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2012.08.18

このところ話題の竹島と尖閣諸島のこと

 領土問題として、竹島と尖閣諸島がまた話題になっている。ごく簡単にメモしておきたい。
 まず、香港の活動家が尖閣諸島の魚釣島に上陸した件だが、これはべたに中国国内のご都合で騒いでいるだけで、今回の事態それ自体が新しい課題というほどのことはない。まあ、かなり暴力的なことするなあという印象は深いが。
 すでに朝日新聞や毎日新聞などの社説にも書かれていることだが、今回魚釣島に上陸した香港の活動家は、親中派実業家の資金援助を受けている。支援者の意図は何か。
 日本ではそれほど注目されなかったように思うが、7月1日、香港が中国に返還された記念日の際に、香港市民が人権問題を巡って抗議デモを行った。さらに7月29日、中国政府側による、香港市民への中国国民としての愛国心を育成する「国民教育」の導入でも、抗議の大規模デモが実施された。主催者側発表では9万人参加、警察発表では3万2000人とのこと。
 中国の愛国主義教育に対する大きな反発の機運が香港で高まっており、その打ち消しに反日活動に打って出たのが、今回の香港側の魚釣島に上陸の背景だろうし、裏でプランしたのは、今回香港長官となった親中国系の梁振英氏だろう。
 従来こうした領土問題を巡るナショナリズム的な動きがある場合、香港政府は船の不正改造などを理由に出航を阻んできたが、今回はするすると流れた。中国政府側でも好ましいとして是認したと見てよい。
 反面、今回の魚釣島上陸活動は中国本土からも合流の試みがあったが、これは中国政府から阻止されている。異例ではないものの、反日に名を借りた政治活動が背景にあるのを抑圧するためである。当然ながら、現在中国本土内で進行している権力闘争と関わりがある。さらに、その権力闘争の背景には、中国が抱える経済問題の闇がある。
 また中国政府としては、南沙諸島でフィリピンやベトナムと衝突を繰り返し、米軍の関心を高めることで、海洋覇権や空母配備が想定した流れで進まず、さらに台湾や日本と事を構えたくないのも本音だろう。
 次、竹島問題だが、基本的にこうした中国の海洋進出の意向にまったく配慮なく、あたかも対日的には中国に同調したかのように突っ走ってきて、あまつさえ魚釣島上陸前に竹島へ大統領が訪問というフライングまで韓国はやらかしてしまった。
 なぜこの時期に韓国が反日活動で暴走したかについては、よく言われているように、李大統領の命運が尽きる情勢になっているということが大きい。韓国の大統領は5年の一期制で再選がないため、この時期にはみんなレイムダックになる。制度的な欠陥が基底にある。さらに日本ではあまり報道されていないが、北朝鮮側の各種の工作の影響もありそうだ(参照)。李大統領もマッチョを演出せざるをえない。竹島問題で日韓が揉めて漁夫の利を得るのが北朝鮮という構図がわかりやすすぎるにしても。
 尖閣諸島への侵犯は中国政府の意向で適当に繰り返されるだろうが、意外と中国政府は状況を冷静に見るので安易な暴発はしない。韓国はその逆。残念ながら、ここまできたら日本もごく普通の国家として普通に対応せざるを得ない。ルーズルーズの関係が避けがたい。
 とはいえ、普通の国の領土紛争となると軍事オプションの想定は避けがたいし、実際に韓国側はそれをちらつかせているのだが、対する日本はどうなるのか。例えば、日米安保などはどうなるのか。日本政府は公式にどう考えているのか、ちょっと調べてみたら、面白い話があった。
 鳩山さんが首相の時代、竹島に臨む島根県選出の亀井亜紀子参議院議員が竹島問題に関する再質問主意書(参照)を出し、これに形式的にだが鳩山首相が答えている(参照)。Q&Aで整理すると、こう。


 本年は「日米安保条約改定五十周年」という節目の年に当たる。「「米国は日本を防衛する義務を負い、日本はそのために米国に施設・区域を提供する義務を負う」。このことが日米安保体制の最も重要な部分」であると外務省は同省ホームページで解説しているが、武力によって不法占拠された竹島は、「日本が武力攻撃を受けた場合」に当たらないのか。日米安保条約第五条の共同防衛に相当する「共通の危険」の定義は何か。

