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2012.07.28

シリア問題から西クルディスタン(Western Kurdistan)出現の可能性

 シリア問題に直接関連しているともいいがたいが、間接的に大きな国際問題を引き起こす可能性が高いのがクルド問題である。この部分もそろそろ言及しておくべき事態になってきた。
 クルド問題は、簡単にいうと、トルコ、イラク、イランにまたがる地域のクルド民族が民族自治国家を求めることから生じる紛争である。民族自治国家を持たない最大数の民族としてクルド人は推定2800万人いる。別の言い方をすれば「クルディスタン」として求められるクルド人の国家は、近代西欧による帝国侵略の影響もあり、トルコ、イラク、イランに分割された。現状はこれらの国の国民として建前は統合されているが、実質的には弾圧されている。
 クルド問題は根の深い問題だが、注視しなけれならないほど影響力が増してきた一つの転機はイラク戦争だろう。日本の報道ではイラク戦争は、大義なき間違った戦争と単純に割り切らることが多く、なるほど国連の建前からすれば、国連不正やサウジアラビアの文脈があまり語られないこともあって、そのとおりでもあるだろう。この戦争の結果、イラク内のクルド人自治区は圧政を逃れ実質的に独立に近い状態になった。この事態に隣接するトルコが脅威を覚え、国内のクルド人弾圧を強化したり懐柔しようとしたり、各種の問題が深刻化している。
 以上のように通常、クルド問題はトルコとイラクの国家の視点から民族弾圧や独立闘争といった視点から語られるが、民族自治として渇望されている「クルディスタン」はシリア北部にもまたがっている。日本の報道でもシリア北部の都市アレッポでの状況が伝えらるようになってきたが、この地域の高地はクルド山脈(Kurd-Dagh)とも呼ばれていることからもわかるようにクルド人居住地域であり、ローザンヌ条約(1923年)による分割以降クルド人からは「西クルディスタン(Western Kurdistan)」とも言われる。
 「西クルディスタン」という名称そのものがクルド独立運動の一端として危険視されてもいるので、ウィキペディアなどではどういう扱いなのか覗いてみると、該当項目は簡易英語にはあるが英語のほうにはなく、リンク的には「シリア領内のクルド人(Kurds in Syria)」となっていた。PC(politically correct)ということなのかよくわからないが語感はだいぶ変わる。
 シリアの視点からクルド人を見ると、全容はわからないものの、シリア人口のざっと一割と見てよい。エジプトのコプト教徒くらいの比率のように思えるが、シリア領内のクルド人は大半はスンニ派のイスラム教徒だがキリスト教徒も含まれる。いうまでもないが、またクルド人と強く関連付けられるわけではないが、シリアのキリスト教徒は西欧とは異なり初期教会からの伝統を持つ正教徒が多く、なかでもシリア正教会は正教会なかでも独自の、かつ重要な意味合いを持っている。
 シリア領内のクルド人は概ねトルコ独立時の1920年代、トルコ域から難民として移住してきたものらしい。大半は先にも触れたようにクルド山脈の高地に居住している。この地域はクルド人居住区の意味合いが強い。そこで、シリア北部アレッポを中心とした内戦は、「西クルディスタン」独立闘争の意味合いも出てくる。
 これが国際的に大きな意味をもつのは、イラクにおけるクルド人自治区の事実的な独立とも相まって、実質的な「クルディスタン」へ途上として、トルコにとってやっかいな刺激材料となることだ。トルコが不安定化しかねない。
 シリア内のクルド人問題については、4月18日の時点で日本では毎日新聞が「シリア反体制派: 国民評議会、クルド人と連携協議」で、次のように独自取材から伝えていた。


 【カイロ前田英司】シリアの体制転換を目指す主要組織「シリア国民評議会」が反体制派の連携強化に向け、国内少数派のクルド人の代表らとブリュッセルで協議していることが17日、分かった。評議会幹部が毎日新聞の取材に明らかにした。

