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2013.02.27

「風の音にとぎれて消える母の子守の歌」は怖い

 昨日の続きのような話。1960年代に、沖縄の本土復帰前に本土で作られた「さとうきび畑」という歌だが、歌詞のなかにこういうフレーズがある。


ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ
風の音にとぎれて消える母の子守の歌
夏のひざしの中で

 本土の人間である私などには郷愁を感じさせるメロディーに「母の子守歌」とくると、赤ん坊を抱いた若い慈母を連想してしまう。おそらく作詞者もそれを意図したのだろうと思うが、ふと、それは何の子守歌だろうと連想して、妙なものを思い出し、変な気持ちになったことがある。沖縄で暮らしていたころのことだ。
 この話は、今回書いた『考える生き方』(参照)の原稿にも書かなかった。生活人としての自分との関わりのなかで見える沖縄の像とは離れてしまうからだ。
 「妙なもの」というのは何か?
 その前に、「母の子守歌」という表現にも少し違和感があった。率直にいうと、「それって日本語の表現として、あっているのかな」という思いだった。
 日本語の表現として間違っているというつもりはない。言葉というのは変わっていくものだし、現代日本語的には、「子守歌」は英語の「lullaby」の訳語的になっていてもいいだろう。
 が、字義的に見るなら「子守歌」は「子守り」の歌である。つまり、親が歌うのではなく、子守り娘が歌うものである。このあたりの話は増田小夜の『芸者』(参照)を読むとよくわかるが、前近代において生産活動の労働力にならない女児などの労働が子守りであった。つまり、子守りというのはかなりつらい労働であり、だから、日本の子守歌なども見ると、そういうつらさの基調がある。五木の子守歌なども。

ねんねいっぺんゆうて
眠らぬ奴は
頭たたいて尻ねずむ
頭たたいて尻ねずむ

 寝ない子どもに体罰を加えるぞと心理的に脅しているわけである。また。

おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと
盆が早よくりゃ早よもどる

 これは、事実上人身売買の労働者である娘が年に二回の休暇の一つ、盆を待ち望むということで、「子守りなんかやだなあ」という思いが滲んでいる。
 赤い鳥がよく歌った竹田の子守歌も、そんな感じで、むしろ子守りを逃げて親元に戻りたいという思いで歌われている。ちなみに、近代語でないのはもっと当時の生活感が滲む。

守りも嫌がる、盆から先にゃ
雪もちらつくし、子も泣くし
盆がきたとて何嬉しかろ
帷子はなし、帯はなし
この子よう泣く、守りをばいじる
守りも一日、やせるやら
はよもいきたや、この在所越えて
むこうに見えるは親のうち

 これがどのように、本土歌「さとうきび畑」にある「風の音にとぎれて消える母の子守の歌」というような思慕の情感に転じていくかが歴史の面白いところだ。基本的には、この手の問題の大半がそうであるように、地域差や年代差による分類と分布が存在する。本土歌「さとうきび畑」の「母の子守歌」の情感は、江戸子守歌の類型に近いようにも思える。

ねんねんころりよ、おころりよ。
ぼうやはよい子だ、ねんねしな。

 しかし江戸子守歌も、やはり子守りの歌である。

ぼうやのお守りは、どこへ行った。
あの山こえて里へ行った。

 たまたま子守りは里に帰っているということで、竹田の子守歌などとも整合する。
 前振りが多くなったが、で、沖縄の子守歌はどうかというと、優しいほうでは「いったーあんまーまーかいが」というのがある。

いったーあんまー
まーかいが
べーべーぬ草刈いが
べーべーぬまさ草や
畑ぬわかみんな
姉小そーて、いこっこい

 意味は、「あなたのお母さん、どこ行くの? 山羊の餌の草を取りに」ということで、表面的には他の民謡同様、それほど近代詩的な意味はない。
 気になるのは、「母の子守歌」というのとは少し違うし、「姉小そーて(お姉さんも一緒に)」の意味合いがよくわからない。いやなんとなくわかるんだが、というか、そもそも母がいないという状況も。それはさておき。
 で、先の「妙なものを思い出して、変な気持ちになった」は、別の、沖縄の子守歌を思い出したからだだった。「耳切坊主(みみちりぼうじ)」である。手元のマルフクレコードの「沖縄の童歌」の歌詞を元に表記を少し変えて引用すると。

大村御殿ぬ角なかい
耳切坊主ぬ立っちょんどー
幾体幾体、立っちょがや
みっちゃい(三体)、ゆったい(四体)、 立ちょんどー
いらな(鎌)んしーぐん(小刀)ん、持っちょんどー
泣ちゅる童、耳ぐすぐす
へいよー、へいよー、泣かんどー

 意味はだいたいこう。

大村御殿の角に
耳切り坊主が立っているよ
三人も四人も立ってるよ
鎌も小刀も持ってるよ
泣いている子どもの耳はジョキジョキと切られるよ
へいよーへいよー泣くなよ

 これ、意味は、そうとうに怖い。
 泣いている子どもの耳を切りにくる、耳切坊主という妖怪のようなものがぞろぞろいると歌っている。泣いていると、耳切坊主がやってきて、耳を切られるから、泣くのをやめろ、というのである。
 このすごい歌、私が沖縄に居た頃はけっこう普通に歌われていた。たぶん、本土歌「さとうきび畑」ができたころは沖縄では、普通の子守歌として歌われていたはずだ。
 それにしてもなんで、こんな怖い歌が子守歌なのか。
 こうした学校の怖い話系がどこから生じたかだが、いろいろ後付けで伝説はある。だが、おそらくそうした伝説は歌の後から出来た可能性もあり、歴史的な考察対象になるかわからない。というのも、この歌の発生が自体がよくわからないからだ。なお、この手の脅しの歌は本土にもあるが、本土の人はあまり想起できない。
 沖縄の子守歌「耳切坊主」でわかることのひとつは、沖縄で、耳をぐすぐすと切る、つまり、じょきじょきと切る風習があったとみられることだ。耳切りは沖縄と限らず、中華圏にも日本にもあった。
 中華圏では五刑で、大辟(死罪)、劓(鼻切り)、刵(耳切り)、椓(宮刑)、黥(墨刑)があった。基本、墨刑のように、社会的に排除された人間であることの証明である。
 沖縄でもこの歌が歌われ始めたころには、そのような刑罰を受けて耳を切られた人間がいて、そこからこの歌が出来たと見てもよいだろう。ちなみに、耳切坊主の元の歌では、きちんと、鼻切りも出てくる。
 ただその切り取りの主体が、仏教の坊主に帰されているところが興味深い。本土の「耳なし芳一」伝承などを連想させられる。
 日本では戦国時代、耳切りを首刈りの簡易版としてよくやっていた。文禄・慶長の役の耳塚は有名である。
 話は戻るが、「風の音にとぎれて消える母の子守の歌」が「耳切坊主」だったとういうのは、ありえないことでもないなと、思ったものだった。
 いくつもバリエーションがある。鼻切りが含まれているのは珍しくなった。



 
 

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2013.02.26

「さとうきび畑」の歌は、本土側の「沖縄幻想」だったか?

 この話は、『考える生き方』(参照)に書かなかった沖縄の話の一部です。というか、途中で削除しました。理由は、単に書籍に取り込む話題のバランスのためでした。つまり、ページ数との関係で沖縄の話の比重が重すぎるのもどうかなということでした。



「さとうきび畑」の歌の風景

 本土復帰の前、本土側で沖縄を思ってよく歌われた歌に「さとうきび畑」がある。
 「ざわわ、ざわわ」というフレーズが繰り替えされ、広大なさとうきび畑に風が抜けていくようすが印象的だ。歌には、海の向こうから戦争がやってきて、鉄の雨に打たれうたれて父は死んでいったというストーリーが盛り込まれている。本土では当然ながら、これは沖縄戦を示していると普通に理解される。
 そして沖縄でもそう理解され、この歌が歌われていると思っている。
 たしかに、現代の沖縄ではそのように理解されている。
 歌われていないとは言えない。

cover
考える生き方
 だが、私が暮らし始めた1995年頃、沖縄の人にこの歌のことを訊くと、「なんね?」という違和感のあるリアクションもあった。どうやらピンときていないようだった。不思議な感触だったので、少し追ってみた。
 そこでまず「この戦ってなんだと思いますか?」ときいてみた。
 「フィリピンでしょうか」という答えもあった。
 それにはこちらが驚いたが、その他の答えでも印象としては、この歌の「さとうきび畑」を沖縄の情景だと思っていないようだった。
 この食い違った感じはなんなのだろうか。ずいぶん考えさせられた。
 たぶん、沖縄で語られる沖縄戦のイメージとかなりずれているからだろう。
 沖縄で語られる沖縄戦というのは、平和な海の向こうから、突然戦争がやってきて、肉親が殺されたというものではない。
 現地の沖縄では、沖縄戦は、一家で必死に逃げ回り、ガマと呼ばれる洞窟で敵兵や日本兵からじっと身を隠していたり、突然都市部に空襲が襲ったというイメージのほうが強い。
 さらに変なことに気がついた。
 さとうきび畑は、戦前の沖縄に、それほどはなかったようなのだ。
 もちろん、戦前の沖縄にも、さとうきび畑はあった。砂糖を作ることは、薩摩藩支配のころから、沖縄の重要な産業だった。
 だが、見渡すばかりのさとうきび畑になった沖縄の風景は、米軍統治下で作り出されたものだったようだ。
 沖縄戦が終わり米軍統治が始まった時期から数年は、食料の確保が急務であったため甘藷(さつまいも)栽培が奨励され、サトウキビ栽培は認可されず、戦前に比べても減少していた。
 1950年代半ばになって、米政府の指導のもとに、沖縄の主要農産物としてサトウキビ栽培が推進された。そして、1960年代に入り、沖縄で爆発的とも言えるさとうきび畑の広がりを見せた。
 1962年のキューバ危機などの影等から国際市場で砂糖が高騰したことも、沖縄のサトウキビ産業に拍車をかけた。
 そのころのことだ。「さとうきび畑」という歌が生まれたのは。
 沖縄復帰前、本土で流行した「さとうきび畑」という歌は、1964年、作曲家の寺島尚彦が、歌手・石井好子の伴奏者として沖縄を訪問したとき、糸満の摩文仁の丘を観光した印象をもとに作詞・作曲した曲だ。
 1964年という年代から考えると、そのさとうきび畑の風景は、米軍統治下で、しかも寺島が訪問する10年ほどの時代に出現した風景だったのではないか。
 気になって関連の統計資料を見ると、60年代に拡大の頂点を迎えるさとうきび畑と逆に、稲の耕作地が激減している。稲作地がこの時代に、さとうきび畑に変わっていたのだ。
 摩文仁の丘から見た戦争当時の風景は、稲作地ではなかったか。
 現地に住んでいたので、古老と、摩文仁からそう遠くない玉城に広がるさとうきび畑を見る機会もあった。広がるさとうきび畑で「きれいなものですね」と私がつぶやくと、彼は「昔は稲作してました」と言われた。
 ああ、やはり。
 すべてがそうだとは言わないが、現在の沖縄の、美しいさとうきび畑の光景は、戦前の田んぼから1960年代に変わった姿ではないだろうか。
 もしかすると「さとうきび畑」の歌は、内地がもっていた沖縄幻想ではなかったろうか。
 それが現代では沖縄の歌手も歌い、沖縄の歌のようになっているのかもしれない。
 沖縄は本土側の沖縄幻想をどんどんと吸い込んでいくところがある。本土受けのするイメージにもいいし観光にもいい。
 そういえば、沖縄の酒と言えば泡盛が話題だが、米軍統治下でよく飲まれていた酒はウイスキーだった。
 

 

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2013.02.24

『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部

 今回出版した自著『考える生き方』(参照)は、当初、現在の書籍のコンセプトと少し違って、ブロガーなのでブログ論のような部分から始まっていた。まあ、finalventというのはブロガーだしね、ということでもある。

cover
考える生き方
 基本テーマは、「ブログを通して自分が市民である意味を考える」ということだった。
 この市民というのは、具体的には、私の理解では、普通の人ということである。普通の人がどう市民として生きるのか。
 当初はこれを原理論的な枠組みで考えていた。が、途中、「で、それって自分が語りかけたい人に通じるの?」という疑問がわいてきた。ブログと本は違うだろう。
 こんな堅苦しいブログみたいなことを本で書いても、意味ない。
 本なら、もっと広い層にまで通じるように書きたい。
 それと実際のところ、ブロガーとしての自分を普通の人、市民の一例の人生として見たとき、もっと、見やすい構図のほうがいいのではないかと思うようになった。たとえば、「自分語り」というような。そのほうが実感を込めて書けるし。
 で、そのシフトをした。初期原稿を大幅に改稿した。
 が、そうなるとそれはそれで、「うぁ、自分の人生なんなんだ」ということになった。訥々と自分語りをしても、歳寄りが自費出版でだれも読まない自伝とか警世の書を出したりするのと変わらない。
 でも、そう読まれてもよいとも思った。
 自分の、「市民としての人生」という特殊事例のなかに、どれだけ市民原理が啓示されているだろうか、できるだけその視点を維持できればいいだろう。

 まあ、そんな次第で、以下は、そうしたシフトをする前の初期原稿の一部です。
 ひっぱり出して読み返すと、これは、普通にブログ向きのありがちな話ですね。




『考える生き方』に書かなかったブログ論の一部

ブログを書き続けることの罠
 人によってブログを書く立脚点は違うものだ。社会のなかで置かれている場所も違うからだ。しかし、共通点もある。それは自分が何かを「正しい」と思う感覚だろう。
 私が見てきた範囲では、誰でもブログを書いて表現するとき、「なにが正しいのか?」が問われている。そこが、誰にも見せない日記とは違うし、お金をもらって仕事として書くというのも違うところだ。
 そして長くブログを書いていると、誰もが「なにが正しいか」という感覚が強くなってくる。そもそも、そういう中心的な感覚がないと、ブログは続かないからもしれない。
 自分の感性や経験や、またとりとめのない思いをブログに書きながら、その過程で、じっと自分の「正義」みたいなものの感覚を持つようになってくる。
 人は自分が正しいと思うことしか語れないし、語り続けるためには、正しいことを必要としてしまうのだろう。
 正義なら、他者が読むだろうという、孤独からの逃避もあるだろう。

正義を語ってしまいたくなる
 私がブログを10年も書いていて気がついたこと、そして自分なりに突きつめてことは、そうした自分の「正義」に、どのような根拠があるのだろうか、という謎だった。
 なぜ正義が気になるか。ブログの世界では、正義を語ることが当たり前の人がたくさんいる。
 誰もが自分勝手な正義を持っているから、ぶつかり合うし、言葉の喧嘩のようにもなる。
 しかし私は、正義を語ることは、一種の罠だと疑うようになったし、それ自体間違いかもしれないとも思うようになってきた。
 正義を語っていると、人はよいことをしている気分になる。しかし、「語られた正義」というものは、実は、他の人でも語れることだ。
 正義を語ろうとすればするほど、他の人でも語れる話になる。
 例えば、女性の天皇を認めるか、認めないか。認める人も認めない人も、どっちも、誰かそれなりの人が理屈を付けて正義として語っている。そしてブログで語られているのは、そうしたありきたりの正義の文章を多少表現を変えて切り貼りしているだけだ。
 「日本の原子力発電はどうあるべきか」と考えるとする。すぐに賛否の正義が思い浮かぶ。ブロガーは、つい原子力発電の推進派か反対派かということが、文章の読み手の側の関心でもあると予想する。
 ブロガーは、はそのどちらかの正義に自分を重ねてしまう。その正義を繰り返し述べていくことがブログの内容になってしまう。
 人によっては政治的な話はブログで表現するような話題ではないかもしれない。しかし、アイドルグループやアニメ映画について語っても、正義を語る罠は潜んでいる。
 どの分野にも正義の、ありきたりの表現が潜んでいる。
 どんなテーマにも対立する正義があって、それを上手に語る人がいて、そして、ブログはその、上手に語られた正義を、自分の表現だと思って語る。
 だが、そんな正義をブログで語る意味があるのだろうか。
 しかも、誰かが上手に語った正義を、結局真似して語ることで、自分らしさはどんどん消えてしまう。
 どうしたら、ブログで正義を語らないでいることができるだろうか?

