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2012.05.19

[書評]毒婦。木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり)

 本屋で見かけてぱらっと手にしてから、連続不審死事件の木嶋佳苗被告(37)がどういう人間だったのか、事件に関わる事実と裁判の具体的な情景はどのようなものだったのだろうか、という、いわば週刊誌的な関心を今頃になってもち、読んでみた。
 1974年生まれの木嶋被告を、1970年生まれと年代の近い女性として筆者、北原みのりがどう描くのかというのにも関心をもった。書籍は「週刊朝日」の連載を元にしたらしく、読みやすく書かれ、実際さっと読み終えることができた。書籍としては、面白いとしかいいようがない。

cover
毒婦。
木嶋佳苗100日裁判傍聴記
 で、木嶋被告はどうだったのか? 事件はどうだったか? それ以前に、筆者北原みのりはどう彼女を見たか?
 答えは出てないと言っていい。著者北原は大きな不可解な謎に直面して呆然と立ち尽くしている。無理して大衆受けのする結論みたいなところから引っ張るのではなく、同じ時代を生きた女性としてどう理解できるのかと懸命にアプローチをして、わからないと踏みとどまっている。その筆致に共感できる。
 それゆえに、事件の真相といった部分についてはあまり踏み込んで書かれていない。証拠がないといわれたこの事件で、著者は木嶋が犯人なのかという問いは極力抑制している。その仕掛けによって木嶋という女性をなんとか浮かび上がらせようともしている。
 きちんと描写されればされるほど、木嶋被告という女性は謎である。著者北原が繰り返し言うように共感できない。裁判に現れる木嶋被告は、そのプロセスの大半で罪悪感のかけらも示さない。無罪だ、冤罪だとと絶叫するふうもない。もちろん起訴されている犯行は否定しているのだが、その否定の言明は常識的に見ても支離滅裂なものだし、裁判で取り出される彼女の過去の言行は嘘だらけである。だが、嘘を指摘されても木嶋被告は別段困るわけでもない。何か問題でも?といったふうである。
 犯行は別にしても、木嶋被告は、多数の男性からカネをせびり、ゆえにその心をもて遊ぶ。性関係を多数もちながらも、そこに情感はない。むしろ、彼女は上質な性行為を提供したのだから多額の対価を得るのは当然だし、対価はどのようにでも付けていいのだとしている。
 木嶋被告は男性にそもそも関心がないのかというと、そうでもない。本命に近い男性もいるにはいる。だが、およそ常人に想定される、愛情や情感というものはない。なんなのだろうか、この怪物的な人物は、と奇っ怪に思う。
 と同時に、そうして謎の人物として描かれてみると、そもそも他者というのはそういうものだよ、愛情というものはそういうものだよと、何かが私の脳裏につぶやく。
 私が過去に見た女性――性関係もそもそも恋愛関係もないけど、それなりに会話したり、仕事をしたり、同じ場を過ごしたりした女性たち――も、他者としての本質という点で、木嶋被告となんら変わらないなと思える人がいく人もいた。
 他者というのはそういうものだし、女性というのはそういうものだと私は思ったし、思ってもいる。
 他者としての彼女たちから見える男性は、木嶋被告がする次の描写と変わらない。そこに描かれる薄汚い男は私と変わりない。木嶋佳苗被告は後この事件で死ぬことになる寺田さん(当時53)の家に泊まりに行く。

 佳苗によると、約束の時間から30分遅れて帰宅した寺田さんは「待たせたね」の一言もなく、段ボールを持とうともせず、「オジサンの匂い」がしたという。また、部屋に入ると寺田さんはすぐに着替えたが、ワードローブのスーツは全て古くさくて、センスのないものばかりだった。佳苗が料理を始めると、寺田さんはなぜか下半身だけシャワーを浴び、無言のまま書斎でパソコンを始めた。佳苗がお風呂場をのぞくと、床や壁には赤カビ黒カビがこびりつき、シャンプーのボトルがぬめっていた。これまでも寺田さんの家を訪れるたびに注意してきたのに、塩や油などが冷蔵庫に入っていて、冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた。
 佳苗が容赦なく、冷静な視線で寺田さんを観察する様子が浮かび上がる。

