« 放射性炭素年代測定が適用できない現代は未来の歴史から消える | トップページ | [書評]新しいウイルス入門(武村政春) »

2013.02.14

[書評]137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史(クリストファー・ロイド)

 地球はどのように始まり、生命はどのように誕生し、人類はどのように進化し、この地球はどのように現在に至ったかという話題は、普通、「ナチュラル‐ヒストリー(natural history)」として語られる。

cover
137億年の物語
宇宙が始まってから
今日までの全歴史
 この言葉は、直訳すれば「自然史」だが「博物学」とも訳される。本書「137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史」(参照)は、この自然史・博物学という「ヒストリー」を、いわゆる歴史学という「ヒストリー」と接合して統合的に語ろうとした書籍である。邦訳書の帯に「理理系と文系が出会った初めての歴史書」というのも、ナチュラル‐ヒストリー(理系)とヒストリー(文系)という意味合いがあるだろう。総合的に現在の地球を理解したいというときには、この総合的な視点が求められるということで、本書は多くの人が求めてきたものであった。原書は欧米でベストセラーにもなった。
 本書には二点、特徴がある。一つは、本書は概ね子ども向けあるいは青年向けに書かれていることだ。だいたい中学生の知的レベルに合わせて記述されているので読みやすい。もう一つは、話題の扱い方にバランスの取れた現代性が感じられることだ。現代の定説と思われるところをわかりやすく刈り込んだ形で描いている。
 この二点はつまり、高校卒業して10年以上も経つ社会人にとって当然のように有益だということになる。青年向けの書籍だが、現代の大人が読んでも面白いということを意味している。
 加えて言うなら、本書がグローバルな歴史認識のスタンダードでもあるということも特徴になるだろう。ビジネスなどで海外の人に接することのある人で、それなりの知性が求められている人なら、本書の内容は、普通に常識という意味合いがある。
 ひねくれた言い方をすると、日本の知識人は、受験勉強ができてその上に専門分野的な知的装いを加えているというタイプが多く、本書のような俯瞰的な見解を持たなかったり、世界的な常識と乖離していることがある。そうした補正にも役立つ。
 本書は、その外形を見ても、日本の通常の単行本よりも大きく、506ページにもわたる大著であることから、見ただけで後込む人もいるかもしれないが、通して読む必要はなく、42のトピックに分かれているのでそれぞれを単体で読んでもよい。最初から意気込んで読まなくても、気になるところからつまみ食いのように読んでもよいだろう。単純に割り算すれば一つのトピックは12ページ程度なので、実はそれほど深い内容は扱っていない。ちょうど欧米の雑誌の科学コラムの分量であり、実際、著者クリストファー・ロイドはサンデータイムズ紙の記者であった経験がよく活かされている。
 私が本書で一番の美点だと思うのは、絵の美しさである。写真もきれいだし、表はよくまとまっている。本当に、書籍というものを作り込んでいるなと驚嘆する。それが評価できるのも、邦訳書がとてもよい仕上がりになっていることもある。子どもの頃、図鑑をわくわくして読んだ感興がよみがえる。
 具体的な内容的についてはどうか。バランス良く定説がまとまっているということは書いたが、逆に言えば、定説というのは必ずつまらないものである。皮肉な意味合いになってしまうが、本書を面白いと感じるということは、現在の最先端の科学や歴史学に精通していないということにもなりかねないし、本書の歴史観は基本的に古い枠組みをもっている。ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄—1万3000年にわたる人類史の謎」(参照)のような特定の方法論的な視点を取っているわけではない。ただ、そこを本書に求めるのはお門違いというものだ。
 やや凡庸な記述という印象もあるが、それでも、ぐっと引き込まされるのは、個人的にはイスラム文化やアフリカ、新大陸への扱いである。この点については、「銃・病原菌・鉄」のようなグローバル史への色目のようにも思えないではないが、読み進むにつれ、あるコアのイメージのようなものが沸いてくる。これは、実は、地球史ではなく、広義の英国史なのではないか?
 本書は自然史学の必然でもあり進化論の枠組みを取っているが、なかでも英国人としてのダーウィンに筆者が注目していることは明確であり、また、本書で扱われている多文化は基本的に、無意識的であるのだろうが、大英帝国の版図が反映している。アイロニカルな言い方をすれば、英国知識人はこのような世界観を持つという表明のようにも見える。
 英国的ということにも近いが、この拡大化された「博物学」は、またもアイロニカルな評に聞こえるかもしれないが、ミシェル・フーコーの「言葉と物」(参照)で指摘される古典主義時代のエピステーメーとしての博物学の現代的な拡大のようにも見える。フーコー的には、博物学は、生物学、経済学、文献学に変化していくのだが、本書はその逆流的な統合である。その文脈を誇張すると、「人間の終焉」をもたらした脱・博物学から、再び人類はグローバルスタンダードな「人間」の再構成を教育的に持ち込もうとしているようにも見える。これもまた英国的な知性として感じられる。
 ネットが広がることで、知識が広まった面もあるが、深化の点では劣化してきた面もある。ウィキペディアなどその両刃の剣である。それに比べて、書籍というのはきちんとした知の砦でありうるし、特に青少年向けの知というものは、こうした装備をしているべきだ、などということも本書から痛感させられる。
 
 

|

« 放射性炭素年代測定が適用できない現代は未来の歴史から消える | トップページ | [書評]新しいウイルス入門(武村政春) »

「書評」カテゴリの記事

コメント

137億年の物語の中で、宇宙誕生を24時間前とした場合、人類誕生は3分前(23時57分)と記述されていますが、私の計算では人類誕生700万年前として、45秒前となります。著者の3分前という計算根拠が分かりましたら、是非お送りください。

投稿: 神戸の年金生活者 | 2014.03.26 12:14

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: [書評]137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史(クリストファー・ロイド):

» [ノンフィクションレビュー]地学のじかん [本のすこし窓を開けて]
学校の地学の授業は、物理と並んで退屈で、意味がわからなかった。はるか遠方の視点をもちたくて、地球や生命の歴史と宇宙から見た地球の本を見ている。高度400万kmの上空から眺めた地球は、地図で知っているとおりのカタチで在り、海、山脈、川、砂漠が連なる。頭の中で、... [続きを読む]

受信: 2013.02.15 22:18

« 放射性炭素年代測定が適用できない現代は未来の歴史から消える | トップページ | [書評]新しいウイルス入門(武村政春) »