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2012.12.31

2012年、今年よく聞いた曲

 2012年も今日でおしまい。今年は夏の暑さが長いわりに、あるいはそのせいか、一年は短かったなという感じがした。今年やったこと、思ったこと、お薦めの本とか、ま、そういう話はさておき、今年よく聞いた曲というかアルバムを5つほど。それほど、お薦めの曲というほどではないですよ、ちょっと趣味が人と違いすぎているし。

桜流し
 しばらくヒッキーの曲も聴けないだろうと思っていたので出ててびっくり。最初聞いたときは、『誰かの願いが叶うころ』みたいな、御詠歌みたいな曲だなと思ったが、母譲り、祖母譲りの声が大人になってきたせいか、ものすごい迫力。サウンドの造りもすごかった。

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桜流し
 歌詞はというと、ヱヴァンゲリヲンを知らないのでその文脈はわからないが、本人談ではその文脈を濃くしたというものでもないらしい。印象としては、「もし今の私を見れたならどう思うでしょう。あなたなしで生きてる私を」という「あなた」というのは、祖母であろうと思う。
 ポール・カーターのインストルメントもよかった。特にエンディングはたまらん。

 たまたまYabisiさんという人のカバーを聞いたが、これがけっこうツボだった。ヒッキーの縮緬ビブラートの部分が自己流にアレンジしていて、ちょっと欧風。そのわりに、アジア的な色気がぐっと。


Moments
 『Moments』(参照)は、Paul Hughesという人の曲。ジャンルは、クラシックなのだろうか。変な曲です。こんな変な音楽というのは聞いたことがありません。なんだこの変な曲は、なんだ、なんだ、といううちに、すっぽりに魅了されて、今年は飽きもせずなんども聞いていた。

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Moments
 ある種、病的な感じもするし、なにか精神の奥深いところに問いかけてくる、微妙にヒーリング的な何かがありそうなのだけど、よくわからない。アルバム全部を人に勧めるものではないが、一曲、これがベストというのは、"How the River Flows"(参照)という曲。視聴部分だとわかりづらいが、途中からクラシックの楽器に混じって高音域に変なパーカッションが入っている。後半の短音のピアノの打ち方も、これはなんだろういう感じ。この人、なにか、音楽の感性が変というか、私にぴったりすぎる。
 他にエレクトリック的に仕上げた"The Lord`s Prayer"(参照)もはまった。これも高音域に変な音がいろいろ入っている。たまらない。
 カバーの、アンリ・ルソー的な絵も本人によるらしい。


Laudate omnes gentes
 今年はテゼをよく聴いた。そのなかで聞きやすいお薦めはというと、"Laudate omnes gentes"(参照)かな。

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Laudate omnes gentes
 テゼについては以前に少し書いた(参照)が、カトリックがラテン語を失っていくなか、むしろプロテスタント的な運動であるテゼがラテン語の祈りを歌にしていく様子は興味深いものがあった。というか、ラテン語は美しいものだなと思った。


Feather on the Breath of God
 実は、というほどでもないが、ブログには結局書けなかったが、今年は、ヒルデガルドについていろいろ読んでいた。しかし、どうにもわからない。ヒルデガルドが巨大すぎるというのもあるのだが、魅了するわりにその確信がつかめない。

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Feather on the Breath of God
 思想の根幹は、まず、"Scivias(道を知れ)"なのだが、この黙示文学をどうあつかってよいのか途方に暮れた。ただのナンセンスなのではないかという感じもするが、スウェーデンボルイなどに比べると格段に難しい。
 そうしたなか、ヒルデガルドを見失っていくとき、この曲をよく聴いていた。曲はダイレクトに精神に語りかけるし、そのリアリティが"Scivias"に等しいのではないかとも思う。
 いうまでもないことだけど、このアルバム『Feather on the Breath of God』(参照)はものすごい名盤と言ってよいかと思うので、なにかの機会があれば是非、ご試聴を。


VIVA! 6×7
 『VIVA! 6×7』(参照)2004年のユーミンのアルバム。私は、沖縄生活の時、あれだけ好きだったユーミンを聴いていない。なにか『TEARS AND REASONS 』あたりで終わったような気がしていた。それでも2006年の『A GIRL IN SUMMER』(参照)からまた聴くようになり、最近は自分にとっての空白だったころのアルバムを求めて聴くようになった。やはりピンと来ないものは多い。

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VIVA! 6X7
 『VIVA! 6×7』もざっと聴いてなんにも心にひっかからなかった。が、「水槽のJellyfish」の変な音の作りが耳に残り、あ、これは「人魚姫の夢」のモチーフだと思い、そのあたりから、このアルバムの奇妙さに捕らわれた。
 「灯りをさがして」は、ざっと聴くととくになんの変哲もない曲のようだが、これは、彼女の旦那への愛の告白なのではないか。キャンティの思い出から、旦那との出会い、そして……というなかで、老いていく一人の女の愛情なのではないのか。

Without you
ひとりで歩いていた。
いつのまにかきっとあなたは先で待ってると
分岐点も見ず
人は耐えきれない痛みを与えられはしないの
あなたの笑顔が向けられないならつらすぎるかもしれない
それでも私は思い出をたよりに灯りを探すの

 そういう読みは違うのかもしれない。が、彼女は内面に、石女というわけでもないが、固い石のような苦しみを抱えていたのではないか。あるいは、ある時期からユーミンカンパニーを食わせるための細腕繁盛記というか。
 私は、ユーミンが10代のころからずっと聴いてきた。それは多少、愛のような感情も交じるのだが、そうした多少なり愛した女が老いに向かっていく心を顕したとき、どう受け止めてよいのかよくわからないなと思った。

    ※   ※

 来年は、もしかすると、ブログに関連してちょっとしたサプライズをお届けできるかもしれません(できないかも)。
 あ、それと、cakesに連載している書評の『めぞん一刻』編(参照)が、お正月期間には無料になるらしい。未読のかたは、よろしかったら、その際、ご一読を。その後もこの書評シリーズは、ここまでリキ入れるかよ的に入れてます。
 では、みなさん、よいお年を。
 
 

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2012.12.30

かつやの対決

 かつやの対決、といっても、あのイオン御曹司のそれではない。そんなの勝てる気がしない。そうじゃないんだ、かつやだよ、かつやだよ、かーちゃん。違う。トンカツの「かつや」だ。ポークコートレットだよ、いや、それ、全然違うってば。
 年末押し迫り、お前は何をしているのだと神様から静かなる細き声を140文字以内でつぶやかれつつ、寒風吹きすさぶ町を歩いていたら、いつになく、ごろーさんみたいに、腹が減ったのだ。

cover
孤独のグルメ
Blu-ray BOX
 おれ、あんまり腹が減らないおっさんなんだが、ここは、そうがつんと、ドンもので責めるか。がつん、どんどん。がつん、どんどん。ごろーさんみたいだな。
 そうしていたら、道のむこに、かつや、が、見えるじゃないですか。あれに見えるは、かつやじゃないか。かつや、と書いてある。イオンと書いてあるわけじゃない。
 かつや、か。それだ。
 前回、かつやで、海鮮カツ丼を食べたとき、猛烈に後悔したのだった。
 そもそもなんで海鮮カツ丼なんてものを食ってしまったんだ。いくら据え膳食わぬは男の恥といっても、そもそも据え膳じゃないだろ。自分で注文したんだろ。自己責任だろ。新自由主義だろ。あの時の自分は自分じゃなかった、なんて、男の台詞じゃないだろ。
 海鮮カツ丼。その甘美な響きにだまされた。カツ丼っていうから、カツが入っているのと思うじゃないか、普通。それ海鮮だ。迫り来るバルチック艦隊。ポークに海老、それに、牡蠣、どどーん、と連想してしまったのが死亡フラグ。期間限定とあるのも、アマゾンポチリ猿には、あとの祭りだよ。
 カツ、じゃ、ねーよな。これ。
 いや、カツか、カツなのか、これ。いや、これ、なんだ?
 海老フライ二つ。嘆息、嘆息。八年間、漁村でしかも海老の養殖所の近在で暮らした、おれは知っている。見知らぬ町で海老フライだけは食わないことにしようと誓ったのに。忘れていた。
 海老フライを囓る。
 だめだこれ。
 そして、牡蠣フライ。これは地雷だとわかっていて、ぐっと踏み込む。ぶっちゅう。
 そして、イカフライ。ああ、だめだめだ。
 こうなったら、どばどばと泥のようにソースをかけるしかないと理性を飛ばして、ヤンキー娘が泥レスリングできるくらい、ぶっかけた。
 食えない。食えないしろものになった。さんざんな目にあったのだった。
 あれから、三か月。リベンジの時を待っていた。前振りが長いぞ。
 迷うことはない。カツ丼だ。
 ソースカツ丼じゃないぞ。
 店内の脂ぎった熱い空気。戦場はここだ。
 「お一人様ですかあ、カウンターにどうぞ」とナースの言葉。
 カドの席に座る。思えば、これが最大の失敗だった。
 しかし当面の問題は、梅か竹かだ。
 松は、無理すぎる。
 梅か、竹か。それが問題だ。
 竹、食えるのか? 無理だろ。無理無理。理性を取り戻せよ。梅だよ。梅ちゃん先生。
 「梅」とおれは小声で言う。中国江西省の洞窟の中に取り残されたような、さびしい響きがした。
 かつやで、梅しか食えないのか、おれは。でも、しかたないな。
 あたりを見渡す。
 おっさんたちは、がっついている。だが、おれは、梅。これがおれの生きる道。梅。
 店は混んでいたので、カツの出も遅い。
 ポケットから、韓国製のスマホを取り出して、てろてれとツイッターを見ていた、その時だ。
 カドの、目の前の席に、おっさんが座ったのだ。おっさん? いや、爺さん?
 白髪交じりの髪はぼさぼさ。肌は皺くちゃで、あぶらけなし。カーキー色の汚いコートを羽織ったまま。おい、タイムスリップで昭和の神田古書店からやってきたみたいな男だ。そして、どことなく、インテリくさいのがたまらない。坂本龍一と新宿高校で同級生だったがよぉ、とか言いだしそうな爺さんである。
 おれより、年上だろうな。当然。
 いやこれで、おれもけっこうな爺さんだからな。ユニクロの薄手のダウジャケットとかぴっちっと着ていてもな。
 眼前に、おっさんの横顔。うへーなポジションである。見るなよ、おれ。と、ツイッターのタイムラインをすべらす。
 ははは、こちらは、ツイッターをばっち使いこなす(死語)、デジタルオヤジだぜ、と思った瞬間、アッパーカット。
 爺い、おもむろに、ずだ袋の書類のなかからタブレット端末を取り出した。
 え?
 そこでタブレット端末? ありかよ。
 何、機種なんだよ?
 と、思ったとき、そういえば、おれも鞄のなかに、先日買った、糞みたいなKindle Fire HDが設定途中で入れたたままだったことを思い出す。
 まずい。まずいな。
 なんてことだ。どうしてこんなときに、iPadを持ってこなかったのだ。
 ここでずしんとしたKindle Fire HDを出したら、おれの負けだろ、がちで。
 爺さんの機種ななんだ?
 まさか、Nexsus 7。だったら、おれの完全な敗北だ。
 いや、Nexsus 7 じゃないな、これ。分厚いぞ。
 この分厚い感は、レグザじゃあるまいか。最新型じゃないな。
 こ、これなら、Kindle Fire HDで勝てるかもしれない。しかし、おれのKindle Fire HDはWifiだが……しかし、この韓国製スマホのテザリングでなんとかなるはずだ。へいっ、こっちはノマドだぜ、ノ・マ・ド。
 そのとき、「梅」と声がした。
 ふっと、かつやに居ることを思い出した。
 おれは、かつやのカウンターでKindle Fire HDとスマホでテザリングしようとしていたのだろうか。むむむ。
 なんて悪夢だ。今は目の前のことに専念すべき時なのだ。かつやのカツ丼「梅」を無心に食う時なのだ。
 と、そのとき、またもアッパーカット。
 「竹」と爺いの声。
 竹、だと?
 竹、食うのか、爺い。食えるのか、竹?
 うああ、デジタルで負け、食欲で負け、女で負けるのか、おれ。あ、女は関係ないか。
 二発のアッパーカットを食らって、食欲も減退。
 梅ですら、食い切れないんだよ、おれ。
 その間、爺さん、ひたすら、分厚いタブレットを見ている。競馬速報か?
 といううちに、爺さんの前に「竹」出現。
 梅と竹と、こんなに量が違ったっけか。ずどどどーん。魚雷命中。
 沈んだな。北緯30度43分東経128度04分水深345m。
 完全な敗北だった。
 かつやの対決は終わりを告げた。
 梅すら食い切れなかったのだ。
 