 木嶋被告からの話が事実であるかはわからないが、そう見えた像であることは間違いないし、53歳の寺田さんの風体や生活の感触は、同い年くらいの私と変わらない(余談だがなぜか私は老人臭はないようだが)。
 この冷ややかな視線のなかで、特にきついのは、食パンのくだりだ。「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」という意味である。これは「ワードローブのスーツは全て古くさくて、センスのない」ではすまされない、なんとも愚劣なものを見る視線なのである。木嶋被告はパン作りにも熱心だったということもあるが、このように愚劣に見られた男性は、およそ感性というものはないと理解される。木嶋被告は感性のある対象としてこの男を見ていない。
 私もそういうふうに他者としての女性から見られてきた。そう見られる視線のなかで、その女性たちは私とって理解不能な他者でもあった。
 ただ違いもあると言えばある。木嶋被告はそうした他者と性交渉をして、対価を得た。対価を得ることで他者との「正しい」関わりを持つことができた。
 私の前に現れた他者たる女性たちはそういう関わりをしなかった。あるいは、私はそういう「正しい」関わりをしなかった。いや、私はただ、ある意味、恵まれていただけなのかもしれない。
 他者としての女性というのはそういうものだし、おそらく普通に婚姻関係のある男女でも、妻が夫に「冷凍庫に入れたほうがいいとアドバイスしたはずの食パンが冷蔵庫に入っていた」のを見たとき、そしてそれが繰り返されたとき、夫は妻の目から遠い他者に移されていく。
 他者というのはそういうものであり、そうなることを愛情といったものが押しとどめることはできない。そうであれば、木嶋被告は、普通に生きていたというだけではないのか。
 本書を読みながら、死に至ることになる大出嘉之さん(当時41)と自分と重ねてみることもあった。

 驚くべきスピードだった。佳苗が男性からお金を引き出していることは、もちろん知っていた。でも、これほどスピーディな荒技だったとは思わなかった。メールで徐々に信頼させ、少しずつお金を引き出した……とどこかで思っていたのだ。ところが佳苗は、太田さんからメールが来たその日のうちに、お金を要求し、セックスの話をするのである。
 実際、佳苗は大出さんと婚活サイトで出会った2日後に、大出さんの済む東京都千代田区のJR神田付近で会い、その8日後にセックスをし、翌日に470万円を受け取っている(佳苗は否認)。大出さんは税理士を目指していたこともあり、お金の管理にも厳しく、学生時代の友人との会食でも2千円以上は使わない倹約家だった。そういう男から、あっという間にお金を引き出したのだ。
 大出さんがこの世を去ったのは佳苗と出会ってから、23日後のことだった。このわずかな期間で、佳苗からは、大出さんの心を射貫くような熱いメールが怒濤のように日に何通も送られていた。

 私ならどうだろうと自分を大出さんと重ねあわす。「心を射貫くような熱いメールが怒濤のように日に何通も送られていた」らどうだろう?
 わからないというのが第一の答えで、次に自分という人間は奇妙に嫌な人間なのでそれによってその状況を免れるかもしれないとも思う。
 私は、私に向かってくる人に気をつかいながら疲れていく。私は男女の愛よりも人間の基本的な愛のようなものをおもてに立てて演じる偽善者であり、そのことでまた男女の愛情をすり減らすような人間なのである。
 私は木嶋被告のような女性との関係で、そのような奇妙な偽善者の劇を演じるのではないだろうか。そしてそういう薄気味悪い演技をする男である私と、大出さんを比べたとき、大出さんはどれほど純朴であろうかと思う。私は、たぶん、木嶋被告のようになにか、人間性が壊れている。
 車のなかで練炭の一酸化中毒で死んだ大出さんを、木嶋被告は自殺だと言った。大出さんの母はこう証言している。

 第8回公判の午後は、大出さんのお母さんが再び証言台に立った。「嘉之は照れて、にやにやしながら、出ていきました」とあらためて自殺を否定する証言をした。また、それより前の公判では、佳苗との旅行のために下着や靴下やシャツを母親がすべて用意したことや、大出さんが佳苗に会う前に、精力ドリンク「マカの元気」を2本買っていたことが検察側により明らかにされた。
 大出さん。男はバカですね。哀しいですね。
 きっとそんなふうに大出さんの肩を抱きたくなる男もいるだろう。

 肩を抱くことはないが、まあ、私も、そう思う。そして、そう書く著者北原のなかに木嶋被告と同じような女性の、ひんやりとしたものも感じる。
 女性である著者はこうも語る。

 しかし不思議だったのは、男性たちが次々に亡くなっているのに、この事件からは、全くといってほど、凄惨な暴力のにおいがしなかったことだ。亡くなった男性たちは皆、佳苗に恋をしていた。そして練炭が焚かれる中、一酸化酸素中毒で眠るように亡くなったと言われている。亡くなった晩に、佳苗がつくったビーフシチューを食べていた男性もいた。絶望や恐怖や諦観の中、死を迎えたのではないことは、残されたものの救いであると共に、「殺人」の悲惨さを薄れさせた。