自分を問いの形で見つけ直す
 ブログで何かを主張したいとき、主張したいがための正義が先行するようになる。
 そして、自分の思いが、その正義のおまけになってくる。そこに本質的な錯誤がある。
 長くブログを書きながら私は、しだいに正義を書くという罠に落ちてしまうのをできるだけ避けるにはどうしたよいかと考えるようになった。
 それには、正義といった結論を避けて、自分を問いの形で見つけ直すことが重要になる。
 答えではなく、問いを出すことだ。
 自分で出した問いに、自分で不格好でも自分だけの答えを書いてみる。それをブログで表現してみる。
 問うことに重点を置いて考えなければ、いくら自分が正義だと思っていても、ありきたりな正義のなかに自分は埋もれてしまう。
 自分ではない誰かが書きそうなことは、書かないことだ。
 どんなに立派に、正義に見えても、それは避けたほうがいい。するとどうなるのだろうか。

ブログの裏側の自分
 本書はブログの延長というわけではない。
 ブログというのは、建前上、誰かが読んでくれることを意識して書かれている。不特定な読者の前に、文章の形で立つことになる。
 すると、あたかもレストランにドレスコードがあってちょっとおしゃれをしていくように、自分を気取ってみせたり、あるいは逆に偽悪的に装ったり、少し自分を演出する部分ができてしまう。
 ブログやネットの持つ罠がそこにある。自分を演出したくなる。
 もちろん、演出がすべて嘘というわけでもない。文章の形で他人の目の前に立つことで、普通よりも自分らしさが表現されることがある。それは文学の仕組みに似ている。およそ文章表現というのは、そうしたある種の「気取り」の上に成り立っている。気取りを崩したかに見える文章もまた、それも一種の気取りにすぎない。
 太宰治の『人間失格』という小説には、太宰治その人と思えるような主人公として大庭葉蔵という人が出てくる。彼は作者の太宰治自身とよく似ているし、そう思わせるようにも書かれている。だが実際に太宰治の人生を知ると、『人間失格』の主人公とは違うことはわかる。すると、小説の主人公は作者の太宰治を偽装しているとも言える。しかし逆にそうした文学の偽装を通して、作者である太宰治のもっとも本質的な部分が語られるようになる。それが文学でもある。
 ブログは文学ではないが、たとえ本名で書いても、現実生活の自分とは違ってくる。書き続けていくと、ブログの人格のようなものが現れてくる。およそ、文章で自分を表現しようとすると、そうなるものだろう。
 人によっては、ブログでの人格と自分との間に違いを感じない人もいる。それでも、何年もブログを書いていると、そのなかで自分から分離した別の自分を見つけるようになるだろう。
 ブログを書きながら、私自身がその書き手の人格である「ファイナルベント」さんに向き合うことになった。
 自分にとっても、finalventとは誰なのだろうかという疑問は、二月の夜の雪のように積もっていった。
 いったい、自分はどこから表現しているのだろう。何かを書いて表現することは、自分の立脚点が自然に問われることになる。

ブログを通して市民になる
 矛盾が起きる。ブログで大切なことは、自分ではない誰かが書くことを書かないことだとすると、自分だけが知っていることとして、自分の私生活的な部分だけを書くことにもなりかねない。しかし、そんな自分のことなど普通は誰も関心を持たないし、読まれることすらない。
 誰かに読まれる価値のあることとは、どういうことなのだろうか。そう考えるしかない。
 それには、書く人と読む人が同じ場所にいることが原点になる。
 表現する人と、それを受け止める人が同じ場所にいること。共通に理解しあえる場所にいること。みんながみんなに語れる場所。言葉の表現にみんなが等しく立つ場所。
 それがきっと「公共」ということの一番基本的な意味だろう。
 「公(おおやけ))や「パブリック(public)」といってもいい。それが「社会」であれば、「私」と「あなた」は双方にとって、「市民(citizen)」になるということだ。
 ブログを書く「私」と、ブログを読む「あなた」は、同じ「市民」として立つということになる。
 「市民」というと、現代日本の言論風土では、「プロ市民」という皮肉な言葉によく現れているように、左翼的な政治の立場を推進する人たちの意味になりかねない。しかし、そうしたありきたりの意味は重要ではない。「市民」という言葉が重要なのではないからだ。
 ブログの書き手と読み手が、公共の言論の場を意識するとき、互いに平等になる。その意識を持つことが、「市民」ということだ。
 ブロガーの原点が「市民」だということから、言論の「公共」ということも、あらためて見直される。

公共の二つの層
 「公共」には、二つの層がある。
 一つは、「国家」である。日本人ということだ。その意味では、「日本人として語る」ということが、市民として語るということになる。これは簡単に「国民」と言ってもいいだろう。
 ブロガーが公共を意識していけば、それが国民の声となる。
 これまでは、テレビなどマスメディアや新聞などジャーナリズムが、国民の声の代わりをしていた。代わりのふりをして、実際には国民の声とはちがう特定の意見をまきちらしてもいた。しかし、ブログが公共を意識して発言するようになれば、マスメディアやジャーナリズムとは違った、明確な国民の声になる。
 もちろん、ブログが国民の声だからといって、同じ意見になるわけではない。違いはある。それでも、違いは共通する「公共」のなかで接近していくことができるし、合意を求めていくこともできる。正義を語って争うのではなく、同じ国民として利益を摺り合わせていけるようになる。
 しかし、「公共」は日本という国で終わりだろうか。そんなことはない。
 「公共」の、もう一つの層は、普遍的な人間である。
 つまり、「人として」ということである。より、明確に言えば、国家を越えた「人権」を見つめて、自分の意見をブログで述べるということだ。日本国内での人権問題という限定の人権ではなく、日本を越えたところで、どの国家の国民にも当てはまる人権の意識である。
 難しいことのようだが、これは普通に日本国憲法のなかに、日本人としての宣言として含まれているものだ。日本国憲法は国際的な人権の意識に支えられている。

 「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

 日本人のひとりひとりが、この普遍的な人権意識を「公共」の言論の原点とするとき、争うためだけの正義が克服可能になる。
 あまり堅苦しく考えることはないが、日本語でブログを書いたって、世界の人が誰でも読もうと思えば読める時代になった。英語でなければ世界に発信できないということはない。英語だろうが日本語だろうが、世界の国のどの人でも原理的には読める。だから、その「公共」の原点の人権の立場が、ブログの原点になる。
 (以下、略)

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2013.02.20

「予約しました」とのお答え、ありがとうございました。

 明日が出版日となる自著の話を、昨日のブログに書いたところ、予約しましたとの言葉を多数いただき、ありがとうございました。
 こんなに反響があるなんて、びっくりしました。

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考える生き方
 本を書くからには売れないと困るけど(というかご迷惑かけそう)、無名の人の自分語りの本がそんなに売れるわけもないだろうし、これから、「つまらなかったぜ」といったご批判もいろいろいただくのだろうかと、びくびくしてます。っていうか、恐縮して、ちっこくなって、アングリーバードのRIOとかしてました。あと、Kindle化について問われましたが、意外と著者からよくわからないものです。
 著者名は"finalvent"としました。パソコン通信時代のノリでブログも英文字のハンドル名にしてきたのだけど、ブログの時代になると、匿名だ、とか言われてきたわけです。ですが、こうして本になると、普通にペンネームですね。後からそこに気がついて、ちょっとほっとする部分がありました。
 しかし"finalvent"かあ。ちょっと一般社会受けしませんね。ブログの世界でいうと「藤沢数希」さんみたいにしておくと、本名みたいで良かったかもしれない。エッセイだと「岸本葉子」さんや「綿谷りさ」さん、「石田衣良」さんや「北村薫」さんなど、ペンネームにすてきな印象がある。そういうのがよかったな。でも他のペンネームも考えたことがあるけど、実際のところ、finalventで書いてきたからこれでいいかなあとか今回思いました。
 今回本の形式で書いてみてわかったことのひとつは、けっこう自分の人生の整理がついたなあということです。おかげでなんかようやく55歳になった気が少ししました。まあ、この年まで生きられなかった人がいることを思うと、人生を少しずつ整理しないと。
 とはいえ、その、まだ自分は生きているわけなんですが、生きている日々というのはけっこう、日々の問題に対処しているという感じで、しかもそうした渦中にいると、なんだか自分の人生、不運が多いなあ、不幸だよなとか思っていたのですが、本とかにして、ちょっと遠くから見ると、けっこう幸運があったなあという発見はありました。
 で、不運も幸運も偶然だなあと。
 幸運が多そうに見える人も、きっと偶然なんだろうなとも思うようになりました。
 もうちょっというと、幸不幸がけっこう偶然による、というのはロールズのいう「無知のヴェール」に似ているかもしれないとも思いました。これは、社会の構成員が誰であるかを知らずに(ヴェールに覆われているかのように知らない)、利害を調整するという話ですが、「幸不幸はけっこう偶然」と考えると、市民社会というのは、偶然的要素をできるだけ緩和するように形成していかないといけないのだろうなとか。
 
 

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2013.02.19

[書籍]本を書きました。『考える生き方』(finalvent著)

 冗談みたいなんですが、ええと、本を書きました。『考える生き方』(参照)。アマゾンを見ると、明後日、2月21日に発売となっています。

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考える生き方
 自分のところには数日前に見本が来て、「ああ、本になったんだ」と感慨深かったのだけど、いま発売日を確認したら、もう明後日なんだと驚いた次第です。
 内容は、あれです、ネットで嫌われる「自分語り」というやつです。
 なので、ネットでするのもなにかなと本にした……というほどではないのですが、いろいろ考えたのですが、ネットで書くより、本で書いたほうが読んでもらえるような気がしたというのはあります。
 有料プラットフォームcakesで書いている「新しい古典を読む」の書評を続けていても思ったのだけど、cakesもネットではあるけど、有料なので読みたいという人が読むことになります。すると、読む人の数は減ってしまうし、簡単な一言コメントみたいなものも少なくなりますが、その分、深く読まれているという手応えがあり、メディアの違いというものを考えさせられました。
 自分語りをするなら、あまり迷惑にならないように、読みたい人がいたらそこに届けたいという思いが募りました。正直にいうと、その内容のほうを届けたいというのはあります。副題が「空しさを希望に変えるために」となっているけど、そういうあたりです。
 自分語りが嫌われるのは、上から目線というのか、なんかえげつない儲け話や安直な成功への道、これならモテる、みたいなものが多いからではないかなと思います。違うかな。で、私の本はというと、このブログでもいっぱい罵倒コメントをいただくように、私なんて大した人間ではありません。社会的にも成功していません。というか、失敗者です。なので、人生を語ると、つい酔っ払ったおっさんの愚痴というか、負け惜しみみたいな熱が入ってしまいがちで、実際、そうなっちゃたんじゃないかないかという懸念はあります。
 ただ、失敗した人生というか、いろいろ自分なりに頑張ってみたけど、たいしたことなかったなあ、という人生は、ごく普通の人生ではないか、そういう意味で、普通の人生をそれなりに55歳まで過ごした人の思いの、ごく一例みたいな本があってもよいんじゃないかと思いました。
 自分も若い頃、立派な人の本も読んだけど、「この人、ダメで終わったなあ」という爺さんの意見もいろいろ聞いて、意外というか、実際そっちの側の人生を歩んだせいもあり、まあ、参考になることがあったなという思いもありました。
 自分語りで、普通の人が、何が語れるというのでしょう。アレクサンドル・デュマだったか、正確な言葉ではないけど、「人生を振り返ってみると、思い出すのは、結婚した、子どもが生まれた、親が死んだという4つくらいのことだ」というのがあります。それが普通の人の人生だ、というわけでもないでしょうし、おい、それのどこが4つだよ3つじゃないかよ、というのもあるでしょうが、それはさておき、だいたいの人の、成功もしない普通の人が普通に生きても直面する出来事というのがあり、自分が思ったのは、そういうのって成功者というか社会的に華々しい人だとうまく浮かび上がってこないか、浮かんでも妙にドラマチックだったりして、人生の本質的な部分で、なんか違うよなあ、と思ってもいました。実際、自分が書いてみてどうだったかというと、まあ、こんなものになりましたという感じです。
 本であれ、自分語りみたいなものを書こうかと思ったのは、昨年の春ごろだったか、「ああ、今年は55歳になるんだ。一時代前なら定年退職の年だなあ」と思い、「自分の人生なんだったかなあ」と思って、まとめてみたい気がしたのと、10年近くブログ書いてきたけど、そういう部分は自分では書かないできたし、そのわりにジグソーパズルの断片のようには書いてきたので、解答というわけではないけど、ブログでは書かなかったことの側の話をブログの外でまとめて書いてみたい気もしてました。
 「ブログでは書かなかったこと」というタイトルでもよいかなとかも思いましたが、原稿時点で読んだ方から、これって「考える生き方」ですよねということで、この書名になりました。生きるのがつらくて、どうしようもなくて、できたことといえば、考えるくらいなものだし、人間つきつめると、考えることしかできない。まあ、信じるということをしたり、正義を求めて元気になる人もいるみたいなので、それぞれかもしれないけど、自分についていえば、ひたすら考え、学び続けたなという実感はあります。
 表紙が、なかなかすごいです。これ、表紙です。こんなのあり?というものです。デザイナーさんが考えてこうしたもので、自分でも面白いなと思いました。


