カレントTV売約とか
A「あれ、どうなの? ゴアの?」
B「17世紀に起きたとされたインドの戦争って話?」
A「それじゃなくて」
B「マグマ大使?」
A「ベタな漫才やりたいわけじゃなくてさ、アル・ゴアがカレントTVを売ったって話なんだけど」
B「何か問題でも?」
A「あれどうなのかなと思って。日本の報道とか見ててもよくわかんないし、以前ゴアのことで騒いだ人も、この件で特に目立って何も言わないみたいなんだけど」
B「アルジャジーラにメディアを売ったのが何か問題とでも?」
A「あれ、2005年にリベラル層をターゲットに開局したテレビ局でしょ。なんかさ、偉そうなこと言って、結局、カネ儲けだったのかな」
B「カネ儲けが悪いとでも? いいじゃん。これでゴアはロムニーよりも大金持ちになるれるだぜ」
A「そんなに!」
B「だいたいリベラルっていうのは、どこの国でもその手のカネ儲けの上手な人たちだよ。日本だって……ああ、まあ、そのぉ……下手に批判とかすると変な嫌がらせされから言わないけど」
A「すごいカネだけど、カネ儲け自体が悪いとは思わないんだよ……ルールに則っているなら」
B「じゃ、あれかな、カタールが産油国で、つまり化石燃料で儲けたカネが使われるのが心に引っかかるとでも?」
A「そのうわまえのおカネでリベラル・メディアを買ったというのが、どうなんだろう」
B「ゴアの『不都合な真実』とか言いたいわけね」
A「ちょっと納得できないんだよね」
B「二酸化炭素排出をやめろとか言って、国民当たりでみると二酸化炭素をばこばこ出しているカタールにそのメディアを売るというのは矛盾しているとか言いたいわけね」
A「矛盾していると思うんだよ」
B「気にすることないよ。この手の問題、矛盾とか気にしていたらきりがないよ」
A「投げやりだなあ」
B「買ったアルジャジーラはカタール首長の支配下にあるんだけど、首長は最近、ガザ地区のハマスに4億ドル、ぽーんと出しているんだよ。アルカイダ主体のシリア反対派にもカネを投じている。ハマスにもゴアにもアルカイダにも、カネを惜しまない。これが中立かつリベラルっていうことでいいじゃないか」
A「ひどいこと言うなあ」
B「現実だけど」
A「なんか批判しているみたいに聞こえるけど」
B「全然。これでアラブ圏の人にも『不都合な真実』とか広まるきっかけになっていいことだよ」
A「本当にそう思っている」
B「もちろん。しいて言えば、アルジャジーラが報道機関としてもう少し独立性があってもいいと思うけど」
A「そこも気になるんだよね。アルジャジーラって、君がいうように、カタール首長の支配下にある権力側のメディアでしょ。中国なんかのメディアと変わらないと思うんだよね」
B「それを言うなら日本だってそれほど変わらないよ」
A「それもそうか」
B「そうだよ」
A「なんか、でも、嫌な感じだなあ」
B「慣れるよ」
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コメント
ゴアさんて、最近日本でもやってる、TEDの常連だそうで。たしかに、TEDに出ている人たちも、みんなお金儲け上手そうですよね。
投稿: tanuki | 2013.01.11 19:19
アルジャジーラはカタール資本です。 GCC (湾岸協力会議)でNATOと一緒に、中東略奪をし続けました。もちろん アルジャジーラは西側主流メディアと共にせっせと捏造報道をし続け、ご褒美にアメリカ市場への進出を認められました。購入先は地球温暖化詐欺のゴアさんです。
ちょっと調べると、サウジアラビア カタール バーレーンがどれほど、皆さんが騒いでいるほどの独裁国家で民間人を弾圧しているかはわかりますよ。まだ、主流メディアにはでませんが、ぽろぽろと報道され始めてます。
投稿: dandomina | 2013.01.11 20:22
本来ここに書くべきではないのかもしれないのですが、twitterでお見かけした正義に関する内容について書かせてください。
絶対性を主張すれば人が死ぬというのは感覚的にはとても分かるように思います。
うまく伝わるか分からないのですが、私は絶対性を求めるのは人間の性だと思っています。それを防ごうとして絶対性を解体するというのは正義を無限後退させるようなもので、人がその不安定さに耐えるのは難しい。
それでも、と精一杯の後退を試みたとして、それは最後には自分自身のためだけの信仰のようなものにしかならないのではないかと思うのです。
これを例えば宗教で代用してしまっては、正義ゲームの中に戻るだけでしょう。
自分自身の信仰の中にある程度の妥当性を見つけられたとして、それを見つけたプロセスは人に伝達できるものなのでしょうか。
その主張そのものが絶対性を帯びてしまうということ以前に、そのプロセスは一種の「体感」のようなものとしてしか現れず、伝達を期待できる性質のものではないように思うのです。
投稿: exon1979 | 2013.01.13 00:20