 我が国及び米国は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三十五年条約第六号。以下「日米安保条約」という。)第五条に基づき、我が国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が発生した場合、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処することとなるが、現在の竹島は、現実に我が国が施政を行い得ない状態にある。
 日米安保条約第五条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」が「自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め」ており、同条にいう「共通の危険」とは、この自国の平和及び安全を危うくするものである日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃を意味している。


 ようするに、竹島には日本の領有権はあるが、施政権はないと日本国が明言している。そして、日米安保は、領有権に関わるのではなく、施政権に関わるから、よって、施政権が及ばない竹島に米軍は出て来ないというのだ。
 これ、つまり、尖閣諸島についても、現在は日本が実効支配して施政権があるので、それに武力侵害があるなら、米軍は対処せざるをえないとも言えるし、日本が尖閣諸島の施政権を失えば、米軍は出て来ないとも言える。
 言われてみれば当たり前のことではあるが。
 そこでちょっと思ったのだが、日本は憲法上、「国際紛争を解決する手段としては」「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は否定されているが、主権、つまり、領土の防衛としては武力が行使できるのだろうか? いや修辞疑問であって、いろいろ説があるのは知っている。結論を言えば、無理。
 亀井議員の質問書では次の点も面白い。竹島問題の解決を日本政府はどのように想定しているのか。

 日本政府は平和的手段による竹島問題の解決を図るべく国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国政府はこれを拒否している。一方、鳩山総理は「東アジア共同体」構想を提唱しているが、竹島問題は今後どのように取り扱われるのか。政府は多国間の枠組みによる交渉、二国間の直接交渉のどちらが有効な方策と考えるか。

 お尋ねについては、政府としては、引き続きこの問題の平和的な解決を図るため粘り強い外交努力を行っていく考えであるが、詳細を明らかにすることは差し控えたい。


 鳩山政権下では、実に鳩山さんらしいと言えないこともないが、実質何にも考えていなかった。それが今回の事態で暴露されたことになった。
 とはいえ、では自民党時代に考えられていたのかというと、なかったのだろう。
 いずれにせよ、竹島問題を国際司法に提訴したということは、「二国間の直接交渉」ではなく「多国間の枠組みによる交渉」を一応、おもてに立てたことになる。関連して。

 本年一月二十二日、韓国の国土海洋部が竹島海洋科学基地を本年九月に着工し、二〇一三年完成を目指している内容の記事が韓国より発信された。当該基地は約三十億円をかけて竹島の北西一キロメートル、水深四十メートルの水中の暗礁に建設する計画であり、韓国による竹島主権強化、排他的経済水域の確保に有利になるとの内容であるが、この記事内容を承知しているか。また承知しているとすれば、日本政府として抗議等の対応を行わないのは何故か。

 御指摘の内容の報道については、承知しているが、外交上の個別のやり取りについて明らかにすることは、韓国との関係もあり差し控えたい。


 つまり、何もしてこなかった。
 長いこと何もしてこなかったのだから、困った事態になるのも当然といえば当然なので、今後は日本政府も考えていくしかないだろう。
 
 

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2012.08.17

[書評]トルコで出会った路地裏レシピ(口尾麻美)

 「トルコで出会った路地裏レシピ(口尾麻美)」(参照)は書店で人待ちしているとき、たまたま見かけて、その時は買わなかくて、あとから思い出して、後悔して、買った。ああ、懐かしいなという思いがじわじわと来た。

