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2013.02.08

[書評]昭和という時代を生きて(氏家齊一郎・語り、塩野米松・編)

 「痛快無比」という懐かしい言葉が、読みながら心に浮かぶ。昭和という歴史が眼前に躍動してくる。何度も思わず感嘆の声が漏れる。面白い。「昭和という時代を生きて」(参照)は、事実上、氏家齊一郎の自伝である。塩野米松がインタビューアーとなって書籍にまとめたものだ。

cover
昭和という時代を生きて
 氏家は偉人ではない。読売新聞グループ総帥・渡邉恒雄の親友という点からすれば、ヒール(悪玉)と見る人がいても不思議ではないくらいだ。いち新聞記者から、事実上の政商にのし上がったその経歴は、自民党政治とも一体化している。とてもではないが理想とはほど遠い。河野一郎や中曽根康弘との交流は胡散臭いし、児玉誉士夫や田中角栄との関わりは昭和の暗部を覗き込むようなスリルがある。
 ヒールの側面を感じさせながら、氏家は若き日に渡邉に誘われて共産党に入ったように、共産主義への理想も理解していた。カストロの友人であり、ホーチミンの友人でもあった。私は知らずにいたので驚いたのだが、日本共産党を支えた上田耕一郎とも思いをかわしていた。その性格の根幹に、嘘のない朗らかなものがあるのだ。
 渡邉が反共に逆走したのとは異なり、氏家の心のなかには若き日の共産党の理想は別の形で生き残っていた。それは彼のもう一人の親友、網野善彦の理想とも違っていた。本書は中盤から、生々しい昭和政治史の裏面と渡邉恒雄が語られるが、他面、全体にわたってなんども、網野善彦への思いが語られる。私などは氏家の視点から、網野の意外な一面を考えさせられた。
 氏家は理想家ではないし、悪玉でもない。それでも、人々を独特の興味を誘う。謙遜で語る部分もあるのだろうが、どう読んでも、明確な理念というのを持って生きて来た人でもない。運命に流されて来ただけのようにも見える。
 ただ、地頭がずばぬけて優れていたとしか言いようがないことと、この世代特有の実利的な理性は魅力的だ。それは山本七平などからも感じ取れる、大正デモクラシーの精神も含まれている。そういえば、氏家は私の父の生年月日と一週間と変わらない。その意味で、私自身にしても父の時代をきれいになぞる歴史がここに描かれていた。
 本書、第1章は「ジブリと私」と題されている。薄々というくらいは知っていたが、ジブリが今日存在するのは、氏家の功績なのだということがよくわかる。しかも、氏家の思いの根幹は、宮崎駿よりも高畑勲にあった。正確にいえば、宮崎の高畑への思いを氏家はよく理解していた。
 ジブリから氏家が語られているのは、本書の元がジブリの冊子『熱風』に2011年1月から2012年8月に連載されていたせいもある。本書も編集はジブリとなっているように、「このように氏家を語らせる」ということで、ジブリが表現する作品でもあった。
 いや、ジブリというより、プロデューサー・鈴木敏夫の作品と言ったほうがよい。鈴木の魂のなかで、氏家をこのように写し取ろうとした熱い思いがあった。鈴木と氏家の魂の交流ともいうべきもののなかで、氏家はゆったりとその人生の意味を明らかにしたのだった。その核心は何だったか?
 意外なことに、すべてが満たされたかのような氏家の人生のむなしさだった。鈴木の手による本書の解説で、氏家が「僕の人生、振り返ると何もやっていない」という意外な言葉を留めている。鈴木はこう回顧する。

 ぼくが驚いていたら、今度は「70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか」とひとりごちた。フォローしようと思ったが、うまい返答が見つからない。なんとか言葉を探して「マスメディアの中で大きな役割を果たしているじゃないですか。日テレだって経営を立て直したのは氏家さんでしょ」と言ったら、「馬鹿野郎!」と怒鳴られてしまった。

 氏家にしてみれば、その人生は、ただ運命を受け入れて、こなしてきただけにすぎなかった。「死ぬ前に何かやりたい……」ともこぼした。何がやりたかったか。

 そんな氏家さんが初めて自分から決めたやりたいことがあった。高畑さんの新作だ。
 「死ぬまでにもう1本、どうしても観たい」と相談された。そうして、準備を始めたのが、今、取り組んでいる「かぐや姫」だ。高畑さんがどういう作品にしようか悩んでいた時、氏家さんに要望を訊いた。そうしたら「詩情だな。彼の作品にはいつもそれがある」と言われ、高畑さんに伝えた。


 ジブリ作品では、この間、「制作」はスタジオジブリとし、「制作」はクレジットしてこなかった。しかし、この「かぐや姫」完成の暁には、制作=氏家齊一郎と表記したいと考えている。

 しかし、氏家齊一郎は「かぐや姫」を観ることなく死んだ。2011年3月28日。84歳だった。70歳以降は難病を抱え苦しむ人生でもあったが、死がその延長にあったわけではなかった。
 本書の語りは、氏家の死によって途絶えた形になっている。その意味では、未完の作品のようにも見える。だが、こうした書籍が残せたというだけで、ほとんど奇跡のように思えてならない。
 
 

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