 大出さんは、その死を迎えることになる晩、木嶋被告のビーフシチューを食べ、うっとりと愛の夢を見ながら死んでいったのではないか。
 本書を読んだ後、私は悪夢を見た。
 内容は覚えていないが、女性との性交渉があるという夢ではなく、愛もなく、木嶋被告のような女性と対立するような夢だった。私はいらだち苦悩していた。目覚めてから、自分の本性の、愛情の欠落に唖然する感触も残った。
 それで君ならその女性に会っても殺されなかったわけかい?と問われるなら、不幸という形が生なら、そうなのかもしれないと答える。
 木嶋被告という人間が何者であるかは本書を読んでも皆目わからなかった。ただ、自分の本質が奇妙に映し出される機会ではあった。
 その像から見える自分の薄汚さを、たとえば木嶋被告はおカネを出せばサービスとして私に愛情の夢を提供してくれるだろうかとも問い、そうもいくまいとすれば、彼女は自分を選ばないだろうとも思った。
 著者北原は、木嶋被告がどのように男性を選んだのかと問いながら、背丈が重要ではなかったか、と問う部分がある。それはある決定的な洞察を持っている。もちろん、背の低い男性でも暴力は振るうし、とてつもない暴力沙汰になることはある、が、それでも、ある動物的な暴力性は抑制される。
 著者は問うていないが、小さい男性を選び出すとことと、木嶋被告の肥満は釣り合っていたのではないかとも思った。言葉ではなかなか語れない、奇妙に生物的な次元での、奇妙な市場のチャネルがあったのではないか。そうしたよくわからない生物的なチャネルは、実は、愛情という虚構の本質なのではないか。
 地裁判決が出たあと、木嶋被告は朝日新聞に手記を発表する。本書は「週刊朝日」に連載され「朝日新聞出版」で出されたこともあり、著者北原は抑制的ではあるが、この手記にある決定的な違和感を嗅ぎつけている。そこに、おそらく控訴審への問題も秘められているように思えた。
 
 

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2012.05.18

心のボットネットについて

 「心のボットネット」ということを、このところ考える。私が考えた概念だけど、きっと他にも考えている人は、そういう言葉ではないにせよ、いるんじゃないかと思う。これがわかると、たぶん、ネットの世界の見方が変わるんじゃないかと思う。いやそんな大したことじゃない、かもしれないけど。
 ちなみに、まんまでグーグルで検索したら「"心のボットネット"との一致はありません。」とか言われた。へえ。
 まあ、一度わかってしまえば難しい術語ではないんだけど、じゃあ、説明してよと言われると、できそうにもないので、黙っていた。こっそりいうと、そういう自分が作った自分だけの概念みたいのが私にはいくつかあって、これはたぶん、狂気への道なんだろうなと思う。
 「心のボットネット」を説明するためには、前提となる「ボットネット」を説明しないといけない。うへぇ。
 いや、そうなんだ、ほんと、ウエーならぬ、ここは敵地だ、うへぇな感じ。
 でも、やってみますかね。もしかしたら、それ面白い考えかもしれないと思う人は以下をどうぞ。メンドクセーとか思うかたは、どうでもいいよ(ちなみに、そういう人が心のボットネットになっちゃうと思うんだけど)。
 さて、元になる「ボットネット」とは何か? なんだが、たぶん、ウィキペディアとに説明があって、正しいけどよくわからんことが書いてあるんだろうな、と予想して見ると、そのとおりなんで笑った(参照)。


ボットネット(Botnet)とは、サイバー犯罪者がトロイの木馬やその他の悪意あるプログラムを使用して乗っ取った多数のゾンビコンピュータで構成されるネットワークのことである[1]。サイバー犯罪者の支配下に入ったコンピュータは、使用者本人の知らないところで犯罪者の片棒を担ぐ加害者(踏み台など)になりうる危険性がある[2]。ボットネットにおいて、指令者(ボットハーダーまたはボットマスターもしくは単にハーダーという)を特定することはボットネットの性質上、非常に困難である。そのため、近年では組織化された犯罪者集団がボットネットを構築し、それを利用して多額の金銭を得ている[3]。