cover
トルコで出会った
路地裏レシピ
 いわゆるトルコ料理の本というわけではない。タイトルのとおり、路地裏レシピ。屋台料理を含めた大衆食堂的な料理が基本。本書の構成からもわかる。第1章、メイハネ(=居酒屋)レシピ、第2章ロカンタ(=大衆食堂)レシピ、第3章スタンドフーレシピ。とはいえ、高級ホテルでもビュッフェ(バフェ)だと基本はこんな感じ。
 日本にあるトルコ料理だとつい串焼き肉のケバブが多いけど、この本にあるようにトルコだと、というかイスタンブルとかだと、むしろ豆料理とか野菜料理が多い。エフェスような海側だと魚や貝の料理も多い。新鮮な果物やドライフルーツも多い。ベジタリアンにはけっこう天国なところ。
 この本だが、書店で手にしたとき、ああ、イスタンブルは変わらないなと思ったのだった。旅行してからもう20年も経つ。あのころ、イスタンブルの広場でトルコの人が、20年前はこのあたりヒッピーが多かったんですよと言っていて、20年もすると変わるんだろうなと思っていたものだった。変わるものもあり変わらないものもありということで、食文化は大きく変わったということはないのではないか。高橋由佳利さんの「トルコで私も考えた」(参照)シリーズも読み直してみるかな。
 掲載されている写真がいちいちなつかしい。特にシミットというリング状の胡麻パン売りがじんとくる。トルコはパンがうまい。フランスパンやドイツやロシアのパンとかは違って、小麦の味が素朴に出る感じ。
 屋台料理では、ムール貝のファルシ、ミディエ・ドルマデスが懐かしい。これ、ほんとにうまかった。本書には作り方が載っているのだけど、それだと、ピラフにしてから貝に詰め直すみたいにある。そうなのか。
 「チャイとお菓子」というページでは、れいのトルコの紅茶が出てくる。れいのというのもなんだが、ちいさくくびれたガラスのカップのあれ。あれお土産でいっぱい買ってきたものだがもう一つも残ってない。この本には出て来ないけど、エルマ茶というのが美味しい。トルコの紅茶はヌワラエリアに似ている感じがする。
 
cover
トルコで私も考えた 1
 主旨のせいか本書にはあまり映ってないけど、トルコは果物屋がきれいだ。手のひらサイズの小ぶりのリンゴが売っていて、よく食べた。あのリンゴはなんなんだろう。日本では見かけない。沖縄にいたとき、米軍関係の人となんとなく話してら、小さいリンゴの話が出て来た。米国でも一般的なのか。
 
 

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2012.08.16

あらゆる物の調理法・基本編(How to Cook Everything The Basics)・マーク・ビットマン(Mark Bittman)

 料理の本は見ていているだけで楽しいものがある。現代アメリカの料理の本だと、「あらゆる物の調理法・基本編」が私は好きだ。写真が1000点も含まれていて、美しい。見ているだけで食欲がわいてくる。タイトルは仮に訳したけど、もしかすると正式な訳本があるのかもしれない。ざっと探したところでは、見つからなかったが。

 

cover
How to Cook Everything
The Basics
 オリジナルのタイトルは"How to Cook Everything The Basics"(参照)。ニューヨークタイムズのコラムニストであるマーク・ビットマン(Mark Bittman)が書いた本だ。
 ちなみに、これは基本編で、そうでないのが「基本編」がついていない"How to Cook Everything, Completely Revised 10th Anniversary Edition"(参照)のほうだ。こちらは、完全改訂10周年記念とあるようにさらに定本という感じがする。実際、家庭用の料理本としてはほぼバイブルといってもいいのではないか。レシピもアレンジを含めて2000点も掲載されている。初版は1998年に出た。分厚くて扱いづらいのだけど、今年、これのiPhone/iPad向けの電子本が出た。電子本だと計量も日本や欧州のようにグラムの単位にも切り替えられる。タイマー機能もついている。便利といえば便利。ただ気楽に見て楽しむという感じではない。
 その点、基本編のほうは1000点の写真付きなので、写真が多くて見ているだけで楽しい。手順を詳しく写真で解説しているほどでもないが、調理の要所、要所の写真が美しく撮影されていて、いろいろ想像できる。
 基本編とするだけあって、お湯の沸かし方からゆで卵のゆで時間の違いといった、ごく基本から説かれている。もちろん英語で、しかも料理用語も多いのだけど、それほど難しくない。むしろ本書は他の英語の料理本を読むのに役立つ辞書的な意味合いもある。Kindle版もあって私はiPadやパソコンで見ることが多い。

 基本編に収録されているレシピは185点。多いようにも思えるけど、アレンジを含めているので、実際には50点くらいだろうか。一通り料理する人なら、これくらいは全部知っている。その意味では、レシピ自体が面白いということはないが、細かい点で自分の調理手順と違うところなどを見つけて感心したりというのはあるだろうし、「これが基本だよね」という、なんというか、現代人の普通の食事の中心感覚がある。たぶん、ビットマンの食の考え方にも関係している(参照)。

