フランスでは中絶費用が無料。15歳から18歳へのピル配布も無料。
国家とはなんだろうかという問題を、自分なりにいろいろ考えてきた。レーニンやトロツキー的には国家というのは暴力装置であるとした。つまり、軍隊や警察、刑務所など各種の暴力機関を収納して一元的に発動できる装置(apparatus)であるとした。ウェーバーはこれを近代国家の要件としたが、彼は国家形成については多元的な見方をした。他方、レーニンは暴力が権力源泉であると単純に考えた。その信奉者には、国家=暴力装置という権力源泉を解体して市民を自由にするためには、それを対抗的暴力で解体すればよいのだという短絡な運動も生まれた。「政権は銃口から生まれる」というものである。これを大衆のルサンチマンに結合することを革命の情念とする傾向も見られた。
この国家観の起点にあるマルクスはレーニンのように考えていたわけではなかった。彼はこれをまず上部構造として捉えた。エンゲルによって実質改竄されその安易な流布であるレーニン主義では、上部構造は経済などの下部構造に依存して形成されるとした。が、そうであればマルクスがあえて上部構造と捉えなおす必要はなく、経済的な利害システムの一元化が可能であっただろう。あるいは単にレーニン主義者は上部の階級と上部構造の違いが理解できなかったのかもしれない。
マルクスはその点、ヘーゲルの国家観の原点である絶対精神の奇妙な運動の自律性を理解していた。そのため、下部構造が自己疎外を起こして上部構造が生じるという直観を持っていた。が、その部分の思想は十分に展開できなかった。
思想家・吉本隆明は、マルクスの上部構造を、ヘーゲル的な文脈に戻して「共同幻想」として取り出すことで、マルクスの思想を継いだ。吉本の意図としては、レーニン主義的な文脈からマルクスの国家論を救済する意図であったが、「共同幻想」という術語によって、それがあたかも、覚醒すれば消える「幻想」のように誤解されることにもなった。もっとも大学の先生でもそう理解している人もいるので、あながち誤解とも言えないかもしれない。
吉本の言う「幻想」は、共同性の心的作用から生じるという点では通常の意味の幻想ではあるが、その幻想は心理主体にとては、客観性のように現れる現象であるということが重要である。客観性のように現象を受容している自我の意識にとって、その心的現象を解体することは、簡単に覚醒すればよいというものではない。至難ともいえる思想の営為を必要とする。
それでも幻想は幻想であり、国家が上部構造である・共同幻想であるということは、卑近に言えば、国家とは宗教であるということだ。宗教として国民を心的に束縛するなにかである。
興味深いのは、これがそのまさに意識における上部構造的な自我に自覚されなくても、その幻想性は、異なる国家観の宗教性の対比のなかから浮かび上がってくることがあることだ。簡単に言えば、宗教といっても、一般に日本人が想定している宗派的な宗教や迷信的な信仰ではなく、国家の心的な永続性に関連する部分で可視になる。
つまり、人が生まれ死んでいくという、実際には意味のない生物的な連鎖のなかに国家という統体を知覚するような幻想の設定が国家という宗教であり、これらが、実際に、人が生まれる・死ぬ、ということに、人を駆動するための意味を与える。
具体的には、人を駆動して結婚させ子どもを産ませ、墓を通して死者を生者に連想するさせることである。その意味で、結婚と出産と墓の制度のなかに、国家の幻想性は集約的に表れる。
このように述べると、あたかも古代や未開社会の問題のようにも思えるが、実は、これが未だに現代の問題であり、現代の国家幻想・国家宗教の様相を見せるところが興味深い。
以上は実は前書きのようなもので、エントリーを書こうかと思ったのは、先日のフランスの国会での、中絶とピルの関連する問題について、日米のメディアの関心の薄さからであった。私の見落としかもしれないが、国内報道では見当たらなかったように思う。米国でもその扱いは少なく、報道も微妙だった。こうした、あるもどかしさが、現代の国家幻想が露出する側面に思えた。
該当のフランス下院の10月26日の決議自体は単純である(参照)。
フランスでは従来、マイノリティと未成年の中絶費用は無料だが、他の場合、保健の適用は80パーセントまで自己負担分があった。これが実質女性にかかっていた。
今回の決議でこれが全額無料となった。全費用は450ユーロ(4万6411円)なので、それまでは約1万円くらいの自己負担があったということだろう。さほど大きな補助とも言えないといえばそうだが、むしろ、中絶の権利を国家が完全に保障したという点が重要だろう。
今回同時に、15歳から18歳の避妊についても、完全に無料となった。
考えようによっては、これもどうということのない話題のように思えないこともないが、気になったのは、「15歳から18歳の避妊が無料」というときの、避妊が何を意味しているかである。
情報をいくつか当たってみたのだが、私はフランス語がわからないこともあり、確定的なことは言えないが、どうやらこれは、ピルを意味するようだ。言うまでもなく、男性のコンドームではないし、そもそもコンドームは欧米では避妊具ではなく、性病予防の用具である。
するとどうなるのか?