『考える生き方』(finalvent著)の表紙
これが表紙なんですよ。

 ブロガーで本を書く人も少なくないし、すっかり著作家さんになってしまう人もいます。自分はというと、そういう目論みはないです。少なくとも、現時点ではぐったりして書けない状態ですが、ただ、チャンスとかあったら、書きたいことがないわけでもないので、もしかすると書くかもしれません。cakesの書評ももう少し続けて、ある程度、何かを達成した感じがあるまで続けたいと思っています。ブログを辞めるつもりもありません。まあ、あってもなくてもよいのがブログのいいところです。
 そういえば、自分語りなんて、ネタが自分なんだから、ほいほいと書けるかと思っていたら、全然違いました。自分のことを思い出して書けばいいじゃないかと思っていたら、じりじりと苦痛になってきて、途中、もうだめ、こんな本書けない、と音を上げてしまいました。
 その時点で、本にするという計画が進行していたので、関係されたかたにご迷惑かけたなあ、ごめんなさい状態でした。ちょうどそのころcakesのパーティがあって、それまでほとんど、ブロガーとして人に会うことは避けていたのだけど、まあ、自分を知る人もいないし、こそっと隅っこでネット業界の人の横顔で見てようかなと思ったら、まあ、なんか想定していない人にあって、なんか旧知の間柄みたいな感じで、そういえば、昔パソ通のオフ会ってこんな感じだったかなと思い出し、ま、いろいろあって、気分を新たに執筆再開。
 それもするすると行かなかったけど、なんとか本になりました。書きすぎて削った話もあります。書けばいいってもんじゃないですよね。
 自分なりに思うと、するすると書かなくて良かったとは思っています。
 そんじゃーね。
 
 

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2013.02.18

番外編の番外編『さらば国分寺書店のオババ』

 先日cakesに椎名誠の『さらば国分寺書店のオババ』の書評を書いたが、当初の想定より長い文章になり、前編(参照)と後編(参照)に分けた。それでも当初の想定ではもう一つ個人的な思い入れがあり、それを番外編(参照)とした。
 まあ、そこまで書けばいいではないか、それどころか、すでに余計なことを書きすぎではないか、とも思った。が、同書を読み返し、また同書が出版されたころを想い出し、またこの機にいろいろ調べたせいか、まだ少し思うことが残っている。些細なことなので、書くほどでもないが、書かずにいるとなんとなく心に沈んでくるので、そのあたりの残余みたいな話を、ちょっとブログに書いておきたくなった。
 cakesの書評のほうでは、『さらば国分寺書店のオババ』という本について、冒頭、新潮文庫版を、その書影と合わせて掲げている。編集部への不満という意味は全然ないのでその点誤解されたくないが、原稿では新潮文庫版を指定したわけではなかった。自分の念頭にあったのは、情報センター出版局が出した初版である。違いは判型もだが、書影にあった。


さらば国分寺書店のオババ
スーパーエッセイパート1

 湯村輝彦の絵である。これが書店に平積みされる光景は強烈だった。
 椎名誠の「スーパーエッセイ」や後に昭和軽薄体とも呼ばれる文体は新潮文庫版では味わえるが、この書影の、ある種まばゆい光景は、オリジナル独自のものである。しかも中の挿絵は、いしいひさいちであった。それだけで、80年代の夜明けを、ドーンと示すものだった。これらは他版では失われてしまった。
 椎名の同書が出版されたのは1979年で、翌年、同じく情報センター出版局から湯村輝彦は糸井重里とコンビで『情熱のペンギンごはん』(参照)を出した。このコンビによる、というか糸井重里の処女作といってもよい『さよならペンギン』(参照)のオリジナルが出たのは1976年だが、あの時代の印象としては、これらの情報センター出版局の書籍のビジュアルは湯村を軸としていた印象があった。
 ちなみに、いちいひさいちの傑作『がんばれ!!タブチくん!!』(参照)が出たのも、『さらば国分寺書店のオババ』と同じ、1979年だった。
 cakesの書評を書く際、同書と限らず、自分の蔵書の他に、各版も入手して参照するのだが、版が異なると、表紙や挿絵というのは変わってしまう。書籍というのは、もちろんテキスト(本文)が命ではあるのだが、書籍という物としての出会いにおいては表紙や挿絵といった要素の印象が決定的なこともある。
 類似したことは後書きや文庫の解説などにも言える。各版が存在するとそのおりに著者がちょっとした後書きを追加するのだが、そのなかに、作品の決定的なイメージがさらっと書かれることもある。『さらば国分寺書店のオババ』についていえば、情報センター出版局と新潮文庫版の中間に三五館(参照)があり、後書きは興味深いものだった。なお現状、同書は新潮文庫版は絶版となり、三五館版はまだ絶版となっていない。
 たぶん次回のcakesの書評では五木寛之の『風に吹かれて』を扱う予定だが(というか原稿のベースは書き上がっているが)、あれだけ各社から主に文庫として出版された同書も今となっては絶版が多く、現状、絶版していないと確認できたのはベストセラーズ版(参照)だけのようだった。どこの出版社がこれらの新しい古典を絶版から守っているかというのは、それだけでなかなか興味深い事柄でもあった。
 『さらば国分寺書店のオババ』の「オババ」本人については、cakesの書評でも言及したが、その後どうされているかについても、それなりに調べてみた。公式なとろでは日経新聞2010年7月24日夕刊10面に関連記事があり、その情報では、国分寺を去った後、兵庫県赤穂市のマンションに、日経記事の言葉を借りると「パートナーの女性」、と引っ越したとのことだ。2010年時点の存命についての記載はない。また「パートナーの女性」についての記載もないが、『さらば国分寺書店のオババ』にもある、通称「国分寺書店」の後の陶器店経営の女性なのかもしれないとは思った。なお、同書店のビルは「オババ」の甥に売却したとのことだ。
 この陶器店経営の女性なのだが、今回cakesの書評を書くおり、同書評でも記したが、1977年の「本の雑誌」掲載の同タイトルのエッセイと比較したのだが、この女性の描写部分はだいぶ異なっている。なぜ初出と書籍版で書き換えが必要だったのかは、よくわからない。初出の印象では20代後半のようにも受け取れる。
 「オババ」に甥がいたことは確かだが、お子さんはいらしたか。いらしたようだ。不確かな情報なので、個人的に調べようかとも思ったが、そこまで調べる意味があるのかためらった。
 書籍版の『さらば国分寺書店のオババ』を読むと、椎名とオババの関係は、まるで赤の他人といった印象であるし、実際に赤の他人ではあるのだが、初出エッセイでは、オババの若日頃の写真が掲載されている。渡辺真知子を連想させる若い女性が日傘を差している写真である。ご本人の写真をお借りしているのだろうと想像されるので、1977年時点で、椎名と「オババ」には実は親交があったのだろう。ほか、初出エッセイ冒頭には猫背の老婆の写真があるが、この老婆が誰であるかの説明はない。
 椎名と「オババ」の関わりは『本の雑誌血風録』(参照)にも記されているのだが、こちらの話では、書籍出版にあたり「オババ」と面談したという話になっている。実際とは異なる話ではないかという心証を持った。
 まあ、どうでもいい話ではあるが、自分にしてみると、心を捉えてはなさい話題ではあった。
 
 

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2013.02.17

[書評]捕食者なき世界(ウィリアム・ソウルゼンバーグ)

 先日と似たような切り出しになってしまうが、「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)の書評のおり、同書について「人類はどのように進化し」と書いたが、実は、人類がどのように進化したのかについても同書には書かれていない。

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捕食者なき世界
 全体的として書かれていないわけでもないだが、ホモ・サピエンスの起源については「この人類の祖先がどんな類人猿で、どこに棲んでいたかは、最大の謎であり、その答えは今も捜し求められている。」と、まあ、逃げている。
 「逃げ」というのは、それに対する説がないわけではないが、定説がないのでお茶を濁しているという意味だ。著者が不誠実なわけではなく、むしろ過度に誠実なのだろう。
 ホモ・サピエンスを特徴付ける二足歩行については、同書は一章を割いている。が、これも仔細に読むと要領を得ない。そこで、「結局、ルーシーのような猿人が直立歩行するようになった理由は今もわかっていない。」と書くに留めている。しかたないといえばしかたない。
 ただ同書は、二足歩行なら道具が使えて便利だということで、人類の祖先を「狩り」のイメージで描いていく。このあたりは、事実上の定説とも言えるだろうが、どちらかというと曖昧な常識か思い込みのようなものである。
 関連して重要なのは、ホモ・サピエンスが雑食であることだ。しいていうと、肉食をする。類人猿がなぜ肉食をするのか? 同書では、こう話が続く。

 こうして、非常に重要な進化の連鎖がはじまった――大きな脳は大きなエネルギーを必要とする。それには肉を食べるのが一番だ。確実に肉を手に入れるには、動物を狩ればいい。

 こうした叙述の順序はわからないでもない。ところが、少し考えてみると、これは変だということは、小学生でも気がつく。
 進化の過程で、いったいどのように「狩り」が始まるのだろうか?
 最初から、二足歩行で、狩りの道具をもって走り回る猿人が想定できるだろうか。そんなはずはないだろう。少なくとも最初は、道具はない。では、どうやって、この猿人は狩りをするのか。
 あるいは、道具が出来てから狩りをするようになったのか。「これでネズミを仕留めてやるんだ」とか想像してやりを作ってから狩りに行ったのか。まあ、無理だろう。
 普通に考えたら、ホモ・サピエンスに至る猿人は、ハイエナのように死肉を漁っていたと考えたほうが妥当だ。
 つまり人類の祖先は、ライオンや虎みたいな獰猛な捕食獣と付かず離れず暮らして、その死肉を漁るスカベンジャーだったと仮定したほうがよい。二足歩行も、死肉を争うためにマラソンするのに向いている形態であり、毛が生えてないのも、マラソンの汗で冷却するためだろう。
 そう仮定すると、必然的に、この猿人も食われやすい状況に置かれたことになる。捕食の対象になりやすいのだ。人類の祖先は、それこそ、死肉を食うために、食うか食われるかの状況にいたのだろう。化石からも食われた形跡は出て来ている。人間というのは、食われやすい動物だったから、他の猿人に比べて、多産という性質もあるのだろう。
 そうなのか?
 科学というのは仮説を立てたら、実験してみることだ。というわけで、これをマジでやった話が、前振りが長かったが、本書「捕食者なき世界」(参照)に出てくる。

 一九六八年、野生生物学者ジョージ・シャラーと人類学者ゴードン・ローサーは、アウストラロピテクスは主に死肉をあさって生きていたと仮定し、その検証を試みた。東アフリカの捕食動物がたくさんいるセレンゲティ平原に入り、アウストラロピテクスになったつもりで武器をもたず徒歩で死肉と獲物を探し始めた。

 笑える。この先読むと、腹がよじれる。これこそ科学だ。
 どうだったか。
 実験とはいえ物理学の実験とは異なる。「コンティキ号探検記」(参照)のように実験して感動的な物語になったけど、間違いでした、というのもままある。ここで、え?っていう人いませんよね。
 この死肉漁りの実験、まさに必死の実験で、死肉漁りというのが不可能ではないことがわかった。
 このことから当然ながら、ホモ・サピエンスもまた最初は捕食者ではないことになる。
 同書では触れてないが、おそらく人類の祖先では、死肉漁りから、狩りの原型が出来たと考えるべきだろうし、そうして殺傷性のある道具を手にしてから、ホモ・サピエンスは捕食者の側に回るようになったのだろう。
 で、このホモ・サピエンスという捕食者はそれから地球で何をしたか。
 ご存じのとおり、他の強力な捕食動物を絶滅させてきた。
 それでどうなったのか。
 地球環境が破壊されたのである。
 捕食動物、なかでもその頂点にいる頂点捕食者(Top Predators)は、実際には、その生息環境全体の調整役になっている。それを壊したら、全部壊れてしまう。
 本書は、その実態がわかるまでの科学史、その実態、また反発について、物語風に丹念に描きこんでいる。面白いし、引き込まれる。
 たとえば、狼を絶滅させてしまえば、鹿の天敵はなくなり、結果、鹿は草や樹木の若芽を食い尽くしてその自然環境を破壊してしまう。この連鎖で水源も破壊される。
 すると、こう思う。だとすれば、鹿を適性の数に制限するように狩猟が求められる、という話にもなる(参照)。
 それで済む話ではない。というところが本書の醍醐味で、鹿が狼と共存することで、鹿は狼の存在という恐怖に適した行動を取り、これが環境を保全する効果につながる。つまり、適切に狩猟をすればよいというものでもない。
 じゃあ、狼を再生して野に放てばよいのか。当然、そういう議論も書かれている。単純な答えは出ないが、示唆的な話が多い。
 地球環境破壊というと、現状では、温室効果ガスや、PM2.5など公害などが議論されるが、根幹にあるのは、人類の生存が地球環境に影響を与えたということであり、なぜそのような影響を与えるに至ったかというと、単純な話、人間が増えたからである。
 人間を狩る捕食者がいなくなったので、人間が膨大に増えて、しかもそれが他の頂点捕食者をほぼ絶滅させたからである。
 じゃあ、これから地球や人類はどうするのか、ということになるが、本書はその問いを投げかけて終わる。
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Where the Wild Things Were
 読後、ぼんやり思ったのだが、地球が一種の自律システムなら、人間の捕食というシステムは作動しつつあるのではないだろうか。まあ、それは本書からそれる話題ではあるが。
 なお、オリジナルのタイトルは"Where the Wild Things Were"(参照)ということで、センダックの童話「かいじゅうたちのいるところ」(参照)のシャレになっている。Kindle版もすでに安価に出ているが、邦訳は読みやすいし、オリジナルにない挿絵や写真があって楽しい。
 
