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2013.02.13

放射性炭素年代測定が適用できない現代は未来の歴史から消える

 考古学のニュースなどで遺物が何千年前のものといった年代推定が出されることがある。この推定によく使われているのが、放射性炭素年代測定である。遺物に含まれている放射性炭素の比率を計測することで、その年代が推定できる。ところが、『10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?』(参照)という本を読んだら、これが今後は怪しくなりそうなことが書いてあった。
 現代という時代の物が将来遺物として発見されたとき、放射性炭素年代測定で測定できなくなるかもしれないというのだ。
 ほんとかなあという印象も持つし、該当の説明である「5章未来の化石」を読むとちょっと誇張しているきらいもあるようにも思うが、この本の著者はそのスジの専門家でもあり、あながちめちゃくな話というのでもないだろう。
 その結果、私たちの未来はどうなるかというと、これが面白い。


 私たちが生きている間に生み出された文明の遺産を追跡する未来の科学者にとっては、放射性炭素年代測定によって年代を確定することが容易にはできなくなる。


 現在私たちが使っている時間の枠は、地質学的資料を字義通りに読んでいる限りは、存在しないことになる。放射能分析的な意味では、未来の歴史家の目から見た現在の私たちが生きている世界は、歴史の本からまるまる破り取られた、失われた一章となるだろう。

 どうやら少なくとも20世紀から21世紀あたりの人類が残した遺物は、放射性炭素年代測定からはずれて、いつの時代のものだか不明になるというのだ。
 それもいいじゃないかと私などは思うのだが、著者のエピソードがなかなかぐっとくる。どうやら著者カート・ステージャは私より一つ年上らしいので、なかなか同時代人の体験としてぐっとくるものがあるのだ。

私はいまだに古風なフロッピーディスクを何枚か保存している。それらはかつて1980年代に私のTRS-80型コンピューターにデータを入れるためのものだったが、もはや二度とそのデータを読むことはかなわないだろう。だがそのFDにはやっとの思い出手に入れた情報が詰まっているので、どうしても捨てることができないのだ。

 いや、これはシャレにならない。私も同じことに悩んでいる。
 私はTRS-80を使ってなかったけど、あれのモデル2から8インチ単密度FDDが利用できて、画期的なものだったのは知っている。というか、CP/Mが使えた。その後、5インチのモデルになったが、憧れの機種だった。ちなみに、Apple IIは最初から5インチFDDで沖電気のif800 model30も8インチでよく使ったものだった。
 話がそれたが、私も1980年代のデータは5インチFDDや3.5インチFDDに保存していて、もう読み出せない。小説とか書いてたんだけど、もう読み出せないのですね。まあ、読み出す必要もないよとは思うのだけど。そういえば、そろそろ10年前くらいに焼いたCD-Rも読めなくなっている感じだ。
 このブログのデータはというと、いわゆる媒体に保存しているわけではなく、ニフティのサーバーに保存しているわけで、かれこれ10年近くにもなってくるのだけど、有料契約なので、私が死んだら、一気に消えます。まあ、消えてもいいやとは思っているけど。
 本書に戻ると。

 今日の歴史記録の大半は、単に非常に多くの文書が電子化されているという理由だけで、結局は失われてしまうだろう。

 しかたないだろうな。
 逆に私は10代のころノートに詩や日記を書いていたので、あっちのほうが残る。実際、最近の例でいうと、電子書籍は私が死んだら消えてしまう。元データはどこかにしばらく残るのだろうけど。
 話を戻すと、なぜ放射性炭素年代測定がダメになってしまうのか。
 その前に、放射性炭素年代測定の原理については、最近では義務教育で教えているだろうか。
 放射性同位体とかいうとそれだけで誤解されそうな変なご時世になったけど、たとえば、ウランは天然に存在する放射性物質で徐々に原子核が崩壊し最終的には鉛になる。この「徐々に」「最終的」という時間の推移は決まっているので、それを使うと時間経過の測定に使える。ウランの場合は100万年とかいう単位なので、考古学の遺物の年代測定とかでは重視されないはず。
 これに対して放射性同位体の炭素14は、ベータ崩壊して、その半数が5,730年で窒素になる。そこで、遺物や化石は炭素14の含有量を測定すればいいということになり、「縄文土器は1万年以上も前」とかわかるという話になる。
 なぜ炭素14でわかるかという理屈は以上の通りなのだが、これには前提条件があって、「遺物なり化石とかが最初に出来たときの状態がわかっている」ということだ。もとの状態がわからないと半減していくというのは意味をなさない。
 そこでどのようにもとの状態が設定されているかというと、要するに「炭素14の自然的な初期の割合は、大気中の炭素14の濃度が一定である」という仮定に依存している。
 この仮定は正しいのかというと、概ね正しい。違う部分もわかってきたので、それをもとに補正もできるようになった。放射性炭素年代測定を使わないでも実年代がわかるものを比較研究していけばよいわけだ。
 ところが、『10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?』で指摘されているのは、その大本の仮定がどうも怪しくなったというのだ。
 大本の仮定というのは「炭素14の自然的な初期の割合は、大気中の炭素14の濃度が一定である」だが、この大気中の炭素14が、人間の人為的な二酸化炭素排出によって狂ってしまっているということだ。どう狂うかというと、炭素14が薄まるという方向で狂うらしい。
 人類が二酸化炭素を大量に放出するに従い、それ以前の遺物に比べて最初から含まれている炭素14の含有量が減っている。そこで実際より古い物だと測定されてしまうことになる。人為的な二酸化炭素の問題はこんなところにもあるというのが同書の話でもある。ただ、そこまで深刻かなという疑問もないわけではない。
cover
10万年の未来地球史
気候、地形、生命はどうなるか?
 話はそこで終わらない。1950年代以降、大国が核実験を繰り返したため、大気中の炭素14が増えてしまった。もともと、炭素14は宇宙線によって生成されるもだが、大気中の放射性物質の汚染によっても増えたわけである。このため、1950年頃以降の遺物には放射性炭素年代測定が適用しづらくなった。
 この話は一応知ってはいたのだが、同書によるとそこを逆手に使って、大国が核実験を開始した以前か以後かの区別には利用できるらしいという話もあって、面白かった。
 まとめると、人類が化石燃料を使うことで大気中に放射性炭素を含まない、きれいな二酸化炭素を多く放出したことと、核実験によって大気中の放射性炭素が増えたことで、バランスが取れて、いやいや、なにがなんだかわからないことになったというのだ。
 そこまで考えたことなかったので、なるほどねという思いがしたし、地球物理学とか考古学的に考えると、現代世界の電子媒体の文明なんて、あっという間に消えてしまうんだろうなというのが実に感慨深かった。
 実際に、本書の主張がそれほど深刻な問題なのかというと、ちょっと疑問であるが。
 
 

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