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2012.08.08

インド大停電で思ったこと

 インドで7月31日、首都ニューデリーを含め全土の半分に及ぶ20州と連邦直轄領で大規模停電が発生し、全人口の半数に当たる約6億人の生活に影響が出た。インドではその前日も北部9州で停電が発生し、どうやらその影響で複数州で大量の電気を引き込もうとしてさら関連地域が停電したらしい(参照)。2日連続の大停電は珍しく規模も大きかったこともあって国際ニュースにもなった。
 2日付けのフィナンシャルタイムズも「政策の失敗が招いたインド大停電」(参照)でこの問題を厳しく論じた。インド政府が十分な電力インフラを整備していればこんな事態にはならかったとして失政を責めた。経済大国を目指すインドにあるまじきという結語でもあった。
 それもそうかなと思ったが、この話題はその時点では、さほど日本では関心が持たれているふうではなかった。私と同様、悪く言う意図はないのだが、「あの広大なインドなんだし」と受け止めていたのではないだろうか。ところが今日になって、読売新聞と日経新聞でこの話題が社説に躍り出て奇妙な感じがした。
 FT紙以上の社説を日本の新聞が書けるわけもないだろうから、「これを日本にとって他山の石とすべき」なんてオチになるんじゃないかとつい先入観を持って読んだら、だいたいそうだった。読売新聞社説の結語は「インドの大停電は、エネルギー政策の見直しに取り組む日本の教訓となろう。電力の安定供給の重要性を再認識せねばならない」ということだ。日経新聞社説のほうはさすがにお笑い趣向ではなく「電力以外でも、逆浸透膜を使った海水淡水化設備や、鉄道の運行管理システムなど、日本が先行するインフラ技術は少なくない。これらの移転で新興国の成長を支えることが、日本の新興国事業のすそ野を広げる」としていた。そのあたりが無難な締めでもあるだろう。
 ここで私はなにかが心に引っかかった。FT紙の社説を読み返して気がついた。読売新聞社説でも日経新聞社説でも、FT紙が指摘した電力事業の民営化については言及していなかったのだった。
 FT紙では「ひとつの解決策は、商業ベースで送電網の運営ができるような民間企業参入をもっと認めることだ」としてさらに、発電についても民営化を後押しする政策も提言していた。
 もし日本がインド大停電を他山の石とするなら、その民営化や発送電分離という話題ではないんだろうか。このあたりいつも思うのだが、日本の政治言論というのはなにか歌舞伎のような奇妙な枠組みを感じる。
 先ほど「あの広大なインドなんだし」という印象を書いたが、今回のインド大停電のニュースで気になっていたことが私にはあった。インドだからということより、それほど大問題だったのだろうか。それが当初ニュースを聞いたときの疑念だったのを思い出した。
 後続のニュースを聞いていると、今回のインドの大停電だが同日中にニューデリーと北東部の地域で完全復旧、北部で86%、東部で79%復旧したという。
 そのあたりの報道には、私も沖縄で暮らしていたころよく台風で停電を経験したので、実感的に共感できる部分がある。
 沖縄の台風というのは本土のように台風一過として過ぎていかずにだらだら1週間くらい続くことがある。停電はよく起こる。丸二日停電だったこともあり印象深い。たいていは半日から一日すると復旧する。
 実際現地で暮らしていると、停電になると「復旧まだかな」としか思わない。その間どうするかというと、電池式のランタンとか、人によっては発電機を使う。手慣れたものである。インドでもそうだったのではないかと思ったのだった。
 どうだったのだろうか。今週号の日本版ニューズウィークにも翻訳があったが現地からの体験記事(参照)を読むと、自分が思ったとおりだった。
 メディアは今回の大停電を政治問題にして喧々囂々と議論したが大半のインド国民にとてはそれほど打撃でなかったと書かれていた("the power collapse really did not affect a whole lot of Indians")。記事はそのあと、電力を食う富裕層と僅かな電力で暮らす人々を対比していて、それはそれなりのありがちな枠組みの話に終わっていたのだが。
 都市生活では電力は十分にあったほうがいい。猛暑の日のエアコンディションは人命に関わる。だから電力は……という議論だが、それでもあまり私は気乗りしない。
 これは政治的な議論というより、技術的な議論であるように思えるからだ。技術というのは科学技術もだが、政治的な技術もだ。日本の文化的な生活そして日本に求められる生産に必要な電力については、手順を踏んで考察すれば妥当な結論が出るだろうという意味だ。
 別の言い方をすると逆説的だが、あまり政治的な議論にはならないタイプの問題だろう。繰り返すが、妥当な結論が妥当な手順で導かれるタイプの問題だろう。
 そういうふうにこの問題を見ない人たちが、いろいろなイベントで政治問題を活発にさせてしまうことが問題なんだろうなとも思った。
 
 

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コメント

干ばつが酷くて井戸から水を汲み上げるモーターによる電気使用量の増加も停電の一部とどこかで聞きました。
日本では考えにくい事ですけど、大事な事ですので。

投稿: goro | 2012.08.08 22:04

経済大国目指してるから問題なんじゃないですかね。
沖縄と比べるのはナンセンスです。
自動車など工業や医療、ITインフラの冗長性確保など比べ物にならないほど世界的な大役を担っていると思いますし、信用問題に関わります。
少しくらいの停電大丈夫なのはドメスティックなところだけでしょう。
遠回しな原発反対お疲れ様です。

投稿: ナナシ | 2012.08.09 08:21

FT社説でも触れているが、実はより重要なのは燃料供給。石炭炭鉱の採掘権の民間参入を認めること。供給の総量が増えなければ、発送電分離では、グリッド過負荷で全体が落ちるのは防げるかもしれないが、やはり限界あり。尚、参照するならFT本体で。日経翻訳ではなく。
手馴れたもの=ビジネスには結構影響あるんですよ、ご存じないでしょうが。

投稿: 黒須 | 2012.08.09 11:08

妥当な結論には「原発」も入るのかな‥。

投稿: | 2012.08.09 18:25

とても共感しました。

日本のある種の「政治言論」は歌舞伎(笑!)。

まさに「型」ですよね。思考(?)の型。大見得。そこに不足しているのは、いつでも具体的な現実分析ですよね。

あと、分析を成立させている価値的な「立場」。この立場もまた歌舞伎的です。思考や分析を刺激し、真に鼓舞するのではなく、むしろ、思考や分析の焦点を拡散させ、歌舞伎的な型によって予定調和的な思考停止に追い込むこと(笑)。

得意ですよね。

「政治的な議論というより、技術的な議論」という論調も、とても納得する所多いです。

「技術の問題」を技術の問題として取り扱わずに、過度に「政治的な問題」に帰着させてしまうことは非常に多いと思います。

これだって、ある種の「思考停止」だと思います。歌舞伎の型も思考停止ですもんね。

投稿: ボンボン太郎 | 2012.08.10 06:26

ああ、中国より日本から遠い分、インドのほうが不利なんだな、と思いました。べつに、こういう考え方を傲慢だと思いません。中国がかろうじてでも今の中国でいられるのは、あきらかに日本のおかげです。

投稿: enneagram | 2012.08.12 05:46

確かにインド、よく停電します。私が観光した際もデリーで一回、バラーナスで一回起きましたが小型の自家発電ぶん回して照明だけ動かしている家もありました。インドでは規模の大小こそあれ停電は日常茶飯事なのでしょう。
理論的に最適解を導いたとしても政治的な要因が必ず絡んでくるので、難しい問題ですね。もしかするとインドも同様の状況なのかもしれません。

投稿: ととんが | 2012.08.14 00:41

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