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2012.02.03

「最先端技術に基づく原子力災害解析(SOARCA)」についての報道

 昨日に続いてという意味合いはないのだろうが、原子力と人間の健康に関連する報道がその翌日のロイター(英文)にもあり、これもざっと見た範囲では日本で報道されていなかったようなので拾っておこう。該当記事は「Nuclear accidents pose little risk to health: NRC」(参照)である。表題は「原子力発電所事故には健康へのリスクはほとんどない」ということで、米国原子力規制委員会(NRC: Nuclear Regulatory Commission)の報告書発表によるものである。


The risk to public health from a severe nuclear power plant accident in the United States is "very small" because reactor operators should have time to prevent core damage and reduce the release of radioactive materials, U.S. nuclear regulators said in a study on Wednesday.

深刻な原子力発電所事故による地域住民への健康リスクは、原子炉操作員が炉心損傷を防ぎ、放射性物質の放出を減少させる時間があるので、「とても小さい」と米国原子力規制委員は水曜日の研究報告で述べた。


 このロイター報道を読んだときの私の率直な印象は、まさかその逆の事例が福島原発事故ではないかというものだった。どういう経緯からそのような研究報告が出てくるのか疑問に思えた。記事を読むと、そうした読者の疑問は想定されているらしく冒頭から福島原発事故への言及がある。

The study comes almost a year after the disaster in Japan in March when an earthquake and tsunami damaged the Fukushima Daiichi nuclear power plant, causing reactor fuel meltdowns and radiation releases.

該当研究報告が発表されたのは、日本の3月の地震と津波による福島第一原子力発電所災害が発生してからほぼ一年が経過してのことだった。この事故では原子炉燃料メルトダウンと放射性物質放出が起きた。

"Successful implementation of existing mitigation measures can prevent reactor core damage or delay or reduce offsite releases of radioactive material," the U.S. Nuclear Regulatory Commission said in the study.

「既存の緩和手段の実施が成功で原子炉損傷や現地外への放射性物質の拡散は削減できる」と米国原子力規制委員会は研究報告で述べている。


 簡素に書かれていて逆に意味が読み取りづらいが、ロイター報道としても福島原発事故を念頭においてこの記事を書いていることがわかる。その上で、既存の手法によって原発事故の被害は防げるとするNRCの報告書を報道している。
 NRCとしては、自分たちの規制監視下であれば、原発事故でも「成功した履行」によって住民への被害は十分に防げると研究報告書で述べたということでもある。日本側から見ると、福島原発事故で日本はどんだけドジを踏んでいたのかという結果としての含意もあるだろう。実際のところ、事故対策にあぐねた日本は、事故を深刻化させた後、実質米国のNRCの指導に入った。時間差ということを考えれば、もっと素早くNRCが対策に入ればより被害が低減できたという含みすらあるだろう。
 もう少しロイター報道を追ってみる。

The study found there was "essentially zero risk" to the public of early fatalities due to radiation exposure following a severe accident. The long-term risk of dying from cancer due to radiation exposure after an accident was less than one in a billion and less than the U.S. average risk of dying from other causes of cancer, which is about two in one thousand.

深刻な事故が引き起こす放射線被曝による初期死傷者という点では、「本質的にゼロリスク」であると該当研究報告は明らかにしている。事故後の放射線被曝による癌死の長期リスクは、十億分の一以下であり、他の癌原因による死亡リスク(千分の二)の平均値よりも少なかった。


 ロイター報道からは、含意として、これらのリスク計算が福島原発事故を踏まえているのか、福島原発事故は失敗した対処として例外になっているのかはわからない。気になったので少し調べてみた。
 該当の研究報告は"the State-of-the-Art Reactor Consequence Analyses (SOARCA)"(最先端技術に基づく原子力災害解析)である。NRC自身の報道を見ると"NRC SEEKS COMMENT ON REACTOR ACCIDENT CONSEQUENCE RESEARCH"(参照)である。つまりSOARCAについての発表である。SOARCAは現状、草案だが、コメントを求める最終段階に来ている。
 NRC報道を読むと、SOARCAでは福島原発事故についての議論も付録として収録されているとある。福島原発事故を踏まえての見解と概ね理解してもよさそうだ。
 ロイター以外の報道を探してみると、World Nuclear NewsというサイトにSOARCAについて「Low risk from major accident consequence」(参照)という記事があり、こちらを読むと、ロイター報道にある長期リスクが"the linear no-threshold (LNT) dose-response model"つまりLNTモデルを採用していることがわかる。
 現時点でSOARCA(最先端技術に基づく原子力災害解析)について日本での報道が見当たらないが、正式に公開された時点で、日本政府がどのような理解を示すのかは気になるところだ。
 