 7月27日の「シリア:「クルド人が一部掌握」情報 隣国トルコ緊張」(参照)報道では、もう一段踏み、トルコに視点を当てた。

 【カイロ前田英司】内戦状態に陥ったシリア北部で、「祖国なき最大の民」といわれるクルド人が一部の町を掌握したと伝えられ、隣国トルコが過敏に反応している。トルコ南東部にはクルド人が多く、分離独立を掲げて対トルコの武装闘争を続ける非合法組織「クルド労働者党」(PKK)との長い対立があるためだ。トルコはシリア北部がPKKの新拠点になると警戒しており、シリア情勢は周辺諸国の緊張も高めている。


 シリアは過去、PKK創設者のオジャラン服役囚(トルコで収監中)をかくまっていたほか、クルド人主要組織の一つ「シリア民主統一党」はPKKとの連携が指摘され、トルコの不信感は根深い。
 また、クルド系のメディアは今回の事態を「クルディスタン(クルド人居住領域)のうち二つの地域(イラクとシリア)が初めてクルド民族の支配下に入った」と称賛し、トルコの神経を逆なでした。

 同種の報道は7月24日の時点で国際的には報道されている。例えばロイター「Syrian Kurdish moves ring alarm bells in Turkey」(参照)。こちらの報道では、アサド政権崩壊後の西クルディスタン自治区についての言及もある。
 トルコは北大西洋条約機構(NATO)加盟国として中東における西側の拠点ともある。湾岸戦争のときは重要な空爆拠点も提供もした。トルコが不安定化することは、この地域に対する西側の影響力を失うことでもあり、この地域の国際紛争の穏当な落としどころとしてのトルコを失うことにもなる。
 そもそもアレッポでの紛争では、北部イラクからクルド人戦士が投入されてもいたようだ。関連した報道では、23日の共同「イラク自治区で軍事訓練 シリアから避難のクルド人」(参照)がある。

 【カイロ=共同】イラク北部クルド人自治区のバルザニ自治政府議長は22日までに、内戦状態の隣国シリアの政府軍から離脱し同自治区へ避難してきたクルド人に軍事訓練を行っていることを明らかにした。中東の衛星テレビ、アルジャズィーラが伝えた。
 訓練は数カ月前から実施。バルザニ氏は「シリアの状況に直接介入するつもりはない」としているが、シリア国内での内戦が激化し、治安がさらに悪化した際、治安維持のためクルド人兵士をシリアに送り返すとしている。イラク、シリア両国の少数派であるクルド人同士の連携が明らかになるのは初めて。
 一方、中東の衛星テレビ、アルアラビーヤによると、クルド人自治区で訓練を受けた数百人のクルド人が既にシリア入りし、反体制派に合流しているという。

 共同報道では、イラク北部のクルド人自治区からシリアに戦士の投入はまだ実施されていないように読めるが、非公式にはトルコ内のクルド勢力に援助する程度にはシリアでの紛争にも実質的な援助がすでにあったものと見るのが妥当だろう。
 しかし重要性の点でいえば、シリア内でのクルド人を巻き込んだ紛争の激化よりも、イラク北部の自治区がこれをきっかけに、バグダッドのイラク政府と離反した軍事活動に出ることのほうが大きい。簡単にいえば、イラク崩壊の引き金にもなりかねない。
 どうしたらよいのか。
 相当な難問である。ゆえに短絡的な正義はおっちょこちょいな議論になりかねない。7月26日になってようやくシリアの化学兵器の問題を論じた朝日新聞社説「シリア化学兵器―無法を許さぬ連携を」(参照)では次のような結語としていた。

 化学兵器の脅威が浮上したいま、欧米や日本は、あらためてシリア国民評議会との連携を通して、国内反体制派への関与を強める道を探るべきだ。「アサド後」をにらみ政治的に対応できる受け皿作りが求められる。

