[書評]ハイパーインフレの悪夢(アダム・ファーガソン)
アダム・ファーガソン著「ハイパーインフレの悪夢」(参照)は、1923年、ドイツで起きたハイパーインフレーション(過度なインフレーション)を扱った歴史書である。
![]() ハイパーインフレの悪夢 |
ドイツといっても時代は第一次世界大戦後、1919年に発足したヴァイマル共和政の時代である(同政体は1933年に崩壊)。本書は、この異常なハイパーインフレの史実について、ヒトラーを生み出してしまったヴァイマル共和政の歴史としても描かれている。
上述、この時代のハイパーインフレの基点を1913年としたが、これは本書・著者ファーガソンの視点を引いたもので、すでにこの10年間という期間の取り方に本書の特徴がある。
実際のところは、異常なハイパーインフレの様相を示したのは1923年に限定されている。具体的なその変化の数値は、私の読み落としかもしれないが本書からはわかりづらいので、あまり確かなソースとは言えないがウィキペディアを引くと、対ドル為替レートで、同年7月に1ドル=16万マルク、8月に462万455マルク、9月に9,886万マルク、10月に252億6,028万マルク、11月には4兆2,000億マルク、とある。つまり、ハイパーインフレだけを史的事象として見るなら、1923年の夏が焦点となる。本書でも、この「1923年の夏」ついては当然一章が当てられている。
恐るべきハイパーインフレではあるが、短期間の出来事であり、よって歴史の珍事とも言える。著者ファーガソンもそれは意識している。
1923年のインフレはあまりに度外れた規模であるとともに、あまりにあっけなく終息したので、歴史上の珍事として片付けられやすい。確かに珍事ではあった。
その意味で、珍事のなかから、ある一般的な教訓、たとえば、中央銀行の一般的な原則といったものを引き出すことは、実は難しい。
しかし本書は、歴史書としてそこから一般的な教訓を読みだそうとする。引用はこう続く。
しかしこのインフレはもっと普遍的な経済や社会や政治状況の連鎖から生まれた事例として、捉えられるべきだ。二度とは起こりえない原因がそこに多いことは重要ではない。政治情勢が特殊だったとか、通常、金融の混乱があれほどまで進むことは考えられないとかいうことは肝心な点ではない。
著者の意図はわかるが、暗黙の前提となるのは、このハイパーインフレは「二度とは起こりえない原因」によるもので、「政治情勢が特殊」であり、将来こうした事態が繰り返されることはないということだ。
では、一般的な教訓はどこにあるのか。問題はその原因ではない、と著者は言う。
ここで考えなくてはならない――そして危険として認識しなくてはならない――のは、原因が何かより、インフレが国にどういう影響を及ぼすかという点だ。政府や、国民や、官僚や、社会はどういう被害を受けるのか。おそらく物質主義的な社会ほど、大きな打撃を受けるだろう。
本書の重要性はここにある。
そこから本書は、1923年の珍事であるハイパーインフレの前段階に着目していく。別の言い方をしよう。ハイパーインフレは悪夢であるが、その恐怖が問題なのではない。「物質主義的な社会」がインフレ下でどのようになっていたかという歴史から、何を人類が教訓とするかである。
このことは、1957年生まれの私の世代を最後に日本でも強いインフレ時代に育った人間にとっては共感しやすい問題意識でもある。
ハイパーインフレの原因は重要ではないとしても、原因を考察から外すわけにはいかない。その点はどうか。
一般的には、この珍事たるハイパーインフレの原因は二点から見られている。一つは、第一次世界大戦の過大な賠償金である。言うまでもなく、インフレは借金を返済するスマートな政策だとも言える。二つめは、一つめの理由に関連しているが、1923年、フランスとベルギーが、ドイツの資源地域であり工業地域であるルール地方を、現物による賠償金支払いとして軍事占領したことである。これがドイツ経済と社会を破綻させることになった。
この通説を本書はどう見ているだろうか。
意外にも、この説に肯定的ではない。もちろん、この二点を除外するわけにもいかない。ではどうなのか。そこがイギリス人の史書らしいのだが、簡単にまとめることが難しい。
私の理解では、一点目については第一次世界大戦の賠償金は原因の一つであって10年にわたるインフレはドイツ国内の事情があったということ、二点目についてはルール地方の占領は問題だが政治体制の事実上の崩壊が問題であるということだ。これがやがてヒトラーの登場を用意することになる。ただし、この私の理解については、関心のある読者によって受け取り方は異なるだろう。
1923年ヴァイマル共和政のハイパーインフレについては、その終息の金融政策としてレンテンマルクと実質的にこれを采配したヒャルマル・シャハトがよく知られている。本書も当然、この話題を扱っているのだが、私の印象では意外と弱かった。私が本書に一番期待したのは、ハイパーインフレというより、シャハトという人物であった。シャハトという天才が事実上、ヒトラー体制を維持させるという歴史の逆説を招いたからである。
以上のように、本書の価値は、ヴァイマル共和政のハイパーインフレを歴史の珍事として見るのではなく、その前史の10年に焦点を当てたうえで、人がなぜインフレに魅了されていくのかという歴史的な考察をするところに意味がある。
では、本書はそのように読まれただろうか。
![]() When Money Dies |
だが概ね、本書の価値が覆されているということはなさそうだ。というのも、本書は2010年にペーパーバックとして復刻され、多くの人に読まれたからだ。
現在はキンドルでも読める。オリジナルタイトルは"When Money Dies: The Nightmare of Deficit Spending, Devaluation, and Hyperinflation in Weimar Germany(マネーが死ぬとき。ヴァイマル時代のドイツの財政赤字、切下げ、およびハイパーインフレの悪夢)"(参照)である。
ではなぜ2010年に本書が復活したのか。
リーマン・ショック後の世界への不安が背景にあっただろう。一部には、ウォーレン・バフェットが本書を推奨したという噂もあるが噂に過ぎない。時期的に見れば、米国連邦準備制度理事会(FRB)が実施した量的緩和政策(QE: Quantitative easing)を推進した時期に関わるので、QEによってヴァイマル時代の再現が起こる危険性として読まれたと見てもよいだろう。
日本で翻訳されたのは2011年5月25日である。
東北大震災後の復興が問われ、またそのための財政出動が問われていた時代である。この日本での文脈は、本書邦訳巻頭にある池上の解説からも理解できる。ただ、本書の意義は、池上彰の解説の視点に納まるものではないとは思う。
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