« 2012年1月15日 - 2012年1月21日 | トップページ | 2012年1月29日 - 2012年2月4日 »

2012.01.28

米国の保守派と宗教の関係

 ネットを眺めていているとまるで日本人の多くが反米でそしてキリスト教が嫌いなのではないかという印象を持つことがある。しかし世論調査などを見ると日本人が反米ということはない。
 昨年の内閣府「外交に関する世論調査」(参照)を見ると、米国に「親しみを感じる」が41.4%、「どちらかというと親しみを感じる」が40.5%、「どちらかというと親しみを感じない」が9.1%、「親しみを感じない」が6.4%となっている。米国に好意的な比率は82.0%にものぼる。日本人は米国が好きであり、日本は親米国と言ってよそうだ。
 だが私の印象では「どちらかというと親しみを感じる」はそれほどその文言に即しているようにも思えない。実際のところ親米的な日本人は半数くらいなものではないか。そして反TPP議論やBSE問題などでネットに吹き出す反米感情は、1割くらいの反米的な日本人が大きく騒ぎ立てているのだろうと思う。
 キリスト教という宗教に対する日本人の意識はどうか。ネットでよく見かけるように嫌悪が多いんだろうか。
 これがよくわからない。そもそも日本にどのくらいキリスト教徒がいるのかもよくわからない。私のざっとした記憶では日本のキリスト教人口は5%だったが、最近1%といった記述も見かけ、そこまで少ないものかなと疑問に思った。この手の話題で国際的によく引用される米国資料(参照)を見ると2%とある。もうそんなものかもしれない。
 日本のキリスト教徒の人口が2%というと、マイノリティと言われるエジプトのキリスト教徒の人口である10%よりもさらに少ない。日本のキリスト教徒は名実ともにマイノリティだということになる。それゆえに、エジプトなどでは顕著過ぎるほどだが、どの社会にも見られるマイノリティの宗教の信者に対して見られるような差別感情があるかというと、さてどうだろうか。日本のキリスト教徒がマイノリティゆえの差別を受けているという認識を持っている人はいるだろうか。
 おそらくないだろう。だが、これも私の印象なのだが、日本人の多くはキリスト教を自身の宗教としては嫌っているようにも思う。それが2%というマイノリティに留まっていることの背景でもあるだろう。ネットの議論で米国のブッシュ大統領が嫌悪されたのも、そのキリスト教信仰が関係しているように思えたものだった。
 キリスト教信仰の一つ創造論(神が生物を含め万物を創造したという考え)に至っては、ネットでは非科学の極みとしてよく非難の議論を見かける。個人的な印象をいえば、創造論が非科学なのは、復活(死んだ人間が生き返る)というキリスト教の根本的な信仰と同じくらいなものなんじゃないかと思うが、後者(復活)が非科学的だという批判はあまり見かけない。印象でいうと、復活と処女降誕とか信じるキリスト教徒を知的に劣ったものとして、基本の部分で知的に軽蔑する日本人が少なくないのではないか。
 前振り話が長くなったが、昨今の米国の大統領選挙のニュースで、米国の保守派と宗教の関係について少し思うことがあり、書いてみたいと思った。日本だと米国の保守派は、イコール、キリスト教徒、というふうに理解されているのではないかなとも思ったからだ。
 端的な問いの形にしてみる。米国の保守派はキリスト教徒だと思いますか?
 これについては、保守派とキリスト教徒をそれぞれ定義して統計調査してみるとよいのだろうけど、たぶんそう上手な定義もできず、あまり意味のある答えも出ないだろう。というのも、福音派のような熱心なキリスト教徒もいれば、日本人が神道で結婚式して葬式を仏教でやるみたいな宗教意識にも近いキリスト教徒も米国にはいる。キリスト教徒かどうか、という大ざっぱな区分だけでは意味のある議論の区分にはならないだろう。
 もう少し日本人の感覚に近い問いに直してみる。米国では、熱心なキリスト教徒は保守派だろうか? 
 あるいは、熱心なキリスト教徒というとき、熱心な信仰を持つと想定できる福音派とカトリック信徒は同じ保守派になるのか?
 どう思いますか?
 結論からいうと、その傾向、同じ保守派になる傾向があるらしい。それが先日の、米アイオワ州共和党による大統領候補指名争いで、カトリック信者のサントラム元上院議員がロムニー前マサチューセッツ州知事を破ったことの意味のようだ。

cover
Newsweek
January 30, 2012
 なーんだ、やっぱり保守派は熱心なキリスト教徒ではないか、というか、そういう前提で日本では報じられる印象があったが、あのですね、福音派とカトリックが組むというのは、以前なら考えられないことだった。この関連の話を扱ったNewsweek(January 30/2012)「And what of the Jewish vote?」では、こう表現されていた。なお、同記事はネットに公開されていた(参照)。