 

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2012.02.02

国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)ウォルフガング・ワイス委員長の現時点でのコメント

 1日付けのロイター(英文)の科学記事で、国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)のウォルフガング・ワイス委員長による、興味深いともいえるコメントを見かけたので、日本でどのように報道されているか、関連記事を探してみたが見つからなかった。日本人にしてみるとそれほどニュース価値の高い話でもないのかもしれないが、日本メディアでこぼした話を拾っておくのもブログの役割かもしれないし、気になるといえば気になる話題でもあるので触れておきたい。
 前段となる話題は探すと、U.S.FrontLineというサイトに共同ソースとして掲載されていた。「住民の放射線影響を調査 専門家会議、福島事故で」(参照)より。


 東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質が、同原発周辺の住民らの健康にどのような影響を与えたかを調査する各国の専門家による会議が30日、ウィーンで始まった。5月の国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)定例会議に中間報告を、来年の国連総会に最終報告をそれぞれ提出する。
 会議は5日間で、約60人が参加。日本が提供した放射線量などの測定データを基に調査する。議長を務める同委員会のワイス委員長は「データについて、さらに着目すべき点を見つけたい。パズルのピースを集めるような作業だ」と述べた。

 会議の名称はこの報道には含まれていないが、この会議の中間報告に含まれることになる、福島原発事故についての周辺住民への健康影響評価が、いずれ国連としての公式な見解に繋がるのではないだろうか。
 該当会議は現在も進行中なので、5日間の日程後には日本でも関連報道が出てくるかもしれない。
 だがその前に昨日付でウォルフガング・ワイス委員長のコメントがロイターで報道されていた。「No big Fukushima health impact seen: U.N. body chairman(国連機関の議長によれば、福島では大きな健康影響は見られない)」(参照)である。

The health impact of last year's Fukushima nuclear disaster in Japan appears relatively small thanks partly to prompt evacuations, the chairman of a U.N. scientific body investigating the effects of radiation said on Tuesday.

日本の福島原発災害による健康への影響は、機敏な避難もあってか、比較的小さいと、該当放射線影響を調査している国連機関議長は火曜日に述べた。



"As far as the doses we have seen from the screening of the population ... they are very low," Weiss told Reuters. This was partly "due to the rapid evacuation and this worked very well."

「該当者のスクリーニングから私たちが見た用量に限定すれば、その用量は非常に少ない」とワイス委員長はロイターに語った。理由の一端は「迅速な避難と避難が良好だったことによる」とも語った。



"What we have seen in Chernobyl - people were dying from huge, high exposures, some of the workers were dying very soon - nothing along these lines has been reported so far (in Japan)," he said. "Up to now there were no acute immediate effects observed."

「私たちがチェルノブイリで見てきたものは、人々が大量で高い被曝によって死んでいったことや、短期間に死んだ作業員がいたことであったが、(日本では)これまで報告されたところからはそれに類したものはない。現在までのところ、急性の影響は報告されていない」と彼は語った。


 国連放射線影響科学委員会ワイス委員長のこれらのコメントは、日本から提出された現状までのデータを元にしているので、その点では特段の違和感はない。が、国連の権威有る委員会の委員長の談話としてロイター報道になっていることで、他国にもこの認識が伝わることだろう。なお、国連放射線影響科学委員会によるチェルノブイリ事故についての放射線の影響評価はすでに公表されていている(参照)。
 該当のロイター報道だが、ワイス委員長による次のコメントは別の意味で気になった。

"We are putting together a jigsaw puzzle, evaluating the exposures of the general public, of workers, and radiation effects, and looking for the missing pieces," Weiss said.

