるが、それでも勝海舟がいなければ、この自伝は世のなかから実質消えただろう。
 私が思ったのは、勝小吉のように爽快な小気味よい自伝回想ではないが、世に消えてしまうという点で共通に、凡庸な人間の自分というのを見つめてみたかった。
 うかつにも『考える生き方』を書いている時点で、気がついたのだが、小吉がこの自伝を書いたのは、40歳ほどだった。すでに家督を息子・麟太郎に譲って隠居していたので、自分と同じ55歳くらいに思っていたのだった。
 小吉はまだ若かったなと思った。彼は48歳で死んでいる。そう思ったとき、じんわり涙がにじんで、小吉さんに「てめーのくらだない人生論でも、自分がいいと思うなら、さっさと書けよ」と励まされているようにも思えた。南無南無。
cover
考える生き方
Kindle版eBook
 話は全然変わるが、昨日、『考える生き方』のKindle版が出ていた。以前にも書いたが、Kindle版を待たれたにもかかわらず、書籍のほうを買ったかたには申し訳ない。かく言う自分も、昨日、Kindle版を購入した。表紙はどうなっているかと見ると画像だった。また本文中でも「……」のところが画像処理してあった。自著を電子書籍で買うというのは、なんかとても変な感じがした。夢か、これ、みたいな。
 
 

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