A few decades ago, the idea of evangelicals rallying behind a Catholic would have been inconceivable. Antagonism between the two denominations ran too deep.

20年くらい前なら、カトリックを背景に福音派が集まるなんて考えは想像も付かなかっただろう。二派の反目はあまりに深いものがあった。


 福音派とカトリックがまとまってしまうというのが、むしろ、今日の米国の新しい状況であり、これが保守派というものを新しく性格付けている現象である。
 同記事では当然同様の視点から、ロムニー前マサチューセッツ州知事の信教、モルモン教も保守派として書いている。たしかにサントラム候補とロムニー候補が票を二分したという点ではそうだとも言えるが、逆に二分するほどモルモン教徒が保守派で嫌悪されている可能性も示しているようにも見える。
 これはどういう現象なのか。同記事では、現在、保守派に問われているのは、熱心な宗教性の有無だからとしている。
 そこからさらに同記事は、米国のユダヤ人は、実際には無宗教であるという話に移っていく。このあたりもややこしい。単純な話、ユダヤ人というのは民族の概念なのか、ユダヤ教徒という宗教の概念なのか。これが問われているのは次のような表現からもうかがわれる。

In fact, most American Jews don’t really vote as Jews at all. On many issues, in fact, they’re indistinguishable from atheists. They vote as secularists. The same red-blue divide that cuts through the rest of America cuts through Jewish America too.

実際のところ、米国ユダヤ人はユダヤ人のようにはまったく投票しない。多くの問題で、現実には、彼らは無神論者と区別が付かない。彼らは世俗主義者のように投票する。米国ユダヤ人の赤青(共和党と民主党)の差は他の米国人と同じである。


 当たり前といえば、当たり前だが、ユダヤ人票と言われると、日本人などはついイスラエルとの関係を前提にしがちだが、どうもこれもまたそうとも言えない。

Every four years, Republicans vow to use Israel to pry Jews from their nearly century-old allegiance to the Democratic Party. And every four years, they fail. The reason is that only about 10 percent of Jews actually vote on Israel (a country most American Jews have never visited).

四年毎、共和党は、100年にもわたる民主党とイスラエルの結束からユダヤ人を引き離そうと声高にイスラエルを使う。そして四年毎、失敗する。なぜなら、イスラエルで票を左右するユダヤ人はたったの10%なのだ。米国ユダヤ人の大半はイスラエル訪問すらしない。


 イスラエル寄りの姿勢で共和党がユダヤ人票を釣るということはないとしている。これについてはイスラエル・ロビーの問題を軽視しすぎているきらいもあるが、基本としては言えるだろうし、民主党が米国ユダヤ人と強固に結びついていることは他の事例でも明らかである(例えば、参照)。
 同記事には米国人と信仰の関係についての統計の引用もあり、これもまた興味深いものだった。

 左が神の存在を信じている民族・人種の割合だが、黒人やヒスパニックが高く、ユダヤ人が低い。右が各派教会・集会への参加率だが、やはりユダヤ人が低い。
 興味深いのは、「プロテスタント」が福音派とリベラルで別扱いになっていることだ。福音派の教会参加が約40%だが、リベラルはその半分の20%くらいだ。この差を多いと見るか、大差ないと見るかは意見が分かれるだろう。
 こうした統計から見ると、ユダヤ人のシナゴーグ(教会)通いは少ないもんだなとしみじみ思うが、食物規定のコシャ(Kosher)や結婚式などを通してユダヤ人を見ると、その宗教性は別側面があるのではないか。
 