 ビットマン自身はベジタリアンではないが、ベジタリアンに近い。簡単に言うと、お肉の料理はディナーくらいにしておきましょうということだ。本書も肉料理は多いのだけど、米国のレシピ集としてはめずらしいくらい野菜や穀物が扱われている。というか、おそらくビットマンのこの「あらゆる物の調理法」の影響が他の米国の料理本にも影響しているのだろう。
 日本の、この手の基本の料理本と違うのは、朝食や軽食、パーティ食といった軽い食事についてきちんと書かれていることだ。日本人のイメージからするとホテル飯みたいな感じもするが、基本の卵料理や、小麦から作るパンやピザ、ショートブレッドのようなレシピは便利だ。
 本書はアジア食のレシピの採用もあるけど、いわゆる日本人の食とは合わないかもしれないし、和食的な志向とは違う。それでも「文明国で、新しいスタンダードで普通の食事ってなんだろうか」というのを考えるなら、この本がもっとも明確にそれを表現しているとも言えるだろう。
 
 

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2012.08.14

ヨーグルトの水を切ると濃厚ヨーグルト

 先日コンビニで「濃密ギリシャヨーグルト」(参照)というのを見かけて「へえ、懐かしいな」と思って買って食べてみた。なるほどギリシアのヨーグルトと同じだ。もにょっとした感じがあった。

cover
濃密ギリシャヨーグルト
PARTHENO1ケース
 言うまでもないことだけど、トルコのヨーグルトもこれと同じ。そしてどっちの国でも、ザジキ(τζατζίκι)と言って、塩揉みして薄く切ったキュウリを、擦ったニンニクで香りを付けたこのヨーグルトで和えた前菜(メゼ)が有名。よく食べる。オリーブオイルやレモンやミントを加えてもいい。そのまま食べてもいいし、パンに付けても、ケバブに付けてもいい。焼き茄子につけても美味しい。
 トルコでもザジキで通じるけどジャジクとか言う。正確にいうと、ザジキのヨーグルトは牛乳から作ったのではなく山羊や羊のミルクから作る。シェーブルチーズのようなこってり感というか臭いはある。私はけっこう無臭な人なんだけど、これ毎日食っていたら一週間くらいしてギリシア人のような体臭になった。他にギリシアサラダや山羊肉とかも食っていたけど。
 このギリシア・トルコ風の濃厚ヨーグルトは、サワークリームみたいな感じなので、ビーフシチューを食べるときに混ぜてもいいし、カレーに混ぜてもいい。卵に混ぜてオムレツにするとふっくらする。
 日本で売ってるところは少ないようだけど、普通のヨーグルト(なぜかブルガリア・ヨーグルトとか不思議な名前のもあるけど)の水を切ると簡単にできる。どこの国だったか、東欧の国だったように思うけど、ヨーグルトの水切り専用の用具もあった。
 ヨーグルトの水の切り方だけど、ヨーグルトの自然の重さで絞る感じ。絞るのに使うのは晒し布でもキッチンペーパーでもいい。意外に簡単なのがコーヒーフィルター。ちょっとやってみようか。
 使ったフィルターが茶色いのは最初からそういう色のだから。別になんでもいい。キッチンペーパーでもいい。セットしてヨーグルトを適当に入れる。水を切ると半分くらいの大きさに縮むと思って入れるといい。

 これを一時間くらいほっておくと水が切れる。フィルターの下のカップにけっこう水が溜まる。水といったけど乳清なので飲んでもいいし、なんかに使ってもいい。
 水を切るときには夏場なら冷蔵庫とかに入れておくといい。一晩くらい水を切るとけっこうきっちり切れる。
 水を切ったら取り出すと豆腐みたいな感じになる。これで、できあがり。

 ハチミツかけて食ってみますか。

 クリームチーズに似た感触でヨーグルトらしい爽やかな酸味。これこれ。
 お試しあれ。
 
 

