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2012.10.14

[書評]中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために(八木雄二)

 ごく個人的な興味だが、デカルトの「方法序説」を読みながら、原点になったスコラ哲学をもう少し理解しておきたい気分がしてきたので、なにか入門書のようなものはないかと「中世哲学への招待(八木雄二)」(参照)を読んでみた。スコラ哲学の基本的な考え方とバリエーションを簡素にまとめた書籍を期待していたので、その点では求めていたものとは違う印象もあったが、これはこれで興味深い本だった。著者は自身のグリーンボランティアの体験談を含め、一般向けにゆったりと雑感を込めて本書を書いている。エッセイ的に読みやすいと言えば読みやすい。が、どちらかというと思想史というより世界史に関心ある人向けではないかとも思った。

cover
中世哲学への招待
「ヨーロッパ的思考」の
はじまりを知るために
 「中世哲学への招待」と銘打ってはいるものの、実際にはヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)の紹介書と言ってよい。その名前だが、本書ではドゥンスは家系名かとの推測余地も残しているが地名であろう。スコトゥスはスコットランドの地名でありスコットランド人という意味である。よってその名は「スコットランド・ダン村のジョン」ということである。「ビンチ村のライオン勇気」や「ナザレ村のヨシュア」みたいに地域で識別されている。英語圏では"Duns Scotus"だけでも呼ばれているようだ。言われてみれば、スコットランド人かとあらためて思う。
 時代は、というと生没年だが1266-1308年。本書では親鸞や道元などと比較されている。親鸞は1173-1262年、道元は1200-1253年。年代的には日蓮1222-1282年のほうにやや近い。小説「大聖堂」は12世紀なのでヨハネスより一世紀後の世界である。「不可知の雲」はさらにそれから一世紀下る。
 スコラ学の系譜的にはトマス・アクィナス(Thomas Aquinas,1225-1274)を継ぐと見られるし、実際にアクィナスを踏まえてはいるが、継承のありかたはまさにヨハネスの思想そのものにもかかわり、むずかしいところだ。また、ヨハネスの緻密と言われる思想もその死期までに完成していたと見てよいかは、本書でもわずかに指摘があるが、むずかしい。生没年を見るわかるように彼は42歳ほどで亡くなっている。とはいえアクィナスも49歳ほどでなくなっているので両者ともその時代にあっては早世というものでもないのだろう。
 ヨハネスが生まれたのは名前の通りスコットランドだが、生地とみられるダンズ(Duns)はスコティッシュ・ボーダーズ(The Scottish Borders)でありイングランドに接している。おそらく特例であろうが10歳ごろにフランシスコ会に入り、25歳で司祭。その後イングランドのオックスフォード大学で学びさらにフランスのパリ大学で学ぶ。著者も推測しているが、当時の欧州横断的なパリ大で「スコットランド人・ダン村のジョン」と呼ばれたのかもしれない。彼はそこで1293-97年、学生となりスペインの学者に師事する。後、1302年までイングランドのケンブリッジ大学で講義をし、その余年から1年、パリ大学で講義をしている。このおり、フランス王と教皇の対立に巻き込まれ、教皇派のヨハネスは2年ほどパリ追放となるが、1304年にパリに戻り講義再開。1306年には当時1年が制度である主任教授となり、翌年フランシスコ会の学校で教えるため現在ドイツのケルンに赴き、そこで客死した。死因は本書にも触れられていないし、他の資料でもよくわからない。異説もあるようだ。また本書では言及されていないが、ケルンで埋葬されたらしく次の墓碑銘がある。

Scotia me genuit. Anglia me suscepit. Gallia me docuit. Colonia me tenet.
スコットランドで生まれ、イングランドで育ち、フランスで学び、ケルンにて死す。

