産業革命は、なぜ起こったのか?
愚問なのかもしれないが、正月、疑問に思った。産業革命は、なぜ起こったのか?
そんなのことは自明ではないか。そう思ったあと、あれれ?と思った。意外と盲点だった。簡単に説明できない。
問題をもう少しスペシフィックしてもよい。産業革命がなぜ英国で起こったのか?
私の世代の歴史学はバリバリのマルクス主義だったから、あれだ、原蓄のプロセスに産業革命を位置付ければそれでいいとしていた。懐かしい。「原蓄」なんて最近の左翼さんは知っているだろうか。資本論すら読んだことない左翼さんも増えたようだし。
「資本の原始的蓄積」の原語は、"Ursprüngliche Akkumulation des Kapitals"である。英語だと"Primitive accumulation of capital"である。"Ursprüngliche"は「オリジナル」「原初」「本来」といった含みがあるのだろうが、"Primitive"には、「アトミック」「構成要素的な」といった印象がある。いずれにせよ、マルクスは"des Kapitals"の自然性をモデル歴史的に遡及したのだろう。この考え方はギリシャ哲学から思索を始めたマルクスらしさもある。もっともこうした思考法はマルクスに限らないが。
結論からいえば、原蓄論と産業革命起源説明には直接的な繋がりはない。資本主義の生産様式という様式の、高度な一形態が、技術の量的な拡大で質的な変化をもたらしたというくらいなものだろうか。私のマルクス主義歴史観というか、エンゲルス主義歴史観の理解が違うのかもしれないが。
「原蓄」が出て来た手前、少し整理しておくと、ネットなどだと資本主義というのはけっこうずさんに言及されるが、資本主義というのは生産様式であり、その様式の特異性が問われるものである。
その際のもっとも基本的な構成要素は、生産手段を奪われた労働者(都市労働者)と、生産手段と資本をもった資本家という二項である。
そこで、この二項がどのように史的に発生したのかと問うのだが、この問いは普通に考えればわかるようにモデル理解であって史実ではない。が、マルクス主義の学者は中二病をこじらせる系の人が多いからか、実歴史とモデルの違いがよくわからない人が多い。あるいは、混同自体もアダム・スミスを含め、ある系の学の様式と言えないこともないかもしれないが。
そこでこの史観では、説明の原点に、囲い込み(エンクロージャー:enclosure)が出てくる。
エンクロージャーというのは局所変数をもった関数をカプセル化することではなくて、「農地囲い込みする運動」のこと。つまり、自営農民(Yeoman)が生産手段である農地を追い出されて都市に流れ出て、生産手段を持たない労働者に転落するが、他方、農地を獲得した強奪者から資本家が生じるという、お話である。とりあえず二項の説明にはなる。
エンクロージャーという事象が英国史に存在しなかったということはない。第一次(16~17世紀)と第二次(18~19世紀)と二段階で見ることができる。そこで、原蓄は長期に渡ったとして、その帰結が産業革命である、みたいなお話になりがちだ、ということだ。
補足すると、この土地の収奪とも言えるようなプロセスはひどいじゃないかとパッショネットに情念化するのがアジア的マルクス主義の一典型で、欧風のマルクス主義だとこのプロセスは、領主の財である農民や共同体構成要素の村民といった絆(束縛)から都市民への解放という側面がある。スターリンはこれを強制的にやってしまってもの凄い数の人を殺害した。毛沢東は逆に農民と労働者の違いがわからず、労働者のような農民を形成しようとしてさらにものすごい人を餓死させた。マルクス主義は正しく理解しないと、副作用が大きい。
エンクロージャーは、封建制の基礎たる封土を通じた経済関係の解体とも言えるわけで、マルクス主義史観だと、このバイプロダクトとして市場が形成されとも考える。労働者はというと、資本主義生産様式の特徴である資本の自己運動から、剰余価値搾取後の労働の対価として貨幣を受ける。それが都市の市場に使われるという意味合いもあるのだろう。
もっともらしいが、おとぎ話です。
資本が資本としてどのような形態で蓄積されるかと考えても、よくわからない。普通に考えれば、貨幣だが。はて? 実際に金貨を袋に貯めるというものだろうか。なんであれ実際のトランザクションでは、売掛買掛で信用を基軸とするだろう。すると金融は存在していたわけだが、そのあたりは資本論で、さっぱりとわからん。その点ついては私が判らないのだけかもしれないが、W-G-WとかG-W-Gというなら、貨幣(G)が重要だが、資本論では、その由来は、金が貨幣化するとか、交換価値の一般的な象徴となるといった愉快な議論で覆われている。話がずれていて、ファンタジーの体系にも見える。
史実的に見ると、エンクロージャーで農民が都市労働者となったとでもいうような人口流動は見つかっていないようだ。もちろん、結果的に産業革命を支える労働者は、農地から離れた労働者ではあるだろうが、「エンクロージャーで追い出された」説で済む話ではない。このたありは、以前ちょっと気になって調べたが、私の現時点の結論は「よくわからん」。むしろ産業革命や都市が潤沢になって人が集まってきたという、逆のプロセスなのかもしれない。
ヘンテコな話になってしまったが、ようは、産業革命がなぜ起こったかについて、エンクロージャーから労働者が発生してとかいうのは、おとぎ話ということ。
そもそも、産業革命がマルクス主義史観で言われるような生産様式の普遍的な変化形態でありえないのは、英国(オランダもあるが)でしか発生しなかったことから明白と言っていいだろう。つまり、産業革命が英国で発生したこと自体、特殊な出来事だったわけで、マルクス主義史観のような一般・普遍説明はそもそも枠組みから、ずっこけている。
じゃあ、産業革命って何なの?
