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2012.09.01

2015年の春ごろに日本消沈

 大阪維新の会による「維新八策」最終案の全文(参照)が出たので読んでみたのだが、正直、皆目意味がわからなかった。なにより、日銀改革に言及してない点が不思議ですらあった。自分の理解が至らないのでなんだが、その他の点でも新味はなく、政権交代時の民主党のような威勢の良さだけで押すなら、現在の民主党のように躓き、政治の第三極とはならないだろう。
 むしろ、自民党党首選に臨む安倍元首相のほうがこのところ、日銀改革について明確に言明していることを確認した。その点で今回は支持したい気もしないではないが、身体的に首相職に耐えられるとも思えない。そこは可哀想だなと思うが、自民党全体の動向を見ていると、安倍さんがいくら頑張っても思うようなまともまりにもならないだろう。それでいながらまたぞろ反・安倍勢力のデマが飛び交うのもげんなりする。
 日本の政治はどうなるのか。わからないといえばわからないが、わかる部分もある。わかる部分から、むこう二、三年の日本の趨勢について簡単に予想してしておく。
 明瞭なのは、どのような政権になっても2014年半ばの時点で政治の運営が頓挫することだ。理由は簡単で、現行の消費増税翼賛会のシナリオが現実に直面して崩れるからだ。名目成長率の数値を努力目標として無意味にした景気条項だが、それでも成長率どころではない事態になれば、そもそも条件としての意味もなくなる。2014年4月の一回目の増税はなんとか持ちこたえるだろうし駆け込み需要もあるだろが、その後、日本の経済成長はがくんとへこむ。NHKで見た試算では2.1%減少する(参照)。
 今回の増税は、以前のように減税とセットになっていないし、逆に各種の実質増税が加わる。10%増税を加えると、NHKで見た試算では、年収500万円の家庭で年間32万8,900円の増税になるとのことだ。大ざっぱな感覚とすれば、庶民の家計から月額3万円近くが削られる。どのような惨状になるかは想像がつく。他、エネルギー政策もぐだぐだとした状況で産業も疲弊しているだろう。こうしたなか雇用が回復するとも思えないし、社会保障といった華々しい話題も、それ自体が追憶になっているのだろう。
 こうした状況がほぼ確実と見られるなか、民主党政権が存続しようが、自民党政権に戻ろうが、あるいは第三極が出てきようが、最善を尽くしたとしても、大差のない結果にしかならない。もちろん、忘れていた天才・鳩山由紀夫さんのような首相が出て、さらなる混沌と悲惨が訪れないとも断言できないが。
 悲観に過ぎるようなので、楽観面を考えると、意外と財務省はデフレの意味を理解してはいるので、念願の消費税増税路線を是とするや、日銀攻撃を始め、円安誘導を開始するかもしれない。民主主義もくそもないような希望というのもなんだが、一縷の望みがないわけでもない。
 さて、これから来年2013年にかけて政治の季節がやってくる。しばしはお祭り騒ぎになる。希望が語られる。実態は、どのような政権であれ、現下のだらっとした状況が2014年くらいまで続くし、次の首相も一年くらいは保つだろう。消沈は、消費税増税10%の2015年の春ごろに訪れる。
 政治の課題としては、相も変わらず経済成長力や金融改革というままだろうが、現実的な転機という点で見れば、政府は10%増税に失敗して、長期国債金利が上昇し、円が弱まった時点で新しい産業の芽や新しい展望も見えてくるのではないか。
 その間、日本を取り巻く状況がどうなっているかだが、国力が弱まるとどうなるかは現下の民主党政権で国民も学びつつある。これがじわじわと悪化するだけならよいが、ときおり世論を沸騰させるような突発事件もあるだろう。それとは別に中国や朝鮮半島側での変化もあるだろうが、日本としての積極外交は取れないのだから、地味に実質的な防戦体制でいくしかないだろう。
 夢も希望もないような話だが、偽りの夢や希望が消えていく新しい過程に日本が進むのだと考えれば、それでよいのではないか。
 
 