 

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2012.12.29

Kindle Fire HDを買った話

 そういえば、19日だったか、Kindle Fire HDが届きましたよ。iPadもあるし、Kindle Paperwhiteもあるし、Kindle 3もあるというのに。それをいうなら、iPod touchとかAndroid端末も他にあるけど、うへえ。

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Kindle Fire HD
世界で最も売れている
7インチタブレットの後継機種
 Kindle Fire HDはどうだったか?
 もうトラブル続き。頭イテーという状況。
 いや、Kindle Fire HDが不良品とか故障とかいうのではなくてですね、クラウドサービスが大混乱していた。クラウドの連携がうまくいかないなんてもんじゃない。死んでたというレベル。なにこれ、七面鳥死んでいるじゃないですか、でも、焼いたら食えますよ的な状況。まいったのなんのって。
 困ったので、Amazonに連絡して連絡して……連絡して……迷路。どうなっとんのということで、いろいろやってみて原因は不明です。いまだまともに、Kindle Fire HDは使えません。
 ただしこれは、私だけの特殊な状況かもしれません。
 その前だったかに、いろいろ考えて、USアカウントと日本アカウントを統合した。決め手は、オーディブルに影響がないということだったので。マガジンはだいぶ悩んだんだけど諦めた。なんだかんだあって、この統合が、めっちゃ大変でした。今思うと、やっぱりやらないほうがよかったかなと悔やむくらい。
 いちおう、Kindle本については、日米アカウントが統合したので、以前買った洋書も最近買った和書も読めるようにはなった。そのくらい。あ、音読機能はKindle 3より優れていて、けっこう自然です。
 音楽は全然ダメ。アマゾンからすでに70曲くらい買っているけど、これがKindle Fire HDで死亡中。PCを経由すれば使えないことはないのだけど、Kindle Fire HDのサービスとしては最低な状態。困った。
 それにつづいて、ドキュメントサービスも死んでいた。もう勘弁してくださいよ、アマゾンさんという状況。
 そして、現在、梨のつぶて。
 それはないんじゃないのというので、たまに、どうですか、なんとかなりませんかねと声をかける。
 このまま、望み薄なんでしょうかね。
 それはそれとして、つまり、クラウドサービスは沈没という状況でKindle Fire HDを評価すると、まあ、普通です。
 アプリがグーグルプレイから購入できない仕様になっているのには、知っていたけど、こんなにアプリ少ないんだというのは、びっくり。裏技で、グーグルプレイを入れる手もありそうだけど、さらにめんどくさい状況になりそうなので、諦めた。
 結局、Kindle Fire HDはだめだめか?
 それが、そうでもない。
 ラジオとして使っている。Radikoはないのだけど、どうせ私はあまり民放聞かないので、NHKラジオが聞けるならいい。これも「らじる」がないのだけど、なんとかNHKラジオは使えています。Tunein Radioとかいうアプリで聞ける。
 ほいで、音が、いい。
 なるほど、ドルビーですかね。
 最初、やっぱ音も大したことないなと思っていて、放置していたけど、せっかくクリスマスなんでクリスマスソングでもぶちこんでみっかとやってみた。ちなみに、この作業でもトラブル続出。ファイル構造が違うから井桁の入った曲名とかでエラーになるのな。
 クリスマスんときは、それで、曲を流しっぱなしにしていた。
 慣れたら、そんなに音悪くない。いいんじゃないの、ラジカセ代わりです。
 そうそう、ラジカセが欲しかったんですよ。サンタさん。
 あと、アプリにろくなものがないけど、毎日一個、無料アプリというのがあって、ゲームが多いけど、じゃあというので、ゲームを落として、ゲームやってますね。ペンギン載った氷をしゃっしゃっと切るゲームとか、猫に追っかけられた鼠がロケットに乗るとか、まあ、そんなの。
 とりあえず、ラジカセだと思えば、Kindle Fire HDもそんなに悪くないというのが、とりあえずの結論。
 欲張らなければいいんですよ。ラジカセ、ラジカセなんです、これ。
 
 

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2012.12.27

第二次安倍内閣雑感

 第二次安倍内閣が誕生。率直な印象を言えば、これは事実上の麻生クーデターだったなということ。その割にはぬるい構成にも見える。考えてみると、麻生クーデターを最終のところで読み切ったのは谷垣さんだったかもしれない。
 別の言い方をすれば、この内閣の最大の敵は自民党内部だし、加えて、政治家経験の少ない新勢力所帯だろう。自民党は古くさい政党というより、民主党と似たような党になっている。壊れるときはちょっとした不和から、がっちょんといくかもしれない。
 第二次安倍内閣の当面の課題は金融政策である。その焦点について率直に言えば、来年4月8日に任期満了になる白川方明総裁の後任人事ということになる。誰か。
 元財務次官の大和総研・武藤敏郎理事長になれば、この内閣の行方はもう見切ったということになる。財務省主導型のなんちゃってリフレである。それでも民主党政権時代よりはマシかもしれないし、現実的に見ればそのあたりでしかたないかもしれない。財務省を敵に回して政権が維持できるとも想定しづらい。
 他に日銀人事には、伊藤隆敏・東京大学教授の声も上がっている。副総裁という声もある。武藤氏よりはよい人選ではないかとは思う(参照)。また、1.5%インタゲ論の日銀副総裁の経験者・岩田一政・日本経済研究センター理事長の声も聞くし、そのあたりは現日銀体制の許容だろう。普通にナンセンスな人事という意味で。あと、竹中平蔵・慶大教授の線は普通にありえないだろう。
 サプライズ人事は岩田規久男・学習院大教授だろう。内閣官房参与の国際金融担当に浜田宏一・米エール大名誉教授、本田悦朗・静岡県立大教授が入っているので、まったくあり得ないことではない。そうなったら、すげーびっくりするが。
 日銀人事は政局に近い話題なのでノイズも多く外部からはよくわからない。しかし概ね、武藤・伊藤という体制になりそうな感じはする。いずれ、その枠組みを見てから、第二次安倍内閣を評価しても遅くない。
 メディアではざっと見渡すと、慌てているようだ。いろいろ怨念もあるのか、参院選の仕込みなのか、わけのわからない第二次安倍内閣バッシングの兆候がすでに見られる。前回その路線で内閣をつぶせた成功体験をなぞっているという点で、極めて保守的な動向である。しかし、内閣官房参与にこの手の対応になれた、小泉純一郎元首相の政務秘書官を務めた飯島勲氏が入ったので、さすがに前回のようなぶざまなことにまではならないのではないか。
 現時点で第二次安倍内閣の問題があるとすれば、あまり議論を見かけないようだが、金融政策の基本方針と整合しない政策は何か、ということになる。他方、社会保障関係は三党合意で実質棚上げになっているのでさほどの課題ともなりえない。
 財政政策の観点からは、内閣官房参与として入った藤井聡・京都大大学院教授の国土強靱化政策や、甘利明・経済再生・社会保障税一体改革・経済財政政策担当相の動向が注目される。
 どうなるか。概ね、バラマキというのはこの政権の成り立ち上、避けられない。国土交通相に入った公明党の太田昭宏前代表もこの路線だし、麻生さんも基本、この文脈になる。むしろ金融緩和とのバランスの許容をどこまでと見るかということになる。少なくとも麻生さんは、経済成長がなければ消費税増税は無理という指針をすでに強く出しているので、民主党政権時代のように、早晩地獄が見える的な状況は回避されている。
 外交・軍事関連については、民主党鳩山政権のような派手なパフォーマンスはないだろうし、参院選までに派手な動きも出て来ないだろう。またここで中国や南北朝鮮が火元になって動いたら米国を刺激することになるので、それもないように思える。
 とはいえ、夏の参院選が近づくにつれ、前回安倍内閣バッシングのような状況は盛り上がるだろうし、そのなかで「やっぱり安倍政権はへたれたか」ということになっても何ら不思議ではない。
 しかし野党勢力は、バッシングよりも、違憲状態の選挙制度への協力の点で健全性が評価される。安倍政権がいわゆる右傾化するのであれば、健全な受け皿の指針は、選挙制度改革の視点から探るとよいだろう。
 
