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2012.11.10

最近ハマった微妙な三つの調味料について

 買い物に行って、ふと、「この調味料はなんだろ? まあ、使ってみないとわからないか」という調味料につい手を出すのが好きで、実際にちょっと使ってみる。「うぁ、これはダメぇ」「これはフツー」とか思うのが大半なのだが、なんとも微妙なものがあるんで、ブログのネタにでも。

ブルドック うまソース
 そもそものきっかけは、ソースのレパートリーが増えることだった。日本人なのでとんかつソースはしかたない。ウスターソースはできればリーペリン(参照)。問題は中濃ソースである。まあ、なくてもいいか。でもなんとなく買ってしまう。おたふくのお好み焼きソース(参照)はどうか。これもしかたない。焼きそばソースは麺に粉のがついているのでいいや。タコ焼きソースは、これが微妙。お好み焼きソースとは違う。ただ、大阪人じゃないんでそんなにタコ焼き食わないし。
 正直言ってソースが増えるのは頭痛の種である。そこに「ブルドック うまソース」である。もうヤケと言ってもいいので買ってみた。
 レシピがネットにいっぱい載っている(参照)。さば味噌の味噌の代わりに使えるとか肉じゃがに使えるとある。なんだろこれと思った。
 まあ、普通にソースにも使えるだろうと思って使ってみると、ブルドックとおたふくの戦場でブルドックが歩み寄った、と、絵にかいたら笑えそうなポジションニングなんだが、ダシが効いていて、たしかに何にでも使えそう。カツもんに使ってもまあまあ。目玉焼きとか天ぷらとかにも使える。というか、これ、もしかして、日本料理の究極の調味料なのではないか。いうまでもなく、日本料理といえばソースだ。
 この味だと、焼きうどんに最適なだと使ってみると、グー。ナシゴレンにしてもよいのではないかとやってみると、グー。とか言っているうちに、使い切って、ブルドックお薦めのレシピは試していない。
 じゃいいんじゃないのということだが、そうでなくてもソースが増えてげんなりしていて、これを定番にするのか悩むところ。あと、これ使うと、どれもなんかもう抜群に屋台料理化しちゃうのもアレ。

S&B マジックソルト
 食卓塩にはアルペンザルツ(参照)を使っていてこれはこれでいいし、その系列のハーブ入り(参照)も使っているので、この手の商品はもうイラネとか思っていたのだけど、S&Bマジックソルト(参照)が面白そうなんで買ってみたわけですよ。
 レシピもついているには付いているし、なんか知らないけど、三つ星レストランのシェフがどうたらというお話も付いている。余談だけど、私はクレージーソルトは使いません。

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S&Bマジックソルト
 このマジックソルト、いきなり使い方がわからない。普通に食卓塩に使うには微妙。ハーブ量が多くてそこが目につくからそれとのバランスで塩がどのくらい混ざってどのくらい塩が効くのか勘がはたらなくて最初かなり戸惑った。
 料理に使っても同じ。塩の効き方が最初わからない。さらにいうと、ハーブと塩がかならずしも均質にまざっていないんで、味が安定しないので、むっと来るものがあった。でもまあ、だいたい慣れた。で、嵌ったっぽい。
 普通にオムレツに混ぜると、うまいですね。魚のホイル焼きとでもグー。総じて魚ものには合う。肉の場合は、ひき肉とかに最初に計量して使うとよいみたい。ハンバーグとかにも使える。アニスフレーバーが微妙によいのと、トマトの彩り感もある。
 なので、けっこう小分け(参照)を足して結局、定番化しつつあるのだけど、ここに来て、チリの効き方がよくわからない。使うシチュエーションでチリの辛みの目立ち方が変わるみたいで、いらいらする。
 あれかなあと思って、調理のときはエルブ・ド・プロヴァンスに戻した。というか、エルブ・ド・プロヴァンスがあればこれ要らないかというというところが微妙なところ。

