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2012.11.02

[書評]ムツゴロウ4部作

 動物おじさんとして有名なムツゴロウさん、つまり畑正憲さんには、不思議な陰影というか、いわゆるペット愛好の人とも、また動物研究家とも違うなにかを私は感じた。その関心から彼の本を読んだことがある。
 最初は、マンボウシリーズの北杜夫さんを真似ている部分があるのだろうと思った。実際は真似ということはないが、ムツゴロウさんとしては北杜夫さんを文筆活動の一つの目標としていた時期がある。両者とも軽くユーモアなタッチの奥に深い人間洞察を秘めている。北杜夫についてはある意味、文学の血脈とでもいうのか、その父から、そしてその娘さんまでけっこう気になって追ってきた。ムツゴロウさんについてはいわゆる文学的な視点とは違うものを感じて、追跡が難しかった。

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ムツゴロウの青春記
 北杜夫と畑正憲の違いは、北の「どくとるマンボウ青春記」(参照)と畑の「ムツゴロウの青春記」(参照)の両書を読むだけで、心のそこにずんと来る響きに違いがあることがわかる。北杜夫さんは先日亡くなったが晩年の老人の相貌の印象を残した。畑正憲さんも77歳となりさすがに「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」のころの颯爽とした風貌から最近は老人のそれに変わってきた。だが両者の青春記を読むと、老いの相貌のなかに、時代がなんであれ、どうしようもなくきらめく少年の心というものが見える。北杜夫さんについて言えば、しかし「きらめく」というのは違い、こんなにも繊細な人だったのかということに驚く。畑正憲さんはというと、きらめくが適切だし、その個性がもちろんきらめいているが、その光の根源は個性を越えた、こういうとよくないが、得たいの知れない部分がある。
 cakesに寄稿(参照)して6日に有料公開されるはずの「ムツゴロウの青春記」の書評ではそのあたりに注目した。cakesは週単位の課金なので、もしそのことが気になることがあったら、その時に読んでいただけたらと思う。
 cakes書評でも触れたのだが、ムツゴロウさんは、時代的な文脈で見るなら、大江健三郞や柴田翔と同年の作家であり、実際に三者は東大で同級生でもあった。彼らの間で面識があったかはわからないし、文学者としてはノーベル賞も取ったので大江が突出したが、今は忘れられたかに見える柴田の文学も当時は大きなインパクトがあった。畑正憲という作家を文学史的に見るなら、この三者のなかに位置づけると、戦後の60年代の情況のある本質とその対処としての市民の生き方が浮かび上がる。
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ムツゴロウの放浪記
 ムツゴロウさんはテレビ出演から親しみやすい変なおじさんと見られることが多いし、実際にそうと言ってもよいのだが、彼は東大卒業後大学院にも進学し、生物学の研究者の道を進んだ。もし運命の悪戯があれ、利根川進さんのような道を進んでいたかもしれない。だが、ムツゴロウさんは挫折した。その話は、「ムツゴロウの放浪記」(参照)にある。アカデミズムに挫折していく、あのつらい感覚と恋人をもった生活の圧迫、のしかかる時代というものの無慈悲さ、それらが、まるでなにかを絞るようにぎりぎりと描かれている。
 現代の読者にはその時代の感覚が掴みにくいだろうが、おそらく現在、研究者の道から挫折しそうにある人にとっては、あの特有な感覚をそのなかで見るだろう。また、仕事と同棲の軋轢にある人にも、ああこれだな、と共感するものがあるだろう。
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ムツゴロウの少年記
 ムツゴロウのこの自伝的な作品群は4部作になっている。自伝的に読むのであれば、「ムツゴロウの少年記」(参照)、「ムツゴロウの青春記」、「ムツゴロウの結婚記」(参照)、「ムツゴロウの放浪記」と続く。
 しかし作品の順序としては、「ムツゴロウの少年記」が最後に書かかれ、文学作品としてはこれがもっとも完成度が高い。が、できれば、その意味で「ムツゴロウの少年記」を読むのでなければ、「ムツゴロウの青春記」から読み始めるとよいだろう。畑正憲さんは、「ムツゴロウの青春記」を書くことでその続きを書き、その執筆時の自身の確立に至る「ムツゴロウの放浪記」を書き終えて、ようやく父とその時代に向き合うために「ムツゴロウの少年記」の執筆に向かった。
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ムツゴロウの結婚記
 「ムツゴロウの青春記」の結末が尻切れトンボのようになっている部分は、「ムツゴロウの結婚記」に続く。高校時代を過ごした同級生の恋人と学生結婚を始める物語であるが、これは読むとわかるが、率直に言って文学としての完成度は低い。その青春後期にリアルに書きためていた日記や手紙などがそのまま露出しているからだ。逆にだからこそ面白いとも言えるし、性的な描写は慎まれているものの、若い人の同棲という生活がもたらす、ある種特有な臭いのようなものが充満している。また学究肌の若者が新婚生活を迎えたときの違和感のようなものもある。
 4部作の最後「ムツゴロウの少年期」の後記には文庫版であれば単行本時のそれと併せて2つ付記されている。単行本のそれを読むと、「ムツゴロウの放浪記」の後編が約束されているが、文庫本のそれでは4部で完成のように書かれている。どうも5部作目が書かれなかったか、「ムツゴロウの少年記」で終了感があったかである。
 「ムツゴロウの放浪記」の単行本後記は1979年で、「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」が始まるのが1980年の年末である。その間に彼の世界放浪が始まっている。そのため第5部は忙しくて書けなかったか、ムツゴロウさんにありがちなのだが、関心がころっと変わったか。私は、cakes書評をきっかけに4部作と関連書籍を読みながら、書かれざる第5部があるように思えた。
 ユーチューブにあった女優・柴田洋子さんの、4部作への思い入れも面白かった。比較的と言っては失礼だが、4部作が若い世代に読み継がれているようすがわかる。