 

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2012.12.25

finalvent's Christmas story 7

 KFFサンタクロース協会にいくつか裏の顔があることは知っている。SEつまり「サイエンティフィック・エンカレッジメンツ」もその一つと言えないこともない。科学教育普及の看板を掲げているが、本当にそれだけが目的なのか。しかしマリーからSEの支援に行ってほしいという話が夏にあったとき、とりあえず引き受けることにした。その日がクリスマスなのも気がかりだった。
 支援先は、カイロにある英国国教会系のスクールで開催される講演会である。主役は2002年にノーベル生理学・医学賞を受賞したシドニー・ブレナーと、その弟子にあたるサミュエル・ショルマンという若い学者だ。彼もブレナーと同じヨハネスブルグ出身とのことだった。ブレナーの講演は以前一度聞いたことがある。非常に面白かったが、今ではもうけっこうなお年のはずだ。
 10年前と代わり映えのしないカイロ空港に着いてみると、ブレナーは出席できないとのメッセージが入っていた。最初からそういうことだったのかもしれない。結局当日は、ショルマンが一人、ミトコンドリアについての話をした。
 私はといえば、そのあとの分科会の教室に集まった20人ほどの高校生にSEからのプレゼントとしてウレタンで出来た細胞の模型を渡すことになっていた。直径40センチほどのボールで、内部の色とりどりのパーツは取り外しもできる。「細胞」と言われなければ、とても細胞には見えない。生徒に行き渡ったので簡単に説明することにした。
 「細胞を開けてみましょう。真ん中のこれが細胞核です。核膜に覆われています。これを幾重にも壁のように取り巻いているのが粗面小胞体。ショルマン氏が講演で語ったミトコンドリアは細胞核から離れて多数存在しています」など。
 説明していくことで、生徒も細胞の模型らしく思えてくるのではないか。
 生徒の一人が「模型でもミトコンドリアは原核生物のように見えますね」とさりげなく言った。長く黒い髪がコイルのようになっている。ユダヤ系の印象がある。
 私は「そうですね。そしてミトコンドリアのDNAは核のそれと異なります」と、生徒の関心をひいてみる。
 「ミトコンドリアが継いでいるのは母系のDNAだけ。そうですよね」と生徒は答える。
 私は「そうです」とゆっくり答える。
 生徒は私の目を覗き込むように「なぜミトコンドリアは細胞内に共生したのでしょうか?」と問いかける。この年代特有の顔つきだ。こんなとき大人は実は何も答えることができない。
 「科学は『なぜ』に答えるのが難しいのです」と私は言い、言葉を足す。「『どのように』というなら、リン・マーギュリス博士は、太古に二種のバクテリアが細胞に侵入し共生した結果だと考えました。最初の侵入で核が形成され、次の侵入で酸素をエネルギー源にできるようにしたという仮説です。」そう答えながら、昨年11月に亡くなったリンのことを思い出した。年を取ってもチャーミングな女性だった。
 「ハイパーセックス!」うしろにいた背の高い生徒が高い声で叫んだ。
 数名の生徒はまたかという感じで顔をしかめている。
 私はその生徒に「彼女の本を読みましたね?」と問いかける。
 生徒は即答する。「ドリオン・セーガンとの共著ですよ」
 「そうでした。よく勉強していますね」私はその生徒に答え、「しかし、共生をセックスとして理解するのは詩的な比喩ではないかと思いますが」と加える。
 すると先ほどの巻き毛の生徒が「セックスだからこそ、死を受け入れたのではないですか?」話に割り込んでくる。彼はふざけてはいない。
 「どういうことですか?」私はこの子の思いに関心が向く。
 「ミトコンドリアの共生は、多細胞生物にとって死の獲得でもあったと思うのです」
 「アポトーシス、つまり自死のことを言いたいのですか?」
 「仕組みはそうです。問題はその意味です。生命が生きるためにセックスをして死を受けれたのではないですか?」
 「詩的ですね」そう私はつぶやいてみたものの、その先をどう答えてよいかわからない。いつからか、私はそうした問いについて考えることをやめていた。いや、問い続けている自分を認めたくなかった。
 正直に「私にはわからない」と答えた。科学が答える疑問ではないと言うことは控えた。
 背の高い子はまた笑いながら「科学は『なぜ』に答えるのが難しい、のですね」と言う。さほどからかっているふうでもない。
 私は生徒たちを包む何かに自分が問われているように感じた。この生徒たちを生み出すに至った多数の死者たちが、問いかけているのかもしれない、なぜ私はここにいるのか?
 ふと気がつくと、生徒たちは、私が自分の内面に引きこもりそうになったのを少し心配げに見ていた。
 笑っていた生徒も、「気分を害されたのなら、申し訳ありません」と謝った。
 「いや、そんなことはありませんよ」と私は答えたが、それ以上は言葉が詰まった。
 分科会を終えて教室を去ろうとすると、あの二人の生徒が「メリークリスマス」と私に呼ぶように声をかけた。私は驚いて振り返った。
 「そうだったね、メリークリスマス」
 それこそが、ここに来た意味だったのだろう。それこそが、ここにいる『なぜ』の答えだった。
 問いかけ続ける者に祝福は贈り物として与えられる。私も受け取ることになっていたのだった。
 
 

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2012.12.18

[書評]フランクル『夜と霧』への旅(河原理子)

 cakesに連載している「新しい「古典」を読む/finalvent」の「【第6回】夜と霧(ヴィクトール・E・フランクル)」(参照・有料)を書いたおり、「夜と霧」についての書誌的な情報をまとめるのに、それなりに苦労した。日本語版の旧版は高校生以降読んでいたが、新訳は読んでいなかったので読み返した。ドイツ語が読めないのだが、幸い、英文献での資料が多数あり全体像は見えてきた。英語版も版の差を気にしながら二冊読んだ。

cover
フランクル
『夜と霧』への旅
河原理子
 本書、「フランクル『夜と霧』への旅(河原理子)」(参照)を読んだのはcakes書評の後なので、先にこれを読んでいたら、だいぶ書誌情報をまとめるのが楽だっただろう。私自身調べたが書評には書かなかった話が、本書には多数含まれているので、「夜と霧」を人生のともの書籍としている人は、一読されることをお薦めしたい。
 書誌的な情報で、原書に関連することや英書に関連することで、新奇に知った事項は本書にはなかったが、現在の定版の原書に二部として付されている哲学的戯曲「ビルケンヴァルトの共時空間」について意外なことが一つあった。邦訳の存在である。この点については新訳の池田香代子さんにツイッターで伺ったおり、邦訳がないとのことで残念に思っていたが、出版はされていないものの、2011年夏に邦訳が試みられたようだ。この部分はオリジナルを尊重して、現行の新訳に増補してもよいようには思う。劇として実演されてもよいのではないだろうか。
 書誌的な情報以外に、「第二章 フランクルの灯 読み継ぐ人たち」では、日本で「夜と霧」を読み継いでてきた人や、また、昨年の震災以降、本書を希望の杖としてきた人の話がルポ的にまとめられていて、読み応えがある。著者はAERAをへて朝日新聞編集委員をされているらしいが、ジャーナリストらしい手際が感じられる。
 「夜と霧」の読み込みに関連して、cakesの書評ででは簡素な指摘として、ブログのほうで指摘した「「夜と霧」の謎: 極東ブログ」(参照)件についてだが、「ダッハウの虐殺」については、本書では、ホフマン所長についての言及に留まっていた。
 著者もこの問題については調べてある程度知っていると推測されるが、本書の意向ともそぐわないという面はあるにせよ、もう少し踏み込んで書かれてもよかったかもしれない。
 もう一点、ティリィの妊娠については、私の読み落としでなければ言及はなかったように思われる。おそらくこの件についても著者の心に引っかかる部分ではあったと推測されるのだが。
 本書は書名が「フランクル『夜と霧』への旅」となっているように「旅」の記述や関係者への取材も読み応えがある。
 意外ということでもなかったが、著者は、フランクルの収容所体験をアウシュビッツ(現オシフィエンチム)のものとして読んでいたと述懐されてるが、旧訳を読まれたにそういう印象を持った人も少なくはないだろう。この点について、霜山徳爾氏訳には各収容所の簡素な説明があるものの、その後の研究を含めて、特に、収容所間での実質のコミュニケーションの実態なども含めて、地誌的全体像が見渡せる解説が読みたいところではある。
 著者はまた本書執筆を契機に、フランクルのロゴセラピーを学ぶようになったともあるが、その体験の深化もまた別の書籍で書かれることを期待したい。
 
 

