「南方週末」新年特集号・年頭社説書き換え事件
広東省が拠点の週刊紙「南方週末」新年特集号・年頭社説が、当局の指示で中国共産党賛美の内容にすり替えられた事件について、ざっと日本の大手新聞社説などを見回してみると、ややピンぼけの印象があった。補足がてら、その理由を少し書いておこう。
まず、中国には政府の意向から独立したジャーナリズムは存在しないので、今回の事態も、特段に不思議なことではない。今回の抗議運動では、年間1000記事以上の書き換えがあるとも言われた。中国の報道ではこの手のことは日常茶飯事である。
むしろ、なぜ今回に限ってこれが問題となったのかということが、事件だと言える。
ゆえに、そこを議論しないと、この事件についてはまったくわかったことにはらない。なのにそのあたりの解説が日本国内の報道ではほとんど見られなかったように思えたし、大手紙の社説はピンぼけしていた。
別の言い方をすれば、例えば、10日朝日新聞社説「中国の検閲―言論の自由とめられぬ」(参照)のように、上から目線で「自由を求める声は弾圧で消せるものではないことを、知るべきである」とかいうお説教などは、そもそもどうでもいい話である。
ただし、この超上から目線の朝日新聞社説は、別の意味で非常に興味深い。同紙社説の過去の関連経緯を見ると、あらかた北京政府の胡耀邦系の人脈とのアコードをとる傾向がある。ということは今回の事態についても、共青団系の勢力が「弾圧を是としていない」というメッセージを漏らしていることになる。この系統の意向が朝日新聞にだだ漏れする点で、同紙はなかなか貴重な情報源でもある。
ちょっと飛躍するが、共青団を構図に入れるなら、今回の事件、つまり、「なぜ今回に限って騒がれたか」というのは、太子党・上海閥の系統への政治的な対立を背景にした政治事件、というのが大きな構図になる。
しかし、そうした権力構図だけが今回の要因ではないというのも、この事件の本質に関係している。これはあとで触れる。
その前に他紙社説も軽く見ておこう。
10日付け産経新聞社説「中国の報道統制 「異様な社会」を直視せよ」(参照)は、「共産党一党独裁下では当然の帰結だが、こうした異様なやり方がまかり通っていることを日本は直視しなければならない」というように、中国脅威論というつまらない文脈に帰着している。読む価値はない。
12日付け日経新聞社説「醜悪な中国のメディア統制」(参照)も基本朝日新聞社説に近いが、上から目線お説教というより、事実に目を向けている。たとえば。
ただ、楽観はできない。デモ参加者の一部を当局は拘束し、暴行を加えたとさえ伝えられる。共産党政権に近い新聞は言論統制を正当化する社説を掲載し、宣伝部門はこの社説の転載を他の新聞に指示して新たな反発を招いている。醜悪というよりほかはない。
別の事件も起きている。開明的な知識人が結集して発行している雑誌「炎黄春秋」のサイトが、閉鎖を余儀なくされたのだ。
就任して間もなく、習総書記は「共産党は憲法と法律の範囲内で活動すべきだ」と呼び掛けた。そして中国の憲法は言論の自由を明記している。習総書記と共産党政権の言行一致が問われている。
この「習総書記と共産党政権の言行一致が問われている」というのは、ちょっと中国に関心ある人なら、尖閣諸島問題で胡錦濤政権が中国共産党としての言行一致が問われていたのと同じ構図であることがわかる。現実問題は弥縫策であっても現実的に対処したほうがよいのに、声高に大義を語りかけて政治問題にするというのは、毎度の中国劇である。
さて、今回の事件だが、中国を見ている人なら気がつきそうなものだが、週刊紙「南方週末」新年特集号・年頭社説が問題というわけではなかった。エレガントな指桑罵槐とはいえないまでも、罵槐で騒がれたなかに、別の指桑があった。何か。
国内報道を見渡すと、8日付けNewsポストでジャーナリスト・富坂聰氏が、今回の週刊紙「南方週末」と一見関わりなく書いていた話題(参照)が重要である。これが指桑に関わっていると見てよいのはエコノミストなどの指摘からもわかる(参照)。
富坂聰氏によると。
政権交代を終えたばかりの中国の年の暮、共産党の足元を揺るがすような話題がネットを舞台に湧き上がった。
発信源は、中国の大学教授や弁護士など約70人からなる知識人のグループであった。
彼らがインターネットを通じて発表した要望書は、〈改革共識倡議書〉と題されていた。共産党政権に求めたのはズバリ「政治改革」だった。
政治改革の中でも彼らがとくに指摘しているのは、「党と政府の分離」や「自由な選挙」、そして「報道の自由」など西側社会では至極当たり前なものだが、そもそも共産党政権にとっては絶対に認められないものばかりである。
ネットを通じて突きつけられたこの要望に対し、党は現在のところ静観していて何のリアクションも示していない。
改革共識倡議書を当局側(おそらく太子党・上海閥)が静観したのは、富坂聰氏も言及しているが、これは起草者・劉暁波をいまだ獄に繋ぐことになる「〇八憲章」のような革新性がないからだった。革新性がないから、問題になるというのはどうことか。
起草者の一人である北京大学の教授はメディアの取材に対し、「要望書の中身は、1982年に改正された中国の現行憲法にある内容に沿ったもので現実的な提案だ」と語っている。
このニュースの興味深いところは、中国が憲法などで歌っている民主的な部分を「実行してほしい」と要求している点だ。中国は憲法の上では非常に民主的であるはずなのだから、実際にもそのようにすべきだと、建前だけのきれいごとは許さないと婉曲的な批判をしているのだ。
彼らが指摘した一つひとつはすべて共産党には頭の痛い問題だが、いずれも自ら憲法にうたっていることだとなれば、こうした要求を突き付けた者を裁くわけにはいかないというわけだ。
共産党の建前上、改革共識倡議書に対して動くことはできない。そこで静観(事実上の黙殺)決め込んでいたのだが、これを静観させまいとする派が、週刊紙「南方週末」新年特集号・年頭社説の書き換え事件を使って、これに着火して、問題化させたのである。
今後の動向はどうなるか。
はっきりした動向は見えないが、誰が言っても正義の主張、例えば日本だと「教育現場での暴力は許せない」といった自明すぎる正義の主張で、しかも、バッシング対象が明確になっている主張というのは、ネットを動員しやすい。
おそらく、中国でも、ネットを通して週刊紙「南方週末」新年特集号・年頭社説の書き換え事件の小型版がぼそぼそと展開され、これが共青団の政治勢力として利用されていくことだろう。
それでもよいではないかという見解もあるが、中国という国の統制がそれで取れるかどうかが問題であり、各政治権力の死活問題も関わっているので、思わぬところで、大粛清的な事件が起きてもおかしくない。
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コメント
「三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)」(wikipedia)ような国は恐いと思うんだ。
投稿: 774 | 2013.01.13 10:31