前提として、「産業革命」という術語だが、原語"Industrial Revolution"の訳語としてはベタであり、この術語自体が歴史的な背景はあるので、失当しているとは言えない。が、歴史学用語としてはボケ臭い。
普通に考えても、あるいはこれは普通にマルクス主義で考えてもわかることだが、対象は「工業」である。「工場制手工業(マニュファクチュア:manufacture)」が機械を使った「工業」に変わる「工業化(Industrialisation)」のことである。その意味で、「産業革命」というより「工業化革命」と呼ぶほうが史実に近い。そこで、機械と技術が焦点になる。
英国の、この工業化革命が近代国家を介して、他国に伝搬して、世界的に工業化革命が進んだという点では、これは工業化のグローバリゼーションなのである。
でだ、すまん、これ、前振り。
当初の疑問は、これまたタスカのピーター・タスカ『JAPAN2020 不機嫌な時代』(参照)に援用されているマンサー・オルソンの議論である。またしても、"redistributional coalition"(再配分連盟)の話が基点になる。
簡単にいうと、産業革命と再配分連盟の関係である。
話がそうでもなくても、まどろっこしくなってきたので、基本要素を挙げておくと、再配分連盟としてのギルドの解体が、産業革命に関連したという問題提起である。
中世期のヨーロッパでは、すべての都市が独自の経済を持ち、ギルドたちは関税、値段、技術の普及をコントロールすることで、みずからは高い収益をあげていた。しかし、王侯たちが行政を統合するようになり、それが全国規模で統合されたときから、ギルドのシステムは崩壊した。その結果、経営資源は効果的に互いの産業と結びつくようになった。
このプロセスがいちばん早くはじまった国であるイギリスとオランダで産業革命が起きた。しかし、ギルドたちがコントロールして繁栄を誇った大都会では、経済がまったく回復することなく、現在にいたっている例がいくつかある。たとえばエクセタとヨークは、いまではイギリスの穏やかな地方都市にすぎない。
中世期のヨーロッパで、当時の再配分連盟でもあったギルドが崩壊したきっかけは、イギリスやフランスといった国の統合があったからだ。ある都市だけの経済の繁栄、ある都市と都市で異なる経済構造が一国の経済に吸収され、変化を起こす。それまで一都市だけの「管轄区域」で通じた規制、習慣はすべて捨てられてしまった。中世期のヨーロッパで、長く守られてきたギルドという再配分連盟は、こうした新しい変化に直面して、崩壊したのである。
興味深いのだが、いくつか注意しなければいけないのは、ギルドが崩壊したことが産業革命を引き起こしたということではない。
シンプルに読めば、都市の上部に国家が出現することでギルドが崩壊し、それが産業革命をもたらす背景を整備した、という理解はできる。原因とまでは言えない。
ギルドという再配分連盟の崩壊は、産業革命の条件ではあっただろうし、その崩壊というのは、ギルドという対象を潰すのではなく、「管轄区域」で通じた規制や習慣の変更である。
このことを、オルセンは「ジュリスディクションの変化」と呼んでいる。
ジュリスディクションとは、直訳すれば「管轄区域」である。それぞれの「管轄区域」には、その区域の中だけで通用する固有の規制や法律がある。
タスカは、オルソンの「ジュリスディクションの変化」から「ジュリスディクションの拡大」を、2020年に至る日本の未来の大きな要因としている。
ここで提出されている、ジュリスディクションなのだが、「管轄区域」というのはよい。間違ってはいない。が、どうも気になったのは、原語"jurisdiction"である。
これはオルソンの造語ではなく、普通の言葉で、一般的には「裁判管轄」「司法権」「裁判権」と訳される。"jurisdiction over foreigners"であれば、「外国人に対する裁判権」ということで、明白な放火犯であってもジュリスディクション(裁判管轄)が異なれば、「外国人に対する裁判権」は直接的に行使できない。こうした事例の含みから、"jurisdiction"は、「司法」や「正義」といった範疇で考えがちだが、オルソンの指摘はむしろ、商慣例に近い印象を与える。
実はここではっとしたのだが、"jurisdiction"自体が、むしろ、商慣例のような意味を核としているのではないかということだった。言うまでもなく、民事というは、正義を定めるというより、規則違反に対する罰金の取引と言ってよく、それ自体が商慣例に近い。
もう一つ連想したのは、七世紀のイスラムの台頭というとき、西欧の視点に立ちがちな現代だと、イスラムの新興勢力と武力を直結してしまいがちだが、イスラムの台頭は、イスラム法による商慣例ベースの「ジュリスディクションの拡大」であり、その結果の繁栄が軍事力なども強くしたということではないか。
「ジュリスディクション」を「裁判管轄」とすると、法なり司法と考えがちだし、もちろんそれで正しいのだが、史的にはむしろ王侯の権利であり、さらに言えば、それによって王侯が定義されるような権利でもある。