 ヨハネスの思想の影響は、その著作の本格的な校訂が現代に行われたこともあり、多重的にならざるをえない。本書でも簡単に言及しているが、ハイデガーの博士論文(教員資格論文)はヨハネスがテーマだった("Die Kategorien- und Bedeutungslehre des Duns Scotus")。ヨハネスとハイデガーの関係はアリストテレスを介している点が注目されるが現代のヨハネス学からするとそれほど強い関係性があるとはいえないだろう。とはいえ、ハイデガーを議論するときその原点のヨハネスに言及できる日本の哲学者がどの程度あるかというと、絶望的な気分にはなる。
 本書にひっぱられというわけでもないが、ヨハネスの関連話が多くなったが、当のヨハネスの思想はどうか。思想史的には、それ以前の新プラトン主義に対して、イスラム圏からアクィナスなどを経て西欧に入ったアリストテレス思想の精緻化と大筋で見てよいだろう。本書では、この新プラトン主義とアリストテレス思想の関連で、ヨハネスの思想について、当然といえば当然なのだが、カンタベリーのアンセルムス(Anselmus Cantuariensis)を補助線として説明している。存在と論理について。

 したがって、それぞれに言い分がある。そしてこれがヨーロッパの学者を二分するのである。すなわち、理性のなかでの論理的推論が、実在と一致することは、その推論内部の妥当性のみで判断されることなのか、それとも感覚される事実によって最終的に検証される必要があることなのか、という立場の違いである。前者がプラトン主義と呼ばれ、後者がアリストテレス主義者と呼ばれる。「無限な存在」の存在可能性を、知性のなかで判断できると考えているヨハネスは、したがってプラトンやアンセルムスの弟子であり、これに反対するトマスやカントは、アリストテレスの弟子なのである。

 トマス(アクィナス)やカントをそう見てよいかというところは異論もあるだろうし、ヨハネスがプラトン主義的なのかというのもさらに異論もあるだろうが、概ねそう見てもよいのではないかと思う。そう見ることで、随分と思想の視座が整理される。
 アリストテレスを介した議論は、個別性におけるアクィナスの質料重視とヨハネスの形相重視の対立して著者に理解されている。余談めくが、この質料だの形相というアリストテレス用語だが、英語では、materialとformである。かなり卑近に言うと、木綿豆腐と油揚げの議論と言ってもよい。アクィナス的には木綿豆腐と油揚げも大豆というmaterialから出来た同一性が重視され、ヨハネスにおいてはそのformの違いが重視される。そりゃ、鍋にするときその機能は異なる。
 冗談はさておき、このformの重視のなかから、人間の類的性質よりも、社会的な形態が重視され、その信仰において近代的な個人を導いていくのではないか、というあたりが、私の誤解かもしれないが、本書におけるヨハネスの思想的な重要性であり、これに並行して、個人の自我を理性よりも意志に所属さていくことで、近代市民の原形を形成していくと見ているようだ。
 このあたり、私の読み取りは粗雑かもしれないし、ヨハネスがフランシスコ会を通して後代に影響を与えたとして市民社会の意識にまで浸透しえたかについて、よくわからない。
 この書籍では、著者自身の信仰がキリスト教であるような印象を受けないが、もう少し信仰の内部に入るなら、神と合理性に対して、啓示と意志性の対立がヨハネスの着想点ではなかったかとも思える。「啓示」の視点はこの全体像から見渡せないが、ヨハネスが三位一体をその時代の枠組みの「記憶・理解・愛」として、単にクザーヌス的な論理性のみの議論から引き離し、むしろ「愛」に意志を加味させたところに、もう一歩のところで、啓示によって意志される個人という概念が出てきそうには思えた。
 
 

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コメント

何か、論点がずれているような気がします。

ここで、トマス・アクィナスやスコトゥスが論じているのは、いわゆる「普遍論争」です。これは、実在論と認識論であって、(自由)意志の問題じゃありません。

実際には、私はこのように理解していますけど、「個人緒自我を理性より意思に所属させていく近代市民の原型」をスコトゥスに見出すのは無理です。なぜなら、近代的自我を論じただろう最初の哲学者は18世紀のジャン=ジャック・ルソーだからであり、アクィナスもスコトゥスもデカルトの時代に「煩瑣哲学」とのそしりを受けて一旦、歴史の闇に消えてしまうからです、
そして再び注目されるのは、それよりはるか後、分析哲学の研究が進む1960年代以降に、スコラ哲学が主に論じている「普遍論争」は実は分析哲学が扱っているテーマそのものであるということが研究でわかってからです。