リケン玉ねぎドレッシング
 玉ねぎドレッシングというのはいろいろあって、どれもまあ、こんなものでしょという感じなのだし、このリケンの玉ねぎドレッシング(参照)もそんなものとも言えるのだが、買って見たら妙に甘い。もしかしてと肉料理のソースに使ったら、すげー合いましたよ。油が入っていないのはいいのだけど。

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リケン玉ねぎドレッシング
 もともとシャリアピン・ステーキとかタマネギソースとかあるわけだから、ステーキや焼肉に普通に合うとは思ったけど、豚にも鶏にも合いますね。普通にこれで豚の薄切り炒めても、うまい。
 なんかよくわからないけど、肉料理の味が単調で困るときのソースの換えに便利なんで定番化していきそう。

 *  *  *

 調味料なんて単純がいいと思っていたけど、なんか目新しいもの見るとつい使ってしまって。まあ、最近で気になるのはそんなところかな。とにかく、調味料が増えるとろくなことがないんだけど。
 この三つ、それでも、決まった使い方すると、ばしっと決まるので、用途を意図すればそれなりに便利。
 
 

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2012.11.08

[書評]式の前日(穂積)

 以前ネットで話題になって、おそらくそのせいだと思うけど、アマゾンなどでもしばらく品切れで、今見ると数日待ちの状態。アマゾンの数日待ちは当てにならないので放置し、いずれ読む機会があるだろうと思ったが、昨日出先の書店で平積みだったので買って読んだ。

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式の前日
(フラワーコミックス)
 最初にお断り。
 以下、ネタバレがあります。ネタバレと言うべきなのかという、それ以前の問題もあるけど、このコミック未読の方は、以下を読まないほうがいいかもしれません。
 それと、この作品を諸手で絶賛している人がいるのは知ってます。けなすとか評価が低いということではまったくありませんが、絶賛以外の感想は許せないというタイプの人は以下、スルーしてください。また帯に「”泣ける”読み切り6篇」とあるのですが、私はそうは読んでいません。
 正直にいうと、そう読むことが評価にならないようには思っています。