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2012.08.31

暗黒面便り

 こんな不思議な問責決議はない。ふふふ。笑いが止まらん。ふふふ。おっと、誰だ、そこに居るのは。政界の暗黒面を覗き込む者は? ブロガーだと。なんじゃそれは。まあ、誰でもよい。あのどじょうと同じ。暗黒面に興味を持ったが最後、もう抜け出ることはできん。「だれにだってあるんだよ、ひとにはいえないくるしみが。ただだまっているだけなんだよ。いえば暗黒面におちるから。みつお」じゃな。もっと暗黒面に馴染めるよう、なにか話でも聞かせてやろう。これでも私はかつてサラシを巻いたジェダイの教師だったのだ。質問はあるか。
 総選挙が近いか?だと。ふははは。総選挙などそう簡単にはさせん。仕掛けがわかっておらんようだな。なんのために衆議院の選挙制度改革法案をゴリ押ししたと思っているのか。野党ども「民主主義の根幹ともいえる選挙制度について、与党の多数で強行採決することは憲政史上、類を見ない暴挙であり、断じて許すことはできない」などとぬかしておったが、そこよ。あれは参院に送っても成立はしない。そこが狙いよ。
 民主党としては、おもて向きあくまで選挙制度改革法案を成立させたいという意思表示をせねばならん。どじょうも泣いて言っておったな。身を切る演出がどうしても必要なんです、先生、とな。あれが本心かも知れぬ。議員自身が自らの身を切って政治にかける。美しいじゃろ。「あのときのあの苦しみも、あのときのあの悲しみもみんな肥料になったんだなぁ。じぶんも肥料になるために。みつお」これじゃ。
 身を切るのは野党だけにしてほしいものだが、そうもいかない。だが、選挙制度改革法案が成立したら解散の名目が立つから、おいそれと成立しないようにことを進める。そして、いつなんどき衆院解散といった椿事となっても、民主党は自民党を押し切っても選挙制度改革法をしたかったのだとアピールできる。「うつくしいものを美しいと思える、あなたの心がうす暗い。みつお」じゃ。
 知っておるか。政権交代を成し遂げたあの革命的衆院選挙が憲法違反だということを。最高裁は、昨年3月、平成21年8月の衆院選に関する裁判で、最大2.30倍となる1票の格差は違憲状態との判断を下しおった。2.30倍。いい響きだ。高知三区と千葉四区。現在はどうなっているか。2.54倍。2.524倍だったか。格差が2倍の選挙区も、最高裁判断のときは45だったが、現在では97。「夢はでっかく根はふかく。みつお」じゃ。暗黒面の力よ。
 もちろんこのまま民主党政権が違憲の上で安泰とはいかぬ。司法というのがやっかいな権力でな。解散総選挙をしたら無効だとかいいかねない。困るだろ。そこで民主党としては違憲をできるだけ排除したというポーズが必要なのだ。 ポーズがあれば司法もなんとなる。なりそうもなければ、メディアを騒がせて、司法が嫌いな空気を送る。「がんばんなくてもいいからさ、具体的にポーズを見せることだね。みつお」じゃ。
 一番苦労したのは自民党が「0増5減」を言い出したときよ。どじょうも、これでまとまると勘違いしおった。こういうときこそ、弱小党の意味がある。あいつらが欲しがる比例代表に連用制を付けた。比例定数も具体的にもめるように40削減とした。制度を複雑にすれば合意が遠のくからな。案の定、自民党は紛糾してきた。弱くなったものだ、自民党も。政治というのは、小異にこだわっていたら大きな目的は達成できないものよ。教えてやったら、ようやく自民党もわかってきたようだが、わかってやったことが、自己矛盾の首相問責決議ときた。ふははは。
 もちろん、選挙制度改革法案をいつまでも先送りにしたいわけではない。きちんと成立させてもよい。どうするか知っておるか。衆議院議員選挙区画定審議会を立ち上げて、仕事をさせる。がんばって仕事をさせて、まあ3か月。ふははは。先送りした選挙制度改革法案がきちんと成立してなお3か月。焦った自民党が、秋の臨時国会で顔色変えて、選挙制度改革法案に取り組む様子が目に浮かぶ。
 
 

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2012.08.30

「じわじわ来る」首相問責決議

 参院での首相問責決議なんて選挙が迫る時期の恒例、自民党政権時代の民主党の愚行みたいなもので、どうでもいいやと思っていた。とはいえ、自公が民主党に三党合意を守ってないではないと批判するのもありうるだろう。そんな気分で関心をそらしていたら、とんでもない事態になっていた。結果を知って「じわじわ来る」というのだろうか。自民党の自爆がきつい。
 当初自公はこういう話だった。28日付けWSJ「首相問責案は谷垣氏の戦略ミス?」(参照)より。


 自民、公明両党は、民主党が27日の衆院政治倫理・公選法改正特別委員会で、同党提出の衆院選挙制度改革法案を野党欠席のまま採決したことなどに強く反発。首相への問責決議案を提出する方針と報じられている。野党が多数を占める参院では、問責決議案が可決される公算が大きく、議員立法や原子力規制委員会の同意人事を除き今後の国会審議はストップする可能性が高い。

