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2012.04.20

スーダンと南スーダンの戦争状態で南スーダンPKOをどうするのだろうか

 スーダンと南スーダンの状況について、日本も関係していることもあり簡単にメモしておきたい。
 まず日本が関係する部分だが、今日問責決議を受けた田中直紀防衛相が焦点になる。3月14日の予算委員会でゴラン高原および南スーダン国連平和維持活動(PKO)について問われた際、彼は「緊急撤収計画」は未読であると答えた。さらに26日の予算委員会でも「表紙しか見ていない」と発言した(参照)。それで防衛相が務まるものなのか。務まらないと野党が判断したから問責決議を受けたが、民主党は田中直紀防衛相の続投を支持しているし、野田ちゃん首相もそれでいいと思っているらしい。
 スーダンと南スーダンが軍事衝突が拡大したら日本は南スーダンPKOをどうするのか。この点について3月28日の参院外交防衛委員会で問われた田中防衛相は「内閣で相談し、国連の動きも見て、決断すべきときは決断するということで判断したい」と答えている。そして現在、スーダンと南スーダンが軍事衝突となっている。いまここ。
 外務省のまとめを元に今回の事態の経緯を素描しておこう(参照)。
 3月26日早朝、南北スーダンの国境付近でスーダン軍(武装勢力含む)と南スーダン軍との間で、爆弾投下を伴う限定的な衝突が発生し、スーダン軍が南スーダンのユニティ州に侵入した。これに南スーダン軍が応戦して、スーダン軍をスーダン領コルドファン州まで撃退させ、さらに南スーダン軍は報復攻撃としてスーダンのヘグリグ(Heglig)地域の油田を占拠した。
 27日、スーダン軍は再度南スーダンのユニティ州北部の油田地帯を爆撃。南スーダンのサルヴァ・キール大統領はこのスーダンの軍事活動を非難。スーダン側はそれを受けて4月3日に南スーダンの首都ジュバ(Juba)で予定されていた南北首脳会談の延期を通告した。
 今回の事態の発端を見ると、スーダン側が最初に手を出したかに見える。だが、これは常態ともいえる衝突で、問題化したのは、南スーダンがスーダンのヘグリグ地域の油田を占拠した要因が大きい。その意味で南スーダン側に大きな非があるとしてもよいだろう(なお、南スーダンとしてはヘグリグ地域は自国域だと主張している)。

 その後だが、スーダン側はヘグリグ地域の油田の奪還を目指して戦闘を激化させた。4月14日までにはこの地域の1万人もの住民が避難する事態となった(参照)。
 15日には、スーダンとの国境に接する南スーダンの町マヨムで、スーダン軍の戦闘機が投下した爆弾が国連PKO部隊の駐屯地に着弾。マヨムは陸上自衛隊が活動している首都のジュバから500キロ以上離れていることから、日本の民主党政権は自衛隊のPKO活動には影響はないと判断した。
 派遣先の国家という単位で考えたらこの事態で戦闘地域と見なしてもよさそうなものだし、イラク戦争後にはなにかと自衛隊派遣が問題となったものだが、理由はわからないが、今回はさほど問題にもならない。ネットでもこの問題を取り上げている例はあまり見かけない。
 16日にスーダンの議会は、南スーダン軍に対して「打倒するまで戦わなければならない」敵と見なす決議案を採択し、バシル大統領はこれを承認した(参照)。
 普通に考えればこれで戦争になったと判断してよさそうなもので、実際、19日、現地にいるライマン米国特使は電話会見で「事態はすでに戦争状態だと言わざるをえない」と述べた(参照)。
 PKOとして陸上自衛隊を派遣している日本は、ここまで事態が悪化してどうするのだろうか。自衛隊側では、岩崎茂統合幕僚長は19日の記者会見で、「戦闘地域がジュバから500キロぐらい離れており、任務に影響はないと判断している」と述べた(参照)。民主党政権側からの発表はないようだ。野田ちゃん首相、現下の事態を知らないのかもしれない、案外。
 今回の戦争状態について、スーダンと南スーダンのどちらに非があるだろうか。
 すでに初動については述べたが、もう少し広い構図で見ると、焦点となるのは、スーダン側にあるヘグリグ地域の油田に対する南スーダンの制圧である。この油田はスーダンの日産原油の55%にも及ぶ(参照)。つまり、ここを制圧されればスーダンとしては死活問題とならざるをえない。おそらく南スーダン側としては、ヘグリグ地域の油田を南スーダン側に取り込みたいのだろうが、現下の国際状況のなかでは暴挙と言える。
 さらにさかのぼること1月20日以降、南スーダンは石油パイプラインの使用料でスーダンとの対立し、日量35万バレルの上る石油生産を全面的に停止していた。これには奇妙な裏話がある。
 2月20日、南スーダンの石油エネルギー・鉱山省は、同国内最大の石油会社ペトロダール社の社長劉英才氏に対して、72時間以内に国内退去を命じた。理由は、同社が南スーダン政府が決定した石油生産停止に従わず生産を継続し、その売上げをスーダンに渡していたとのことだ(参照)。この停止措置は、石油パイプラインの使用料問題の紛糾による南スーダンの勝手な決定である。
 事実の詳細はわからないが、ペトロダール社が南スーダンの決定に従わなかった部分は事実であろうし、この決定で同社の背後にいる中国政府を南スーダンが敵視した点も事実であろう。ペトロダール社は中国の国有石油会社で、生産量は南北スーダンを合わせた日量の5割強に相当するほど大きい。中国としても大問題であるが、打つ手のない状態が続いていた。今回のスーダン側の対抗によって南スーダンが軟化すれば中国にとっては利益になるとは言えるだろうが、そこに中国側の画策を見るのも行きすぎだろう。
 これまで西側世論としては、ダルフール危機に関連して戦争犯罪人として起訴されているスーダンのバシル大統領を非難してきたが、この件では被害者の位置に納まることになった。
 