そして「ジュリスディクションの変化」というとき、実は、その変化によって、王侯の権利として現れたということなのだろう。別の言い方をすれば、「ジュリスディクション」は基本、「都市」の権利であり、都市という配分連盟(再配分とは言いづらい)の商慣例的な利権でもあった。
自分が何に拘っているかというと、これは、「市民」「都市」という意味での"civitas"の原義が、国家や帝国によって保護される個人という構成の概念ではなく、むしろ、利権の保護による配分連盟の副次的な産物だったのかという点である。
ちょっと思索がずさんになるが、「産業革命」というのは、「ジュリスディクションの変化」なり「ジュリスディクションの拡大」でもあるだろうが、"civitas"の変化でもあったということだろう。
年末、よくわからない経緯だったが、ネットで天賦人権論が話題になっていたが、こうした議論、つまり、普遍的な人権概念が出て来たのは、元来都市ギルドに所属したジュリスディクションが国家・王侯に所属し、さらに国家を離脱していく過程にあったということかもしれない。別の言い方をすれば、市民革命それ自体が、「ジュリスディクションの変化」の副産物だったのかもしれない。
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コメント
産業革命が英国で起こったのは、英国が当時の衰退地域だったからではないですかね? 今の日本だとユニクロの勃興が近い感じ。地方都市の零細商店が一念発起して爆発的に発展する、そういう質のようにも思えます。
投稿: のらねこ | 2013.01.04 12:32
腺ペストの流行で人口が激減、その後工業化の目が芽生える。職人不足から、グーテンベルクが活版印刷術を発明したのが一番大きかったと言われている。
安価な本の登場により科学が一般人に拡がったため、産業革命に繋がっていった。
経済学は後追いで理論付けしていったので、あまり関係ないと思います。
投稿: | 2013.01.04 16:17
産業革命なんて起きてません、新奴隷制度になったのを美化しただけですよ。
日本人は、奴隷とはどういうことをいうのか鈍感なだけです。なんか、歴史の中でも奴隷なんかいなかったつもりみたいだし。
アメリカが強いのは、最強の奴隷制度、社会変化に適応する形で変化させることができるからです。その代わり、逆に言えば、変化さえられない奴隷制度に対しては、非常に厳しくぶっつぶします。
投稿: | 2013.01.04 16:28
本日のお題、「産業革命はなぜイギリスで起こったのか?」。フランス人のパパンさんが、「圧力鍋」を発見・開発したから。水が沸騰して蒸気になると、液体よりも体積が増える。これを応用して、「圧力鍋」を作る。ヨーロッパで圧力鍋が大ブーム。イギリスの鍛冶屋ニューコメンさんが蒸気機関を開発(1712年)。一躍有名になる。ヨーロッパでは、人口が増えて、仕事がない!街を移動するにも手段がない!機械オタクだったジェームズ・ワットさんが金儲けを考えた。イギリスの工場がワットの考えに飛び付いた。ワットの蒸気機関で、機関車が開発されましたよ。それまで織物は水車で動かしていたから、冬は水車が凍って動かなかったけど、蒸気機関で一年中、織物を大量に安く作れますよ。機械化で、イギリス人は喜んだ。仕事も増えた。移動手段も便利になった。織物も安く手に入る。イギリスの産業革命の誕生だ!んで、結果的には何を失ったのか。機械化で、イギリスは騒音だらけになった。産業廃棄物で街は汚くなった。河は汚れ、ゴミは増え、何より機械化で自動マシーンが登場して、仕事そのものが失われた!…あれ?機械化で、コストが安く済んだから、かえって賃金が安くなった。マルクス『資本論』の登場ですよ。労働者は資本家に「搾取」されている。んで、マルクスさんが一言。「万国の労働者よ、団結せよ!」(『共産党宣言』)。あーあ、続々とマルキストが登場してきたよ。レーニンはロシア革命をやっちゃうし(ソ連の誕生)、スターリンは凄まじい独裁者になっちゃうし(何百万人が粛清されたの?)。果たして、マルクスは、正しかったのか?血で血を洗う革命を起こして、結果的に人々は幸せになったのか?んなこと言ったら、産業革命の機械化はどーなるねん。機械化されたら、かえって賃金が少なくなったじゃん。街は汚くなったじゃん。そういう避けられないジレンマ(矛盾?宿命?皮肉?)はどう考えたらいーのか。答え?あるわけないだろ、んなもん(キムタク『プライスレス』風に)。カネで買えないもの(プライスレス)も、この世にはあるんだよ。ところで、今のロシア、スターリン待望論が復活しはじめている。「強いロシアとなるためには、やっぱりスターリン同志が必要なんだ!」。…あれ?あの時の『大粛清』を忘れちゃったの?プーチンさんの「あの目つき」。日本の総理大臣も、ロシアを見習うべき?さて質問。果たして、スターリンは『英雄』だったのか?
