[書評]新しいウイルス入門(武村政春)
青少年向けに地球史・人類史・歴史をビジュアルにまとめた「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)を紹介するとき、私は「地球はどのように始まり、生命はどのように誕生し」と書いたが、書きながら、嘘をついているわけでもないが、同書には実は、生命誕生のプロセスについては実質記述がないことに気がついていた。地球史といってもよい同書なのに、しかも、おそらく重要なテーマであるはずの生命発生の謎について、ほとんど記述がないのはなぜか。定説が存在しないからである。
新しいウイルス入門 (ブルーバックス) |
その意味で「生命の起源」というのは、通常「自然発生説(Abiogenesis)」を意味する。別の言い方をすると厳密には、自然発生説は「生命の起源」についての一説にすぎないのだが。
のっけから余談になるが、日本のネットの世界ではなぜか創造神を実質想定するID(Intelligent Design)論は、ダーウィンニズムとしての進化論との対比で攻撃的な話題になるが、「自然発生説(Abiogenesis)」についてはさほど話題にならないように思える。「神が世界・生命を創造したなんてありえないじゃないか。生命は物質から誕生したのだ」というのはあまり見かけないという意味である。
しかし「生命は物質から誕生したのだ」と科学的に言えるかというと、「それって科学的な命題なのか、であればどういう条件で科学的と言えるのか」というと、意外と難しい。
この話題が回避されがちなのは、日本人の伝統精神では物質と生命の境界が曖昧で草木国土悉皆仏性的な考えになじむからかもしれない。物質から生命が誕生するのは自明だと日本人には見られているのだろう。だが、きちんと科学的に考えると、定説が存在しないように、この問題はよくわかっていない。
ウィキペディアあたりがこの問題をどう扱っているかざっと見たが、各種の意見が統一的な視点なく、ごちゃごちゃとまとまっているという印象を受けた。が、「新しい化学進化説」(参照)としての指摘は面白かった。
DNAを遺伝情報保存、RNAを仲介として、タンパク質を発現とする流れであるセントラルドグマは一部のウイルスの場合を除いて、全ての生物で用いられている。1950年代から、これら3つの物質のいずれが雛形となったのかが、論じられてきた。そうした説の名称がDNAワールド仮説、RNAワールド仮説、プロテインワールド仮説である。
DNAワールド仮説
セントラルドグマが生命誕生以来、原則的なものであれば、まずはじめに設計図が存在していたと考えるべきであるが、DNAワールド支持者はRNAやプロテインワールドに比べて分が悪い。なぜならDNAは触媒能力を有しないとされていたからである。
へえと思って読んだのは、たしかにセントラルドグマというのは、「はじめに設計図が存在していた」というので、ID論臭い印象は受けることだ。いや、ID論が正しいと想定するということでは全然ないが。
話は前後するが、現状の生命起源論では、こうした物質から生命へというスキームより「生物進化から生命の起源を探るというアプローチ」が主流になっている印象を受ける。
化学進化説に関する考察や実験は、無機物から生命への進化を論じたものであり、1980年代まではそのような流れが支配的であった。1977年、カール・ウーズらによって第3のドメインとして古細菌が提案されると、古細菌を含めた好熱菌や極限環境微生物の研究が進行した。これらの研究から、生命の起源に近いとされる生物群の傾向が明らかになってきた。これにより生物進化から生命の起源を探るというアプローチが可能となった。
生命誕生以降の生物進化から生命の起源を探る試みは、化学進化とは異なり非常に多くの生命のサンプルを要する。多くのサンプルを用いながら、真正細菌、古細菌、真核生物の系統樹を描くことから、そうした試みが始まったと言える。
余談が多くなったが、日本版のウィキペディアからは、ようするに生命起源論についてあまり全体像が描けない。
もともと定説がないからというのがあるが、生命起源との関わりで「ウイルス」がほとんど考慮されていないからだ。ただし、英語版のほうでは若干の指摘がある。
Virus self-assembly within host cells has implications for the study of the origin of life,[87] as it lends further credence to the hypothesis that life could have started as self-assembling organic molecules.[88][89]宿主細胞の中のウイルスの自己生成は生命の起源の研究への示唆を持ってきた。というのは、生命は自己生成の有機分子として発生したという仮説により信頼性を与えるからである。
ここでウイルスをどう進化論的に扱うかということが重要になる。
だが、実際のところ、これが近年の話題に浮上してきたのは、ミミウイルス(mimivirus)の研究である。
ミミウイルスは、1992に発見されたバクテリアサイズのウイルスである。当然、最初はバクテリアとだと思われていた。光学顕微鏡で観察できるのである。ところがウイルスだった。バクテリアを模倣している(mimic)ということでこの呼称がついたが("mimicking microbe")、擬態しているわけではない。実際のところ、発見者のディディエ・ラウールは、個人的な動機から"mimi"を付けたらしい。「ハドゥープ」みたいな感じですね。
その後も類似の巨大なウイルスは発見され、「巨大ウイルス」とも呼ばれるようになった。また以前に不詳だったものが巨大ウイルスと認定された例もあるようだ。
このミミウイルスだが、911個もの遺伝子を持つ。たんぱく質を合成するための必要最低限の遺伝子を持ち合わせているのである。
それってそもそもウイルスなのかという疑問もあるが、ウイルスである。つまり、定義上、生命ではないのである。ところが、従来の「ウイルス」よりはるかに「生物」に近い。
これをどう扱うか。つまり、「生命の起源」との関連でこれをどう見たらよいのかというのが、長い前振りだったが、本書「新しいウイルス入門」(参照)のテーマである。当然、非常に面白い。
ただ、本書の3分の2近くは、一般的なウイルスの解説となっていて、どちらかというと、エキサイティングな話題は全体の3分の1という印象は受ける。その意味で、タイトルの「新しいウイルス入門」というのは穏当ではあるが、もう少しミミウイルスに特化した解説が欲しいところだった。それでも、道標がミミウイルスなので、旧来の病原体的なウイルス観とはかなり異なり、その点では良書と言ってよいだろう。
ミミウイルスの研究は近年のもので、ゲノム解析などは進んでいるものの、そもそもこれってなんなのレベルでよくわかっていない。そのため、著者・武村政春氏の大胆な仮説を、かなり堅実に述べている。が、もっと想像力を駆使した読み物が読者としては欲しいと思った。
著者も指摘しているが、「ウイルス」という枠組みが、生命起源論に、生命か非生命かという前提を持ち込んでいるが、どうやら、そうした議論の枠組みそれ自体を改変すべきなのかもしれない。
本書が出たのは今年に入ってからだ。以前からなにかミミウイルス関連の一般書はないかと思っていたので、たまたま手にしたら当たりだった。とはいえ、なにかこのあたりの最新研究をまとめた書籍はないだろうかと、他にも探しているが、なにかありますかね。
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