追記(2012.4.21)
 南スーダン政府からヘグリグ撤退の表明があった。毎日新聞「南スーダン:油田地帯から撤退表明」(参照)より。


スーダンと南スーダンとの国境地帯で続く両国軍の衝突で、南スーダン政府は20日、南スーダン軍が制圧したスーダン領内の油田地帯ヘグリグから撤退すると表明した。一方、スーダン政府は南側の表明直後、「ヘグリグをスーダン軍が解放した」と発表した。ロイター通信が報じた。どちらの発表が事実かは不明だが、南側がヘグリグから退くことで、危惧されてきた全面戦争突入が回避されるか可能性が出てきた。

 ただし現状では撤退は確認されていない。VOA「South Sudan, Sudan Claim Control of Heglig Despite Withdrawal」(参照)より。

Later that evening, however, South Sudan's ambassador to the United Nations, Agnes Oswaha, told reporters at U.N. headquarters in New York that southern forces were still in complete control of Heglig. She did confirm that all southern forces would be out of Heglig within 72 hours.

 日本国内動向だが。産経「治安情勢の調査指示 南スーダンPKOで防衛相 陸自は週明けに報告」(参照)より。

 陸上自衛隊が国連平和維持活動(PKO)で展開している南スーダンとスーダンの間で衝突が激化している問題で、田中直紀防衛相が治安情勢の徹底調査を指示したことが20日、分かった。田中氏は現地調査団の派遣も検討するよう求めたが、調査団を送れば2次隊の派遣時期が遅れる。このため、現地を訪問中の陸自中央即応集団司令官が週明けに視察結果を報告することで調査団派遣は見送り、活動も継続する方針だ。


 陸自は2次隊として5月から6月にかけ約330人を送る計画で、今月末に派遣命令を出すことを予定している。仮に調査団を派遣するとすれば、団の編成から派遣後の報告まで数週間かかる。その間、2次隊に対する派遣命令の発出や移動時期・手段の確定も先送りを余儀なくされる。
 2次隊の到着まで1次隊は現地にとどまらざるを得ず、活動期間も延びる。初動部隊として緊張状態の中で活動した上、帰国が遅れることになれば隊員の士気も低下しかねず、「2次隊は予定どおりのスケジュールで派遣すべきだ」(防衛省幹部)との声が多い。

 二次隊の派遣時期が遅れるのを恐れて調査団派遣は見送られるということになりそうで、どうも自衛隊の事務側の都合で独走している雰囲気がある。非常に危険なのではないか。
 
 


