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2012.10.31

[書評]チョコレートの帝国(ジョエル・G・ブレナー)

 「チョコレートの帝国(ジョエル・G・ブレナー)」(参照)は、米国のチョコ菓子会社ハーシー(Hershey)とマーズ(Mars)の歴史を描いた1999年の作品である。邦題は「チョコレートの帝国」となっているが、オリジナルタイトルは「チョコレートの皇帝たち:ハーシーとマーズの隠された世界の内情(The Emperors of Chocolate: Inside the Secret World of Hershey and Mars)」(参照)として複数形で両雄が暗示されている。

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チョコレートの帝国
 本書は米国のチョコレート産業史と言ってもよいが、チョコレート好きに限らず、おそらく一定の年代上の人にとっては、かけがえのない歴史物語でもあるだろう。1957年に生まれ、1994年から沖縄で8年暮らした私にしてみると、庶民生活の背景に潜む歴史を知ることで感慨深かった。さらに加えるなら、フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald)などロストジェネレーションの文学に関心がある人にとっても興味深いノンフィクションだろう。執筆に10年を要したのも頷ける厚みがある。
 日米のチョコレートの歴史について、こう言ってはいけないのだろうと思うが、日本の板チョコはハーシーの板チョコの代替品のようなものだった。マーブルチョコレートは、これは形状からしてマーズのm&mを強く意識したものだろう。「マーブルマーブルチョコレート♪」というコマーシャルに「マー・マー」とmが繰り返されているのは偶然だろうか。しかしなによりあの広告で、私より一歳年上の上原ゆかりさんのことを思うと胸がじんとくる。彼女はケペル先生の助手を務めたあとも活躍され、1980年代半ばに事実上引退された。

 マーブルチョコレートが発売されたのは1961年。半世紀も経った。「もやは戦後ではない」と言われた年に上原ゆかりさんが生まれた。ギブミーチョコレートという戦後が終わったわけである。
 進駐軍が子どもに与えていたチョコレートが、まさに、ハーシーとマーズだった。第二次世界大戦に両社のチョコレートは欠かせないものとなっていた。
 そして私は沖縄で暮らしながら、両社のチョコレートが米軍統治下の歴史として沖縄の庶民生活に根付いていることも知った。キスチョコは銀チョコと呼ばれていた。
 米国人にしてみれば軍需品ともいえるほどのチョコレートなのだから、コカコーラの歴史のように広報されていたかというと、意外にも本書が出される1999年以前は知られていなかった。両社ともに徹底した秘密主義であり、本書によって米国人も自国のチョコレート産業の歴史を知ることになった。米国のファミリービジネスの一例としても興味深い。
 しかし、すべてが知られていなかたわけではない。私ですらハーシー社は創業家を通して慈善財団に深く関わっていることは知っていた。本書でも説明されているが、ハーシー社の株主がその慈善団体である。
 ハーシーの創業者でもあり事実上、本書の主人公の一人ミルトン・ハーシー(Milton S. Hershey)は、ペンシルベニア州にチョコレート工場の創設とともにその従業員のために、児童養護施設や病院を含めた町を創設した。ミルトン夫人は遺言で全保有株式を慈善財団に寄付し、財団がハーシー株の三割近くを所有した。
 ところが本書の出版後の2002年、団体がハーシー社の株を売るという話が持ち上がり大騒動になったことがある。結果は司法もかかわったが、町の住民の存続の声に押された形になった。
 そのあたりから、ミルトン・ハーシーというのは何者なのだという疑問があり、もちろん慈善家であることはわかるのだが、もう少し内情を知りたいものだと思っていた。
 私も本書で知ったのだが、1875年生まれのミルトンの両親は再洗礼派のメノナイトだった。特に母親はメノー派の牧師の娘でその気質を深く負っていた。生涯、メノーの衣服だったらしい。ところが父のヘンリーはというと、野心家でもあり、さまざまな事業に手を出しては失敗していた。ミルトンの慈善家の精神はメノーに由来するとは言えるが、その宗派信仰に執着していたわけでもなく、その人生はむしろ野心家の父に近いものだった。ミルトン自身は40歳を過ぎて26歳のカトリック教徒を妻にしたが、子どもがなく、そのことが慈善事業に入れ込んだ一つの理由でもあった。この話は本書に詳しい。
 本書のもう一人の雄は1904年生まれのマーズのフォレスト・マーズ(Forrest Mars, Sr.)だが、マーズ社の創業は1883年生まれのその父フランク・マーズ(Franklin Clarence Mars)である。彼もまた失敗続きの野心家だったが、バタークリームの菓子で成功した。このビジネスをチョコ菓子に継いだのがフォレストである。
 本書がおそらく米国民に驚きをもたらしたのは、その主力製品であるm&mの由来を明らかにした点だろう。最初のmは誰もがわかる。マーズそのものである。問題はもうひとのmである。これはムリー(Murie)だというのである。ムリーとは、ブルース・ムリー。ミルトン・ハーシーの右腕ウィリアム・ムリーの次男である。チョコレート会社のライバルとみられる両社の歴史に隠された深い繋がりがあった。そのあたりが、本書を一種の推理小説の味わいに仕上げている。
 本書は米国のお菓子に馴染んだ人には懐かしい製品がいろいろ出てくる。自分の無知も思い知らされる。たとえば、ペディグリーチャムもマーズの製品だとか、米国のキットカットはハーシーが販売しているとか、ベルギーチョコのゴディバの株主はキャンベルだったとか(今はトルコの会社)……。
 生活に近い部分の生き生きとした歴史を知ることは非常に面白いものだということを確認する珍しい書籍である。ジャーナリズムの一つの形としても充実している。
 
 

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2012.10.30

日本に家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ

 NHK大河ドラマ「平清盛」が面白い。が、これは現代の物語だなと思わせるのは、白河法皇の血脈と氏族の親子関係みたいな部分だ。血脈は所詮ファンタジーなのでどうもよいが、物語の、親子関係というか親子の愛情の描写を支える心情は実に近代人のそれであり、近世から現代の家族観を反映しているにすぎない。あの時代にそういう心情はなかっただろう。
 物語なんだから、それで悪いというわけではない。古代・中世の親族構成というのは、なかなか現代人の感覚からはわからないものだ。昨日、近世日本の家族の与太話を書いたが、これも機会かもしれないので補足しておこう。
 村落の皆婚化が進んだのは江戸時代中期であった。なぜかという理由に、とりあえず生産力向上を挙げ、さらにその背景に統治の安定を挙げた。基本的に江戸時代初期は統治が安定に向かう時代だといえるし、その理由も自明のようだが、踏み込むと考えさせらることがある。
 昨日のエントリで参考にした「歴史的に見た日本の人口と家族」(参照)では、家族の発生について、こう書かれている。


 江戸時代前期に生じた大きな変化とは小農の自立であった。平安末期以降の荘園・公領は、名主と呼ばれる有力農民の下に下人等、多くの隷属農民が属する形態をとっていた。室町時代以降、隷属農民は徐々に経済的に自立する動きを見せていたが、この流れを決定的にしたのが 16世紀末に行われた太閤検地である。太閤検地は一地一作人制を原則とし、農地一筆ごとに耕作する農民を確定した。このことは小農の自立を促し、家族を単位として耕作を行う近世農村への道を開いた。

 太閤検地により、一地一作人が原則化されたという。これが「家族を単位として耕作を行う近世農村」を形成した。村落はむしろ、近世に家族とともに成立したものだ。村落の皆婚化はその付帯状況だった。
 別の言い方をすると、太閤検地以前の村落は、現在の日本人が、田舎なり、昔の村落と思っているものとは異なっていた。どのようなものだったか。

 この傾向は江戸時代に一層強まった。まだ江戸時代初期には、名主的な有力農民の下に、下人等の隷属農民、名子や被官などと呼ばれる半隷属的小農、半隷属的傍系親族等が大規模な合同家族を形成するという形態が見られたが、時代の進展とともにこれらの下人、名子、傍系親族等は徐々に独立して小農となっていった。

 マルクス史観的に「農奴」と呼ぶのは勇み足すぎるが、いずれにせよ、農民は、権力者・権力者氏族に隷属していた。
 この隷属のイメージは、現代日本人からすると、家族が身分やカーストに所属していて、家族単位で権力者に従うかのように理解されがちだが、そういう家族なるもの自体が存在していなかった。
 さらに言うと、そもそも結婚というのが、少なくとも庶民的には存在しえない社会構造だった。
 そうは言っても、男女の性交はあり、子どもは生まれていたことは間違いない。では、家族なくして、子どもはどういう状況で生まれて、どう生育されたのか。
 これらには当然ながら、法が関連している。当時、法はどのように世代の再生産にかかわる問題を規定していたか。以前ブログで触れた「江戸時代(大石慎三郎)」(参照)が参考になる。

 在地小領主が戦国大名にまで成長した段階でだした領内統治のための法である分国法には、多くの場合子供の配分のルールを決めた項目がある。それは主人の違う男女のあいだに生まれた子供の配分であるが、たとえば、「塵芥集」では男の子は男親の主人が、女の子は女親の主人が取ることを決めている。また「結城家法度」ではそれが原則ではあるが、一〇歳、一五歳まで育てた場合には、男女とわず育てたほうの親の主人がその子供を取るべきだと既定している。

 地域によって法のあり方は異なるだろうが、基本的に、農民は人間というより「財」の概念であり、子どもまた財の配分として見られていた。あるいは子どもはその財のまさに利子のようなものであった。引用にある「塵芥集」という法では、男の子なら男親の主人の財であり、女親は女親の主人の財であるとしていた。
 とはいえ、実際に子どもは育てられていた。当時、具体的に誰が子どもを育てていたのか?
 同書には明示されていないが、財としてみれば、最終的には主人が管理していた。隷属民の子どもは、主人が制度的に責務を持ち、財としてその氏族なりの集団で管理・育児されていたのだろう。当時の説話などから推測するに、その管理システムが性交・出産のシステムをも包括していたようにも見える。
 いずれにせよ、江戸時代初期までは、日本の社会の多数の庶民には、父子の関係は薄く、母子の関係はあっても家族はない。同書は簡素にこう描く。

 このことはまだ庶民大衆の祖先たちは、この段階では夫婦をなして子供まであっても、夫は甲という在地小領主の隷従者であり、妻は乙の隷従者であるというように、夫婦が家族とともに一つの家で生活するという家族の形態をとっていないことの反映である。つまりわれわれ庶民大衆が家族をなし親子ともども生活するようになったのはこの時期以降、具体的には江戸時代初頭からのことである。

 江戸時代初期になって村落の世帯分化と皆婚化とで家族が形成されていく。氏族集団を一地一作人的な家族の集合に変化させ、見合いというか性交・婚姻・出産のシステムがかつての氏族内の機能を代替していったのである。
 江戸時代が始まるころまで、庶民には概ね、日本に家族なんてものはなかったし、結婚もなかったんですよ。
 その後、家ができて、家を死後に持ち越すために墓ができて、墓の管理のためにも家の存続が必要になった。しかし、そうした時代もいよいよ終わりつつあり、皆婚はなくなったし、墓もなくなってきた。
 
 

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2012.10.29

なんで昔の人は結婚できていたのか?

