« 2012年3月11日 - 2012年3月17日 | トップページ | 2012年3月25日 - 2012年3月31日 »

2012.03.21

薄煕来・前重慶市党委書記の失脚

 薄煕来・前重慶市党委書記の失脚には謎が多く全体像が見えないなか、中国共産党内の権力闘争ではないのだといった面白い意見も出てくる時期となった。そろそろ自分の視点で素描しておきたい。
 薄氏は、次期の中国共産党最高指導部・政治局常務委員会入りが有力視されていたこともあり、その失脚は単純に考えれば、中国にありがちな熾烈な権力闘争の一環にすぎない。であればその対立の構図はどうなっているかと考えるのが常道ではあるが、その前段に今回の事件を振り返っておきたい。
 発端は王立軍・重慶市副市長兼公安局長が2月2日に突然解任されたことだが(形式上は辞任)、それが実際上の発端となるのは奇っ怪な騒ぎが続いたことにある。2月6日、王氏は上司にあたる薄氏のベンツで重慶を脱出し成都にある米国総領事館に駆け込んだ。米国は王を保護しなかったが、亡命が迫られるほどの危機があっていたと見てよい。それはなぜかという問題がここで提起される。この点は最後に触れようと思う。
 その後、王氏については表向きは、過労による休職となったが、収賄や職権乱用などの疑惑が持たれているとの報道が出る。こうした疑惑なるものは中国場合、原因なのか結果なのかよくわからない。政治的に失脚となると後から理由付けに悪人とされるものである。阿Qの論理と同じで処罰されたのはきっと阿Qが罪を犯していたに相違ないからである。
 かくして王氏の指導的な位置にある薄氏に焦点があたる。3月9日、薄氏はメディアの取材に応じ王氏の事件について任命責任を認めた。この時点で薄氏の失脚は確定した。実際の「解任」は3月15日だった。
 通常なら、王氏の事件も薄氏失脚を狙う勢力によるものだったと見てよい。だとすると、どのような対立の構図だったか。この時点の話題では、薄氏は太子党(高級幹部師弟)であり追い込んだのは共産主義青年団(共青団)だという見方が有力だった。胡錦濤国家主席は共青団の出身なので現政権からの権力闘争の構図としても見られた。2月12日付け香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポストは王氏の後任に共青団の重慶市江津区共産党委員会の関海祥書記が任命されるとも見ていた(参照)が、予想通りとなり、この対立構図の見立てを裏付けるように報道された(参照)。
 さらに14日閉幕の全人代後、温家宝首相は記者会見で「現在の重慶市の党委員会と市政府は反省し、事件から教訓をくみ取らなければならない」と述べ、一連の事件の関係者を厳しく批判したことも、現政権側の権力闘争の勝利といった構図で読まれた。共同の報道もこうした構図に乗っている。15日「重慶市トップの薄熙来氏を解任 中国共産党、副市長事件受け」(参照)より。


中国共産党は重慶市トップの薄熙来党委員会書記(62)を解任し、後任に張徳江副首相(65)を充てる人事を決めた。国営通信の新華社が15日伝えた。側近だった王立軍副市長の米総領事館駆け込み事件を受けた更迭とみられる。
 薄氏は、重慶市で高い経済成長率や治安の改善などの実績を挙げ、秋の第18回党大会での最高指導部入りが有力視されていたが、今回の解任でその望みが事実上断たれる情勢になった。王氏の解任も決まった。
 薄氏は最高指導部入りが有力視された候補の中で「太子党」(高級幹部の子弟)の代表的な存在だった。同じ太子党で次期最高指導者に内定している習近平国家副主席にとっても打撃。

 日本の報道を見ていて面白いと感じるのは、憶測がなければ、重要なのは後任であり、後任がどのような背景を持つかということが報道されなければならないのに、そこが抜ける。こういう面白い情報の抜けかたは、事件の本質のしっぽに関係していることが多い。さて張徳江副首相はどのような権力の構図にあるのか。
 張氏は江沢民派なのである。
 事件全体をブラックボックスと見るなら、太子党から江沢民派が出てきたことになる。これがもっとも大きな構図である。ここをどう見るかが今回の事件のポイントになるはずだ。
 NHKはこの点について、専門家の分析として次のように伝えた。16日「中国 最高指導部巡る駆け引き激化か」(参照)より。

