「じれったい」
たぶん明日、cakesの連載で林真理子『ワンス・ア・イヤー』の書評が掲載される予定で、その次は向田邦子『思い出トランプ』の予定。どちらも大作を書くつもりもなかったのだが、文章が長くなってしまった。ご関心あるかたはどうぞ。
cakesの書評では、対象作品を知るために関連作品も読むことにしているし、実際のところ、そのための読書にけっこう時間を割いたりもする。1981年に亡くなった向田邦子については、私の世代だとテレビなどでも本人を見ていて、その肉声も知っているのだが、もう一度聞いてみたいと思った。
こういうときネットは便利なもので、違法ではあるのだろうが、ユーチューブにいくつかあった(参照)。が、肉声を聞けたか聞けないか、イエスかノーかという話が、肉声を聞くという意味であるわけもない。新潮から出ている「言葉が怖い(新潮CD)」(参照)を聞いてみた。昔カセットで出ていたものである。76分ある。面白くってさらっと聞ける。それでいてじんとくる。
言葉が怖い 新潮CD |
亡くなれる半年前の声というのも印象深かった。50歳であろうか。けっこうなオバサンさだなとも思うが、私は55歳である。彼女は冬の季節の手前に生まれたから、存命なら83歳である。おばあさんと言ってよい年だが、生きていたらまだしっかりと語られたことだろう。
講演は、『父の詫び状』形式というでもいうのか、ちょっと気を引く感じだがやや緩い結合の挿話をいくつかまとめて、主題「言葉が怖い」、言葉というのもの怖さをその年齢で知るようになったということ、を伝えている。
興味深い挿話が続くのだが、最後のほうに出てくる「じれったい」という言葉についてなかでも興味引かれた。ふと、向田さんの講演は、中森明菜の「少女A」の前だっただろうかというのも気になった。
中森明菜 「Best★BEST」 |
じれったい、じれったい
何歳に見えても、私、誰でも
じれったい、じれったい
私は私よ。関係ないわ
特別じゃない。どこにもいるわ
わたし、少女A
中森明菜の曲を思い出したのは、「じれったい」が少女の言葉とされていることだ。
向田邦子の講演では、「じれったい」の言葉が、少女、といっても、七、八歳だろうが、そのつぶやきから出たのを驚いたとしていた。
脚本家として向田邦子は、何千本も脚本を手がけながらも、一度も「じれったい」という台詞が書けなかった。書こうとすると、艶っぽい大人の女の言葉を想定してしまいがちだった。が、実際には、幼い女の子でも使うのを見て驚いたというのだ。
ちなみに中森明菜の年代の女性に「じれったい」とか言う?ときいてみたが、使わないとのことだった。私も、しばらく、「じれったい」という言葉を聞いたことがないなと思っていた。それとこれは、女性の言葉だと思っていた。
手元の辞書を引いたなかで、大辞林に用例解説があった。ネットにもある(参照)。
[用法]じれったい・[用法]はがゆい――「一向にはかどらなくてじれったい(はがゆい)」「自分の気持ちが伝わらなくて、何ともじれったい(はがゆい)」のように、思うようにならなくて、いらいらする意では相通じて用いられる。◇「じれったい」は、その気持ちの生じる状況に対し、自分では手の出しようがなく、いらだたしい思いがつのる場合に多く使われる。「私が行ければいいのだが、ほんとうにじれったい」◇「はがゆい」は、他の人のすることを見て、何をしているのだといらだたしく思う場合に多く使われる。「一度の失敗であきらめるとは、はがゆい人だ」◇類似の語「もどかしい」は古くからの語で、「じれったい」「はがゆい」と同じように使うが、文章語的である。「上着を着るのももどかしく部屋を飛び出した」のように、心がせいて何をする時間も惜しいの意は他の二語にはない。
女性言葉だという説明はない。他の辞書だと「じれったい試合だ」というのがあり、なるほど、その文脈なら、昭和のおっさんが言いそうでもある。が、それでも基本的にこれは女性言葉のように思える。
この言葉には、性的な関係の含みがあると思う。男に対して「ああ、じれったい」、あるいは、年下に対して「ああ、じれったい」と言うのだろう。