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2012.04.19

田中直紀防衛相と前田武志国土交通相の辞任より輿石東(75)先生のご勇退を

 田中直紀防衛相と前田武志国土交通相に対する問責決議案が明日の参議院本会議で採決される見通しになった(参照)。自民党政権末期に国政を滅茶苦茶にした民主党による問責決議案の乱発の再現のようにも見えるが、まあ、このお二人はさすがに如何ともしがたい。
 お二人の今後がどうなるかはよくわからない。野田ちゃん首相は「職務を遂行してもらいたい」としてお二人の続投を期待しているが、実際にお二人さんを支えているのは輿石東(75)先生だろう。そして現下の問責決議案の乱発状態をそもそも引き起こしたのも輿石東(75)先生と言ってよいだろう。輿石東(75)先生、お誕生日は5月14日。来月、76歳。もうご勇退なさってはどうなのでしょうか。
 田中直紀防衛相については、問責を受けた一川保夫前防衛相と同等の素人力を存分に発揮されると期待されていたものの、まさか北朝鮮のミサイル実験がそのパワー発揮の絶好のチャンスとなるというのはちょっと不運だったなという同情もないではない。が、陸上自衛隊の南スーダンでの国連平和維持活動警護にあたる国を問われて「決まってません」とさらっと答弁しちゃうとか、まだまだ絶大な素人力の余力を感じさせる。このあたりで終了していただきたい。
 輿石東(75)先生のお若いころは、冷戦時代とはいっても実質日本が平和で防衛担当が閑職で済むような時代だった。あの時代なら、この人選でもよかっただろう。輿石東(75)先生は現在もそうした時代だとご理解なのかもしれないし、田中防衛相を事実上更迭しても、「またまた受けて立つ、またまた素人力を充填するからな、ふふふ」といった意気込みかもしれない。75歳でそのお元気というのは感服するしかないが、実質戦争化に向かう南スーダンの現状とあいまって、ちょっと怖い。
 前田武志国土交通相の失態は、岐阜県下呂市長選挙の告示前に地元の建設業協会に向けて特定候補支援を要請する文書を送っていたというもの。観光振興の支援を約束し、「石田氏に対するご指導、ご鞭撻をよろしくお願いします」として、「前田武志」の署名をした。公職選挙法が禁じる事前運動と公務員の地位利用の両方に抵触する疑いがある(公職選挙法129「事前運動の禁止」、同136条の2「公務員の地位を利用した選挙運動の禁止」)。
 ひどいなとは思うが、こうした地方の建設業との癒着というのは自民党時代を想起してもわかるがさほど不思議でもない。ようやく民主党も自民党の政権の受け皿になってきたことを如実に示す実例でもある。が、その先の、前田武志国土交通相の開き直りは鮮烈だった。FNN報道を借りる(参照)。


 渦中の前田国交相は、16日夕方に会見し、宛名や内容に目を通す暇もなく、政務秘書官に促されるままに署名したと釈明した。
 前田国交相は「あぜんとしているというのが、正直なところなんです。本当にあっけにとられているというところです」と述べた。
 前田国交相は、16日夕方の続投表明会見で、自らの疑惑に大きく驚いて見せた。
 前田国交相は「極めて多忙な日程であったため、文書の名宛て人や内容に目を通すいとまもなく、政務秘書官に促されるままに署名した」とし、自ら署名した文書が、支援要請文だった認識がなかったことを強調した。その一方で、署名に関わった秘書官が責任をとり、先週末に辞任していたことを明らかにした。

 宛名や内容に目を通す暇もなく署名したので、署名した意識もなくて驚いているというのである。国務大臣がである。自分がした署名についてである。「あ、これえ、ボクの署名だぁ、不思議」って手品ではないのである。面白いなあ前田国交相、と思うけど、普通に考えるなら、それだけで国務大臣失格。
 この二閣僚の任命責任は野田ちゃん首相にあるのだが、野田ちゃん、こういうシーンだとまるで悲劇的なヒーロー気分になってつっぱっちゃう。こんなところで「政治生命をかける!」とかまた暴走するのも、困ったなあと思う。ここはそんな大げさなシーンではない。ごく普通な人選ミス。本当に消費増税法案に政治生命をかけるなら、それとは直接関係ない今回の問題は事務的にさらっと処理したほうがいい。
 さてこれからどうなるのか。
 自民党はこの件で審議拒否に出ている。このつっぱり状態が長期化すれば、国会を停滞させているのは自民党だとして世論の批判が自民党に向かうという読みもあるらしい。それを恐れて公明党は、問責された二閣僚が出席するはずの委員会以外は審議に応じるとして日和っているらしい。
 政局の読みって面白いなと思うが、この読みは、そもそも国民が消費増税法案に賛成という前提なのではないか。賛成していますかね、国民。
 当の民主党だが、そもそも民主党自体が全体として、消費増税法案に賛成というわけでもなく、内輪もめでくすぶっていて、むしろ現状のぐだぐだ状態を好機と見ている勢力がある。
 というところで、輿石東(75)先生はこのぐだぐだを是とされているのかもしれない。ぐだぐだしている状態こそ正しい民主党政権のありかただと見抜いているのかもしれない。
 NHK「あさイチ」で学ぶ褒め言葉ではないが、「慧眼です、年の功です、輿石東(75)先生」と感服する。ここはもう一歩踏み込んで、「私の政治生命をかけて消費増税法案の審議を進めていただきたい」という演説とともに勇退されてはどうか。
 それで消費増税法案の審議をさっさと進め、政局の読みとは逆に、さっさと廃案になったら、輿石東(75)先生、救国の政治家として歴史に名を残しますよ。
 