フランスの場合、15歳から18歳の女性が、妊娠を好まないという場合、無料でピルが入手できるし、実際上、国家がその年代の女性に、日常、ピルを服用しなさいという推奨することにもなる。もちろん、本人が性交をしても妊娠を好まないという意志を国家が権利として支援するという意味ではある。
私の勘違いかもしれないが、その国家支援の背景には、15歳から18歳の女性の性交は、それ自体が一種の人権として認められているという考え(幻想)があることだ。これについてももちろん、レイプなどの危険性の防衛ということもあるだろうが。
いずれにせよ、今回の議決でフランス人女性すべてが金銭的な制約なく、自身の性生活を自己管理できるようになったとは言える。つまり、市民の自由の実現であり、女性の市民権の補完とも言えるだろう。
話を前振りの国家幻想に引きつけると、これがフランスという国家の国家幻想であり、その話題を読みながら、日本や米国での受け止め方に違和感があれば、その差違に国家幻想が見えるだろうと思った。
日本では、この問題、つまり、中絶の完全無料化と15歳から18歳の女子へのピルの無料配布は、どのように議論されているだろうか。特に、フェミニズムにおいてどのような問題設定にされているのか。たまに調べてみるのだが、日本のフェミニズムが多様なこともあり、よくわからない。
米国ではこの問題に関連して、ジョージタウン大学法学部生・サンドラ・フルーク(Sandra Fluke)が有名である(参照)。彼女は昨年議会で、避妊の保険適用について証言をして話題になった。その時点で彼女は30歳だが、ジョージタウン大学で学ぶ間に費やした避妊の費用が3千ドル(24万円)を越えたという。これを保健適用にしろという主張である。
そのまま日本の大学に置き換えるなら、女子大生には年間6万円避妊費用を国家の保健適用とするということなるだろうか。
米国ではこの問題で保守派がいろいろと騒いだが、逆に騒ぐことで、フランスとの対比を示した。26日のフランスでの議決ではこの問題が事実上、さしたる問題もなかったように見えた。
話は若干それるが、昨今、日本でも出生前検査が話題になっているが、私の理解ではフランスではこれも保険適用であったはずだ。そのあたり、日本で話題になっているなら、フランスの状況と経緯はどうであったかという比較報道があると思ったが、ざっと調べた範囲では見つからなかった。
こうした問題の、現況を踏まえた総括的な議論を読みたいものだと思うが、実感としてはいわゆるフェミニズム関連の書籍からは見当たらないように思う。
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コメント
> 日本や米国での受け止め方に違和感があれば、その
> 差違に国家幻想が見えるだろうと思った。
こちらのエントリ記事にもコメントを送信
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/10/post-6075.html
しておいたのだけれども、現代に至る日本という国家の
くにづくりにおいて、豊臣秀吉がやったこと、というの
は非常に大切だとおもうわけ。
近代を準備するための近世は、ここから始まったから。
兵農分離(刀狩)は、主に生産という下部構造を決定し村落という日本の生活様式を性格付けたわけだけれども、それとは別に、リプロダクションという側面から日本という国家の国家幻想を決定付けた大きなものの一つに秀吉による『伴天連追放令』があった、とおもうのですよ。
もちろん『伴天連追放令』は後年の徳川レジームにおけるいわゆる鎖国と呼ばれる管理通商体制に繋がるのだけれども、最近の文献研究ではようやくフランシスコ=ザビエルを始めとする宣教師たちが同時に奴隷商人もう少し具体的に性奴隷商人でもあった、という一面が公けに出来るようになって来ています
(西国のキリシタン大名たちは、樽一杯の硝石(火薬の原料)と引換に日本人女性50名を売り渡していた、なんていう例のあの辺りの話ですよ)。
で、秀吉による伴天連追放から徳川レジーム下でのいわゆる鎖国という特殊な近世期を日本が過ごせたおかげで、いわゆるキリスト教諸派全般からの影響を比較的に受けずにエートスを培えたのではないか、と。
さらに、とりわけリプロダクションについては、レイプによる混血児が比較的に発生させ無いで済ませてこれたこと、は大きいんじゃあないかなぁ、、、(日本人による妊娠であればレイプであれなんであれ露骨な混血児としては出産されにくい、という意味です)。
だから、日本では近代(まあ明治維新以降ね)から現代に至るまでリプロダクションの問題は、中絶の問題としてでは無くて、性感染症との闘いの問題として(幸か不幸か)殆どそれのみとして取り扱い続けてこれてしまった、、、そんなところでしょうか?