 朝日新聞は、リビア政変での影響もあるのかもしれないが、「シリア国民評議会」を持ち上げて、「欧米や日本は、あらためてシリア国民評議会との連携を通して、国内反体制派への関与を強める道を探るべき」としている。おそらく朝日新聞の頭のなかでは、「シリア国民評議会」が4月1日のトルコでの反体制派支援国会合でシリアの「正統な代表」とされたあたりを踏まえ、錦の御旗が掲げられたと認識したのかもしれないが、この会議では「唯一の代表」とは認められなかった。
 そして「シリア国民評議会」はクルド人と連携した。6月10日の同じくトルコでの会議では議長にクルド人活動家アブデルバセト・サイダ氏を選んだ(参照)。とはいえ、「シリア国民評議会」が親クルド人組織とも言いがたい(参照)。
 この事態をどう見るかはむずかしい、日本がどうあるべきかはさらにむずかしい問題であることは、米国のあいまいな対応を見てもわかるだろう。
 いずれにせよ、アサド政権が崩壊すれば、「西クルディスタン」は自治区として成立し、シリアとイラクの国境を変え、さらにトルコを変える。つまり、中東の地図を激変させることにもなりうる。
 そうなることが西側の利益とどうかかわってくるが、おそらく地図の読みに重要になる。ざっと見る印象では西側にとって美味しそうな話であるし、朝日新聞社説はもしかすると、そこまで読んだのかもしれない。


Ralph Peters/Chris Brozによる中東国家変遷の予想図

 
 

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2012.07.27

人は誕生日に死ぬ確率が高い

 人が23人ほど集まると同じ誕生日の人が二人いる確率は50パーセント。半々というところ。本当だと思いますか? これって科学的? あるいは数学的? いや、知っている人は知っているよくある話だが、知らないと、ちょっと奇妙に思いがち。そう思う理由は、自分の誕生日と同じ誕生日の人というふうに暗黙に想定してしまうからだ。ところで、人は誕生日に死ぬ確率が高い、というのはどうだろうか。本当だと思いますか? これって科学的? あるいは数学的? 
 スイスの統計学者が、1969年から2008年までの250万人を対象に統計処理したら、そういう結果になった。論文のタイトルは「死は誕生日を好む(Death has a preference for birthdays)」(参照)。いや、ほんと。これは冗談ではない。"This is not a joke."と、この話題を扱ったBBCも書いている(参照)。偽科学でもない。じゃあ、なんなの?
 もちろん、科学的な事実だから、なんらかの科学的な説明を要する。あるいは科学的だからこそ、科学的に吟味したら非科学的あることがわかることもある。あるいは、「血液型がB型の人は自己チューな人が多い」みたいな血液型性格学のように、偽科学とかよく言われているけど、実際には日本人のように多数の人がそれを信じていると、自己予言のように統計的にその結果が出てしまうという奇妙なものかもしれない。……いや、これもその部類かな。
 科学というのはまず仮説を考える。「人は誕生日に死ぬ確率が高い」なぜなんだろう。うーむ。そうだ。人は誕生日まで死ぬの我慢しているのではないか? 何歳まで生きたいものだとか、思うというのも理解できる。これが誕生日忌日仮説その1。
 他にも思いつくことがあるぞ。誕生日というのはスペシャルデーだ。だから、何か普通の日と違う行動パターンをしがちで、それが死につながるんじゃないか。落とし穴を作っておいて、そこで自分が落ちて窒息しちゃうとか。仮説その2.
 仮説1は却下されている。理由は、もし人が死ぬまで我慢しているというなら、日付の思い違いなども手伝って誕生日当日を中央として死亡の確率が前後の日に偏るはずだが、そういうデータはない。ただ、誕生日に、ころっと死ぬらしい。
 仮説2はどうか? これも却下。これが当てはまるなら、事故死などが多いはずだが、そのデータもない。しかも、誕生日に死ぬリスクは事故や自殺よりも高い。
 なんてこった。
 何か合理的で科学的な説明はできないものか。
 そうそう、あれがありそうだ。統計にありがちなこと。データの収集はそれでいいのか、である。つまり、死亡届を出すとき、誕生日の欄と書き間違えることが多いんじゃないの、ということである。
 はっはっは、なーんだ。それでしょ。
 それも仮説。検証されたわけではない。ただ、誕生日に死ぬ確率は、性別や年齢などの要素に左右されないことから、生体としての人間の特性と関係ないことで発生したとは見られるようだ。
 書き間違え説が正しいのだろうか。科学的に考えるなら、書き間違いがその率で発生するという別の証拠が必要になる。しかも、その扱いがけっこう難しそうだ。というのは、そもそもこの問題は「人は誕生日に死ぬ確率が高い」なのだが、その検証の前提に「人の死は特定日に左右されない」という仮説を置くわけにいかない。
 いや書き間違いじゃないぞ、その書き換えにインセンティブが存在するんじゃないか、という疑念もある。スイスで相続の税法がの変化がありその影響がありそうだというのである。
 その話もへえと思うが、統計学者たるもの、そんな素人考えは考慮しないものだろうか。考慮はされているようだ。どうやら書き間違え説であっても、やはり4パーセントほど「人は誕生日に死ぬ確率が高い」。
 どうして「人は誕生日に死ぬ確率が高い」のか?
 答えは?
 わからない。
 