 生涯未婚率が上昇していると言われ、当然、比較として、なんで昔の人は結婚できていたのか?という問題がたまにネットの話題に上がる。この手の問題は、解答の要件がはっきりしていないので、どういう話でもいい。寄席の大喜利みたいなものになってしまう。それでもいいのではないかな。そんじゃ。
 よく昔の人の生涯未婚率は低いと言われる。生涯未婚率というのは50歳まで結婚したことがない人の人口比である。1920年代でも数パーセントみたいなグラフをよく見かける。これじゃ昔は皆婚社会だったなといった印象である。
 1920年とかの起点がそうなっていると、ふーん、昔からそうなんだと思いがちだし、統計に根幹的なミスがなければ、そういうことなんだろう。だが、基点をもうちょっと昔にずらしていくとどうなるか。つまり、昔っていつか。
 江戸時代のころはどうだったか。まず、よく言われるように、18世紀、世界に冠たる大都市・江戸だが、婚姻の前提となる男女比を見ると、江戸時代後期、明治維新が近い1843年だと、江戸では、男性を100とすると女性89。だいたい10対9くらい。男女人口の歪みはそれほどない。当たり前ではないかと思う人もいるだろうが、江戸時代中期、1721年だと、男性を100とすると女性55。だいたい2対1という異様な社会である。こういう男女比が偏った社会で婚姻はどうなるかと想像すれば、およそ男性の皆婚は無理でしょうということはわかる。
 江戸時代後期では中期に比べると男女人口の偏りは少ない。では、皆婚的な傾向があったかというと、配偶率が意外に低い。江戸でも地域によって差があるが、男性が50%くらいで女性が70%くらいである。女性のほうが結婚していることが多いかなという程度だし、男性にしても結婚しているのは二人に一人くらいなものだろう。都市における婚姻の自然的な傾向と見てよいだろう。
 ただし、それは大都市江戸の場合。
 日本全体ではどうだったかだが、近世の都市と村落の人口比も考慮しなければならないが、村落の場合は、江戸時代後期には皆婚に近い状態になっている。
 村が婚姻を統制するシステムを確立していたとみてよいし、これはおそらく村落共同体の存立のためのサブシステムとしての皆婚だったのだろう。つまり村落では男女を婚姻で世帯を配分するシステムがあったのだろう。むしろ、江戸のような都市はそうした配分システムを補完・廃棄する位置づけであったのかもしれない。
 村落の皆婚システムがどのように形成されたかだが、江戸時代前期の未婚率は、村落にもよるだろうが、例として、1675年・信濃国湯丹沢村16歳以上の未婚率は、男子46%、女子32%とのことで、それほど低くない。しかし同村はその後、江戸時代中期に皆婚していくので、基本的な皆婚化への全体動向のなかにあっただろう。
 村落の皆婚化の傾向は、既婚家族が大家族で住むと想定しなければ、家族形態の変化に随伴している。実際、世帯規模もこの時期に減少している。つまり、村システムが、世帯の分散も支配していた。
 この江戸時代中期の現象は、妥当に推測されることだが、生産力の増大や人口増加にも関連している。ただ、その関連と原因をどう見るかは、むずかしい。
 生産力の増大が人口増加をもたらし、村落システムの婚姻の制御を確立したとみてよいようにも思うし、他方、皆婚は人口増加の起因ともなるだろう。概ね、起点は生産力の増大にあると見てよいようには思う。
 ではなぜこの時代に生産力が増大したのか。おそらく統治の安定性だろうし、統治というのは、土地の所有と配分が安定化したからだろう。
 話を、なんで昔の人は結婚できていたのか?に戻すと、こうした流れから見ると、明治維新前の村落の皆婚システムが明治時代以降、国家レベルに移行したということだろう。日本国という巨大な村ができたのか、そのシステムの強制力に等しい何かが国家規模で形成されたか。
 ここでもしかし、注目したいのは人口の変化である。江戸時代前期、村落が人口増加から皆婚化を起こしたように、明治時代以降も、また人口が増加している。別側面でいうと、江戸時代中期から後期は人口が安定していた。
 すると、明治時代以降の皆婚化と人口増加は、生産力の増大に大きく関係しているとみてよいだろう。
 なにが明治時代の生産力の増大を引き起こしたかは、これも諸論あるだろうが、おそらく、西洋文明化というより、貨幣経済の発達ではないだろうか。明治維新というのは、しばしば思想、あるいは外圧として語られるが、実際は貨幣システムの阻害要因としての統治の転換とみてよいと思う。その意味でいえば、明治維新とは1873年地租改正であろう。
 話が大喜利ノリをいいことに適当に展開してみたが、これらが妥当だとすると、現在日本の未婚化というのは、やはり生産力と人口の関係で見てよい。つまり、江戸時代前期や明治時代の逆回りになったということだ。もっといえば、世帯を分化していくより、既存世帯の富を保持することにインセンティブがかかってはいるのだろう。簡単にいうと、デフレで親の臑の囓り甲斐がある。
 与太話は以上の通りだが、さて、村落の皆婚システムの内実はどのようなものだったか。それが実質20年くらいまで日本で動いていたとも概ね言ってもよい。
 私は、もう半世紀以上も生きて来たので、その逆転の転換を体験として知っている。表面的に「見合い」システムだろうが。
 これについて、しばしば「社会が配慮して見合いをさせた」といったことが語られるが、そうした話を聞いていて隔世の感があるのは、この見合いシステムというのは、身分システムのサブシステムであることを多くの人が失念していることだ。
 見合いというのは、村落的にはまず家柄が問われる。原形が村落の世帯支配システムであり、同時に権力のシステムなのだから、当然である。
 例外のように見える、財のある家が娘を介して、優秀な男を引き込む機能もあるが、全体的には権力を維持するように、権力に従属する人々をネズミ講のように産出するシステムが「お見合い」である。このあたり、近代自我との相克にした漱石の「明暗」が実にコミカルで面白い。
 見合いシステムの支配は、結婚するために自分のスペックを押さえていたというような自由市民の意志・行動・市場モデルの作動ではなく、従属すべき権力機構に世帯を当てはめることだった。
 現在、多くの男女の市民が従属すべき権力機構に配分されなくなった。等しく下層化したとも言えるかもしれない。現在はまた、江戸時代中期からの後期の都市民のモデルの自然性と、それなりの財を持った家への世帯に未婚者が従属したからといえるのではないか。実は、現代の結婚も、その従属とそれほど変わりなさそうだが。

参考:「歴史的に見た日本の人口と家族」(参照
 
 

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2012.10.28

[書評]ゼロからトースターを作ってみた(トーマス・トウェイツ)

 先日トースターを買い換えたおり、6年くらい使った以前のトースターを分解してみた。正確に言うと、壊れたので分解して直せるかと思ってやってみたのだった。直せないこともない。というか分解修理は二度目だった。バラしてみて、どうしようかと思った。そんなに高いものでもないしと悩んだ。が、買い換えた。T-Falの新しいトースターである(参照)。新品、その後どうか。快適。いわゆるトーストだけでなく、クロワッサンのあっためとか便利だった。あんパンをさくっとあっためても、うまい。

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ゼロからトースターを作ってみた
 それはさておき、分解したトースターのポップアップの仕組みの一部に電磁石を使っているのを見て、それなりにメカニカルではなく電子的な制御もしているのだなと思ったものだった。ほかには、これは単純な機械だな、自分でも作れるんじゃないか、とも思った。
 この本、まさにそう思ったトーマス・トウェイツ君のトースター作成プロジェクトの記録である。
 トーマス君は2009年に英国芸術大学の大学院を卒業したというから、まだ20代なのではないか。実際、この本を読んでみると、その冒険譚に、こりゃ20代の馬力がないとできないかなと思う。そしてなにより、彼の専門がアートにあることがポイントだ。デザインと人間の文明への視点が記録のすべてに表れている。
 私など技術屋の倅の技術屋くずれだと、トースターを自作するというとき、ちょっとアキバに行ってきますから、みたいにさくさく行動してしまう。足りない部品は渋谷のハンズとかにも行く。まあ、そんな感じ。トーマス君はそうではなかった。
 英語でよく"from scratch(スクラッチから)"という表現がある。ゼロから作るということだ。本書も副題は"Or a Heroic Attempt to Build a Simple Electric Appliance from Scratch"(参照)である。プログラマーならこの表現は誰でも使う。既存のパーツやライブラリーなど再利用できるものを組み立てるというのじゃなくて、まったくオリジナルにコーディングをするというやつである。トーマス君のトースター作成プロジェクトは、スクラッチからが想定されているのだ。アキバやハンズにゴーというわけではない。
 なぜなのか。トーマス君は、「銀河ヒッチハイク・ガイド」五巻「ほとんど無害」(参照)の主人公アーサー・デントの述懐を引用する。物語のアーサーは未開な惑星に足止めされているとき、自分の文明の技術力でその星の皇帝になることを夢見るのだが、無理だと察するのである。

 自分の力でトースターを作ることはできなかった。せいぜいサンドイッチぐらいしか彼には作ることができなかったのだ。

 トーマス君はこの視点に執着した。本当にトースターはできないものなのか?
 逆に言えば、本書の視点は、私たち現代人が技術の皇帝のような振る舞いをしている実態を暴くための、一つの批評としてのアートの行為にある。そもそも工学的にトースターを再発明しようというプロジェクトではないし、そういう視点で、このプロジェクトを読んでもあまり意味はない。
 実際に本書を読んでみるとわかるが、彼が作っているものは、トースターとは言いがたい。ではなにを作っているのか。
 鉄であり、マイカ(雲母)、プラスチック、銅、ニッケルである。
 どうやって鉄を作るか?
 そりゃ鉄鉱石から作るんでしょ。そこから鉄を製錬すればよいではないか。鉄など人類は紀元前18世紀に作っている。もちろん、トーマス君も途中まではできる。鉄塊ができた。では、それををハンマーで叩いて伸ばして鉄板を作ればよい。叩いた。砕けた。
 トーマス君は挫折する。なるほど副題にあるように、勇者ヨシヒコのように「勇者の試み(Heroic Attempt)」である。というか、この英語の含みは「英雄の医学(Heroic medicine)」(参照)のように絶望的な色合いがある。
 どうしたら鉄板ができるのか? いったんは挫折したトーマス君のその先の挑戦が面白い。電子レンジを溶鉱炉にするのである。
 それ、話が違うのでは? いやいや。このあたりから本書ががぜん面白くなる。電子レンジで溶鉱炉を作るという話は、胸躍る。鉄をスクラッチから作るというより、電子レンジを溶鉱炉にしちゃうという行為がすでにアートだ。電子レンジっていったいなんだということを再考させる。
 その他もその類だ。プラスチックなら原油から作ればいいのだが、それはしない。最初はジャガイモとか使っている。これはもうわざとだろ。それから廃品を使う。明らかにグロテスクな外装ができる。ニッケルにいたっては、カナダの硬貨を潰している。やったね。
 一言でいえば、文明批判のアートである。もちろん、反原発で江戸時代の日本に戻そうといった時代錯誤の文明批判ではない。文明の意味をくみ取るための自覚の行為とみてよい。文明とはかくも偉大だと再認識するのではなく、そのプロセスのなかの人間的なアート(技芸)がどこまで人間的に理解可能なのかを示している点が重要なのである。本書を読み終えたとき、誰もが日常の物との関係を問い直されるような奇妙な感覚を持つだろう。
 そしてなによりもこのプロジェクトが面白いことにつきる。ありゃあ、やっちゃったなという、なんでもやっちゃう感がたまらない。


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2012.10.27

[書評]知ろう食べよう世界の米(佐藤洋一郎)

 昨日ナショナルジオグラフィックのサイトに「イネの起源は中国・珠江の中流域と判明」(参照)という記事があった。話はタイトル通りでもあるが、発表媒体はNature誌で、原文も公開されていた(参照)。内容の評価についてだが、研究チームが「長い論争に終止符を打つことができた」と自負するほどの価値があるかは私にはわからないが、ナショナルジオグラフィックの記事、および該当論文の概要を読む限り、妥当な見解であり、さほど驚きもなかった。

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知ろう食べよう世界の米
(岩波ジュニア新書)
 というのは、最近、といっても7月だが、子ども向けの科学入門書である岩波ジュニア新書で「知ろう食べよう世界の米」(参照)を読んで、話の概要は知っていた。論文概要は次の通り(参照)。

作物の栽培化は長期にわたる選択の実験であり、これがヒトの文明を大きく進歩させてきた。栽培イネ( Oryza sativa L.)の栽培化は、歴史上最も重要な進歩の1つに位置付けられるが、その起源と栽培化の過程については意見が分かれており、長く論争が続いてきた。今回我々は、さまざまな地域から収集した野生イネ、ルフィポゴン( Oryza rufipogon 、栽培イネを生み出した直接の祖先種)の446系統と、栽培イネであるインディカイネとジャポニカイネの1,083系統について、ゲノム塩基配列を解読し、イネゲノムの包括的な変異マップを作成した。選択の痕跡を探索して、栽培化の過程で選択的除去(selective sweep)が起こった55の領域を同定した。この選択的除去とゲノム全域の変異パターンを綿密に解析したところ、ジャポニカイネ( Oryza sativa japonica )は初め、中国南部の珠江中流領域周辺でルフィポゴンの1集団から栽培化されたことが判明した。またインディカイネ( Oryza sativa indica )は、最初に生まれた栽培イネがその後、東南アジアや南アジアに広がるにつれ、このジャポニカイネと現地の野生イネとの交配により生じたことも明らかになった。高精度の遺伝子マップ作成により、栽培化に関係する形質の解析も行った。この研究は、イネの育種のための重要な基盤となり、また作物の栽培化の研究に役立つ効果的なゲノミクス手法を示している。

 むしろ、この概要の背景を知るのは、同書がわかりやすい。もっとも、同書が今回のNature論文を先取りしていたわけでもなく、詳細まで含まれているわけではない。
 興味深いのは、ルフィポゴン(Oryza rufipogon)の、人類の扱いで、同書でもこの点について、開かれた問いを出している。

 ところで人間はなぜ、栽培イネをルフィポゴンだけから進化させたのでしょうか。アジアには、ルフィポゴンのほかにも野生イネを利用する文化があります。それなのになぜ、人間の社会は、ルフィポゴン以外の野生イネは栽培化しなかったのでしょう。西アジアで栽培化されたムギの場合、社会は、コムギの仲間だけでなく、オオムギやエンバクも同時に栽培化させました。どうしてイネではそうなかなかったのか。これについて私はよい仮説を持ち合わせていないのですが、どなたか、これという妙案を考えてくださらないでしょうか。

 インディカについても本書で言及しているが、概ね今回のNature論文と同じく「このジャポニカイネと現地の野生イネとの交配により生じた」という考えを出している。
 同書だが、子ども向けに平易に書かれているし、タイトル「知ろう食べよう世界の米」のように米を食べる話も多い。よく、パエリアはインディカ米だと誤解する人がいるが、欧州でもジャポニカはよく食されている。本書ではロンバルディア平原で15世紀には栽培されていたもある。黒海沿岸でも栽培されていたようだ。それらの伝搬路もよくわかっていない。
 本書で興味をもったのは、米国の米の起源で、基本的な部分はわかっているとも言えるが、具体的な部分では謎も残るらしい。冒頭のナショナルジオグラフィックの記事を読んでいるとき、たまたま米国米の起源で、アフリカ説を見かけた(参照)。黒人奴隷が持ち込んだのかもしれない。
 米の議論は日本や韓国などでは農業保護の観点からナショナリズムの傾向を帯びやすく、日本でも、もっとお米を食べようといった奇妙なキャンペーンも打たれる。だが、米は世界中で食されているし、その食の形態は、本書が平易に説くようにさまざまなバリエーションがある。ピラフにしてもリゾットにしてもいい。マカロニサラダみたいにサラダにしてもよい。しょっぱいおかずで食わなくても、ミルクで甘く煮てもいいし、ライスプディングでもいい。
 本書で強調されている、アジアの「米と魚」また「米と大豆」という組み合わせの食の視点も、アジアを広く知る上で重要だろう。私が馴染んだ沖縄の食文化も原点は、ウムとトーフとイチャガラスであった。
 子どもたちに、本書のように生活に密接した部分から科学や文化を伝えていけば、現状ネットに溢れるようなナショナリズムを介した無益な食の議論もなくなるだろうし、科学/非科学といった教義ではない、生き生きとした科学の魅力も理解できるようになるだろう。
 
 