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 14:26
さて、日本でも15-18才での性交は認められているはずでしたが、淫行条例にて規制されている地域が存在します。
そして、この年齢での妊娠は大部分が中絶に至る例が多い上に、逆に生んだ女性に対しDNQ呼ばわりする人がネット上に存在するのは遺憾です。
これは一体なぜなんでしょうか?ということなんですが、
フランスでは15-18才で妊娠するのは、移民の、低所得者層が多く、しかもフランスは医療保険+日本で言う子供手当の額などの援助がはるかに手厚い。その代わりに税金の、特に消費税の税率も非常に高いわけです。
15-18才で妊娠した場合、たとえフランスでも生活するのは日本ほどDNQ扱いされないとはいえ、就職その他でハンディを負い、しかもそういう人たちは生活援助の対象になるわけです。フランスは国家としてそういう負担にはもう耐えられないと結論づけたわけです。
日本の場合に、これが起こらないのは、初交年齢がはるかに高いからです。なぜ起こらないかは当然のこと、日本の荒廃した経済状況と育児環境では、子育てもままならないからです。つまり日本の非婚化とフランスの未成年に対するピルの処方は実はコインの裏表であって、別にFREE SEX のお国柄に理由を求める必要もありません。
例えば、フランス並みの生活援助(子供に対する医療は無料+教育は無料支給+子供手当ては一人3万円)だったら中絶を躊躇う人は(特に女性の感情としては)爆発的に増えるし、出生率は爆発的に増えるでしょう(女性一人で生活できるわけですから)。
対して日本の母子家庭に対する社会、政治的援助に乏しいし、収入もものすごく低いのですから。
吉本の幻想論を私はwikipediaしか読んだことがありませんが、そこに書かれている批判のように、経済的側面を吉本が見落としていたこれは一例でしょう。家族意識における国家的差異が何によって起こっているのか、例えば経済的側面からそれが説明できないか?それを取り除けば、最終的には同じにならないか?全ての問題を「幻想」と言う一言で片付けていないか?