 簡素に重要なことを伝えているという点では、ウィキペディアのこの説明、いいんじゃないかと思うけど、意味わかりますか? まあ、私なりに以下解説するんで、このエントリのケツまで読めたら、もう一度、この説明を読み直すといいと思いますよ。
 じゃ、私の説明、開始。
 まず、コンピューターウイルスというのはもう特に説明いらないだろう。人間の身体に侵入する病原体のウイルスの比喩で、コンピューターウイルスと呼ばれている。パソコンとかスマホとかに侵入してくる。「誰からだろうこのメール?」とか不審なメールが届いて、添付ファイルを開けたら「わけのわかんないことが書いているなあ」と思った瞬間、感染とあいなりました、みたいになる。
 で? この侵入したウイルス君、何をするか?
 病気みたいな破壊? 情報の盗み出し? 乗っ取り?
 いや、最近のコンピューターウイルスの多くは何にもしない、しばらくは。潜伏期間と言ってもいいかもしれないけど、とりわけ活動しないことが多い。パソコンを破壊もしない。情報の盗み出しもしない。乗っ取りはするけど、乗っ取られたことがパソコンの利用者には気がつかない。
 なんというのか、ウイルスに感染したというより、あなたもこれでフェースブックの会員登録ができました、みたいに、会員になる。もちろん、パソコンの利用者が知らない間に会員にされてしまうのだけど、何の会員かというと、これがボットネットの会員。多くのウイルスはボットネットの招待状みたいなものなのだ。
 このボットネット会、何をするかというと、たまにイベントをする。握手会みたいな感じで、二つのことをする。一つは、メールの送信、もう一つは、サイトのアクセス。
 一つ目の、メールの送信というのは、ボットネット本部から、「このメール他の人に送信してね」という依頼のようなもの。送信依頼されたのはどんなメールかというと、ボットネット会員募集のウイルスも当然あるけど、半数以上が医薬品の広告。2ちゃんねるみたいに違法な薬物の情報をお届けします、というのはあまりない。なんで医薬品の広告かというと、これは話せば長くなるので別に機会があったら説明するけど、まあ、そんな感じ。他に、アダルト情報とか。
 ようするに、迷惑メールの送信代理、ということ。ボットネット会員のお仕事は、たまに迷惑メールを送信するだけの簡単なお仕事です、ということ。
 もう一つはサイトのアクセス。パソコン利用者が知らないうちに勝手に本部が指定したサイトにアクセスする。で、何をするかというと、特に何もしない。ただ、アクセスするだけ。ええ?
 いやこれが、一秒間に10万ボルト、みたいに大量のボットネット会員が特定のサイトにアクセスする。
 と、どうなるか、短時間に集中アクセスされたサイトは死じゃう。銀行のオンライン取引とかがダウンする。ドス攻撃とか呼ばれるもの。短刀でぐさりとするみたいだからドス攻撃(これは嘘)。
 ひどいことするじゃないかと思うかもしれないけど、ボットネット会員にこうしたお仕事依頼が来るのは多くないので、会員のかたの大半は気がついていない。
 でも、いちど本部からお仕事の依頼がくると、ウイルスによってボットネット会員にされたパソコンは、拒絶できない。命令に従うだけのロボットになってしまう。
 この「ロボット」の頭の「ロ」が略されて「ボット」。つまり、ロボットをたくさん引き連れたネットが「ボットネット」ということ。ちなみに、ブログは「ウェブログ」の「ウェ」が略されたもの。うぇっ。
 そして、「命令」といっても、ごく短いコマンド。行動を誘発するトリガーとなる言葉。
 普通のパソコンなのに、トリガーを受けると、ロボットになってしまって、迷惑情報を拡散させたり、特定の事業者の業務を頓死させる、これがボットネット。
 もう察しがついた人もいると思う、「心のボットネット」。
 「心のボットネット」は、トリガーを受けると、ロボットになってしまって、迷惑情報を拡散させたり、特定の事業者の業務を頓死させる人々の集まり。
 コンピューターがコンピューターウイルスに感染するように、人の心(マインド)がマインドウイルスに感染して、普段は普通に生活しているのに、トリガーを受けると、本人も気づかずにロボットになってしまう。
 あなた、「心のボットネット」の会員ではありませんか?
 知らないうちに、マインドウイルスに感染してませんか?
 そう問われても、答えられない。ボットネットのコンピューターを日頃使っているのに気がつかないように。
 でも、行動から、わかる。
 迷惑情報を拡散させたり、特定の事業者に集中的に言及してその業務を頓死させる、という行動から、わかる。「トリガー」を受けると、迷惑情報拡散や特定業務頓死活動、こういう行動を取る。
 ツイッターやフェースブックみたいな会員構造をもつSNSの内部に、マインドウイルスが拡散して、「心のボットネット」が形成される。トリガーになる特定の言葉がこの「心のボットネット」に投げ込まれると、一斉に、迷惑情報を拡散させたり、特定者を頓死させるようになる。
 今の、ネットってそうなっているんじゃないかと思う。
 困ったね。
 でも、そうだったら、命令者がいるはずじゃない。そしてそれは集中システムなんだから、集中を壊せば、マインドウイルスがあっても、「心のボットネット」は崩壊するんじゃないか?
 そうとも言える。
 でも、このボットネットは、一種、P2P構造をもっている。P2Pというのは、集中部をもたずに一対一の関係を単位にネットワークが形成できるようになっている仕組みだ。
 マインドウイルスが対人関係みたいな小さい構造に収まるように仕組まれていたら、そこからできる大きなネットワーク全体は、トリガーさえ知っていれば、隠れて制御できる。
 「マインドウイルスが対人関係みたいな構造に収まるように仕組まれる」というのは、「私たち、これが正義だと思います」と言い合う二人の関係このと。
 だから、互いにその正義で相手を監視しあい、制御して、それが全体ネットワーク制御になる。
 この「正義」の部分こそ、マインドウイルスそのもの。
 じゃあ、「心のボットネット」を背後で操る人がいるのか?
 いるんじゃないかと思う。といっても、陰謀論みたいに、氏ね氏ね団みたいなものじゃなくて、その集団に利害を集約させるような集団や階層だと思う。
 というか、そういう特定利益の集団の暗黙の規約が、そのままマインドウイルスの形態をしていて、「寂しい寂しい私たち群れたい」という多数の人々に、「正義」のふりしてマインドウイルスを埋め込むのだろうと思う。
 この「心のボットネット」状態、どうしたらいいんだろう。
 どうしたらいいんだろう、というのは、これやっていたら、全体の利益が公正に配分されないし、全体の正義が機能しなくなる。
 構造から見ると、ネットワークの「寂しい寂しい私たち群れたい」という受け皿みたいな欲望が解体できればいいけど、それはむずかしい。
 ウイルスチェッカーで検知して除去するというのもありかもしれないけど、それこそ心のボットネットの敵なんで、集中砲火を浴びることになる。
 ロボットから集中砲火を浴びるなんて、やなもんだよね。
 
