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2012.10.02

「うる星やつら」の思い出

 また楽屋落ちみたいな話からだが、cakesで書いている書評の、今回は「めぞん一刻」(参照)が公開された。前・中・後と3回に分けていて今回はその前編分。「めぞん一刻」の紹介説明な部分。書評はできるだけこれから読む人のガイドも兼ねたいと思っているので、基本ストーリーや主要人物、要点などをまとめようと思っている。
 「めぞん一刻」は単純なラブコメとも言えるのでさくっとまとめてもよいのだが、ちょっと思い入れがあって紹介部分からして重くなってしまった。ネットメディアに重たい文章もなあと思ったが、今回は特例で3回に分けて掲載ということなった。こういう部分は書き手としては嬉しいが、ブログとも違い、あまりそれに甘えてもいけないとも思った。
 「めぞん一刻」の話はそちらでということなのだが、今回全巻を数日かけて読み直しながら、並行して書かれていた「うる星やつら」も気になっていた。特に、あれっと思ったのは、「めぞん一刻」の冒頭の数話での男主人公・五代のキャラ設定は、「うる星やつら」の男主人公・諸星あたると被っていたんだなと再確認した。当然、女のほうでも響子はラムに被っている部分があった(キャラ的にはサクラでもあるが)。
 キャラの被りは作者の個性からしかたないし、この二つの物語は相似形とまでも言えない。では、「うる星やつら」っていうのはなんだったのだろうかと、あらためて思った。
 「うる星やつら」は少年サンデーに1978年(実質は1979)から1987年、約10年連載された。「めぞん一刻」のほうは同じく小学館のスピリッツに1980年から1987年。並行していた。私は当時、少年サンデーと少年マガジンはずっと読んでいたので、「うる星やつら」も第1回から知っているが、最初のラムちゃんの顔は、ちょっとなという感じであった。

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うる星やつら (1)
 「うる星やつら」は暗い物語である。面堂終太郎の閉所恐怖症や太宰治の「グッドバイ」を思わせる三宅しのぶや、ランやおユキもも暗さの始まりではあったが、「巨人の星」のパロディなんだろうが、藤波親子が出て来たあたりで、もうなんだか精神病理のような世界になってきた。特に、藤波竜之介には、すごいなこれ、と思った。そのあたりで、「うる星やつら」は死のカーニバルというものなのだろうとも思ったが、物語全体としては、それほど面白いものではない。
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うる星やつら
ラムのベストセレクション
 アニメのほうは作画が安定せず、ひどいことになっていた。が、音楽は最高で、関連CDは買っていたし、ロックやっていた平野文のCDも買って聞いていた。あのCD、以前の職場に置き忘れて紛失したのがいまとなってはくやしい。ラムと平野文の結合は、まあ、どうしようないなというくらい強く結合してしまって、それ以外のラム像は描けない。
 ラム萌えしていたかというと、いやあ、そんなことはないっすと言いたいところだが、毎年「うる星やつら」カレンダーを買って飾っていた。でっかいラムのポスターも飾っていたのだから、ちょっと弁解しがたい。記憶を辿ると当時、ガールフレンドもいたのにそのざまであった。我ながら20歳もすぎて、ラム萌えなんてどうなんだろという感じだった。もちろん、「萌え」なんていう言葉はなかったが。
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築地魚河岸嫁ヨメ日記
 萌えということでは、作者の高橋留美子にも思い入れがあって、真偽は確かめたことがないが、O島タヌキに重なる担当者と結婚したという噂を聞いて、なにかがっかりした気分になった。そのがっかり感みたいな記憶は今でも残っているのだが、なんなのかよくわからない。そういえば、平野文が見合い結婚したときもちょっとさみしい感じがした。
 さすがに30歳過ぎてからはサンデーも読まなくなり、30半ば以降の沖縄暮らしのせいもあったがスピリッツもあまり読まなくなった(発刊日が遅れるのである)。東京に戻ってきたころには漫画雑誌もあまり読まなくなった。いい作品だよとか勧められると、単行本で読むくらいである。
 