ここを抜けないと、「幻想論」自体が単なる「フィクション」ということになります。
投稿: F.Nakajima | 2012.11.03 16:48
まずは、あくまでも一般論として整理しましょうか。
日本では中世以前から、七五三という風習にその名残
を留めていることからも明らかなように、概ね7歳ま
での乳幼児については人間としては扱わず、間引きと
いう風習に顕著であるように、中絶や堕胎はおろかそ
の年齢に至るまでの乳幼児の処分は殺人として扱わず、
禁忌では無かった。
イエズス会に代表される宣教師たちは、カトリックで
あり当時、日本のこういった倫理観を強く非難してい
た。しかし、秀吉による伴天連追放により彼らは日本
の歴史から排された。徳川レジームにおけるいわゆる
鎖国と呼ばれる管理通商体制下で交易を許されたキリ
スト教徒はオランダ商人であり、かれらはプロテスタ
ントである。
大雑把にいわゆる儒教文化圏とひとくくりにされがち
な韓国では現代においても、近代法として堕胎罪が定
められているにも関わらず、とくに女児の出産におい
てこの法に明らかに触れてまで堕胎を犯す事例が多々
あり社会問題でずっとあり続けている。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 20:22
> 日本のフェミニズムが多様なこともあり、よくわか
> らない。
で、ここからはあなたも既に知っているんですよと仰
るかもしれませんが、日本の堕胎罪が定められていく
歴史的な背景は、フェミニズム方面では無くて法学者
である石崎昇子先生が『歴史評論』誌に「明治期の生
殖をめぐる国家政策」と題して寄稿しまとめてあるわ
けです。
引き写しになりますが、以下。
日本には近世期末に、たしかに「赤子養育仕法」をは
じめとする、いわば武士階層の育子手当とでも言うべ
き特殊な事例が幾つか散見される。しかし、それをも
ってして「子を殺し或は堕胎する」状況を防ぐ取り組
みが近世期に普遍的にあらわれ始めていた、とはとて
もじゃないが言い難い。
明治維新によって日本へと輸入された堕胎罪は、西欧
のそれと比して、遥かに量刑が軽い内容として施行さ
れた。
日本へと輸入された堕胎罪はあくまでも、西欧的な衛
生思想の普及を目的として定められたという性格が強
いからである。
堕胎罪が実際に重罰化されたのはあくまでも、日本が
1930年台に軍国主義へと国体を転換し人口増加を
政策として強化していく過程のそれ以降の出来事であ
る。
以上。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 20:49
×法学者→○歴史学者
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 20:58
> 今回の議決でフランス人女性すべてが金銭的な制約
> なく、自身の性生活を自己管理できるようになった
> とは言える。つまり、市民の自由の実現であり、女
> 性の市民権の補完とも言えるだろう。
で、ここからが私見なんですけれども日本の現下の
フェミニズム、たとえば「フルブライト留学生として
日米の夫の育児参加比較を調査し」ましたてジャーナ
リストを名乗るだとか、てのは男女雇用機会均等法を
獲得する闘争の時代で時間が停まってるんですよね。
あくまでもその延長戦として、ワークライフバランス
なんて言ってたりする。それが(あくまでも鍵括弧付
きの)「リベラル」なんです。
たとえば夫の育児参加という観点から観た伴侶の選び
方、なんてのを国立大学女子学生たちにアドバイスし
ていたりする。彼女たちが述べるところの「働く女性
」というのはたとえば東証一部上場だとかいわゆる大
企業勤務を明らかに念頭に置いてるだろという話ばか
りでそこにはたとえば雑誌『小悪魔ageha』あた
りで読モとして登場するような夜嬢とかはありゃ「働
く女性」じゃないんです。たぶん、想像の埒外。
で、自身の旦那が大学助教授職勤務だったりしてそれ
を良い選択の例として引き合いに出したりしてるんで
す。みてらんない。
でもね。
たとえば「旦那が居たって子育てしていたって、私は
他の男性とセックス楽しんでもいいじゃん。夫が居て
子供が居て、それとは別にたとえば他の男性との間で
さらに懐妊をして何が悪いの?」とかいう方向には絶
対に行かないわけです。
「女性すべてが金銭的な制約なく、自身の性生活を自
己管理できるようになる」ことが「自由の実現であり、
女性の市民権の補完」とかいう問題は意識としてされ
ないわけ。プロチョイス/プロライフは、テキストだ
とかメディア上の問題であって、調査に行ける機会が
あったら日本のどこか、では無くて米国の大学町とか