後、「愛」または「アガペー」とは何かを、本当に理解していますか?愛に意思を加えるとは意味がわかりません。検索をかけてみても、過去の記述から「アガペー」が(あれほどキリスト教を論じているのに)出てきません。
ここに出てくる、トマス・アクィナスが「愛」とは何であるか書きのこしています(それが、どう書いてあるかは、あえて書きません。検索すれば、簡単に答はでてくるでしょうから)。その上で、このような意見が通るとは私には到底思えません。

投稿: F.Nakajima | 2012.10.15 00:44

ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスは、ライプニッツとハイデガーの師であり、ルドルフ・シュタイナーの「最強の」ライバルだったわけだ。(笑)

なお、フッサールの先生である、フランツ・ブレンターノは、ルドルフ・シュタイナーの先生の一人で、それも最も重要な先生でありました。

投稿: enneagram | 2012.10.15 05:41

F.Nakajimaさんへ。この件について私の読みが正確だと強く言い張る思いはありませんが、気にかかるようなら該当書を読まれてはどうでしょう。一例として。

>実際には、私はこのように理解していますけど、「個人緒自我を理性より
>意思に所属させていく近代市民の原型」をスコトゥスに見出すのは無理です。

ですが、本書では。
[quote]
そしてヨハネスを知らないがために、二〇世紀にまでなってハイデガーが、自我の根底に「無」を見出し、新たな発見であるかのように「不安」を語ったのも、実はこの結果にすぎない。ハイデガーはヨハネスの存在論をかいま見ただけで、自由意志論は知らないのである。
[unquote]

 補足するとハイデガーがヨハネスを知らなかったのは、現在のヨハネス研究の基礎となる14世紀の正確なアッシジ写本の出版が1950年以降徐々に進行したことも大きな要因です。
 ヨハネスの哲学はその後フランシスコ会学派の主流となったのですが、18世紀の修道院反対運動で事実上葬りされました。
 とはいえ、そのヨハネスの思想はフランシスコ会を通して広まり、多くの人に伝わっていき、時代の精神の基礎となっていきます。私たち近代人は出版された書籍をもってルソーなどの思想を知り、そこから時代の精神を読み解こうとしますし、出版は大きな精神革命ではありましたが、人々の時代の精神は生活に隣接した部分で、例えばフランシスコ会のような広範な活動から起きるものです。
 書籍化された思想が、写本を通じて中核的な人に広がるというありかたについては、以前ブログに書いた「不可知の雲」の序文からも読み取れます。

投稿: finalvent | 2012.10.15 08:38

読みました。元々、中世哲学には(分析哲学を通して)興味がありましたので、他に参考書籍を何冊か同時に読みましたけど、

スコトゥスのテキストについて書く研究者が、必ず入れる単語があります。「難解」です。
確かに、スコトゥスの認識論が(八木先生に限らず)、極めて先進的であったのは研究者間でも認められているのは解りました。

でも、他の研究者が指摘するように彼の思想は「失われた思想」であった、としか私には思えません。

キリスト教におけるアリストテレスの受容にめぐっては、一時期、トマス・アクィナスでさえ「異端」とされ、書籍・研究が禁止されたことがありました(1277年)。もし、自由意思の問題を八木先生のおっしゃる通りだとすると、トマスの異端審問の経過から考えてみても、危険思想として処分されると思います。
これが、なんで受けなかったのか?もちろん、スコトゥスには弟子がいまして、一派をなしていました。但し、彼らが師の難解な教えを100%理解できていたとはちょっと思えないんですよね。なぜならスコトゥスの主張は「余りに先進過ぎて誰も理解できない」代物だったのですから。

それが証拠にこの後の認識論における最も重要な哲学者、すなわちデカルトやヒュームは彼の影響を全く受けていません。こここそが中世哲学と近代哲学の切断面なのです。

投稿: F.Nakajima | 2012.10.16 01:19

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