有料配信プラットフォームcakes、開始
有料配信プラットフォームcakes(参照)が今日から始まった。楽屋落ち的な話をしていいものかわからないが、開始日について知ったのは昨晩であった。
今朝になるとツイッターのタイムラインや、はてなブックマーク、またそのほかのメディアで開店祝い的な話題が出るだろうだろう、となんとなく思っていたが、やまもといちろうさんの「この国で結婚をするということ 前編」(参照)についてのはてなブックマーク(参照)を見かけたくらいだった。
ネットメディアの世界は現在、多様化し棲み分けのような状態でもあるので、画期的な試みであれ、高く上がった夜空の花火のように見えるというわけでもない。私にしても、BLOGOSやアゴラなどを読むことはあまりない。世間でブログの代表のようになっているアメーバーブログなども読まない。それは同時に、このブログもブログの世界のとても小さな位置にあるということだろう。
有料配信プラットフォームcakesの開始だが、画期的なのは、まさに有料配信プラットフォームということだ。これは理解されにくいのかもしれない。寄稿している私自身、よく理解できていないのだから。印象としては、有料ネットマガジンに見える。情報は無料だったという時代から、有料へと潮目が変わったのだというふうに理解される部分もあるだろう。
Cakes側の理念としては「様々なコンテンツを配信するプラットフォームとして、つくり手と受け手双方にとって、これまでにない新しいメディアの形を提案していきます」とあり「Amazon.comがインターネットでの物販を「普通のこと」にしたように、cakesはインターネットでのコンテンツ販売を「普通のこと」にすることを目指していきます」とある(参照)。デジタルコンテンツのAmazonというイメージなのかもしれない。
ではそのコンテンツ(内容)はどうか? まず、基本的にどの記事も編集の目が入っていると感じさせる質があり、その分、落ち着いた印象と、読み手の側の理解の速度が問われる。
私の個人的なクセかもしれないが、ネットの情報は速読でざくざくと読み飛ばしていくことが多い。cakesの記事はその、ざくざく読みの速度に合わない。雑誌や電子書籍に近い。
読む側のありかたが問われるという点については、まだ開始したばかりで連載作品は第1回というのが多いが、回を累積していくと重要になるだろう。cakesは連載をじっくり読むに便利なプラットフォームだろう。
連載といった累積性は、有料を志向する点で似ているがメールマガジンとも違う方向に進むだろうと期待する。有料コンテンツだからメールマガジンという、このところの傾向は、コンテンツというもののあり方、特に累積性という点では疑問が残る。
cakesには自分も参加しているので、その面からの感想も加えてみたい。すでにいくつか指摘されているが、仕掛け人・加藤貞顕さんという人が大きな存在になっている。おそらく加藤さん自身は表現のバランスを取っているのではないかと思うが、少なくとも私については、プラットフォームとしてのコンセプトよりも、「加藤さんが始めることは面白いのだろう」という直観が参加のきっかけだった。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』などを担当した編集者という評価ではなく、コンテンツについての独自の感性をもつ人だと思えたことだ。
cakesで私が始める「新しい古典を読む」というコンセプトも、私自身としては加藤さんの感性に応えてみたいという思いがあった。実際にこれから連載を続けていくなかで、うまくそこが維持できるかは挑戦になる。
その意味では、私自身としては書評コラムを有料プラットフォームでも書くというより、一つのコンセプトをもったメディアのなかでそのコンセプトを支えるような仕事がしてみたいという思いが先立つ。
別の言い方をすれば、ブログで書いている書評を有料版で少し質を高めたということではないし、質という点ではブログのエントリーでもそれほど変わらない。もちろん、cakesでは編集の手が入るのでそこで差が出るし、その差が大きな違いに変わるかもしれない。
具体的には、「新しい「古典」を読む」として「【第1回】『TN君の伝記』(なだいなだ)」(参照)が今日公開された。『TN君の伝記』の書評というよりも、なぜ今『TN君の伝記』なのかを問うてみたかった。
次回は『銃・病原菌・鉄』になる。その先はまだ書いていない。書評を書くこと自体は、それほど難しくはないが、今の時代で、そしてある程度評価の定まった定番の古典ではなく、この20年くらいの書籍のなかで今後古典に残りそうなものが、どのように現在を生きているかを見つめてみたい。
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コメント
システムとしては寄稿文(あ、写真はあるか)しかないのでマンガ雑誌の創刊に近いだろう(今や文芸雑誌の創刊はあり得ないだろうから)。
連載の面々を見るに、唯一読んでみたい、というかよくこの人を口説き落としたなと思うのは、仲田晃司。
ワイン雑誌でもこの人のインタビューというのは載ってないし、まして連載などする人じゃない。
一瞬購読しようかとも思ったが、しかし、この人だけだとまだ敷居が高い。雑誌では3本有力な連載を抱えれば大丈夫だといわれる。さて今の連載陣の中で化ける奴が出るか、それとも新規で引っ張ってこれるか。
投稿: F.Nakajima | 2012.09.11 23:35
山本夏彦おじいさんからもらった葉書に「昔ことばはあめ土を動かしたようですが、このごろ動かさなくなったのはタダだからでまことにタダほどよくないものはありません」と書は体ををあらわす飛び跳ねた文字で書いてありました。また人は国境の中ではなく言葉の中に
住んでいるとも言ってましたね。
小さな箱から脱出する方法 のような素晴らしい本がどうしてマルチな人々の手でマネジメントされているのかと尋ねたらファイナルベントさんは不思議だけどどうでもいいことだ、原典にあたりなさいとのお答えでした。それはファイナルベントさんが超選良だからですね。エリートはクリエイティヴに専念、平民はNLPで口パクパクです。
投稿: September | 2012.09.12 09:58