 

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2013.02.16

[書評]新しいウイルス入門(武村政春)

 青少年向けに地球史・人類史・歴史をビジュアルにまとめた「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)を紹介するとき、私は「地球はどのように始まり、生命はどのように誕生し」と書いたが、書きながら、嘘をついているわけでもないが、同書には実は、生命誕生のプロセスについては実質記述がないことに気がついていた。地球史といってもよい同書なのに、しかも、おそらく重要なテーマであるはずの生命発生の謎について、ほとんど記述がないのはなぜか。定説が存在しないからである。

cover
新しいウイルス入門
(ブルーバックス)
 生命はどのように誕生したのか? これは通常、「生命の起源(Origin of life)」というテーマで議論される。実際にはもう少し限定されている。「生命の起源」というは、「神(創造神)が創造した、あるいは、生気といったような特異な生命実体がない」という前提から、つまり、「通常の物質からどのように生命が発生したのか」という問いになる。
 その意味で「生命の起源」というのは、通常「自然発生説(Abiogenesis)」を意味する。別の言い方をすると厳密には、自然発生説は「生命の起源」についての一説にすぎないのだが。
 のっけから余談になるが、日本のネットの世界ではなぜか創造神を実質想定するID(Intelligent Design)論は、ダーウィンニズムとしての進化論との対比で攻撃的な話題になるが、「自然発生説(Abiogenesis)」についてはさほど話題にならないように思える。「神が世界・生命を創造したなんてありえないじゃないか。生命は物質から誕生したのだ」というのはあまり見かけないという意味である。
 しかし「生命は物質から誕生したのだ」と科学的に言えるかというと、「それって科学的な命題なのか、であればどういう条件で科学的と言えるのか」というと、意外と難しい。
 この話題が回避されがちなのは、日本人の伝統精神では物質と生命の境界が曖昧で草木国土悉皆仏性的な考えになじむからかもしれない。物質から生命が誕生するのは自明だと日本人には見られているのだろう。だが、きちんと科学的に考えると、定説が存在しないように、この問題はよくわかっていない。
 ウィキペディアあたりがこの問題をどう扱っているかざっと見たが、各種の意見が統一的な視点なく、ごちゃごちゃとまとまっているという印象を受けた。が、「新しい化学進化説」(参照)としての指摘は面白かった。

DNAを遺伝情報保存、RNAを仲介として、タンパク質を発現とする流れであるセントラルドグマは一部のウイルスの場合を除いて、全ての生物で用いられている。1950年代から、これら3つの物質のいずれが雛形となったのかが、論じられてきた。そうした説の名称がDNAワールド仮説、RNAワールド仮説、プロテインワールド仮説である。


DNAワールド仮説
セントラルドグマが生命誕生以来、原則的なものであれば、まずはじめに設計図が存在していたと考えるべきであるが、DNAワールド支持者はRNAやプロテインワールドに比べて分が悪い。なぜならDNAは触媒能力を有しないとされていたからである。

 へえと思って読んだのは、たしかにセントラルドグマというのは、「はじめに設計図が存在していた」というので、ID論臭い印象は受けることだ。いや、ID論が正しいと想定するということでは全然ないが。
 話は前後するが、現状の生命起源論では、こうした物質から生命へというスキームより「生物進化から生命の起源を探るというアプローチ」が主流になっている印象を受ける。

化学進化説に関する考察や実験は、無機物から生命への進化を論じたものであり、1980年代まではそのような流れが支配的であった。1977年、カール・ウーズらによって第3のドメインとして古細菌が提案されると、古細菌を含めた好熱菌や極限環境微生物の研究が進行した。これらの研究から、生命の起源に近いとされる生物群の傾向が明らかになってきた。これにより生物進化から生命の起源を探るというアプローチが可能となった。
 生命誕生以降の生物進化から生命の起源を探る試みは、化学進化とは異なり非常に多くの生命のサンプルを要する。多くのサンプルを用いながら、真正細菌、古細菌、真核生物の系統樹を描くことから、そうした試みが始まったと言える。

 余談が多くなったが、日本版のウィキペディアからは、ようするに生命起源論についてあまり全体像が描けない。
 もともと定説がないからというのがあるが、生命起源との関わりで「ウイルス」がほとんど考慮されていないからだ。ただし、英語版のほうでは若干の指摘がある。

Virus self-assembly within host cells has implications for the study of the origin of life,[87] as it lends further credence to the hypothesis that life could have started as self-assembling organic molecules.[88][89]

宿主細胞の中のウイルスの自己生成は生命の起源の研究への示唆を持ってきた。というのは、生命は自己生成の有機分子として発生したという仮説により信頼性を与えるからである。


 ここでウイルスをどう進化論的に扱うかということが重要になる。
 だが、実際のところ、これが近年の話題に浮上してきたのは、ミミウイルス(mimivirus)の研究である。
 ミミウイルスは、1992に発見されたバクテリアサイズのウイルスである。当然、最初はバクテリアとだと思われていた。光学顕微鏡で観察できるのである。ところがウイルスだった。バクテリアを模倣している(mimic)ということでこの呼称がついたが("mimicking microbe")、擬態しているわけではない。実際のところ、発見者のディディエ・ラウールは、個人的な動機から"mimi"を付けたらしい。「ハドゥープ」みたいな感じですね。
 その後も類似の巨大なウイルスは発見され、「巨大ウイルス」とも呼ばれるようになった。また以前に不詳だったものが巨大ウイルスと認定された例もあるようだ。
 このミミウイルスだが、911個もの遺伝子を持つ。たんぱく質を合成するための必要最低限の遺伝子を持ち合わせているのである。
 それってそもそもウイルスなのかという疑問もあるが、ウイルスである。つまり、定義上、生命ではないのである。ところが、従来の「ウイルス」よりはるかに「生物」に近い。
 これをどう扱うか。つまり、「生命の起源」との関連でこれをどう見たらよいのかというのが、長い前振りだったが、本書「新しいウイルス入門」(参照)のテーマである。当然、非常に面白い。
 ただ、本書の3分の2近くは、一般的なウイルスの解説となっていて、どちらかというと、エキサイティングな話題は全体の3分の1という印象は受ける。その意味で、タイトルの「新しいウイルス入門」というのは穏当ではあるが、もう少しミミウイルスに特化した解説が欲しいところだった。それでも、道標がミミウイルスなので、旧来の病原体的なウイルス観とはかなり異なり、その点では良書と言ってよいだろう。
 ミミウイルスの研究は近年のもので、ゲノム解析などは進んでいるものの、そもそもこれってなんなのレベルでよくわかっていない。そのため、著者・武村政春氏の大胆な仮説を、かなり堅実に述べている。が、もっと想像力を駆使した読み物が読者としては欲しいと思った。
 著者も指摘しているが、「ウイルス」という枠組みが、生命起源論に、生命か非生命かという前提を持ち込んでいるが、どうやら、そうした議論の枠組みそれ自体を改変すべきなのかもしれない。
 本書が出たのは今年に入ってからだ。以前からなにかミミウイルス関連の一般書はないかと思っていたので、たまたま手にしたら当たりだった。とはいえ、なにかこのあたりの最新研究をまとめた書籍はないだろうかと、他にも探しているが、なにかありますかね。
 
 

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2013.02.14

[書評]137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史(クリストファー・ロイド)

 地球はどのように始まり、生命はどのように誕生し、人類はどのように進化し、この地球はどのように現在に至ったかという話題は、普通、「ナチュラル‐ヒストリー(natural history)」として語られる。

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137億年の物語
宇宙が始まってから
今日までの全歴史
 この言葉は、直訳すれば「自然史」だが「博物学」とも訳される。本書「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)は、この自然史・博物学という「ヒストリー」を、いわゆる歴史学という「ヒストリー」と接合して統合的に語ろうとした書籍である。邦訳書の帯に「理理系と文系が出会った初めての歴史書」というのも、ナチュラル‐ヒストリー(理系)とヒストリー(文系)という意味合いがあるだろう。総合的に現在の地球を理解したいというときには、この総合的な視点が求められるということで、本書は多くの人が求めてきたものであった。原書は欧米でベストセラーにもなった。
 本書には二点、特徴がある。一つは、本書は概ね子ども向けあるいは青年向けに書かれていることだ。だいたい中学生の知的レベルに合わせて記述されているので読みやすい。もう一つは、話題の扱い方にバランスの取れた現代性が感じられることだ。現代の定説と思われるところをわかりやすく刈り込んだ形で描いている。
 この二点はつまり、高校卒業して10年以上も経つ社会人にとって当然のように有益だということになる。青年向けの書籍だが、現代の大人が読んでも面白いということを意味している。
 加えて言うなら、本書がグローバルな歴史認識のスタンダードでもあるということも特徴になるだろう。ビジネスなどで海外の人に接することのある人で、それなりの知性が求められている人なら、本書の内容は、普通に常識という意味合いがある。
 ひねくれた言い方をすると、日本の知識人は、受験勉強ができてその上に専門分野的な知的装いを加えているというタイプが多く、本書のような俯瞰的な見解を持たなかったり、世界的な常識と乖離していることがある。そうした補正にも役立つ。
 本書は、その外形を見ても、日本の通常の単行本よりも大きく、506ページにもわたる大著であることから、見ただけで後込む人もいるかもしれないが、通して読む必要はなく、42のトピックに分かれているのでそれぞれを単体で読んでもよい。最初から意気込んで読まなくても、気になるところからつまみ食いのように読んでもよいだろう。単純に割り算すれば一つのトピックは12ページ程度なので、実はそれほど深い内容は扱っていない。ちょうど欧米の雑誌の科学コラムの分量であり、実際、著者クリストファー・ロイドはサンデータイムズ紙の記者であった経験がよく活かされている。
 私が本書で一番の美点だと思うのは、絵の美しさである。写真もきれいだし、表はよくまとまっている。本当に、書籍というものを作り込んでいるなと驚嘆する。それが評価できるのも、邦訳書がとてもよい仕上がりになっていることもある。子どもの頃、図鑑をわくわくして読んだ感興がよみがえる。
 具体的な内容的についてはどうか。バランス良く定説がまとまっているということは書いたが、逆に言えば、定説というのは必ずつまらないものである。皮肉な意味合いになってしまうが、本書を面白いと感じるということは、現在の最先端の科学や歴史学に精通していないということにもなりかねないし、本書の歴史観は基本的に古い枠組みをもっている。ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄—1万3000年にわたる人類史の謎」(参照)のような特定の方法論的な視点を取っているわけではない。ただ、そこを本書に求めるのはお門違いというものだ。
 やや凡庸な記述という印象もあるが、それでも、ぐっと引き込まされるのは、個人的にはイスラム文化やアフリカ、新大陸への扱いである。この点については、「銃・病原菌・鉄」のようなグローバル史への色目のようにも思えないではないが、読み進むにつれ、あるコアのイメージのようなものが沸いてくる。これは、実は、地球史ではなく、広義の英国史なのではないか?
 本書は自然史学の必然でもあり進化論の枠組みを取っているが、なかでも英国人としてのダーウィンに筆者が注目していることは明確であり、また、本書で扱われている多文化は基本的に、無意識的であるのだろうが、大英帝国の版図が反映している。アイロニカルな言い方をすれば、英国知識人はこのような世界観を持つという表明のようにも見える。
 英国的ということにも近いが、この拡大化された「博物学」は、またもアイロニカルな評に聞こえるかもしれないが、ミシェル・フーコーの「言葉と物」(参照)で指摘される古典主義時代のエピステーメーとしての博物学の現代的な拡大のようにも見える。フーコー的には、博物学は、生物学、経済学、文献学に変化していくのだが、本書はその逆流的な統合である。その文脈を誇張すると、「人間の終焉」をもたらした脱・博物学から、再び人類はグローバルスタンダードな「人間」の再構成を教育的に持ち込もうとしているようにも見える。これもまた英国的な知性として感じられる。
 ネットが広がることで、知識が広まった面もあるが、深化の点では劣化してきた面もある。ウィキペディアなどその両刃の剣である。それに比べて、書籍というのはきちんとした知の砦でありうるし、特に青少年向けの知というものは、こうした装備をしているべきだ、などということも本書から痛感させられる。
 
 

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2013.02.13

放射性炭素年代測定が適用できない現代は未来の歴史から消える

 考古学のニュースなどで遺物が何千年前のものといった年代推定が出されることがある。この推定によく使われているのが、放射性炭素年代測定である。遺物に含まれている放射性炭素の比率を計測することで、その年代が推定できる。ところが、『10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?』(参照)という本を読んだら、これが今後は怪しくなりそうなことが書いてあった。
 現代という時代の物が将来遺物として発見されたとき、放射性炭素年代測定で測定できなくなるかもしれないというのだ。
 ほんとかなあという印象も持つし、該当の説明である「5章未来の化石」を読むとちょっと誇張しているきらいもあるようにも思うが、この本の著者はそのスジの専門家でもあり、あながちめちゃくな話というのでもないだろう。
 その結果、私たちの未来はどうなるかというと、これが面白い。


 私たちが生きている間に生み出された文明の遺産を追跡する未来の科学者にとっては、放射性炭素年代測定によって年代を確定することが容易にはできなくなる。


 現在私たちが使っている時間の枠は、地質学的資料を字義通りに読んでいる限りは、存在しないことになる。放射能分析的な意味では、未来の歴史家の目から見た現在の私たちが生きている世界は、歴史の本からまるまる破り取られた、失われた一章となるだろう。

 どうやら少なくとも20世紀から21世紀あたりの人類が残した遺物は、放射性炭素年代測定からはずれて、いつの時代のものだか不明になるというのだ。
 それもいいじゃないかと私などは思うのだが、著者のエピソードがなかなかぐっとくる。どうやら著者カート・ステージャは私より一つ年上らしいので、なかなか同時代人の体験としてぐっとくるものがあるのだ。