 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012.01.26

エジプト軍部クーデターの失敗と「民主化」という責任回避

 大衆活動で陽動し革命を装ったエジプト軍部クーデターから1年、当初の軍部の思惑どおりには民主化の偽装が進まず、ムバラク元大統領の位置に座り込んだ軍最高評議会の実態(参照)も露呈し、反政府デモが続いている。NHK「エジプト 反政府デモ開始1年で」(参照)より。


 エジプトでは、去年1月、若者のグループによるインターネット上での呼びかけによって民主化を求める反政府デモが始まり、30年近くにわたったムバラク政権が、僅か18日間で退陣に追い込まれました。民主化運動が始まって1年となる25日、若者たちは再び国を暫定的に統治している軍に抗議するよう呼びかけ、全国の主要な都市で大規模なデモが始まりました。
 このうち、首都カイロのタハリール広場では、午前中から数万人が集まり、軍の統治はムバラク政権時代と何も変わっていないとして、即座に権限を手放すよう求めました。参加者からは、「軍は民主化を求める国民の声を聞かず、大きな過ちを犯した」とか、「軍は国の安定のためではなく、自分たちの権益のために動いている」といった声が上がっていました。

 今日の混乱は軍部クーデターという本質から容易に予想された事態であったが、各種報道、特に日本での報道からはあまり見えてこない、もう一つの予想された事態があった。軍部クーデターによって崩壊させられたエジプト経済の困窮である。これが深刻化し、いよいよ終わりが見えてきた。
 この予想は昨年10月「エジプト軍部クーデターから半年」(参照)でも言及してた。今回明暗を分けたのは、あの時点では国際通貨基金(IMF)からの30億ドル融資を断っていたエジプト軍部が、今回16日、32億ドル融資の懇願に出たことである(参照)。
 背景はエジプトの外貨準備がピークの360億ドルから100億ドルへ落ち込み、3月には尽きることだ(参照)。
 そのまま国家破綻という事態にまではならないが、エジプト通貨は落下し、さらなるインフレが襲うことになる。一年前のエジプト軍部クーデター以前よりも深刻な事態になるだろう。現状でも国民の六割を占める三十歳以下の若者の失業率が25%もあるがさらに悪化し、社会は不安定になるだろう。
 経済問題からエジプト軍部クーデターが実質失敗したことの帰結は二面に分かれる。
 一つは、軍部はIMFの融資を活かせないだろうということだ。今回軍部が融資懇願に至ったのだからそれなりの決断もあるかのように思えるが、どうやら逆と見てよい。簡単に言うと、軍部は経済破綻から混迷に至る結果の責任の回避に向かっている。21日付けニューヨークタイムズ「Egypt’s Economic Crisis」(参照)はその読みを示している。

Egypt’s military rulers are now realizing how big a threat the collapsing economy is — and they clearly don’t want to be blamed.

エジプトの軍指導者は現在、経済の崩壊がどれほど大きな脅威であるかを理解しつつある。そして、彼らは非難されたくないことを明確にしている。


 延長して言うなら、エジプトの議会や大統領選出といった一見民主化に見える現状は、予想される経済崩壊から軍部が責任逃れをする手段と変化しつつある。
 予想される経済崩壊をできるだけ事前に防ぐため、ついに軍部もIMFの融資懇願までは動いたが、その先、実際のIMF融資を受け、活用するのは実質ムスリム同胞団による政府になる。IMFもムスリム同胞団との対話に入っている(参照)。これが帰結のもう一面につながる。。
 IMF以外に西側諸国も経済援助の意思を表明しているが実質的な動きはない。ムスリム同胞団などイスラム政治の勢力がどのような国家経済の運営方針を打ち出すか疑念を持っているためだ。
 別の言い方をすれば、エジプトの経済困窮という状況なら対外融資を使ってイスラム勢力を抑え込むことが可能になると西側諸国は見ている。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.24