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2012.12.17

2012年末衆議院選挙雑感

 総選挙が終わった。自民党の圧勝だった。まあ、前回の民主党圧勝も見たし、その反省から小選挙区制というもの仕組みも考えていたので、今回は自民党が圧勝はするだろう。ツイッターでも昨日の朝にちょっと呟いたように、自民党の絶対安定多数になるかが焦点かなと見ていた。
 民主党がもう少し小選挙区で奮闘するのかとも思ったが、蓋を開けてみると、どぶ板が理解できない人が多かったという印象があった。落選したみなさん、それなりにわかってもいたのだろうが、例えば、菅直人元首相にしても、どぶ板に入ったのは遅すぎた。どぶ板に入れなかった藤村官房長官の落選は可哀想に思った。
 どぶ板を理解していたはずの小沢一郎さんのグループはどぶ板の布陣が遅すぎたし、資金も足りなかった。反原発・反消費税の看板でなんとか戦えると思うほど、あの人は甘い人ではなかったら、子分の身の振りかたというか、就職斡旋みたいな気分だったのではないか。
 私は長いこと小沢さんのシンパだったので、小沢さんが昔言ったことを覚えている。正確な言葉ではないかもしれないが、こう言っていた、「政権交代をやってみたら、本当にいいものだということがわかりますよ」と。
 前回の民主党の政権交代には、ブログにも書いてきたように経済危機にあるときに政局に求められるのはモラトリアムだと思うので反対した。が、政権交代とやらが実施されて、昔小沢さんが言っていたように、いいものだと思えるだろうかというのは、心に引っかかっていた。
 民主党政権になってみると、失望の連続だった。そのこともブログに書いてきたので繰り返さない。そして、小選挙区制というのは、ダメな制度じゃないですか、小沢さん、とすら思うようになっていた。
 昨晩の選挙開票を見ながら、いや、昔の小沢さんが言っていたのはこのことかだったのかなと思った。政権がダメだったら、一気に潰して、反対党を安定多数に付けるという仕組みだったのだな、これはと。
 理屈ではわかっていが、実感としてわかったのにはもう一つ理由がある。
 私は比例は自民党に投票した。理由はすでに書いたとおりで(参照)、三党合意が問われる選挙で、名目成長率を上げることを実力ある政党が主張してきたのだから、まがりなりにも消費税増税を受け入れることができるだろう、という理由である。自民党を支持したわけではない。民主党が2%のインフレターゲットを明確に主張したら、民主党に入れた。
 民主党はその点、ほんと、だめだめだった。選挙戦でテレビを通してだが野田首相の演説を聞くと、成長する分野に投資すると息巻いた。「ああ、野田ちゃんはほんと経済がわかってないな」と落胆した。
 成長戦略分野がわかる政権というのは幻想だということくらい、社会主義計画経済の崩壊で僕らの世代が骨身に染みてわかったことだろ。しいて言えば、現在の中国が日本の昭和高度成長戦略の計画経済を強権で維持しているが、これができるのは発展途上の段階だけだ。
 私は、どぶ板選挙というのが嫌いだった。理由はうるさいからだ。また地元の利権を優先する政治というのも今一つ好きになれない。ところが、今回の選挙では、できるだけ、どぶ板に配慮した。
 比例は自民党に入れるとして、小選挙区のほうは自分が投票する人のツラを見て言葉を聞いておきたかったのだ。現実的には、小選挙区では民主か自民の二人しかない。そのどっちも何考えている人かわからない。
 自分の一票などたいした意味はないにせよ、自分としては、「この人をそれなりに信頼したい」という確信が欲しかった。結果からいうと、どちらの候補を見ることもなかった。「こりゃ、困ったな」という感じして、「ああ、小沢さんが昔言っていた、どぶ板の意味というのはこういうことか」なとしんみり思った。
 さて今回の選挙、蓋が開いていろいろ分析が出ている。自民党圧勝に目を向ける論者も少なくないが、私の見たかぎりでは、自民党が支持された兆候は、どぶ板への推測以外ない。
 政党としての自民党が支持されているふうにはまるで見えない。
 民主党へのげんなり感もあるだろうが、どぶ板の力のほうが大きかっただろう。自民党の候補者さん、前回落選したあと、私には届かなかったけど、それなりに地味にどぶ板に徹していたのではないか。
 ぶっちゃけいうと、どぶ板というのは、地元の利権を吹きまくることだ。民主党は、国の視点で清貧を語りすぎたし、そのことに野田首相は酔っていた。
 この点については、反原発・反TPP・反消費税を掲げていた政党も同じで、そんなものをどぶ板の現場では求めらない。どぶ板が直面しているのは、もっと具体的な困窮であり、カネ回してくれよ、仕事流してくれよ、ということである。庶民の現実の生活は、けっこう苦しいということが、国のレベルで理想を語る政治家さんや市民運動家さんはわかっておらんのです。
 どぶ板以外では今回の選挙の構図は意外とはっきりしている。NHKの報道で出口調査による前回と今回の支持政党のグラフがあった。左端が切れてしまったが、下が前回、上が今回である。

 一目瞭然と言っていい。自民党の支持は35%から32%に減少している。つまり、国民が自民党を支持しているということはまるでない。
 支持政党なしは21%から24%に増えているもの、大差と言えるものではない。公明党や共産党などほぼ組織票だけの政党も変化がない。
 変化があったのは、民主党が32%から19%に激減したことだ。その意味では、国民は民主党にげんなりしたというのがはっきりわかる。
 この民主党げんなり組がどこに流れたかも、はっきりしている。維新党など第三極である。特に維新党に流れた分で、公明党とためをはる政治勢力になった。
 別の言い方をすれば、政治に期待した人々、また、民主もだめだが自民もダメ(自民党は前回のダメ出しのまま)という人々は、民主党から第三極に流れた。そのことが選挙制度上、逆説的に自民党を利したと言えるだろう。
 選挙日までツイッターなどSNSでは「選挙に行きましょう、政治を変えましょう」運動を必死にやっていた人も目立ったが、投票率が増えても第三極が増えるくらいだっただろう。そもそも投票率が低かったのも、政治にげんなりが多かったからだ。
 趨勢からすると民主党と自民党の支持が削れ第三極に流れるという傾向はあったと見てよく、この傾向を止めるという意味だけで見るなら、野田総理の自爆解散には効果があったと言えないことはない。が、普通自党の自滅を促す党首がいるのかというと、ありそうにもない。
 民主党って最後まで変な政党だったなとも思ったが、昨晩遅く出て来た岡田克也副総理を見ていると、なにか憑きものが落ちたような顔していて、彼は案外ここまで読んでいたのかなとも思った。岡田さんが、一番、こんな民主党じゃなかったと思っていたのではないか。日本の現状の政治は全然ダメだ、とりあえず日本の政治の針を戻そう、としたのではないか。
 そのあたり野田さんはどうだっただろうか。敗北会見で目元うるうる涙を堪えて声を詰まらせていた野田総理がどこまで、岡田さんの意図を汲んでいたかわからない。案外二人とも、純朴に民主党の再起を思ってて自爆しちゃったのだろうか。
 圧勝した将の安倍晋三自民党総裁は、三党合意という言葉は出さなかったものの、民主党との合意を守る旨の発言があった。安倍さんはこの勝利に酔ってないし、三党合意という基本線が維持されていることは見て取れた。
 話を出口調査に戻すと、これがどう比例に反映したかというと、そのままきれいに反映していた。

 きちんと自民党という政党が支持されていないことが見て取れるし、民主党にダメ出しがあったことがわかる。
 その意味で、自民党という政党が政策面で国民に支持されたということは全くない。今回の選挙を、自民党の勝利ゆえに右傾化であるとか言っている欧米のメディアとかは、頭悪いなあとしみじみ思うが、そもそも日本の政治に無関心だからでもあるのだろう。
 今後の自民党政権だが、当面、実質面だけ見れば、一部、わけのわからない議員はいるにせよ、とりわけ右傾化につっ走るということはないだろう。参議院対応や参院選の抑えもあるが、公明党との連携がストッパーになっている。これが公明党を外して、自民党と維新党が連携すれ事態になれば、ちょっとそれはどうかなということにはなるだろう。だがそれ以前に、維新党は、選挙後の橋下さんと石原さんの意見の食い違いや、感情的な高ぶりなどを見ていると、調和してまともな政策を維持できるとも思えないので早晩、分裂するか自滅するのではないか。
 むしろ自民党政権としては、金融・財政政策で比較的に短期間に、特にどぶ板に答えなくてはならない。
 財政面では、ようするにバラマキをするだろう。残念なことにというべきだが、反原発の根幹的な問題はそれを使ったバラマキのシステムなので、いろいろ批判されるような泥まみれにもなりそうだ。
 金融政策面では、日銀勢力の抵抗がかなりきついだろう。いわゆる反自民勢力もバッシングの支援に使うと予想されるので、特にマスメディアではろくでもない騒ぎになるだろう。マイルドインフレの兆候や局所的なバブルが発生するとマスメディアが発狂したような騒ぎを起こすのではないか。
 そんななか上手に、安倍自民党政権が、安定政権として維持できるかだが、冷静に考えると難しいと思う。財務省側が、意外と今回は安倍政権のフォローに入るかもしれないし、それが一番、政権を支えることになったりするかもしれない。

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ドミニオン:暗黒時代
日本語版
 こういうのを暗黒時代というのでしょうかね。ちょうどそういう名前のドミニオンのカードセットが今日あたりに届くので、そんなことも思ったけど。いわく、「何らかの理由で没落してしまった領主たちが、逃れてきた土地で再起を夢見て困難に立ち向かう」。ちなみにこのセット拡張セットなので、「ドミニオン」「ドミニオン:陰謀」「ドミニオン:基本カードセット」のどれかが必要になる。
 

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2012.12.13

マリ共和国への国連安全保障理事会による軍事介入計画

 西アフリカのマリ共和国の状況について国内ではあまり報道がなく、考えようにもよるのだが深刻な事態になっている。このブログでは4月26日エントリー「マリ共和国で起きていること」(参照)で言及したが、その後の状況、特に、国連安全保障理事会による軍事介入の計画について補っておこう。

