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2012.08.31

暗黒面便り

 こんな不思議な問責決議はない。ふふふ。笑いが止まらん。ふふふ。おっと、誰だ、そこに居るのは。政界の暗黒面を覗き込む者は? ブロガーだと。なんじゃそれは。まあ、誰でもよい。あのどじょうと同じ。暗黒面に興味を持ったが最後、もう抜け出ることはできん。「だれにだってあるんだよ、ひとにはいえないくるしみが。ただだまっているだけなんだよ。いえば暗黒面におちるから。みつお」じゃな。もっと暗黒面に馴染めるよう、なにか話でも聞かせてやろう。これでも私はかつてサラシを巻いたジェダイの教師だったのだ。質問はあるか。
 総選挙が近いか?だと。ふははは。総選挙などそう簡単にはさせん。仕掛けがわかっておらんようだな。なんのために衆議院の選挙制度改革法案をゴリ押ししたと思っているのか。野党ども「民主主義の根幹ともいえる選挙制度について、与党の多数で強行採決することは憲政史上、類を見ない暴挙であり、断じて許すことはできない」などとぬかしておったが、そこよ。あれは参院に送っても成立はしない。そこが狙いよ。
 民主党としては、おもて向きあくまで選挙制度改革法案を成立させたいという意思表示をせねばならん。どじょうも泣いて言っておったな。身を切る演出がどうしても必要なんです、先生、とな。あれが本心かも知れぬ。議員自身が自らの身を切って政治にかける。美しいじゃろ。「あのときのあの苦しみも、あのときのあの悲しみもみんな肥料になったんだなぁ。じぶんも肥料になるために。みつお」これじゃ。
 身を切るのは野党だけにしてほしいものだが、そうもいかない。だが、選挙制度改革法案が成立したら解散の名目が立つから、おいそれと成立しないようにことを進める。そして、いつなんどき衆院解散といった椿事となっても、民主党は自民党を押し切っても選挙制度改革法をしたかったのだとアピールできる。「うつくしいものを美しいと思える、あなたの心がうす暗い。みつお」じゃ。
 知っておるか。政権交代を成し遂げたあの革命的衆院選挙が憲法違反だということを。最高裁は、昨年3月、平成21年8月の衆院選に関する裁判で、最大2.30倍となる1票の格差は違憲状態との判断を下しおった。2.30倍。いい響きだ。高知三区と千葉四区。現在はどうなっているか。2.54倍。2.524倍だったか。格差が2倍の選挙区も、最高裁判断のときは45だったが、現在では97。「夢はでっかく根はふかく。みつお」じゃ。暗黒面の力よ。
 もちろんこのまま民主党政権が違憲の上で安泰とはいかぬ。司法というのがやっかいな権力でな。解散総選挙をしたら無効だとかいいかねない。困るだろ。そこで民主党としては違憲をできるだけ排除したというポーズが必要なのだ。 ポーズがあれば司法もなんとなる。なりそうもなければ、メディアを騒がせて、司法が嫌いな空気を送る。「がんばんなくてもいいからさ、具体的にポーズを見せることだね。みつお」じゃ。
 一番苦労したのは自民党が「0増5減」を言い出したときよ。どじょうも、これでまとまると勘違いしおった。こういうときこそ、弱小党の意味がある。あいつらが欲しがる比例代表に連用制を付けた。比例定数も具体的にもめるように40削減とした。制度を複雑にすれば合意が遠のくからな。案の定、自民党は紛糾してきた。弱くなったものだ、自民党も。政治というのは、小異にこだわっていたら大きな目的は達成できないものよ。教えてやったら、ようやく自民党もわかってきたようだが、わかってやったことが、自己矛盾の首相問責決議ときた。ふははは。
 もちろん、選挙制度改革法案をいつまでも先送りにしたいわけではない。きちんと成立させてもよい。どうするか知っておるか。衆議院議員選挙区画定審議会を立ち上げて、仕事をさせる。がんばって仕事をさせて、まあ3か月。ふははは。先送りした選挙制度改革法案がきちんと成立してなお3か月。焦った自民党が、秋の臨時国会で顔色変えて、選挙制度改革法案に取り組む様子が目に浮かぶ。
 
 

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2012.08.30

「じわじわ来る」首相問責決議

 参院での首相問責決議なんて選挙が迫る時期の恒例、自民党政権時代の民主党の愚行みたいなもので、どうでもいいやと思っていた。とはいえ、自公が民主党に三党合意を守ってないではないと批判するのもありうるだろう。そんな気分で関心をそらしていたら、とんでもない事態になっていた。結果を知って「じわじわ来る」というのだろうか。自民党の自爆がきつい。
 当初自公はこういう話だった。28日付けWSJ「首相問責案は谷垣氏の戦略ミス?」(参照)より。


 自民、公明両党は、民主党が27日の衆院政治倫理・公選法改正特別委員会で、同党提出の衆院選挙制度改革法案を野党欠席のまま採決したことなどに強く反発。首相への問責決議案を提出する方針と報じられている。野党が多数を占める参院では、問責決議案が可決される公算が大きく、議員立法や原子力規制委員会の同意人事を除き今後の国会審議はストップする可能性が高い。

 衆院政治倫理・公選法改正特別委員会の民主党の独走はたしかに、三党合意を無視したような状態なので、自公がその点で首相問責決議を出すという理屈は理解できた。なにより、比例代表定数削減を事実上与党単独で強行採決する姿勢はひどいものだった。この法案は国会議員全体のあり方に関わる問題なので異論を含めて熟議しないといけないものだ。
 自公の問責決議理由はわからないでもなかった。ところが、別途、三党合意による消費税増税への反発で小沢一郎の「生活」など中小野党七会派が3週間前に提出した別の問責決議案がある。そこで、これと自公案と調整を付けるという流れになり、自公が合意した増税翼賛部分はどうなるのだろうかと疑問に思ってはいた。調整をつけるなら玉虫色の反民主でまとまり、形骸化した首相問責決議になるのだろうと思い込んでいたのだった。
 ところがどっこい。昨日可決された問責決議は次のようなものである。

内閣総理大臣野田佳彦君問責決議
 本院は、内閣総理大臣野田佳彦君を問責する。
 右決議する。
 理由
 野田内閣が強行して押し通した消費税増税法は、2009年の総選挙での民主党政権公約に違反するものである。
 国民の多くは今も消費税増税法に反対しており、今国会で消費税増税法案を成立させるべきではないとの声は圧倒的多数となっていた。
 最近の国会運営では民主党、自由民主党、公明党の3党のみで協議をし、合意をすれば一気呵成に法案を成立させるということが多数見受けられ、議会制民主主義が守られていない。
 参議院で審議を行う中、社会保障部分や消費税の使い道等で3党合意は曖昧なものであることが明らかになった。
 国民への約束、国民の声に背く政治姿勢を取り続ける野田佳彦内閣総理大臣の責任は極めて重大である。
 よってここに、野田佳彦内閣総理大臣の問責決議案を提出する。

 一部手直しがあったらしいが、ベースが小沢一郎の「生活」など中小野党七会派の問責決議案だから、当然、三党合意への批判が基軸になっている。つまり、民主党への批判というより、自公民三党への批判の決議とも言える。
 普通の頭で考えたら、自公はこれに賛成できるわけないので、公明党は冗談じゃないよと抜けた。なのに、自民党自身、この自民党批判に賛成しちゃったわけね。
 「じわじわ来る」でしょ。
 三党合意による増税翼賛がひどい話だというのは、私もそう思うし、その点から、今回の首相問責決議も理解できるけど、それに自民党が乗る話なんだろうか。
 自民党政権時代にくだらない首相問責決議を主導してきた民主党の輿石幹事長ですら、「野党時代に、わたし自身も問責を打ったことがあります。しかし、今回のこの問責ほど、不思議な問責はない」と述べていたけど、この点だけは賛成できる。輿石先生と同意見になるのは、こうした異常事態がないと無理だっただろうし、首相の解散権を封印するためにだらだら現状を維持させ違憲状態を維持するお手並みもお見事。
 それでも、衆院が増税翼賛会で暴走しちゃったのを、参院で、それは話が違うんじゃないのというのを形にまとめだけでも「良識の府」の面目は保てたように思うし、流れから見るにこれを主導したのは、小沢一郎であったのも明白だった。
 当の自民党の谷垣禎一総裁だが、なぜこんな滑稽な決断してしまったのか。本人談では「小異にこだわっていたら、大きな目的は達成できない」ということだった(参照)。何が大きな目的だったのだろうか。本人としては民主党政権を倒すという意図なんだろうが、国民には伝わっていないし、自民党内にも伝わっていないだろう。谷垣さんの自民党代表の再選はないだろうし、そもそも辞退するのではないか。
 かようなまでに政局というのは理不尽極まるものだが、解散の時期については、自民党時代の流れからすれば、首相の花道は敷かれたわけで、おそらく、9月の民自の代表選で雁首を入れ替え、10月の臨時国会召集で解散ということだろう。おそくても来年1月の通常国会前には解散という流れだろう。
 野田ちゃんが民主党代表選で生き残れるかについては、あの福々しい尊顔が選挙ポスターとっして使えるかということにかかっている。ということで、他の雁首を並べた図を思い描く……田中真紀子がにっこりとか再び岡Pがむっつり、とか……ないなあ。
 野田ちゃんのポスターを街頭で見かけることになるのか。またとんでもないガラポンをやるのだろうか。安定政権を必要とする外交・軍事を考えると、鳩山・菅時代のトンデモ民主党はすでに終わっているのだから安定政権ならば野田ちゃんでもいいような気がしてきた。
 