カラダトレーナーを使ってみた

 ポラールの心拍モニターも持っているけど、もっと簡単に使えて緩和なトレーニングのモニターもあっていいかなと簡易な心拍測定器を探していたら、セガトイズの「カラダトレーナー」(参照)というのを見つけたので、しばらく試してみた。これはこれでいいんじゃないの感があった。どのくらい支持されている製品なのかわからないし、発表されてからけっこう経つようなので、後続機に期待を込めて書いてみたい。余談だが、最近流行のステマの記事ではないよ。

cover
カラダトレーナー
 「カラダトレーナー」とはまたベタな名前だなと思うが、音声でもっと運動しろとうるさく言ってくる感じを表現しているのかもしれない。
 外観はネック型ヘッドホンだが、装着感はそれほどよくない。上半身をよく動かすトレーニングだと落ちてしまうのではないか。
 装着し起動すると、ビッビッビッとリズム音に合わせてもっと運動するのが理想的ですなんたらと女性の声が片耳からする。もう片方は単三のアルカリ電池が入っている。電池は仕様では15時間保ち、取り換えはネジで開封する。重量は45g。ちと重たい。
 もうおわかりだと思うが、もうちょっとデザインやUIをどうにかできなかったものか感がある。これじゃ、おもちゃだ。だって、セガトイズだ。それはわかるにはわかるが。
 参考価格は5775円とあるがアマゾンで見ると970円だった。2008年に出たのでハイテク機の価格の降下としては穏当かもしれないし、だめもと感の価格に落ち着いているのかもしれない。
 対応する運動は、ウォーキング、ジョギング、エアロビクスの3種類だが、後者につれ、きつくなる三段階のようだ(参照)。
 起動すると、選んだ運動に合わせその運動時の心拍を定期的にモニターする。モニターは電池側の装置にあるクリップを耳たぶに挟む(痛くない)。耳たぶの毛細血管の血流変化を測定して脈拍数を計測する(が、脈拍数は表示されない)。
 この脈拍に合わせて適時な心拍数のゾーンを決めて、それ以下だともっと運動しろ(「リズムに合わせてもっと強く運動してください」)、それ以上だとしすぎだ(「リズムに合わせてもう少し弱く運動してください」)というメッセージになる。

 心拍数のゾーンは、安静時心拍数からカルボーネン法(Karvonen Formula)で計算している。
 そこで最初に使うときに、年齢設定や安静時心拍数の計測をするのだが、やってみると意外に難しい。添付文書にもあるが、メタボ解消にやってみようかなという中年は、装置に慣れるまでは実年齢より5歳くらい高めに設定するとよいようだ。つまり、最初は弱く。
 ウォーキングで試してみると、ウォーミングアップとして理想心拍ゾーンに接近させようと、もっと強くと促されるので、ついせっかちに歩くことになる。こりゃいかんと小走りっぽくすると、ウォーキングとしては心拍が上がりすぎ。自分がどのくらいの運動でどのくらい心拍が上がるかという感覚をもって、最初のウォーミングアップをしたほうがいいようだ。
 慣れてくると、上手にゾーンに入れる。そしてうるさいリズム音が消える(リズム音は言わば罰として機能しているようだ)。ウォーキングというのをマジで運動としてやったことはなかったので、こうしてやってみると通常の歩きでは十分に心拍が上がらないものだなと思った。
 ウォーキングなのだから、散歩気分で外を歩くのだが、いやこれ装着していかにもウォーキングでせこせこ歩くというのもなんだなと思い、通販生活で買ったエクサーのエアロビクスステッパーで使ってみた。ウォーキングに相当するように踏み込みを軽くした。余談だけど、このステッパー、もう10年も使っている。高いなあと思ったけど、これだけ長持ちするのはこの機種くらいじゃないだろうか。
 ステッパーで使ってみて、これも意外だったのだけど、気を許していると設定したゾーンをすぐに超える。いやそれでこそ運動でもあるとも言えるけど、緩和な運動で制御するとなるとゾーンを守ったほうがいい。そこで運動を落とす。このあたりの使ってみての感覚はポラールの心拍モニターのジョギングにも似ている(参照)。
 運動すると脳にエンドルフィンが出ると言われているし、それなりに研究もあるのだが、そんな大げさなと思っていた。が、これでゾーンを意識してみると、なるほど、ゾーンを越えようとするあたりで微妙な快感が圧している感はあるな。へえと思った。これが運動やり過ぎの元でもあるのだろう。
 運動時にiPodなど携帯音楽プレーヤーとの併用もできるとのことだが、安全を考慮して音が流れるのは片側だけとのこと。しかもこれがゾーンから外れたときはリズム音に混じる。なんだこれと思ったが、普通にiPodのイヤホンをしてこれを装着してもなんら違和感はなかった。まあ、二つ付けるとちょっとアホっぽいけど。
 後続機が作成されるのかわからないが、価格帯はもう少し上でもいいから、Nike + iPod(参照)のようにBluetoothでiPhoneやAndroidに対応するほうがよいのではないかな。あと、ゾーンを知らせる音も人間の音声じゃなくてアラーム音が選べるとよいと思うが。
 中年以上の人が健康管理に使うのであれば、小一時間個別指導を含めた講習会があったほうがいいのではないかとも思った。使い始め、何かとわからないことがあった。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012.01.23