  *  *  *

 作者についても、またこの作品の周辺的な話について、デビュー作品集という以外、私は何も知らないので、その意味では、素手で読んでみた。素手でというのは、私は漫画読みではないので、そういう視点はかなり弱いというのと、普通に文芸的な、あるいは映画的な作品として読んだという意味である。
 今「映画」と言ったが、この作品、特に表題作「式の前日」は普通に映画になるだろう。もちろん、16ページのそのままが映画になるわけではなく、また、巻末の12ページの「それから」も含め、さらにいくつかのサブエピソードをつなげる必要はあるが、きれいな映像に仕上がるだろう。ただし、それにどれほど現代性があるのか、あるいはその映像のなかに現代性をどう盛り込むのかという点では、映像作家は悩むだろうし、映像化された作品は、コミックの「仕掛け」とはかなり異なるだろう。
 「仕掛け」。そう言ってよいかも、悩むところだ。印象的な表紙がその仕掛けの一部なのかも曖昧である。表紙では、端座した若い男女が、ご飯と味噌汁の椀を持っていて、その中央に表題の「式の前日」とある。さては、式の前日の新婚の二人と見るだろうか? この表紙からは、なにが読み取れるだろうか。よく見ると、"The wedding eve"とあり、その英語の語感を持った人なら、かなりの推察は効くだろう。
 表題作「式の前日」は表紙の二人と思われるうちの若い男が縁側で昼寝しているシーンから始まる。ナレーションに「明日、結婚する」とある。女がやってきて「寝てるの?」と言う。立ちながら「寝るならむこうで寝なよ」と呼びかける。
 家は「お縁側には陽がいっぱい」の昭和30年代の趣向で、男女の会話には親しみから長い付き合いが感じられる。この家は何で、この二人の関係は何かが、すぐに問われるようになっている。この時点で、ただの風景のように見えながら、上手に違和感を残している。新婚の二人の前日とは思えないからだ。
 二人の歳差はどのくらいだろうか。絵からは同い年くらいに見える。歳差があるようには見えない。が、明日のドレスを女が試着するというシーンで、女が「……やっぱり、やっぱりパフスリーブにすればよかっ……? あっちのほうが二の腕細く見えた気がする」と言う。二の腕を気にする女は30代であり、それを気にしない20代で結婚したかったことが察せられ、画像の女の年齢感が30代にずれるが、ティーシャツの男の年齢はそれに比例しない。男は年下である。というような読みもできそうなシーンの重ねから、男女は夫婦ではなく、姉弟なのだと暗示される。
 ウエディングドレス姿の姉に弟が「おとーさん泣くよ。こんなもん見たら」と言う。父は不在であり、その夜のシーンで女は仏壇に手を合わせ、「お父さんとお母さんに報告」と言う。母も死んでいる。そして仏壇の据え付けられた家は父母の家であることがわかる。
 さりげなくだが、謎解きのように姉弟の関係を映像的に展開していく。それは一つの「仕掛け」と言ってもよいかもしれないし、その謎解き風の展開はさらに続く。
 しかし、彼らが新郎新婦ではなく姉弟ということはさほどの謎でもないし、さほどの仕掛けでもない。むしろ問いかけられているのはその仕掛けと読みではなく、笑いと涙の、野暮な言い方だが、記号的な意味のほうである。
 姉弟で暮らす最後の晩ということで居間で並んで寝るとき、姉は泣く。また、翌日、その家を旅立つタクシーでまた泣く。
 その涙の心情の意味が、この作品の核のように見える。それは、ごく単純に言えば、姉弟の愛情であり、表面的には姉から弟への愛情である。父母がいるなら、親が子に注ぐべき愛情とも重ねあわされている。母代わりの姉ということだろう。そして父代わりの弟でもあるだろう。
 これがまずこの作品の感動の核なのだろうというところで、私は、その心情に寄りそう部分と、「うぁ、これはやってらんない」と思うアンビバレントな状態で、かすかにパニックになる。こうした心情をすんなりと受け入れるものだろうか。
 私には姉はない。親友には姉がいてその心情をなんとなく察してきたので、姉弟の関係にはこういうものかとも思うし、吉本隆明の『共同幻想論』を持ち出すまでもなく、日本のようなアジア的心性の古代国家に特有な、神話的な王権の構造にも関連することはわかる。
 それらを透かしてみるから違和感なのかというより、私にとってこういう愛情の心情の純化というものそれ自体に、ちょっと耐えられないな、というのがある。これが現実なら「とんでもない嘘ですよ、奥さん」とおどけたくもなる。30歳過ぎの姉はもっとどろっとした女を隠しているはずだ。だが、そう思わせないために、純化のために、「死」が作品の中央に大きく置かれている。
 本書の他作品でも一貫しているのは、この「死」の側からの視線とそれが見せる光景である。父母のような愛情と同化した死の視線のなかで、人の心情が姉弟の淡いエロス的な含みをもって純化される。それがテーマでもあるだろうし、そうしたある種の淡いロマンによってこれらの物語が心情的に支えられている。
 私は、個人的な嗜好にすぎないのかもしれないが、こういう淡い姉弟愛のような死の視線が好きではない。死はもっと個人の絶望を型どり、その存在を一人の異性に性的に向き合わせるような情熱になるものだと思っている。いや、それは単に性癖とでもいうだけのことだろうか。
 「式の前日」に戻ると、しかし、この作品のもっとも重要な部分は、姉の二度の涙、そしてそれを心情的に受容する弟の心情と関連しながらも、むしろ、記号としての「笑い」のほうにある。
 式の手順の話のなかで、姉はちゃぶ台にうっぷしたまま弟に「笑ってね、ちゃんと……明日」と言う。姉はそのあと顔を上げて笑いを見せる。また最後の晩となる食事でも笑いを見せる。映像からは、笑いを見せるというよりは、弟の視線のなかで、大切なものとして姉の笑いが受け止めらている。そこに弟の微笑みはあるが、弟の「笑い」は存在しない。なぜなのか? そこである。
 「式の前日」で弟が、姉のように「笑い」を見せたとき、この作品の心情は成立するのだろうか。
 おそらくそうではない。
 姉弟の愛情が、弟の側から個人の愛情として確立するには、つまり、死の視線(死者としての親の心情の視線)から離れるには、弟の側の個人の愛情の「笑い」が必要になる。その微妙な余白のなかで、この作品は中途半端に止まっている。
 その解決は巻末の「それから」という後日譚に引き継がれる。その間にあってシチュエーションの異なる短編はその、弟の「笑い」を引き出すまで、暗黙の心理的な過程になぞらえられている。そのあたりの構成は、意図されたものかわからないが、作品集としては見事だ。
 死の視線のなかで姉弟の淡いエロス的な含みをもって純化されたものは、「それから」において、猫の目から「もっとも私にとっては死のうが生まれようがさして差違はない。自然の理にすぎんがな」と語られる。この猫の仕掛けは、漱石の「吾輩は猫である」と似てまったく異なるもので、猫に仮託された心情ではなく、風景がそのように死の語りを呼び寄せたものである。
 作品のなかに執拗に置かれている死が暗示するものは、作者の無意識を傷つけている死の体験であるかもしれないが、むしろそういう理解より、作者にとって、姉弟の淡いエロス的な関係のなかで疎外された女の性だろう。
 卑近にいうなら、女は、なぜ結婚しなかったのか、あるいは結婚に妥協したのか、その後ろ髪引かれる悔恨のようなもののを死の鏡で美化して見せたなにかである。
 だが作品集の総体としては、その死の相貌が、人間の心情の純化といった物語ではなく、人を離れた無意味な自然に押し戻され、それから人が笑い合う世界に引き戻されていく。そこにむしろ作品集の価値がある。
 それは「10月の箱庭」で死が語る「誰かに愛されようとしなくていい。まずあんたが誰かを愛せばいい」のなかでも暗示されている。
 アジア的な神話的な自然性から愛の意志に立つまでの、孤独な個人の心情に至るドラマを、まだ日本人は必要としているのだろうか。しかも、若い世代がそれを。
 