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2012.10.26

ベンガジ襲撃事件のその後

 米国大統領選では、意外にもロムニー候補が追い上げて詰めの部分が見えないものの、おそらく全体の流れではオバマ再選ということになるだろう。どちらが勝っても、それほど米国の政策に大きな変化はなく、むしろオバマ氏は再選することで歴史的にはさらにしょっぱい評価を得ることになるのではないか。
 それを前倒しにするような話が、むざんな死者を出した9月11日のリビアの米領事館襲撃事件である。
 この事件は当初、こんなふうに語られていた。9月13日付けCNN「ベンガジの米領事館襲撃で大使ら4人死亡 リビア」(参照)より。


 今回の事件は、イスラム教の預言者ムハンマドを冒とくしたとされる映画がインターネットに投稿されたことに対する抗議行動が発端となって発生した。エジプトの首都カイロの米大使館もこの映画をめぐって襲撃され、星条旗が破り取られている。
 オバマ大統領は「我々は他者の信教を中傷する一切の行為を拒絶する」「しかし今回のような非道な暴力は、断固として正当化できない」と非難した。

 日本でもそのように報道されていた。
 本当だろうか。オバマ大統領は上手な嘘をついているのではないか。
 疑惑をまず、同記事で再考してみよう。

 米政府高官などによると、領事館はロケット式の手りゅう弾によって襲撃されて炎上。 建物は武装集団に取り囲まれ、スティーブンズ大使らは建物の屋上へ脱出しようとして、ほかの職員と離ればなれになった。死亡したのはスティーブンズ大使のほか、情報管理担当官のショーン・スミス氏と国務省の警護担当職員2人。死亡に至った詳しい経緯は明らかになっていない。

 暴徒がロケット式の手榴弾を持っているだろうか。9.11に示し合わせて実施されていることも注目したい。

 関係者によると、ムハンマド映画に対する抗議行動を武装集団が扇動したのか、単に利用しただけなのかは分かっていない。スティーブンズ大使が狙われていたとは思えないという。
 米当局者はこの襲撃について、計画的な犯行だったとの見方を示している。リビア東部のイスラム武装勢力の動向に詳しい関係者は、過去にもベンガジの領事館を襲撃したことのある国際テロ組織アルカイダ系の集団が、今回の襲撃にも関与した疑いが最も濃厚だと語った。

 この報道を見直してみると、「ムハンマド映画に対する抗議行動を武装集団が扇動したのか、単に利用しただけなのかは分かっていない」というように、ムハンマドを侮辱する映画の文脈で語られていた。
 それが正しければ、ベンガジ領事館で明白な抗議デモがあったはずである。ところが、そんなものはなかったようだ。10月11日時事「オバマ政権の対応に疑念=リビアの公館襲撃から1カ月-外交政策、大統領選の争点に」(参照)より。

オバマ政権は当初、事件をイスラム教を侮辱したビデオに対する抗議デモの延長線上にあったと説明し、攻撃をテロ組織アルカイダと関連がある「テロ」と断定したのは、発生から2週間以上が過ぎてからだった。公館前のデモがなかったことも最近判明した。

 テロだったのである。
 さらに、アルカイダによる9.11を模した計画的な襲撃であったとしたら、どうだろうか? そうであれば、オバマ政権はそれを、ムハンマド侮辱映画の反動という偶然の事件に早々にすり替えて見せたことになる。すり替えなければ、米政府の対テロ政策の根幹的な失態であることになるからだ。
 9月19日の時点ではオバマ政権は当初の文脈を固持しているようだった。同日ブルームバーグ「リビア米領事館襲撃、事前に計画されたものでない-米当局者」(参照)より。

 9月19日(ブルームバーグ):米国家テロ対策センターのディレクター、マシュー・オルセン氏は19日、リビアのベンガジで11日に起きた米国領事館襲撃事件について、事前に計画されたものではなかったとの見解を明らかにした。同事件ではスティーブンス駐リビア米大使を含む4人が犠牲となった。
米国とリビア両国の当局者の間では、米領事館襲撃が急進的なイスラム主義者によって事前に計画されたものだったか、過激派が平和的なデモに乗じて攻撃を実行したのかについて、公式見解が分かれている
オルセン氏は上院国土安全保障委員会の公聴会で、米当局は実行犯が国際テロ組織アルカイダか、北アフリカを拠点とするイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQMI)に関与している可能性を示す証拠に目を向けていると説明。その上で、「現在手元にある最高の情報は、今回の攻撃が便乗主義的なものだったことを示している」と指摘した。同氏は、調査はまだ終わっていないとしている。

 9月19日の時点では、「公式見解が分かれている」とうことだった。分かれる理由は、アルカイダによるテロであれば、オバマ大統領は嘘をついていたことになるし、対テロ政策の失策ということになるからだ。
 オバマ大統領は9月26日の国連総会の演説でも、リビアで殺害されたスティーブンス大使について、言論の自由と寛容の精神の双方を守ることを訴えることで、先のように、偶発事件のストーリーを維持しようとしていた。10月以降、テロだと認定された現在から見ると、オバマ大統領、必死だったなの感がある。
 オバマ大統領への疑惑は、選挙戦ともあいまってまだ曖昧な状態にある。
 昨日の日共同「チュニジア人逮捕 リビアの米領事館襲撃」(参照)より。

 【カイロ、ワシントン=共同】AP通信によると、チュニジア情報省報道官は24日、米大使ら4人が死亡したリビア・ベンガジの米領事館襲撃事件に関し、チュニジア人の男(28)が逮捕されたことを明らかにした。
 男は今月上旬、トルコに不正パスポートで入国しようとして拘束され、チュニジアの首都チュニスに身柄を移されたという。襲撃事件に関与した疑いが持たれているが詳細は不明。
 一方、ロイター通信は、在リビア米大使館が事件直後に「イスラム過激派アンサール・シャリアがインターネット上で犯行を認めた」とワシントンに報告していたと報道。
 ただアンサール・シャリアはその後、関与を否定しており、クリントン米国務長官は24日「現地からの報告がいかに流動的だったかを示している」と述べ、オバマ政権の対応に問題はないとの立場を強調した。
 米国内では、オバマ政権が襲撃事件をテロと認識しながら、政治目的で「反米デモが拡大した暴動」と説明したとの疑惑がくすぶっている。

 問題は、襲撃事件に対するアルカイダの関与によっても明確になってくる。もし、その関与が濃ければ、偶発事件だとは考えづらい。どうか。昨日のCNN「アルカイダ系の2組織が同時関与か リビアの米領事館襲撃」(参照)はこう報じている。

(CNN) リビア東部ベンガジの米国領事館が今年9月11日に襲撃され、クリストファー・スティーブンス米大使ら米国人4人が殺害された事件で、米情報機関がアルカイダ系のテロ組織「イラク・イスラム国」が襲撃の中核的な役割を果たしたと分析していることが25日までにわかった。
 米政府高官がCNNに明らかにした。米情報機関当局は先に、襲撃には同じアルカイダ系の「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織」が関与した形跡があると指摘しており、アルカイダ系の2組織が大使らの殺害に加担していた可能性が浮上した。

 現状では計画的犯行の線が色濃いが、決定的な証拠までは挙がっていないかに見える。
 加えて、国内報道は見当たらないが、実は、襲撃直後、オバマ政権側は、この襲撃がテロであることの情報を得ていたようだ。10月24日付けロイター「米政権はリビア襲撃の二時間後に戦闘組織の犯行宣言を受けていた(White House told of militant claim two hours after Libya attack: emails)」(参照)より。

Officials at the White House and State Department were advised two hours after attackers assaulted the U.S. diplomatic mission in Benghazi, Libya, on September 11 that an Islamic militant group had claimed credit for the attack, official emails show.
米政府と国務省の政府高官は、9月11日、リビアのベンガジにある米国外交使節への襲撃の二時間後に、イスラム武装グループが攻撃声明を出していたことについて、電子メールで示した。

 オバマ大統領は、テロ対策の失態を上手に手品のように文化的な軋轢の問題にすり替えてみせたのではないか。疑惑は残る。
 
 

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2012.10.25

Kindle日本進出、しかしなあ

 朝方iPadを見ていると、Kindleアプリの更新が入っていて、おやっと思って見ると、やはり今日から始まる日本サービスの対応だった。さすが対応が早いなとも思ったが、以前からこれ、日本語の辞書などもこっそり内蔵していたから、あらかた準備は出来ていたのだろう。さて、問題は、米国アマゾンのKindleサービスとの連携である。
 ネットの情報を当たってみると、米国で購入済みのKindle書籍は日本版のKindleでも利用できるとのことで、ほっとしたのだが、その仕組みを調べたら、なんのことはない、日本と米国のアカウントを統合しろというのだ。それでもいいかと思ったら、とんでもないことがわかった。一度どっちかに統合したら戻せないというのだ。しかも、米国と日本でKindleのサービス内容が違うのである(参照)。
 先日Newsweekが電子版のみになったのだけど、これって、実際のところKindleで読むようにできている。それが日本アカウントに統合すると配信されなくなるということのようだ。ぽかーん。
 余談だが、昨日配達された日本版Newsweekには、日本版のほうは今後も変わりありませんとのお手紙が入っていた。版元はまた変わるかもしれないけど、日本だとまだまだ電子マガジンは無理だろう、広告媒体として。
 Newsweekだが、両方読んでいる人は知っていると思うけど、日本版Newsweekは本家とけっこう違う。抄訳がすさまじいこともあるし、総じて日本スタッフが書いた記事は残念なクオリティであることが多い。とはいえ、本家よりも国際政治に配慮して、slate、globalpost、diplomatなどの記事も混ぜていて、そこは便利だ。もうちょっと編集力がアップするといいのだけど、そうすると売れなくなるし、広告も取りづらくなるのだろう。
 で、Kindleだが、日本アカウントに米国アカウントを統合すると、Newsweekなどマガジンがなくなってしまう。さらに、Audibleの統合もなくなる。この点についてはたぶん、Audibleだけ別アカウント作れないこともないだろうと思うが、そのあたりで、うへーめんどくせーになってくる。
 あと、当然だがドル建てではなくなる。そのあたり、iTMSみたいにレートでぼったくりはないかなと見たけど、さすがアマゾンは妥当なレートだった。とはいえ、米国アマゾンだとさらにディスカウントがあったり、他にもいろいろ購入できたり、品揃えも豊富だったりもする。結局、米国アカウントを捨てるわけにもいかず、とほほ。
 というわけで、洒落にもならない、Kindle、二つ持ちということになりかねない。
 すでにPaperwhiteのKindleは日本サイトで予約したが、これも、米国版では使えないといことになりかねない。しかたないか。
 iPadのKindleアプリは、米国サービスに紐付けしておくしかないし、iPodのほうはaudibleと併せてやはり動かしたくない。
 当面、日本版のKindleサービスは無縁かなと思ったのだけど、そういえば、以前のSIMなしのArc(android)が腐っていたことを思い出し、引っ張り出して、Wifiにつなげて、こちらのKindleアプリを日本サービスにつなげてみた。なお、こうした使い方するとき、米国と日本と同じメールアドレスだとトラブルが起きるのでご注意。片方のアカウントが見かけ上消えてしまう。メールアドレス、イコール、アカウントということが原因で、実際にはアマゾンはシステム的には日米が統合されているからなのである。
 Arcの画面なので、旧iPod/iPhoneよりやや広めだが、こんなものかなという印象。ルビがどんなものか、以前青空Kindleで、うひゃと思った「渋江抽斎」を落として表示してみた。おや、これはかなり、グット。さすがでした。もしかして、Kindle for Windowsでも表示できるのかと思ったら、こいつはそもそも日本サービスに非対応でした。Kindle Cloud reader と同じ。つまり日本サービスに非対応。フォントの問題かな。
 他に魯迅の作品をArcに落としてチェック。つい、読みふけってきそうなんで、これだと、普通に日本のKindle書籍を買ってもよさそう気になって、適当に新書を一冊買ってみた。「教科書では教えてくれない日本の名作」(参照)という本。内容は知らない。魯迅とか読んでいたら、勧められたというだけ。600円。

cover
教科書では教えてくれない
日本の名作
(ソフトバンク新書) eBook
 書籍版より安いんか、これ。と思って、あとで書籍版を見ると、798円だった(参照)。ほぉ。だいたい200円安いっていうことになるなあ。
 ちなみにこれ、中古で買うと、224円で送料が250円とのことなので、都合574円。おや? それって、電子書籍とタメ張る価格ですな。いや、計算違い、これだと474円。まあ、でもそのくらいの差。
 すると、あとの違いは、電子書籍の読みやすさ便利さというのと、書籍が残ることのメリット(たとえば人にあげちゃうとか)だが、どんなものか。まあ、これまでもアプリ化した電子書籍は読んでいるし、米国Kindleではけっこうライブラリーがうざったくなるくらい読んでいるので、そう未知の世界というものでもない。
 600円で新書というあたりは、デフレ日本には嬉しい価格帯だし、書架も溢れている現状、一度読んで終わる書籍は電子ブックのほうがよい。
 ちなみに、英書だと、実際の書籍で読むより、辞書引きはもとより、検索とかしおりが便利だったりする。
 当面、日本は、電子書籍が紙の書籍を上回ることはないだろうが、予想部数が少なくて出版がためらわれるような書籍は、電子書籍のみということにもなってくるだろう。そうした書籍はそれなりの面白さもあるだろう。昔の絶版文庫が廉価で出てくることは切望する。
 あと、電子書籍の底上げで、柳田国男全集とか出て来ないものか。もう死後、50年なのであった。
 素人出版も盛んになるだろう。米国アマゾンではすでに、素人さんの出版物がけっこうあって、「これは安い!」と思って買うと、けっこうな率でクズ本。慣れたけど。
 あれが日本でも起きるようになるだろう。私も、クズ本書いてを電子化して売ろうかとかともちょっと思った。メルマガよりはきつくなさそうだ。当然、同人誌の類は、アマゾンを使った出版とか盛んになるだろう。
 総じて、日本のKindleには、米国のサービス並みのものを期待していたので、一巡日本サービスを見て、がっかり感はある。が、それはそれなりに使っていきそうな気もする。
 PaperWhiteはやはり気になる。しばらくすると、PDF文書が読みやすいくらいのサイズのE Inkも出てくるんじゃないだろうか。
 