に行っちゃいますよ。「どうしてあなたは、たとえば
新宿歌舞伎町とかに『調査』に行か無いわけ? ジャ
ーナリストなんでしょ?」とかいうことは意識にのぼ
らないわけ。
鍵括弧付きの日本のフェミニズム自身が、たとえば生
活保護受給下にある母子家庭の問題、だとかを女性問
題として扱えてい無いんです。「わたしたち女性」の
なかにそういう女性は、入ってい無い。おなじ女性、
として扱えてい無い。「そういう女性たちが増えてき
ている(らしい)と伝え聞きます」なんてことをフェ
ミニズム自身が言っちゃったりする。同胞では、無い
んですよね。
だから、
> 日本のフェミニズムが多様なこともあり、
というより、断絶しちゃってるんです。多様なんじゃない。
フェミニズム自身が、ああいう女性とこういう女性
というのを日本では拵えちゃって、あちら側のこと
はこちら側からは、よくわから無くなっているんです
(逆もまた然り)。「女性」という言葉を使いなが
らもういわゆる女性全般のことでは無くなってしま
っていて、前提として暗に特定の女性のことを含意
してしまっているんです。自分たち女性とは、別の
女性。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 22:31
長々とコメント送信をしましたが、国家幻想の話に引
き付けて結ぶとすると、現下の日本のフェミニズムの
状況は、多様というよりも閉じているわけ。
で、これからますますそれぞれに閉じる方向にしか向
かわ無いだろうな、と。
で、なんで開いていかないといけないのかと言えば
それはもちろん「普遍性」を獲得出来無いから。
その辺の個別の状況が、たとえば経済合理性を突き詰
めていけば普遍性は問題では無いのだ、なんて話にな
っちゃってたりする。
それでいて「ニッポンの企業のおじさんたちの意識は
いつまでも変わら無い、キー!」なんて憤ったりして
たりするんです。そりゃ、変わりゃしませんて。
その辺のね、伝わらなさ加減が日本のフェミニズムの
現状です。
普遍性も獲得出来ずに閉じていく物事・事柄がいくら
正しかろうと上部構造を変容は出来ません、てば。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.03 23:14
> これがフランスという国家の国家幻想であり、その
> 話題を読みながら、日本や米国での受け止め方に違
> 和感があれば、その差違に国家幻想が見えるだろう
> と思った。
日本では、リプロダクションと共同幻想の関係は
中絶薬の扱いに関する議論では無くて、不妊治療の保
険適用の問題として立ち現れています
(まさに、雅子皇太子妃がたびたびゴウト化されるこ
とに端的に現れるようにね)。
で、30歳台のフェミニズム方面の論客たちと話しを
してみると
「彼女たちは、どうしてその問題を問題意識として議
題設定し続けるのか?」
という動機がわからなくなって、いつもいつもしま
うわけ。
内発的では無いだろそれ、という確信にいつもいつも
終わる。
彼女たちがどうしてその問題を問題意識として議題設
定し続けるのか、と言えば、端的に彼女たちの親御さ
んたち多くの場合は母親さんたちなんだけれども、が
、問題意識として議題設定し続けていたから、に過ぎ
無いんですよね。
それが、問題であるのよ、と教わったから。
これが日本のフェミニズムが、一見多様にみえるけれ
どもそれぞれに閉じていて、せいぜい男女雇用機会均
等法の時代で時間が停まってしまっている原因とそし
て理由。
投稿: 千林豆ゴハン。 | 2012.11.04 11:46
↑ 二人とも自分のブログに書いてトラックバックしなはれ。
投稿: ナナシたぬき | 2012.11.05 23:25
これ、子宮体癌の予防の意味合いもあるんじゃない?
合計特殊出生率が2を割るような時代ですもん、5人も6人も産んでた時代は排卵が6年!も無かったわけですからねー。
そうすると、3年ピル飲むって事は3人産んだようなもんでしょ?
国家としては2人は産ませたい、と考えるとあら不思議。丁度5人産んだのと同じ計算になる。
この機会に前向きコホートするといいかもねー。コスト掛かるから横断かなー。
投稿: TU | 2012.11.06 10:09
まあ何だ?自分で子育て出来ない(国家を頼り)癖に偉そうに女性の自立とかちゃんちゃら可笑しいぜ?
だって
そんなのない時代でさえ若年で立派に子育てしてる女性がいたわけで彼女たちは補助金目当てしてないね
しかも出生率は今より遥かに高いわけ
フェミなんて女性の劣化の現れだよね!
もう無料ピル配ってこれでも飲んでろと言いたくなる
補助金漬けで何も出来ない女の増加…嗚呼
補助金政治腐敗してるな
投稿: シーモンキン | 2012.11.15 11:32