 

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2012.11.07

[書評]ただ坐る 生きる自信が湧く 一日15分坐禅(ネルケ無方)

 ネルケ無方さんの名前をよく見かけるようになった。アマゾンを見たらけっこう本も出されている。外人さんで禅に入れ込むというのは、けっこうよくある話だからなとあまり関心ももたなかった。いや、この「外人さん」という言い方も差別的でひどもんだなとは思うが「外国人」とも違った微妙に親しみの含みがあって難しい。もう少し言うなら、日本人以上に日本を熟知する外国人が出現してきたことの含意もないわけではない。

cover
ただ坐る 生きる自信が湧く
一日15分坐禅
 いすれにせよ、外国人や知識人が関心をもつ禅、あるいはメディアや書籍とかで著名な禅のお坊さんの説教などは、道元を敬愛する私にしては、もうどうでもいい存在である。ところがどうも、ネルケさん、道元の徒らしい。え?と思った。いやそう思うことがまったくもって失礼な話なのだが、あの正法眼蔵の正法の禅を理解する外人さんがいるのか、いやいるのだろう、という予感がして、まず一つ、わかりやすく坐禅の話を読んでみた。
 率直に言うと、公案とか無だとか数息観とか丹田とか出て来たら、呵呵と笑って放り投げようと思っていた。ところがどっこい。全然違っていた。ネルケさんの禅は、まごうかたなき道元の禅そのものだった。びっくりした。しいていうと、沢木興道が出てくるのは安泰寺だからしかたないかなという感じはしたけど。
 これだけ禅についてしっかり描かれた現代の本というのを想定していなかったというか、私自身、このネルケさんの本で、半眼や足の組み方など、ああ、そうだったのかと長年の疑問なども解けた部分がある。なにより、本当に禅に取り組んでいる僧がいるのだということ、道元の教えが今もきちんと継がれていることに心温まる感じがした。篤く三宝を敬えという感じがした。
 想起するまでもなく、如浄にとって道元も外人であった。如浄の禅をすべて受け止めたのがこの外人の道元であった。道元の禅のなかに、すでに普遍性への信頼が込められている。そして現代に如浄の禅が残るのは、道元によると言ってもよい。日本に本当の意味で世界に伝えるものがあるなら、道元だけでよいかもしれないし、いや、その道元にして空手還郷であるといえばそうだが。
 ネルケさんの言葉はやさしいが痛切でもある。