 

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2012.08.29

丹羽大使車襲撃の印象

 27日の丹羽大使車襲撃だが、私は当初、反日デモ群衆の暴発だろうとたかをくくっていたのだが、NHKの7時のニュースで状況説明を聞いて、これはとんでもない事件だと、ハッとした。はっきりとした筋は見えてこないのだが、とりあえず、ハッとした部分だけメモしておきたい。
 事件の様子だが、28日付け読売新聞記事「丹羽大使車襲撃、中国「真剣に調査している」」(参照)を借りよう。


 襲撃は27日午後、大使が外出先から大使館に戻る途中に起きた。市内の環状道路上で渋滞で徐行していたところ、ドイツ製高級車2台が後ろから蛇行して接近し、両側から幅寄せなどをした後、2台が大使の車の進路をふさいだため、停車を余儀なくされた。うち1台から現れた30歳代とみられる男が、大使の車の右前方に掲げてあった日本国旗を抜き、奇声を上げて車で立ち去った。在北京日本大使館によると、大使が公務で移動する際、原則として車に国旗を掲げる。公用車の国旗掲揚は世界の在外公館で共通の慣例という。

 場所と状況から見て、待ち伏せしていたことは確実である。つまり、突発的な事件ではなく、計画されたものである。そして計画には、明瞭に、日本国旗だけを奪うことが目的化されていた。
 これは反日を装ってはいるものの、「暗殺ができるのだ」という示威が当初の目的であることを明瞭に語っている。
 背景には組織があることも明確だ。ドイツ製高級車2台はBMWとアウディである。今日の毎日新聞社説が「中国では軍や党の高官やその子女、あるいは「黒社会」と呼ばれる反社会組織の幹部が乗ると思われている車だ。背後関係がありそうだ」としているが、中国の闇社会の組織が関与していることは間違いない。
 では、闇社会の単独犯行なのか?
 闇社会が政治と無縁に、現下の混乱した中国政府に絡んでくるはずもないので、この事件はそもそも、中央政治の政争との関連が根にあると見ていいだろう。丹羽大使公車が無防備だったというのも奇妙だが、それ以上襲撃場所から見て、闇社会の車を看過することもだが、北京内で問題を起こしたくない中国政府の警備が手薄だったというのは不自然である。警備体制の緩みと見るより、北京側の一部が噛んでいると考えた方が妥当だ。
 しかし、要人の暗殺ができるという示威であるなら、暗殺者が特定されるようなことをするものだろうか? そこがこの事件の奇妙なところだ。
 たぶん当初から、先日の尖閣上陸実動部隊のようにイデオロギーもくそもない可視な実動部隊をぶつけてきたのだろう。つまり、この犯人たちを政府側がどう料理するかという演出まで含まれていたと見るべきだろう。
 言うまでもないが、尖閣上陸部隊の英雄視のように、今回の襲撃犯も、「彼らは英雄だ」という馬鹿騒ぎの文脈が想定されている。この文脈を弱めるには、相当に親日的な態度を政府に取らせて、政府を弱体化させることになるし、その目論みの一部は、北京政府側が日本に謝罪するはめになったことで実現している。また表層的な文脈にある尖閣諸島の問題については、北京側からは「対日3条件」(参照)という無問題であることのメッセージは出ていて、日本政府がリアクションしないように二国間で通じ合っている。
 あとは今回の襲撃犯人はすでに捕らえられているので(参照)、そのあたりの中国政府の今後の動きが政治的には重要になる。
 以上のように、与えられた情報だけから見ていくと、今回の丹羽大使車襲撃事件は、またしても中国にありがちな指桑罵槐の構図が際立つので、丹羽大使への個人的な威嚇ではないだろう。ただ、在留日本人への威嚇は含まれているだろうが、そもそも中国政府要人への暗殺の威嚇が含まれていることは、ウィキリークスなどの情報からも推察される(参照)。
 全体の構図からすると、共青団の動きに対するリアクションと見てよいだろうし、相当に追い詰められているという印象がある。都市部の中間層の中国人は、こうした全体構図は空気として理解しているだろうから、それ以外で、ネットや、情報がうまく届かない地方で「反日」暴動をさらに仕掛けることにはなるだろう。昭和12年を想起させるようなエポックが連続して起きないことを祈りたい。


追記
 中国政界の暗殺について「妄想」という反応もいただくので、この件について、エントリーで言及したウィキリークスの関連情報の概要を追記しておきたい。


07SHANGHAI656 2007-10-05 10:18 2011-08-30 01:44 SECRET Consulate Shanghai
SUBJECT: (C) A NANJING ACADEMIC'S VIEW ON POLITICAL VIOLENCE IN CHINA

¶1. (S) Summary: According to Nanjing University Professor Gu Su (strictly protect) political assassinations and violence occur in Chinese politics, even occasionally touching top leaders. Gu said that in January 2007, for instance, Central Disciplinary Inspection Commission Chairman (CDIC) Wu Guanzheng's son was murdered in Qingdao assassins presumed to have come from Beijing. President Hu Jintao's son had been a target last year, Gu said. Such events are more common in the provinces, Gu said, where many local officials live in constant fear that they will be targeted by people who have been harmed by their policies, by underlings looking for greater head room, or by superiors who see them as a potential threat to their power. A murder in Shandong's Jinan Municipality has recently brought the Qingdao Party Secretary and a Shandong Vice Governor under arrest and cast a shadow over Hubei Party Secretary Yu Zhengsheng's prospects for promotion to the Politburo Standing Committee. End summary.

南京大学グー・スー教授(保護下)によると、中国の政治においては、政治的な暗殺と暴力は、最高指導者に関連してさえ、しばしば起きる。例えば、2007年7月、中国共産党中央規律検査委員会書記長・呉官正の息子は、北京政府から来たと見られる青島の暗殺者の手で殺害されたと語った。胡錦濤国家主席の息子は昨年までターゲットとされていたとも語った。こうした事態は地方はよく見られることであり、そこで地方公務員の多くは、いつターゲットにされるか絶えざる恐怖のなかで暮らしている。攻撃者は、政策で毀損された者、ボスにのし上がろうとする下っ端、自己権力に潜在的な邪魔者とみなす上司である。山東省済南市自治体での殺人では、青島の党書記と山東省代理知事の逮捕となり、湖北省の党書記・兪正声の政治局委員昇進に影を落とした。


 
 

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2012.08.28

英語の「現在完了形」は、現在時制(テンス)+完了相(アスペクト)と考えると理解しやすいし、未来表現も相(アスペクト)が利用できる

 昨日だったか、はてなブックマークで「直感で学べる!英語ネイティブの11個の現在完了の使い方 - 大人気美女ブロガーミカエラさんの動画で英語学習」(参照)という記事に、644のブックマーク(参照)がついて目立っていたので覗いてみた。コメントが異常なほど多く付いているというわけではない。英語学習関係のブックマークは1000を越えるものも多いので、どっちかというとそれほど話題というものでもないだろう。ただ、アスペクトを教えているのかなと興味を持ったのだった。
 該当のエントリーだがそれなりに面白いし(女性がカワユス)、説明が間違っているというものでもないが、アスペクトの話はなかった。
 そういえば、学校英語ではいまだに「現在完了形」というのを教えているのだろうか。現在完了形というのは、現在時制(テンス)+完了相(アスペクト)と考えると理解しやすいのだが。と思って気まぐれに完了「相」のことをツイートしたら、どの文法書にありますかと問われた。

cover
文法がわかれば英語はわかる!
NHK新感覚・わかる使える英文法
 簡単に答えると、田中茂範著「文法がわかれば英語はわかる!」(参照)に詳しく説明されている。
 この本は、以前、NHKでやっていた語学番組「新感覚☆わかる使える英文法」を元にしている。番組では和希沙也さんが出ていて楽しかった。ツッコミのネイティブ役にはダリオ戸田さん。なかなかの才人だとも感心した。番組ではちょっとシュールなコントもあって、マイケル・ネイシュタットさんとSHELLYさんが演じていた。
 というわけで、「完了相」など「相」については先の本を読めばわかりやすく書かれているので、それで話はお終いでもあるのだが、簡単に要点をまとめると、五点ある。

  1. アスペクト(相)はテンス(時制)と組み合わせる。
  2. テンスは動詞の活用形に表れる時間で、現在と過去の二つがあり、英語には未来のテンスはない。
  3. アスペクトには、動作・状態のありようを示すもので、単純アスペクト、完了アスペクト、進行アスペクトの3つがある。
  4. 動詞のチャンク(まとまり)は、「助動詞+完了相+進行相+態」をテンスが支配して動詞に結合する。
  5. 動詞チャンクは必要情報を補い、構文を形成する。

 そこで、動詞の文法の要点は三点になる。

  1. テンス・アスペクトの調整を含む動詞チャンクをどう表現するか?
  2. 話し手の態度を表明するときどのように助動詞を使うか?
  3. 動詞チャンクを補う構文をどう表現するか?