 衆院政治倫理・公選法改正特別委員会の民主党の独走はたしかに、三党合意を無視したような状態なので、自公がその点で首相問責決議を出すという理屈は理解できた。なにより、比例代表定数削減を事実上与党単独で強行採決する姿勢はひどいものだった。この法案は国会議員全体のあり方に関わる問題なので異論を含めて熟議しないといけないものだ。
 自公の問責決議理由はわからないでもなかった。ところが、別途、三党合意による消費税増税への反発で小沢一郎の「生活」など中小野党七会派が3週間前に提出した別の問責決議案がある。そこで、これと自公案と調整を付けるという流れになり、自公が合意した増税翼賛部分はどうなるのだろうかと疑問に思ってはいた。調整をつけるなら玉虫色の反民主でまとまり、形骸化した首相問責決議になるのだろうと思い込んでいたのだった。
 ところがどっこい。昨日可決された問責決議は次のようなものである。

内閣総理大臣野田佳彦君問責決議
 本院は、内閣総理大臣野田佳彦君を問責する。
 右決議する。
 理由
 野田内閣が強行して押し通した消費税増税法は、2009年の総選挙での民主党政権公約に違反するものである。
 国民の多くは今も消費税増税法に反対しており、今国会で消費税増税法案を成立させるべきではないとの声は圧倒的多数となっていた。
 最近の国会運営では民主党、自由民主党、公明党の3党のみで協議をし、合意をすれば一気呵成に法案を成立させるということが多数見受けられ、議会制民主主義が守られていない。
 参議院で審議を行う中、社会保障部分や消費税の使い道等で3党合意は曖昧なものであることが明らかになった。
 国民への約束、国民の声に背く政治姿勢を取り続ける野田佳彦内閣総理大臣の責任は極めて重大である。
 よってここに、野田佳彦内閣総理大臣の問責決議案を提出する。

 一部手直しがあったらしいが、ベースが小沢一郎の「生活」など中小野党七会派の問責決議案だから、当然、三党合意への批判が基軸になっている。つまり、民主党への批判というより、自公民三党への批判の決議とも言える。
 普通の頭で考えたら、自公はこれに賛成できるわけないので、公明党は冗談じゃないよと抜けた。なのに、自民党自身、この自民党批判に賛成しちゃったわけね。
 「じわじわ来る」でしょ。
 三党合意による増税翼賛がひどい話だというのは、私もそう思うし、その点から、今回の首相問責決議も理解できるけど、それに自民党が乗る話なんだろうか。
 自民党政権時代にくだらない首相問責決議を主導してきた民主党の輿石幹事長ですら、「野党時代に、わたし自身も問責を打ったことがあります。しかし、今回のこの問責ほど、不思議な問責はない」と述べていたけど、この点だけは賛成できる。輿石先生と同意見になるのは、こうした異常事態がないと無理だっただろうし、首相の解散権を封印するためにだらだら現状を維持させ違憲状態を維持するお手並みもお見事。
 それでも、衆院が増税翼賛会で暴走しちゃったのを、参院で、それは話が違うんじゃないのというのを形にまとめだけでも「良識の府」の面目は保てたように思うし、流れから見るにこれを主導したのは、小沢一郎であったのも明白だった。
 当の自民党の谷垣禎一総裁だが、なぜこんな滑稽な決断してしまったのか。本人談では「小異にこだわっていたら、大きな目的は達成できない」ということだった(参照)。何が大きな目的だったのだろうか。本人としては民主党政権を倒すという意図なんだろうが、国民には伝わっていないし、自民党内にも伝わっていないだろう。谷垣さんの自民党代表の再選はないだろうし、そもそも辞退するのではないか。
 かようなまでに政局というのは理不尽極まるものだが、解散の時期については、自民党時代の流れからすれば、首相の花道は敷かれたわけで、おそらく、9月の民自の代表選で雁首を入れ替え、10月の臨時国会召集で解散ということだろう。おそくても来年1月の通常国会前には解散という流れだろう。
 野田ちゃんが民主党代表選で生き残れるかについては、あの福々しい尊顔が選挙ポスターとっして使えるかということにかかっている。ということで、他の雁首を並べた図を思い描く……田中真紀子がにっこりとか再び岡Pがむっつり、とか……ないなあ。
 野田ちゃんのポスターを街頭で見かけることになるのか。またとんでもないガラポンをやるのだろうか。安定政権を必要とする外交・軍事を考えると、鳩山・菅時代のトンデモ民主党はすでに終わっているのだから安定政権ならば野田ちゃんでもいいような気がしてきた。
 
 

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2012.08.29

丹羽大使車襲撃の印象

 27日の丹羽大使車襲撃だが、私は当初、反日デモ群衆の暴発だろうとたかをくくっていたのだが、NHKの7時のニュースで状況説明を聞いて、これはとんでもない事件だと、ハッとした。はっきりとした筋は見えてこないのだが、とりあえず、ハッとした部分だけメモしておきたい。
 事件の様子だが、28日付け読売新聞記事「丹羽大使車襲撃、中国「真剣に調査している」」(参照)を借りよう。