 
追記
 cakesの書評公開日を勘違いしたので、「今日」としたのを訂正しました。たぶん、公開は11月6日(火曜日)あたり。なお、その次は『ご冗談でしょ、ファインマンさん』の予定。
 
 

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コメント

 ムツゴロウさん懐かしいですね。まだご存命ですけど。私は東大卒の学士さんや著述者としての畑正憲さんよりも、動物タレント?としてのムツゴロウさんの方が強く印象に残っていますね。「ゆかいな仲間たち」だけかろうじて認識している程度。当時の動物番組を多少見て面白がっていたのを覚えてます。今思うと金も掛かるし企画も壮大だなぁと感じますが、そういうスケールの大きな仕事にタレントとして従事することが如何に大変かは、むしろ昨今の低予算番組の林立を見るからこそ分かるんだなぁと思います。

 私の中では古きよき時代の人ですけど、現代でもそういう気概を受け継ぐ人や企画が出ることを期待して止みません。偉大であるが故に後継者に恵まれませんでした、では幾多ある類例のひとつにしか過ぎませんしね。昨今不景気とはいえ、一世を風靡する人がそういう扱いでは今後の為にも良くないですよ。

投稿: のらねこ | 2012.11.02 13:19

動画のねえさんがこわ杉て引く。
5秒しか耐えられなかった。

投稿: | 2012.11.02 21:39

 ムツゴロウのシリーズは中学校の図書室にありました。なつかしいですね。全部読んだはずですが、中学生のころは無人島記や熊のどんべいの話に夢中でしたね。
 そういえば北杜夫さんにあこがれるあまり、“ともあれ”を文章に散りばめてみた、とどこかに書いてあったような。

投稿: タヌキ52 | 2012.11.02 21:56

「ムツゴロウの大勝負」を早いうちに読むかどうかでこの人への印象はがらりと変わるでしょうね。私はごく早いうちに読んで、「気難しいコメディアン」みたいな印象を持っていました。

投稿: hnami | 2012.11.03 19:28

満州からの引揚者であり、同窓の人々の死をずっと引きずっていることが、彼の著作の行間に流れているのではないかなぁ~と思ってます。

投稿: ポルコ | 2012.11.06 13:01

ケイクスの方の書評を読んで感動しました。ただそれで、思ったことがひとつ。
思春期、あるいは事実上の精神的思春期に、間違った相手を性的な連れ合いに選んでしまった場合、その後どうしたらいいのか。特に女性の場合、暴力的な男性が性的連れ合いだった場合、その後の混乱をどうしたらいいのか。
まぁ、心理学的に言えばPTSDと言ったらいいのか、もっと俗にはストックホルム症候群とかいいますけれども、そこに日本とアメリカの関係性というか、ひいてはもっと直接的にはっきり言えば世間様の残酷な感想というものがあって、時にやるせない気持ちになります。
「DV被害者は病気だ」と言う。確かにその通りだと思います。だけど、そう言う当のカウンセラーが平然と「DV加害者は治療できない、なぜなら病気の自覚がないから」とも言う。それは変だと思うけれども。・・・くだくだしくなりましたが、要するに戦前は「女が我慢しろ」と言われていたことが、「女が回復しろ」に姿を変えただけなんだとそう思う。
あまりムツゴロウさんに関係なくて申し訳ないのですが、結局、現代ではメディアで性を処理するからこそ、余計に性の暴力性に対する感性がどんどん鈍っている気がします。これは加害者被害者、つまり男女共にたぶん、そうなんだと。

投稿: ジュリア | 2012.11.07 20:42

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