 前回触れたように3月22日、西アフリカのマリ共和国で軍部のアマドゥ・サノゴ大尉が率いる「民主主義と国家の再建のための国民委員会」(CNRDR: the National Committee for the Return of Democracy and the Restoration of the State)によってクーデターが発生した。
 これによってトゥーレ大統領はネガルへ出国。4月に議会議長だったトラオレ氏が暫定大統領に就任。8月にCNRDRの関係者を入閣させた国民連合内閣が成立し、暫定首相にはディアラ氏が就任した。
 この3月のクーデーターの混乱に乗じて、北部独立を掲げるトゥアレグ人勢力は攻勢を強め、北部ガオ州の州都ガオを掌握。さらに世界遺産の都市であるトンブクトゥ制圧し、北部の主要都市を掌握した。
 トゥアレグ人勢力は二系ある。北部に「アザワド」という国家の独立を求める遊牧民トゥアレグ人の武装組織「アザワド国民解放運動(MNLA: National Movement for the Liberation of Azawad)と、アルカイダ系イスラム過激派「アンサール・ディーン(Ansar Dine)」である。
 中部都市トンブクトゥはこの時点で、アンサール・ディーンがMNLAを追い出して支配下に置き、マリ共和国北部から中部はアルカイダの新しい拠点になっていった。
 前回にも触れたが一連の政変は、カダフィのリビアを西側が潰したことの余波であり、カダフィ大佐の傭兵が大量の武器をもってトゥアレグ人勢力に荷担したせいであった。
 いずれにせよリビア崩壊が、マリ共和国北部から中部はアルカイダの新しい拠点をもたらしたのだが、このアンサール・ディーンは指導者の縁故を含め、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQMI: Al Qaida au Maghreb Islamique, AQIM:Al-Qaeda in the Islamic Maghreb)」と関連がある。
 ここでオバマ米政権がスピンをかましたベンガジ事件を思い出してほしい(参照)。あの事件は、オバマ政権が当初ふかしていたムハンマドを冒涜する映画に対するイスラムの怒りではなく、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQMI)」の関与があったと見られる。
 どういうことなのか。
 西側がもたらしたリビア崩壊が、新しくマリにアルカイダの拠点を生み出したということだ。
 現状マリでは、民間人40万人が難民になり、5歳以下の子ども60万人に栄養失調状態にある。人道危機と言ってよい。
 ここにきて12月10日、ディアラ暫定首相だがサノゴ大尉の指示で、身柄を拘束された(参照)。背景にあるのは、マリの政情不安である。
 国際社会がまったく手をこまねいていたわけではない。10月の時点で国連安全保障理事会が軍事介入を検討している。10月13日付け朝日新聞「安保理、マリ軍事介入への計画求める 国連・AUに」(参照)より。


【ニューヨーク=中井大助】無政府状態が続くマリ北部をめぐり、国連安全保障理事会は12日、国連やアフリカ連合(AU)に対し、45日以内に軍事介入の計画を策定するよう求める決議を全会一致で採択した。計画が策定された後には、改めて軍事介入を承認するための決議も検討するという。
 マリでは3月にクーデターが起きた後、北部をイスラム武装勢力が支配。フランスが提案した決議は、アルカイダ系を含めたテロ組織の活動を指摘、周辺国を含めた治安の悪化につながる可能性を懸念している。事態を解決するため、潘基文(パンギムン)事務総長が西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)とAUに要員を派遣し、介入計画を策定するよう求めている。

 45日が過ぎたのだが、どうなっているのか。
 11月14日共同「マリ軍事介入計画を承認 アフリカ連合」(参照)より。

 エチオピアからの報道によると、アフリカ連合(AU)は13日、イスラム過激派らに北部を掌握されたマリに対する西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の軍事介入計画を承認すると表明した。
 同計画では、ナイジェリアやニジェールなどから兵力3300人の部隊をマリに派遣予定。AU平和安全保障委員会のラマムラ委員長は、AUの承認により、ECOWASに属していない他のアフリカ諸国からの派兵も可能になると記者団に述べた。
 ECOWASは、国連安全保障理事会の承認が得られ次第、部隊を派遣するとしている。(共同)

 その後はどうなったのだろうか。国内報道からは見えないようだ。
 12月10日のVOA「UN Security Council Has Growing Concerns Over Sahel」(参照)を読むと微妙にもたついているようだ。年内にはなんらかの動きはあるのかもしれない。問題は資金のようでもある(参照)。また、ダルフール危機でも見られたが広域に軍の展開が難しいという技術上の問題もあるのかもしれない。
 米国オバマ政権としても、人道危機とはいえ、また失態を重ねかねないアルカイダと事態に関与しなくないというのもあるのだろう。
 
 

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2012.12.11

他に適任者がいないなら安倍首相でしかたがないかというのがフィナンシャルタイムズ

 3年前、民主党への政権交代を勧めていたフィナンシャルタイムズは今度の衆院選挙をどう見ているのか気になっていたが、9日付け社説「帰ってきた安倍(Abe’s return)」(参照)に、表題のように安倍晋三の復帰として論じていた。概ね、他に適任者がいないなら安倍首相でしかたがないかという主張のように受け取れた。
 フィナンシャルタイムズに言われると、戦争の歴史を恥じもせず「美しい国」とか掲げて無様に失態した安倍がまた出てくるなんて、想像できた人も少ないだろうと、いきなり、かます。
 どうしちゃったんだ日本ということで、3点ほど理由が挙げられている。
 まず、国際状況は変わった。尖閣問題である。こうした状況では、憲法改正や軍事費増強を狙う安倍の主張も理があるみたいだ(His view looks reasonable)と。
 二点目は、政権交代した民主党がげんなりする出来だったこと(the lousy performance)である。日本国民は民主党は自民党よりはましだと思っていたと。
 三点目は、安倍は、日銀改革を迫り、2から3パーセントのインフレタート政策を掲げ、デフレ克服にやる気満々であることだ。中銀の独立を脅かさないなら、大胆なインフレ政策は好ましい(his bolder stance on inflation is to be welcomed)。むしろ、リフレ政策の主張を今の時点で弱めたのは早すぎだ(If anything, he has backtracked a little too quickly.)と。
 全体として安倍への評価はどうかというと、前回の手ひどい失態を思えば、幻想を抱かないほうがいい(No one should be under any illusion)とのこと。国内的には指導力もなかったし、対外的には、彼が誇る日本の戦時には性奴隷がいた恥ずかしいものだった、と(such as the Imperial Japanese Army’s routine use of sex slaves – was shameful and caused justified anger among neighbours.)。
 では、安倍はやめとけということかというと、結語がなんとも奇妙なものである。


That Mr Abe now looks like the best candidate available is the result of two things: China’s misguided foreign policy, and the sorry state of a Japanese political system unable to produce someone better.

安倍氏が首相候補として最善に見られるのは、二つの帰結である。一つは、中国の対外戦略の失敗であり、もう一つは彼よりましな人選ができない、日本政治の残念な状況である。


 よく言うよねというか、これって裏を返せば、まずもって現在の野田首相けちょんけちょんということ。そして、自民党の石破幹事長もダメダメということだ。ましていわんやおやおやおやと。
 総じて久しぶりに目の覚めるようなフィナンシャルタイムズのダメな社説の典型例みたいなものだったが、それでも共感できないでもない。
 もう少しポジティブに書くなら、日本を追い込んだのは、中国だろうということになるが、そこはフィナンシャルタイムズらしいヘタレがあるわけで、日本へのクサシとどっこいどっこいでしかない。
 それに中国の反日デモという事実上の謀略に引っかかったのは、民主党政権なのだから結局は民主党の自滅でもあった。民主党政権は中国との多面的な実チャネルを失い、メディアを通して事実上工作される「危険な国粋主義者・石原慎太郎論」にひっかかり、これを排することが中国政府への忠誠だと思い込まされて謀略を踏み、失態した。本来なら、中国の政変時期に日本政府は動いてはいけなかった。
 これだけヘタレたフィナンシャルタイムズの社説ではあるが、安倍のインフレターゲットは実質支持していると読んでよいし、ようするに、それを打ち出せる、実力ある政党が不在であるということが残念な状況というのは、いたしかたない。
 
追記
 JB Pressに全訳が掲載されていた。
 「社説:安倍氏の首相返り咲きが意味すること」(参照
 
 

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2012.12.10

「じれったい」

 たぶん明日、cakesの連載で林真理子『ワンス・ア・イヤー』の書評が掲載される予定で、その次は向田邦子『思い出トランプ』の予定。どちらも大作を書くつもりもなかったのだが、文章が長くなってしまった。ご関心あるかたはどうぞ。
 cakesの書評では、対象作品を知るために関連作品も読むことにしているし、実際のところ、そのための読書にけっこう時間を割いたりもする。1981年に亡くなった向田邦子については、私の世代だとテレビなどでも本人を見ていて、その肉声も知っているのだが、もう一度聞いてみたいと思った。
 こういうときネットは便利なもので、違法ではあるのだろうが、ユーチューブにいくつかあった(参照)。が、肉声を聞けたか聞けないか、イエスかノーかという話が、肉声を聞くという意味であるわけもない。新潮から出ている「言葉が怖い(新潮CD)」(参照)を聞いてみた。昔カセットで出ていたものである。76分ある。面白くってさらっと聞ける。それでいてじんとくる。