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2012.08.13

ロンドンオリンピック雑感

 朝テレビを付けたら閉会式の映像が流れた。しばらくすると好きだったクイーンのブライアン・メイが出てきたので英国らしいなと思った。これでロンドンオリンピックが終わったわけだ。長いような短いような期間だった。私はほとんどオリンピックを見なかった。観戦スポーツにほとんど関心ないのである。
 昨日のブログ記事でユーリ・ミルナーの現況について触れたが、関連の報道を読んでいるなかでモスクワタイムズに掲載されたロシアの政治アナリスト、ユリア・ラッチニーナ(Yulia Latynina)のコラムに共感した(参照)。
 彼女は、オリンピックというものがわかったためしがないと告白せねばならないというのだ。なんで速く泳げることに大騒ぎをするのだろうか。なんであれ魚の泳ぎのほうが速い。人間がどれほど高くジャンプしたとして意味があるのか。身体の比率からすればノミのほうが高く飛ぶ。他の動物のほうがはるかに有能である分野でなぜ人間の身体能力を競うのだろうか、と彼女は問いかけるのである。
 冗談で言っていることはわかるが、私もそんな感じがしている。加えて、自分ではない他者ががんばっていても、その行為を評価はするが、あまり共感はしない。まして集団的な競技だと自分に関係のないグループなんだなと遠くで見ている感じがする。たぶん、こうした感覚は生まれつきのものというより、なにかと集団からのけ者にされた子供時代のトラウマに根があるのではないかと思う。
 閉会式の放送の後、NHKのアナウンサーは、日本はたくさんメダルを取りましたと喜んでいた。へえ、そうなのか。ロンドンオリンピックの公式サイトだと思われる、london2012.comのメダルリストを眺めてみた。こんな感じです。

 Gold(ゴールド)は金、Silver(シルバー)は銀、Bronze(ブロンズ)はというと銅。ブロガーのきっこさんがツイッターで「日本では「金」「銀」「銅」と呼んでいるから「銅メダル」が安っぽく感じてしまうが、あれは正確には「青銅メダル」、英語なら「ブロンズ」だ。「ゴールド」「シルバー」「ブロンズ」と呼べば遜色はないし、白人女性の髪の色ならゴールドやシルバーは安っぽいがブロンドは高級感がある」(参照)と言っていた。ちなみに、ブロンドの髪のブロンドは"blonde"。
 メダルリストを眺めてみると、金銀銅いずれも米国が群を抜いて多い。これに引き離されて中国が続き、さらに引き離されて開催国の英国が金では第三位と続くが、メダル総数で見ると英国とロシアの甲乙は付けがたい。いずれにせよ、この四つの国がオリンピック大国と言ってよい。
 これを追う国はというと、韓国である。金で第五位。金で見ていくと、これにドイツ、フランス、イタリアといわゆる先進国が続く。
 日本はというと、第11位。金銀銅の比率も金で第10位のオーストラリアによく似ている。ちなみに、オーストラリアの人口は2千130万人ほど。日本は1億280万人ほど。オーストラリアの国内総生産(GDP)は9千144億ドル。日本は4兆3,095億ドル。国家の規模としては日本がずいぶんと大きいように思うが、一人当たりのGDPで見るとオーストラリアは4万234ドルで、日本は3万3805ドルと日本がかなり劣る。いずれにせよ、オリンピックで見ると、日本はオーストラリアによく似た国家だなというのがわかった。