 学門めいているのだけど、これは厳密には文法というより、学習者に英語をどのように教えるかという便宜を整理したもので、学門として文法と言えるかについてはまた別の話。ちなみに、イェスペルセン文法などでは時制を7つとしている。
 そんなことを学んで具体的にどうなのか?
 例えば、「越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文」(参照)にある次の問題などはすっきり理解できる。

A-11 His father writes scientific novels.

 これにこう解説がある。

英語の時制で一番誤読・誤訳が多いのは現在時制。理由のひとつは「~いる」という日本語に引きずられて進行形と混同するから。

 先の田中文法なら、これは現在テンス単純アスペクトなので、現在テンス進行アスペクトとは区別され、こうした解説は不要になる。
 似たように田中文法が活用できる例としては。

I'm leaving for New York tomorrow.

 現在テンス進行アスペクトなので、今この時間、話者は「leaving」の相にある。つまり旅立ちの状態にある。機能的には未来表現になってもいる。
 こんな感じですかね。

単純アスペクト: (゚Д゚)
進行アスペクト:((((゚Д゚))))

 とはいえ。

A: What time are you finishing?
B: I'm finishing at six tonight.

 みたいに進行アスペクトによる未来形を会話ですらっとは出て来ないんじゃないかな。ある未来の時点から現在の進行アスペクトとして未来を表現するということで、こうも言える。

I'm graduating in two years.

 未来表現の意味合いの違いはこんな感じ(参照)。

A: I’m graduating from the nursing program next semester.
B: After I graduate, I’m going to apply for nursing jobs.
C: I will probably find a good job at a hospital.

 使い分けだが、進行相は"arrangments(スケジュール上)"、"be going to"は"plans&intentions(計画)"、"will"は"predictions&hopes(期待)"といった感じ(参照)。
 BBCの学習サイトにも例文があったが、これが面白い。

  • be going to: I'm going to visit my cousins in Leeds over the coming weekend.
  • future progressive: I'll be visiting my cousins in Leeds over the coming weekend.
  • present progressive: I'm visiting my cousins in Leeds over this coming weekend.

 ご覧のとおり進行相が"will"と結合している。BBCのサイトでも"polite enquiries about people's plans"とあるように、これは実は、英語の敬語。なぜ、これが敬語になるかについては、先の田中文法の本にも説明があるので気になるかたはご参照を。
 未来表現のほうに話題が移ったが、英語は未来テンスを持たないので、アスペクトを駆使してこういうことになる。

cover
越前敏弥の
日本人なら必ず誤訳する英文
 話を戻して、英語圏での英語学習者にはどうアスペクトについて学んでいるのか、ざっと見回したが、はっきりとしない。「Collins Cobuild Active English Grammar」(参照)を見ると、日本での英文法書と同じだし、未来を表現する進行相などについての言及はない。ネットをざっと見回すと、ないわけでもない。"Understanding English Grammar"(参照)というサイトでは、4つのアスペクトを上げている。

A. The simple (infinite) aspect
B. The perfect (complete) aspect
C. The progressive (continuous) aspect
D. The Perfect Progressive (continuous) aspect

 田中文法の単純相を"simple (infinite)"として、"infinite"を強調しているのが興味深い。テンスについては"future"を設定しているので、機能・意味論的な傾向になっている。
 ESL(第二言語学習)関連のサイトでもこの4分類は見かける(参照)が、"Perfect Progressive"を単独の相として取り上げるかは議論が分かれるだろう。
 他、"The Internet Grammar of English"(参照)では、単純相を設定せず、テンスとアスペクトの2×2のマトリックスに単純に納めている。

 全体的には、英語圏の英語学習者ではアスペクトを学ぶという流れはありそうだ。が、日本の英語学習も明治以来長い伝統と歴史があるので、それはそれで日本独自の伝統として大切にしていきたいところ。
 
 

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2012.08.27

ヒメネスさんのキリスト画が優れたアートである5つの理由

 北東部ボルハ(Borja)の教会でエリアス・ガルシア・マルティネス(Elias Garcia Martinez)による「この人を見よ」(Ecce Homo)と題するキリスト画を元に描かれたるセシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さん(80)のキリスト画が、優れたアートである5つの理由ついて考察したい。


「この人を見よ」(Ecce Homo)

1 斬新なインスタレーションでありストリートアートである
 ヒメネス画は、教会という固定化された空間を作家の意匠によって異化させ新しい体験を促すインスタレーションであり、また既成権力によって形骸化された美術館やギャラリーといった閉鎖空間に圧殺された芸術の本質的な力を広い空間に解放し、人々のコミュニケーンを活性化させる斬新なストリートアートとして評価できる。


キリストを描いたストリートアート

2 ルオーの精神性を現代に再現している
 ヒメネス画は、素朴な筆致によって、作者の精神性のプロセスをなぞるように、逡巡しつつ、純真な信仰表現として、なんどもなんども上書きされていくという点から、ルオーのキリスト像、とくに同じタイトルの「この人を見よ」(Ecce Homo)との類似性が顕著である。その精神性は人々に感動をもたらす。


ルオーによる「この人を見よ」(Ecce Homo)

3 ベーコン風のデフォルメによって人間存在を描き出している
 ヒメネス画は、激しいデフォルメによって歪められた具象表現によって、人間存在の根本を描き出したアイルランドの画家フランシス・ベーコンの作風にも似いる。人間とキリストの存在をその違和感の衝撃をもって新しく現代人の魂に呼びかける。


Study of Head of Lucian Freud


4 諧謔はアートの伝統である
 印象派と深い関係にあったエドゥアール・マネの代表作「草上の昼食」(参照)はマルカントニオ・ライモンディの版画「パリスの審判」(参照)の一部をパロディにした作品でありながら、芸術作品として定着している。そのように画家が古典作品をベースに諧謔の作品を創作するのも芸術の伝統であることを、ヒメネス画は訴えかけている。


ダリによるモナリザ

5 芸術とは本質的にスキャンダラスなものである
 ヒメネス画は、現代世界に騒動とも言える大きな衝撃を与えたが、芸術はそもそもスキャンダラスな性質を持つものである。古典的な例としては、フランスの写実主義の画家ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet)の「世界の起源」などがある。


ギュスターヴ・クールベ作「世界の起源」

 
 

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2012.08.26

[書評]死との対面 瞬間を生きる(安岡章太郎)

 先日ふと鶴見俊輔さんと安岡章太郎さんのことが気になって書店でぶらっとしていたら、安岡章太郎さんの「死との対面 瞬間を生きる」(参照)が文庫本で復刻されていたのを見つけた。なぜと思うこともなく読んだ。

