ロンドンオリンピック雑感
朝テレビを付けたら閉会式の映像が流れた。しばらくすると好きだったクイーンのブライアン・メイが出てきたので英国らしいなと思った。これでロンドンオリンピックが終わったわけだ。長いような短いような期間だった。私はほとんどオリンピックを見なかった。観戦スポーツにほとんど関心ないのである。
昨日のブログ記事でユーリ・ミルナーの現況について触れたが、関連の報道を読んでいるなかでモスクワタイムズに掲載されたロシアの政治アナリスト、ユリア・ラッチニーナ(Yulia Latynina)のコラムに共感した(参照)。
彼女は、オリンピックというものがわかったためしがないと告白せねばならないというのだ。なんで速く泳げることに大騒ぎをするのだろうか。なんであれ魚の泳ぎのほうが速い。人間がどれほど高くジャンプしたとして意味があるのか。身体の比率からすればノミのほうが高く飛ぶ。他の動物のほうがはるかに有能である分野でなぜ人間の身体能力を競うのだろうか、と彼女は問いかけるのである。
冗談で言っていることはわかるが、私もそんな感じがしている。加えて、自分ではない他者ががんばっていても、その行為を評価はするが、あまり共感はしない。まして集団的な競技だと自分に関係のないグループなんだなと遠くで見ている感じがする。たぶん、こうした感覚は生まれつきのものというより、なにかと集団からのけ者にされた子供時代のトラウマに根があるのではないかと思う。
閉会式の放送の後、NHKのアナウンサーは、日本はたくさんメダルを取りましたと喜んでいた。へえ、そうなのか。ロンドンオリンピックの公式サイトだと思われる、london2012.comのメダルリストを眺めてみた。こんな感じです。
Gold(ゴールド)は金、Silver(シルバー)は銀、Bronze(ブロンズ)はというと銅。ブロガーのきっこさんがツイッターで「日本では「金」「銀」「銅」と呼んでいるから「銅メダル」が安っぽく感じてしまうが、あれは正確には「青銅メダル」、英語なら「ブロンズ」だ。「ゴールド」「シルバー」「ブロンズ」と呼べば遜色はないし、白人女性の髪の色ならゴールドやシルバーは安っぽいがブロンドは高級感がある」(参照)と言っていた。ちなみに、ブロンドの髪のブロンドは"blonde"。
メダルリストを眺めてみると、金銀銅いずれも米国が群を抜いて多い。これに引き離されて中国が続き、さらに引き離されて開催国の英国が金では第三位と続くが、メダル総数で見ると英国とロシアの甲乙は付けがたい。いずれにせよ、この四つの国がオリンピック大国と言ってよい。
これを追う国はというと、韓国である。金で第五位。金で見ていくと、これにドイツ、フランス、イタリアといわゆる先進国が続く。
日本はというと、第11位。金銀銅の比率も金で第10位のオーストラリアによく似ている。ちなみに、オーストラリアの人口は2千130万人ほど。日本は1億280万人ほど。オーストラリアの国内総生産(GDP)は9千144億ドル。日本は4兆3,095億ドル。国家の規模としては日本がずいぶんと大きいように思うが、一人当たりのGDPで見るとオーストラリアは4万234ドルで、日本は3万3805ドルと日本がかなり劣る。いずれにせよ、オリンピックで見ると、日本はオーストラリアによく似た国家だなというのがわかった。
NHKがはしゃいでいたようにメダル数という点で見ると、米国・中国は別格だが第三位にロシア、第四位に英国、そして第五位にドイツで日本は第六位になる。なるほど総メダル数で見ると日本もそれなりのスポーツ大国なんだなという感じがしないでもない。民主党の蓮舫議員がスパコンの分野で述べた「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃダメなんでしょうか?」という精神はすでにオリンピックで活かされていた。
日本がもっと金メダルが取れたらよかったのだろうか。私は知らなかったのだが、目標は金が15個だったそうだ。それなりに金メダルを目指してはいたのだろう。
開催国ということもあってか、英国の活躍は目立った。これを英国はどう見ているかというと、8月3日時点のBBCの記事「オリンピックは私学が優位(Olympics 'dominated by privately educated')」(参照)という記事が興味深かった。今回のロンドンの結果を踏まえてということではないようだが、過去の事例から、英国のオリンピックのメダる獲得者の半数は、英国で7%の私学によっているというのだ。