「私たちは、一般市民と作業員の被曝と放射線の影響の評価で、見つからないピースを探してはジグソーパズルを組み立てているところだ」と彼は語った。


 事故の影響が現状では比較的軽微と見ているワイス委員長ではあるが、当然のことながらまだ今回の事故による影響の全貌が明らかになったわけではないという限定についてここで言及している。
 気になったのは、しかし、「ジグソーパズル」の比喩である。この比喩は先ほどの共同での、ワイス委員長談話にも重なる。もしかすると、共同とロイターとは同じソースの記事なのかもしれない。だとすれば、共同はロイター報道がメインとした、影響の少なさという点を落としたことになる。
 ワイス委員長の今回の発言だが、昨年4月6日時点のロイター報道「福島原発事故、スリーマイルより「はるかに深刻」=国連委」(参照)を読み返すと大きな違いはないことに気がつく。参考までに引用してしておこう。

 [ウィーン 6日 ロイター] 国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)のウォルフガング・ワイス委員長は6日、東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート)福島第1原子力発電所の事故について、現時点の情報では、人体に深刻な被害をもたらすとは考えられないと語った。
 ワイス委員長は、環境への影響という観点から、この事故が1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故より環境への影響が小さいものの、1979年の米スリーマイルアイランド原発事故に比べると、環境への影響が「はるかに深刻」との見方を示した。
 一方、福島での事故による健康への被害については、「現在分かっていることからすると、(放射能)レベルが低いため皆無だ。食物においても、年間1ミリシーベルトや5ミリシーベルトなどと話題にされているが、この程度では健康への大きな影響はない」と説明。

 健康面での影響についてのワイス委員長の認識は、新しいデータが提出されても、昨年の4月時点からほとんど変化がなかったと見てよいのだろう。もっとも、正式な報告は先にも触れたように来年のことになる。
 
 

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2012.02.01

[書評]ベンジャミン・バトン 数奇な人生(F・スコット・フィッツジェラルド)

 映画の「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」を見たので、ついでに原作も読んでみた。原文は著作権が切れてネットに転がっているが、邦訳が読みやすいので探した。角川文庫(参照)とイースト・プレスの(参照)があった。さては「夜はやさし」(参照)のように角川版の訳が古いのだろうなと思ったが、双方、映画をきっかけに訳出されたようだ。では文庫でと角川ので読んだ。短編である。文庫のページにして50ページ。翻訳で読むにはさして難しいところもない。

cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生 (角川文庫)
 原作は映画とは随分違っていた。これが原作とも言いづらい、というくらいに違うと言ってよいのではないか。似ているといえば単に、老人として生まれて人生を過ごすにつれ次第に若返り、最後赤ん坊として死ぬという原作の着想くらいか。それを映像的に表現したくて映画が別途できましたという印象もある。
 ただよく読むと、奇想の設定だけではなく、恋愛や結婚の相手との年齢の、しだいに広がりゆく乖離みたいな人間心理の部分は原作を特徴付けているし、その関係性への視線は映画も共有しているという点からすると、やはり原作でもあるのだろう。
 原作では主人公のほうでは、1860年に生まれるとすぐ70歳に見える、言葉もしゃべる老人としてベンジャミン・バトンとして存在する。どのようにして大きな身体の老人が生まれたのかという説明は一切ない。もともと奇想がベースの短編なので、そうした不合理が作品の瑕疵となっているわけでもない。
 実父にしてみると子供がその父くらい老いているという、奇妙なユーモアの情景を描きたかった作品だとも言える。ベンジャミンは若返り続け、最終的には孫と同年齢になっていく。そこでも肉親の世代というものの、奇妙なアイロニーが描き出されてる。
 さてこの奇想と描写が面白いのかというというと、今ひとつよくわからないというのが率直な印象だった。ファンタジー作品といえばそうであり、人の想像力を刺激する文学ともいえるのだが、奇妙な違和感も残す。もしかするとその違和感が、映画のような別の作品を生み出してみたいという動機にもなっていたのかもしれない。
 そういえば、と思い出すことがあった。私も30歳ころちょっとしたSF短編を書いたことがある。アダムという不死の青年の物語である。父親が遺伝子研究で不死の遺伝子操作を自分の赤ん坊で実験したという話だった。思い出すと、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」に似ている。この作品を知っていたわけではないが、私が書いた物語でも、アダムが何度目かの妻と別れていくシーンがあった。そういう奇想を書いてみたいというのは、比較的当たり前の心理なのかもしれない。
cover
ベンジャミン・バトン
数奇な人生
 映画(参照)のほうはというと、普通に面白かったし感動もした。脚本もよく練られていた。第一次世界戦後の移りゆく世界を、CGを駆使した描いた映像も美しかった。このあたり、映画「ラフマニノフ ある愛の調べ」(参照)の時代描写のチープさとはわけが違うなと思った。ちなみに、こちらの映画は、ロシアの映像とミリアム・セホンという女優がよかった。エフゲニー・ツィガノフはメドベージェフみたいな短身なのでラフマニノフのイメージには合わなかったが。
 ベンジャミン・バトンの映画だが、ある一定の年代以上の人なら、あのノスタルジックな映像に自分の人生をつい重ねて見てしまうだろう。特に60年代から70年代っぽい自由を謳歌したベンジャミンの映像は自身の青春に重ねて胸にじんとくるものがあるだろう。興行としてはそのあたりを狙ったのかもしれない。
 映画のベンジャミンは、1918年、第一次世界大戦終結の年に生まれる。原作者のフィッツジェラルドは1896年の生まれなので、年代設定はむしろ、映画の現在から時代の風景に合わせて逆算されたのではないか。なお、原作のベンジャミン・バトンが死ぬのは1930年ごろでそれに合わせたふうでもない。
 原作の町はボルチモア(参照)だが映画はニューオーリーンズとなっている。古い時代をノスタルジックに撮影しやすいというのもあるだろうが、そのため、黒人の育ての母という設定や2005年8月のハリケーン・カトリーナが物語の軸として浮かび上がる。映画の最後の洪水はベンジャミンの思い出が歴史の彼方に消えていくことを暗示している。
 映画のベンジャミンの船乗りという設定、そして手紙で綴る愛というのは、ニューオーリーンズの連想も相まって、ラフカディオ・ハーン(参照)を連想させるものがあった。船乗りが人生という、あの次代のある男たちの生き方を表しているのだろう。これも余談だが、もう20年も前だがギリシャを旅したおり、船乗りで神戸とか行っていたというギリシャ人の老人の話を聞いたことがある。日本の演歌でもそういう情景が詩情でもあった。
 登場する女性も時代に関連付けた印象がある。ベンジャミンの幼なじみであり、生涯の恋人でもある、バレリーナのデイジー・フラーだが年代的にマリア・トールチーフ(参照)のイメージがあるだろう。なお原作ではベンジャミンの妻の名はヒルデガルドだが、映画でデイジーとなったのは「グレート・ギャツビー」(参照)の暗示があるのかもしれない。また、ベンジャミンの最初の恋人でエリザベス・アボットはべたにガートルード・エダリー(参照)の偽歴史といった趣がある。
 原作のほうは読後奇妙な印象が残るが、映画のほうは最後のまとめにいろいろな人の人生の総体がテーマであることをまとめていてわかりやすく、それはそれで感動的でもあった。が、個人的には、若い日の恋愛というのを、人は人生の終末に向けてどう考えるものだろうかと心に宿題のようなものを残した。
 