 襲撃は27日午後、大使が外出先から大使館に戻る途中に起きた。市内の環状道路上で渋滞で徐行していたところ、ドイツ製高級車2台が後ろから蛇行して接近し、両側から幅寄せなどをした後、2台が大使の車の進路をふさいだため、停車を余儀なくされた。うち1台から現れた30歳代とみられる男が、大使の車の右前方に掲げてあった日本国旗を抜き、奇声を上げて車で立ち去った。在北京日本大使館によると、大使が公務で移動する際、原則として車に国旗を掲げる。公用車の国旗掲揚は世界の在外公館で共通の慣例という。

 場所と状況から見て、待ち伏せしていたことは確実である。つまり、突発的な事件ではなく、計画されたものである。そして計画には、明瞭に、日本国旗だけを奪うことが目的化されていた。
 これは反日を装ってはいるものの、「暗殺ができるのだ」という示威が当初の目的であることを明瞭に語っている。
 背景には組織があることも明確だ。ドイツ製高級車2台はBMWとアウディである。今日の毎日新聞社説が「中国では軍や党の高官やその子女、あるいは「黒社会」と呼ばれる反社会組織の幹部が乗ると思われている車だ。背後関係がありそうだ」としているが、中国の闇社会の組織が関与していることは間違いない。
 では、闇社会の単独犯行なのか?
 闇社会が政治と無縁に、現下の混乱した中国政府に絡んでくるはずもないので、この事件はそもそも、中央政治の政争との関連が根にあると見ていいだろう。丹羽大使公車が無防備だったというのも奇妙だが、それ以上襲撃場所から見て、闇社会の車を看過することもだが、北京内で問題を起こしたくない中国政府の警備が手薄だったというのは不自然である。警備体制の緩みと見るより、北京側の一部が噛んでいると考えた方が妥当だ。
 しかし、要人の暗殺ができるという示威であるなら、暗殺者が特定されるようなことをするものだろうか? そこがこの事件の奇妙なところだ。
 たぶん当初から、先日の尖閣上陸実動部隊のようにイデオロギーもくそもない可視な実動部隊をぶつけてきたのだろう。つまり、この犯人たちを政府側がどう料理するかという演出まで含まれていたと見るべきだろう。
 言うまでもないが、尖閣上陸部隊の英雄視のように、今回の襲撃犯も、「彼らは英雄だ」という馬鹿騒ぎの文脈が想定されている。この文脈を弱めるには、相当に親日的な態度を政府に取らせて、政府を弱体化させることになるし、その目論みの一部は、北京政府側が日本に謝罪するはめになったことで実現している。また表層的な文脈にある尖閣諸島の問題については、北京側からは「対日3条件」(参照)という無問題であることのメッセージは出ていて、日本政府がリアクションしないように二国間で通じ合っている。
 あとは今回の襲撃犯人はすでに捕らえられているので(参照)、そのあたりの中国政府の今後の動きが政治的には重要になる。
 以上のように、与えられた情報だけから見ていくと、今回の丹羽大使車襲撃事件は、またしても中国にありがちな指桑罵槐の構図が際立つので、丹羽大使への個人的な威嚇ではないだろう。ただ、在留日本人への威嚇は含まれているだろうが、そもそも中国政府要人への暗殺の威嚇が含まれていることは、ウィキリークスなどの情報からも推察される(参照)。
 全体の構図からすると、共青団の動きに対するリアクションと見てよいだろうし、相当に追い詰められているという印象がある。都市部の中間層の中国人は、こうした全体構図は空気として理解しているだろうから、それ以外で、ネットや、情報がうまく届かない地方で「反日」暴動をさらに仕掛けることにはなるだろう。昭和12年を想起させるようなエポックが連続して起きないことを祈りたい。


追記
 中国政界の暗殺について「妄想」という反応もいただくので、この件について、エントリーで言及したウィキリークスの関連情報の概要を追記しておきたい。


07SHANGHAI656 2007-10-05 10:18 2011-08-30 01:44 SECRET Consulate Shanghai
SUBJECT: (C) A NANJING ACADEMIC'S VIEW ON POLITICAL VIOLENCE IN CHINA

¶1. (S) Summary: According to Nanjing University Professor Gu Su (strictly protect) political assassinations and violence occur in Chinese politics, even occasionally touching top leaders. Gu said that in January 2007, for instance, Central Disciplinary Inspection Commission Chairman (CDIC) Wu Guanzheng's son was murdered in Qingdao assassins presumed to have come from Beijing. President Hu Jintao's son had been a target last year, Gu said. Such events are more common in the provinces, Gu said, where many local officials live in constant fear that they will be targeted by people who have been harmed by their policies, by underlings looking for greater head room, or by superiors who see them as a potential threat to their power. A murder in Shandong's Jinan Municipality has recently brought the Qingdao Party Secretary and a Shandong Vice Governor under arrest and cast a shadow over Hubei Party Secretary Yu Zhengsheng's prospects for promotion to the Politburo Standing Committee. End summary.