 

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2012.05.17

ブログはどこまで嘘をついていいのか

 まあ、話題の虚構新聞の「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」(参照)について、私も結局釣られるということなんだが、ネットでは話題といっても知らない人もいるだろうと思うので、概略から、で。
 試しに、グーグルニュースでこの件を検索したらエックスドロイドというサイトの「「虚構新聞に怒る人はバカ」とひろゆき氏が断言」(参照)という記事があって、ざっと読んだら、それがわかりやすいように思えたので、概要の代わりに引用。


 現実の事件や出来事のパロディ記事を配信するジョークサイトとして有名なのが「虚構新聞」。個人サイトとは思えないPVを叩きだしており、一昨年に今までのネタを集めた単行本『号外!!虚構新聞』(笠倉出版社)が発売されるほどの人気サイトだ。
 記事には背景色に隠れた文字を反転させると「これは嘘ニュースです」と書かれており、虚構新聞というサイト名からもジョークであることは分かるのだが、「ありそうでないこと」をネタにしている上に新聞記事の体裁を模した書き方であるため、よく確認せずに事実と誤認してしまう人が絶えない。
 5月14日、同サイトが「橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」という記事を公開すると、これがTwitterなどで爆発的に拡散。ウソ記事であったことが判明すると、釣られた人々が「混乱させられて迷惑」「デマを流しているのと同じ」などと虚構新聞に怒りをぶつける事態となった。

 簡単にいうと、「虚構新聞」が嘘記事を書いて人気を集めているブログだということを知らないで、記事のタイトルだけ見て釣られた人が、「ほら見たことか橋下市長は」と怒りだすということがあり、そしてその怒った人たちに対して、ひろゆき氏のように「バカ」だなと、あざけるという人がいたという話である。
 「冗談と言っているのに、冗談だとわからない人は、バカで困るよね」というのがブログとかネットカルチャーでの一般的な受け止めかたなのだが、それでいいのかというのが当の問題提起である。
 私はというと、いろいろ考えて、結論としては、これはいかんなと思うのでちょっと書いてみる、ということだが、この問題、いろいろ錯綜している。
 まず、虚構新聞というのはこの手の嘘記事を書いて、それを嘘だとして面白がるブログなので、そう人だけで、つまり一部の人だけで楽しんでいるなら問題ないとは言える。
 また、タイトルだけで釣られてしまう人というのは、ネットの情報を判断できない人なので、ひろゆき氏のように「バカだ」とまでは言えないものの、困ったものだなというのも言えるだろう。
 後者については、私も昨日、JBPressの「国に期待する者はバカを見る、自分を磨きなさい 竹中平蔵・慶應義塾大学教授インタビュー」という記事の7ページ目(参照)を備忘にブックマークしてツイッターに流したところ、「よく言うね。竹中平蔵。裏切り者の売国奴が。本当に恥じを知らん奴だ」という反応があった。私は、さほど竹中氏自身には関心なく、7ページ目中央銀行について彼がこう述べていたところが気になったのだった。

