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2013.02.10

[書評]カウントダウン・メルトダウン(船橋洋一)

 上下巻に分かれた大部「カウントダウン・メルトダウン」(上参照下参照)は、元朝日新聞社主筆の船橋洋一による福島第一原発事故のドキュメンタリーなので、てっきり朝日新聞社の刊行と思ったら、文藝春秋によるものだった。その点は意外感があった。

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カウントダウン・
メルトダウン(上)
 なぜ船橋洋一が福島第一原発事故を扱うのかという点には違和感はない。彼は2010年に朝日新聞社を退職した後、一般財団法人日本再建イニシアティブを設立して理事長となっていて、その下に彼自身が設立した福島原発事故独立検証委員会、通称「民間事故調」でそのプログラムディレクターとなっていたからだ。その意味で、これは「民間事故調」をプレーンな船橋洋一の文体で書き直したものだろうという予想は付いた。
 実際、読んでみると、悪い意味ではなく、予想通りの作品である。さすが船橋さん、読みやすく、わかりやすく、そして、かなり公平に書かれている。なんで朝日新聞じゃないのだろうとここでまた思うが、それはそれとして、私が読んだ印象では、福島第一原発事故について、ここまで包括的に書かれた一般向け書籍はなかったのではないかということだ。福島第一原発事故を顧みる上で、必読書と言ってもよいだろう。
cover
カウントダウン・
メルトダウン(下)
 上巻の帯には、「『民間事故調』でも語られなかった真実の物語!」とあるが、この問題に関心をもってきた私としては、それほど驚くべき真実はなかった。私にはあまり意外性はなかったが、読む人によっては異なる印象を持つだろうか。
 別の言い方をすれば、意外に思えるような新説がないということは、新事実がないという意味で、安心して読めるということでもあった。著者・船橋としては、米側の取材部分を新味としたかったのかもしれない。下巻の帯には、「米海軍は政権内で横須賀基地からの撤退を主張!」とあるが、これは米海軍のやりそうなことだし、事件の経緯からも察せられたものだった。
 しかし米海軍の主張や立ち位置よりも、駐日米大使館、原子力規制委員会(NRC)を軸とした米国内での対立意見は、こうして整理されるとよくわかる。これだけまとまった形で読むのは初めてだったので、その状況が明確に理解できた。と同時に、それに対する日本側のひどさにもげんなりしてくる。民主党政権だったからということでもないだろうが、日本側の事故対応は、ほとんど国家の体をなしていない。なかでも、3月14日(米国時間)に米側で議論された、原発テロを扱う、NRCによるB5条b項の話は、圧巻である。率直に言って、下巻のこの部分だけで簡素に別書籍として切り出し、多くの人に読まれたらよいだろうと願わずにいられない。
 多少乱暴なまとめになるが、大著とはいえ、上巻は今回の事故の核心の数日間を基本とし、いわば『民間事故調』を船橋トーンでまとめたドキュメンタリーの域を出ない。質は悪くないのだが、それほど読み応えのある話ではない。対して、下巻の前半、米側の動向をまとめた部分は、真実といったものはさほどないせによ、今後の日本を考える上でも大変に示唆深い内容となっている。
 ただし下巻の後半は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を巡るごたごたと後日譚的な話がまとまっているのだが、懐かしの船橋トーンが満喫できるという感想は持つが、事故の本質からすると、やや情緒に流れたきらいがある。繰り返すと、本書は、私の考えでは、下巻だけ読まれてもよいし、むしろ下巻の前半だけ読まれてもよいと思う。
 それにしても、あの複雑怪奇な事件がこうも読みやすくまとめられるというのは、たいした手腕だと思うが、考えてみれば、そもそも福島第一原発事故は、日本の市民が歴史として受容していく、ある意味、神話的な物語でもあり、物語として受け入れられる形で提示される必要性があった。そのあたりは、船橋さんも長年のジャーナリストの勘で察せられていたのだろう。全体として見て、菅元首相、斑目元原子力安全委員会委員長、吉田昌男福一原発前所長、また愉快な民主党の仲間たちというと揶揄めいていけないが、この事故を物語として見たときの登場人物描写は、控えめでありながら、躍動感がある。
 さて、もっとも本質的な問いかけである、福島第一原発事故とは何だったか、という点で本書を読むとどうか。
 率直のところ、雲を掴む印象が残る。これが船橋さんのスタイルだという面もあるのだろうが、もう少し大胆な切り込みがあってもよかったのかもしれない。
 具体的にどういうことかというと、最終部で描かれている「神の御加護」が切り口になる。

 福島第一原発事故について、危機の間、菅を支えた首相秘書官の一人は後に述懐した。
「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」
 菅自身は、「4号機の原子炉が水で満たされており、衝撃などの何かの理由でその水が核燃料プールに流れ込んだ」ことを例にとり、「もしプールの水が沸騰してなくなっていれば、最悪のシナリオは避けられなかった」とした上で、「まさに神の御加護があったのだ」と述べている。

 こうした述懐を聞くと、ひどく率直に言うなら、なんだよそれ、ふざけんなよという思いが自然に浮かぶ。日本を守る神などは存在しない。そもそも、そういう奇っ怪な発想はそもそもどこから出てくるのだ、と怒る気持ちが自分にはある。
 反面、そう理解した関係者の気持ちもわからないではない。よくこの事故がこれで済んだな、と。
 そして、この事故の本質というとき、私の念頭にあるのは、まさにその4号機プールである。船橋は「例にとり」というのだが、この事故の核心は、まさにそこにある。
 多少情感を込めて言うなら、著者・船橋はこれだけの大作を著しながら、この事件の本質を本当に理解していたのだろうかという疑問も残る。あるいは、そこは明確に意識されていたのだろうか。
 この事故の本質が何かということを念頭に冷静に本書の記述を再読されれば、事故の本質が原発そのものではなく、使用済み核燃料格納プールにあったことは明らかだろう。
 私はこの「物語」を転倒して解釈したいのでもなければ、原発の危険性を軽視したいのではない(そもそも軽水炉は大事故を起こせないのだが)。冷ややかにこの物語を再読するなら、そのテーマは、使用済み核燃料格納プールであることは、自然に見えてくるはずだと思う。
 本書を読みながら、私にはさほど目新しい知見はないと言ったが、一つ、「ああ、そうだったのか」と考えを深めた点はある。れいの二階から目薬作戦である。3号機、4号機の上空から水を撒くというあの悲壮なナンセンスである。本書でも、それが国民に向けてのショーアップであったことを示しているが、同時に、あれは、4号機プールの確認作業でもあったのだった。あの作業を通して、4号機プールになぜか水が入っていることが確認され、NRCがようやく方針を変えることになった。
 なぜ4号機プールに水があったのか。先の「神の御加護」である。偶然に流れ込んだというのだ。そんなことがあるだろうか。「神の御加護」など日本にはないと考える私はこの真相を疑っている。
 本書で知ったわずかな新知見として、3月13日の時点で東電が1号機上空から氷3.5トンを投下する計画が描かれている。密かに計画していたのだという。それ自体は、混乱のなか各種の模索があったという逸話に過ぎないが、私がこの逸話から嗅ぎ取るのは、端的に言って、まだ各種の活動が隠されているのではないかという疑念である。
 陰謀論を採りたいというのではない。陰謀論など唱える気もしない。しかし、では、「神の御加護」という偶然を信じるのかというと、そうできるなら、なんと暢気なことだろうと思えてならない。
 
 

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