南京大学グー・スー教授(保護下)によると、中国の政治においては、政治的な暗殺と暴力は、最高指導者に関連してさえ、しばしば起きる。例えば、2007年7月、中国共産党中央規律検査委員会書記長・呉官正の息子は、北京政府から来たと見られる青島の暗殺者の手で殺害されたと語った。胡錦濤国家主席の息子は昨年までターゲットとされていたとも語った。こうした事態は地方はよく見られることであり、そこで地方公務員の多くは、いつターゲットにされるか絶えざる恐怖のなかで暮らしている。攻撃者は、政策で毀損された者、ボスにのし上がろうとする下っ端、自己権力に潜在的な邪魔者とみなす上司である。山東省済南市自治体での殺人では、青島の党書記と山東省代理知事の逮捕となり、湖北省の党書記・兪正声の政治局委員昇進に影を落とした。


 
 

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2012.08.28

英語の「現在完了形」は、現在時制(テンス)+完了相(アスペクト)と考えると理解しやすいし、未来表現も相(アスペクト)が利用できる

 昨日だったか、はてなブックマークで「直感で学べる!英語ネイティブの11個の現在完了の使い方 - 大人気美女ブロガーミカエラさんの動画で英語学習」(参照)という記事に、644のブックマーク(参照)がついて目立っていたので覗いてみた。コメントが異常なほど多く付いているというわけではない。英語学習関係のブックマークは1000を越えるものも多いので、どっちかというとそれほど話題というものでもないだろう。ただ、アスペクトを教えているのかなと興味を持ったのだった。
 該当のエントリーだがそれなりに面白いし(女性がカワユス)、説明が間違っているというものでもないが、アスペクトの話はなかった。
 そういえば、学校英語ではいまだに「現在完了形」というのを教えているのだろうか。現在完了形というのは、現在時制(テンス)+完了相(アスペクト)と考えると理解しやすいのだが。と思って気まぐれに完了「相」のことをツイートしたら、どの文法書にありますかと問われた。

cover
文法がわかれば英語はわかる!
NHK新感覚・わかる使える英文法
 簡単に答えると、田中茂範著「文法がわかれば英語はわかる!」(参照)に詳しく説明されている。
 この本は、以前、NHKでやっていた語学番組「新感覚☆わかる使える英文法」を元にしている。番組では和希沙也さんが出ていて楽しかった。ツッコミのネイティブ役にはダリオ戸田さん。なかなかの才人だとも感心した。番組ではちょっとシュールなコントもあって、マイケル・ネイシュタットさんとSHELLYさんが演じていた。
 というわけで、「完了相」など「相」については先の本を読めばわかりやすく書かれているので、それで話はお終いでもあるのだが、簡単に要点をまとめると、五点ある。

  1. アスペクト(相)はテンス(時制)と組み合わせる。
  2. テンスは動詞の活用形に表れる時間で、現在と過去の二つがあり、英語には未来のテンスはない。
  3. アスペクトには、動作・状態のありようを示すもので、単純アスペクト、完了アスペクト、進行アスペクトの3つがある。
  4. 動詞のチャンク(まとまり)は、「助動詞+完了相+進行相+態」をテンスが支配して動詞に結合する。
  5. 動詞チャンクは必要情報を補い、構文を形成する。

 そこで、動詞の文法の要点は三点になる。

  1. テンス・アスペクトの調整を含む動詞チャンクをどう表現するか?
  2. 話し手の態度を表明するときどのように助動詞を使うか?
  3. 動詞チャンクを補う構文をどう表現するか?

 学門めいているのだけど、これは厳密には文法というより、学習者に英語をどのように教えるかという便宜を整理したもので、学門として文法と言えるかについてはまた別の話。ちなみに、イェスペルセン文法などでは時制を7つとしている。
 そんなことを学んで具体的にどうなのか?
 例えば、「越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文」(参照)にある次の問題などはすっきり理解できる。

A-11 His father writes scientific novels.