 

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2012.10.24

おなかいっぱいになるまで食っているんじゃねーよ。偉そうに人を批判なんかするなよ。

 スティーブ・ジョブズがスピーチの締めの言葉で使った、「Stay hungry,Stay foolish」をどう訳すか。ちなみに、この言葉自体は、「The Whole Earth Catalogue」っていう本に由来する。
 ジョブズの世代に近い僕なんかだと、うんうん、って思い出す。昔Macを使っているとき、これのハイパースタック版やCD-ROM版をよく見ていた。書籍ではミレニアム版もよく読んだ。
 で、「Stay hungry,Stay foolish」をどう訳すか。
 「ハングリーであれ、愚かであれ」というのが多いかもしれない。
 "hungry"を「ハングリー」とカタカナにしちゃうのは、「ハングリー精神」とかの印象なんだろう。
 "foolish"は「愚か」かというと、どうか。これを延々議論しちゃう人もいるけど、でも、「愚か」でいいと思う。違うとすれば、古風な響きがあるということかな。現代だと普通にいうと、"Stay stupid"、"Stay silly"とかかなんだけど、これだと、本気でオバか、になってしまう。古風な感じを汲めば、「愚者であれ」かもしれない。愚者の黄金、二枚とか。
 "Stay"は、「そこでじっとしてろよ」ということ。
 だから、「ハングリーなままであれ、愚者のままであれ」みたいな訳語でいいのかもしれないが、なにかしっくりこない。
 一年くらい、なんか違うなあと思っていた。
 違和感のコアみたいなのは、「Stay hungry,Stay foolish」とか持ち上げて、教訓にしちゃう人たちって、一番、この言葉が似合ってない感じがするんですよね。
 むしろ、某氏とか某氏とか某氏とかのほうが、ベタに「Stay hungry,Stay foolish」じゃないかと。でも、某氏とか某氏とか某氏とかは、シンプルに、「hungry,foolish」だけなのかもしれない。どうでもいいや。
 もわっとしていた。
 夢を見た。
 老師がやってきて、じゃあ、教えてあげようと言うのである。
 キタ━(゚∀゚)━!!!!!

老「まず、"Stay hungry"だがな、これは、おなかいっぱいになるまで食っているんじゃねーよ、ということだ」
僕「はあ?」
老「はあ、じゃないよ。腹減ったぁ、がっつり食いたいとか、すんなってこと」
僕「はあ? だって、食いたいもんじゃないですか」
老「だから、"Stay hungry"ということ」
僕「メタボ防止とか、あれですか、あの『やせる』っていうやつですか」
老「いや、そういう効果を求めるんじゃないんだよ。それじゃ、foolishじゃない」
僕「"Stay foolish"のほうはどういう意味なんですか?」
老「これはな、偉そうに人を批判なんかするなよ、ということだ」
僕「はあ?」
老「橋下と週刊朝日のごたごたを見てどう思ったかな?」
僕「橋下さんが正しいんじゃね。DNAとか持ち出して批判するってありえないと思うけど」
老「ははは、お前、お利口さんになったつもりだろ」
僕「え?」
老「橋下と週刊朝日、お前さんに何か関係あるのか?」
僕「ないです。ぜんぜん」
老「じゃ、どうして、どっちが正しいとか言うのか?」
僕「言っちゃいけないんですか?」
老「いいよ。言えば」
僕「じゃ、いいじゃないですか」
老「っていう、開き直った自分の状態をどう思う」
僕「あ、いけないなと思いますね」
老「偉そうに人を批判なんかするなよ」
僕「なるほど……しかし」
老「しかし、なんだ」
僕「バカっぽそうに批判するとか正義をまくしたてるのはどうですか」
老「いいんじゃないの」
僕「はあ?」
老「自分はバカだなあと思って、バカがまた正義こいちゃったなあと思っていたらいいんじゃないの」
僕「そういうもんすか?」
老「そう。じゃね」

 ということだった。
 
 Stay hungry,Stay foolish

 おなかいっぱいになるまで食っているんじゃねーよ。
 偉そうに人を批判なんかするなよ。

 うーむ。たしかに、そういうことかな。

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2012.10.23

「夜と霧」の謎

 cakesに寄稿している書評でフランクルの「夜と霧」が今日、公開された(参照)。この機会に日本語の旧訳の読み返しに加え、新訳と英訳本(1984年版と2006年版)を読んでみたが、書評的な話以前に、日本では本書の書誌的な情報が少ないように思われたので、その部分の比重がやや多くなり、本書の感動の核心がうまく表現できなかったかもしれないとも懸念した。が、感動の前提としての正確な読みにはやはり書誌的な情報は必要かと思い直した。新しく読む人や学生にも書誌的な情報は有益でもあるだろうし。

cover
夜と霧 新版
 それはそれとして、二点気になる、いわば「夜と霧」の謎が心に残り、これをcakesの書評に含めるかはかなり悩んだ。結果、最小限の指摘に留めた。そこに拘ると、不確かな思い込みでバランスが悪くなるように思えたからだ。
 そんなわけでこの話は書かなくてもよいことなのだが、ブログのほうでは簡単に触れておこう。「夜と霧」の紹介については、cakesの書評か、あるいはそちらが有料で避けるというのであれば、別の情報源に当たっていただきたい。
 「夜と霧」の本文では、途中、妻の事が痛切に夫・フランクルに想起されるという箇所がある。妻が生きているか死んでいるかもわからないのに、そのことより精神的な存在が大切であるといった話になり、これが旧約聖書の雅歌の引用で締められている。
 この雅歌だが、古来、なぜ聖書に含まれているのかというのは議論があり、これ、率直に言うとかなりエロい詩なのである。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」でもエロの部分が上手に引用されていて、こういうのもなんだが知的に笑える部分にもなっている。
 なぜ雅歌が聖書なのかというと、これには、バル・コホバ反乱で有名な、ユダヤ教最大のラビ、アキバ(Akiva ben Joseph)の意志が関係している。そこは少し込み入った話があるが、その後付けの寓話の類かもしれないが、彼の若い日の熱烈な恋愛の話もよく知られている。
 ユダヤ教やキリスト教の神学ではいろいろ議論があるが、ユダヤ人にとっては、この雅歌の熱烈な、かつ精神的な恋愛の精神的な高揚が、神に結びつくのは一面において自然な感性であり、ブーバー哲学などにも見られるし、シャガールの絵などにも見られる。それはそれとして。
 「夜と霧」では、つらい収容所での生活のなかで、引き離された妻と語るというシーンが描かれている。英語では"commune"が充てられていて、これは「語る」でもよいのだが、おそらくドイツ語でも、文意の背景には霊的な共有の感覚がある。
 この個所でフランクルは、妻と霊的な共有の感覚にありながら、実際の妻の生死の事実を知らないと語る。そして「夜と霧」では、その妻のその後については、直接的には語られていない。
 これは普通の読書力があれば、最終部で、他者のように仮託されて語られていることはわかる。

 先に述べたように、強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、未来の目的を見つめさせること、つまり、人生が自分を待っている、だれかが自分を待っていると、つねに思い出させることが重要だった。ところがどうだ。人によっては、自分を待つ者はもうひとりもいないことを思い知らなければならなかったのだ……。
 収容所での唯一の心の支えにしていた愛する人がもういない人間は哀れだ。夢にみて憧れの涙をさんざん流したあの瞬間が今や現実になったのに、思い描いていたのとは違っていた、まるで違っていた人間は哀れだ。町の中心部から路面電車に乗り、何年も心のなかで、心の中でのみ見つめていたあの家に向かい、呼び鈴のボタンを押す。数え切れないほどの夢のなかで願い続けていた、まさにそのとおりだ……しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。その人は、もう二度とドアを開けない……。

 具体的な描写からそれがフランクル自身であることがわかり、その妻、ティリィも亡くなったことがわかる。
 ここまでは自然に読み解けるのだが、英訳書では、邦訳書とは異なり、書誌的な説明がかなり付加されていて、そこでティリィが妊娠していたことが書かれている。これは、他の英書でも確認したが事実のようだ。
 ティリィが亡くなったのはベルゲン・ベルゼンの収容所で、回想録によると、しかも英軍による解放直後に亡くなったらしい。書籍からの自然な推察では栄養失調とみてよさそうだ。
 問題は、胎児の死である。ティリーがベルゲン・ベルゼンに送られたのは、新婚9か月とのことだ。ベルゲン・ベルゼン収容所に送られたのは、妊娠がわかってからのことだろうか。フランクル自身はそこをどう認識していたのだろうか。また、ティリィの死と胎児の関係はどうであったか。
 その妊娠の経緯を含めて、関連書籍や情報も当たってみたがよくわからない。謎として残った。残酷すぎて書けなかったのかもしれない。
cover
Man's Search for Meaning
 もう一点の謎は、「ダッハウの虐殺」の扱いである。cakesの書評ではこの事件への配慮が、ドイツ語原典の1977年改版と関連していると思われることを手短に指摘するに留めた。
 「ダッハウの虐殺」は、日本ではまり知られていないかもしれないが、連合軍による戦争犯罪の一つとしてあげられることが多い。
 該当個所については、英訳書では関連してかなり長い注記が書かれている。素直に読む限り、収容所管理側の人間すべて悪ではないといった流れになっている。
 この部分だが、フランクル自身が「ダッハウの虐殺」をどのように捉えていたのか、現状の資料もあたってみたが、明示的には読み取れなかった。
 新訳の訳者による解説では、当時のイスラエル問題と関連付けて後記に説明があるが、ここはおそらく、「ダッハウの虐殺」との関連であり、新訳ではもう少し踏み込んだ注釈があってもよかったかもしれない。
 以上二点の疑問だが、ついでにもう一点あげると、本書は旧訳で顕著だが、ナチスによるユダヤ人迫害の歴史証言書として読まれる。それ自体は正しい読み方でもあるが、フランクルの体験を通して語られた証言はそのまま史実を反映しているわけでもない。収容所に関連した当時の情報の流れ方について、踏み込んだ歴史的な研究があってもよいかもしれない。すでにあるのかも知れないが、そのなかで「夜と霧」がどういう位置づけになるのかは気になった。
 
 

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2012.10.20

[書評]政権交代 - 民主党政権とは何であったのか(小林良彰)

 中公新書で小林良彰著「政権交代 - 民主党政権とは何であったのか」(参照)が先月出ていて、副題を見ても感じたのだが、もう民主党政権は終わって、総括本が出ちゃっているんだ。気の早いことだなと思ったが、考えてみれば、もうしばらくまえから、政権交代は実質的に終わっていたわけだから、総括本が出てもいいのかもしれないとも思って読んでみた。

cover
政権交代
民主党政権とは何であったのか
 いつ終わったかだが、私の個人的な意見では、与謝野さんが政権側に入った時点で、これで、自民党の政治と連続しちゃった。
 この本だが、あまり明確な印象はなかった。大半がこの三年間のプレーンな記述に終始していた。その意味でかなり公平に書かれている。この政権の全貌を見渡すのには良書といえる。十年後ぐらいに、あの民主党政権ってなんだったっけ、とか回顧するだけの余力が日本にあれば、それなりに参考文献にはなりそうである。こういうと何だが、本文より巻末のまとめのほうに価値が出そうだ。
 著者は政治における計量分析などを得意とするらしいが、その特徴はマニフェスト理解などの分析で見られるものの、全体的な議論への反映があまり見られないのは残念だった。執筆の時間的な制約であろうか。あと、これは指摘するのもなんだが、外交政策もだが、金融政策についても疎い印象があった。こうしたテーマは共著などほうがよいかもしれない。
 三年間の新聞をまとめました的な記述の後には、終章で意思決定の一般論みたいなものに流れていて、日本特有の政治プロセスへのインサイトもあまり見られないようだった。ただ、しかたないといえばしかたないのかもしれない。日本政治の宿痾ともいえる大きな課題でもあるのだろう。
 さて、結局のところ、民主党政権とはなんだかだが、マニフェスト選挙と言われたように、そのあたりの視点から総括してもよく、本書も簡素にまとめていた。

  • 「コンクリートから人へ」は八ッ場ダムの迷走のように尻つぼみした。
  • 「最低でも県外の普天間基地問題」は、失敗した。
  • 震災対応の遅れは、11か月後に出来た復興庁の迷走によく表現されている。
  • 企業献金や議員定数問題など、政治家が身を切る話も一向に進まない。

 五策に関連して。

  • 国家戦略局は事実上実現しなかった。
  • 副大臣・政務官増員も実現しなかった。
  • 幹部人事制度も実現しなかった。
  • 事務次官会議は形式的に廃止にしたが事実上復活した。
  • 天下り規制は形式的に進めたが効果なし。
  • 行政刷新会議も効果なし。

 政権政策について。

  • 無駄遣い: 公務員人件費削減・事業仕分けなどを進めた実施はわずか。企業献金や議員定数問題は実施せず。公共事業見直しは迷走。
  • 子育て・教育: 母子加算復活・父子家庭への児童扶養手当支援は早期に実施。子ども手当と高校無償化は部分的に実施。家庭省・出産一時金は実施されず。
  • 年金・医療: 実施されない項目が多い。後期高齢者医療制度も自民党時代のまま存続。医学部定員拡大・診療報酬増額は実施。
  • 地域主義: 農業者個別保障は実現。高速道路無料化は断念。ガソリン税の暫定税率廃止は見送り。郵政民営化見直しは法案成立。
  • 雇用・経済: 地域金融円滑化・最低賃金引き上げ・グリーンイノベーションは実施。中小企業法人税引き下げは実施せず。求職者支援制度は実施したが運用に難あり。

 著者は「こうしてみると、そのそも二〇〇九年に起きた政権交代とは一体、何だったのだろうか」と感慨を持つが、一言でまとめてはいない。
 私の考えでは、結果から見るかぎり、政権交代は民主主義国として一度やってみたという以上の意味はなかったように思う。
 むしろ、麻生政権の自民党を壊してしまって、受け皿の政党もまた壊れてしまった部分の影響のほうが大きいように思った。
 