私はいまだに古風なフロッピーディスクを何枚か保存している。それらはかつて1980年代に私のTRS-80型コンピューターにデータを入れるためのものだったが、もはや二度とそのデータを読むことはかなわないだろう。だがそのFDにはやっとの思い出手に入れた情報が詰まっているので、どうしても捨てることができないのだ。

 いや、これはシャレにならない。私も同じことに悩んでいる。
 私はTRS-80を使ってなかったけど、あれのモデル2から8インチ単密度FDDが利用できて、画期的なものだったのは知っている。というか、CP/Mが使えた。その後、5インチのモデルになったが、憧れの機種だった。ちなみに、Apple IIは最初から5インチFDDで沖電気のif800 model30も8インチでよく使ったものだった。
 話がそれたが、私も1980年代のデータは5インチFDDや3.5インチFDDに保存していて、もう読み出せない。小説とか書いてたんだけど、もう読み出せないのですね。まあ、読み出す必要もないよとは思うのだけど。そういえば、そろそろ10年前くらいに焼いたCD-Rも読めなくなっている感じだ。
 このブログのデータはというと、いわゆる媒体に保存しているわけではなく、ニフティのサーバーに保存しているわけで、かれこれ10年近くにもなってくるのだけど、有料契約なので、私が死んだら、一気に消えます。まあ、消えてもいいやとは思っているけど。
 本書に戻ると。

 今日の歴史記録の大半は、単に非常に多くの文書が電子化されているという理由だけで、結局は失われてしまうだろう。

 しかたないだろうな。
 逆に私は10代のころノートに詩や日記を書いていたので、あっちのほうが残る。実際、最近の例でいうと、電子書籍は私が死んだら消えてしまう。元データはどこかにしばらく残るのだろうけど。
 話を戻すと、なぜ放射性炭素年代測定がダメになってしまうのか。
 その前に、放射性炭素年代測定の原理については、最近では義務教育で教えているだろうか。
 放射性同位体とかいうとそれだけで誤解されそうな変なご時世になったけど、たとえば、ウランは天然に存在する放射性物質で徐々に原子核が崩壊し最終的には鉛になる。この「徐々に」「最終的」という時間の推移は決まっているので、それを使うと時間経過の測定に使える。ウランの場合は100万年とかいう単位なので、考古学の遺物の年代測定とかでは重視されないはず。
 これに対して放射性同位体の炭素14は、ベータ崩壊して、その半数が5,730年で窒素になる。そこで、遺物や化石は炭素14の含有量を測定すればいいということになり、「縄文土器は1万年以上も前」とかわかるという話になる。
 なぜ炭素14でわかるかという理屈は以上の通りなのだが、これには前提条件があって、「遺物なり化石とかが最初に出来たときの状態がわかっている」ということだ。もとの状態がわからないと半減していくというのは意味をなさない。
 そこでどのようにもとの状態が設定されているかというと、要するに「炭素14の自然的な初期の割合は、大気中の炭素14の濃度が一定である」という仮定に依存している。
 この仮定は正しいのかというと、概ね正しい。違う部分もわかってきたので、それをもとに補正もできるようになった。放射性炭素年代測定を使わないでも実年代がわかるものを比較研究していけばよいわけだ。
 ところが、『10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?』で指摘されているのは、その大本の仮定がどうも怪しくなったというのだ。
 大本の仮定というのは「炭素14の自然的な初期の割合は、大気中の炭素14の濃度が一定である」だが、この大気中の炭素14が、人間の人為的な二酸化炭素排出によって狂ってしまっているということだ。どう狂うかというと、炭素14が薄まるという方向で狂うらしい。
 人類が二酸化炭素を大量に放出するに従い、それ以前の遺物に比べて最初から含まれている炭素14の含有量が減っている。そこで実際より古い物だと測定されてしまうことになる。人為的な二酸化炭素の問題はこんなところにもあるというのが同書の話でもある。ただ、そこまで深刻かなという疑問もないわけではない。
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10万年の未来地球史
気候、地形、生命はどうなるか?
 話はそこで終わらない。1950年代以降、大国が核実験を繰り返したため、大気中の炭素14が増えてしまった。もともと、炭素14は宇宙線によって生成されるもだが、大気中の放射性物質の汚染によっても増えたわけである。このため、1950年頃以降の遺物には放射性炭素年代測定が適用しづらくなった。
 この話は一応知ってはいたのだが、同書によるとそこを逆手に使って、大国が核実験を開始した以前か以後かの区別には利用できるらしいという話もあって、面白かった。
 まとめると、人類が化石燃料を使うことで大気中に放射性炭素を含まない、きれいな二酸化炭素を多く放出したことと、核実験によって大気中の放射性炭素が増えたことで、バランスが取れて、いやいや、なにがなんだかわからないことになったというのだ。
 そこまで考えたことなかったので、なるほどねという思いがしたし、地球物理学とか考古学的に考えると、現代世界の電子媒体の文明なんて、あっという間に消えてしまうんだろうなというのが実に感慨深かった。
 実際に、本書の主張がそれほど深刻な問題なのかというと、ちょっと疑問であるが。
 
 

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2013.02.12

[書評]10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?(カート・ステージャ)

 「10万年の未来地球史 気候、地形、生命はどうなるか?」(参照)という邦題をそのまま借りて、「10万年後、地球はどうなるか?」という疑問を投げかけたい。どうなるのだろう。当然、そのころ人間はどうなるのだろうかという問いも含まれる。

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10万年の未来地球史
気候、地形、生命はどうなるか?
 本書は、この問いに、現代の科学からかなり妥当に答えを出している。なかなかの大著だが、SFのように面白い。というか、面白さの点でこれ、SFとなにが違うのか。
 本書にはもう一つの意図がある。地球温暖化問題である。簡単に言うと、人類が排出する二酸化炭素など温室効果ガスが、地球の未来に影響を与えるという点だ。
 そう言うと、「なんだ、当たり前ではないか」という反応もあるかもしれないが、問題は、その影響の範囲と、その影響が深刻だという場合、現在の人類に何ができるのかという問題になる。
 この問題は、いろいろ議論されてきたが、「10万年の未来地球史」という視点からどうなるだろうか。
 最初に、読む前の思い、あるいは私がこの本に関心を寄せた時点の思いを述べておくと、「10万年後の地球や人類なんて、あと20年も生きられない私にとってどうでもよいし、現存の10代の人にとっても100年は生きられないのだから、どうでもいい問題ではないか」、ということだ。
 加えて、「10万年後、地球はどういう形であれ存続しているだろうが、人類のほうはすっかり滅亡しているんじゃないか」とも思っていた。
 読んでみてどうだったか。
 基本はあまり変わらない。依然、10万年後はどうでもいいと思う。が、読後、自分の感覚は変わった。10万年後の地球や人類をややリアルに感じられるようになった。別の言い方をすると、どうせ10万年後に人類なんか滅亡しているよという思いは、かなり減った。
 本書には、私のような考えを持つ読者も想定されていて、率直にこの愚問にも答えている。その答えに納得するかどうかは置くとして、10万年後に人類はまだ地球にいそうだという感じはしてきた。それはどんな人類? 不思議な感覚でもある。センス・オフ・ワンダーというか、SFっぽいなという印象はそこからだ。
 本書の主張だが、地球温暖化問題の文脈で見ていくと、私にはなんともわかりづらい。科学的な説明が複雑だというのではない、「何が言いたいのだろう、この著者は?」という疑問が先に立つからだ。
 基本は、「地球温暖化問題は重要で、温室効果ガスは削減すべきだ」という立場になっていることはわかる。それでその理由はというと、よくある、地球温暖化を放置しておけば地球や人類や各種生物が終局を迎えるといった危機とは違う。ではなにか。
 このまま温室効果ガスを放置しておくと、13万年後に厳しい氷河期がくるからだというのだ。
 え?、なにそれという感じである。
 冗談というか、ポストモダン的な物語か、あるいは手の込んだ批評文学なのか。いやそういうことはあるまい。私の理解した範囲でいえば、温室効果ガスを人類が放出し続けなくても、地球は定期的な、弱めな氷河期を5万年後に迎えるのだが、温室効果ガスを放出したことで、その5万年後の氷河期は打ち消されてしまうというのだ。
 それって、いいことなんじゃないの? と、思わずにはいられない。
 そのあたりで、著者の主張がよくわからなくなる。寒冷化に向かう説明も、大著のわりにそこは、いったん上がれば下がるといった曖昧なもので、強いて意図を汲めば、地球振動による定期的な変動を考慮してのことのようだ。
 できるだけ著者の意図に沿ってみた私の理解でいうと、5万年後の氷河期は現状の温室効果ガスの累積で打ち消してしまっても、そのころにはもう人類には化石燃料が残っていないから、13万年後の氷河期が厳しいものになるというのだ。
 ちょっと、それは、どういう話なんだ。いや、ふざけたいのではない。
 そのあたりで、なんとも奇妙な迷路に陥ったような感じになる。私の率直な意見を言えば、10万年後の人類は、原子力によってほぼ無限のエネルギーを獲得しているから、その時点まで化石燃料を心配する必要はないだろうということだ。もちろん、「原子力」なんて現在日本の発狂キーワードを出すとろくでもない表層的な反論が来るだろうから、原子力と特定せず、未来エネルギーの開発と言ってもいい。いずれにせよ、10万年もあれば人類は、エネルギー問題は解決するだろう。
 しかも、その問題となる13万年後の氷河期なのだが、それで人類が死滅してしまうわけでもない。この点は著者も理解している。
 ではなにが問題なのだ?ということになるが、ここで、はっと気がつくのだが、こうした問題で、私たちはしばしば、地球滅亡や人類滅亡というフレームワークを設定してしまう。そういう危機を煽る制度的な思考はもうやめたほうがいいだろう。あるいは、人類が滅亡するなら、どういうプロセスになるのかといった話も冷静に考えるとよい。本書は、疫病のリスクや惑星衝突の挿話なども含まれている。
 現実を冷静に見るなら、つまり中国やインドなどの動向を見ても、温室効果ガスの排出は止まらない。
 もちろん、それを抑制するための人類の努力は重要だろうと思うし、それに加えて、地球物理学的に見れば、むしろ地球は次の氷河期を迎えるだろうことも普通に認めたい。
 そのあたりも含めて、普通に科学的に議論し、そこから可能な、妥当な国際合意を作ればよいだろう。さらに言えば、本書が指摘しているように地球温暖化がもたらす海の酸性化の生態系への影響なども、今後の人類の課題として取り組んでいけばよいだろう。
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Deep Future
 本書は、以上の、地球温暖化問題という枠組みだけなく、地球の歴史を扱った書籍としても読める。むしろ、そう読んだほうがよい。地球温暖化という関心の設定で損をしているような気がする。
 本書は、普通に地球と惑星のクロニクルとして読んでも十分に面白い。地球滅亡や人類滅亡という関心は挿話としてよい。なお、英語版"Deep Future: The Next 100,000 Years of Life on Earth"(参照)はまだKindle化されていない。邦訳もまだ。
 繰り返しになるが、私も含めて、これまでつい、地球温暖化問題を地球滅亡や人類滅亡といった黙示録的な問いに引っ張られがちだった。しかし、私については、本書を読むことでだいぶゆったりと見通せるようになったように思う。そう思いたい方は、ご一読を。高校生の科学学習にも向いている。
 
 

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2013.02.11

[書評]ハイパーインフレの悪夢(アダム・ファーガソン)

 アダム・ファーガソン著「ハイパーインフレの悪夢」(参照)は、1923年、ドイツで起きたハイパーインフレーション(過度なインフレーション)を扱った歴史書である。

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ハイパーインフレの悪夢
 第一次世界大戦勃発前夜の1913年、ドイツのマルク、イギリスのシリング、フランスのフラン、イタリアのリラの4種の通貨の価値はほぼ等しく、対ドルレートは4ないし5程度だった。が、この1923年末、他の3通貨に対してマルクのレートは1兆を越えた。事実上、マルク紙幣は紙ゴミに帰した。なぜそのような異常なインフレが起きたのか。
 ドイツといっても時代は第一次世界大戦後、1919年に発足したヴァイマル共和政の時代である(同政体は1933年に崩壊)。本書は、この異常なハイパーインフレの史実について、ヒトラーを生み出してしまったヴァイマル共和政の歴史としても描かれている。
 上述、この時代のハイパーインフレの基点を1913年としたが、これは本書・著者ファーガソンの視点を引いたもので、すでにこの10年間という期間の取り方に本書の特徴がある。
 実際のところは、異常なハイパーインフレの様相を示したのは1923年に限定されている。具体的なその変化の数値は、私の読み落としかもしれないが本書からはわかりづらいので、あまり確かなソースとは言えないがウィキペディアを引くと、対ドル為替レートで、同年7月に1ドル=16万マルク、8月に462万455マルク、9月に9,886万マルク、10月に252億6,028万マルク、11月には4兆2,000億マルク、とある。つまり、ハイパーインフレだけを史的事象として見るなら、1923年の夏が焦点となる。本書でも、この「1923年の夏」ついては当然一章が当てられている。
 恐るべきハイパーインフレではあるが、短期間の出来事であり、よって歴史の珍事とも言える。著者ファーガソンもそれは意識している。

 1923年のインフレはあまりに度外れた規模であるとともに、あまりにあっけなく終息したので、歴史上の珍事として片付けられやすい。確かに珍事ではあった。

 その意味で、珍事のなかから、ある一般的な教訓、たとえば、中央銀行の一般的な原則といったものを引き出すことは、実は難しい。
 しかし本書は、歴史書としてそこから一般的な教訓を読みだそうとする。引用はこう続く。

しかしこのインフレはもっと普遍的な経済や社会や政治状況の連鎖から生まれた事例として、捉えられるべきだ。二度とは起こりえない原因がそこに多いことは重要ではない。政治情勢が特殊だったとか、通常、金融の混乱があれほどまで進むことは考えられないとかいうことは肝心な点ではない。