 

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2012.04.18

石原都知事、尖閣諸島買い上げ発言について

 訪米中の石原慎太郎・東京都知事はワシントン市内の講演で現地時間の4月16日午後(日本時間の17日未明)、尖閣諸島中の魚釣島、北小島、南小島の3島を東京都の予算で購入するとの方針を表明した。それが原因で思わぬ騒ぎとなったようだ。いや、驚いた。何に? それが騒ぎになることに、だ。
 何か騒ぐような問題でもあるのだろうか? この話題を聞いた仲井真弘多・沖縄県知事も「なぜこうした話が問題になるのかわからない」と述べた(参照)。


そもそも尖閣諸島に領土問題はないということなのに、なぜこうした話が問題になるのか分からない。沖縄県も都内に土地を持っているし、都が沖縄の土地を購入することが禁止されているわけではない。

 普通に考えれば、仲井真・沖縄県知事のように、この話はここで終わりである。
 東京都が買い取るとしても、現在の個人の地権者から買い取るということで、これは国家と関係ない私的セクターの普通の取引にすぎない。沖縄県が、東京都に沖縄県人会の施設を作るために東京都の個人の地権者からその土地を買うのとなんら変わりはない。無問題。尖閣諸島が東京都に編入されるという話でもない。
 終了……
 とはいえ、東京都知事がそんなことを勝手にしてよいものだろうか?
 いや、勝手にできない話になっている。
 2億円以上あるいは2万平方メートル以上の土地を東京都が購入する際には、東京都議会の議決を経なければならない。だから、議会がダメですと言えばそれはそれで終わりという話である。
 議会が承認すれば、なるほど都民の総意として尖閣諸島を都が所有するということになる。議会の決議こそが民主主義の手続きである。日本の戦争だってその予算執行は議会を経て行われたのだから、責任は民主主義の手続きからすれば国民にあるのと同じ。米国のブッシュ政権下で米国民主党がイラク戦争にいろいろ反対意見は述べたが戦争の予算は通したのとも同じことだ。
 都議会は承認するだろうか?
 読売新聞の報道によれば、外務省幹部は「都政の目的と相いれないのではないかという根本的な疑問がぬぐえない。都議会を通るとは思えない」(参照)とのことだ。あっさり議会で否決されるかもしれない。
 どうなるだろうか?
 東京生まれで東京育ちの私としては、案外都民は都知事の今回の提案を支持してしまうのではないかとも思う。猪瀬副知事がすでに言い出しているが、購入のための資金募集も計画されているようだ(参照)。
 一坪地主みたいに公募にするなら、小さな記念碑でなくても亜熱帯植物の植樹のためでもいいから、小さな自分の土地を買ってみたいと思う人も出てくるだろう。自分が死んだら遺骨の一部をそこに納めてもらうのも悪くないというのもちょっとしたファンタジーだ。夢を買いたいという人はいるものだ。
 これまでは尖閣諸島の地権者といえども、自分の所有している土地に入ることができなかったが、それは地権者が国にその土地を貸して国の管理下に置かれていたからだった。東京都の所有ということになれば変わるかもしれない。
 実際の購入には都議会承認以前の手順もある。東京都が土地を購入するときは現地調査して地権者とも交渉して評価額を決めるのだが、一部報道では地権者からの評価額が出ているものの、正確な査定は必要になる。そこで査定のための測量だが、現在借りている国の認可が必要になる。こういうからくりでもしかすると国がまた面白いパフォーマンスをやってくれるかもしれない。
 どうなるんでしょうかね。
 以上の話は、ふんふんと聞き流していたが、その先に驚く話があった。
 藤村修官房長官が17日の記者会見で、現在個人所有となっている尖閣諸島について、必要なら国が購入する可能性があると示唆したことだ。すると、国有化ということになる(参照)。
 東京都が購入できるものなら、日本国も購入は可能だが、国が出てくると一気に国家の問題となる。私的セクターの問題からは逸脱する。国家の強制とまでは言わないまでも、こんな領域に国家がずかずかと出てくるとなれば、この話がまさに国家の問題に転換する。民主党は尖閣諸島を国家の問題として騒ぎたいのだろうか。
 大手紙のなかでいち早くこの問題を扱った朝日新聞社説「尖閣買い上げ―石原発言は無責任だ」(参照)を読むと、地方自治における地方議会の意味を理解していない点は苦笑で過ごすとして、「藤村官房長官はきのうの記者会見で、国が購入する可能性を否定しなかった。東京都よりも外交を担当する政府が所有する方が、まだ理にかなっている」と述べた。
 朝日新聞も、もう、やる気満々でこうした本来私的セクターの所有権の問題を、国家の問題に格上げしたいのである。その感覚というのは、私的セクターの所有権が尊重される民主主義国ではなく、まるで共産党支配の中国みたいだな。
 そもそも尖閣諸島が国家所有だったと思い込んでいる人や国家の問題として騒ぎたい人がいることが今回の件で驚きもあったが、ウォールストリートジャーナル「大売出し:領有権問題付きの島」(参照)は外国の新聞だからか、ぬけぬけとこう書いているのだった。