 

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2012.10.19

[書評]これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義(ウォルタ-・ル-ウィン)

 強い通り雨が過ぎて晴天の空が現れたとき、私は小高い場所か、空を広げる場所を探す。太陽を一瞥してその反対の空を見上げる。運が良ければ、そこに虹がある。大空を渡す虹がきれいに見えているなら、円弧の外側に目を向け、もう一つの虹、薄い副虹を探す。虹はしばしば二重になっているのだ。主虹と副虹。そして、その二つの虹の色の順序が逆になっていることを確かめ、すこしうっとりとした気持ちになる。

cover
これが物理学だ!
マサチューセッツ工科大学
「感動」講義
 なぜ、主虹と副虹と色の順序が違うのか? その前になぜ虹が現れるのだろうか。その説明は比較的簡単な物理学で説明できる。もし私の横に同じ虹を見ている人がいて、そのことに疑問を持つなら説明したい。なぜ? 私は虹が好きだし、その仕組みも好きだ。物理学が好きな少年だった。
 そうした思いがそのまま本書「これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義」(参照)にある。主虹と副虹もきちんと実験を含めて説明されている。そうだ、これだよと思う。オリジナルタイトルはまさに「物理学の愛に(For the Love of Physics)」(参照)である。邦訳書のタイトルは、ハーバード大学白熱講義のブームを意識して付けられているが、原題の思いは表紙に描かれた虹のイラストで察することができる。
 本書は読みやすい物理学の入門書だ。おそらく物理学を大学で学んで来た人でも、そうなんだよなと共感しながら楽しく読むことができるだろうし、本格的な物理学を学んでいない中学生や高校生、さらには文系のまま大人になった人でも、物語のように楽しんで読むことができる。それでいて、そうした主旨で日本で販売されているポピュラーサイエンス、つまり、一般向けの科学入門書とはひと味もふた味も違う。
 日本の科学入門書は、しばしば数式を使わないで、比喩や物語を使って考え方を示すというタイプが多い。漫画を使った解説もけっこうある。ウイスキーをコーラで割ったという感じだろうか。本書も数式はほとんど登場しないが、比喩やファンタジーといった間接的な説明はほとんどない。著者ウォルタ-・ル-ウィン教授は、とにもかくにもまず、物理学の美しさということを正攻法で伝えようとしている。正攻法とは実験である。言葉だけではない。現物を提示する。そのようすは物理学の美しさに取り憑かれたアーティストといってもいい。あるいは大道芸とも言えそうな楽しいパフォーマンスに裏付けられている。

 本書は、ル-ウィン教授がMIT(マサチューセッツ工科大学)で大学生に教えた講義が元になっている。彼は、物理学を教える教師として「わたしの目標は、学生たちに物理学を好きにさせることと、物理学の世界を違った角度から見させることであり、これは生涯変わらない!」という。


 たいていの高校生や大学生は物理学を学びたがらないが、それは、物理学が複雑な数式の集合として教えられることが多いからだ。わたしはMITでもそういう教え方はしないし、本書でもそれは避けてきた。わたしは世界が見えるための手立てとして物理学を紹介し、通常わたしたちの目から隠れているたくさんの領域――自然界でいちばんちっぽけな粒子である素粒子から果てしなく広がる宇宙に至るまで――への窓を開いていく。


こんなふうにして、わたしは日ごろから、物理学を学生たちのあいだに芽吹かせようと努めている。ほとんどの学生は物理学者になるわけではないのだから、複雑な数理計算に取り組ませるより、発見することのすばらしさを胸に刻ませるほうが、ずっと大切ではないかと思う。

 ではどうすればいいのか。

教える者が学生の地平を広げてやれば、学生たちは今まで絶対にしなかったような質問をするようになるだろう。物理学の世界の鍵をあけるにあたって心すべきことは、物理学を学生たちがほんとうに興味を持っているものに結びつける方法をとることだ。

 ここで、本書がたぐい稀な、教育書であることもわかる。
 たまたま本書は物理学がテーマになっているが、歴史学でも文学でもプログラミングでも、すべて同じ原理があてはまるし、そうして学生の興味をぐいぐいとその学問の本質に引き入れる、一つの例であることがわかる。
 本書はMITの講義を元にして編集されている。オリジナルの講義の一部もインターネットで閲覧することができる(参照)。大道芸と見間違えそうなル-ウィン教授の講義は見ていて楽しいが、私自身の印象としては、本書のほうがわかりやすい。もちろん、実際の講義でなくては伝わらない部分もあるのだが、本書はすっきりと意識を整えて理解でできる。
 読み終えてから、これ、英語学習をかねて英語でも読んでみようかという気分にもなった。
 
 

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2012.10.16

通称「遠隔操作ウイルス」騒ぎ雑感

 インターネットに無差別殺人や爆破予告の書き込みをしたとして大阪と三重の男性が逮捕されたが、彼らの使用しているパソコンが外部から遠隔操作できるウイルスに感染していたことがわかり、釈放された。この事件、大阪の男性は著名なアニメ演出家であったせいもあり、当初から冤罪ではないかとブログの世界では疑われていた。私も興味をもったが、どうもこれはパソコンウイルスのことを多少なりとも知っている人にしてみると、よくあるボットのバックドアとルートキットというやつで、シンプルに冤罪くさい。まさかそのまま疑われているとは思っていなかった。が、そうでもないことを知って驚いた。
 その後、真犯人と称する人が名乗りだし、事件は、不謹慎な言い方だが、耳目を引く展開になってきている。なるほどというのもなんだが、先の大阪男性の件では、そもそも犯人側がこの人を選んだらしい。今日付けの読売新聞「「警察・検察はめたかった」PC操作で犯行声明」(参照)より。なお、引用では男性名を伏せた。


また、大阪府警の事件では、威力業務妨害容疑で逮捕され、その後釈放されたアニメ演出家・※※※※さん(43)のパソコンに接続した結果、大阪に住んでいることが分かり、犯行予告の舞台として「(大阪の)オ(ヲ)タロードを対象に選定した」としている。

 犯人は対象を選んでいたかという視点で見ていくと、ほかにも考えさせられることがあった。明治大学2年男子学生の件である。当時、7月2日の報道がまだ読売新聞のサイトに残っている(参照)。

明大生「猟銃と包丁でガキ共皆殺し」…市HPに
 神奈川県警は2日、東京都杉並区の明治大学2年の男子学生(19)を威力業務妨害容疑で逮捕したと発表した。
 調べに対し、「何もやってない」と容疑を否認しているという。
 発表によると、男子学生は6月29日午後、自宅のパソコンから、横浜市のホームページ内にある意見投稿コーナーに、同市保土ヶ谷区の市立小学校を名指しして、「襲撃してガキ共皆殺しにしてやる」「猟銃と包丁で完全武装して学校へおじゃまします」などと書き込み、同小の業務を妨害した疑い。書き込みは「鬼殺銃蔵」の名前で行われ、同小は30日に予定していた授業参観を中止した。学生は同小の卒業生ではないという。
 県警が学生のパソコンを解析したところ、書き込みがあった時間帯に市のホームページにアクセスした形跡があったという。自宅アパートからは、銃などに関する雑誌も見つかった。
(2012年7月2日 読売新聞)

 明治大学学生は犯人に「選ばれた」のだろうか。
 これがたとえば大阪の学生であれば、神奈川県保土ヶ谷の小学校を狙うことは、最初の段階で疑わしい。では、杉並区ではどうだろう。杉並区在住の19歳が神奈川県保土ヶ谷に出向くというはどのくらいありえるだろうか。
 少なくとも警察としては、そこを考慮しただろうし、この大学生と名指しされた保土ヶ谷の小学校の関係について考慮しただろう。「学生は同小の卒業生ではないという」ともあるのはその疑念の痕跡である。しかし警察があえて無理筋を推したのは、「書き込みがあった時間帯に市のホームページにアクセスした形跡があった」ということだろう。
 今となってはということになるが、そのホームページにアクセスしたのは、その大学生だったか、遠隔から操作していた犯人であったかということになる。そこは記事からは読み取れない。大学生とその小学校の関係について警察はどう理解したのかについて今後説明責任は問われるだろう。
 警察から睨まれた市民が軽く冤罪になるだろうなくらいは、村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」(参照)を読めばわかる。身近にもそうした事件を知っているので、自分がそういう境遇になったらまず絶望することにしている。その点では、つまり経験的には、私は日本の警察を信用していない。
 いずれにせよ推測するに犯人は、対象者を選んでいるようだ、ということは、選ぶだけの選択肢があるということで、このウイルスに感染している人は、他にも少なからずいるだろう。
 で、その注意を警察は喚起しているだろうか。もちろん!
 これである(参照PDF)。
 これ、なんかの冗談ではないんだろうか。PDF文書以外に存在しないのか。そして、これをPDFで発表する理由があるのだろうか。印刷の便宜だろうとは思うが、それにしても、もうちょっとまともな説明はできないだろうか。

遠隔操作ウイルスの被害に遭わないために!
○ パソコンのOSを含むプログラムを最新の状態にアップグレードしましょう。
○ あやしいサイトにアクセスしないようにしましょう。
○ 信頼のおけないプログラムをダウンロードしないようにしましょう。
○ ウイルス対策ソフトを必ず導入し、最新の状態にアップデートしましょう。
○ ファイアウォールの設定をしましょう。

 間違ったことは書かれていないが、具体的なことも書かれていない。
 それ以前に、おそらくすでに感染したウイルスをどう検知するか書かれていない。
 さらにそれ以前に、私のパソコンが感染していないと言えるのだろうか?
 ウィンドウズであれば、マイクロソフトが無料で配布している「Microsoft Security Essentials」(参照)を使えば、今回のウイルスについては検出・対応ができそうだ(参照)。もちろん、他でも対応しているものがある(参照)。
 今回のウイルスは実行形式の「トロイの木馬」なので、問題のプログラムを実行しなければ感染しない。ヴィスタ以降のウィンドウズであれば、不審なプログラムの実行時には、警鐘メッセージが出るので、今回誤認逮捕された人については、そのあたりを警察がどの程度調べたのかも気になる。
 また、今回のウイルスは、トロイの木馬であることもだが、すでに専門筋で解析されているように、実行コードがソースにまで逆コンパイルできるドットネットなので、ウイルスとしてはそれほど高度なものではない。逆に、もっと高度なウイルスが現在うじゃうじゃ存在し国家機関も関与しているので、そっちのほうがセキュリティーという点では問題だろう。
 むしろ今回の問題は、警察の対応のまずさが際立っているので、市民を簡単に自白させてしまうような制度を改善したほうがよいだろう。率直なところ、こうした件で無辜の市民が逮捕される危険性は減ったとみてよいだろう。
 

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2012.10.15

タリバンから襲撃を受けた14歳の少女マララ・ユスフザイさん

 タリバンというとアフガニスタンがまず連想されるが、パキスタンにタリバンはいて、その勢力が10月9日、14歳の少女マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)さんを暗殺しようと、彼女を含む子供たちを乗せた通学バスを襲撃した。彼女は、頭部に銃撃を受けて重傷を負った。
 マララさんは、11歳だった2009年、タリバン勢力下にあったパキスタンのスワート渓谷の地域で、その恐怖の現状をBBC放送のウルドゥー語のブログにペンネームで投稿して有名となり(参照)、以降、女子教育と平和を求める若い人権活動家として活躍していた。タリバンは彼女の生活地域で女子教育を禁止する命令を出していたが、それに逆らっていた。当地のタリバンは、彼女がイスラム教徒に対する「否定プロパガンダ」をしていたとした。
 今回の襲撃について、パキスタン・タリバン運動(TTP: Tehreek-e-Taliban Pakistan)は犯行声明も出している(参照)。
 マララさんの容態についてAFPはこう伝えている(参照)。


 軍病院で診断を行った医師団は9日夜、マララさんは重体だと発表。ある医師はAFPの取材に「彼女は重体だ。弾丸は頭部を貫通し、肩の背中側、首のそばにとどまっている」と語った。この医師は「彼女は現在集中治療室で治療を受けており、意識はかすかにある程度だが人工呼吸器は取り付けられていない」と続け、今後3~4日間が峠だと語った。

 この話題を朝日新聞の天声人語が13日、次のように取り上げていた(参照)。

 およそ戦争は「大人の男」が始め、あすを担う女性と子どもの犠牲に耐えかねて終わる。武力をもてあそぶ者にとって、時に「おんなこども」は煙たい。それが物申す人であれば、脅威にも映ろう▼パキスタンの武装勢力が、彼らの非道ぶりを訴えた14歳の少女を狙い撃ちにした。テロ組織アルカイダにつながるパキスタン・タリバーン運動(TTP)は犯行を認め、「誰だろうが逆らう者は殺す」と居直る▼銃撃されたマララ・ユスフザイさんは、女子教育を認めないTTPに屈せず、おびえながら学校に通う日々を3年前からブログに記してきた。パキスタン政府は平和賞を贈り、共感の輪が世界に広がったが、TTPには睨(にら)まれた▼地元の警察によると、下校の生徒を乗せたスクールバスに覆面の男が乗り込み、「マララはどこだ」とすごんで発砲したそうだ。銃弾は頭部に当たり、予断を許さぬ容体という。他の少女2人も負傷した▼見境なしとはこのことだ。子どもまで手にかける歪(ゆが)んだ大義に言葉を失う。過激なイスラム主義を奉じるタリバーンは、支配地で娯楽を禁じるなど、厳しい戒律を強いてきた。アフガニスタンでは、貴重なバーミヤンの大仏を「偶像崇拝だ」と爆破している▼蛮行の数々は、平和を愛するほとんどのイスラム教徒にも迷惑至極だろう。今はただ彼女の快復をアラー(神)に祈りたい。――少し休もうか、マララ。君を貫いた銃弾は、何万倍もの怒りとなって、女性差別と狂信者たちを撃つはずだ。