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言葉が怖い 新潮CD
 ちょっと勘違いしていたこともあった。向田邦子の講演というのはけっこう多数あるものだと思っていた。が、そうではないらしい。「講演嫌いの向田さんが亡くなる半年前に行った講演会の模様を収録した貴重な声の記録」とあるが、聞いてみると、手慣れた話口調であるし、人を聞き入らせるのが上手だとも思うが、それほど多数の講演をこなしてきた人ではない躊躇が感じられた。
 亡くなれる半年前の声というのも印象深かった。50歳であろうか。けっこうなオバサンさだなとも思うが、私は55歳である。彼女は冬の季節の手前に生まれたから、存命なら83歳である。おばあさんと言ってよい年だが、生きていたらまだしっかりと語られたことだろう。
 講演は、『父の詫び状』形式というでもいうのか、ちょっと気を引く感じだがやや緩い結合の挿話をいくつかまとめて、主題「言葉が怖い」、言葉というのもの怖さをその年齢で知るようになったということ、を伝えている。
 興味深い挿話が続くのだが、最後のほうに出てくる「じれったい」という言葉についてなかでも興味引かれた。ふと、向田さんの講演は、中森明菜の「少女A」の前だっただろうかというのも気になった。
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中森明菜
「Best★BEST」
 調べてみると、歌のほうは1982年であった。向田さんの講演が先だったのである。するとあの講演が阿木燿子に影響したのかと一瞬思ったのだが、そう、勘違い。この作詞は売野雅勇であった。

じれったい、じれったい
何歳に見えても、私、誰でも
じれったい、じれったい
私は私よ。関係ないわ
特別じゃない。どこにもいるわ
わたし、少女A

 中森明菜の曲を思い出したのは、「じれったい」が少女の言葉とされていることだ。
 向田邦子の講演では、「じれったい」の言葉が、少女、といっても、七、八歳だろうが、そのつぶやきから出たのを驚いたとしていた。
 脚本家として向田邦子は、何千本も脚本を手がけながらも、一度も「じれったい」という台詞が書けなかった。書こうとすると、艶っぽい大人の女の言葉を想定してしまいがちだった。が、実際には、幼い女の子でも使うのを見て驚いたというのだ。
 ちなみに中森明菜の年代の女性に「じれったい」とか言う?ときいてみたが、使わないとのことだった。私も、しばらく、「じれったい」という言葉を聞いたことがないなと思っていた。それとこれは、女性の言葉だと思っていた。
 手元の辞書を引いたなかで、大辞林に用例解説があった。ネットにもある(参照)。

[用法]じれったい・[用法]はがゆい――「一向にはかどらなくてじれったい(はがゆい)」「自分の気持ちが伝わらなくて、何ともじれったい(はがゆい)」のように、思うようにならなくて、いらいらする意では相通じて用いられる。◇「じれったい」は、その気持ちの生じる状況に対し、自分では手の出しようがなく、いらだたしい思いがつのる場合に多く使われる。「私が行ければいいのだが、ほんとうにじれったい」◇「はがゆい」は、他の人のすることを見て、何をしているのだといらだたしく思う場合に多く使われる。「一度の失敗であきらめるとは、はがゆい人だ」◇類似の語「もどかしい」は古くからの語で、「じれったい」「はがゆい」と同じように使うが、文章語的である。「上着を着るのももどかしく部屋を飛び出した」のように、心がせいて何をする時間も惜しいの意は他の二語にはない。

 女性言葉だという説明はない。他の辞書だと「じれったい試合だ」というのがあり、なるほど、その文脈なら、昭和のおっさんが言いそうでもある。が、それでも基本的にこれは女性言葉のように思える。
 この言葉には、性的な関係の含みがあると思う。男に対して「ああ、じれったい」、あるいは、年下に対して「ああ、じれったい」と言うのだろう。
 男の私としては、私が特例なのかもしれないが、いらいらする、はがゆい、もどかしいという語感はあっても、「じれったい」という語感の内実はよくわからない。
 もう一つ連想することがあった。天理教の開祖、中山みきの天啓によく「たすけ、せきこむ」というのが出てくる。「あしきをはらうて、たすけせきこむ、いちれつすまして、かんろだい」というあれである。といって、通じる人は少ないかもしれないが。
 このアージェントでありながら、性的なせっつき感のなかにみきの本領もあるのだろう。神は人間を「じれったい」と見ているのだろう。
 日本語の辞書が十分に「じれったい」を示していないので、英語でなんというのかも気になってみたが要領を得ない。annoying、frustrating、irritating、provoking、tantalizing、vexatious……どれも違うような感じがする。
 じゃ、なに? というところで、ふっと、"You, piss me off!"という言葉が浮かんだが、それだと「むかつくわ」という感じのほうが濃いのだろう。
 「じれったい」という言葉が使われる世界が日本でもなくなったかといえば、そこはよくわからない。シチュエーションによってはありそうだし、英語でもありそうには思う。
 ただ、つきつめてみると、女が険のある顔で「じれったい」と男に言うような状況は、もう日本にはないんじゃないか、という気がする。
 
 

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2012.12.08

子どもがないと寿命が短くなるらしい

 一昨日、子どもない夫婦は寿命が短くなるらしいというニュースをBBCで見かけて(参照)、そんなものかなと思った。そのうち日本でもこのニュースが話題になるかなと見ていたが、まだ自分の見渡す範囲にはない。では、ブログのネタに拾っておきましょうか。
 この手の話題はネタ元の信頼度が重要なので、なによりもそのあたりを洗ってみると、BMJ「疫学と地域医療誌」だった(参照)。かなり信頼できそうなので、話題を追ってみる。
 研究は、1994年から2005年の間、デンマークで体外受精(IVF)を試みた2万1276の子供のない夫婦を対象に、子どもをもつことができた人とできなかった人を比較した。
 生まれた子どもは、1万5149人。死んだ人は、女性が96人、男性が220人。結果だが、子どもを持てなかった女性の早死が四倍高かった。男性は二倍ほどである。
 若くして死ぬということより、寿命が短くなると解釈してよさそうだ。
 子ども持った人たちのほうが、疾病や事故が少なかったと言える。
 研究の枠組みからわかるように、これはあくまで、体外受精までして子どもが欲しかったけど、もてなかった人に限定されている。不妊治療はしたけど体外受精はしなかったという人は対象にはなっていない。
 研究の枠組みからして当然とも言えるのだが、因果関係は示唆されていない。子どもをもたないと寿命が短くなる、というような話では全然ない。
 ざっくり言うとどうか。
 子どもが得られた人のほうが健康であったとは言えそうだ。
 逆に体外受精に失敗した人は精神的にダメージがあったと考えることもできるかもしれないが、いずれにせよ、その手の解釈は根本的に間違っているのかもしれない。
 精神疾患発症率の観点からみると、子どもをもった人々とそうでなかった人々には差は出て来ない。が、養子をもらった夫婦の場合の精神疾患は半減したようだ。
 どういう形であれ、子どもをもつことは精神の安定に貢献しているとは言えそうだ。
 個人的な印象でいうと、子どものない夫婦の場合のほうが行動範囲が広がるので、その分、病気とか掛かりやすかったり事故に遭いやすいというだけのことではないかと疑った。しかし、そう言うためには、行動範囲を因子とした別の研究も必要になるだろう。
 
 

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2012.12.04

最先端癌治療の費用対効果の話題

 昨日NHK報道に触れて癌医療の話題を書いた。NHKとしては癌治療の最新の話題を伝えるという趣旨から「新治療が期待される」というまとめで終わり、それが現行の臨床にどのような意味を持つかについては言及されていなかった。ニュースの範囲を超えるとも言えるが、臨床との背景でニュースの意味があると言えないこともないのではないか、とも思われた。
 癌治療で臨床との関係で欧米で近年問われているのは、保険料や公的補助との関わりである。特に英国では癌最新医療について公的補助が認められないというニュースをこの数年よく見かけた。
 「なにが最新治療か」という観点からではなく、「癌の最新治療において、臨床と公的補助はどうあるべきか」というのはやっかいな問題なせいか、日本ではNHKを含めてあまり見かけないように思う。

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Newsweek (ニューズウィーク日本版)
2012年 11/28号 [雑誌]
 そうしたなか、Newsweek日本版の今週号に邦題で「癌患者が買うわずかな余命の高すぎる値段」との記事が掲載されていた。英語は「FOR LIVING JUST A LITTEMORE」あるが、今年8月に出された元記事はネット上では現在、「The Cancer “Breakthroughs” that Cost Too Much and Do Too Little」(参照)となっている。この手の記事は抄訳化されることが多いので、原文と付き合わせたが、大きな変更はなかった。癌新治療と公的補助の関係について関心のあるかたは読まれるとよいだろう。
 翻訳記事は抄訳とは言えないもの、治療費についてはドル表示のままで、他分野の記事ならよくあるように日本円でいくらという補足はなかった。意図的なものでもないだろうが。
 記事は今年米国で認可された分子標的薬「パージェタ(Perjeta)」から切り出される。

 だがベス・イスラエル・ディーコネス医療センター(ボストン)の癌病棟を率いるシュニッパーにはわかっていた。パージェタで癌が消えるわけではない。同様な分子標的薬「ハーセプチン」と併用しても、平均的なケースでは半年もすればまた癌細胞が暴れ出すだろう。
 その程度の効果なのに値段は驚くほど高い。たいていの場合、ざっと18万8000ドルは掛かる。「誰だってゾッとする」金額だ、とシュニッパーは言う。

 抄訳されているわけではないとしたが、原文の含みは多少違うので参考にあげておこう。

As the chief of oncology at Beth Israel Deaconess Medical Center in Boston, Schnipper knew Perjeta was not a cure: added to a standard treatment with Herceptin—another targeted therapy that was hailed as a breakthrough in 1998—Perjeta gives the average woman only about six months more of calm before her disease starts to stir again. Given the limited benefit, the price was startling. For most women, a full course of the drug combination will cost $188,000—enough, he says, “to give anybody a cold sweat.”