 奔放な言動と旺盛な愛国心で何かと話題をふりまく石原慎太郎東京都知事。それだけに今回の東京都の尖閣諸島買収の意向表明にも驚きはなかった。むしろ驚きはこの中国、台湾も領有権を主張している島々が、民間人に所有され、売りに出されていたということだ。
 外交上の扱いが難しいこの土地が、なぜ遠く離れた東京郊外に住む一介の民間人に所有されていたのか?

 もちろん、日本人なら常識の事でも、外国に伝えるために修辞的に「驚き」と書いているには違いない。
 これを機会に中国にも理解を浸透させるとよいだろうとも思うが、案外中国はこうした事情をきちんと理解していたかもしれない。噂に過ぎないのかもしれないが、中国も尖閣諸島を40億円ほどで購入したかったらしい(参照)。
 中国が日本の法に則って日本の領土の一部を購入するというなら、これできちんと尖閣諸島が日本の領土だということを中国が認識していることになる。
 鳩山由紀夫・元日本国首相も「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、もっと多くの方々に参加をしてもらえるような、よろこんでもらえるような、そんな土壌にしなきやダメですよ」と言っていたものだった(参照)。あ、その、鳩山由紀夫、「元日本国」、首相ではないので、ご注意。
 
 

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2012.04.16

連続不審死事件裁判員裁判の感想

 インターネットの結婚紹介サイトで知り合った男性3人を相次いで練炭自殺に見せかけて殺害したした罪に問われていた木嶋佳苗被告(37)の裁判員裁判で、さいたま地方裁判所は3月13日、死刑を言い渡した。木嶋被告は一貫して無罪を主張。弁護側は3人の男性の殺害したとする直接的な証拠はないことから「不確かなことで処罰することは許されない」と主張していた。
 元東京大学教授の上野千鶴子氏はツイッターで「木嶋佳苗裁判。心証はかぎりなくクロでも、本人が否認し、状況証拠しかないのに有罪となるなら、日本は法治国家ではない。小沢が無罪なら、木嶋も無罪だ。」(参照)という感想を述べていた。同様の印象を持つ人も少なくないようだった。この件をもって日本は法治国家ではないのだろうか。あるいは、状況証拠しかない場合は有罪にできないのだろうか。
 今回の地裁判決についての私が最初に思ったことは、100日間にわたる審理に取り組んだ裁判員に敬意を表すとともに、市民として私の、つまり私たちの良心として(代表として)、その判断をされたことを信頼しようということだった。市民である私が市民である裁判員の判断をまず信頼したいということだった。
 だが、敬意や信頼といったことではなく、私自身がこの裁判に裁判員として参加していたら、どのような判断を下すだろうか? 上野千鶴子氏のような考えを持つだろうか?
 ツイッターのつぶやきは一種の放言ともいうべきで上野千鶴子氏が公的にそのような考えを表明するかどうかはわからないが、この問題について近年の最高裁判決を見ると、たとえば「平成19(あ)398」(参照)では次のように示されている。


刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは,反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく,抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても,健全な社会常識に照らして,その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には,有罪認定を可能とする趣旨である。そして,このことは,直接証拠によって事実認定をすべき場合と,情況証拠によって事実認定をすべき場合とで,何ら異なるところはないというべきである。

 事実認定にあたっては、「直接証拠によって事実認定をすべき場合と,情況証拠によって事実認定をすべき場合とで,何ら異なるところはない」というのが最高裁の立場であり、これが日本の司法の立場と見てよい。とすれば、「情況証拠」に基づくことを根拠に、上野氏が放言されるような、法治国家の是非が問われることはないだろう。
 むしろ今回の裁判で重要なのは、「抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても」という部分だろう。これは後で触れる。
 今回の裁判では、東京・青梅市の会社員の寺田隆夫さん(当時53)、千葉県野田市の安藤建三さん(当時80)、東京・千代田区の会社員の大出嘉之さん(当時41)の3人の殺害が問われた。いずれも練炭自殺に見せかけて殺害した罪などに問われた。
 判決でさいたま地方裁判所の大熊一之裁判長は次のように指摘している(参照)。

男性らに自殺の動機はなく、殺害されたと認められる。被告はいずれの事件でも直前に男性らに会っていたほか、犯行に使われたものと同じ種類の練炭コンロや睡眠薬を入手していて、3人を殺害したのは被告以外にありえない。

 しかし、もし推理作家なら、奇想天外なストーリーを形成できないわけではない。例えば、被告を陥れようとした第三者がいてうんぬんといった類のものである。あるいは、当初それぞれの事件が自殺と見られていたように、とてつもない偶然があったとか(参照)。
 それが先に触れた「抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても」ということである。
 民主主義国における司法は、法律を数学的に合理的に当てはめれば判決がコンピューターでも下せるといったものではなく、市民がどのように意思を表明するかということであり、今回のような事件では、日本の市民がこの事件をどう判断するかということである。もちろん、それが行きすぎの権力行使にならないように法律はむしろその制限をするものである。
 別の言い方をすれば、神のような視点で事実をドラマのように再現するのではなく、市民が集まって「この被告は有罪であると決める」ということであり、その刑が死刑であるなら、市民である私たちがその被告を殺害すると決めるということである。これはユダヤ教など古代宗教からも引き継ぐ石投げ刑と同じ原理で、私たち市民は、死刑者の血の責務を受けるということである。
 今回の判決では、量刑としての死刑が妥当かが問われた。ネットなどを見るといくつかの意見の変奏が見られた。状況証拠では死刑は下せないとする意見もあった。だが、先の最高裁の見解のように、死刑もまた有罪の認定の帰結に含まれるものであり、死刑に相当するか否か自体が状況証拠によって決められるものではない。
 その意味では、3つの連続殺人が被告の意思によって実行されたと市民が判断するなら、日本の現行法の枠内では死刑は妥当と見ることができるだろう。
 ここには2つのプロセスがある。(1)3つの連続殺人が被告の意思によって実行されたと市民が判断する、(2)その判断から死刑は妥当である、である。
 私が仮にこの裁判の裁判員だったとしよう。私も(1)のように、3つの連続殺人が被告の意思によって実行されたと判断するだろう。連続した事件ではなく1件の事件であれば、冤罪の可能性を考えるだろう。
 そして(2)について、従来の司法から死刑が妥当することを私は肯定するだろうし、そのように考える同胞市民に共感を持つだろう。
 だが、私自身としては死刑が妥当だとは思えない。3つの連続殺人がなされたとしても、そして現在なお、被告に反省が見られないとしても、被告が罪を受容する可能性はなお開かれているだろうと思う。一人の市民の意思として私はそう主張するだろう。私が裁判員ならその主張を同じく裁判員となった同胞の市民に語りかけるだろう。
 今回の判決は地裁判決であり、被告は控訴しているので、裁判員の入らない高裁で問われることになるだろうし、その判決も注視したい。
 
 

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