男の私としては、私が特例なのかもしれないが、いらいらする、はがゆい、もどかしいという語感はあっても、「じれったい」という語感の内実はよくわからない。
もう一つ連想することがあった。天理教の開祖、中山みきの天啓によく「たすけ、せきこむ」というのが出てくる。「あしきをはらうて、たすけせきこむ、いちれつすまして、かんろだい」というあれである。といって、通じる人は少ないかもしれないが。
このアージェントでありながら、性的なせっつき感のなかにみきの本領もあるのだろう。神は人間を「じれったい」と見ているのだろう。
日本語の辞書が十分に「じれったい」を示していないので、英語でなんというのかも気になってみたが要領を得ない。annoying、frustrating、irritating、provoking、tantalizing、vexatious……どれも違うような感じがする。
じゃ、なに? というところで、ふっと、"You, piss me off!"という言葉が浮かんだが、それだと「むかつくわ」という感じのほうが濃いのだろう。
「じれったい」という言葉が使われる世界が日本でもなくなったかといえば、そこはよくわからない。シチュエーションによってはありそうだし、英語でもありそうには思う。
ただ、つきつめてみると、女が険のある顔で「じれったい」と男に言うような状況は、もう日本にはないんじゃないか、という気がする。
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コメント
T-BOLAN 「じれったい愛」1992年9月22日発売
♪じれったい オマエの愛が うざったい程 痛いよ♪
を思い出しました。
ついでに言うと、この曲のヒットにより「うざったい」という東京・多摩地方の方言が一気に全国に広まったという説があります。
投稿: うぐいすパン | 2012.12.10 14:15
「安全地帯」かと思った。(笑)
投稿: | 2012.12.10 17:54
極東ブログ様の文章を拝見して、新潮CDシリーズで小林秀雄の肉声を拝聴して、著作集には書いていないことが多々あったことを思い出しました。小林秀雄シリーズでは質疑応答も収められていて、小林秀雄の質問への答え方が非常に興味深かったです。ちなみに、私、昔、恋人から「じれったい」と言われて破局したことがあります。「じれったい」、死語ではないですよ…たぶん。ただ、「じれったい」という言葉、男女のどちらがより多く使用するのか。興味深い問題かも知れませんね。私の個人的な体験では、恋愛の場面で、「早く告白して来いよ」という場面で使用することが多いかと。まあ、「じれったい」と言われるような愚鈍な人間は、恋人が離れていくわけですけれど。
投稿: 大東亜 | 2012.12.11 02:26
自宅のパソコンが不調なのでスマホから。「じれったい」って、なんだかんだ言いつつ最後まで待つか受け容れることを大前提にしないと出ない言葉ですから、いつまでも待たないのが当たり前の世の中では使われなくなるのも道理なのかも。じれったいを言い出す前に切るんですね。焦らされるまで待たない。お待たせしませんは商売の基本ですから、それが行き着く先にじれったいは無いんですよね。あったとしても数秒単位で直ぐにじれったくなって数分単位で見切って数日内に忘却の彼岸へ。そんなもんでしょうね。
投稿: のらねこ | 2012.12.11 15:02
「思い出トランプ」の書評読みました。とてもよかったです。
ところで、「じれったい」という状況ですがそれを本当に口にする瞬間は自分の中にも確かにないですね。ただ、心の中でそれに近いことを舌打ちする時と言うのはあります。
一昨年かな、結婚を前提として付き合っていた真面目な年下青年が、いくら待ってても手を出してこないんですね。本人曰く「僕は草食系」だと言うんだけれども。で、別れて1年して(つまり今年の正月、)「××さんのことを時々思い出します」という年賀状を送ってきた。ああ、じれったいなとその時思った。なんで、そんなに自分が「汚く」なるのが怖いの、ってね(笑)。
投稿: ジュリア | 2013.01.10 20:58