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2013.01.09

[書評]困ってるひと(大野更紗)

 「困ってるひと(大野更紗)」(参照)は感動もしたし、考えさせられもした。ただ、自分が受け止めたコアの部分をちょっとどう書いていいかわからないうちに、けっこう月日が経って、そのうち文庫本も出てくるようになった。多数の人に読み継がれるのは、とにかくいいことだろうと思う。

cover
困ってるひと (ポプラ文庫)
 実際、よく読まれているらしい。大半は肯定して受け止められいる。が、たまたまたアマゾンを見たら、きびしい評もあった。何にでもなんくせつける人はいるものだということではなく(したかないよね)、意外とこの本の受け止め方が難しいという部分があるからだろう。ちょっとくぐもった書き方になってしまうのだけど、そのあたり、まだちょっと自分からは言いづらいなというのもある。
 内容についてはあらためて紹介するまでもないかもしれないが、意外と読まれていないかたもいるかもしれないので、簡単に触れておくと、1984年、福島県生まれの大野更紗さんは、上智大学フランス語学科に進学したもののミャンマー難民との出会いから、その民主化運動や人権問題に関心もち、大学卒業後、ミャンマー社会の研究者を志したものの、2008年大学院に進学した夏、「皮膚筋炎」「筋膜炎脂肪織炎症候群」という難病を発病した。難病というものがどういうものか、事例としてもとても興味深いものだ。
 その筆舌に尽くしがたい闘病の過程が、独自のユーモアで描かれている。病気のすさまじい惨状とそれに結果的にバランスするユーモアに加え、大野さんの自立して生きたいという思想と、実は医療関係者が読むとよくわかる日本の医療の難問が透けて見えるような正確な描写も、この本をかけがえのないものにしている。
 個人的には、絶望の意味というのを考えさせられた。

ある日の朝、わたしが顔用のシェービングカミソリを手に、ぼーっと洗面台の前に立ち尽くしていたとき、クマ先生が、ヌッと突然顔を出して、言った。
「この619号室のシャワー室に鍵をかけて、シャワーを流しっぱなしにして、カミソリで手首を切ろうと思っているんでしょ」
「だいたい、考えてことは、わかりますよ」
 当時のわたしは、食べたい、寝たい、そういう日常的「欲求」と同じレベルで、「死にたい」と感じた。朝・昼・晩と毎日わたしの様子を気にかけ、ほぼ休みなし、全力投球で治療に励んでくれている主治医に、「死にたい」とは言いにくい。かなり申し訳ない。だが、思い切って正直な気持ちをそのまま、クマ先生に伝えてみた。「はい」と。先生は嫌な顔ひとつせず、微動だにしなかった。
「それは、苦痛から逃れたいという、ごく当たり前の人間の反応、ですよ」
 クマ先生は、難病ビギナーの「死にたい」妄想など、最初からお見通しである。

 この『難病ビギナーの「死にたい」妄想』という表現が、すごいなと思った。
 つらくて死にたいというのは、こう言うのはなんだけど、よくあるし、普通、誰しもつらい状況からそう考えてしまう傾向があるものだ。
 でも、この「難病ビギナー」というのはそういう「つらさ」の一般的な延長とはちょっと違うと思う。そのあたり、相当に難しい部分があって、この本はその意味合いをけっこうとことこん書いている。ここまで書いてしまえるというのは、とんでもない才能だなと思えるし、実際、この視点と生き方は、まさに、思想というものだ。
 もうひとつ、「はじめに」にある言葉も、ずきんと来た。

 ひとりの人間が、たった一日を生きることが、これほど大変なことか!
 それでも、いま、「絶望は、しない」と決めたわたしがいる。こんな惨憺たる世の中でも、光が、希望があると、そのへんを通行するぐったりと疲れたきった顔のオジサンに飛びついて、ケータイをピコピコしながら横列歩行してくる女学生を抱きしめて、「だいじょうぶだから!」と叫びたい気持ちにあふれている。

 いかん、引用して泣けてきてしまった。

そんなはた迷惑な気持ちなどいらないという意見はとりあえず置いておく。何があったかって? もーいろいろ、すごいことがありました。人生は、アメイジングなんです。

 そのアメイジングなことに出会って、人すべてを抱きしめたい気持ちというのに圧倒されている。
 これ、ふつうに体験なのであって、頭からひねり出した思いではない。体験というのは、名状したい本人の実在でもある。
 それを「奇跡的な体験」というとうさんくさいし、なにも神秘的な体験があったというわけでもない。だけど、人間が生きるということの経験の総体のその底のほうに、こういう奇妙なものががつんといる。「十字架のヨハネ」的というか。まあ、自分なんかが言っても、軽薄になるばかりなんだけど。
 あと、大野更紗さん、自分が若いときに結婚したらこのくらいに生まれた子どもの年代なんだなという、ちょっと娘という点から考え込みもした。別の言い方をすると、1984年生まれというのは、1980年代ですらあまり明確な記憶はもっていないのだろう。1990年くらいから始まった日本の風景のなかで、こういうふうな人生に遭遇するというのは、どういうものなのだろうと、思いに沈んだ。ぶくぶく。
 
 

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コメント

何年か前に、ニュース番組の特集で見ました。
え?この人が作者本人?という感じで、びっくりしました。そんな重い病気をかかえてるようには全く見えませんでした。でも、(詳しくは覚えてないけど)とても痛いんですよ、みたいなことを、何処かに体をちょっとぶつけた程度の感じに言っていて、たしか笑ってたと思う。
無理して明るく振る舞ってるのではなく、元々明るくて常におもしろ可笑しい人が、病気になってしまった・・とても重い病に。なんと言っていいか分からないけど、「強い」というのは違う(強い人だけど)、おもしろい人だな、凄いなと。

クマ先生、なんか神様みたい。
その後、本を読んだ訳ではないし、日々つまんないことで結構怒ってて、よく人からネガティブだと言われ、こんなコメントただ書いてて・・ダメダメです。

投稿: | 2013.01.13 16:52

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