 これにこう解説がある。

英語の時制で一番誤読・誤訳が多いのは現在時制。理由のひとつは「~いる」という日本語に引きずられて進行形と混同するから。

 先の田中文法なら、これは現在テンス単純アスペクトなので、現在テンス進行アスペクトとは区別され、こうした解説は不要になる。
 似たように田中文法が活用できる例としては。

I'm leaving for New York tomorrow.

 現在テンス進行アスペクトなので、今この時間、話者は「leaving」の相にある。つまり旅立ちの状態にある。機能的には未来表現になってもいる。
 こんな感じですかね。

単純アスペクト: (゚Д゚)
進行アスペクト:((((゚Д゚))))

 とはいえ。

A: What time are you finishing?
B: I'm finishing at six tonight.

 みたいに進行アスペクトによる未来形を会話ですらっとは出て来ないんじゃないかな。ある未来の時点から現在の進行アスペクトとして未来を表現するということで、こうも言える。

I'm graduating in two years.

 未来表現の意味合いの違いはこんな感じ(参照)。

A: I’m graduating from the nursing program next semester.
B: After I graduate, I’m going to apply for nursing jobs.
C: I will probably find a good job at a hospital.

 使い分けだが、進行相は"arrangments(スケジュール上)"、"be going to"は"plans&intentions(計画)"、"will"は"predictions&hopes(期待)"といった感じ(参照)。
 BBCの学習サイトにも例文があったが、これが面白い。

  • be going to: I'm going to visit my cousins in Leeds over the coming weekend.
  • future progressive: I'll be visiting my cousins in Leeds over the coming weekend.
  • present progressive: I'm visiting my cousins in Leeds over this coming weekend.

 ご覧のとおり進行相が"will"と結合している。BBCのサイトでも"polite enquiries about people's plans"とあるように、これは実は、英語の敬語。なぜ、これが敬語になるかについては、先の田中文法の本にも説明があるので気になるかたはご参照を。
 未来表現のほうに話題が移ったが、英語は未来テンスを持たないので、アスペクトを駆使してこういうことになる。

cover
越前敏弥の
日本人なら必ず誤訳する英文
 話を戻して、英語圏での英語学習者にはどうアスペクトについて学んでいるのか、ざっと見回したが、はっきりとしない。「Collins Cobuild Active English Grammar」(参照)を見ると、日本での英文法書と同じだし、未来を表現する進行相などについての言及はない。ネットをざっと見回すと、ないわけでもない。"Understanding English Grammar"(参照)というサイトでは、4つのアスペクトを上げている。

A. The simple (infinite) aspect
B. The perfect (complete) aspect
C. The progressive (continuous) aspect
D. The Perfect Progressive (continuous) aspect

 田中文法の単純相を"simple (infinite)"として、"infinite"を強調しているのが興味深い。テンスについては"future"を設定しているので、機能・意味論的な傾向になっている。
 ESL(第二言語学習)関連のサイトでもこの4分類は見かける(参照)が、"Perfect Progressive"を単独の相として取り上げるかは議論が分かれるだろう。
 他、"The Internet Grammar of English"(参照)では、単純相を設定せず、テンスとアスペクトの2×2のマトリックスに単純に納めている。

 全体的には、英語圏の英語学習者ではアスペクトを学ぶという流れはありそうだ。が、日本の英語学習も明治以来長い伝統と歴史があるので、それはそれで日本独自の伝統として大切にしていきたいところ。
 
 

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2012.08.27

ヒメネスさんのキリスト画が優れたアートである5つの理由

 北東部ボルハ(Borja)の教会でエリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)による「この人を見よ」(Ecce Homo)と題するキリスト画を元に描かれたるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さん(80)のキリスト画が、優れたアートである5つの理由ついて考察したい。


「この人を見よ」(Ecce Homo)

1 斬新なインスタレーションでありストリートアートである
 ヒメネス画は、教会という固定化された空間を作家の意匠によって異化させ新しい体験を促すインスタレーションであり、また既成権力によって形骸化された美術館やギャラリーといった閉鎖空間に圧殺された芸術の本質的な力を広い空間に解放し、人々のコミュニケーンを活性化させる斬新なストリートアートとして評価できる。


キリストを描いたストリートアート

2 ルオーの精神性を現代に再現している
 ヒメネス画は、素朴な筆致によって、作者の精神性のプロセスをなぞるように、逡巡しつつ、純真な信仰表現として、なんどもなんども上書きされていくという点から、ルオーのキリスト像、とくに同じタイトルの「この人を見よ」(Ecce Homo)との類似性が顕著である。その精神性は人々に感動をもたらす。


ルオーによる「この人を見よ」(Ecce Homo)

3 ベーコン風のデフォルメによって人間存在を描き出している
 ヒメネス画は、激しいデフォルメによって歪められた具象表現によって、人間存在の根本を描き出したアイルランドの画家フランシス・ベーコンの作風にも似いる。人間とキリストの存在をその違和感の衝撃をもって新しく現代人の魂に呼びかける。