 

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2012.01.30

[書評]男はなぜ急に女にフラれるのか?(姫野友美)

 先日ツイッターで「青春ってどうして青なんだろう?」というつぶやきを見かけた。現代で「青春」なんていう古語を使う人はないんじゃないか。というか、ポスト団塊世代の僕が若い頃ですら「青春」ってなんか自分より年が上の、団塊世代が使う、ねちょっとしたイヤな感じの言葉だった。
 でもま、なぜ「青」なのかというと、人生を四季に例えると、若い時代は「春」で、春は陰陽五行の考え方では「青」になるから、それをくっつけて「青春」。じゃ「夏」はというと「赤」だから赤夏、じゃなくて朱夏。朱に交わるわけよ。同様にお次が「白秋」、そして「玄冬」となる。
 かくして青春・朱夏・白秋・玄冬だが、高松塚古墳の壁画じゃないけど、風水の四神、青龍・朱雀・玄武・白虎にも対応している。朱雀といえば平安京など都の南門・朱雀門が連想されるが、朱雀は南を司る。白虎といえば白虎隊とか連想するがこれは西側の担当。
 ぐぐれば出て来そうな話をだらっと書いてしまったが、「青春」の時に「青春」なんて思いもしなかったが、今まさに白秋・玄冬という年になると、青春ってなんだったかなとは思う。そしてその思いの中核になるのが、なんで俺、ふられたんだろ?という疑問である。そんなことないっすか?
 もし人生において悩まなければならない難問があるとすれば、今生きるか死ぬかだ、みたいにカミュは「シーシュポスの神話」(参照)で書いていたけど、カミュがこれ書いたの20代。若いよ。だから46歳で死んじゃうんだよ。ってこともないし、けっこうイケメンじゃんなカミュにしてみると、なんで俺、ふられたんだろ?というのはそれほど人生の難問の部類には入らなかったのだろう。
 この難問。難問なんかじゃねーよ。鏡を見ろよ。歴然。といった解答もあるだろう。その他、女にもいろいろご都合があったんだろう。いいんじゃないか。本日は大安なり。女の気持ちを大切にして自由にしてやれよ。俺なんかといたって幸せになれるわけないしさ。てな解答もあるかと思う。納得したいわけですよ、なんか理由を付けて。
 でも、年ふるごとにどこか納得できない。縒りを戻したいとか、青春を返せみたいなファンタジーに浸るわけではない。なんか、こう、数学的に、というか、原理がわかれば誰もが納得する解というのを、私が見逃して今日まで生きてきたんじゃないかという感じがしてならない。ユークリッドの原論(参照)をきちんと読むと、応用問題に「男はなぜ急に女にフラれるのか?」とか載ってるじゃないか。
 男が女に交わり、同じ側の愛情の思いをπより小さくするならば、この二人の関係は限りなく延長されるとπより小さい愛のある側において交わることから、「男はなぜ急に女にフラれるのか?」の解が導かれる、とか。