[書評]アンジェラ・アキのSONGBOOK in English

 すまないな、ごくごく個人的な理由で好きではないんだ、アンジェラ・アキは、と言ってきた。嫌いではないよ。似たタイプの女性で痛い思いをしてきた青春みたいなものがあってさ、でも、曲のほうは、というと、うっぷす、これも苦手。「手紙~拝啓 十五の君へ~」とか聴くと、すみません、死にたくなります。

cover
アンジェラ・アキの
SONGBOOK in English
 いやはや自分でもどうかしていると思う。NHK語学番組「アンジェラ・アキのSONGBOOK in English」(参照)の第一回で、アンジェラ・アキが歌う、ビリー・ジョエル「Honesty」の英語のカバーを聴いて、感動に震えた。うまいなあ。声も歌唱も感性もいい。さらにこの講座で英語の先生が、はまり役過ぎ。すとんと惹かれてしまった。痛い思いをしてきたっていうのに。
 というわけでテキストの「アンジェラ・アキのSONGBOOK in English」(参照)も購入。わくわくな土曜日の夜。いやよく出来た番組。監修やっている大杉先生もさすがな味わい。
 それにそれにだ。選曲がもうもう涙もの。これ、俺の世代の青春ソングじゃん。アンジーのお母さんの青春の曲ではないのか? ご本人が選んだのか?

Honesty (ビリー・ジョエル)
Will You Dance? (ジャニス・イアン)
We’re All Alone (ボズ・スキャッグス)
Material Girl (マドンナ)
True Colors (シンディ・ローパー)
Without You (バッドフィンガー)

 ビリー・ジョエルの「Honesty」は、まあ、日本で行ったら演歌と言ってもいい。アンジーも番組で、恨み辛みの歌やねん、とずばり見抜いているあたりもよかった。ついでにビリー・ジョエルの近影も知った。
 前回の講座がジャニス・イアン。私の好きな歌手を5人挙げろ言われたら絶対に入れる歌手。その選曲が"Will You Dance? "というのもなかなかなもの。
 番組は英語の曲を通して若い学生さんが英語を学ぶという趣向でもあり、スタジオには20代前半くらいの若者が学生として集まっているのだけど、アンジーが「ジャニス・イアン、知っている人?」ときいて手を挙げた学生は皆無。そりゃな。そもそも、アンジーが知っているというのも不思議かも、と思って調べたら、どういう経緯か知らないけどお友達なわけだったわけか。すげーな。

Every woman is a story
Might not always have a happy ending
Every story has a history
And the past is always worth remembering

To all the women who have gone before me
To all the women who are yet to come
We all weave our separate stories
But from a distance they are one

We are a rainbow of faces
And a tapestry of songs
We all come from different places in this world
Though we are strangers when we meet
We are sisters when we're done
We are beauty, we are mystery, we are one
We are every woman's song

Every woman is a journey
We are always right where we belong
Hearts can guide us, hearts can blind us
Still we carry on

Thank you to the mothers and the daughters of my soul
To all the women I will never know
You have giving me a voice that I can call my own
You are beauty, you are mystery, you are one
You are every woman's song

We are a rainbow of faces
And a tapestry of songs
We all come from different places in this world
Though we are strangers when we meet
We are sisters when we're done
We are beauty, we are mystery, we are one
We are every woman's song
This is every woman's song

We're married in London
but not in New York
Spain says we're Kosher
The States say we're pork
We wed in Toronto
The judge said "Amen"
and when we got home
we were single again