 釈尊の教えが禅という純粋な形で日本まで伝えられているのに、日本人がどうしてそれに関わろうとしないのでしょうか。禅宗のお坊さんですらなかなか坐禅をしないという事実こそ、私に言わせれば非常に珍しいというよりも、はっきり言って情けないことです。人間に生まれて、この一生を何も分からないままでぼんやりと過ごすのはもったいないことではありませんか。生と死の問題、自己のあり方、生命そのもの生きる方法、それらの問題に無関心ではいれらないと思うのです。人生を坐禅という形で追究し極めようとする私を「もの珍しい外人」では片付けないで、あなたも「一度トライしてみよう」という気持ちになっていたければ嬉しいです。

 引用しながら、これはまるで正法眼蔵随聞記そのものだと思った。
 日本の仏教についても。

 私が問題にしているのは、日本人の仏教離れではありません。問題は、正しい仏教が説かれていないということです。

 「正しい仏教」と言おうものなら、百家争鳴となるのがおちだが、ネルケさんのこの本でも展開されているが、「正しい仏教」は道元の「弁道話」を背景としている。
 ここに道元が現在もいきいきと生きている。なんてことだと思う。
 そして、ネルケさん自身の個性も躍動している。そのもとから、また僧も育つだろう。仏教というのは千年の単位できちんと息づいているのだと感慨深い。自分が生きている同時代に、信頼できる僧がいるだけで嬉しいと思う。
 
 

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2012.11.06

[書評]93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法(やなせたかし)

 いつまで生きているんだろ。自分のことである。十代のころ20歳まで生きないよなと思っていた。生きていた。それでも20代には40歳になる自分なんか想像つかなかった。あっさり越えた。しかたないんで50歳まで生きられないだろうなと延長した。実際、もう死ぬかもぉとも思ったが、まだ生きている。ブログ書くようになってから、よく死ねばいいのにみたいなお言葉もいただくくようなった。それって長寿効果があるのかもしれない。最近、輿石東先生や石原慎太郎を見ていてそう思うんだ。

cover
93歳・現役漫画家。
病気だらけをいっそ楽しむ
50の長寿法
 先のことはわからない。もしかしたら、60歳過ぎても生きているどころか親父の享年もするっと越えて65歳とか70歳とかまで生きているんじゃないだろうか。80歳……90歳……逆にそれもホラーにも思える。ホラーマン。そういえば、と93歳のやなせたかしの「93歳・現役漫画家。病気だらけをいっそ楽しむ50の長寿法」(参照)を読んだ。
 はっきりいうと、スカスカな本である。しかも後半は高齢者向け健康食品のカタログじゃねーかとか思ったけど、いやけっこう感服してしまった。読んでよかった気になった。93歳になっても生きているんだというリアリティががっつーんと来たし、率直にいうけど、こうすると人間90歳まで生きるものかと、なんつうか、反省いたしましたよ。先生、93歳で毎日筋トレしてますね。
 やなせたかしといえば、アンパンマンである、ということになっているが、僕にしてみると、アンパンマンはやなせ先生の新しいキャラだなと思っている。1970年代の半ばごろに出て来た新キャラじゃんというか。記憶によるんだが、僕が小学生だった1960年代、やなせたかしはNHKの番組に出て来て、壁にはった模造紙にマジックですらすら絵を描いていた。あれ、なんというのだっけ。と調べてみるとわかるもんだね。「まんが学校」である。月曜の夕方6時からやっていた。司会は立川談志だった。あのころやなせたかしは何歳だったんだ? 引き算すると、45歳。ほえぇぇ。立川談志は28歳だよ。まだ20代だったんだ。そういえば、水森亜土ちゃんもよくNHKで絵を描いていた。あれは1970年ころだっただろうか。30歳ころかあ。
 やなせたかしは当時私が通っていたお習字の先生とよく似ていたんでその連想もあって懐かしい。お習字の先生はその後、どうなさったのだろうか。そういえば、先日、昔の町を散歩して先生の家まで足を伸ばしたが、廃屋っぽかった。お子さんがなかったように記憶している。そういえば、やなせたかしもお子さんはなかったようだ。
 なんといっても、やなせたかし、93歳ってすごいな。しかも、矍鑠(かくしゃく)としているではないか。と、思っていたのだが、この本読んで知ったのだけど書名通り、「病気だらけ」らしい。病気の総合商社とか言っている。そのリストを見るに、これはすごいわ、現代医学。癌も二個所摘出しているし、心臓はペースメーカー。目は白内障・緑内障。そして糖尿病。恐いです。生きているって、こういうことなのかホラー。