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死との対面
瞬間を生きる
安岡章太郎
 扉裏には、「本書は『死との対面』(1998年/小社刊)を加筆修正し文庫化したものです」とあるので、現在92歳の安岡先生の近況も含まれているのかと期待したが、初版と比較したわけではないが、ざっと読んだ限りでは、特になかったように思う。前書きも1998年のままだった。
 気がつく加筆がまったくなかったわけではない。近藤啓太郎について触れた段落の末には、括弧で、(註・近藤氏は二〇〇二年没)と追記されている。初版と復刻の間に亡くなった。近藤啓太郎と限らず、あちこち没の追記がある。バトルロワイヤルという趣向でもないが、安岡先生の存命が強調されている。
 1998年に安岡章太郎は78歳。表題の「死との対面」もむべなるかなという印象もある。この年私は41歳。ああ、40歳越えちゃったよ、名実ともに中年だなと暢気なことを考えていた。
 安岡章太郎が生まれたのは1920年、大正九年である。私がよく読んだ著者群の生年のスペクトラムで見ると、山本七平が1921年の年末生まれ、遠藤周作が1923年、吉本隆明が1924年、三島由紀夫が1925年。それと私の父が1926年。山本七平はルソン島に送られ生死をさまよう。安岡章太郎も学徒動員でフィリピンに送られそうになるが、病のために戦地には赴かなかった。私の父も病で戦地に行くことはなかったが、四つほど年上だったか父の兄はインパールで戦死した。そのあたりの生年地点で戦地の実体験と内地経験での語られた体験との差違があり、吉本も三島も戦地経験のなさで焦燥した欠落感から過剰な思いに駆られて、戦後思想の一つの類型的な基盤を形成している。安岡はその中間的な地点に、ぶらっと存在する。この中間性がいわゆる「第三の新人」のバリエーションでもあり、特徴でもある。このあとには、ベタな団塊世代が出現し、これが高齢化して現在の奇妙な日本の風景を描き出している。
 自分に関連するので、戦中派の子の世代も少し触れておきたい。安岡章太郎の娘さんで、光文社からドストエフスキーの新訳なども出されている東大教授の安岡治子さんは、1956年生まれで私より一つ年上。彼女は1月生まれなので学年的には二つ上になるだろうか。ちなみにこのクラスタの生年スペクトラムで象徴的なのは松任谷由実の1954年生まれで、ここのあたりから脱・団塊世代が始まる。と同時に、戦中派の父親をどう継承するかという内省が始まる。高橋留美子が私と同じ1957年生まれで「めぞん一刻」的な世界の背景がある。
 背景の話が多くなってしまったが、本書「死との対面 瞬間を生きる」は普通に、誰にも訪れる老年とその時点で向き合う「死」という点でも面白いし、10年以上たって55歳にもなって死にいっそう近づいた自分が読むとまた思い新たにすることも多い。が、最後の戦中派やそれを父に持つ世代や、「第三の新人」の文脈で読んでいく面白さが、やはりやや上回る印象があるし、自分が年を取った分、戦中派の人々や戦後昭和という時代への思いも深まる。
 安岡章太郎は青年時代、まさに戦中で、「生命というものをそんなに大切なものとは思わなかった」と書いている。戦争といえば、戦後神話のなかで、命の大切さが大書されるようになったが、その大書には、安岡のような思いが裏書きされていた。「いつ死んでもかまわない、という気持ちに馴らされてていたように思う」と安岡は述べる。
 安岡は1941年、慶應大学の文学部予科に入学したものの、卒業前に召集され満州に送られる。が、翌年肺結核で除隊処分で内地送還。病院の様子はひどいものだ。病人たちはばたばたと死んでいった。看護婦が悲哀感もなく甲高い子で「また一丁スーラ(死了)よ」と叫ぶ。
 そうした眼前の死者に対して安岡は「可哀想とは、もちろん思わなかった。そんな余裕は僕にはなかった」と回顧する。「百人ほどの結核病棟の兵隊の、おそらく誰一人、他人の身の上を案じる余裕はもってなかっただろう」とたんたんと語る。戦地で人肉を食ったという話を聞いても、「経験したことのある人にとっては大きな意味はないという」とも語る。現地人や敵兵は捕まえられなかったから食うのは仲間の日本兵だったとも。
 戦後神話の薄皮の向こうが見える。「軍隊に入っただけでは戦友愛など生まれてはこない。軍隊のなかでは同年兵が皆お互いに自分の敵なのである」。
 だが78歳の安岡は本書でこう言うのだった。「ところが今になって年ごとに」「死んでいった連中を本当に可哀想だと思うようになり、すまないという気持ちになってくる」。「かならずしも軍隊へ行って死んだ者だけではない。民間人としてもたくさん死んでいる。それが皆二十歳そこそこの若さなのだ」「自分が生きていて、生きることに価値があり絶対に善いことならば、死んだ人は本当に気の毒だ」。
 こうも言う。「こっちが死にそうな年齢になってきて、散歩に行って多摩川の皮の水面を見ていて、ふと同年兵の顔が浮かんできたりする。じつに可哀想だったなと心の中で呟き、彼らはおそらくたいていは童貞で死んだであろうと、そう思うとき、始めて自分自身の孤独を身にしみて感じる」
 安岡章太郎らしい、さらりとした口調で語られているが、独白に登場する「童貞」の語には奇妙な違和感が残る。文脈も読み直せば、童貞で死んだ若者を思うことがなぜ自分自身の孤独になってくるのだろうかということは、語られていないことに気がつく。
 おそらく、それは戦後神話の向こうでは語るまでもないことだったのだろう。戦後生き延びて童貞を失した老人の孤独というものは、童貞で死んだ若者が投影されているのだろうが、その意味がわかるだろうか。
 何を安岡章太郎は言っているのだろうか。戦後神話の向こうでは当たり前のことではなく、ただの老人の繰り言というだけではないのか。そうではないだろう。生きるということは、生きて子をなして生きるという意味を包括していた。だから、童貞で死んだ若者の死はただの死ではなく、生への特殊な、この世に残る子孫への情念が含まれていた。であれば、若者を童貞で死なすまいというなんらかの配慮のようなものも当時は存在していたに違いない。
 なにか不思議なことが淡々と語られ、安岡章太郎のカトリック入信の話にも繋がっていく。この入信については別に書籍もあるし、縁となった遠藤周作の逸話も興味深いが、それよりも、きっかけが娘の治子さんだというあたりの話には心惹かれる。
 1988年、安岡は遠藤を代父として洗礼を受けるのだが、その前、半年ほど入院していた。30歳をちょうど過ぎたあたりの治子さんも偶然病気で入院していたという。奥さんは夫と娘の看病で大変だったらしい。
 「そこへ何か信仰をもちたいと、娘が言いだした。彼女の場合、信仰といえばキリスト教だから、女房や僕に一緒にキリスト教に入らないかと」いうのだ。家族一緒がよいと奥さんも賛成したので、安岡も成り行きで入信した、とある。「だから、僕の場合、信仰の入り方というのは極く消極的だったわけだ」しかし、「気がつけば、僕は友人ばかりではなく親類たちのキリスト教徒に周囲を囲まれていた」として、安岡家のルーツの関連も語り出し、自身の人生がキリスト教徒になるものと了解するようになる。
 そこでもう一つ奇妙とも言える逸話が語られる。彼がその六年前『流離譚』を書いたおり、小林秀雄がわざわざその評を書いてくれたが、そこで小林が「僕が将来的にはキリスト教に入らざるを得ないだろうと、予言していた」と言う。「その当時、僕は全く気がつかなかったのだが、入信後に何かのために読んで驚いた。六年後の僕を鋭く見抜かれていたのかもしれないと」。
 小林秀雄には、安岡章太郎がキリスト教徒になることは、当然のようにわかっていたことだろう。その意味合いは、山本七平『小林秀雄の流儀』(参照)を読めば、おおよそ察せられる。この話はまたどこかで書こうかと思う。
 
 

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2012.08.25

[書評]ニシノユキヒコの恋と冒険(川上弘美)

 なんとなく読むのを避けていたのだが先日、ツイッターのタイムラインで川上弘美の「ニシノユキヒコの恋と冒険」を見かけ、ふと読んでみたい気がした。その気分だけで読んでみた。