 

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2012.07.24

米国で一番優れた先生

 教育問題にはあまり関心がない。正確に言うと「日本の教育問題」に関心がない。そう思う理由はシンプル極まりない。教育は元来国家のセクターではないからである。
 教育が国家のセクターになったのは、歴史的に見れば、義務教育は皆兵のため、高度教育は官吏養成のためだった。こうした近代国家の、必然とも言える動向をむげに否定はしない。現代では「皆兵」は軍事的な意味ではなく経済的な意味に転換し、生産力向上の「皆兵化」の意味もあるだろう。いずれにしても、ようするに国家のためであるという点は変わりない。
 だが教育というのは、それ以前には、人が自由になるための技芸であり、なにから自由化といえば、国家的な権力から精神を自由にするためのものであった。その部分こそは変わらず教育の本質だろうと思う。まあ、そういうこと。そういうことであれば、あまり「公」に教育のあり方を議論するのは矛盾している。
 とはいえ、昨日東京新聞社説「教員養成改革 「修士レベル」は要らない」(参照)を読んで、しばし物思いにふけった。この社説の是非ではない。また現在の日本国が推進している「修士レベル」の教員の必要性というものでもない。ちょっといわくいいがたい思いであった。
 きっかけにその社説の要点だが、「子どもへの愛情や信頼、そして教育への情熱を欠いては先生の仕事は務まらない。それは大学院で学んだからといって備わる資質や能力ではない」ということらしい。それもそうだろうと思うが、では「子どもへの愛情や信頼」「教育への情熱」をもった教師はどのように生まれるかというと、社説の議論はあいまいである。文脈からは「先生は教壇に立ってこそ鍛えられるのだ」ということから、教師としての経験によるとしたいのだろう。
 このことについて私は若い頃それなりに考えて、特にクリシュナムルティというインド生まれの教育思想家の影響を受けたのだが、ようするに、教育の必要性を心から痛感する人はその場で教師となる、ということだった。情熱を持った教師が生まれれば学校は自然に生じるとも。20世紀半ばのインドの文脈の議論らしいと言えないこともないし、日本も同程度の社会制度の時代はそうして私塾ができたものだった。現代、しかも日本のような社会ではどうかというと、諸論あってもしかたないだろう。
 だが、と思う。それでも教師は社会のなかの自由な個人から生まれるということは原則ではないかと今でも思う。簡単に言えば、「先生は社会の実相から情熱を得た人だ」と。そんな人が現代にいるのか?と問うなら、私はいるだろうと信じている。
 この手の話はいつもその程度で終わる。この陳腐なエンドポイントに達して動けないからだ。だがこのときは、もうひとつ思ったことがあった。メルマガのネタにしようか思って、米国の「全米最優秀教員選出(National Teacher of the Year Program)」とのことをちょっと調べていたのだった。
 そのころ、朝方、ぼけっと英語ニュースを聞いていたら、全米最優秀教員に選ばれた教員がホワイト・ハウスで、オバマ大統領に招かれて表彰されるという話があった。今年は誰だろ。科目はなんだろ。とつられて思った。
 「全米最優秀教員選出」とは何か。米国教育界でもっとも名誉ある教師を選出する制度である。1952年から実施されている。実施主体は全米州教育長協議会(CCSSO: The Council of Chief State School Officers)で、公立の、幼稚園、小学校、中学校、高校の300万人余の教員中から最優秀者を選び出し、ホワイトハウスで顕彰する。まあ、そういうこと。戦前の日本みたいな印象もないではない。全米で一番優秀な先生というのだから、さぞかしご立派な先生なんだろう。ご老人か?と思っても不思議ではない。
 違うのである。全然違うのである。今年は特に若い女性だった。中学校の国語の先生。レベッカ・メルウォキ(Rebecca Mieliwocki)先生。正確な年齢はわからないけど見た感じまだ30代な感じ。なぜそんな若い先生が全米で一番優秀な先生なんだろうか。
 表彰式のようすはユーチューブに上がっている。オバマ大統領が最初ユーモラスに教師とはみたいな説明をしている、それはね。