 人生ままならぬ。


 65歳まで仕事をしたら引退し、カミさんに見守られながら、ささやかな人生の最期を迎える。
 そんなふうに考えていたのですが、人生というのは想定通りにはいかないものです。

 そういう想定の外しもあるわけですね。

 漫画家としてなかなかヒット作が出なかったのが、「まもなく60歳」というところになって、なんとアンパンマンが大ヒット。65歳のころは仕事に追われ、引退どころではありませんでした。

 幸運というのだろうか。
 そういえば、都知事をやって80歳まで元気ですをやってた鈴木俊一も2010年99歳で死んだ。というか、99歳まで生きていた。まあ、確かに元気そうだったからなあ。
 あーもう、なんだか、よくわかんねえや。とりあえず、やなせ先生お薦めの、タマネギの酢漬けでも作って毎日食うかな。
 
 

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2012.11.05

[書評]出ない順 試験に出ない英単語(中山・著、千野エー・イラスト)

 物好きを誘うバカバカしい本らしいんで、「出ない順 試験に出ない英単語」(参照)、中も見ないで予約で即決でポチっと買いましたよ。買ってから買ったことを忘れて、先日届いてびっくりしたけど。で、開いてまたびっくりしましたよ。何が?
 こ、これは、使えるじゃないですか。そんなぁ。


military advisor

あそこでステファニーと一緒に踊っている
トップレスの男性は、
劉備の軍師諸葛亮です。

The topless man dancing over there with Stefanie
is Liu Bei's military advisor, Zhuge Liang.


 いい感じじゃないですか。使えるじゃないですか。コメントに「何やってるんですか、伏龍さん、魏が攻めてきますよ」とあるのも味わい深い。若いな、亮。
 これ、ほんとに「出ない順」なんすかね。ほかにはというと、アマゾンの紹介とかが無難だから引っ張ってくると。


ボブは笑い過ぎてサーモンカルパッチョが鼻から出ました。
Bob laughed so hard that the salmon carpaccio came out of his nose.

部長は真っ裸でサンタクロースを追いかけていた。
The department manager tried to tackle the Santa Claus while completely naked.

ボブは打合せ中に偶然、クライアントの性感帯を発見した。
Bob accidentally found a client's erogenous zone in the business meeting.


 といった感じ。どれも絵が付いています。
cover
出ない順
試験に出ない英単語
 下ネタも多いし、ベタなギャグも多い。
 おもしろいかな?
 これ、手に取ってから気がついたのだけど、47分ほどのCDが付いていて、聞いてみたら、くそまじめな、日本語のナレーションとイギリス英語のナレーションが入っている。聞いていると、うーむ、まあ、笑えるといえば笑える。というか、普通にシュールなギャグになっている。
 という意味では面白いのだけど、英語で聞いてみると、これ、英語としてはそれほどギャグになってない感じもした。ネイティブにはそれほど受けないんじゃないかな。そのあたり、でも、英訳の人が苦労している感じもあって、苦労して仕事してますなあ感はあった。
 英語だと基本はオチは文末に来るんで、その点では先の

部長は真っ裸でサンタクロースを追いかけていた。
The department manager tried to tackle the Santa Claus while completely naked.