 そもそも、政府とは別にわざわざ中央銀行をつくる理由には2つあります。
 1つは国会でやっていたらどうしても対応が遅くなること。スピーディに手を打たないといけませんからね。もう1つは金融が難しい分野だからです。専門家にしか任せられません。
 オバマ大統領がFRBのポリシーボードに、マサチューセッツ工科大学の教授でノーベル賞も取ったピーター・ダイヤモンドを入れようとした。しかし議会に拒否されたということがありましたが、理由は単純です。彼は確かにノーベル賞を取りましたけど、金融で取ったのではないからです。
 中央銀行のポリシーボードというのはそれくらい専門性が要求されるのに、日銀はPh.D.(博士号)を持っている人が少ない。しかもどこかの会社の社長とかジャーナリストとかが、いきなりポリシーボードに入ったりする。そんな国はほかにありませんよ。

 日本の中央銀行はそういうもんだよなと思ったのだった。どうもツイッターでの反応はリンク先を読まずに、「竹中平蔵」で「裏切り者の売国奴」という反応が出てしまった。
 私としてはその反応にちょっと驚いたのだが、まあ、ネットのカルチャーを見ていると「小泉純一郎」「TPP推進」とかいうキーワードにすぐにこの手の反応が出るのは知っているし、「石原都知事」「南京虐殺」「従軍慰安婦」「靖国神社」でも似たようなことになるのも知っている。「竹中平蔵」もそういうキーワードだったわけだ。
 でだ、「竹中平蔵」はさておき、この手の発狂トリガーのキーワードに「橋下徹」が含まれているようになっていることは知っていた。私は彼にはほとんど関心はないのだけど。
 ツイッターとかして多数の人をフォローしているなら、「橋下徹」が発狂トリガーのキーワードとして、タイムラインが時として発狂ツイートだらけになるのは何度もあったはず。
 で、ここが肝心なのだが、虚構新聞ブログの運営さんもそのことを知っていたと思う。
 つまり、「橋下徹」は発狂トリガーのキーワードだから、「こいつぁネタになるぜ、しかも、その発狂ポイントはいかに彼が全体主義者みたいな言論を出すところだ、してみると、嘘ネタの方向性はこれだな」……というので、今回のネタが出来たというのは、まあ、ブログやネットカルチャーにいる人にはごく常識の部類。
 だから、その常識の部類を口をぬぐってすっとぼけて「虚構新聞だから嘘を楽しむサイト」「嘘を嘘と楽しむのが自由だ」とか言うのは、まあ、私にしてみると、その態度というのが薄汚いじゃないですか、と思う。
 別の言い方をすると、「橋下徹」を「全体主義者みたいな言論を出す」発狂トリガーのキーワードとして遊ぶというのが、極めて偏向した政治的な立場じゃないですか、それを明確にしてないならひどい話じゃありませんかね、と思う。
 いや、政治家など公人を批判することができるのが、言論の自由であり、虚構新聞の今回のネタだって、そういう言論の自由であり、「橋下徹」批判として許されるものだという議論もある。米国でブッシュ元大統領だってお猿に模されて揶揄されていたものだったというのである。
 一見、そんなふうに思えるかもしれないけど、では、と思う。
 オバマ大統領を嘘ネタやデマで揶揄するとき、「オバマ大統領はイスラム教徒(ムスリム)だ」というのはどうだろうか。それも自由だろうか? もちろん、言論の自由。そう言うことはできる。では、それも嘘サイトと看板掲げておけば、嘘として楽しむサイトで言いまくっていいのだと言えるだろうか?
 もちろん、言論の自由はある。
 しかし、それは批判されなくてはいけない。
 もうちょっという、「オバマ大統領はイスラム教徒(ムスリム)だ」という言論があるなら、それは間違いですよ、嘘を楽しむとかいって、そういう政治的な意図を込めたデマを飛ばすのは間違っています、と、誰かが対抗の言論を起こすところに、言論の自由の真価がある。
 「オバマ大統領はヒットラーのような独裁者だ」というのなら、それは誰が見ても意見だとわかる。「オバマ大統領はイスラム教徒(ムスリム)だ」というのは事実言明のフリをしたデマでしかない(ここでめんどくさい余談をいうのもなんだが、イスラム教の解釈によってはオバマ大統領はイスラム教徒だと言えないこともないが、その話は別としますよ)。
 だから、ちょっと、自分をいい子めかして言うことになるかもしれないし、おそらくそれゆえに私も批判を受けるだろうけど、虚構新聞の今回のネタについては、政治家に対してデマに基づく偏向した言論を流布させるのは間違ってますよと、私は批判しなければいけないし、私が信じる言論の自由というのはそういうもの。
 嘘と看板を掲げるなら、なんでも言っていいのか? どこかの政治家が賄賂をもらっているとかいうデマ話も自由に書いていいのか? もちろん、書いていい。言論の自由だ。でも、言論が自由でありつづけるのは、誰かが「それはデマだよ」と対抗言論を起こして、読む人々にもう一つの視点を喚起する場合だけ。
 虚構新聞の今回のネタについては、こういう画面の表現で「橋下徹」本人の写真を掲載していたのも同じく問題だと思う。これが虚構新聞のロゴのように、あははと笑えるような漫画イラストならまだ救いようがあっただろう。