 著者の意図はわかるが、暗黙の前提となるのは、このハイパーインフレは「二度とは起こりえない原因」によるもので、「政治情勢が特殊」であり、将来こうした事態が繰り返されることはないということだ。
 では、一般的な教訓はどこにあるのか。問題はその原因ではない、と著者は言う。

ここで考えなくてはならない――そして危険として認識しなくてはならない――のは、原因が何かより、インフレが国にどういう影響を及ぼすかという点だ。政府や、国民や、官僚や、社会はどういう被害を受けるのか。おそらく物質主義的な社会ほど、大きな打撃を受けるだろう。

 本書の重要性はここにある。
 そこから本書は、1923年の珍事であるハイパーインフレの前段階に着目していく。別の言い方をしよう。ハイパーインフレは悪夢であるが、その恐怖が問題なのではない。「物質主義的な社会」がインフレ下でどのようになっていたかという歴史から、何を人類が教訓とするかである。
 このことは、1957年生まれの私の世代を最後に日本でも強いインフレ時代に育った人間にとっては共感しやすい問題意識でもある。
 ハイパーインフレの原因は重要ではないとしても、原因を考察から外すわけにはいかない。その点はどうか。
 一般的には、この珍事たるハイパーインフレの原因は二点から見られている。一つは、第一次世界大戦の過大な賠償金である。言うまでもなく、インフレは借金を返済するスマートな政策だとも言える。二つめは、一つめの理由に関連しているが、1923年、フランスとベルギーが、ドイツの資源地域であり工業地域であるルール地方を、現物による賠償金支払いとして軍事占領したことである。これがドイツ経済と社会を破綻させることになった。
 この通説を本書はどう見ているだろうか。
 意外にも、この説に肯定的ではない。もちろん、この二点を除外するわけにもいかない。ではどうなのか。そこがイギリス人の史書らしいのだが、簡単にまとめることが難しい。
 私の理解では、一点目については第一次世界大戦の賠償金は原因の一つであって10年にわたるインフレはドイツ国内の事情があったということ、二点目についてはルール地方の占領は問題だが政治体制の事実上の崩壊が問題であるということだ。これがやがてヒトラーの登場を用意することになる。ただし、この私の理解については、関心のある読者によって受け取り方は異なるだろう。
 1923年ヴァイマル共和政のハイパーインフレについては、その終息の金融政策としてレンテンマルクと実質的にこれを采配したヒャルマル・シャハトがよく知られている。本書も当然、この話題を扱っているのだが、私の印象では意外と弱かった。私が本書に一番期待したのは、ハイパーインフレというより、シャハトという人物であった。シャハトという天才が事実上、ヒトラー体制を維持させるという歴史の逆説を招いたからである。
 以上のように、本書の価値は、ヴァイマル共和政のハイパーインフレを歴史の珍事として見るのではなく、その前史の10年に焦点を当てたうえで、人がなぜインフレに魅了されていくのかという歴史的な考察をするところに意味がある。
 では、本書はそのように読まれただろうか。
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When Money Dies
 本書が書かれたのは1975年と古い。歴史学的にも本書に描かれている話が現時点の通説にどの程度の影響を与えているのか、特に調べる以前に疑念が生じる。
 だが概ね、本書の価値が覆されているということはなさそうだ。というのも、本書は2010年にペーパーバックとして復刻され、多くの人に読まれたからだ。
 現在はキンドルでも読める。オリジナルタイトルは"When Money Dies: The Nightmare of Deficit Spending, Devaluation, and Hyperinflation in Weimar Germany(マネーが死ぬとき。ヴァイマル時代のドイツの財政赤字、切下げ、およびハイパーインフレの悪夢)"(参照)である。
 ではなぜ2010年に本書が復活したのか。
 リーマン・ショック後の世界への不安が背景にあっただろう。一部には、ウォーレン・バフェットが本書を推奨したという噂もあるが噂に過ぎない。時期的に見れば、米国連邦準備制度理事会(FRB)が実施した量的緩和政策(QE: Quantitative easing)を推進した時期に関わるので、QEによってヴァイマル時代の再現が起こる危険性として読まれたと見てもよいだろう。
 日本で翻訳されたのは2011年5月25日である。
 東北大震災後の復興が問われ、またそのための財政出動が問われていた時代である。この日本での文脈は、本書邦訳巻頭にある池上の解説からも理解できる。ただ、本書の意義は、池上彰の解説の視点に納まるものではないとは思う。
 
 

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2013.02.10

[書評]カウントダウン・メルトダウン(船橋洋一)

 上下巻に分かれた大部「カウントダウン・メルトダウン」(上参照下参照)は、元朝日新聞社主筆の船橋洋一による福島第一原発事故のドキュメンタリーなので、てっきり朝日新聞社の刊行と思ったら、文藝春秋によるものだった。その点は意外感があった。

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カウントダウン・
メルトダウン(上)
 なぜ船橋洋一が福島第一原発事故を扱うのかという点には違和感はない。彼は2010年に朝日新聞社を退職した後、一般財団法人日本再建イニシアティブを設立して理事長となっていて、その下に彼自身が設立した福島原発事故独立検証委員会、通称「民間事故調」でそのプログラムディレクターとなっていたからだ。その意味で、これは「民間事故調」をプレーンな船橋洋一の文体で書き直したものだろうという予想は付いた。
 実際、読んでみると、悪い意味ではなく、予想通りの作品である。さすが船橋さん、読みやすく、わかりやすく、そして、かなり公平に書かれている。なんで朝日新聞じゃないのだろうとここでまた思うが、それはそれとして、私が読んだ印象では、福島第一原発事故について、ここまで包括的に書かれた一般向け書籍はなかったのではないかということだ。福島第一原発事故を顧みる上で、必読書と言ってもよいだろう。
cover
カウントダウン・
メルトダウン(下)
 上巻の帯には、「『民間事故調』でも語られなかった真実の物語!」とあるが、この問題に関心をもってきた私としては、それほど驚くべき真実はなかった。私にはあまり意外性はなかったが、読む人によっては異なる印象を持つだろうか。
 別の言い方をすれば、意外に思えるような新説がないということは、新事実がないという意味で、安心して読めるということでもあった。著者・船橋としては、米側の取材部分を新味としたかったのかもしれない。下巻の帯には、「米海軍は政権内で横須賀基地からの撤退を主張!」とあるが、これは米海軍のやりそうなことだし、事件の経緯からも察せられたものだった。
 しかし米海軍の主張や立ち位置よりも、駐日米大使館、原子力規制委員会(NRC)を軸とした米国内での対立意見は、こうして整理されるとよくわかる。これだけまとまった形で読むのは初めてだったので、その状況が明確に理解できた。と同時に、それに対する日本側のひどさにもげんなりしてくる。民主党政権だったからということでもないだろうが、日本側の事故対応は、ほとんど国家の体をなしていない。なかでも、3月14日(米国時間)に米側で議論された、原発テロを扱う、NRCによるB5条b項の話は、圧巻である。率直に言って、下巻のこの部分だけで簡素に別書籍として切り出し、多くの人に読まれたらよいだろうと願わずにいられない。
 多少乱暴なまとめになるが、大著とはいえ、上巻は今回の事故の核心の数日間を基本とし、いわば『民間事故調』を船橋トーンでまとめたドキュメンタリーの域を出ない。質は悪くないのだが、それほど読み応えのある話ではない。対して、下巻の前半、米側の動向をまとめた部分は、真実といったものはさほどないせによ、今後の日本を考える上でも大変に示唆深い内容となっている。
 ただし下巻の後半は、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を巡るごたごたと後日譚的な話がまとまっているのだが、懐かしの船橋トーンが満喫できるという感想は持つが、事故の本質からすると、やや情緒に流れたきらいがある。繰り返すと、本書は、私の考えでは、下巻だけ読まれてもよいし、むしろ下巻の前半だけ読まれてもよいと思う。
 それにしても、あの複雑怪奇な事件がこうも読みやすくまとめられるというのは、たいした手腕だと思うが、考えてみれば、そもそも福島第一原発事故は、日本の市民が歴史として受容していく、ある意味、神話的な物語でもあり、物語として受け入れられる形で提示される必要性があった。そのあたりは、船橋さんも長年のジャーナリストの勘で察せられていたのだろう。全体として見て、菅元首相、斑目元原子力安全委員会委員長、吉田昌男福一原発前所長、また愉快な民主党の仲間たちというと揶揄めいていけないが、この事故を物語として見たときの登場人物描写は、控えめでありながら、躍動感がある。
 さて、もっとも本質的な問いかけである、福島第一原発事故とは何だったか、という点で本書を読むとどうか。
 率直のところ、雲を掴む印象が残る。これが船橋さんのスタイルだという面もあるのだろうが、もう少し大胆な切り込みがあってもよかったのかもしれない。
 具体的にどういうことかというと、最終部で描かれている「神の御加護」が切り口になる。

 福島第一原発事故について、危機の間、菅を支えた首相秘書官の一人は後に述懐した。
「この国にはやっぱり神様がついていると心から思った」
 菅自身は、「4号機の原子炉が水で満たされており、衝撃などの何かの理由でその水が核燃料プールに流れ込んだ」ことを例にとり、「もしプールの水が沸騰してなくなっていれば、最悪のシナリオは避けられなかった」とした上で、「まさに神の御加護があったのだ」と述べている。

 こうした述懐を聞くと、ひどく率直に言うなら、なんだよそれ、ふざけんなよという思いが自然に浮かぶ。日本を守る神などは存在しない。そもそも、そういう奇っ怪な発想はそもそもどこから出てくるのだ、と怒る気持ちが自分にはある。
 反面、そう理解した関係者の気持ちもわからないではない。よくこの事故がこれで済んだな、と。
 そして、この事故の本質というとき、私の念頭にあるのは、まさにその4号機プールである。船橋は「例にとり」というのだが、この事故の核心は、まさにそこにある。
 多少情感を込めて言うなら、著者・船橋はこれだけの大作を著しながら、この事件の本質を本当に理解していたのだろうかという疑問も残る。あるいは、そこは明確に意識されていたのだろうか。
 この事故の本質が何かということを念頭に冷静に本書の記述を再読されれば、事故の本質が原発そのものではなく、使用済み核燃料格納プールにあったことは明らかだろう。
 私はこの「物語」を転倒して解釈したいのでもなければ、原発の危険性を軽視したいのではない(そもそも軽水炉は大事故を起こせないのだが)。冷ややかにこの物語を再読するなら、そのテーマは、使用済み核燃料格納プールであることは、自然に見えてくるはずだと思う。
 本書を読みながら、私にはさほど目新しい知見はないと言ったが、一つ、「ああ、そうだったのか」と考えを深めた点はある。れいの二階から目薬作戦である。3号機、4号機の上空から水を撒くというあの悲壮なナンセンスである。本書でも、それが国民に向けてのショーアップであったことを示しているが、同時に、あれは、4号機プールの確認作業でもあったのだった。あの作業を通して、4号機プールになぜか水が入っていることが確認され、NRCがようやく方針を変えることになった。
 なぜ4号機プールに水があったのか。先の「神の御加護」である。偶然に流れ込んだというのだ。そんなことがあるだろうか。「神の御加護」など日本にはないと考える私はこの真相を疑っている。
 本書で知ったわずかな新知見として、3月13日の時点で東電が1号機上空から氷3.5トンを投下する計画が描かれている。密かに計画していたのだという。それ自体は、混乱のなか各種の模索があったという逸話に過ぎないが、私がこの逸話から嗅ぎ取るのは、端的に言って、まだ各種の活動が隠されているのではないかという疑念である。
 陰謀論を採りたいというのではない。陰謀論など唱える気もしない。しかし、では、「神の御加護」という偶然を信じるのかというと、そうできるなら、なんと暢気なことだろうと思えてならない。
 
 

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2013.02.09

[書評]日本人はなぜ貧乏になったか?(村上尚己)

 自民党総裁に安倍晋三氏が返り咲いた当初、奇異な目で見られていたその経済政策、通称アベノミクスだが、比較的短期間に多くの人から支持されてきたようだ。理由は単純。安倍首相がアベノミクスを掲げただけで円高が止まり、株価が上がり、実感としてもこれから日本経済が前向きになってくる期待が醸成されたからだ。

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日本人はなぜ貧乏になったか?
村上尚己
 それはいいとしよう。では、実際に、アベノミクスの内実がどれほど理解されているというと、どうだろうか。なかなか難しそうだ。メディアで活躍された経済専門家もしばしばとんちんかんな説明をしたり、どうでもいい賛否両論でお茶を濁したりする。その点、本書「日本人はなぜ貧乏になったか?」(参照)は、アベノミクスの要点を、いわば想定問答集のようにして、通説の誤りを逐次指摘する形式で明確にまとめている。解答集の虎の巻といった趣向である。
 重要な論点の一つは、長期に渡り日本経済を蝕んできた「『デフレ』の正体」である。第2章の通説を眺めてみよう。通説6から始まる。

通説6 モノが安くなるのだから、デフレは庶民の味方
通説7 デフレといっても、年率1%未満の物価下落なら大丈夫
通説8 日本のデフレ、原因は現役世代の人口減少
通説9 日本のデフレは、安価な中国製品が流入したせいだ
通説10 安売り企業の価格破壊がデフレの原因

 書き写しながら、デフレについて、こうしたことが言われてきたものだとしみじみ思い出す。本書の語る真相はどうか。

真相6 否。モノよりも給料が安くなり、貧困を深刻にしている。
真相7 否。失業者や自殺者の増加こそがこのデフレの正体。
真相8 否。生産年齢の人口減少とデフレの同時発生は唯一、日本だけ。
真相9 否。それならアメリカや韓国はなぜデフレではないのか。
真相10 否。所得が増えれば、消費も増える。「満たされた日本人」は幻想。