 執筆者は、快復をアラーに祈ることから、おそらくイスラム教徒だろうと思われる。日本人のイスラム教徒も増えているので、不思議なことではない。
 また、祈りにあわせて、「――少し休もうか、マララ」としているが、その思いは伝わらず、英国に搬送されることになった(参照)。アラブ首長国連邦(UAE)から救急輸送機の提供があり、マララさんを乗せた輸送機はイスラマバードを出発し、英国に向かうことになった。一命は取り留めることになると見られている。
 日本語への翻訳のまずさかもしれなが、天声人語でよくわからなかったのは、結語の「君を貫いた銃弾は、何万倍もの怒りとなって、女性差別と狂信者たちを撃つはずだ。」という奇妙な提言である。
 普通に読めば、マララさんを貫いたタリバンの銃弾はさらに、女性差別と狂信者を殺害することになるということになる。
 こうした悲惨な戦闘の応酬を肯定するのはどうだろうかと疑問に思えた。いくら、女性差別や狂信者であっても、銃弾で殺害することが肯定されてよいとは思えない。文学的な比喩表現なのだろうか。
 私たちは間違う存在である。だからこそ、私たちに女性差別者や狂信者と見える人にも、まず平和的な対応が求められる。少なくとも、日本人はそのように考える人が多いだろうし、米国政府で外交の根幹を担うバイデン副大統領も「タリバン自体は敵ではない(the Taliban per se is not our enemy)」と言明している(参照)。
 もう一つ朝日新聞の天声人語で奇妙に思ったのは、今回の襲撃の理由について、タリバンの女性差別や狂信から起こったとしたことだ。しかし、当のタリバンは、「マララの最悪の罪はオバマ大統領を理想の指導者とみなしたこと」と述べている(参照)。
 タリバンは米国と戦争をしている。タリバンにしてみれば、敵国の最高指揮官を崇拝することが許されないということがその主張であったようだ。
 

 
 

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2012.10.14

[書評]中世哲学への招待 「ヨーロッパ的思考」のはじまりを知るために(八木雄二)

 ごく個人的な興味だが、デカルトの「方法序説」を読みながら、原点になったスコラ哲学をもう少し理解しておきたい気分がしてきたので、なにか入門書のようなものはないかと「中世哲学への招待(八木雄二)」(参照)を読んでみた。スコラ哲学の基本的な考え方とバリエーションを簡素にまとめた書籍を期待していたので、その点では求めていたものとは違う印象もあったが、これはこれで興味深い本だった。著者は自身のグリーンボランティアの体験談を含め、一般向けにゆったりと雑感を込めて本書を書いている。エッセイ的に読みやすいと言えば読みやすい。が、どちらかというと思想史というより世界史に関心ある人向けではないかとも思った。

cover
中世哲学への招待
「ヨーロッパ的思考」の
はじまりを知るために
 「中世哲学への招待」と銘打ってはいるものの、実際にはヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus)の紹介書と言ってよい。その名前だが、本書ではドゥンスは家系名かとの推測余地も残しているが地名であろう。スコトゥスはスコットランドの地名でありスコットランド人という意味である。よってその名は「スコットランド・ダン村のジョン」ということである。「ビンチ村のライオン勇気」や「ナザレ村のヨシュア」みたいに地域で識別されている。英語圏では"Duns Scotus"だけでも呼ばれているようだ。言われてみれば、スコットランド人かとあらためて思う。
 時代は、というと生没年だが1266-1308年。本書では親鸞や道元などと比較されている。親鸞は1173-1262年、道元は1200-1253年。年代的には日蓮1222-1282年のほうにやや近い。小説「大聖堂」は12世紀なのでヨハネスより一世紀後の世界である。「不可知の雲」はさらにそれから一世紀下る。
 スコラ学の系譜的にはトマス・アクィナス(Thomas Aquinas,1225-1274)を継ぐと見られるし、実際にアクィナスを踏まえてはいるが、継承のありかたはまさにヨハネスの思想そのものにもかかわり、むずかしいところだ。また、ヨハネスの緻密と言われる思想もその死期までに完成していたと見てよいかは、本書でもわずかに指摘があるが、むずかしい。生没年を見るわかるように彼は42歳ほどで亡くなっている。とはいえアクィナスも49歳ほどでなくなっているので両者ともその時代にあっては早世というものでもないのだろう。
 ヨハネスが生まれたのは名前の通りスコットランドだが、生地とみられるダンズ(Duns)はスコティッシュ・ボーダーズ(The Scottish Borders)でありイングランドに接している。おそらく特例であろうが10歳ごろにフランシスコ会に入り、25歳で司祭。その後イングランドのオックスフォード大学で学びさらにフランスのパリ大学で学ぶ。著者も推測しているが、当時の欧州横断的なパリ大で「スコットランド人・ダン村のジョン」と呼ばれたのかもしれない。彼はそこで1293-97年、学生となりスペインの学者に師事する。後、1302年までイングランドのケンブリッジ大学で講義をし、その余年から1年、パリ大学で講義をしている。このおり、フランス王と教皇の対立に巻き込まれ、教皇派のヨハネスは2年ほどパリ追放となるが、1304年にパリに戻り講義再開。1306年には当時1年が制度である主任教授となり、翌年フランシスコ会の学校で教えるため現在ドイツのケルンに赴き、そこで客死した。死因は本書にも触れられていないし、他の資料でもよくわからない。異説もあるようだ。また本書では言及されていないが、ケルンで埋葬されたらしく次の墓碑銘がある。

Scotia me genuit. Anglia me suscepit. Gallia me docuit. Colonia me tenet.
スコットランドで生まれ、イングランドで育ち、フランスで学び、ケルンにて死す。

 ヨハネスの思想の影響は、その著作の本格的な校訂が現代に行われたこともあり、多重的にならざるをえない。本書でも簡単に言及しているが、ハイデガーの博士論文(教員資格論文)はヨハネスがテーマだった("Die Kategorien- und Bedeutungslehre des Duns Scotus")。ヨハネスとハイデガーの関係はアリストテレスを介している点が注目されるが現代のヨハネス学からするとそれほど強い関係性があるとはいえないだろう。とはいえ、ハイデガーを議論するときその原点のヨハネスに言及できる日本の哲学者がどの程度あるかというと、絶望的な気分にはなる。
 本書にひっぱられというわけでもないが、ヨハネスの関連話が多くなったが、当のヨハネスの思想はどうか。思想史的には、それ以前の新プラトン主義に対して、イスラム圏からアクィナスなどを経て西欧に入ったアリストテレス思想の精緻化と大筋で見てよいだろう。本書では、この新プラトン主義とアリストテレス思想の関連で、ヨハネスの思想について、当然といえば当然なのだが、カンタベリーのアンセルムス(Anselmus Cantuariensis)を補助線として説明している。存在と論理について。

 したがって、それぞれに言い分がある。そしてこれがヨーロッパの学者を二分するのである。すなわち、理性のなかでの論理的推論が、実在と一致することは、その推論内部の妥当性のみで判断されることなのか、それとも感覚される事実によって最終的に検証される必要があることなのか、という立場の違いである。前者がプラトン主義と呼ばれ、後者がアリストテレス主義者と呼ばれる。「無限な存在」の存在可能性を、知性のなかで判断できると考えているヨハネスは、したがってプラトンやアンセルムスの弟子であり、これに反対するトマスやカントは、アリストテレスの弟子なのである。

 トマス(アクィナス)やカントをそう見てよいかというところは異論もあるだろうし、ヨハネスがプラトン主義的なのかというのもさらに異論もあるだろうが、概ねそう見てもよいのではないかと思う。そう見ることで、随分と思想の視座が整理される。
 アリストテレスを介した議論は、個別性におけるアクィナスの質料重視とヨハネスの形相重視の対立して著者に理解されている。余談めくが、この質料だの形相というアリストテレス用語だが、英語では、materialとformである。かなり卑近に言うと、木綿豆腐と油揚げの議論と言ってもよい。アクィナス的には木綿豆腐と油揚げも大豆というmaterialから出来た同一性が重視され、ヨハネスにおいてはそのformの違いが重視される。そりゃ、鍋にするときその機能は異なる。
 冗談はさておき、このformの重視のなかから、人間の類的性質よりも、社会的な形態が重視され、その信仰において近代的な個人を導いていくのではないか、というあたりが、私の誤解かもしれないが、本書におけるヨハネスの思想的な重要性であり、これに並行して、個人の自我を理性よりも意志に所属さていくことで、近代市民の原形を形成していくと見ているようだ。
 このあたり、私の読み取りは粗雑かもしれないし、ヨハネスがフランシスコ会を通して後代に影響を与えたとして市民社会の意識にまで浸透しえたかについて、よくわからない。
 この書籍では、著者自身の信仰がキリスト教であるような印象を受けないが、もう少し信仰の内部に入るなら、神と合理性に対して、啓示と意志性の対立がヨハネスの着想点ではなかったかとも思える。「啓示」の視点はこの全体像から見渡せないが、ヨハネスが三位一体をその時代の枠組みの「記憶・理解・愛」として、単にクザーヌス的な論理性のみの議論から引き離し、むしろ「愛」に意志を加味させたところに、もう一歩のところで、啓示によって意志される個人という概念が出てきそうには思えた。
 
 

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2012.10.11

華為技術(Huawei)製品に中国政府によるスパイ機能が仕組まれるか

 中国政府が米国の通信ネットワークに、バックドアと呼ばれる、悪意のあるハードウエアやソフトウエアを組み込む危険性があるとして、米国政府とその契約企業は中国通信最大手・華為技術(Huawei)と2位・中興通訊(ZTE)の製品を使用しないように促す勧告書(参照)を、米国下院情報問題常設特別委員会(HPSCI)が米国時間の8日、公表した。
 中国製の通信機器を使用していると、国家機密が中国政府側に漏洩する危険があるということだ。
 本当だろうか。本当だとすれば、米国だけの問題とはいえず、日本はどう対応したらよいかが問われる。が、ざっと報道を見た範囲では、そうした観点で日本では問題化されていないようなのでブログで拾っておくことにしたい。
 まず、そもそもそんなことがありうるのだろうか? つまり、中国が自国の通信機器にバックドア(裏口)を設置することがありうるのか。米議会の妄想ではないのか。
 もちろん中国は反論している(参照)。これは国家的なスパイ行為を名目にした市場締め出しではないかという思いが中国側にはある。。
 この問題は、10日付けのフィナンシャルタイムズ社説「華為技術を狙い撃ち(Targeting Huawei)」(参照)でも論じられいたが、読みやすい邦訳も出た(参照)ので、それを借りると、ようは華為技術のオーナーが不明な点にある。


 華為の所有者が誰であるのかはっきりしない。創業者は人民解放軍の元軍人。会長は中国のネットワーク上のeメールからテキストにいたるまですべてを監視している保安機関と関係がある。華為はそうした関係を否定するが、主張に説得力はない。英国など華為を受け入れている国は自国のネットワークで華為が存在感を高めていることに神経質になっている。

 フィナンシャルタイムズは、よって、「華為は下院報告は噂に基づいていると指摘した。そうであるならなおさら不透明性を払拭したらよい」と流すのだが、それ自体、無理筋の話とみてよい。
 仕組みはスレート「(Is the World's Second-Biggest Telecom Provider a U.S. Security Threat?)」(参照)が言及している。幸いこれも邦訳(参照)がある。

 華為に巻き返しの手段はあるのか。噂されているIPO(新規株式公開)が実現しても、表面的な影響しかないだろう。同社はすでに財務内容を公開しているし、既に株式を公開しているZTEも今回の批判をかわせなかった。
 むしろ、古参の役員ばかりで占められている取締役会を変革したほうがいいかもしれない。収入の3分の2を国外で稼いでいるのだから、国際経験の豊富な人材を取締役会に加えるのは当然ではないか。
 とはいえ、一企業の力ではどうしようもないこともある。中国経済はあらゆる面で国家に細かく統制されており、中国企業が政府主導の経済から距離を置くことは不可能だ。中国の政治家に「中国代表」と評される華為が国外のビジネスを切り離すのは不可能だろう。
 米中の政治的関係が改善する日まで、華為とZTEは政治的な「人質」という立場から逃れられそうにない。

 実際のところフィナンシャルタイムズのいう不透明性の払拭というのは、事実上、中国企業に外資を投入させ国際企業化すればよいという帰結になる。日本の郵政でもナショナリズム的な観点から反動が巻き上がったが、ナショナリズムが暴走している中国ではこれは端から難しい。
 いずれにせよ、中国企業を国際化せよという構図なのだろうか。それとも、フィナンシャルタイムズが懸念するように貿易上の問題なのか。

 一方で米議会とホワイトハウスも平衡感覚を保つ必要がある。報告は華為とZTEを米政府の調達から排除し、企業合併・買収活動を禁止するよう求めている。それでは世界第2位と第4位の通信機器大手が世界最大の市場で商売の機会をほとんど得られなくなる。中国がシスコなど米国の通信機器メーカーに対抗措置を取る可能性がある。
 中国と米国は世界経済が鈍化する中で貿易摩擦にかまけている余裕はない。バラク・オバマ大統領は先週、中国企業による4カ所の風力発電所の買収を差し止めた。米国の無人航空機実験施設に近いという理由からだ。大統領は2週間前には中国の自動車部品メーカーへの補助金について世界貿易機関(WTO)に提訴した。共和党の大統領候補ミット・ロムニー氏は大統領就任の初日に中国を為替操作国と認定すると約束している。彼は中国をひどい知的財産権泥棒と非難している。
 こうした批判には真実も含まれている。だがワシントンはもっと広い視野を持つことも必要だ。貿易戦争の危険は封じ込めなければならない。

 冷静な議論に見えながら、中国の不可解さに対しては相応の防御意識がはたらくのはしかたのないことだろうし、中国のスパイ活動への懸念は裾野が広く、通常の国であれば、日本のような鷹揚とした対応は取りがたい。
 加えて奇っ怪な話がある。ウォールストリートジャーナルでこれを大統領選に絡めた読み筋である(参照)。