投稿: 大東亜 | 2013.01.04 19:45
ヴェーバーの視点を取り入れたらより理解が深まるのでは。
投稿: | 2013.01.04 20:40
産業革命なんてまやかし
マル経は間違っていた。共産主義は失敗
それ以上でも以下でも無いですな
と言うか歴史に「なぜ」を問うのは間違いでは
投稿: みかん | 2013.01.04 23:55
これは面白いエントリー。
条件が揃う事によって山火事のように自然発生的に変化が起こったと言う主張よりも、
jurisdictionの拡大という足元の社会的不可逆変化が強いたゲームルールの変更がトリガーとして在ったというのは、遷移過程の理解としてよほど腑に落ちる議論に感じます。
ジュリスディクションの拡大は、グローバリゼーションという土俵の拡大によって現在進行形で続いている現象でもあるでしょうな。
蛇足ながら私は、現在の社会変容が、グローバル企業のヘッドクォーターや生産拠点や調達先を巡って、各国が法律や通貨や法人税や関税や賃金水準やエネルギ料金等を武器に「こっちの水は甘いぞ」と鎬を削る時代をもたらすような気がしています。
ビジネス環境と国民福祉の相克を国内対立軸に、各国や各地域がそれぞれ別の業種に特化した環境整備を競うことになるのであろうと。
EMSのような受託生産企業や、タックスヘイブンや便宜置籍国のようなものが拡大してゆき、その結果、経済は統合されつつも行政は個別の世界で、ギルドの崩壊とは逆に一つ一つの国がギルド化した水平分業の世界に向かってゆく。
日本は、環太平洋ブロックで米国と食い合うことなく、国民の賃金を犠牲にせずとも良い業種のギルドを目指さなくてはならない。
TPPで米国や資源国や労働力が安い国とどういった関係をデザイン出来るかに注目しています。それは、奪うべき産業を奪い取るために、売り渡すべき産業を売り渡すということでもある。
投稿: | 2013.01.06 00:41
どこかの本でチラリと読みましたが、イギリスの東インド会社がインドをコントロール下に置きインド貿易を独占したのはよいが、元々インドには大きな国内需要を賄える綿織物の家内的な工業が発達していたので、安い綿織物がイギリスに輸出されてイギリスの地場の織物産業を圧迫することになると同時にインド貿易を更常的な赤字にしてしまいました。そこでイギリスのやったことは力で、つまり統治者の強制力でインドの綿織物産業を潰しインドをただの綿原料供給国に変えてしまったことです。イギリスの織物産業に巨大な市場が出現することになり、需要を満たすために機械化が促進され産業革命につながったということでしたが、どうでしょうか。
投稿: nigory | 2013.01.06 01:54
あー 面白かった。勉強になりました。
でもなんか評価かんばしくなくて それがふしぎ。
私たちはあんがい今しか把握できなくて今に至る過程を
やはりそれなりに提示する表現様式を準備する
かたちを持たねばいけないと思いました。
あと 抽象論は 理解できないよ
投稿: の | 2013.01.06 21:32
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に触れていないのは意図的なんでしょうか
投稿: naruse | 2013.01.07 21:58
産業革命論としては、Eric.L.Jonesがおもしろいですよ。もしくは、ブローデル。日本の方の研究だと、『土地稀少化と勤勉革命の比較史』とか。個別都市論ならば、ジェイン・ジェイコブズとかですかね。
投稿: foshpetain | 2013.01.08 19:14