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2012.11.13

[書籍]野口英世とメリー・ダージス―明治・大正偉人たちの国際結婚(飯沼信子)

 鈴木大拙とその妻ベアトリス・レイン(Beatrice Lane)について、戦前日本の神智学関連の文脈で知りたいと思っていたところ、本書「野口英世とメリー・ダージス―明治・大正偉人たちの国際結婚」(参照)に関連の情報があるらしいと知り、読んでみた。結論から言うとその面ではさしたる情報はなかったが、鈴木夫妻の話はそれなりに興味深いものだった。

cover
野口英世とメリー・ダージス
明治・大正偉人たちの国際結婚
 本書表題からは、野口英世とその妻メリー・ダージスが強調されているが、他に、高峰譲吉、松平忠厚、長井長義についてそれぞれ章が当てられ、オムニバス的な軽い読み物になっている。メインとなる野口英世と高峰譲吉については、著者・飯沼信子による別書もそれぞれあり、本書ではその概要といった印象も受ける。自分もこの年齢になってみると、こうした人々のことを調べ直すのは感慨深い。
 うかつにも知らなかったのだが、高峰譲吉については2010年に「さくら、さくら ~サムライ化学者・高峰譲吉の生涯~」(参照)という映画が出来ていた。機会があったら見てみたい。

 当初の関心だった大拙と妻ベアトリス・レインについては、本書を読んでみて、いろいろ知らないことがあったことに気付かされる。これもうかつだったなと思ったのは、彼女が猫を抱いている写真は知っていたが、私の記憶にあるそれは彼女の部分がトリミングされ、全体では「おこのさん」という女性も写っていたのだった。おこのさんという女性についても、もう少し知りたいように思った。また別の機会に調べたい。

 私が仏教というものを学ぶきっかけにもなった、大拙の有名な英文著作「大乗仏教概論(Outlines of Mahayana Buddhism)」(参照)は1907年に書かれたものだが、彼らの結婚は1911年であったので、当然、私は大拙自身の英文によると思っていた。だが、本書に詳しく指摘はされていないが、あらためて考えてみると、彼らの出会いは1905年なので、あの英文にベアトリスの手が入っているとみてもよさそうだ。ベアトリスの思想的な影響もあったかについては、なんとも言いがたい。
 ベアトリスが亡くなったのは彼女が61歳の1939年(昭和14年)である。この年、大拙は69歳で、彼もすでに老境にあったとも言える。彼が松ヶ岡文庫に移ったのは1941年(昭和16年)。ベアトリスの死と老境への整理でもあったと見てよいだろうし、ベアトリス的な密教と神智学への決別の意味もあるかもしれない。
 興味深いのは大拙の「日本的霊性」が書かれたのが昭和19年(1944年)で、これが事実上、敗戦後の日本への精神的な支柱を意図されていたとみることができる点だ。このあたりにも、戦前日本の神智学の動向と戦前の日本の精神史の関係が背景にあるのだろうか。今一つわからない。
 話が前後するが、今東光の父今武平が神智学に属し、神智学時代のクリシュナムルティが1910年に記したとされる「At the Feet of the Master(大師のみ足のもとに)」を「阿羅漢道」として訳出したのが1924年(大正13年)である。だが、1929年(昭和4年)のクリシュナムルティによる、その神智学分化の教団「星のオーダー(Order of the Star)」の解散の主旨を今武平は十分に理解し、彼自身神智学から離れた。
 武平については、今東光の弟・今日出海の親友でもあった小林秀雄がその神智学時代を懐かしく語っていたが、1902年(明治35年)生まれの小林の思い出は1920年(大正9年)あたりだろう。だいたいベアトリスが高野山で密教研究を開始する時代と重なり、当時の日本の精神風土が察せられる。この時代、つまり大正10年あたりのベアトリスの活動、さらに大拙の活動における仏教が、実際のところどの程度、神智学的な傾向を持っていたのかというのが知りたいところが、いま一つよくわからない。
 神智学系の他資料(参照)にあたると、1924年に神智学の支部である東京ロッジ設立に、大拙とベアトリス、およびその母エマ(Dr. Emma Erskine Hahn)が参加しているので、大拙も神智学徒と言ってよいだろう。年代から見て武平との関係もあっただろうと推測される。なお、その前になるが、1920年の国際ロッジへの夫妻の参加もあったようだ。
 その後の活動だが、神智学側から見ると、大拙らは東京ロッジを離れ、大乗仏教ロッジなるものを形成していったようだ。このあたりの解釈は難しいが、どうも当時の大谷大学のなかに神智学的な傾向があったようすがうかがわれる。さらに神智学の分派的な動きは、やはり星のオーダーも関連している。さらにその後だが、1930年ごろから、大拙夫妻と神智学の接点は薄くなっていくようだ。とはいえ、ベアトリスは終生、神智学徒と見てもよさそうだ。
 ところで本書を読んで驚いたのだが、これもうかつにも部類だが、大拙とベアトリスには両者ともやや晩婚のせいもあったのか(41歳/33歳)、子どもはなかったが、1916年(大正5年)生まれの、英国人男性と日本人女性の混血児を養子として引き取っている。鈴木勝(アラン勝, Alan Victor Suzuki)である。