 NHKがはしゃいでいたようにメダル数という点で見ると、米国・中国は別格だが第三位にロシア、第四位に英国、そして第五位にドイツで日本は第六位になる。なるほど総メダル数で見ると日本もそれなりのスポーツ大国なんだなという感じがしないでもない。民主党の蓮舫議員がスパコンの分野で述べた「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃダメなんでしょうか?」という精神はすでにオリンピックで活かされていた。
 日本がもっと金メダルが取れたらよかったのだろうか。私は知らなかったのだが、目標は金が15個だったそうだ。それなりに金メダルを目指してはいたのだろう。
 開催国ということもあってか、英国の活躍は目立った。これを英国はどう見ているかというと、8月3日時点のBBCの記事「オリンピックは私学が優位(Olympics 'dominated by privately educated')」(参照)という記事が興味深かった。今回のロンドンの結果を踏まえてということではないようだが、過去の事例から、英国のオリンピックのメダる獲得者の半数は、英国で7%の私学によっているというのだ。
 開会式では華々しく英国の国営医療サービス事業であるNHS(National Health Service)が取り上げられていたが、ことまさにオリンピックとなると、英国は私学に大きく依存している。
 教育は基本的に私学でよいし、公教育は義務教育の補助か官吏養成でよいと考える私としては、そのことが英国で話題になるのが不思議に思えたが、記事を読むと、残り93%の学生の能力が十分に教育されず開花されていないではないとして社会問題になっていた。翌日のガーディアンにもそうした言及があった(参照)。
 ユリア・ラッチニーナのようなオリンピック観を持つ私としては、オリンピックレベルの身体能力の開花はさほど意味がないようにも思うし、彼女もその言及につづけて、人間にとっては「知的な達成(intellectual achievements)」が重要だとする見解にも同意するのだが、してみると、知的な達成という点で、公教育と私学はどのようなバランスになっているのか気になったが、ざっと調べた印象ではわからなかった。
 話が散漫になってしまったが、冒頭、私はほとんどオリンピックを見なかったと書いたが、NHKニュースに挟まれた映像以外では、本当に偶然だったのだが、女性の新体操を見た。日本語で新体操というと、新しい体操のようだが、英語では"Rhythmic gymnastics"。これに対して、体操は"Gymnastics"である。つまり、新体操はリズムに調和させる身体性、とくに美が強調され、私としてはバレイやオペラでも見るような感じで楽しめた。
 見ていくうちに気がついたのだが、個人競技だったせいか日本人がいなかった。日本人がいない競技であることに内心ほっとしている自分に気がついて変な気がした。これもなにかトラウマが関係しているのかもしれない。
 韓国の選手が一人出ていた。名前は忘れたが、演技を見ていて、これは日本人とは随分違うなあという印象からまた変な感じがした。ロシアの指導によるというのだが、そのせいだけなのだろうか。
 そういえば中国人はいないのかと思ったが、いないようだった。それどころか、アナウンサーが韓国人選手について、東洋初のメダルはなるか、とか力んでいた。へえ、この競技にそもそも東洋人はいないのかと驚いた。が、アゼルバイジャンの選手は私の目には普通にアジア人に見えた。なんだかよくわからない世界なのでその手のことを考えるのをやめた。
 新体操のメダルは金銀ともにロシアだった。圧倒的にロシアだったと言ってよいのではないか。やっぱりロシアかあと思った。冷戦時代の皮肉な平和を連想して内心安堵するものもあった。
 まあ、なんでもいいや。演技は見事だった。こうしたものが見られるなら、オリンピックもいんじゃないのとちょっと思えた。
 