 報告書は両国間の貿易関係が緊張の度合いを増す中で発表された。中国の対米輸出姿勢は11月投票の大統領選でオバマ大統領と共和党のロムニー候補との争点にもなっている。オバマ陣営は今週、インターネット上の選挙キャンペーンの中で、華為技術が以前に米国企業を買収しようとして失敗した案件について、ロムニー氏が経営していた未公開株投資会社を通じて関係していたとの印象を与えようと試みた。

 報告書の背景に米民主党の思惑があったとは想像しがたいが、奇妙な展開を見せる可能性がないわけではない。
 
 

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2012.10.09

山中伸弥・京都大教授、ノーベル医学生理学賞受賞、雑感

 山中伸弥・京都大教授が今年のノーベル医学生理学賞を受賞した。下馬評も高かったという意味では意外ではないが、科学部門のノーベル賞はしだいに文化勲章みたいにご老人に与える、ご長寿の名誉になってきているので、若い山中氏はどうなのだろうかと私は疑問に思っていた。実際のところ、今回の受賞は79歳のジョン・ガードン・ケンブリッジ大名誉教授とで分かつことになり、文化勲章的な威厳を守った。
 賞金は800万クローナである。今日のレートだと9443万円。今回は折半にするので、山中氏の分け前は、4700万円くらい。
 以前は1000万クローナだったが、今年の6月ノーベル賞は欧州金融危機の影響を受けて200万クローナを減額していた。ちなみに、ロシア人投資家ユーリ・ミルナーの基礎物理学賞(参照)は300万ドルである。今日のレートだと2億3483万円。ノーベル賞は賞金額からみるとけっこうしょぼく、名誉がまず重んじるといったところに落ち着きそうだ。
 ついでなのだが、ノーベル賞は最先端の学問を切り開いた人に与えられるというわけではない。もともとアルフレッド・ノーベル氏はダイナマイトの開発で巨富を築いた人であり、ダイナマイトが戦争ではなく人類に寄与してほしいものだという願いが込められていた。その主旨から、ノーベル賞は人類に貢献した偉大な業績に与えられる。
 ということなので、その業績によってどれだけ人類の文化が発展したか、より多くの人が救済されたかという視点が問われる。その点では、私としては、今年あたりにイマチニブを開発したブライアン・ドラッカー氏が受賞するのではないかなと思っていた。ドラッカー氏も若いが最初の実験は1992年でもあり、もうそれなりの年月を経ている。その上に新しい新薬の分野も開かれた。
 今回の山中氏のスピード受賞だが、実際に賞を得たというニュースを聞いたときに私が思ったことは、いや我ながらひねくれたやつだなとも思うのだが、二つの政治的な影響だった。
 一つは、米国での倫理問題加熱である。1998年にヒトES細胞が発見されてからというもの、その医療への応用に米国の倫理問題が過熱していって、中絶権利の問題とならぶ大問題になり、大統領選挙でも問われる踏み絵にもなっていった。
 かたや、韓国が国家戦略としてES細胞研究で世界のトップに出ようと焦るあまり、韓国国内で人卵子の売買を含めた違法入手の活動が活発化し、その動向に、米国の、ヒトES細胞研究推進派も恐怖するような事態になった。さらにそれが2005年には韓国の主要研究者黄禹錫氏の論文捏造まで発覚して、国際的な大スキャンダルになった。その翌年である。2006年、ヒトの卵子を利用しない、山中氏のiPS細胞が颯爽と登場したのである。
 あの時の米国世論の大変化は私の印象ではものすごいものだった。世の中に銀の弾丸などというものはないというのを常識としてきた自分でも動揺するほどだった。翌年、決定の遅いバチカンですら、iPS細胞研究を「倫理的問題」とするべきではないとの見解を示した(参照)。いいのかバチカン。iPS細胞から人間が作られるかもしれないのだが。やはりそこは、受精の神秘を回避したからだろうか。
 いずれにせよ、山中氏のiPS細胞はすでに米国を救ったといってもいい光景を見せた。これは10年ほどすればノーベル賞はそのために来るんだろうなと思った。
 今回の受賞に際してもう一つ思ったことは、欧州側から米国科学特許への牽制ではないかなということだった。昨日のエントリーで、癌治療ウイルス研究に触れたが(参照)、この研究も特許の問題が非常に難しく関係している。山中氏のiPS細胞についても、特許の問題がいろいろ関連していて、日本で認められていた特許では、iPS細胞を作成で注入する遺伝子が限定されていた。が、この9月にようやく日米で新特許が成立した。早期にノーベル賞を出したのは、関連特許が米国にすべて押さえこまれるようにならないようにという欧米側の牽制ではないかと思ったのである。
 ノーベル賞というと、つい政治的な背景を連想するようになった。それもまたこの賞の持つ「花」というべきものかもしれない。
 
 

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2012.10.08

[書評]最新型ウイルスでがんを滅ぼす(藤堂具紀)

 癌の標準的な治療は3つある。三大治療法とも言われる。病巣を手術によって除去する外科療法、抗がん剤を用いる化学療法、放射線によってがん細胞を殺傷する放射線療法。癌の種類やステージによって有効な治療法の選択は異なる。こうした説明を聞いて、ふーんと思う人は、おそらく幸いである。

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最新型ウイルスでがんを滅ぼす
(藤堂具紀)
 本書「最新型ウイルスでがんを滅ぼす」(参照)では、この三大治療法は「この三十年以上、進歩がありません」と書かれている。著者は臨床医であり、臨床医からするとそれが実感なのだろうと察するとともに、非固形癌治療や分子標的治療は進歩した面もある。それでも、この30年間に癌について革新的な治療法が出現したとは言い難い。免疫療法など第四の治療法も模索されているが大きな成果はないと言ってもよいだろう。本書の、ウイルスを利用する治療法も客観的に見れば現在その段階にある。しかし、本書には大きな期待が持てそうだ。
 書名には「最新型ウイルス」とあり、「新型ウイルス」を連想させてしまう点は出版側も悩んだところだろう。実体は、単純ヘルペスウイルスⅠ型を遺伝子変化させたものである。著者が開発しているのは「G47Δ」という人工ウイルスである。これを治療的に癌患者に感染させ、癌細胞を標的として破壊させる。NHKサイエンスZEROでも紹介されたことがある(参照)。
 人工ウイルスによる治療と聞くと、映画「アイ・アム・レジェンド」(参照)が連想され、恐ろしさを感じる人もいるだろう。だが、その側面についても本書は十分に配慮して説明されていて、危険性はない。むしろその確認のためにも本書が読まれるべきだろう。
 「G47Δ」は現在開発中ではあるが、実験段階の同種のウイルスの動物実験の成果を見ると驚嘆せざるをえない。まさに人類の科学的叡智というものを実感させる。科学技術のディストピアが陰鬱な倫理とともに語られる昨今、人類の科学が切り開く展望を爽快にかつわかりやすく見せてくれる。
 早くこの夢のような癌治療法が確立してほしいと願わざるをえないが、その道は険しい。創薬そのものが難しいからだとも言えるし、その難しさの背景にある、特許を主軸とした、世界の仕組みも関連する。こうした社会的問題も本書から知ることができる。
 私が本書で一番関心を持ったのは、著者が臨床医であることだった。一人の臨床医が最先端の医学研究にどう取り組んでいったのかという、その経験談と、臨床医ならではの感性に惹かれた。この感性のありかたこそ未来の日本にとって重要なのではないか。
 日本の最新技術が今後どのようにあるべきかについて、しばしば基礎研究と公費の枠組みで問われる。それはそれで重要ではあるが、こうした現場にいる天才的な人々をどのように支援していくかのほうが大きな鍵だろう。
 あと、ディテールになるが、著者の癌観も興味深いものだった。あまり一般書では語られることがないように思われる、癌幹細胞説についてもさらりと、しかし臨床医ならでは直観をもって語られていて感心した。個人的には癌幹細胞説を包括的に論じた書籍が読みたいものだと思っている。
 
 
 

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2012.10.06

[書評]恋愛検定(桂望実)

 NHKで6月頃放送されていたドラマ「恋愛検定」を先日見た。なぜ今頃、というと、録画していたことを忘れていたからだった。50分くらいの4話ものである。おでんくんに出てくる神様のような「恋愛の神様」が登場するファンタジーという、軽いコメディータッチの作品なので、さらっと見られるものかと思ったら、1話づつ、ずしんと重たい。一話見ては、うるうるしてしまった。
 調べてみたら、原作(参照)があるようなので、あのうるうる感というか、胸キュン感をもう一度確かめたくて読んでみた。テレビドラマとはちょっと方向性の違う作品だった。

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恋愛検定
 ドラマはドラマで完成度が高くて驚いた。映像の作りがきれいだし、音楽もよかった(参照)。DVDも出るのだろう。原作にはない、フラメンコを見せるスペイン酒屋も美しかった。脚本も緻密で、なにより女優が魅力的だった。
 第1話「自称恋多き女 四級検定」は、30過ぎた自称恋多き女。つまり勘違い女の話である。化粧品会社広報部長を演じる田中麗奈が意外と言っては失礼だが、お見事だった。彼女については私はあまり知らない。大河ドラマ「平清盛」でも、まあ気丈なキャラとしてそんな感じかなというふうに見ていた。年は若いとばかり思っていたが、今回のドラマの映像はなかなか辛辣で、どうみても30は過ぎたでしょうというのを上手に捉えていた。実際は撮影時に31歳の終わりというあたりだったのだろう。女優の内面も透けてみさせるような演技には魅了された。
 話は、4話通じてなのだが、「恋愛の神様」が人間の世界にやってきて、恋愛能力を検定するというのだ。英検とか漢検のノリである。が、恋愛が成立すると合格というのではなく、恋愛能力が試されるだけ。悲恋でもよいのである。ドラマのほうは気の利いたファンタジー的に描いていたが、小説のほうはポケモンのようにそういう異世界を制度的に描いていた。
 「恋愛の神様」は意外にも酒好きの中年のおっさんである。ドラマではだらっとした風体でほっしゃんが演じていた。好演であった。なぜ中年男なのかというと、おそらく原作者の内面を反映しているからなのだろう。
 2話目「無駄にやさしい女 三級検定」では、惚れた男には別に好きな女がいる。男への恋情から彼らの恋愛を哀しく助ける道化の一人という設定である。エドモン・ロスタンの戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」(参照)の現代版といったところだが、その恋愛の手助けとしてのメールの扱いが私には面白かった。私の青春にはメールはなかったからだ。電子メールはかれこれ四半世紀も使っているが、それで恋とかしたこともない。メールで恋愛はご勘弁と思っている私には、ここはちょっと異世界を覗くようでもあった。
 主人公・香川紗代はマイコが演じていた。この人、朝ドラで見た人だなとわかったが、今回のドラマで、もしかして、この人、ハーフじゃないだろうかと思った。日本人とはちょっと違う顔の表情がある。どうやらそうらしい。あとで人に聞いたら、知らなかったのぉと驚かれた。自分も濃いめの顔をしているせいか、こういうのに鈍いんだよ。
 マイコの演技は上手に切なかった。切ない感じをうまく出せる女優はなかなかいないなというのと、ドラマでの女優の選択の妙を思った。
 第3話は男の側である。よって私などにはそれほど面白くはない、とまで言ってよいかわからないが、「石橋を叩き続ける男 二級検定」というようになぜか二級である。いわゆる理系男をありがちに描いているのだが、かたきも当然いて野波麻帆が演じていた。これはこれで上手だった。前二話と脚本の質が違うので、この作品は加藤綾子によるものだろうか。あと三話が荒井修子だろうか。
 第4話「神様が惚れた女 マイスター検定」は、10年前に恋人を事故で失ってもう恋をすまいと思い込んだ39歳の沢田ゆかりを木村多江が演じていた。木村多江という女優さんはよく知らないが、見たことあるなと思った。私のおばあさんの若い頃に似たタイプの美人というか、こういうタイプに惹かれる人は多いのだろうと思う。私はちょっと微妙に苦手である。そんなことはどうでもよい。
 物語は、子連れの男との再婚への微妙な恋情を描いていた。悪くない。いいと言っていい。ただ、恋愛のこういう、なんというのか、40歳を越えていくあたりからが、本当に難しいものがある。
 さて、原作のほうはどうだったか。
 設定は似ている。登場人物名も同じ。ドラマの側から見ると、脚本家の力量もわかって面白いというか、最近の脚本家というのは巧みなものだなと確認する。私は韓流ドラマというのを見ないのだが、ここまで繊細に人間の心情が描けているだろうか。描けているのかもしれない。わからん。
 ドラマと原作の違いは、ドラマに採用されなかった、「堀田慎吾 三級受験」と「森本瑠衣 一級受験」の物語によく表現されている。
 堀田慎吾は女性への理想は高いものの仕事は適当にやっていればよいという36歳の男。現実世界ではそこまで典型的な男もいないだろうと思うが、その心理の働かせかたは、かなり正確に描かれていて、自省力のある男性なら痛みを感じるだろう。物語では、ほぼ理想の24歳の女性との見合いに失敗する。理想さえ高くなければ34歳の看護婦さんとうまくいそうにも見える。ネタバレになるが、検定期間が終了して落第し、「僕の日常が再開された」という言葉で終わる。まさに蛇足だが、その意味は「死」でもある。
 「森本瑠衣 一級受験」は堀田慎吾の女版である。私は女性の心理というのがわからないが、これも正確に描かれていているのだろうと思う。たいていの女性はこういう心理で生きているのだろう。女というものの薄気味の悪い部分だと思う。ここはさすがにネタバレは書けない。
 原作には、心理学者のゆうきゆうの解説が付いている。なんとなくだが、これは出版社側の企画で最初から彼が入っての作品だったような印象がある。その解説は、いわゆるこの手のハウツー本にありがちな内容以上はなく、むしろ原作はそのハウツーを越えた部分の深みにうまく到達している。
 深み? 恋愛はたやすくないということ。
 なぜたやすくないのかというと、私たちはたいていは凡庸な人間だからだ。見映えもぱっとしない。勉強や仕事の能力もない。カネもなければ縁故も薄い。それで恋愛なんかできるわけないと世間と妥協して生きているし、その妥協の上手下手が端的に言えば結婚にかかわる。それでいいのか? よいわけはない。凡庸さの痛みのような部分におそらく恋愛は毒でもあり薬でもあるようにはたらく。
 