cover
ニシノユキヒコの恋と冒険
川上弘美
 どんな女からももモテモテの男性、ニシノユキヒコの恋の人生の物語。彼を恋した女たちがその人生で遭遇した彼の相貌をそれぞれに描き出した掌編群。気色の悪い小説でもある。それほど広く読まれるというタイプの小説でもないし、「溺レる」(参照)に比べて文学性に富むという作品でもない。が、三十も過ぎた男女で恋愛の悪趣味も趣味のうちという人にとっては、なかなかに笑える小説でもあるし、読んで笑いながら、内面、ぐさぐさくる。僕なんか、絶叫して目覚める悪夢見ちゃいましたよ。
 1970年生まれの西野幸彦は、清楚でルックスもよく、それでいて気弱げで母性を誘うというのか、女なら一目で惹かれるタイプの男である。女の扱いもうまく、するすると気安く女との一線を越えて性関係を持つ。セックスも上手な部類だ。女にしてみたら、ペットにして最高の部類といったタイプの男でもある。
 だが、男女の愛情の関係を数年と続けることは彼にはできない。関係した女にしだいに自然に飽きる。それが女に伝わる。結局プライドの高い女たちは、彼と関係を維持できず別れていく。別れても憎悪の関係にならず、ふっと出会ってまた性交渉を結ぶこともある。そもそも西野幸彦は、一人の女と関係を持ちながらも、並行して他の女とも二股で関係をずるずると、平然と続けていられる男である。西野幸彦の人生に、高校生時代からずっと女との関係が途切れることがない。
 いうまでもない。平安朝かよそれ、といった趣向である。現代の光源氏かと。しかし、源氏物語と共通するのは光君と同様に内面の人間性の多大なる欠落がある主人公というくらいだ。西野幸彦には、女に対する欲望はあまりない。女が持つ、彼に対する欲望と女特有の寂しさを嗅ぎ分けて応答するだけで(つまり性交)、その意味では、実際には女の欲望に対して受け身のままである。
 まあ、つまらない男と言っていいだろう。そんな男に惚れる女もつまらない女だろうとすら言っていいように思える。が、おそらくそこは違う。おそらく女というのは、こういう男を求めているのである。それを戯画的に描き出す悪趣味が、およそ文学の感性のある女にとってはたまらない自虐の快感をもたらすだろうし、男にとっても、恋愛の一時期、女の欲望に受け身に寄り添いながら、心が離れていく刹那のフラッシュバックは、ぐさぐさと自虐する。
 物語は十の掌編から成り立っている。概ね、西野幸彦の少年時代からその死までをクロニカルに描いているのだが、冒頭の「パフェー」ですでに西野幸彦は死霊として登場する。50代半ばそこそこで西野幸彦は死んだ。私の今の年齢。そして死んだ西野幸彦は、かつて若い頃関係した女のもとに死霊となって訪問しているという、いかにも川上弘美的な仕掛けである。ようするに文学的な仕掛けでもあるのだが、私はこれがこの作品を悪趣味以上のものにはしない意図的な失敗の原因でもあると思う。
 次の「草の中で」は、若干ネタバレになってしまうが、中学生の西野幸彦が姉の乳を吸うシーンが象徴的に描かれている。姉の死が西野幸彦という男になにか決定的な喪失をもたらした結果、理想の女たらしを作り上げたことになる。このあたりは、姉と弟という、まるで吉本隆明の共同幻想論ですかというような雰囲気もある。そして案の定、この物語に母なるものはいない。西野幸彦と別れた女が後に母となることはあっても、思慕や残酷の象徴としての母なる存在はいない。父もいない。ラカンのいうファロス(φαλλός)は完全に欠落している。この小説をフランス語に訳してラカン派に読ませたら、狂喜乱舞するに違いない。そんな逆説的な理想の完遂した物語世界がそもそも成り立つのか。
 成り立つわけはない。50代半ばになった西野幸彦は19歳の少女と狂おしい関係に陥る。愛を見出すことができず、19歳の少女の身体の存在性にだけすがりつく、一種の死霊に近い妄念となる。これを描いた9編目の「ぶどう」は、美しい。おそらく、この小説が文学であるなら、55歳の男と19歳の少女の狂おしい関係だけを描くべきであり、そこにその死を迫る追憶のなかで、薄汚れた女たちを描くべきだった。そのように物語すべて書き換えるべきだった。その狂おしい関係の内実を「ベティ・ブルー―愛と激情の日々」(参照)や「砂の上の植物群」(参照)のようにこってりと描き出してほしかった。
 だがそれを文学と称賛される世界のなかに宝石のようにうずくまっている川上弘美に求めるべきだろうか? そこがよくわからない。最終の「水銀温度計」は、悪趣味として見るなら最上の仕上げともいえる。筆者のひんやりとしたモノローグが、どのようにして西野幸彦という薄気味悪い幻影を生み出したか、「峰不二子という女」(参照)の最終話よろしくメカニカルに解説されている。文学的な推理小説趣向としては面白いといえば面白いし、ゆえにつまらないとも言える。そもそも、西野幸彦が死んだのは2025年あたりのおとぎ話である。
 いや、ほかにも面白い。掌編それぞれの女の視点の錯綜が、掌編を跨ぐことで、まさに女の見る多様な世界という、まるで悪意の万華鏡のように見える。さすがにこれは女でないと描けないだろうなという面白さもある。それらが最終的に一人の作者の視点にきゅっとまとめられて幕を下ろし、静かに読者の心にある悪意の贈り物を残す。
 これを受け取るなら、私たちはニシノユキヒコを生きて来たのだと告白せざるを得ない。ほのぼのとした思い出なのか、夢のなかで絶叫して目覚めるような恐怖としてか。
 
 

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2012.08.20

台湾「東シナ海平和イニシアチブ」の実質発動

 香港の民間団体「保釣行動委員会」による15日の尖閣諸島上陸に関連した台湾側の動向について、なぜか日本ではあまり報道されていない印象の、興味深い動向があるので、簡単に言及しておきたい。
 今回の香港側の尖閣諸島上陸活動は、基本的には、7月就任にしてすでに閣僚の不正疑惑や中国愛国主義への反対活動でレイムダック化する不安を抱えた梁振英・香港行政長官など香港側のご事情が背景にあるが、この件で、中国本土側ができるだけ露出を避けたかった台湾の外交姿勢があった。この問題を象徴するのが、中国の二つの国旗である。
 保釣行動委員会の活動家は今回尖閣諸島に、大陸側共産党の「五星紅旗」と台湾側国民党の「青天白日満地紅旗」の二種類の国旗を掲揚した。保釣行動委員会の思惑としては、台湾側へのラブコールと、大陸と台湾の双方が団結して日本に当たるという国共合作的な演出の思惑の二点があった。余談だが、青天白日旗は九龍城で掲げられ来た歴史もある。
 二国旗が並び立つことは実際には中国が分裂していることを明言するようなものなので当然ながら中国政府側としては表向きご迷惑なので、中国国営テレビなどは青天白日旗にモザイクを書けた(参照)。台湾側としても、国民党馬英九政権は多少やっかいな立場に立たされたと見ることもできる(参照)。このあたりの動向は、中国観察家にとっては妙味とも言える部分で、中国本土側としては、今回の反日行動が中国本土側の反政府運動の大義名分となる危険性があっても、台湾にイヤミもしたいという欲望の矛盾した心の経済学が露出する。

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台湾ナショナリズム
東アジア近代のアポリア
(講談社選書メチエ)
 台湾はそれでは今回の香港側の尖閣諸島上陸活動をどう見ていたかだが、「台湾ナショナリズム」(参照)などでも説明されているが、尖閣諸島上陸活動を開始したのは台湾なので、その本家のメンツのようなものがある。歴史的に見るとむしろ尖閣諸島上陸活動は大陸側にお株を奪われた形になっている。ただし、主導は「台湾ナショナリズム」にもあるように米国団体だろう。
 台湾としては、尖閣諸島は台湾の領土だということになっている。ここで知っている人にとっては当たり前だが最近の日本人は知らない人も多いようなので補足すると、台湾、つまり中華民国の領土意識が関連してくる。
 「台湾」と簡単に呼んでしまうし、国民が民主主的に大統領を選出した時点でレファレンダムが完遂され事実上は独立を果たしてしまった独立国家・台湾ではあるが、建前上は中国正統政府である中華民国政府の、いえば亡命政権であり、その領土は中華民国のまま、大陸側の現在の中国すべてを覆っている。中華民国の版図には、なんとモンゴルまで含まれ、たしかその形式上の行政長官も存在している(代表部設置後に変わっただろうか)。当然、尖閣諸島も中華民国の領土なので、台湾の領土だという論理である。そのため台湾としても日本が尖閣諸島を実効支配している状態については異議があり、今回の件でも国是としては日本に同調はできない。また、この奇妙な論理と関連して、台湾は中国と日本と実質独立国家として距離を置きたいという思惑もあることから、日本に内通していると見られる外交行動は避けたい。
 今回の「保釣行動委員会」の活動でも、抗議船は台湾の本家「中華保釣協会」の活動家の船と合流する予定だったが(参照)、台湾側としてはそれに乗らず、また台湾の海上保安庁にあたる海岸巡防署も抗議船を台湾の領海から追い出した。がそこは、国民党もさすが中国文化というか、抗議船に人道的な配慮として救援物資を渡している。台湾国内や大陸側への小さいラブコールの応答はしている。
 ついで言えば、おそらく台湾海岸巡防署は今回の事態で日本側に情報を実質流していて、日本側でも香港活動家を敢えて上陸させるという野田政権のシナリオがあったと思われる。このシナリオは小泉政権のそれそのものであり、つまり、野田政権は対中国対台湾問題については、民主党の鳩山政権の打ち出したヘンテコなイニシアティブともとも取れる「東アジア共同体」創設と「東シナ海を友愛の海に」(参照)といった外交路線を廃棄して、小泉政権を継承したという国際アナウンスとしたかった。それについてはきちんと達成ができた。
 だがこの過程でもっとも重要なのは、台湾側の今回の対応の大義が、「東シナ海平和イニシアチブ」によっていたことだ。報道を見ていて面白いものだなと思うのだが、今回の尖閣騒動で国際的にもっとも重要なことは、「東シナ海平和イニシアチブ」の実質的な発動となったことなのだが、ほとんど注目されていない点である。
 「東シナ海平和イニシアチブ」自体の報道は提唱時にある。8月5日、馬英九総統は台北市内で開かれた「日華平和条約発効60周年」関連式典で、「東シナ海平和イニシアチブ」を提言した。外交部声明を引用しよう(参照)。

