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2012.08.05

救世軍の制服から思う

 救世軍の制服がいつからブレザーになったのかちょっと調べてみたがわからなかった。あるいは今でも、昔ながらの詰め襟の軍服のほうも正式なユニフォームとして採用されているのだろうか。
 救世軍(The Salvation Army)について私がよく知っているというわけではない。制服の変遷すら知らない。それでも昭和時代の人生が長い私には、それが軍隊組織となっていることにずっと関心は持っていた。
 救世軍は1865年に、当時英国メソジスト教会牧師ウィリアム・ブース(William Booth)とその妻キャサリン(Catherine)が、ロンドン東部の貧しい労働者階級を支援するために設立したキリスト教団体である。後にブース大将と知られる彼は36歳だった。団体の名称は当初「ロンドン東部キリスト教徒ミッション(East London Christian Mission)」だったように、独自のキリスト教派という意識もない慈善団体だったのだろう。
 救世軍創設とされる1865年が慶応元年に当たるのか、正確にはわからない。この年は5月に改元したのでその前であれば元治2年になる。また、慶応4年の10月には明治元年となる。救世軍ができたのは明治の少し前になる。
 その時代でロンドンの貧窮した労働者階級といえば、すでに英国に亡命していたカール・マルクスを連想する。彼がエンゲルスの支援で英国に亡命したのが1849年。純粋に彼の手による「資本論」の第一巻が刊行されたのは1867年なので、ブース大将とマルクスが見ていた世界は同じものだったことがわかる。
 救世軍という名称に変わったのは、ブース大将が受けた1878年の霊感によると言われている。当時はもちろんまだ大将ではなかった。霊感はこう言われている。「われわれは志願軍ではなく、救済軍である(Not volunteer army, but Salvation army)」。「救済」ではなく「救世」という邦語を当てたのは尾崎行雄である。
 この霊感だが、英語のウィキペディアにあたると「私たちは志願軍である。志願! 志願ではない、正規なのだ("We are a volunteer army. Volunteer! I'm no volunteer, I'm a regular!")とある。霊感の元は彼の父とある。それが父なる神なのかブースの実夫を指しているのかよくわからないが、おそらく亡父だろう。英国的なゴーストの含みがありそうだ。ブース大将の父親は幼少時代は富裕であったが投資に失敗して破産。アルコール中毒にもなった。13歳のブース少年も貧しさから質屋に奉公に出され、その年父は死んだ。質屋奉公時代に彼はメソジストになり信仰を深め、説教者となった。
 霊感の話に戻る。この話は救世軍創立の神話とも言えるので有名だが、その意味合いはというと日本人には多少難しいかもしれない。なぜブース大将は志願軍(a volunteer army)のボランティア(volunteer)ではないと強調したのか。
 ここまで「志願軍」と訳したが定訳語には「義勇軍」もある。むしろ義勇軍のほうが意味が取りやすい。義勇軍は、愛国心などを理由に自ら志願して軍人となるということで、正規軍ではないという含みがある。ブース大将の霊感は、だから「自分たちは正規軍なのだ」ということに力点が置かれている。
 このあたり、当たり前すぎるのかざっと見渡した範囲で英語圏でも解説がないのだが、おそらくこれは主の祈りにもある、The Kingdom of God(神の国、神の王国)の正規軍という意味合いだろう。神が命じた軍事活動に従事するということだ。救世軍では、組織も軍隊らしく階級、制服、記章が整備されていく。公務で軍服を着てこそ救世軍なのである。これに対して義勇軍であれば、むしろ善意やイデオロギーによって軍活動に参加したということで、ゲリラとかサンダーバードとかサイボーグ009隊みたいなものになる。もっとも彼らも独自のコスチュームがある。
 オリジナルのブース大将率いる救世軍の活動は1880年代に勢力を爆発的に伸ばした。まさに軍隊活動らしい進軍と言えないでもない。日本にも影響した。
 日本での活動は1895年、明治28年に始まる。英国人の救世軍士官による伝道から、山室軍平が日本人最初の救世軍士官となった。士官は牧師に相当する。後に彼は中将となり、さらに日本軍国司令官となる。なんか言葉の響きがすごい。1924年、大正13年に彼は勲六等瑞宝章も受章する。当時の日本国家からも好意的に認められていたということである。
 日本の救世軍の著名な活動としては、遊郭から女性を解放した廃娼運動がある。一般的には社会鍋がよく知られている。昭和な私は、救世軍かあ年末の社会鍋かと思う。
 無教会系のキリスト教徒だった山本七平が生まれたのは大正10年、1921年であるが、彼の子どものころの思い出では、彼の家にはブース大将の写真が飾ってあった。その写真の中央には、大山元帥がいてその隣に外国の軍人がいた。その軍人がブース大将であった。明治40年、1907年に来日し明治天皇に謁見したときの記念写真であった。ブース大将は山室軍平の通訳で日本全国をめぐり講演した。爆発的な人気であったという。
 青年時代の山本七平はその写真を見ながら奇妙な思いに打たれたことがあった。昭和15年ごろ彼は渋谷で「救世軍の仮面をはぐ」「愛の名で行われる公然たるスパイ行為」というパンフレットは受け取ったからだった。その時代には、すでに救世軍が排外的な対象に変わっていたのだった。
 山本七平はそのとき、明治時代に熱狂的に日本に受け入れられたブース大将が、昭和の時代に排外的な糾弾に変わるまでの年月が32年かと思ったらしい。そしてさらに32年したら日本の世の中はどうなるだろうとも思った。その年は勘定すると昭和47年にあたる。それから数年後彼はこう思った。「静かなる細き声」より。