香港在住で中国政治の専門家の林和立氏は、「この問題の背景には、習近平国家副主席に近いとされる『太子党』と、胡錦涛国家主席につながる共産党の青年組織である『共産主義青年団』との間の勢力争いがある。薄氏の後任として、重慶市のトップになった張徳江氏は、今回、解任された薄氏とも同じ江沢民前国家主席に近いと言われる人物で、同じ系列の人物を後任に据えることで重慶市の混乱の拡大を防ぎたいとのねらいがあるものとみられる。また、アメリカ総領事館に駆け込んだ王立軍氏は、薄氏に関する汚職などの証拠も持っていると言われており、今後、薄氏まで調べが及ぶ可能性もある。今回、重慶市の書記を解任されたことで、薄氏が秋の党大会で最高指導部入りする可能性はなくなったとみている」と話しています。

 妥当な見解でもあり妥協的な見解でもある。NHK報道が十分に伝えていないようでもあるが、張氏を「同じ系列の人物」としているのは、「江沢民前国家主席に近い」としながらも太子党とも見ることもできるからだ。そこを強調するなら、ブラックボックスの入出力は太子党で等価にも見える。
 このあたりが微妙に日本国内報道の限界かもしれない。ワシントンポストはずかずかと踏み込んでいた。「A purge in China」(参照)より。

Mr. Bo’s defeat does seem to be good news for proponents of restructuring state-owned companies, a reform that government planners have identified as essential to sustaining economic growth in the next two decades.

次の20年間の経済成長維持に国営企業構造改革を提唱する人にとっては、薄氏の敗退は朗報にも聞こえる。

But the pro-statist faction associated with the Chongqing leader hardly seems to have been vanquished. His successor, Vice Premier Zhang Dejiang, is an alumnus of Kim Il Sung University who is believed to hold similar views.

だが、重慶指導者に関連した国家統制派が敗退したようには見えない。彼の後任である張徳江副首相は、類似の政治観を持つ金日成大学の卒業者である。


 ワシントンポスト以外の欧米メディアも、張氏が江沢民派である点に注目している。薄氏を追い込んだのが共青団であったとしても、この権力闘争の内側では、この間、共青団と江沢民派とでは妥協が存在していたと見てよいだろう。張は65歳と高齢で実質的な権力維持は難しいことも妥協の要因として作用しただろう。
 私の推測に過ぎないが、温家宝が薄氏に引導を渡した記者会見で「文化大革命の過ちと封建的な影響は完全には払拭できていない。政治改革を成功させないと歴史的悲劇を繰り返す恐れもある」(参照)として異例とも思える「文化大革命」への忌避感を打ち出したのも、国家統制的な勢力を抱えた江沢民派への牽制に聞こえる。
 もちろん温氏が「文化大革命」を持ち出したのは、直接的には、王氏による「打黒」(闇社会を打撃)の際、薄氏が「唱紅」(毛沢東時代の革命歌を歌う)で大衆を煽ったことによるものである。
 ここで全体構図をもう一度見直してみよう。
 気になるのは、事件の事実上の発端ともなる、王氏が米国に保護を求めたという謎である。
 王氏は生命の危機を感じたのだろう。そのような脅威を与えるのは誰かと考えるなら、彼が戦っていた闇社会である。そしてそれが米国なら救済してくれるかもしれないというのは、中国国家の暴力装置への不審もあっただろう。それは彼の亡命騒ぎの前段の解任との関連があるようにも見える。
 ところでなぜ王はそこまでして「打黒」を推進したのか。
 中国人の基底的な行動は利害であり、利害のための仁義である。王氏に別段正義感があるわけでもないだろう。利害を土台にした薄氏への忠誠である。
 ここで疑問が当然起きる。父親の代から中国社会に寄生している太子党の薄氏がなぜ、その構造の改革を求めるのだろう。別の言い方をするなら、それは共青団のやりそうなことだ。
 そのあたりで、薄氏にとっての利害は共青団への色目だったのではないかと連想される。そして、それを江沢民派の老人達の好む「唱紅」でまぶして両者のバランスを取ったのではないか。中国人は権力構造にあるとき、白黒を付けない。できるだけ灰色にする。
 当然ながら、敵対する両者の間で名声を得ようとする行為は、ある程度知恵の回る人間なら、不審そのものであり、両者を敵にする。
 今回の事件は、そうした色目の蝙蝠が自滅したということで、依然背景には、江沢民派の力があるということではないか。
 そして、次期最高権力者である習近平氏は薄氏と同型の蝙蝠である点に絶妙の面白さがある。中国人御得意の三十六計二十六・指桑罵槐を思えば、槐が薄氏で、桑が習氏であるかもしれない。
 
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2012年3月11日 - 2012年3月17日 | トップページ | 2012年3月25日 - 2012年3月31日 »