 デマ記事に本人の写真を貼られるというのも、公人としては許容範囲だろうか。違うと思いますよ。そして、ブログとかネットの世界で、こういうデマ記事に本人の写真を貼り込むのはよくないですよと私は思う。
 で、私の言いたいことはそのくらいなんだが、いや、もう一つ。
 今回、虚構新聞の記事はタイトルだけで流れて釣られた人が出て来た。ちなみに、同記事のタイトルをHTMLにそって取り出すと、「橋下徹市長 : 橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化」となっていて、どこにも虚構新聞とも嘘ともデマとも書いてない。つまり、"http://kyoko-np.net/"というドメインを知らなければ、虚構新聞のネタだとはわからない。でだ、話はこの先。
 虚構新聞というのは、こうしてタイトルだけ流して、人をひっかけるというのも、読者の楽しみの一つだった。「わー、また虚構新聞のネタにひっかかってら」というので笑うわけである。
 これが、仲間内なら、いい。
 仲間内を越えたら、「ひっかかってバカ」といって笑って済む話ではない。
 で、ここが肝心なのだが、こういうふうにタイトルを流して人をひっかける人というのは、仲間内を意識してやっていたのか? 違うでしょ。最初から、このネタを使って、仲間内以外をひっかけようとしたのだし、今回の虚構新聞の事例では、「橋下徹」という発狂トリガーのキーワードなら誰かひっかかるだろうと思ってばらまいたのだ。
 ひどい話。
 なにがひどいかというとそういう意図があるのに、虚構新聞にひっかるのはバカだとか言う悪意のバラマキである。
 ただ、率直に言って、こうした悪意のバラマキという点でいうなら、ネット文化にどっぷりつかった私も無罪だとは思えない。ちょっと思いつかないが、すでにいくつか結果的にやっているじゃないかと思う。
 自分も投石できないしょぼん団に加えて、それでも教訓はなんだろ? というなら、一つには先にも挙げたように「釣られたやつバカ」とか言ってすますのはアカンだろ、であり、もう一つは、発狂トリガーのキーワードの扱いには気をつけたほうがいいということだ。
 なにがその発狂トリガーのキーワードにノミネートされているかは、曖昧なこともあるし、それを全面的に避ければいいというわけでもない。
 発狂トリガーのキーワードの臭いがするときは、人気ブログを運営しているなら、政治的な立場を明確にしているというのでもなければ、ちょっと引いとけよとは思う。
 
 