なんかはオチが語末なので英語のギャグの王道のツボかもしれない。
 同様にこれもそうかな。

「顧客リストどこやった?」
「課長の尻の割れ目に挟んでおいたわよ」
What did you do with the client list?
I inserted into the section chief's bottom cleavage.

 ちょっと気になるのは、"bottom cleavage"って「尻の割れ目」でいいのかな。これ、「だっちゅうの(古い)」とかメルケル首相のように上からみたオッパイの谷間に対して、ボトムライン側の「はみ乳」ではないのか。つまり、下乳または下パイっていうやつ。でも、現代英語では"underboob"ってやつになるか。
 っていうか、あれです、「出ない順 試験に出ない英単語」というなら、"bottom cleavage"じゃなくて、"Underboob"を載せてほしいんですよね。
 ちなみに英辞郎を見たら"Underboob"が載ってないよ、こら、アルク。でも、"boob"は載っているけど、"sideboob(横パイ)"は、ないなあ。

 あるいは、bottomに尻の意味があるけど、その"cleavage"となると……。ま、どうでもいいですかね。
 似たような感じの言葉だけど、"handbra"はこの本に載っている。


handbra
一同起立!手ブラ!着席!
"Everyone rise! Do a handbra! Be seated."

 イラストは後ろを向いたお相撲さんです。うーむ。ところで、日本語で「手ブラ」って言うのか? おお、言うみたいだ。ってか、「髪ブラ」っていうのもあるのか。知らなかったぞ。
 話が脱線したけど、英語のギャグ感は文末オチかなと思うので、さっきの英文もこうするとよいか?

In the business meeting, Bob accidentally found a client's erogenous zone.

 このほうが文体としていいかとなると、そーゆーところが英語の感覚がわからない。どうでもいいけど、"erogenous zone"の駄洒落が"erroneous zone"です。自己啓発のダイヤー先生の大衆向け処女作ですね。ほんと、どうでもいいけど。
 話をさらに戻して、この本、「出ない順 試験に出ない英単語」は基本的に英語的なギャグのひねり感はなくて、ただ、語彙の部分を下ネタやNGワードに置き換えたというのであって、文章とかはそこを置き換えると、普通につまんない日本によくある英語学習書になるので、その意味では、ベタに丸暗記しても、けっこうそのまま使えちゃうというのがなあ。たとえば、

"This is a good condom, but I wonder if it will fit me."
"Would you like to try it on?"

 これとか、"condom"を置き換えれば普通につまんないよくある英文になる。だから、普通に例文を暗記しても普通に英語の勉強にはなっちゃうんですよね。"Would you like to try it on?(ご試着なさいますか)"とか知っておくべきだし。
 ついでにCDなんだけど、ちょっと変な注意書きがあって、なるほど聞いていると、ちょっと本文と違うところがある。

stamp with blood

「すみません、郵便屋さん。はんこが見つからないのよ。血判でもいい?」

"I'm sorry Mr.Postman, I can't find my personal seal.
Can I just stamp it with my blood?"


 CDだと。

"I'm sorry Mr.Postman, I can't find any wax.
Can I just seal it with my blood?"

 になっていて、これ、あれです、昔のレターとかにあるワックスシール、つまり封蝋ってやつの話で、これ、僕も昔自分用のを作ろうかと思ったことあるんだけど、で、そのシールを血でやりましょうかという変な話になっていて、そのぉ、日本語のギャグのシーンとはまったく違っている。
 英訳するとき、これさすがに英語のシーンならないよだったのか、意思疎通がうまくいかなかったのか。
 そのあたり、どういうふうにこのCD版ができたのか、ちょっと知りたいですね。
 
 

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