「東シナ海平和イニシアチブ」に関する外交部声明
 最近、東シナ海及び釣魚台列島水域で発生した一連の争議に対し、中華民国政府は、釣魚台列島は台湾の付属島嶼であり、中華民国の固有領土であることを改めて表明する。
 中華民国は、釣魚台列島は「カイロ宣言」、「ポツダム宣言」、「日本降伏文書」、「サンフランシスコ平和条約」、「中日平和条約」などにより、台湾とともに中華民国に返還されるべきと主張する。
 中華民国は、関係国がこの地域に対して異なる主張があるため、長年来争議が絶えないことを理解し、最近この地域の緊張がにわかに高まっている事態に鑑み、中華民国としては、関係国が国連憲章と国際法の原則に則り、平和的に争議を解決するよう鄭重に呼びかける。
 中華民国政府の釣魚台列島問題に対する一貫した主張は、「主権はわが国にあり、争議を棚上げ、和平互恵、共同開発」である。しかし、この争議と関係ある東シナ海は、西太平洋海空航路の要衝に位置しているため、アジア太平洋地域、ひいては世界の平和と安定にも深く関わっている。この地域の持続的平和と安定、経済の発展と繁栄、海洋生態の永続的発展を促進させるため、関係国が積極的に共存共栄の道をはかることを望む。そのため、中華民国は「東シナ海平和イニシアチブ」を提起する。

我々は各関係国に次のように呼びかける。
一、対立行動をエスカレートしないように自制する。
二、争議を棚上げにし、対話を絶やさない。
三、国際法を遵守し、平和的手段で争議を処理する。
四、コンセンサスを求め、「東シナ海行動基準」を定める。
五、東シナ海の資源を共同開発するためのメカニズムを構築する。

 中華民国政府は、「東シナ海平和イニシアチブ」の早期実現、東シナ海が「平和と連携の海」になるよう、関係国が一致努力するよう切望する。
【外交部 2012年8月5日】


 これが今回の一連の騒動で、それなりに発動したということが、国際外交上はもっとも重要な点であり、おそらくこの発動を読んでいた大陸側でもそれなりの是認が一部にあったと見てよい。
 「東シナ海平和イニシアチブ」については、米国も実質賛同していた。「フォーカス台湾」の記事より(参照)。

(ワシントン 7日 中央社)馬英九総統が5日発表した「東シナ海平和イニシアチブ」について、米国務院報道官は現地6日、中央社の取材に電子メールで応じ、「関係各方面が平和的手段で問題を解決することを望み、いかなる立場も採らない」との米の方針に変更はないと回答した。
 馬総統は5日、釣魚台列島(日本名:尖閣諸島)の領有権などをめぐり論争が活発化する東シナ海について、行動規範の策定検討や共同資源開発のメカニズム確立など5項目の提案を発表、中華民国の主権を主張した上で、関係各方面に対し問題の平和的解決を呼びかけた。
 これについては日本の玄葉光一郎外相も、7日の定例会見で香港メディアの質問に応じ、(尖閣に対する)台湾の主張は受け入れられないが東シナ海の平和・安定のための協力は大切だとコメントしている。

 「東シナ海平和イニシアチブ」で重要なのは、(1)台湾が主導した、(2)共同資源開発が視野に含まれている、という点である。
 「(1)台湾が主導した」ということは、やっかいな当事者国である日本ではないほうがよいという意味もあるが、文言だけは鳩山政権の「東アジア共同体」創設と「東シナ海を友愛の海に」と大して変わらないのに、これが上書きされたという点が重要で、端的に言えば、民主党政権以降の日本は東アジアで安全保障上の存在が薄れたということだ。日本が経済的かつ文化的なソフトパワーで抑制したいた東アジアの安全保障が民主党政権によって壊れてしまったということを端的に示している。これが中国の南シナ海への進出という問題を結果的に後押ししてしまったことにもなった。
 今後日本でもう少し知恵のある政権ができたら、現行の台湾との間の暫定執法線を当面配慮する形で資源開発のポーズでもすることが、対中国というか、尖閣諸島のもっとも妥当な防衛になるのではないかと思うが、まあ、たぶん、ダメだろうなと、報道を見ていてもネットを見ていても思う。
 
 

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2012.08.18

このところ話題の竹島と尖閣諸島のこと

 領土問題として、竹島と尖閣諸島がまた話題になっている。ごく簡単にメモしておきたい。
 まず、香港の活動家が尖閣諸島の魚釣島に上陸した件だが、これはべたに中国国内のご都合で騒いでいるだけで、今回の事態それ自体が新しい課題というほどのことはない。まあ、かなり暴力的なことするなあという印象は深いが。
 すでに朝日新聞や毎日新聞などの社説にも書かれていることだが、今回魚釣島に上陸した香港の活動家は、親中派実業家の資金援助を受けている。支援者の意図は何か。
 日本ではそれほど注目されなかったように思うが、7月1日、香港が中国に返還された記念日の際に、香港市民が人権問題を巡って抗議デモを行った。さらに7月29日、中国政府側による、香港市民への中国国民としての愛国心を育成する「国民教育」の導入でも、抗議の大規模デモが実施された。主催者側発表では9万人参加、警察発表では3万2000人とのこと。
 中国の愛国主義教育に対する大きな反発の機運が香港で高まっており、その打ち消しに反日活動に打って出たのが、今回の香港側の魚釣島に上陸の背景だろうし、裏でプランしたのは、今回香港長官となった親中国系の梁振英氏だろう。
 従来こうした領土問題を巡るナショナリズム的な動きがある場合、香港政府は船の不正改造などを理由に出航を阻んできたが、今回はするすると流れた。中国政府側でも好ましいとして是認したと見てよい。
 反面、今回の魚釣島上陸活動は中国本土からも合流の試みがあったが、これは中国政府から阻止されている。異例ではないものの、反日に名を借りた政治活動が背景にあるのを抑圧するためである。当然ながら、現在中国本土内で進行している権力闘争と関わりがある。さらに、その権力闘争の背景には、中国が抱える経済問題の闇がある。
 また中国政府としては、南沙諸島でフィリピンやベトナムと衝突を繰り返し、米軍の関心を高めることで、海洋覇権や空母配備が想定した流れで進まず、さらに台湾や日本と事を構えたくないのも本音だろう。
 次、竹島問題だが、基本的にこうした中国の海洋進出の意向にまったく配慮なく、あたかも対日的には中国に同調したかのように突っ走ってきて、あまつさえ魚釣島上陸前に竹島へ大統領が訪問というフライングまで韓国はやらかしてしまった。
 なぜこの時期に韓国が反日活動で暴走したかについては、よく言われているように、李大統領の命運が尽きる情勢になっているということが大きい。韓国の大統領は5年の一期制で再選がないため、この時期にはみんなレイムダックになる。制度的な欠陥が基底にある。さらに日本ではあまり報道されていないが、北朝鮮側の各種の工作の影響もありそうだ(参照)。李大統領もマッチョを演出せざるをえない。竹島問題で日韓が揉めて漁夫の利を得るのが北朝鮮という構図がわかりやすすぎるにしても。
 尖閣諸島への侵犯は中国政府の意向で適当に繰り返されるだろうが、意外と中国政府は状況を冷静に見るので安易な暴発はしない。韓国はその逆。残念ながら、ここまできたら日本もごく普通の国家として普通に対応せざるを得ない。ルーズルーズの関係が避けがたい。
 とはいえ、普通の国の領土紛争となると軍事オプションの想定は避けがたいし、実際に韓国側はそれをちらつかせているのだが、対する日本はどうなるのか。例えば、日米安保などはどうなるのか。日本政府は公式にどう考えているのか、ちょっと調べてみたら、面白い話があった。
 鳩山さんが首相の時代、竹島に臨む島根県選出の亀井亜紀子参議院議員が竹島問題に関する再質問主意書(参照)を出し、これに形式的にだが鳩山首相が答えている(参照)。Q&Aで整理すると、こう。


 本年は「日米安保条約改定五十周年」という節目の年に当たる。「「米国は日本を防衛する義務を負い、日本はそのために米国に施設・区域を提供する義務を負う」。このことが日米安保体制の最も重要な部分」であると外務省は同省ホームページで解説しているが、武力によって不法占拠された竹島は、「日本が武力攻撃を受けた場合」に当たらないのか。日米安保条約第五条の共同防衛に相当する「共通の危険」の定義は何か。