 

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2012.08.12

IT投資家ミルナーによる基礎物理学賞

 オリンピックの陰に隠れた印象もあるが、ロシア人投資家ユーリ・ミルナー(Yuri Milner)が基礎物理学の賞を創設したというニュースには少し驚かされた。ミルナーでなければ、また賞金が300万ドルでなければ、それほど重要なニュースでもなかったかもしれない。7月31日付けのニューヨークタイムズの記事(参照)を元に日本では朝日新聞社が孫引きで報道していた(参照)。
 賞の名称は彼の名前にちなんでミルナー賞か、あるいは数学のフィールズ賞のようにこの分野の著名人を当てるのかとも思ったが、ニューヨークタイムズの記事や他の報道を見ても"Fundamental Physics Prize"と語頭大文字で記されている。単に「基礎物理学賞」と呼ばれるのだろうか。雑誌エコノミストの本文では参照的な言いまわしではあるが"The Milner prize(ミルナー賞)"とも呼ばれていたが。
 高額な賞金について、ノーベル賞との比較は避けがたい。ノーベル賞の賞金は1000万クローナ(約1億1000万円)だったが、不況もあり今後800万クローナ(約9400万円)に減額される。「基礎物理学賞」の賞金はこのノーベル賞の2倍半。設立に併せた初回の受賞者9人の賞金総額は2700万ドル(約21億円)にもなった。
 受賞9人の顔ぶれは、宇宙のインフレーション理論を提唱したアラン・グース(Alan H. Guth)を筆頭に、プリンストン高等研究所から4人、ナイマ・アルカーニ=ハメッド(Nima Arkani-Hamed)、フアン・マルティン・マルダセナ(Juan Martin Maldacena)、ネーサン・サイバーグ(Nathan Seiberg)、エドワード・ウィッテン(Edward Witten)が選ばれた。他は、スタンフォード大学のアンドレイ・リンデ(Andrei Lind)、カリフォルニア大学のアレクセイ・キタエフ(Alexei Kitaev)、フランス高等科学研究所のマキシム・コンツェビッチ(Maxim Kontsevich)、インド人のアショーク・セン(Ashoke Sen)である。
 受賞者はそのままノーベル賞やフィールズ賞にも相当しそうだが、ノーベル賞と基礎物理学賞の違いははっきりしている。なによりも物理学の基礎理論への貢献が重視されることだ。
 皮肉な言い方になるが、近年のノーベル賞は日本文化の功労賞のように高齢者が何十年前に行った研究に与えられているが、基礎物理学賞では実験成果は待たない。また、ノーベル賞では人類の福利に貢献した影響が重視されが、基礎物理学賞では理論そのものが重視される。
 ノーベル賞との比較で評価が難しいのは選考手法である。ノーベル賞はよく批判されるように政治的な色合いや、選考組織の官僚化の傾向が見られる。これに対して基礎物理学賞は、特定の専門委員とミルナー自身が決め。悪い言い方をすれば、ミルナーの独断という色合いも出やすい。今回の9人の受賞者のうち3人がロシア出身者であったことに、ロシア人のミルナーの思惑がなかったか、今後はどうかなど問題点は残る。
 賞金額の多さには驚かされるが、言い方が悪いが、フェイスブック・バブルの還元と見ることができないわけでもない。彼は実質フェイスブックの黒幕ともいえる人物でもある。
 簡単にミルナーの来歴をまとめておこう。彼の名前は、金正日ことソ連生まれ"Yuri Irsenovich Kim"と同じく"Yuri"である。つまり、「ゲオルギー」。英語でいうと「ジョージ」である。1961年11月11日、モスクワでユダヤ人家系の二人めの子供として生まれた。
 父親は科学アカデミー経済学部の部長を務め、米国の会社経営にも詳しかった。母親は国立の疫病予防研究所で働いていた。家庭はソ連の知的階級に所属していた。
 高校生時代にこの年代らしくパソコンのBASICや、大型機のFortranなどのプログラミングを学ぶ。大学はモスクワ大学に進学し理論物理を専攻。1985年に卒業し、さらに物理学博士号取得を目指して科学アカデミーに入り、ヴィタリー・ギンツブルク(Vitaly Lazarevich Ginzburg)とともに働く。ギンツブルクは2003年にノーベル賞を受賞している。またそこでアンドレイ・サハロフ(Andrei Dmitrievich Sakharov)とも親しくなる。彼は水爆開発から「ソ連水爆の父」と呼ばれ、またソ連時代の人権活動家として「ペレストロイカの父」とも呼ばれた。
 偉大な人物の影響を受けたミルナーの青春だが、博士号は取得できずに挫折した。ソ連解体期の混乱もあって、週給5ドルといった貧困生活にも陥っていた(参照)。しかたなく闇屋のようなビジネスで荒稼ぎを始めたが、父親は息子のそうした生き方を是とせず、ペンシルベニア大学のビジネススクールであるウォートン校にソ連人として正式に留学させ、MBAを取得させた。
 1990年代前半、ミルナーはワシントンDCの世界銀行でロシア担当として働くが、あまり気乗りのする仕事ではなかったらしい。ソ連崩壊後は、ロシア新経済の黎明期を好機として、ミハイル・ボリソヴィッチ・ホドルコフスキー(Mikhail Borisovich Khodorkovskii)と知己を得る。その支援で投資ビジネスで頭角を現すようになった。言うまでもないが、このホドルコフスキーは現在豚箱に入っているホドルコフスキーである。
 2005年、ネット投資社デジタル・スカイ・テクノロジーズ(DST: Digital Sky Technologies)を創設。その無料メール事業部門は"Mail.ru"とした。2009年にフェイスブックに2億ドルを投資し、さらに従業員から1億ドルの株も買い上げた。2011年、ゴールドマン・サックスと一緒にさらにフェイスブックに5億ドルを投資。こうしたIT分野の投資から巨額の財産を築いた(参照)。
 基礎物理学賞の設立は、フェイスブック・バブルからの儲けの社会還元と見えないこともないが、ミルナーにとっては挫折した青春の夢でもあったのだろう。アカデミックな人生とビジネスをつなぎ、自分に似た俊英を引き立てたいという思いもあるだろう。基礎物理の研究から意外なビジネスの展開を見せるかもしれない。


 
 

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