開会式では華々しく英国の国営医療サービス事業であるNHS(National Health Service)が取り上げられていたが、ことまさにオリンピックとなると、英国は私学に大きく依存している。
教育は基本的に私学でよいし、公教育は義務教育の補助か官吏養成でよいと考える私としては、そのことが英国で話題になるのが不思議に思えたが、記事を読むと、残り93%の学生の能力が十分に教育されず開花されていないではないとして社会問題になっていた。翌日のガーディアンにもそうした言及があった(参照)。
ユリア・ラッチニーナのようなオリンピック観を持つ私としては、オリンピックレベルの身体能力の開花はさほど意味がないようにも思うし、彼女もその言及につづけて、人間にとっては「知的な達成(intellectual achievements)」が重要だとする見解にも同意するのだが、してみると、知的な達成という点で、公教育と私学はどのようなバランスになっているのか気になったが、ざっと調べた印象ではわからなかった。
話が散漫になってしまったが、冒頭、私はほとんどオリンピックを見なかったと書いたが、NHKニュースに挟まれた映像以外では、本当に偶然だったのだが、女性の新体操を見た。日本語で新体操というと、新しい体操のようだが、英語では"Rhythmic gymnastics"。これに対して、体操は"Gymnastics"である。つまり、新体操はリズムに調和させる身体性、とくに美が強調され、私としてはバレイやオペラでも見るような感じで楽しめた。
見ていくうちに気がついたのだが、個人競技だったせいか日本人がいなかった。日本人がいない競技であることに内心ほっとしている自分に気がついて変な気がした。これもなにかトラウマが関係しているのかもしれない。
韓国の選手が一人出ていた。名前は忘れたが、演技を見ていて、これは日本人とは随分違うなあという印象からまた変な感じがした。ロシアの指導によるというのだが、そのせいだけなのだろうか。
そういえば中国人はいないのかと思ったが、いないようだった。それどころか、アナウンサーが韓国人選手について、東洋初のメダルはなるか、とか力んでいた。へえ、この競技にそもそも東洋人はいないのかと驚いた。が、アゼルバイジャンの選手は私の目には普通にアジア人に見えた。なんだかよくわからない世界なのでその手のことを考えるのをやめた。
新体操のメダルは金銀ともにロシアだった。圧倒的にロシアだったと言ってよいのではないか。やっぱりロシアかあと思った。冷戦時代の皮肉な平和を連想して内心安堵するものもあった。
まあ、なんでもいいや。演技は見事だった。こうしたものが見られるなら、オリンピックもいんじゃないのとちょっと思えた。
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コメント
後始末で日韓関係とかややこしくなりそう。
韓国がメダル全剥奪になればいいがなww
投稿: キセキ | 2012.08.13 20:10
意味、ということにこだわると足下にぽっかりと口を開けた「意味」に飲み込まれてしまいますよ。
「自分」は自分が思っているほど合理的な存在ではありませんから。
だからこそ、純粋に名誉を追う行為を見ることに楽しみを感じるのではないでしょうかね?
青臭いことを言うようで恐縮ですが。
投稿: 黒猫屋倫彦 | 2012.08.13 22:37
私は吹奏楽の世界に足を突っ込んでいるんですが、
コンクールの度に一定数
「音楽はスポーツじゃないんだから、順位を決めるなんてナンセンスだ」という連中が出るんですけど、
こういう人たちって、体操、新体操、シンクロ、飛び込み等々のスポーツを知らないのか、対戦系こそスポーツであってこれらをスポーツと認めない!と言っているのかが謎なんです。
日本人のスポーツ観に、そもそもスポーツを体育と訳したことが間違いという人もいて、結構難しい問題のようです。
投稿: てんてけ | 2012.08.14 10:02
久しぶりにベントさんのブログを読んだので久しぶりにコメントしますが、う~む、やはりベントさんはこういう感じかあ、と。
ベントさんは水泳をするように記憶しているのだけど、水泳を見ても「すげえな」とか思わないのかしら。私は単純に速く走れたり、高く飛べたりするひとを凄いなあと阿呆みたいに感心しながらロンドン五輪を楽しんでおりました。
四年に一回というのは、なかなか微妙でいながら絶妙な間隔のような気がします。
投稿: ピンちゃん | 2012.08.16 12:36