 オバマさんの話によると、メルウォキ先生の両親はともに教師だったとのこと。先生の子どもは先生になるというのは日本でもよくあるので、そんなものかと思っていると、そうではない。彼女は最初から教師になったわけではなかった。州立の科学芸術大学を卒業して弁護士になろうとしていた。その後、出版、フラワーデザイン、イベント企画の仕事に就き、それから教師になった。中途の転職組といった感じ、それだけ社会を見渡して教師になった人だった。それはとてもいいじゃないかと私は思ったのだった。社会人経験者が、やっぱり自分は教師をやりたいんだという人が、教師になるというのがいいと思う。
 そういえばと「全米最優秀教員選出」のプロセスもざっと眺めて、ああ、あれかと思った。あれ、というのは、小さなグループが集まって大きなグループになってさらにそれから州の単位となって、そこから私たちのヒーローやヒロインを米国全体に問おうという、あのノリ。大統領選と同じだ。
 選出というと、日本のようになにか足を引っ張り合っても競い合うのではない(米国でも足の引っ張り合いはあるだろうけど)。みんなが信頼できる地元のヒーローやヒロインを見つけたいという情熱を共有していくお祭りだ。そこから今年はメルウォキ先生が出て来た。
 徹頭徹尾、州が基本である。公教育といっても地方自治の教育が基本なのである。そしてそれは、連邦政府に対して、地方として教育の矜持を示す手段でもある。日本のように、70歳過ぎた教員組合上がりのご老体を参議院のボスに据えるのが教師の夢というのではないのである。
 メルウォキ先生のように各州から、また各階層から選ばれた先生が地方の教育の現場を踏まえて、国家に対して教育の提言を重ねていく。すごいなと思う。
 もちろん、それで日本の教育と米国の教育のどっちが優れているかという話に短絡できるわけではない。それに日本人だと、いろいろ米国の教育事情に悪口も言いたいだろうけど。
 
 