 

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コメント

当番組のTV放送が始まった頃、学園祭のイベントで平野文が理工学部のキャンパスに来ていた。しかし、会場たる教室に観客は僕ら2人だけ、そもそもキャンパスがほぼ無人だった。一人で歌って踊る小柄な姿が痛かったのか、それを見てびびっている自分が痛かったのか、とにかく大層痛かった。ラムちゃんのポスターをもらって会場を出ると、外は小雨が上がってひんやりしていた。その日の未明、オーバードクターの飛び降り自殺があって、そこにはブルーシートが敷かれていた。

投稿: 愛煙家@禁煙中 | 2012.10.03 10:01

>当番組のTV放送が始まった頃、学園祭のイベントで平野文が理工学部のキャンパスに来ていた。しかし、会場たる教室に観客は僕ら2人だけ

 その逸話は知りませんでしたけど、芸能人が駆け出しの頃や売れない時分にはそういう痛い話がよく転がってますね。誰しも通る道なのか必ずしもそうでないのか存じませんけど、そんな過去があって今があると思えば、人や催し物を見る目も違ってきますね。

 テレビゲームでも、20年くらい前に(今は亡き)ハドソンさんの全国キャラバン大会で会場にひとりかふたりくらいしか参加者居なくて格好だけゲームやって参加賞貰ってハイさようならってこともあったそうです。

 人寄せ稼業の辛いところです。頑張って頂きたいです。

投稿: のらねこ | 2012.10.03 23:33

諸星あたるのキャラ自体変わってるんですけどね。
最初は煩悩多くも普通の高校生。
途中から極端に色好みのエキセントリックなキャラへ。
初期の諸星のキャラが五代へ移行した形。

・・・「うるせいやつら」は好きでしたね。当時はギャグ漫画不毛の時代でエロやドタバタに逃げるタイプが多く「うるせい~」のようにしっかりした起承転結をつけるギャグ漫画は貴重でした。筒井康隆や「喜劇新思想体系」の影響を感じたが女性らしく上品にまとめていて安心して読めました。女の子キャラの活躍ぶりは最近の漫画に通じるところがありますね。
その後同じサンデー誌上に「究極超人あーる」「炎の転校生」と好きなタイプのギャグ漫画が始まって毎週楽しみにしていたのは懐かしい思い出。

投稿: おおもり | 2012.10.05 15:52

>諸星あたるのキャラ自体変わってるんですけどね。
>最初は煩悩多くも普通の高校生。
>途中から極端に色好みのエキセントリックなキャラへ。
>初期の諸星のキャラが五代へ移行した形。

 これは思いますね。世代的に60年代70年代の漫画をよく知らないから80年代以降でしか判断しませんけど、80年代以降の漫画はバトルで盛り上げたりキャラクターを立てることを過剰に意識して初期の良さから様変わりするケースが多くなってますね。『ドラゴンボール』は典型ですね。

 高橋留美子漫画は長編よりも短編で起承転結がしっかりしてるものや人魚シリーズのようにホラーかミステリアスな風味が出ているものの方が良作な気がします。

 稀代の名手にも得意不得意・向き不向き。時代の流れによる変遷があるのかな?と思って見ています。今さら昔風味の70年代テイストを求めるのも酷なのかもしれませんけど、いつまでも昔(当時の若かった頃)のよさを保ってほしいものです。

投稿: のらねこ | 2012.10.05 17:03

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» 「うる星やつら」ですか。 [なんでもアリ]
なるほど。こういう見方もあったか。 「極東ブログ」より。 「「うる星やつら」の思い出」 強烈なキャラ達に、おバカなギャグモノだと思っていたのだが、こういう考えで [続きを読む]

受信: 2012.10.02 19:43

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