 

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2012.10.05

ガラムマサラの話

 ガラムマサラについて、一言を持つ人は多いだろう。私もその一人だと言いたいところだが、そうでもない。定見がないのである、私には。
 なので、ガラムマサラについて、けっこうどうでもことを書いてみたい。
 ガラムマサラとは何か? デジタル大辞泉にはこう書いてある。「各種スパイスを混ぜ合わせたインドの混合香辛料。インド料理に広く用いられる」。まあ、そうだ。語源はというと「元来はヒンディー語で、ガラムは辛い、マサラは混ぜたものの意」である。
 ようするに、各種スパイスを混ぜたものである。
 じゃ、それは何か?
 ウィキペディアにはこう書いてある。


 「辛いスパイス」と訳されることがあるが、辛味よりも香りをつけることを目的に使われる。ヒンディー語の "garam" には「暑い」「熱い」という意味はあるが「辛い」という意味はない。
 熱い香辛料と呼ばれる由来は、作る過程で熱を加えるためである(後述)。また、石井利一(S&Bスパイスクッキングアドバイザー)は、「『ガラム』は、“触れてあたたかい”というニュアンス。インドでは、それぞれの家庭で独自の配合で作られていることから、日本でいうところの『おふくろの味』といったイメージがある」と述べている。

 「ガラム」の解釈については置くとして、ようは、「それぞれの家庭で独自の配合で作られている」ということだ。吉田のタレみたいだな。
 だとすると、ご家庭ごとに勝手に調合するのか。
 そうだとも言えるが、できあいも売られているし、ガラムマサラの基本というものがあるんじゃないか。ウィキペディアはこう書いている。

 基本のスパイスは、 シナモン(肉桂、桂皮)・クローブ(丁字)・ナツメグ(肉荳蒄)の3つである。
 ほかにカルダモン、胡椒、クミン、ベイリーフなどを加えたり、ナツメグをメースに替えることがある。厳密なレシピは無く、同じ人が作る場合でもつねに配合が同じとは限らない。

 結論からいうと、こういう説明でもいいんじゃないかと思うが、ここでこういいう疑問は起きないだろうか? 各種スパイスを調合するというのなら、カレー粉と何が違うのか?
 これについて、「はてなキーワード」にこんなことが書いてあった。

garam masala。
インド料理には欠かせないスパイス。カレー店にはこの名前を取ったものもある。
ガラムマサラはすごいらしい
魅惑のカレーが出来るんだよ
ガラムマサラを毎日摂ろ
カレーのパワーを信じましょう

 ふざけてて書いてあるのかもしれないが、カレーとガラムマサラの関係こそ、日本人にとって最大の疑問と言っていいだろう。
 よって、ここは対するカレー粉とは何かが提示されるべきである。
 カレー粉ってなあに?
 ウィキペディアにカレー粉の説明があった。

 カレー粉の原型になったのはインドのマサラであるといわれている。しかしマサラは本来、料理に合わせてそのつど調合して作る混合スパイスのことであり、同じマサラを別の料理に使うことはない。

 はて? それではカレー粉とガラムマサラとの違いがわからない。
 とはいえ、調合されるスパイスの種類で見ればちょっと様子が見えてくる。

味 - クミン、コリアンダーなど
辛味 - カイエンペッパー、胡椒、ニンニク、ショウガなど
色 - ターメリック、サフラン、パプリカなど
香り - クローブ、シナモン、カルダモン、ナツメグ、オールスパイス、キャラウェイ、フェンネル、フェヌグリークなど

 そういうこと。
 ちょっと乱暴に言うと、カレー粉は、クミンとコリアンダーを中心に、黄色の色にターメリックを混ぜると、基本ができる。
 というわけで、私は、クミンとコリアンダーを等量にターメリック半分の特製カレー粉を作って常備している。
 基本ができれば、これに辛みと香りの好みを合わせると、カレー粉になる。
 ガラムマサラの話に戻ろう。
 ウィキペディアの話だと、ガラムマサラの「基本のスパイスは、 シナモン(肉桂、桂皮)・クローブ(丁字)・ナツメグ(肉荳蒄)の3つである」というのは、つまり、カレー粉の香り成分の強調なのである。
 別の言い方をすると、基本のカレー粉(クミン、コリアンダー、ターメリック)があれば、あとはガラムマサラで香りを強調し、辛みをチリで調整して自分の特製カレーができるというわけだ。
 そこで、S&Bの「ガラムマサラ」を見る(参照)。

こしょう、コリアンダー、赤唐辛子、カルダモン、クミン、クローブ、シナモン

 ありゃ?
 成分表記は通常配合量順に書かれているので、この順に入っているとすると、見てわかると思うが、カレー粉の基本が入っている。
 これ、コショウベースにカレーっぽい感じになっているのである。
 他も見てみよう。AllAboutに手製ガラムマサラの配合がある(参照)。

クローブ   5g
シナモン   1本(3~5g程度)
カルダモン   5g
ブラックペッパー   5g
クミン   10g
ローリエ   2~3枚

 ちょっと微妙だ。ウィキペディア的にはナツメグが抜けている。甘い香りが弱いか。
 あえて問題はというと、クミンの配合がもっとも多いことだ。クミンを入れると、簡単にいうと、カレーになってしまうのである。だから、この配合でも、けっこうカレーである。カレーと被っている。
 他はどうか。「魔法の香辛料ノート」というサイトにこういう配合がある(参照)。

カルダモン  小さじ1
シナモン  小さじ1
クローブ  小さじ1
ナツメグ  小さじ1
ローリエ  4枚
クミン  小さじ1
ブラックペッパー  小さじ1
スターアニス  小さじ1

 ほぉという感じ。クミンが入っているが、それほどは目立たない。スターアニス、つまり、中華素材の八角が入っているんで、甘いフレーバーが出るし、ナツメグでも強調される。
 同ページにはこのガラムマサにターメリックを加えて、「本格的チキンカレー」の作り方が乗っているが、ようするに、ガラムマサラはカレー粉の中核なわけである。
 マスコットのガラムマサラもこれに似ている。

クミン、シナモン、ブラックペッパー、カルダモン、その他香辛料。

 クミンが多いのでカレー粉っぽいが、これはこれでガラムマサラの基本。
 ところで、エスニックといえば大津屋である(参照)。大津屋のガラムマサラを見る。

原材料:ブラックペッパー、コリアンダー、クミン、フェネグリーク、シナモン、その他香辛料

 うっ。これはカレー粉っぽいぞ。なぜだ?
 説明が続く。

ガラムマサラはインド料理の万能スパイスで、その家庭により、また料理によって、いろいろにアレンジして使います。一般に肉・魚用には臭み消しの効果の高いナツメグ、ガーリック、クローブなど。野菜用にはコリアンダー、クミン、キャラウェイ、フェネルなどの芳香性スパイスを用い、これに辛味性スパイスをブレンドします。

 なるほど。というのは、これ、ようするに、大津屋ブレンドこそ、現地的なカレー粉の基本なわけなのですよ。
 日本だとカレー粉というとそれだけで論じられるけど、インド料理的には入れる素材でスパイスを当然変える。特に、肉・魚用と野菜用を変える。大津屋ブレンドのガラムマサラはまさにその用途でできている。
 とはいえ、最初からコリアンダーとクミンが入っていると、ほんとカレーだなという感じ。
 ラーメンやでよく見かけるGABANはどうかな? GABANのガラムマサラはこう。

コリアンダー、クミン、スターアニス、ターメリック、カルダモン、クローブ、唐がらし、その他の香辛料。

 これは大津屋と似ている。基本のカレー粉という構成になっている。
 マコーミックのガラムマサラはちょっと面白い。カレー粉っぽさがちょっと引いている。

ナツメグ、フェンネル、コリアンダー、クミン、カルダモン、クローブ、シナモン、ジンジャー、その他香辛料

 さて、実は、このガラムマサラ話、ここまで前振りだったのである。
 実は、ハウスのガラムマサラが面白いのだ。こういう調合になっている。

オールスパイス、ブラックペパー、シナモン、ローリエ、カルダモン、クミン、クローブ、バジル、コリアンダー、ガーリックパウダー

 配合比はわからないけど、多い順に並んでいるはず。そして、クミンもコリアンダーも入っているので、当然カレー粉臭はある。使っているから、本当ですよ。
cover
ハウス ガラムマサラ 13g
 しかし! シナモン・クローブ・ナツメグを兼ね備えたオールスパイスが前面に立つことで、香りが引き立つ。
 つまり! これこそ、日本のカレーに加えるべき、日本人のためのガラムマサラだと言えるのではないか!!
 さっきのGABANも実はハウス食品、さらにNEWCROWNACEもハウス。ハウスって自社系列で、3種類のガラムマサラを出している。やるな。
 とか、ちょっと感動してしまったわけですね。ステマみたいですが、違います。
 ガーリックパウダーは配合しなくてもいいと思うけど、これ、カレーに加えても使えるし、そのままローストチキンに使ってもいいし、チャイ(スパイス紅茶)にも使えて、便利ですよ。
 カレーに入れるときは、5皿分に小さじ1/2とあり、ぱらぱらと振るよりは少し多めに使う。
 パッケージを見ると、その他、野菜炒め、焼きそばにともある。まあ、好みによるだろう。
cover
マスコット
ティーマサラ カルダモン 28g
 チャイ限定であれば、マスコットのティーマサラのほうがいいかもしれない。「カルダモン、シナモン、ジンジャー、その他香辛料」と、まさにチャイ向け。
 
 

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2012.10.02

「うる星やつら」の思い出

 また楽屋落ちみたいな話からだが、cakesで書いている書評の、今回は「めぞん一刻」(参照)が公開された。前・中・後と3回に分けていて今回はその前編分。「めぞん一刻」の紹介説明な部分。書評はできるだけこれから読む人のガイドも兼ねたいと思っているので、基本ストーリーや主要人物、要点などをまとめようと思っている。
 「めぞん一刻」は単純なラブコメとも言えるのでさくっとまとめてもよいのだが、ちょっと思い入れがあって紹介部分からして重くなってしまった。ネットメディアに重たい文章もなあと思ったが、今回は特例で3回に分けて掲載ということなった。こういう部分は書き手としては嬉しいが、ブログとも違い、あまりそれに甘えてもいけないとも思った。
 「めぞん一刻」の話はそちらでということなのだが、今回全巻を数日かけて読み直しながら、並行して書かれていた「うる星やつら」も気になっていた。特に、あれっと思ったのは、「めぞん一刻」の冒頭の数話での男主人公・五代のキャラ設定は、「うる星やつら」の男主人公・諸星あたると被っていたんだなと再確認した。当然、女のほうでも響子はラムに被っている部分があった(キャラ的にはサクラでもあるが)。
 キャラの被りは作者の個性からしかたないし、この二つの物語は相似形とまでも言えない。では、「うる星やつら」っていうのはなんだったのだろうかと、あらためて思った。
 「うる星やつら」は少年サンデーに1978年(実質は1979)から1987年、約10年連載された。「めぞん一刻」のほうは同じく小学館のスピリッツに1980年から1987年。並行していた。私は当時、少年サンデーと少年マガジンはずっと読んでいたので、「うる星やつら」も第1回から知っているが、最初のラムちゃんの顔は、ちょっとなという感じであった。

cover
うる星やつら (1)
 「うる星やつら」は暗い物語である。面堂終太郎の閉所恐怖症や太宰治の「グッドバイ」を思わせる三宅しのぶや、ランやおユキもも暗さの始まりではあったが、「巨人の星」のパロディなんだろうが、藤波親子が出て来たあたりで、もうなんだか精神病理のような世界になってきた。特に、藤波竜之介には、すごいなこれ、と思った。そのあたりで、「うる星やつら」は死のカーニバルというものなのだろうとも思ったが、物語全体としては、それほど面白いものではない。
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うる星やつら
ラムのベストセレクション
 アニメのほうは作画が安定せず、ひどいことになっていた。が、音楽は最高で、関連CDは買っていたし、ロックやっていた平野文のCDも買って聞いていた。あのCD、以前の職場に置き忘れて紛失したのがいまとなってはくやしい。ラムと平野文の結合は、まあ、どうしようないなというくらい強く結合してしまって、それ以外のラム像は描けない。
 ラム萌えしていたかというと、いやあ、そんなことはないっすと言いたいところだが、毎年「うる星やつら」カレンダーを買って飾っていた。でっかいラムのポスターも飾っていたのだから、ちょっと弁解しがたい。記憶を辿ると当時、ガールフレンドもいたのにそのざまであった。我ながら20歳もすぎて、ラム萌えなんてどうなんだろという感じだった。もちろん、「萌え」なんていう言葉はなかったが。
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築地魚河岸嫁ヨメ日記
 萌えということでは、作者の高橋留美子にも思い入れがあって、真偽は確かめたことがないが、O島タヌキに重なる担当者と結婚したという噂を聞いて、なにかがっかりした気分になった。そのがっかり感みたいな記憶は今でも残っているのだが、なんなのかよくわからない。そういえば、平野文が見合い結婚したときもちょっとさみしい感じがした。
 さすがに30歳過ぎてからはサンデーも読まなくなり、30半ば以降の沖縄暮らしのせいもあったがスピリッツもあまり読まなくなった(発刊日が遅れるのである)。東京に戻ってきたころには漫画雑誌もあまり読まなくなった。いい作品だよとか勧められると、単行本で読むくらいである。
 
 

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