It's hard being married
and living in sin
Sometimes I forget
just which state I am in
Thank God I'm not Catholic
I'd be a mess
trying to figure out
what to confess

My passport in Sweden
says I've got a wife
Amsterdam tells me
I'm partnered for life
but back in America,
Land of the free,
I'm a threat to
the national security

If I were a frog
here is what I would say --
It's hard being green
It's hard being gay
but love has no color
and hearts have no sex,
so love where you can,
and bugger the rest


 すごいね。
 話を戻して、今の学生さんたちジャニス・イアンを知らないと、それはそうなんだろうけど、"Will You Dance?"は聴いたことがあるかというと、何人か手が挙がる。はて? 
 調べたら近年CMがあったみたいだ。

 CMのコンセプトと曲調のノスタルジックな感じもわからないではないけど、これもジャニス・イアンらしい強烈な歌。そのあたりも番組でよく押さえていたし、例によって英語で歌うアンジーのカバーがすごかった。
 アンジーのカバー集が欲しいなと思う。日本語歌詞のは出ているのだけど、英語のままがいいなと思うんだが。

cover
SONGBOOK

 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012.01.22

[書評]円高の正体(安達誠司)

 日本はなぜ円高なのか。ずっと円高基調が続いているので疑問に思わなかったり、欧米での金融危機との関連で考える人もいるだろう。だが、円高のもっとも基本的な要因は何か、またそれがどういう意味を持つのかと考えるなら、本書「円高の正体」(参照)の解説がわかりやすい。