 本書では各真相ごとに解説がつく。読みながら、概ねこれで正しいと思う。詳細では異論もあるだろう。たとえば、給与が保証されている層にとってはデフレは実質的な賃金増加をもたらしてきたことや、自殺者の増加は戦後ベビーブームの世代が高齢化していることが背景にあることなど、議論すればできないことはない。さらに細部ではデータの解釈差や勘違いもあるかもしれない。しかし大筋で、本書の真相は説得力がある。
 本書では、こうした21個の通説に対して、それぞれ真相が提示されている。が、いわゆるリフレ派と呼ばれる経済思想になじんだ人にとっては、さほど目新しい論点はない。きれいにまとめたという印象で終わるかもしれない。
 私としては本書の価値は、リフレ派の論点整理というより、米国連邦準備制度理事会(FRB)が実施した量的緩和政策(QE: Quantitative easing)についての簡素な説明とその評価にある。
 リフレ派の議論は難解なマクロ経済学をベースとしていること。また、伝統的な中央銀行の思想とは異なる面もあり、あくまで理論的な話にすぎないと見る向きがあった。現在でも、インフレターゲット政策についてデフレからインフレにもっていくための政策としては「世界初の実験」だとも指摘される。そう指摘されて苦笑を漏らさない人もいる。本書でも指摘されているが、そもそも先進国なら2%インフレターゲットが実施されていた。だから、日本のようなタイプのデフレに落ち込んでいる例はなかったからだ。日本が普通の国であったら、そもそも「デフレからインフレにもっていくための政策」は必要なかったのである。
 このことが如実に示されたのが、FRBのQEだった。QE1は2009年3月~2010年3月、QE2は2010年11月~2011年6月、QE3は2012年9月に決定され、現在も続いている。しかも失業率が所定値に下がるまで続くとした。米国では明確に、量的緩和政策が失業率と関連つけられて扱われている。
 こういう言い方にも異論があるかもしれないが、リフレ派の議論が、議論のための議論のように見られた時代に終止符を打ったのは、FRBであり、そのバーナンキ議長だった。それが議論を越えて現実に示されれば、どのような机上の理論も対抗できるはずもない。それなのに民主党政権下ではだらだらとデフレ政策が実施されていた。安倍首相でなくてもいずれ、日本がリフレ政策を採らざるを得ないことは予想された。現時点で振り返っても、問題は「いずれ」という時期でもあったのかもしれない。
 本書が示したように、これから日本経済は復活に向かうだろうか。
 本書の域を超えるが懸念事項がないわけでもない。そもそもアベノミクスは本書が焦点を当てている金融政策に加え、旧来の自民党政治型の財政政策と、小泉政権に近い成長戦略の三項から成立していて、項目間に必ずしも統合性があるわけではない。本書では、財政政策については触れていないが、その成長戦略については疑念も呈されている。また、本書は消費税増税に反対の立場を取るが、実質的な財務省ストーリーとしてのアベノミクスでは、消費税増税のための地均しなのである。現在期待されているアベノミクスが思いがけない換骨奪胎に終わる懸念もある(むしろ強いと見られる)。そうした事態に際しても本書は、いわばあるべき定規のような役割をするだろう。
 あと個人的には著者・村上尚己氏の「おわりに」とする後書きに共感した。41歳の彼自身が社会人として向き合ったのがまさに日本のデフレだった。

 デフレによって貨幣の価値ばかりが高まり(貯め込んだ現金だけで生活できる人だけが豊かになる)、その一方で若者の価値(給料)はまったく上がらず、押さえつけられたまま、こんな状況がいつまでも許されていいのか?

 後書きに呼応する著者の思いは第5章ではこう表現されている。成長する社会が重要だとして。

 だから「競争をやめて、皆が分かち合う温かい社会」を希求する人は、社会全体が成長を止めることを放置してはいけないのだ。「脱成長」の先にあるものは、「壮絶な奪い合い社会」でしかないのだから。

 私もそう思う。
 しかしそこに別のタイプの難しい問題がある。2012年元旦の朝日新聞社説を例にして。

 そしてこういった「脱成長」「ブータンのように低成長だが幸福な社会」といった話を受け入れてしまう人(朝日新聞のこの社説を書いた人もそこに含まれるのであろう)が、きわめて不幸なのは、そういった人たちがすごく心優しい人たちである場合が多いということだ。

 アベノミクスを「壮絶な奪い合い社会」と見なし、「競争をやめて、皆が分かち合う温かい社会」を希求する心優しい人たちを、苦笑して通り過ぎてはいけないのだろう。ただ、どうしたら伝えられるのだろうか。本書がその一助になりえるだろうか。
 
 

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2013.02.08

[書評]昭和という時代を生きて(氏家齊一郎・語り、塩野米松・編)

 「痛快無比」という懐かしい言葉が、読みながら心に浮かぶ。昭和という歴史が眼前に躍動してくる。何度も思わず感嘆の声が漏れる。面白い。「昭和という時代を生きて」(参照)は、事実上、氏家齊一郎の自伝である。塩野米松がインタビューアーとなって書籍にまとめたものだ。

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昭和という時代を生きて
 氏家は偉人ではない。読売新聞グループ総帥・渡邉恒雄の親友という点からすれば、ヒール(悪玉)と見る人がいても不思議ではないくらいだ。いち新聞記者から、事実上の政商にのし上がったその経歴は、自民党政治とも一体化している。とてもではないが理想とはほど遠い。河野一郎や中曽根康弘との交流は胡散臭いし、児玉誉士夫や田中角栄との関わりは昭和の暗部を覗き込むようなスリルがある。
 ヒールの側面を感じさせながら、氏家は若き日に渡邉に誘われて共産党に入ったように、共産主義への理想も理解していた。カストロの友人であり、ホーチミンの友人でもあった。私は知らずにいたので驚いたのだが、日本共産党を支えた上田耕一郎とも思いをかわしていた。その性格の根幹に、嘘のない朗らかなものがあるのだ。
 渡邉が反共に逆走したのとは異なり、氏家の心のなかには若き日の共産党の理想は別の形で生き残っていた。それは彼のもう一人の親友、網野善彦の理想とも違っていた。本書は中盤から、生々しい昭和政治史の裏面と渡邉恒雄が語られるが、他面、全体にわたってなんども、網野善彦への思いが語られる。私などは氏家の視点から、網野の意外な一面を考えさせられた。
 氏家は理想家ではないし、悪玉でもない。それでも、人々を独特の興味を誘う。謙遜で語る部分もあるのだろうが、どう読んでも、明確な理念というのを持って生きて来た人でもない。運命に流されて来ただけのようにも見える。
 ただ、地頭がずばぬけて優れていたとしか言いようがないことと、この世代特有の実利的な理性は魅力的だ。それは山本七平などからも感じ取れる、大正デモクラシーの精神も含まれている。そういえば、氏家は私の父の生年月日と一週間と変わらない。その意味で、私自身にしても父の時代をきれいになぞる歴史がここに描かれていた。
 本書、第1章は「ジブリと私」と題されている。薄々というくらいは知っていたが、ジブリが今日存在するのは、氏家の功績なのだということがよくわかる。しかも、氏家の思いの根幹は、宮崎駿よりも高畑勲にあった。正確にいえば、宮崎の高畑への思いを氏家はよく理解していた。
 ジブリから氏家が語られているのは、本書の元がジブリの冊子『熱風』に2011年1月から2012年8月に連載されていたせいもある。本書も編集はジブリとなっているように、「このように氏家を語らせる」ということで、ジブリが表現する作品でもあった。
 いや、ジブリというより、プロデューサー・鈴木敏夫の作品と言ったほうがよい。鈴木の魂のなかで、氏家をこのように写し取ろうとした熱い思いがあった。鈴木と氏家の魂の交流ともいうべきもののなかで、氏家はゆったりとその人生の意味を明らかにしたのだった。その核心は何だったか?
 意外なことに、すべてが満たされたかのような氏家の人生のむなしさだった。鈴木の手による本書の解説で、氏家が「僕の人生、振り返ると何もやっていない」という意外な言葉を留めている。鈴木はこう回顧する。

 ぼくが驚いていたら、今度は「70年以上生きてきて、何もやってこなかった男の寂しさが分かるか」とひとりごちた。フォローしようと思ったが、うまい返答が見つからない。なんとか言葉を探して「マスメディアの中で大きな役割を果たしているじゃないですか。日テレだって経営を立て直したのは氏家さんでしょ」と言ったら、「馬鹿野郎!」と怒鳴られてしまった。

 氏家にしてみれば、その人生は、ただ運命を受け入れて、こなしてきただけにすぎなかった。「死ぬ前に何かやりたい……」ともこぼした。何がやりたかったか。

 そんな氏家さんが初めて自分から決めたやりたいことがあった。高畑さんの新作だ。
 「死ぬまでにもう1本、どうしても観たい」と相談された。そうして、準備を始めたのが、今、取り組んでいる「かぐや姫」だ。高畑さんがどういう作品にしようか悩んでいた時、氏家さんに要望を訊いた。そうしたら「詩情だな。彼の作品にはいつもそれがある」と言われ、高畑さんに伝えた。


 ジブリ作品では、この間、「制作」はスタジオジブリとし、「制作」はクレジットしてこなかった。しかし、この「かぐや姫」完成の暁には、制作=氏家齊一郎と表記したいと考えている。

 しかし、氏家齊一郎は「かぐや姫」を観ることなく死んだ。2011年3月28日。84歳だった。70歳以降は難病を抱え苦しむ人生でもあったが、死がその延長にあったわけではなかった。
 本書の語りは、氏家の死によって途絶えた形になっている。その意味では、未完の作品のようにも見える。だが、こうした書籍が残せたというだけで、ほとんど奇跡のように思えてならない。
 
 

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2013.02.07

[書評]統計学が最強の学問である(西内啓)

 統計学をその「意味」の視点からこれほどわかりやすく解説した書籍はないのではないか。「統計学が最強の学問である」(参照)という表題は挑戦的だが、実際、後半部の応用分野との関わりの解説に力点を置いて読むならなら適切とも言える。しかしなにより、統計学をわかりやすく解説した入門書としてすぐれている。現代人ならどうしても統計学の基礎知識は必要となるので、そういう点からも必読書と言ってもいい。

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統計学が最強の学問である
西内啓
 本書の内容は、cakesに連載されていたもので、私も連載当初から読んでいた。語り口が豊かでまた逸話も面白く、オンラインの読み物としてもすぐれているのだが、中盤の回帰分析の説明あたりから、これは集中して読んだほうがいいなと思い直し、年末から正月、Kindle PaperWhiteのブラウザー機能に落とし込んで読んだ。ある程度、濃密なコンテンツになると依然、書籍というのは有利なもので、この連載が書籍化されるなら、早速読んでみたいものだと思っていたら、すぐに書籍化された。再読し、さらに再々読した。読む度にうなった。ちなみに、本書はKindle版もある。再読に便利だ。
 統計学の入門書として本書が優れているといっても、他に良書もある。著者・西内啓氏自身の「世界一やさしくわかる医療統計」(参照)も「医療統計」としているものの、統計学の入門書としてもすぐれている。
 しかし、統計学は数学でもあり、つまるところ、ある程度は体系的に学ばないとわからない面がある。演習も必要とは言えるだろう。統計学を一定水準で学ぶためには各人がいろいろ工夫されるとよいだろう。ちなみに私は中学生のころ、教師の趣味でできた統計クラブというのに属していて電卓叩きをよくやらされたが、現代では、無料の表計算ソフトですら各種統計処理用の関数が用意されているので、具体的な事例をもとに簡易に計算してみるという学び方もあるだろう。
 問題はその先、あるいはその手前かもしれない。
 「なぜこういう統計分析をするのか」「その背景にどういう考えがあるのか」「こういう統計分析をしてどんな意味があるのか」ということは、いわゆる入門書からはわかりづらい。統計の専門家はどうしてもテクニカルな問題に関心を向けてしまうからだ。相関と因果関係についてはどの入門書でも指摘されているが、「両者を混同しないように」くらいな説明で終わらざるをえない。
 本書は違う。統計というものをこれほど徹底して考え抜いた書籍はなかったのではないかと思えるほどだ。本書の前半を読んでもわかることだが、統計学の意味がわかることが、実際のビジネスシーンにも大きな影響を与える。逆の言い方をすれば、統計学の技術だけで出された定量的な結果レポートは、そのために巨費をかけていても、実質ナンセンスということが多い。率直なところ、本書を読んだ経営者は以降、企画屋があげてくるプレゼンテーションに厳しくなるに違いない。
 本書の内容は、著者も率直に述べているが、前半では統計学の基礎説明を越えるものは特にない。その意味で、一通り統計学を学んだ学生にとっては、なーんだという印象ももつかもしれない。実は私も、前半三分の一までは、統計学者フィッシャーのエピソードの話などを読みながら、「ああ、あれね」という感じで過ごしていた。
 が、喫煙の被害についての、統計処理の背景にある考え方の説明あたりで、ぐっと引き込まれた。自分としてはフィッシャーの原理的な考え方が正しく、いわゆる各種疫学の論考にはそれほど意味がないのではないかと疑っていた。が、そのあたりが、ばしっと整理されていたのだった。
 もう一点は、これは単に私が無知なだけだったかもしれない。回帰分析に関連して「統計学の教科書は一般化線形モデルの扱いで2種類に分けられる」という説明には、感服。また曰く「一般化線形モデルという枠組みによって、データ間の関連性を分析したり推測を行ったりする解析のほとんどは、広義の回帰分析の一部であると整理することができた」。そうだったのか。という時点で自分の無知にあきれた。
 本書では、t検定の考え方と回帰分析の考え方が、実は同じなのだということをわかりやすい図を使って説明しているが、こういうの、これまで読んだ入門書や教科書の冒頭にきちんと書いてほしかった。というか、私の読み落としだろうか。なお、「t検定」については他の説明に比べて、この用語についての説明手順に省略があるように思えた。こうした点で巻末索引から見直したり、別途用語集があるとよかったかもしれない。
 後半三分の一、第6章「統計家たちの仁義なき戦い」以降は、統計学の6つの分野として、統計学の応用の話題に移る。ここらは統計学の基礎というよりは、現代の各種学問や企業活動、医療などの背景にある統計学の現状がそれぞれ簡素にまとめられている。読みやすいといえば読みやすいが、その分、個別の領域に潜む問題についてはどうしても浅くなりがちで、おそらく著者であれば各分野について一冊分の解説書ができるだろうし、今後も期待したい。特に、統計学と計量経済学については是非、経済学者を交えて深掘りをかけてほしい、難しいだろうが。
 本書の意義の一つは、回帰の説明が極まる第5章末の段落に現れている。

 人類はすでに因果関係を把握しコントロールする術を手に入れている。妖しげな霊媒師に頼るまでもなく、ちょっと勉強してデータをいじりさえすれば最善の判断は下せる。あとはもう、この知恵を使っていかに価値を生み出すか、というだけの話なのだ。