Study of Head of Lucian Freud


4 諧謔はアートの伝統である
 印象派と深い関係にあったエドゥアール・マネの代表作「草上の昼食」(参照)はマルカントニオ・ライモンディの版画「パリスの審判」(参照)の一部をパロディにした作品でありながら、芸術作品として定着している。そのように画家が古典作品をベースに諧謔の作品を創作するのも芸術の伝統であることを、ヒメネス画は訴えかけている。


ダリによるモナリザ

5 芸術とは本質的にスキャンダラスなものである
 ヒメネス画は、現代世界に騒動とも言える大きな衝撃を与えたが、芸術はそもそもスキャンダラスな性質を持つものである。古典的な例としては、フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)の「世界の起源」などがある。


ギュスターヴ・クールベ作「世界の起源」

 
 

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2012.08.26

[書評]死との対面 瞬間を生きる(安岡章太郎)

 先日ふと鶴見俊輔さんと安岡章太郎さんのことが気になって書店でぶらっとしていたら、安岡章太郎さんの「死との対面 瞬間を生きる」(参照)が文庫本で復刻されていたのを見つけた。なぜと思うこともなく読んだ。

cover
死との対面
瞬間を生きる
安岡章太郎
 扉裏には、「本書は『死との対面』(1998年/小社刊)を加筆修正し文庫化したものです」とあるので、現在92歳の安岡先生の近況も含まれているのかと期待したが、初版と比較したわけではないが、ざっと読んだ限りでは、特になかったように思う。前書きも1998年のままだった。
 気がつく加筆がまったくなかったわけではない。近藤啓太郎について触れた段落の末には、括弧で、(註・近藤氏は二〇〇二年没)と追記されている。初版と復刻の間に亡くなった。近藤啓太郎と限らず、あちこち没の追記がある。バトルロワイヤルという趣向でもないが、安岡先生の存命が強調されている。
 1998年に安岡章太郎は78歳。表題の「死との対面」もむべなるかなという印象もある。この年私は41歳。ああ、40歳越えちゃったよ、名実ともに中年だなと暢気なことを考えていた。
 安岡章太郎が生まれたのは1920年、大正九年である。私がよく読んだ著者群の生年のスペクトラムで見ると、山本七平が1921年の年末生まれ、遠藤周作が1923年、吉本隆明が1924年、三島由紀夫が1925年。それと私の父が1926年。山本七平はルソン島に送られ生死をさまよう。安岡章太郎も学徒動員でフィリピンに送られそうになるが、病のために戦地には赴かなかった。私の父も病で戦地に行くことはなかったが、四つほど年上だったか父の兄はインパールで戦死した。そのあたりの生年地点で戦地の実体験と内地経験での語られた体験との差違があり、吉本も三島も戦地経験のなさで焦燥した欠落感から過剰な思いに駆られて、戦後思想の一つの類型的な基盤を形成している。安岡はその中間的な地点に、ぶらっと存在する。この中間性がいわゆる「第三の新人」のバリエーションでもあり、特徴でもある。このあとには、ベタな団塊世代が出現し、これが高齢化して現在の奇妙な日本の風景を描き出している。
 自分に関連するので、戦中派の子の世代も少し触れておきたい。安岡章太郎の娘さんで、光文社からドストエフスキーの新訳なども出されている東大教授の安岡治子さんは、1956年生まれで私より一つ年上。彼女は1月生まれなので学年的には二つ上になるだろうか。ちなみにこのクラスタの生年スペクトラムで象徴的なのは松任谷由実の1954年生まれで、ここのあたりから脱・団塊世代が始まる。と同時に、戦中派の父親をどう継承するかという内省が始まる。高橋留美子が私と同じ1957年生まれで「めぞん一刻」的な世界の背景がある。
 背景の話が多くなってしまったが、本書「死との対面 瞬間を生きる」は普通に、誰にも訪れる老年とその時点で向き合う「死」という点でも面白いし、10年以上たって55歳にもなって死にいっそう近づいた自分が読むとまた思い新たにすることも多い。が、最後の戦中派やそれを父に持つ世代や、「第三の新人」の文脈で読んでいく面白さが、やはりやや上回る印象があるし、自分が年を取った分、戦中派の人々や戦後昭和という時代への思いも深まる。
 安岡章太郎は青年時代、まさに戦中で、「生命というものをそんなに大切なものとは思わなかった」と書いている。戦争といえば、戦後神話のなかで、命の大切さが大書されるようになったが、その大書には、安岡のような思いが裏書きされていた。「いつ死んでもかまわない、という気持ちに馴らされてていたように思う」と安岡は述べる。