cover
円高の正体
安達誠司
(光文社新書)
 なにより重要なことは、日本の円高という現象がデフレの別相であることも明らかにしている点だ。その意味では本書の書名は「デフレの正体」と言ってもよいだろう。その書名をもって広く読まれた別の書籍の主張(人口減少によるとする主張)が間違っていることも示されている。
 本書は円高の仕組みを解説するだけに留まらず、日本にとって「良い円高」なるものが存在しないということを詳しく説明した後、円高の別相であるデフレの解消のための金融緩和政策に日本銀行が強く志向することも求めている。
 その点では、本書はいわゆるリフレ派と呼ばれる立場の主張を、新書の形式で手短に述べた冊子であり、従来からリフレ派の考え方に馴染んでいる人にとっては特段に目新しい主張はないと言ってもよいだろう。むしろなぜここまでデフレの正体と対処方法が描き出されてきたのに、日本の政治は機能しないのだろうかと暗澹たる気分を確認することにもなる読者もいるだろう。
 本書は円高の基本解説、その意味、さらに対処提言という一貫した主張で構成され、それは扉の「あと28.8兆円――」という一言のつぶやきに象徴されている。具体的に章を追ってみよう。
 「第1章 為替とは何か?」は、円高・円安といった為替のごく基本を扱っている。著者のエコノミストらしい現場の感覚がうかがわれるのは、銀行の為替業務の実態が為替差益を狙ったものであることを明記しているあたりだ。銀行以外の為替のプレーヤーも基本的に為替差益を最大にするように市場に参加している。
 「第2章 円高・円安とは何か?」と「第3章「良い円高」論のウソ」は連続して、円高・円安の基本をもとに、日本国の全体からすれば「良い円高」なるものは存在しないということを、「良い円高」論を排し、実際に日本が円高時に国民総生産が衰退する歴史事例を含めて説明している。
 俗論の例では、ヘッジファンドによる日本の通貨アタックまたキャピタルフライト(日本から資産が逃げる)も言及され、それらが起こりえないこともわかりやすく説明している。
 本書らしい議論が展開されるのは、「第4章 為替レートはどのように動くのか?」以降であり、経済学や為替の基本をある程度理解している人ならこの章から読み始めてもよい。本書は、通貨レートは長期的にその国の購買力平価に比例するとして、では短期的な変動は何によるかということで、マネタリーベース(中央銀行が供給するお金)から作成されたソロスチャートを提示していく。
 為替変動は長期的にはソロスチャートに沿っているとしても、2002年から2007年では、為替変動はソロスチャートでは説明できないとされてきた。この問題について著者は「修正ソロスチャート」を提示する。このあたりが本書で一番面白く感じられた。
 修正前のソロスチャートがはずれたかに見えたのは、著者によれば、量的緩和と銀行の投資意欲が整合しなかったことが原因だとしている。そこで銀行が資金として投資に回さない部分として法定準備金を想定し、そこを差し引くことでソロスチャートを修正すると為替変動と整合するようになったとしている。
 これはどういう現象か。著者は、中央銀行が断固たる意志をもって量的緩和を続けるというメッセージがあれば、銀行もインフレを予想し、その予想インフレによって投資が活性化すると見ている。予想インフレ率によって為替が左右され、そのことは同時に日本を衰退させるデフレを解消させるという議論になる。そしてこの予想インフレ率を変えることができるのは、中央銀行である日本銀行だけであるという議論が続く。
 「第5章 為替レートは何が動かすのか?」はさらに中央銀行と予想インフレ率の議論を深化させていく。この問題について、著者の考えが正しいことは、むしろリーマンショック以降の米国の中央銀行の金融政策によってほぼ証明されたと私は見ている。
 「第6章 円高の正体、そしてデフレの"真の"正体」では、具体的に日本のデフレを治療するために、マッカラム・ルールから具体的な数値として、名目2%成長のために、28.8兆円の追加が必要になるとしている。これにより為替も1ドル95円になるとしている。さらに78.8兆円の追加で名目4%成長となり日本はかつての成長を取り戻すとも主張している。これもおそらく正しいだろう。
 本書は最後に、リフレ派の反論としてよく見られる議論である「量的緩和はデフレ脱却には無効」論を排していくが、この議論はさほど新味のあるものではない。かくして本書はさらなるマネタリーベースの拡大を提言して終わる。
 私の感想だが、以上の議論は概ね正しいだろうと考える。だが、ではなぜこうしたリフレ派の議論が実際の政策に反映されず、なおデフレのどん底に突き落とすような増税に邁進する政権が存在し、また、少なからぬマスコミが増税を志向しているのだろうか。端的に言えば、こうしたリフレ派の議論には、本書にまだ語られていない弱点があるのではないか。本書からはそれるが、この機に少し述べてみたい。
 まず日銀が恐怖を抱えていることがあるだろう。2%から4%のインフレは団塊世代から上の世代にはパニックを引き起こすだろうと私は想像する。私は団塊世代の次の世代だが、あの高度成長期のインフレの時代の世相を知っているので経験的に理解できる。そのパニックからもたらされる怨嗟を日銀と政府が引き受けることはむずかしいだろう。
 次にデフレ解消を好まない層が政治力を持っている現実がある。インフレは結果としては増税と同じ働きをするうえ、実質的な富の再配分をもたらす。簡単にいえば、現在持てる者は減少させられるに等しい。つまり日本の資産の多くを握っている層にとってはデメリットもある。全体からすれば「良いデフレ」などありえないのにデフレによってメリット受ける層があり(箪笥にカネを置くだけで実質増えていく)、これが明確に現在の政治体制と結びついている。この層は、一つは先にも述べた高齢者世代であり、もう一つは社会不安から守られ所定の給与が維持される階層である。ごく簡単に言えば、公務員と労組の強い大企業、政治団体などであり、これらがまさに現在の民主党政権を担っている(自民党でも同様の部分がある)。
 さらに本書に直結する面で言えば、量的緩和だけで銀行の投資意欲を導くというとき、その議論のベースには本来なら日本が達成できる成長率の前提があり、それはそれで正しいのだが、それでも全体的に人口減少による需要減少、また生産減に結びつく労働者人口が減少していくなか、政府は積極的に公的投資から需要を掘り起こす必要もあるだろう。震災後の現下の状況を考慮するなら、国家による公的投資が効果的に推進されなくてはならない。無駄を省くことよりも将来の利得となる公共投資に政策をシフトするほうが重要なのだが、その具体性を現在の政府は持つことができない。
 以上のような問題を、まさに政治的な課題としていくには、高齢者や保護された労働者層に対して国民統合の視点から一定の痛みを理解してもらうこと、また並行して公共投資の倫理とルールも形成していくことが重要になる。その政治課題が前面に現れることになる。
 
 

| | コメント (6) | トラックバック (2)

« 2012年1月15日 - 2012年1月21日 | トップページ | 2012年1月29日 - 2012年2月4日 »