 誰でもちょっとデータをいじるだけでよいかという点では、ネット論壇的なものを見るとそうとも言えないかなと思い浮かぶ御仁が数名いるが、それはそれとして、きちんとした統計処理から、現代政治の政策課題の大半は、技術的な問題に帰しており、その技術面のプランでは有能な官僚の良心にかなり委託できる。が、現実の私たちの課題はその方向にそれほど進んでいない。別の難問があるのだ。
 余談めくが、私は著者の西内氏に先日会い、「うあ、これは昔よく見た天才のいちタイプだ」という印象をもった。きっと話せばいろいろ理解してもらえると思ったが、現実の私たちの社会・政治の難問は、実は、解決にはないのである。正しい解決は、活かされないと言ってもいい。そんなこと通じるかなあと思ったのである。
 最強の学問が最高の価値を生み出しても、なかなか現実には反映されないという点で、現実には別のタイプの難問がある。とはいえ、その難問の多くは、基本、市民間の関係や妥協・譲歩の倫理に帰すもので、個人のビジネスにはさほど関係ない。
 本書を理解した人間は、仕事や個人的な問題に直面したときは、かなり強みを発揮するだろうし、そこでは統計学を「ちょっと勉強して」の効果は絶大だろう。
 
 


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2013.02.05

エジプト争乱2年後の争乱

 エジプト争乱2年後の出来事として50人以上の死者を出す争乱が起きた。この2年間のエジプトでは最大の争乱だった。原因は、昨年2月のポートサイドのサッカー場騒乱の暴徒21人に1月26日、一審の死刑が下ったことの反発に加えて、いわゆる「エジプト革命」の2周年記念である(参照)。
 今回の争乱について日本で報道がないわけではないが、2年前に比べるとその扱いは小さい。また「この動乱は反革命であり、革命はまだ進行中である」といった議論も見かけた。私の見るところを簡単にまとめておこう。
 今回の騒乱の主導者については、フーリガン、ムバラク政権支持者、その秘密警察残党、金でつられたバルタギー(ギャング)といった指摘が目立つ。いわば混乱のための混乱を求める暴徒という指摘である。
 概ね当たっていると見られるが、これらの指摘は、現状のモルシ政権側の見立てをなぞっている面もあり、注意が必要だ。
 暴徒によるものか、2年前の民主化の要求が高じたものか、見分けの可否は、2年前の争乱の主体がどのくらい今回の争乱に関与しているか、あるいはどう評価しているかにかかっている。つまり、同胞団側の視点ではなく、世俗的な民主主義を希求する勢力がどのように今回の争乱を見ているかが重要になる。
 この点については、救国戦線指導者で国際原子力機関(IAEA)の元事務局長エルバラダイ氏の動向から概ね読み解ける。2日付けAFP「デモ隊が大統領府に火炎瓶 1人死亡 エジプト」(参照)より。


 主要野党の連合体「国民救済戦線(National Salvation Front)」のモハメド・エルバラダイ(Mohamed ElBaradei)氏は暴力行為が始まる数時間前、マイクロブログのツイッター(Twitter)上で、「モルシ政権が人々の要求に耳を傾けない限り、暴力と混乱は続くだろう」と投稿していた。だがその後発表した声明で、国民救済戦線はデモ隊に「最大限の自制を」と呼びかけ、大統領府前での暴力行為から距離を置いた

 簡単に言えば、エルバラダイは反モルシであるが、暴力行為には荷担しない、というものだ。その後の経緯を見ると、全体傾向としては、民主化勢力は暴動を避け、モルシ政権側との対話に向かっているとも言える。
 今回の事態の最大のポイントだが、民主化という文脈ではなく、モルシ政権および同胞団を政権のオモテに立てて裏に隠れていたはずの軍部が、姿を現した点にある。「エジプト革命」というものの正体である軍部クーデターの特質が露出した。
 実際のところ、今回の事態は軍の顕在化によって収拾したのだった。
 この点について邦文で読める記事としては、1月30日WSJ「「国家崩壊の可能性も」-エジプト国防相が反政府デモけん制」(参照)がある。他に、BBCなども注目していた(参照)。

過去5日間街頭で暴動が発生し、政治的なまひ状態が何カ月間も続いているエジプトで、シーシ国防相(軍最高評議会議長)は29日、軍が社会秩序維持のため、ムバラク前大統領を打倒後の革命初期と同様に再び介入するかもしれないと述べ、対立する政治勢力や街頭の暴徒をけん制した。

 WSJ記事でも指摘があるが、軍部がエジプト政治の前面に出たいわけではない。
 事態の全体図をわかりやすく描いたのは、1日グローバルポスト「Egypt protests: Can the army keep the peace?」(参照)だった。

A warning from Egypt’s defense minister this week that the Egyptian state was near collapse raised a lot of eyebrows.

エジプトが国家崩壊の縁にあった今週、エジプト防衛大臣からの警告で、多数の人々が眉をつりあげた。

Were the country’s secretive generals readying for another coup?

この国の秘密主義の将軍は、別のクーデターを用意していたのか?


 この「another coup(別のクーデター)」の含みだが、私の考えるように、2年前のいわゆる「エジプト革命」の正体をそもそも軍部クーデターと見ているわけではない。ここでは一応「革命」があり、その後軍部が乗っ取ったという筋立てで、軍部のクーデターとしている。いずれにせよ、今回の事態も軍部クーデターの兆候として理解された。
 エジプト軍部には、もとより直接的な国家政治支配の意向はない。軍部にとってのメリットがないからだ。軍部の利権はすでに達成されている。

With their economic and political interests now safeguarded under the Muslim Brotherhood-dominated government, however, the army may prefer to steer the current political crisis from the sidelines, analysts say, rather than upend its status quo.

軍部の経済的かつ政治的な利益は現状、同胞団支配の政府の元で守られているので、軍部としては、この現状を変えるより、傍観的な立場から現下の政治危機を操縦すること好むようだと、アナリストは語る。


 そもそも軍部の意向は、実質的なクーデターを傀儡政権で隠蔽し、その経済および政治的な軍産共同体を維持することだった。
 では、軍部とモルシ政権の関係はどうなっているのか。
 一見すると、軍部は昨年8月、モルシ政権に譲歩したかに見えた。

Morsi forced the previous defense minister into early retirement in August, usurping the military’s broad political powers for himself in a move that was hailed as a victory against army rule.

モルシは、軍部支配に打ち勝った活動で、軍部の政治権力を自身の手に奪い取り、8月には前防衛大臣を早期退職に追い込んだ。

But the army still commands a number of administrative posts — including governorships — and vast economic interests that keep its political reach far and wide inside Egypt. Analysts say the army’s lucrative economic empire ranges from tourist resorts, to processed food, to the manufacture of weapons and household appliances.

ところが軍部は依然、各知事職を含め、数多くの行政職と、エジプト全土にわたる政治権力を維持する経済利権を握っている。富を生み出す軍部の経済帝国は、観光地から加工食料品産業、武器や家電品の製造業にまで及んでいるとアナリストは語る。


 軍部の政治および経済利権は温存されている。もともとこの軍部の利権帝国を維持するために、敵対するムバラクファミリーを核とした新興階層を潰し、またその巻き添えを食わないようにすることが当初からの軍部クーデターの目論みであった。
 実際、この利権帝国の様相からすれば、軍最高評議会が退いたかのような形に見せたのは一種のお芝居であり、取引であった。
 問題は、軍部とモルシ政権という二項の取引きではないところに、エジプト情勢の複雑さがある。明確にはされていないが、取引には米国も噛んでいると見てよい。先のWSJ記事でも指摘があった。

 あるアラブ高官は、「人々は、米国がムスリム同胞団と結託しているかにみえるのをいぶかしく思っている」と述べた。この高官の政府は、イスラム原理主義者たちがカイロでますます権力を掌握することを懸念していると述べた。同高官はまた、エジプト政府批判に消極的な米国の態度について過去2カ月間、他のどのテーマよりも頻繁にオバマ政権と討議したと述べ、「われわれは合意できないことで合意した」と語った。

 米国側の取引材料は端的にエジプト軍部と政府への経済援助であり、その見返りはイスラエルの安全保障である。モルシ大統領は反米かつ反イスラエル的な言動を際立たせているが、国内向けのポーズにすぎず、実態としては反イスラエル的な政治は抑制されている。
 さらにこの三者の取引をもう一項拡張するなら、2年前の大衆運動を指導したかに見える民主化および世俗勢力側も米国との事実上の取引の上にあった。
 すると、軍部、同胞団、民主化・世俗化勢力、米国、その4項全てが、項間の強弱はあれ茶番を演じているということになる。
 モルシ政権側と組んだ軍部としては、政府からその経済利権の独立がこのまま、憲法からすらも超法規的に維持できれば、軍内部にある反米動向は抑制できる。
 問題は、モルシ政権を支えるかに見える同胞団だが、このセクターは米国の意向に明瞭に敵対している。モルシ大統領としても茶番のバランスのためにリップサービスが欠かせない。
 こうして見ると茶番とは言っても、極めて危うい均衡の上に成り立っている。この均衡が崩れたときは、軍部が露出する。グローバルポストでもその指摘はあった。

A former brigadier general and military analyst, Mohamed Kadry Said, said if Morsi doesn’t resolve the situation by engaging in serious dialogue with the political opposition, “the army may intervene in the same way it did after the revolution.”

前准将であり軍事アナリストのモハメド・カドリ・サイドは、仮にモルシが現況について、政治対立者間の真摯な対話で解決できなければ、「軍部は、革命後と同様の手法で介入するかもしれない」と語った。


 現下のモルシ政権が争乱で倒れれば、軍部がまた国家の中枢に現れるだろうという指摘である。

“The military never withdrew from politics and continues to play a powerful role,” said Hani Sabra, an analyst at the New York-based political risk research firm, Eurasia Group. “The military leadership is therefore comfortable with the status quo.”

「軍部は決して政治支配から撤退せず、強力な役割を果たし続ける。だから軍部指導者は現状に満足しているのだ」とユーラシアグループ(ニューヨークを拠点とする政治的リスク調査会社)のアナリスト、ハーニー・サブラは語る。


 現状、モルシ政権の対話路線が成功しているというものでもないが、争乱は鎮静化しつつある。軍部は威嚇に成功したので、これ以上の動きはしない。よって、もとの危うい茶番に戻ったと言える。だが、今後も進む経済窮乏化によって、社会不安からさらなる争乱は起こりえるだろう。
 
 

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2013.02.01

はまった3つのゲーム

 また、Kindle Fire HDの話だ。いや、ちょっと違う。これ使っていると、毎日、いっこ、アマゾンさんから、ゲームがもらえるんですよ、安っぽい、つまんないやつ。ゲームでないこともあるけど。しょうもないなあと思っていて、ダウンロードもしないのだけど、たまに、ふとダウンロードして、おやおや、ずぼっと、はまるゲームもあるもんです。
 こんなの面白いんかと最初は思うのですよ。しかし、やってて、ずぼずぼ。そんなことしてないで、ブログでも書けばいいのにと自分でも思うので、じゃあ、いっそゲームの話でも。

Dummy Defense

 ダミー人形を衝撃や攻撃から守るための構築物を作るという、一種のパズルゲームです。2次元ではあるんだけど、材木とかを縦横斜めとかで、ダミー人形のメルビン君を囲む。よっしゃこれでメルビンは安全だと思って、スイッチ入れると、岩石が飛んできたり、上から天井が落ちてきたり、なんだかんだと衝撃や攻撃がくる。おおっと、構築物壊れた、哀れ、メルビン君、首が引きちぎれたぁ、みたいな世界。
 こんなものの何が面白いんだろうと思うわけです。簡単だろこれと思うわけです。ところが、なかなか安全な構築物はできないし、コスト制限がある。でも、なんとか攻撃に耐えた、よくやった、感動したとかになるのだけど、ここで、星、ひとつ。あれ? もっと安価で安全な構築物できるんかと思うわけです。そのうち、星、みっつが目標になり、やっきになってはまります。
 ネットに第一部はけっこう解答集があるんだけど、見ないでがんばったほうがいいですよ。私もけっこう会心作を作りましたぜ。

Gem Spinner II

 いわゆる落ちゲーってやつです。こ、このオレが、落ちゲーやるのか。コラムス以来のことじゃないのか(そのまえにテトリスやってます)。
 これ、ぷよぷよと違うのかあ、ぷよぷよしらんが、と。で、なんとなくルールを覚える。三つ以上縦横に宝石が並ぶと、ぱちょーんと消える。二つの宝石はタップで入れ替え可能。あと、ピースは回転するし、移動できる。あと、一度マッチすると背景がダークになりピース内が全ダークになると、ピースが消える。
 変なBGMがそのうち、クセになるし、なんかもう、落ちゲー脳になっていきますね。というか、これ、麻薬性がある。
 ゲームのチャプター末には、詰め落ちゲーというのがあり、むむむです。これができないけど、あとはもうかなりクリアしました。
 もう一生分、落ちゲーした気分です、さあ、かかってこい。

The Lost City

 いわゆるアドベンチャーゲームです。ミストに似てますよ。ミストほど難しくないし、絵はきれいなんだけど、ファンタジー性がよわくて、パチっぽい感じがぷんぷんという感じなんだけど、まあ、なんかはまった。
 スポイラー(解答集)がついているので、いらいらしたら見るといいです。日本語化されているのだけど、翻訳がいまいちな感じ。
 四季が自由に変わる、四季が変わるからなんたらというストーリーに面白みはあるんだけど、もう一段深いファンタジー性があるといいなと思う。
 あ、これ、Kindle貰ったんじゃなくて、買ったのでした。85円。

 以上、どれもアクション系じゃなくて、しかもパズルもの。マシンの制約も、こちとらが老人化しているのあるけど、まあ、ぱちなゲームもそれなりに面白いかなとは思うようにはなった。

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世界の七不思議都市 (CITIES)
 余談だけど、世界の七不思議の「都市」拡張(参照)なかなか面白いですよ。
 「リーダーズ」(参照)がなくても「都市」だけでも面白いというか、リーダーズだけ加えるとだと科学に偏っていまいち。
 
 

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