 我が国及び米国は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三十五年条約第六号。以下「日米安保条約」という。)第五条に基づき、我が国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が発生した場合、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処することとなるが、現在の竹島は、現実に我が国が施政を行い得ない状態にある。
 日米安保条約第五条は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」が「自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め」ており、同条にいう「共通の危険」とは、この自国の平和及び安全を危うくするものである日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃を意味している。


 ようするに、竹島には日本の領有権はあるが、施政権はないと日本国が明言している。そして、日米安保は、領有権に関わるのではなく、施政権に関わるから、よって、施政権が及ばない竹島に米軍は出て来ないというのだ。
 これ、つまり、尖閣諸島についても、現在は日本が実効支配して施政権があるので、それに武力侵害があるなら、米軍は対処せざるをえないとも言えるし、日本が尖閣諸島の施政権を失えば、米軍は出て来ないとも言える。
 言われてみれば当たり前のことではあるが。
 そこでちょっと思ったのだが、日本は憲法上、「国際紛争を解決する手段としては」「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使」は否定されているが、主権、つまり、領土の防衛としては武力が行使できるのだろうか? いや修辞疑問であって、いろいろ説があるのは知っている。結論を言えば、無理。
 亀井議員の質問書では次の点も面白い。竹島問題の解決を日本政府はどのように想定しているのか。

 日本政府は平和的手段による竹島問題の解決を図るべく国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国政府はこれを拒否している。一方、鳩山総理は「東アジア共同体」構想を提唱しているが、竹島問題は今後どのように取り扱われるのか。政府は多国間の枠組みによる交渉、二国間の直接交渉のどちらが有効な方策と考えるか。

 お尋ねについては、政府としては、引き続きこの問題の平和的な解決を図るため粘り強い外交努力を行っていく考えであるが、詳細を明らかにすることは差し控えたい。


 鳩山政権下では、実に鳩山さんらしいと言えないこともないが、実質何にも考えていなかった。それが今回の事態で暴露されたことになった。
 とはいえ、では自民党時代に考えられていたのかというと、なかったのだろう。
 いずれにせよ、竹島問題を国際司法に提訴したということは、「二国間の直接交渉」ではなく「多国間の枠組みによる交渉」を一応、おもてに立てたことになる。関連して。

 本年一月二十二日、韓国の国土海洋部が竹島海洋科学基地を本年九月に着工し、二〇一三年完成を目指している内容の記事が韓国より発信された。当該基地は約三十億円をかけて竹島の北西一キロメートル、水深四十メートルの水中の暗礁に建設する計画であり、韓国による竹島主権強化、排他的経済水域の確保に有利になるとの内容であるが、この記事内容を承知しているか。また承知しているとすれば、日本政府として抗議等の対応を行わないのは何故か。

 御指摘の内容の報道については、承知しているが、外交上の個別のやり取りについて明らかにすることは、韓国との関係もあり差し控えたい。


 つまり、何もしてこなかった。
 長いこと何もしてこなかったのだから、困った事態になるのも当然といえば当然なので、今後は日本政府も考えていくしかないだろう。
 
 

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2012.08.17

[書評]トルコで出会った路地裏レシピ(口尾麻美)

 「トルコで出会った路地裏レシピ(口尾麻美)」(参照)は書店で人待ちしているとき、たまたま見かけて、その時は買わなかくて、あとから思い出して、後悔して、買った。ああ、懐かしいなという思いがじわじわと来た。

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トルコで出会った
路地裏レシピ
 いわゆるトルコ料理の本というわけではない。タイトルのとおり、路地裏レシピ。屋台料理を含めた大衆食堂的な料理が基本。本書の構成からもわかる。第1章、メイハネ(=居酒屋)レシピ、第2章ロカンタ(=大衆食堂)レシピ、第3章スタンドフーレシピ。とはいえ、高級ホテルでもビュッフェ(バフェ)だと基本はこんな感じ。
 日本にあるトルコ料理だとつい串焼き肉のケバブが多いけど、この本にあるようにトルコだと、というかイスタンブルとかだと、むしろ豆料理とか野菜料理が多い。エフェスような海側だと魚や貝の料理も多い。新鮮な果物やドライフルーツも多い。ベジタリアンにはけっこう天国なところ。
 この本だが、書店で手にしたとき、ああ、イスタンブルは変わらないなと思ったのだった。旅行してからもう20年も経つ。あのころ、イスタンブルの広場でトルコの人が、20年前はこのあたりヒッピーが多かったんですよと言っていて、20年もすると変わるんだろうなと思っていたものだった。変わるものもあり変わらないものもありということで、食文化は大きく変わったということはないのではないか。高橋由佳利さんの「トルコで私も考えた」(参照)シリーズも読み直してみるかな。
 掲載されている写真がいちいちなつかしい。特にシミットというリング状の胡麻パン売りがじんとくる。トルコはパンがうまい。フランスパンやドイツやロシアのパンとかは違って、小麦の味が素朴に出る感じ。
 屋台料理では、ムール貝のファルシ、ミディエ・ドルマデスが懐かしい。これ、ほんとにうまかった。本書には作り方が載っているのだけど、それだと、ピラフにしてから貝に詰め直すみたいにある。そうなのか。
 「チャイとお菓子」というページでは、れいのトルコの紅茶が出てくる。れいのというのもなんだが、ちいさくくびれたガラスのカップのあれ。あれお土産でいっぱい買ってきたものだがもう一つも残ってない。この本には出て来ないけど、エルマ茶というのが美味しい。トルコの紅茶はヌワラエリアに似ている感じがする。
 
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トルコで私も考えた 1
 主旨のせいか本書にはあまり映ってないけど、トルコは果物屋がきれいだ。手のひらサイズの小ぶりのリンゴが売っていて、よく食べた。あのリンゴはなんなんだろう。日本では見かけない。沖縄にいたとき、米軍関係の人となんとなく話してら、小さいリンゴの話が出て来た。米国でも一般的なのか。
 
 

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2012.08.16

あらゆる物の調理法・基本編(How to Cook Everything The Basics)・マーク・ビットマン(Mark Bittman)

 料理の本は見ていているだけで楽しいものがある。現代アメリカの料理の本だと、「あらゆる物の調理法・基本編」が私は好きだ。写真が1000点も含まれていて、美しい。見ているだけで食欲がわいてくる。タイトルは仮に訳したけど、もしかすると正式な訳本があるのかもしれない。ざっと探したところでは、見つからなかったが。

 

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How to Cook Everything
The Basics
 オリジナルのタイトルは"How to Cook Everything The Basics"(参照)。ニューヨークタイムズのコラムニストであるマーク・ビットマン(Mark Bittman)が書いた本だ。
 ちなみに、これは基本編で、そうでないのが「基本編」がついていない"How to Cook Everything, Completely Revised 10th Anniversary Edition"(参照)のほうだ。こちらは、完全改訂10周年記念とあるようにさらに定本という感じがする。実際、家庭用の料理本としてはほぼバイブルといってもいいのではないか。レシピもアレンジを含めて2000点も掲載されている。初版は1998年に出た。分厚くて扱いづらいのだけど、今年、これのiPhone/iPad向けの電子本が出た。電子本だと計量も日本や欧州のようにグラムの単位にも切り替えられる。タイマー機能もついている。便利といえば便利。ただ気楽に見て楽しむという感じではない。
 その点、基本編のほうは1000点の写真付きなので、写真が多くて見ているだけで楽しい。手順を詳しく写真で解説しているほどでもないが、調理の要所、要所の写真が美しく撮影されていて、いろいろ想像できる。
 基本編とするだけあって、お湯の沸かし方からゆで卵のゆで時間の違いといった、ごく基本から説かれている。もちろん英語で、しかも料理用語も多いのだけど、それほど難しくない。むしろ本書は他の英語の料理本を読むのに役立つ辞書的な意味合いもある。Kindle版もあって私はiPadやパソコンで見ることが多い。

 基本編に収録されているレシピは185点。多いようにも思えるけど、アレンジを含めているので、実際には50点くらいだろうか。一通り料理する人なら、これくらいは全部知っている。その意味では、レシピ自体が面白いということはないが、細かい点で自分の調理手順と違うところなどを見つけて感心したりというのはあるだろうし、「これが基本だよね」という、なんというか、現代人の普通の食事の中心感覚がある。たぶん、ビットマンの食の考え方にも関係している(参照)。