ベス・イスラエル・ディーコネス医療センター(ボストン)の腫瘍部長シュニッパーはパージェタが治療ではないことを知っていた。それを、標準治療として1998年に画期的として歓迎されたもう一つの分子標的薬「ハーセプチン」に追加することで、平均的な女性の場合、その病気が再発するまでもう6か月の平穏が得られるだけである。利点は限定されるが、価格は驚くほどだ。たいていの女性の場合、この医薬品の組み合わせは18万8000ドルもかかる。「誰だって冷や汗が出る」と彼は言う。


 日本円にしてだいたい1550万円ほどである。
 他はそこまでいかないが高額である。

 癌治療は高くつく。しかも新薬の価格はうなぎ上り。保健会社ユナイテッドヘルスケアによると、肺癌治療に使う標準的な薬の価格は、以前なら月額1000ドル程度だった。しかし今は、約2カ月の延命に6000ドルから1万ドル掛かる。

 お金持ちが医療費に糸目をつけないというはわかるが、こうした最先端の癌治療の費用はどうしても保険や公的補助の関係で論じられることになる。特に、医療に対して公的補助の厚い国では、日本は例外のようではあるが、議論課題として公的に出されるし、報道される。
 英国では、乳癌に対するアバスチンの保険適用が認められないことになった、と同記事にはあるが、米国ではFDAは私の記憶ではこの適用をそもそも認可していないはずだ。また英国では大腸癌についての適用も外される方向だったはずである。
 記事の結語は、ユナイテッドヘルスケアのリー副社長の言葉が引かれる。

 「持続可能な医療保険制度を築くつもりなら、社会全体の問題として議論すべきだ。あと15年もすれば、保険料支払いのために現在の1年分の給料に等しい額を稼がなくてはならなくなる」と、彼は言う。「もう議論を先送りしている余裕はない」

 最後の一言の原文は、“We’re going to have to have the discussion”なので、普通に「私たちはこの議論を開始すべきだ」ということである。この議論とは、癌最先端医療に対する保険料、また公的補助の限界ということである。
 おそらく日本でもそうした状況にあるだろうし、政党はこれらのビジョンを持たなければならない。
 という観点から今回乱立した政党を見るのだが、どこかで、何か示唆されるべき見解があっただろうか。
 
 

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2012.12.03

突然お茶の間に出て来た癌幹細胞説

 想定していなかったものが無前提に突然、公衆の前に現れると、びっくりする。いや、そういう言い方じゃ、ちょっと誤解を招きそうだ。今日びっくりしたのは、NHKのニュースの話である。「がん幹細胞を見つけ出す方法開発」(参照)というきちんとした医学研究のニュースだ。何にびっくりしたか? タイトルにある「がん幹細胞」である。
 率直に言うと、私は「がん幹細胞」説を追ってきたし、もっと率直にいうと幹細胞やiPS細胞との関連もいろいろ素人なりに推測したり、さらに進化論的な意味についても海外研究も追ってみたりしているので、ある程度、知っている。
 この「ある程度、知っている」ということは、これを日本の一般社会に伝えることは難しいことだろうなという了解を含んでいる。うかつには言えないなあ、と。
 ところが、今日、NHKのニュースで、ぽろりんと「がん幹細胞」が出て来てしまった。それでびっくりした。みなさん、これ、なんのことかわかりますか?
 わからせるように伝えるのが、みなさまのNHKなのでニュースを見てみよう。


 がんを作り出すと考えられている細胞「がん幹細胞」を見つけ出す方法を、京都大学の研究グループがマウスを使った実験で開発し、がんの再発を防ぐ画期的な治療法の開発につながる可能性があると期待されています。

 「がん幹細胞」というのは、「がんを作り出すと考えられている細胞」といきなり来る。正確な表現ではあるのだけど、ようするに、これ、「と考えられている」ということ。つまり、学説の一つである。
 問題は、その学説の一つの背景がどのくらい、日本の社会、あるいは医学界の常識として認められているかが理解されていないと、このニュースの価値がわかりにくい。
 どのくらいだと思いますか? 「がん幹細胞」は定説?
 私の認識では、定説ではない。
 私の認識では、たぶん、これが正しいとは思う。
 そういうことは、古事記偽書説同様、よくあることなので、自分の考えと世間の考えを分けて考えるのだけど、そのあたりの区分をNHKはどう考えるか。NHKなり報道の立場を明確にしないうちに、ぽろりと出てくるというのは、びっくりしたなあ、もう、という話である。
 私だけがびっくりしているのかと思って、ちょっとネットをみたら、薬事日報という専門サイトのコラムで次のように、そもそも「がん幹細胞」にびっくりしている例があった(参照)。

癌幹細胞を標的に
◆これを聞いたとき「癌に幹細胞などあったのか」と思った。中外製薬が先月、世界で初めて大腸癌幹細胞の細胞株を樹立したと発表した。患者から摘出した大腸癌組織を免疫不全マウスに移植した後、「LGR5」と呼ばれる膜蛋白質を指標に幹細胞を取り出し、細胞株の樹立に成功した
◆癌の根治が難しい原因には、少数の癌幹細胞が性質を変化させて治療に抵抗して残存し、生体環境が癌幹細胞に都合が良くなると増殖を再開するメカニズムがあること。中外の実験結果からも、再発や転移、薬剤耐性などに癌幹細胞が関与している仮説が裏づけられた
◆これが本当なら、有望な創薬標的になる。大日本住友製薬は米ボストンバイオメディカルを買収し、癌幹細胞標的の低分子抗癌剤を獲得。一方、エーザイは、米バイオベンチャーと癌幹細胞を標的とする新規Wntシグナル阻害剤創出に向けた共同研究契約を結んだ

 薬事日報は医学サイトともいえないので、しかたないが、それでも一般社会よりは医療に接近しているにもかかわらず、「癌に幹細胞などあったのか」という認識なので、まして一般社会では知られていない学説であると言ってもよいだろう。なお、「中外の実験結果からも、再発や転移、薬剤耐性などに癌幹細胞が関与している仮説が裏づけられた」は勇み足だろう。ついでに言うと、時事「がん幹細胞のマーカー特定=新たな治療法開発に期待―京大」(参照)の「がんの治療には、がん細胞をつくる幹細胞を根絶する必要がある」も言い過ぎ。
 「がん幹細胞」説をどう捉えるか。
 別の言い方をすると、というか、わかりやすい例だと思うのだけど、「がん幹細胞」説が、仮説として腸内造血説(血液は腸内で作られる)とどのくらい違うのか。医学的に妥当か。
 端的にいうと、腸内造血説というのはトンデモ説(珍説)だし、それがトンデモ説である説明はググってもわかる程度の話なのだけど、さてでは、「がん幹細胞」説はトンデモ説ではないと言えるのか?
 エビデンスの有無がまず問われる。腸内造血説にもエビデンスがあるという愉快な話はさておき、「がん幹細胞」説のエビデンスはどうかというと、私の認識では、急性骨髄性白血病ではほぼ確認されていると見てよい。分子標的同定の研究も進んでいる(参照)。
 問題はそれが他のタイプの癌についてどの程度当てはまるか? というのが問題の核心で、私の理解ではそこに十分定説が存在していない、ということ。後に触れる近藤誠氏の著作でも指摘があるが、大腸癌や乳癌でも概ねあると言ってもよさそうであるが。
 そこでNHK報道なのだが、こう続く。

 この研究を行ったのは、京都大学大学院医学研究科の千葉勉教授らの研究グループです。研究グループでは、マウスの大腸がんにあるDclk1というたんぱく質に注目し、特殊な方法で色をつけて詳しく調べました。
 その結果、このたんぱく質を持つ細胞が、がん細胞を次々に作り出していることが分かり、がん幹細胞と確認されたということです。
 また、このたんぱく質は、通常のがん細胞にはないことも確認され、Dclk1ががん幹細胞を見分ける目印になることが分かったとしています。
 Dclk1は、ヒトの大腸がんにもあることから、研究グループでは、これを目印にがん幹細胞を集中的に攻撃することができれば、大腸がんの再発を防ぐ画期的な治療法の開発につながる可能性があるとしています。
 研究を行った千葉教授は「Dclk1がヒトの大腸がんでも、がん幹細胞を見わける目印になることを早急に確認したい。新たな治療法の開発につながると期待している」と話しています。

 この研究の前提だと、大腸癌に癌幹細胞が存在するということになっている。おそらくそれで正しいのだろうが、それでも「と考えられている」という学説としてどう、受け止めたらよいか。
 ここからちょっと私なりの考えの補足をしたい。つまり、このニュースの意義と含みである。
 ニュースのなかに、「このたんぱく質は、通常のがん細胞にはない」という表現があり、ここで「通常のがん細胞」という概念が出てくる。
 そもそも「がん幹細胞」説が治療において重要なのは、「がん幹細胞」と「通常のがん細胞」を分ける点にある。
 裏面からいうと、現状の治療現場では、一部の分子標的薬の事実上の効果の背景を別にすると、「がん幹細胞」と「通常のがん細胞」は分けられていない。繰り返すと、臨床においてはこれは分別されていない。
 現状、固形腫瘍の標準的な治療で使用される抗癌剤は、腫瘍縮小を目的としているが、「がん幹細胞」説からすれば、これは「通常のがん細胞」を攻撃していることになる。
 あまりいい比喩とはいえないが、昔のコマーシャルに「くさい臭いは元から絶たなければダメ」というのがあったが、充満している臭いを打ち消しても、臭いの発生源があるかぎり、臭いは続く。同じように、「がん幹細胞」説からすれば、これは「通常のがん細胞」を攻撃して、癌を除くという意味での治療にはならない。
 この構図をさらに応用すると、「がん幹細胞」だけ攻撃できれば、「通常のがん細胞」の増殖は緩慢なものになる可能性がある。
 また「がん幹細胞」説からすると、腫瘍の大小に関係なくその発生時期に転移が想定されることになり、現状医療で常識化されている早期発見の意味合いも薄れてくる可能性がある。
 以上をまとめると、「がん幹細胞」説は、固形癌治療の意味を大きく変えてしまう可能性がある。もちろん、だからといって、現行の治療が無駄であるといった極論が言いたいわけではない。NHK報道のように、これがぽろっと出てきて自然に日本社会に受け止められるようになれば、あまりいい言い方ではないが、「ああ、癌幹細胞を除くという意味での治療はないんだな」という理解にもなりうる。
cover
抗がん剤は効かない
近藤誠