 伝統的発想と思うが、われわれはとかく現状は永遠にその方向に進むと考えがちである。ブース大将来日の時も、「紀元は二千六百年……」と歌ったときも、経済成長の最高潮のときも、その時点で書かれたものを見れば、そう考えていたとしか思えない。だがその日から五年後には明治は終わり、皇紀二千六百年式典から五年後に皇紀は消え、大日本帝国も現人神も消えた。
 そしてそれに代わって登場した新しい権威も、その権威者を迎えたときの熱狂的な大歓迎も、戦後三十余年ですべて消えたと言ってよい。
 市ヶ谷の露地の奥の、小さな事務所兼倉庫に移ったとき、時々、救世軍の士官を見かけた。私は長い間、救世軍の本部がこの近くにあることを知らなかった。
 そして士官を見かけるたびに、まるで座標のように三点、明治四十年、昭和十五年、そして現代が頭に浮かぶ。理由はおそらく、そのユニフォームが昔も今も代わらず、少年の目に映じたそのままだからだと思う。
 考えてみれば、服装も町のたたずまいも人の心も、この三つの座標でそれぞれ大きく変化している。そしてその中で、時には大歓迎をうけ、時には糾弾され、時には半ば無視されながら、それと関係なかったように、軍服型のユニフォームが今までつづいているのが、逆に不思議に見える。現代の日本で、これだけ無変化を継続し得たものは、珍しいのではないであろうか。

 山本七平がそう記したのは昭和52年ごろであった。そのころまで、救世軍の軍服は明治時代そのままだったのだろう。
 今はどうなんだろうかと思って、調べたがよくわからないというのがこの話の冒頭であった。現代ではブレザーになっている。あれからさらに32年経ったのである。たぶん、救世軍の軍服もようやく変わったのだろう。
 山本七平は先の述懐にこう続けた。

 なぜだろうか。一体この社会に無変化で継続しうるものがあり得るだろうか。
 あるとすればそれは聖書に記されたように「愛」――「愛の行為」だけであろう。不思議といえば不思議なのだが、これくらい使いやすい言葉はない。
 
 人は、教育の荒廃とか社会の荒廃とかを語り、それをさまざまに批判しながら、「愛の欠如」についてはだれも語らない。いや、ひとのことは、とやく言えない。私もその一人である。
 私は救世軍については何も知らない。知っていることといえば、子供のころ、救世軍とは「愛の行為をする軍隊です」と言われたことだけである。
 そして、市ヶ谷であのユニフォームを見かけるたびに、それを思い出す。そしてそれが、無言のうちに私にも社会にも欠けている一番大切な点を指摘しているように思えて、一瞬、足がとまってしまうのである。

 救世軍の軍服も変わった現代、愛の欠如のほうはどうなったかといえば、たぶん、変わっていない。教育の荒廃とか社会の荒廃とかも変わらず語り続けている。
 
 

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コメント

ボランティアを「奉仕」と和訳するのに何か違和感がありました。「志願」、これだ、と思いました。感謝します。

投稿: クリトン | 2012.08.06 18:08

昨日、救世軍の人と話す機会があったので、尋ねてみました。
その方の説明では、
元々イギリスの気候風土から詰襟が採用され、正式な制服となった。
アメリカで折襟(と言ってましたが、ちょっと違う気が……)が使われるようになり、広まった。
現在でも正式な制服は詰襟。
以前は折襟は略式とされていたが、近年、正式なもの(=詰襟)と同列に扱われるようになった。
とのことでした。

立ち話でしたので、細かなことは聞けませんでしたが、ご参考までに。

投稿: bow-who | 2012.09.12 22:34

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