勝・ベアトリス・大拙(1925)

なおオリジナルサイトでは神智学ではなくバハイの扱いになっている。

 大拙とベアトリスの元で育ったのだから、さぞかし知的な少年期・青年期かというと、そうもいかず、放蕩で中学を放校された。ベアトリスのつてもあって、高野山に送るも遁走した。運命は皮肉なもので、勝は戦後の進駐軍の世界で頭角を顕し、英語を教えたことが縁でアイクこと池真理子と結婚した。宝塚時代の三日月美夜子である。

 鈴木勝は、1948年の大ヒット、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」の作詞も手がける。結婚生活は、勝の私生活の乱れから、1959年(昭和34年)離婚に至り、1966年(昭和41年)には亡くなる。50歳の生涯だった。奇妙な縁とも言えるが、大拙が死んだのもこの年である。



東京ブギウギ リズムうきうき
心ずきずき わくわく
海を渡り響くは 東京ブギウギ
ブギの踊りは 世界の踊り
二人の夢の あの歌
口笛吹こう 恋とブギのメロディー
燃ゆる心の歌 甘い恋の歌声に
君と踊ろよ 今宵も月の下で
東京ブギウギ リズムうきうき
心ずきずき わくわく
世紀の歌 心の歌 東京ブギウギ

 池真理子が亡くなったのは2000年5月30日。83歳だった。喪主は、1951年(昭和26年)生まれの、勝との間の娘・池麻耶だった。彼女も音楽の道に進み、現在ではアート関連のビジネスと英語教育に携わっている。
 
 

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コメント

今東光氏の父親が神智学協会に在籍していたのは知りませんでした。

今東光氏は、ブラヴァツキー夫人の仏教理解と仏教誤解を経由して天台教学にたどり着いたのですか。

わたしも、シュタイナー人智学を若いころ経由して、現在、天台教学にたどり着いているので、何か因縁みたいなものを感じます。

投稿: enneagram | 2012.11.14 06:30

初めてmail致します.1948年山口県萩市生まれの竹田仰(たかし)と申します.鈴木大拙師の件です.
母は京都の人で現在92歳,5年前から認知症が進み会話ができません.私は,カトリックの幼児洗礼を受けイエズス会のスペイン人神父の雰囲気の中で育ちました.高校三年には,キリスト教の教えが厳しく打開すべく禅に傾倒していきました.そこで,鈴木大拙の本に行き当たりました.
母にその話をすると(母は,平安女学院ー>京都女専),
「京都にいた時分,隣の(奥の)うちが大拙さんで,猫が入ってくるので何かを投げて追い返したことがあるとか,またアランという男の子がいて,奥さんは外人だったとか」言ってました.そのことを随分記憶のなかでほったらかしにしていたのですが,今年に入ってアランという子がいたってほんとかいな?その子はどうなったんだろう?」と気になり始めネットで検索しました.すると,こちらの記事を見つけてしっかり書いてあるのでビックリするとともに溜飲が下がりました.しかも,母が玄関先で写ってる写真があるのですが,猫を抱いている大拙さんの門構えとそっくりで益々興味津々です.母は植物園の近くにいたし,相国寺の近くにもいましたが,どこか気になるところです.貴重な記事感謝です.ありがとうございました.

投稿: 竹田 | 2014.12.18 01:10

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