 安岡は1941年、慶應大学の文学部予科に入学したものの、卒業前に召集され満州に送られる。が、翌年肺結核で除隊処分で内地送還。病院の様子はひどいものだ。病人たちはばたばたと死んでいった。看護婦が悲哀感もなく甲高い子で「また一丁スーラ(死了)よ」と叫ぶ。
 そうした眼前の死者に対して安岡は「可哀想とは、もちろん思わなかった。そんな余裕は僕にはなかった」と回顧する。「百人ほどの結核病棟の兵隊の、おそらく誰一人、他人の身の上を案じる余裕はもってなかっただろう」とたんたんと語る。戦地で人肉を食ったという話を聞いても、「経験したことのある人にとっては大きな意味はないという」とも語る。現地人や敵兵は捕まえられなかったから食うのは仲間の日本兵だったとも。
 戦後神話の薄皮の向こうが見える。「軍隊に入っただけでは戦友愛など生まれてはこない。軍隊のなかでは同年兵が皆お互いに自分の敵なのである」。
 だが78歳の安岡は本書でこう言うのだった。「ところが今になって年ごとに」「死んでいった連中を本当に可哀想だと思うようになり、すまないという気持ちになってくる」。「かならずしも軍隊へ行って死んだ者だけではない。民間人としてもたくさん死んでいる。それが皆二十歳そこそこの若さなのだ」「自分が生きていて、生きることに価値があり絶対に善いことならば、死んだ人は本当に気の毒だ」。
 こうも言う。「こっちが死にそうな年齢になってきて、散歩に行って多摩川の皮の水面を見ていて、ふと同年兵の顔が浮かんできたりする。じつに可哀想だったなと心の中で呟き、彼らはおそらくたいていは童貞で死んだであろうと、そう思うとき、始めて自分自身の孤独を身にしみて感じる」
 安岡章太郎らしい、さらりとした口調で語られているが、独白に登場する「童貞」の語には奇妙な違和感が残る。文脈も読み直せば、童貞で死んだ若者を思うことがなぜ自分自身の孤独になってくるのだろうかということは、語られていないことに気がつく。
 おそらく、それは戦後神話の向こうでは語るまでもないことだったのだろう。戦後生き延びて童貞を失した老人の孤独というものは、童貞で死んだ若者が投影されているのだろうが、その意味がわかるだろうか。
 何を安岡章太郎は言っているのだろうか。戦後神話の向こうでは当たり前のことではなく、ただの老人の繰り言というだけではないのか。そうではないだろう。生きるということは、生きて子をなして生きるという意味を包括していた。だから、童貞で死んだ若者の死はただの死ではなく、生への特殊な、この世に残る子孫への情念が含まれていた。であれば、若者を童貞で死なすまいというなんらかの配慮のようなものも当時は存在していたに違いない。
 なにか不思議なことが淡々と語られ、安岡章太郎のカトリック入信の話にも繋がっていく。この入信については別に書籍もあるし、縁となった遠藤周作の逸話も興味深いが、それよりも、きっかけが娘の治子さんだというあたりの話には心惹かれる。
 1988年、安岡は遠藤を代父として洗礼を受けるのだが、その前、半年ほど入院していた。30歳をちょうど過ぎたあたりの治子さんも偶然病気で入院していたという。奥さんは夫と娘の看病で大変だったらしい。
 「そこへ何か信仰をもちたいと、娘が言いだした。彼女の場合、信仰といえばキリスト教だから、女房や僕に一緒にキリスト教に入らないかと」いうのだ。家族一緒がよいと奥さんも賛成したので、安岡も成り行きで入信した、とある。「だから、僕の場合、信仰の入り方というのは極く消極的だったわけだ」しかし、「気がつけば、僕は友人ばかりではなく親類たちのキリスト教徒に周囲を囲まれていた」として、安岡家のルーツの関連も語り出し、自身の人生がキリスト教徒になるものと了解するようになる。
 そこでもう一つ奇妙とも言える逸話が語られる。彼がその六年前『流離譚』を書いたおり、小林秀雄がわざわざその評を書いてくれたが、そこで小林が「僕が将来的にはキリスト教に入らざるを得ないだろうと、予言していた」と言う。「その当時、僕は全く気がつかなかったのだが、入信後に何かのために読んで驚いた。六年後の僕を鋭く見抜かれていたのかもしれないと」。
 小林秀雄には、安岡章太郎がキリスト教徒になることは、当然のようにわかっていたことだろう。その意味合いは、山本七平『小林秀雄の流儀』(参照)を読めば、おおよそ察せられる。この話はまたどこかで書こうかと思う。
 
 

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