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2012.10.23

「夜と霧」の謎

 cakesに寄稿している書評でフランクルの「夜と霧」が今日、公開された(参照)。この機会に日本語の旧訳の読み返しに加え、新訳と英訳本(1984年版と2006年版)を読んでみたが、書評的な話以前に、日本では本書の書誌的な情報が少ないように思われたので、その部分の比重がやや多くなり、本書の感動の核心がうまく表現できなかったかもしれないとも懸念した。が、感動の前提としての正確な読みにはやはり書誌的な情報は必要かと思い直した。新しく読む人や学生にも書誌的な情報は有益でもあるだろうし。

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夜と霧 新版
 それはそれとして、二点気になる、いわば「夜と霧」の謎が心に残り、これをcakesの書評に含めるかはかなり悩んだ。結果、最小限の指摘に留めた。そこに拘ると、不確かな思い込みでバランスが悪くなるように思えたからだ。
 そんなわけでこの話は書かなくてもよいことなのだが、ブログのほうでは簡単に触れておこう。「夜と霧」の紹介については、cakesの書評か、あるいはそちらが有料で避けるというのであれば、別の情報源に当たっていただきたい。
 「夜と霧」の本文では、途中、妻の事が痛切に夫・フランクルに想起されるという箇所がある。妻が生きているか死んでいるかもわからないのに、そのことより精神的な存在が大切であるといった話になり、これが旧約聖書の雅歌の引用で締められている。
 この雅歌だが、古来、なぜ聖書に含まれているのかというのは議論があり、これ、率直に言うとかなりエロい詩なのである。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」でもエロの部分が上手に引用されていて、こういうのもなんだが知的に笑える部分にもなっている。
 なぜ雅歌が聖書なのかというと、これには、バル・コホバ反乱で有名な、ユダヤ教最大のラビ、アキバ(Akiva ben Joseph)の意志が関係している。そこは少し込み入った話があるが、その後付けの寓話の類かもしれないが、彼の若い日の熱烈な恋愛の話もよく知られている。
 ユダヤ教やキリスト教の神学ではいろいろ議論があるが、ユダヤ人にとっては、この雅歌の熱烈な、かつ精神的な恋愛の精神的な高揚が、神に結びつくのは一面において自然な感性であり、ブーバー哲学などにも見られるし、シャガールの絵などにも見られる。それはそれとして。
 「夜と霧」では、つらい収容所での生活のなかで、引き離された妻と語るというシーンが描かれている。英語では"commune"が充てられていて、これは「語る」でもよいのだが、おそらくドイツ語でも、文意の背景には霊的な共有の感覚がある。
 この個所でフランクルは、妻と霊的な共有の感覚にありながら、実際の妻の生死の事実を知らないと語る。そして「夜と霧」では、その妻のその後については、直接的には語られていない。
 これは普通の読書力があれば、最終部で、他者のように仮託されて語られていることはわかる。

 先に述べたように、強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。ところがどうだ。人によっては、自分を待つ者はもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ……。
 収容所での唯一の心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ。夢にみて憧れの涙をさんざん流したあの瞬間が今や現実になったのに、思い描いていたのとは違っていた、まるで違っていた人間は哀れだ。町の中心部から路面電車に乗り、何年も心のなかで、心の中でのみ見つめていたあの家に向かい、呼び鈴のボタンを押す。数え切れないほどの夢のなかで願い続けていた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。

 具体的な描写からそれがフランクル自身であることがわかり、その妻、ティリィも亡くなったことがわかる。
 ここまでは自然に読み解けるのだが、英訳書では、邦訳書とは異なり、書誌的な説明がかなり付加されていて、そこでティリィが妊娠していたことが書かれている。これは、他の英書でも確認したが事実のようだ。
 ティリィが亡くなったのはベルゲン・ベルゼンの収容所で、回想録によると、しかも英軍による解放直後に亡くなったらしい。書籍からの自然な推察では栄養失調とみてよさそうだ。
 問題は、胎児の死である。ティリーがベルゲン・ベルゼンに送られたのは、新婚9か月とのことだ。ベルゲン・ベルゼン収容所に送られたのは、妊娠がわかってからのことだろうか。フランクル自身はそこをどう認識していたのだろうか。また、ティリィの死と胎児の関係はどうであったか。
 その妊娠の経緯を含めて、関連書籍や情報も当たってみたがよくわからない。謎として残った。残酷すぎて書けなかったのかもしれない。
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Man's Search for Meaning
 もう一点の謎は、「ダッハウの虐殺」の扱いである。cakesの書評ではこの事件への配慮が、ドイツ語原典の1977年改版と関連していると思われることを手短に指摘するに留めた。
 「ダッハウの虐殺」は、日本ではまり知られていないかもしれないが、連合軍による戦争犯罪の一つとしてあげられることが多い。
 該当個所については、英訳書では関連してかなり長い注記が書かれている。素直に読む限り、収容所管理側の人間すべて悪ではないといった流れになっている。
 この部分だが、フランクル自身が「ダッハウの虐殺」をどのように捉えていたのか、現状の資料もあたってみたが、明示的には読み取れなかった。
 新訳の訳者による解説では、当時のイスラエル問題と関連付けて後記に説明があるが、ここはおそらく、「ダッハウの虐殺」との関連であり、新訳ではもう少し踏み込んだ注釈があってもよかったかもしれない。
 以上二点の疑問だが、ついでにもう一点あげると、本書は旧訳で顕著だが、ナチスによるユダヤ人迫害の歴史証言書として読まれる。それ自体は正しい読み方でもあるが、フランクルの体験を通して語られた証言はそのまま史実を反映しているわけでもない。収容所に関連した当時の情報の流れ方について、踏み込んだ歴史的な研究があってもよいかもしれない。すでにあるのかも知れないが、そのなかで「夜と霧」がどういう位置づけになるのかは気になった。
 
 

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