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2012.07.22

シリア情勢が一線を越えた。化学兵器流出の危険。

 シリア情勢が一線を越えたようなので、少し言及しておきたい。一線とはなにかというと、化学兵器流出の危険である。
 世界情勢を見つめていて、非道なものだなと思うのは実際に情勢が動き出すのは人道的な危機ではなく、特定の危機の構造である。中東問題で言うなら、あまり端的に言うのもなんだが、サウジアラビアかイスラエルへの脅威が構造的に形成される契機が重要になる。米国が本気で動き出すのは、この二国の安全保障上の、繰り返すが、構造的な危機の可能性である。今回の一線ではイスラエル側にある。化学兵器がイスラム過激派や反イスラエル運動の組織に渡ると、イスラエルで大量殺人が起きかねない。イスラエルが本気になりつつあり、当然米国を巻き込むという構図になる。
 日本ではあまり報道されていないので正確な議論をするのは難しいため、飛躍的な結論のように聞こえるだろうが、現下のシリア危機だが、当初は基本的にサウジアラビアとイランの代理戦争という意味合いが強かった。が、混迷が深まるにつれ、事態の深刻化には反イスラエルのイスラム過激派の拡大がある。西側諸国としては、独裁者アサド大統領を「民衆の力」で倒せばそれで事態が好転するというおとぎ話のようなことはまるで想定されず、むしろ化学兵器の管理のためにアサド大統領の勢力を温存しておいたほうがよいというのが、これまでの実際上の行動判断の基底にあった。それが崩れつつある。そこが一線でもあった。
 アサド政権側も、実際のところ自身の権力基盤はこの化学兵器使用というより、化学兵器管理能力にあることを理解しているため、その管理強化に乗り出した。初報道は7月13日のウォールストリート・ジャーナル(参照)のようだがこの時点ではどのくらい信憑性がある報道が判然としなかった。
 基本的な事実確認だが、シリアは化学兵器禁止条約に署名していない。それ以前に、化学兵器の保有を否定も肯定もしていないためである。しかし、米国のシンクタンクは、シリアは首都ダマスカス、ハマ、ホムスなど約50か所にマスタードガスやサリンを分散して保有させ、アサド政権をもっとも身近に援護するアラウィ派の精鋭部隊で固めていると見ている。
 しかしシリア国防相を含む要人も殺害され、首都に次ぐアレッポでも戦闘が激化し(参照)、アサド政権側の打撃が大きくなるにつれ、化学兵器管理能力に疑問がつき始め、状況が一転しはじめた。
 話が多少前後するが、この状況をさらに変化させるためには、イスラエルと米国がシリアの化学兵器管理介入活動の「大義」を必要とするため、アサド政権が化学兵器を使用するという恐怖報道が先行するはずである。そう思って状況を見ていると、どうやらその時期が来たようである。ロイター報道だが(参照)、反体制武装組織「自由シリア軍」で軍事戦略などを担当する、シリア軍離反元准将ムスタファ・シェイフ軍事評議会議長が「アサド政権は化学兵器を保管場所から出し、使用に備えて分配している」と語ったとしている。
 シナリオが動き始めたようだ。このあと、「大義」のために暴発的に化学兵器の限定的な利用もありうるかもしれない。もちろん、それだけでも危機でもあり、さらに当初の「大義」のシナリオを越えて、大混乱になる可能性もゼロではない。ただし、合理的に見るならアサド政権が維持される限り、アサド政権側から化学兵器を使用する可能性は低い。次に触れるが後ろ盾となるロシアの信頼を損ねるからだ。
 シリア状況をこれまで固定化させてきたのは、表面的には中露だったが、アサド政権側の化学兵器管理能力維持の点でイスラエルと米国は、人道的なそぶりの裏腹で実質的な是認を行っていた。今回の危機構造の変化で、ロシアにとってもイスラエルと同質の危機が共有される可能性が出て来た。つまり化学兵器がロシア内のイスラム過激派に伝搬する危険性がある。その点で、ロシアがようやく国際協調という美談に乗る可能性も出て来ており、ロシアが動けば孤立したくない中国も腰を上げざるをえなくなる。ただ、このロシアの転機はそう近くには想定されない。
 イスラエルと米国が、シリアの化学兵器管理介入に動き出すとなると、リビア騒動のときと同様に報道は抑制されるものの、かなり組織的な活動が始めるし、これを察知してイラク側のなんらかの動きがあるだろう。また、イスラエルと米国の活動はトルコの援助が不可欠だろうと思われるので、そのあたりの動向も気になる。ただし、リビアの時のように、要人をロボットで殺害すれば済むというオバマ流の安直の手法で事が解決するとは思えない。
 むしろアサド政権が崩壊し、化学兵器管理能力維持が崩れた時点で、米国は7万5千人規模の地上部隊のシリア投入が必要になる(参照)。その体制の整備がそろそろ必要になると思われるのだが、報道からははっきりと見えない。オバマ大統領が自身の大統領選挙戦などの配慮から、大量部隊投入のチャンスを逸すると大変な事態になりかねないのだが、米国側としても対イスラエルのチキンゲームかもしれない。
 逆に言うと、リビアでの巧妙な介入やロボットを使った殺戮を拡散しているオバマ政権のことだから、なにかまた奇策のようなものを進めているようにも思われる。リビアを使って介入させたり、あるいはアルカイダの一部と実質組むというようなことがあっても、それほど不思議ではないような薄気味悪い状況である。
 一番穏当なシナリオはというのもなんだが、ロシアを説得して、アサド大統領を表面的に退陣させアラウィ派の権力構造を維持させ、国内争乱を弾圧することだろう。西側としては権力管理ができるならバアス党でもよい。最悪のシナリオは、「大義」の演出の後の7万5千人規模の米軍地上部隊のシリア投入だろう。
 
 

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