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2012.05.15

米国で話題の同性婚とか

 ちょっと立て込んでいて今週はメルマガの試作品は出せそうにない。ということは、やっぱり毎週は難しいなという感じがする。軽げなコラム風とかなら、へろへろっと書けないことはないけど、私の書いたものなんか読んで面白いと思う人はそんないないんじゃないかと思う。書籍とかはなにげに読んでいるけど、クザーヌスの本とか紹介するのものいかがなものかで、やっぱし勝間さんの本とかでないと。
 「このネタはメルマガに回そうかな」とか各ネタのこと思うとブログを書くのがおっくうになる。それもどうでもいいような感じではあるけど、ブログが空いちゃうのもなんなので、その手のネタを軽く書いてみたい。米国で話題の同性婚についてである。
 なんで米国で同性婚が話題かというと、きっかけは、オバマ大統領が9日、ABCのインタビューで同性婚を支持すると発言したことだ。で、なんでそれが話題になるのかというと、それが米国人の関心事だからだ。ぐるぐる。
 私とか、あるいは北欧の人なんかもそうだけど、結婚というのはもともと国家という意味での「公」ではなく、教会という共同体としての「公」の問題だから(だから集会で異議あるものはおるかぁと問うわけね)、国家の「公」という点からは「私」の問題だと考える。そういう人にとって、結婚制度というのは、財産に対する規制というくらいの意味しかない。
 それもだ、私を含めてたいていの貧乏人にしてみると、さほど財産を気にすることもない。となると、カンケーネーという話になりそうだが、実際のところ、現代の国家は貧乏人に対する福祉制度でもあり、それに結婚制度も組み込まれているので、そうカンケーネーというもんでもないかうんぬん、ということにはなる。でも、そのくらい。いずれにせよ、同性婚だからという話題には、関心が向かない。
 余談だけど、そもそも現代国家における結婚というのはそういう財産に対する規制なんで、じゃ、それをもうちょっと共同体における「公」の問題に接近させてみましょうか、みたいなアプローチもあっていいわけで、フランスとかだとそれがPACSとして実現していたりする。
 ええと、なんの話だったけ。同性婚か。
 で、余談だが、同性婚ならぬ同姓婚が韓国で公式に認められたのは1997年だったかと思う(違憲判断だったかな)。日本統治下ではどうであったかというと、基本的に日本の近代的な民法の適用ではあったと思うが実質はよくわからない。創氏改名が可能だったというのもそれに準じることかもしれない。でも光復で同姓婚は禁止になったのだったか。余談終わり。
 米国で同性婚が話題となるのは、おそらくキリスト教的な文化によるものだろうと見られている。で、いいんじゃないかと思うが、本当にそうなのか、再考するとよくわからない。キリスト教文化というなら欧州でもそうだが、それほど問題になっているふうもない。やはり公私の議論に吸収されるか、あるいは、欧州では伝統のなかに実質の同性婚が存在しているからなのではないかと思う。
 で、今回のオバマ大統領の発言なのだが、実は私は、これが話題になったのは、オバマさんの発言が、面白かったからではないか、と思っていたのだった。
 彼、大統領選挙の時は、世の中の趨勢を読んで同性婚に反対していた。それからはノーコメントにしていた。
 世の中の趨勢が潮目に来たし、それにそれまでノーコメントとして注意を払っていた層の票が中絶問題などですでに反オバマに回ったので、これ捨ててもいいんじゃね、それに副大統領のバイデンがまたとちっちゃったみたいだし、そもそもバイデンがすべった元の、ノースカロライナ州での同性婚を違憲とする州憲法改正案をめぐる住民投票だが、違憲となって大騒ぎした人々を見て、こっちの票が案外食えるそうだと見たのだろう。で、オバマさん、自分の考えは「進化(evolve)した」と言ってのけたのだった。
 これって、笑いのツボではないですか。状況の利得を見ての「変節」はオバマ用語では「進化」。



Rob Rogers' Cartoons


 ねーよ、と思って笑っていたら、世の中、そういう受け止めではなくて、けっこうマジな議論で報道されているので、引いた。
 さらにロムニー大統領候補が高校生時代、ゲイの学生の長髪を無理に切ったという話題が続報。笑った。ロムニーも覚えてないがそういうことがあったらすまなかったと謝罪したが、そもそも、ロムニー少年の話も事実なのか、よくわからないし、今となっては、それ以外にどう対応していいかわからないような人格攻撃をリベラル陣営という言われる人々が繰り出してくるあたりも面白い。
 いったい何を大騒ぎしているのかよくわからない事態だったが、まじめに政治の文脈だけ取り出してみるなら、本来の問題は、「ノースカロライナ州での同性婚を違憲とする州憲法改正案」をどう扱うかということで、これをオバマさんはどう考えているのかというのが問われなければならない。
 愚問に見えますか? つまり、ノースカロライナ州の今回の住民投票にオバマさんが反対の意見を持っているのは当然ではないか、と。
 とこが、そこがまたまたオバマ流曖昧。
 そういう法制度的な文脈は消えて、個人的見解として進化しただけ。つまり、公的な提言の含みはない発言だったようだ。なにそれ。
 米国では、同性婚を州法で禁じているのは38州で、認めているのは6州とワシントンDCだが、こうした各州の法制度に対して連邦からの提言なり、あるいは民主党の政策上の課題として、オバマさんの意向が今回浮かび上がったわけではなかった。
 
 

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