cover
男はなぜ急に女にフラれるのか?
 ほいで、「男はなぜ急に女にフラれるのか?」(参照)という本を読んでみた。結論からいうと、わからなかった。
 つまらない本ということはない。アマゾンの読者評に「多くの男性と女性との気持ちがすれ違っている現代においては、適切なアドバイスをしている」というのがあるけど、たしかに、へえと思うことが多々あった。女にとってメールは「会話」、男にとっては「手紙」というのもそうなんだろうなと思った。そして私が若い頃、電子メールなんてものがなくてよかったなあと思った(ちなみに私が電子メールを使うようになったのは27歳)。
 ネタバレになるのを恐れるので、読んでみようその本という人は以下読まないほうがいいかもしれない。
 でさ、究極の難問、「男はなぜ急に女にフラれるのか?」だが、本書はどのように解答しているのか。
 本書の説明だと、男の脳はザルのようにその時その時の思いが流れてしまうが、女の脳はバケツのように不満の感情を溜め込み、それがある一定値になって溢れ出すと、「別れましょう」と突然言うのだそうだ。だから、ザル脳の男にしてみると、その状況からいくら理由を考えても、一定値にまで溜め込んだ蓄積がわからないというわけだ。
 なるほどねと思う。そうかとも思う。不満貯めてたんだろうなというのも、言われてみると思い当たらないでもない。
 ただ、それ、ちょっと違うかなという印象もある。そう思って読み進めると、「女が別れを切り出すのはすべて計算ずく?」という章があり、そこには、「孕む性」である女の脳は、妊娠・出産・育児の期間は稼げないという前提で、オスに経済的な支援を求める。よって、甲斐性のない男と見切られたら、サドゥンデス、別れましょうとなるらしい。ほぉ。別解。これもまた、思い出すとずきずきと来るものがある。
 女は不満を貯めていたし、男の将来性ががないのを見切ったと言われると、こりゃまったお恥ずかしい、くらいしか返答できないのだが、さて、それだけでもしっくりこない。さらに読み進むとこんな話もある。

お互いに自尊心が満たされない不満を抱え、自分の欲求ばかりを主張していては、どんどんズレが広がってしまうに違いない。そして、このままズレていっては、もう自尊心を保つことができないとどちらかが感じたとき、「別れ話」が持ち上がるのではないだろうか。
 つまり、別れるか、別れないということも、男と女の脳がその自尊心をどれだけ保てるかにかかっているのではないかと思うのである。

 これは不満バケツ説や将来見切り説よりも、ずんと胸に響く。「その男ゾルバ」(参照)の根幹的テーマである。女には自尊心があるんだよ。男より強いんだよ。自尊心のためには男を捨てちゃうんだよ。(でも、別れ話が持ち上がるあとは、男も女も自尊心なんてなんじゃらほの世界に突入してぼろぼろになるもんだがなあ。)
 というわけで、読んでいろいろ学ぶところもあったけど、根幹の問題はわからなかった。女が「孕む性」・「産み育てる性」で、男が「種をばら蒔く性」というのも、自分なんかにしてみると、ポカーンという感じはした。そういう男女がいるのは知っているけど、大半はそうでもないと思う、自分、関係ないし。
 「男はなぜ急に女にフラれるのか?」 いやいや、そういう局面で苦い思いをするのは、女だってそうじゃないかというのもあるかもしれない。
 そうかもしれないな。


 
 

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