 この関連の話は、近藤誠「抗がん剤は効かない」にも彼一流の「がんもどき理論」との関連で説明されている。評価は控えたいが、興味深い指摘なので、関心のある人は読んでみるとよいかもしれない。
 さて、そもそも「がん幹細胞」説は正しいのだろうか?
 私は正しいだろうと思う。が、もうちょっと言うと、おそらく、「通常のがん細胞」が「がん幹細胞」に変わる機構が存在しているのではないかとも考えている。ここまで言うといけないのかもしれないが、胃癌についてはピロリ菌がやっていることは、このプロセスなのではないかと思う。
 このいわば、機能分化後の細胞が幹細胞に戻る過程というのは、すぐに連想されるようにiPS細胞形成のプロセスに似ている。
 iPS細胞においては、人為操作によって逆行が可能になったので、さも人間がそれを全面的に可能にしたかのようだが、むしろ、細胞その物が本来的にこの逆行の仕組みをもっていたと見てもよいのではないかと思う。なぜ……。
 ここまでくると妄想と言われかねないので、話はここで打ち止めにして、「がん幹細胞」説は正しいのだろうか?という地点まで止めておくほうがよいようにも思える。
 そのあたり、NHK報道は、この研究の社会的意味をどのように理解して報道したのだろうか。
 とはいえ、NHK以外の報道、たとえば毎日新聞「がん抑制:山形大チームが糖尿病治療薬で実証」(参照)でもするっと「悪性脳腫瘍の再発原因とされる「がん幹細胞」」という表現が出てくる。

 糖尿病治療薬メトホルミンが、悪性脳腫瘍の再発原因とされる「がん幹細胞」を「再発しないがん細胞」に変えるメカニズムを山形大医学部と国立がん研究センターの共同研究チーム(代表・北中千史山形大教授)が初めて実証した。乳がんや肺がんの治療にも応用できる可能性があるという。論文は15日、米科学誌ステム・セルズ・トランスレーショナル・メディシン(電子版)に掲載された。

 世の趨勢ということだろうか。
 それでも、現行の抗癌剤治療との関連についてある程度まとまった医療見解のようなものが、一般社会に向けて出されるとよいとは思う。
 

追記
 私の見落としだったが、今年8月2日にNHKは「がん再発につながる細胞を発見」として、癌幹細胞説を報道していた。その意味で、今回の報道が突然とは言いがたいものだった。


 がん細胞の一部にがん全体の成長を促している特殊な細胞があり、これを取り除かないと悪化や再発は防げないとする3種類の研究成果が発表され、新たな治療法の開発につながる可能性があるとして注目を集めています。
 この研究成果は、ヨーロッパとアメリカの3つの研究チームが発表したもので、1日、世界的な科学雑誌の「ネイチャー」と「サイエンス」の電子版に相次いで掲載されました。
 3つの研究チームはそれぞれ、マウスに腸がんと皮膚がん、それに脳腫瘍の一種を発症させ、がん細胞の成長過程を詳しく分析しました。
 その結果、がん細胞の一部に、がん全体の成長を促している特殊な細胞があり、これを取り除かないと悪化や再発は防げないことが分かりました。
 細胞の中には、体のいろいろな細胞の元になる「幹細胞」と呼ばれるものがありますが、3つの研究チームは、今回見つかった特殊な細胞をがんの幹細胞だとしています。
 がんの幹細胞については、以前から存在が指摘されてきましたが、否定的な研究者も多く、まだ仮説の段階とされています。
 こうしたなか、がんの幹細胞の存在を裏付ける3種類の研究成果が世界的な科学雑誌に同時に掲載されるのは異例で、新たな治療法の開発につながる可能性があるとして注目を集めています。

 この時点では、「まだ仮説の段階とされています」と明記されているので、NHKとしての配慮がうかがえる。
 ただし、「新たな治療法の開発につながる可能性があるとして注目を集めています」ということで、それが報道なのだといえばそうだが、報道価値と関連する現状の癌治療との関係については、NHKとしては視点を表明してこなかったということはいえるだろう。
 
 

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2012.12.01

今回の選挙の、自分なりの基本構図

 今回の選挙くらい気の乗らない選挙もないなと思う。あまり関心もない。
 どうなるかという観点で予測をざっくりすると、民主党与党が自民党与党になるだろう。ただ、自民圧勝となるかが読めない。あるいは民主党が解党的に壊滅するかも読み切れない。
 勘で言うとそのどっちにもそうなりそうもない。ある程度第三極も伸びるだろう。
 だととすると、事実上の大連立と維持ということになるのではないか。
 ニュースで流れる程度の党首の意見などを聞いていると、自民の安倍さんも民主の野田さんも、事実上の大連立を前提にしているように受け取れる。
 以下、簡単に自分なりの俯瞰をメモ書きしておきたい。

問われるのは三党合意
 この選挙で問われるのは、三党合意を継続するかということ。その頭に自民が来るか民主が来るかは、よって、二義的なことになる。なお、公明党はキャスティングボート以上の意味はない。
 三党合意を継続しないという考えであれば、いわゆる第三極に流れるということになるのだろう。
 私はいわゆる第三極にはあまり関心ない。前回の政権交代でこの手の幻想から国民がどのくらい目が覚めたのかというのが、しいていうと今回の選挙への関心である。
 当の三党合意だが、これは二つ柱があって、(1)消費税増税、(2)社会保障は党派を越えた有識者会議に任せる、ということ。
 まず明確なのは二点目で、前回の政権交代で民主党がごちゃごちゃやったマニフェストの事実上の大半は、もう棚上げになる。別の面からいうと、未来の党や維新、みんなの党のように、この部分をいじくり直してもろくな結果にはならないだろう。
 もっというと、有識者会議というのは、実質官僚丸投げとなるだろう。
 私は震災以降の日本の維持を見ながら、なんとか日本がもったのは官僚のおかげだと思うし、政党より信頼できた。
 我ながら、自分の政治観と転倒しているとは思うが、これが日本の現実なのだと思うといかんともしがたい。

焦点は2パーセントインフレターゲット
 三党合意の(1)消費税増税だが、私は、基本的には反対。
 だが、政権が安定しない状態となった今、単に反対というわけにもいかないし、長期的には消費税増税は避けられない。
 するとそこでの一番の問題は名目成長率を上げることで、最低でも2パーセントのインフレターゲットが欠かせない。
 その点で安倍自民党は、この間の話を聞いていても信頼に足るように思えた。ただし、自民党の他の政策はというと、相も変わらぬ状態。それでもその部分は次期参院選で、以前の安倍政権のように是正されるだろうし、実質三党合意以上の政治に手を出す余裕など日本にはないだろう。
 ごく個人的にいえば、改革の舛添さんの考えが自分に一番近いが、彼は、三党合意的な現状へのビジョンを欠いているので、支持しても実質政治的なナンセンスになる。

TPPと反原発については争点になりえない
 「原発もTPPも消費増税も争点であるべきでない」というのがジャーナリストの竹田圭吾さんのツイートにあった(参照)が、同意。ただし、彼はここに「消費税増税」も加えているが、そこは微妙に異論があり、先の名目成長率の件でまとめた。
 TPPについてはいろいろ議論があるし、反対の人が息巻いているが、私の考えでは、反TPPこそ、TPP推進派の思うつぼである。このことはウィキリークスで暴露されたとおりなので、日本の立場が不利であっても、今から苦しい交渉の戦いに挑むほうがよい。
 別の言い方をすると、TPPについては、「反TPPかTPP推進か」というのは間違った問いかけで、国益を守るなら、世界の趨勢に対して、日本国の国益を対外的に示していくしかない。後になってABCD包囲のように囲まれて暴走するという愚はさけたい。
 反原発についてだが、現在世界のエネルギー事情から見ていくと、米国が産油国化する、北極海航路ができるといったといった大変化の兆しを含めていくと、原子力の推進は、潜在的な核保有という以上の意味はなく、経済的な利点は乏しくなっていく。経済的な最適戦略を採っていっても、現行の原発政策は縮小していくことになる。
 つまり原発問題は、日本のエネルギー政策に従属して考えていくべき問題なので、従属側を突出させる争点化は、潜在的な核保有へのイデオロギー的な反発や前世紀的なエコロジーさらには単なる反政府主義みたいなものだろうが、たいした意味はない。反原発を杓子定規に進めていっても、困窮した大衆の反発でひっくり返されるのがオチである。
 この問題は、福島原発事故補償とは別の問題だし、実際のところ、地域へのバラマキとして推進されてきた原発推進とも別なので、問題の切り分けが必要になる。その点でも、反原発という雑駁なくくりは実際的な政治の推進に役立たない。

外交・軍事を大きく変えない
 政権交代でよい教訓となったことでもあり、実際今回の選挙でお灸が効いているなと思われるのは、外交・軍事の話題を大きな政党が引っ込めたことである。政権交代は基本内政なので、対外的な相貌を大きく変えるものではない。
 ただし、その副作用ということで、今回の選挙では、憲法改正問題は出て来ても、沖縄問題にどの政党も触れなくなった。
 そもそも沖縄問題というのは、沖縄に問題を被せているが、日本全土の安全保障問題であり、国家全体から見て基本的な問題だが、事実上、今回の選挙ではほとんど問われなくなってしまった。しかも、これが三党合意にさえ含まれていないというのは、今後の大きな火種になるだろう。

 以上、ざっくり見ると、三党合意を是認するという前提で見ると、民自公のどの頭を選ぶかということであり、公明党を外せば、野田民主か安倍自民かというくらいのチョイスしかない。どちらか?だが、三党合意を実質推進するのであれば、明確に2パーセントインフレターゲットで金融政策を打ち出すほかはないので、以上の流れで見るなら、安倍自民党という選択しか残されていない。
 小選挙区については、それぞれの地域の問題があるから、なんともいいがたい。
 
 

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