 ビットマン自身はベジタリアンではないが、ベジタリアンに近い。簡単に言うと、お肉の料理はディナーくらいにしておきましょうということだ。本書も肉料理は多いのだけど、米国のレシピ集としてはめずらしいくらい野菜や穀物が扱われている。というか、おそらくビットマンのこの「あらゆる物の調理法」の影響が他の米国の料理本にも影響しているのだろう。
 日本の、この手の基本の料理本と違うのは、朝食や軽食、パーティ食といった軽い食事についてきちんと書かれていることだ。日本人のイメージからするとホテル飯みたいな感じもするが、基本の卵料理や、小麦から作るパンやピザ、ショートブレッドのようなレシピは便利だ。
 本書はアジア食のレシピの採用もあるけど、いわゆる日本人の食とは合わないかもしれないし、和食的な志向とは違う。それでも「文明国で、新しいスタンダードで普通の食事ってなんだろうか」というのを考えるなら、この本がもっとも明確にそれを表現しているとも言えるだろう。
 
 

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2012.08.14

ヨーグルトの水を切ると濃厚ヨーグルト

 先日コンビニで「濃密ギリシャヨーグルト」(参照)というのを見かけて「へえ、懐かしいな」と思って買って食べてみた。なるほどギリシアのヨーグルトと同じだ。もにょっとした感じがあった。

cover
濃密ギリシャヨーグルト
PARTHENO1ケース
 言うまでもないことだけど、トルコのヨーグルトもこれと同じ。そしてどっちの国でも、ザジキ(τζατζίκι)と言って、塩揉みして薄く切ったキュウリを、擦ったニンニクで香りを付けたこのヨーグルトで和えた前菜(メゼ)が有名。よく食べる。オリーブオイルやレモンやミントを加えてもいい。そのまま食べてもいいし、パンに付けても、ケバブに付けてもいい。焼き茄子につけても美味しい。
 トルコでもザジキで通じるけどジャジクとか言う。正確にいうと、ザジキのヨーグルトは牛乳から作ったのではなく山羊や羊のミルクから作る。シェーブルチーズのようなこってり感というか臭いはある。私はけっこう無臭な人なんだけど、これ毎日食っていたら一週間くらいしてギリシア人のような体臭になった。他にギリシアサラダや山羊肉とかも食っていたけど。
 このギリシア・トルコ風の濃厚ヨーグルトは、サワークリームみたいな感じなので、ビーフシチューを食べるときに混ぜてもいいし、カレーに混ぜてもいい。卵に混ぜてオムレツにするとふっくらする。
 日本で売ってるところは少ないようだけど、普通のヨーグルト(なぜかブルガリア・ヨーグルトとか不思議な名前のもあるけど)の水を切ると簡単にできる。どこの国だったか、東欧の国だったように思うけど、ヨーグルトの水切り専用の用具もあった。
 ヨーグルトの水の切り方だけど、ヨーグルトの自然の重さで絞る感じ。絞るのに使うのは晒し布でもキッチンペーパーでもいい。意外に簡単なのがコーヒーフィルター。ちょっとやってみようか。
 使ったフィルターが茶色いのは最初からそういう色のだから。別になんでもいい。キッチンペーパーでもいい。セットしてヨーグルトを適当に入れる。水を切ると半分くらいの大きさに縮むと思って入れるといい。

 これを一時間くらいほっておくと水が切れる。フィルターの下のカップにけっこう水が溜まる。水といったけど乳清なので飲んでもいいし、なんかに使ってもいい。
 水を切るときには夏場なら冷蔵庫とかに入れておくといい。一晩くらい水を切るとけっこうきっちり切れる。
 水を切ったら取り出すと豆腐みたいな感じになる。これで、できあがり。

 ハチミツかけて食ってみますか。

 クリームチーズに似た感触でヨーグルトらしい爽やかな酸味。これこれ。
 お試しあれ。
 
 

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2012.08.13

ロンドンオリンピック雑感

 朝テレビを付けたら閉会式の映像が流れた。しばらくすると好きだったクイーンのブライアン・メイが出てきたので英国らしいなと思った。これでロンドンオリンピックが終わったわけだ。長いような短いような期間だった。私はほとんどオリンピックを見なかった。観戦スポーツにほとんど関心ないのである。
 昨日のブログ記事でユーリ・ミルナーの現況について触れたが、関連の報道を読んでいるなかでモスクワタイムズに掲載されたロシアの政治アナリスト、ユリア・ラッチニーナ(Yulia Latynina)のコラムに共感した(参照)。
 彼女は、オリンピックというものがわかったためしがないと告白せねばならないというのだ。なんで速く泳げることに大騒ぎをするのだろうか。なんであれ魚の泳ぎのほうが速い。人間がどれほど高くジャンプしたとして意味があるのか。身体の比率からすればノミのほうが高く飛ぶ。他の動物のほうがはるかに有能である分野でなぜ人間の身体能力を競うのだろうか、と彼女は問いかけるのである。
 冗談で言っていることはわかるが、私もそんな感じがしている。加えて、自分ではない他者ががんばっていても、その行為を評価はするが、あまり共感はしない。まして集団的な競技だと自分に関係のないグループなんだなと遠くで見ている感じがする。たぶん、こうした感覚は生まれつきのものというより、なにかと集団からのけ者にされた子供時代のトラウマに根があるのではないかと思う。
 閉会式の放送の後、NHKのアナウンサーは、日本はたくさんメダルを取りましたと喜んでいた。へえ、そうなのか。ロンドンオリンピックの公式サイトだと思われる、london2012.comのメダルリストを眺めてみた。こんな感じです。

 Gold(ゴールド)は金、Silver(シルバー)は銀、Bronze(ブロンズ)はというと銅。ブロガーのきっこさんがツイッターで「日本では「金」「銀」「銅」と呼んでいるから「銅メダル」が安っぽく感じてしまうが、あれは正確には「青銅メダル」、英語なら「ブロンズ」だ。「ゴールド」「シルバー」「ブロンズ」と呼べば遜色はないし、白人女性の髪の色ならゴールドやシルバーは安っぽいがブロンドは高級感がある」(参照)と言っていた。ちなみに、ブロンドの髪のブロンドは"blonde"。
 メダルリストを眺めてみると、金銀銅いずれも米国が群を抜いて多い。これに引き離されて中国が続き、さらに引き離されて開催国の英国が金では第三位と続くが、メダル総数で見ると英国とロシアの甲乙は付けがたい。いずれにせよ、この四つの国がオリンピック大国と言ってよい。
 これを追う国はというと、韓国である。金で第五位。金で見ていくと、これにドイツ、フランス、イタリアといわゆる先進国が続く。
 日本はというと、第11位。金銀銅の比率も金で第10位のオーストラリアによく似ている。ちなみに、オーストラリアの人口は2千130万人ほど。日本は1億280万人ほど。オーストラリアの国内総生産(GDP)は9千144億ドル。日本は4兆3,095億ドル。国家の規模としては日本がずいぶんと大きいように思うが、一人当たりのGDPで見るとオーストラリアは4万234ドルで、日本は3万3805ドルと日本がかなり劣る。いずれにせよ、オリンピックで見ると、日本はオーストラリアによく似た国家だなというのがわかった。
 NHKがはしゃいでいたようにメダル数という点で見ると、米国・中国は別格だが第三位にロシア、第四位に英国、そして第五位にドイツで日本は第六位になる。なるほど総メダル数で見ると日本もそれなりのスポーツ大国なんだなという感じがしないでもない。民主党の蓮舫議員がスパコンの分野で述べた「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃダメなんでしょうか?」という精神はすでにオリンピックで活かされていた。
 日本がもっと金メダルが取れたらよかったのだろうか。私は知らなかったのだが、目標は金が15個だったそうだ。それなりに金メダルを目指してはいたのだろう。
 開催国ということもあってか、英国の活躍は目立った。これを英国はどう見ているかというと、8月3日時点のBBCの記事「オリンピックは私学が優位(Olympics 'dominated by privately educated')」(参照)という記事が興味深かった。今回のロンドンの結果を踏まえてということではないようだが、過去の事例から、英国のオリンピックのメダる獲得者の半数は、英国で7%の私学によっているというのだ。
 開会式では華々しく英国の国営医療サービス事業であるNHS(National Health Service)が取り上げられていたが、ことまさにオリンピックとなると、英国は私学に大きく依存している。
 教育は基本的に私学でよいし、公教育は義務教育の補助か官吏養成でよいと考える私としては、そのことが英国で話題になるのが不思議に思えたが、記事を読むと、残り93%の学生の能力が十分に教育されず開花されていないではないとして社会問題になっていた。翌日のガーディアンにもそうした言及があった(参照)。
 ユリア・ラッチニーナのようなオリンピック観を持つ私としては、オリンピックレベルの身体能力の開花はさほど意味がないようにも思うし、彼女もその言及につづけて、人間にとっては「知的な達成(intellectual achievements)」が重要だとする見解にも同意するのだが、してみると、知的な達成という点で、公教育と私学はどのようなバランスになっているのか気になったが、ざっと調べた印象ではわからなかった。
 話が散漫になってしまったが、冒頭、私はほとんどオリンピックを見なかったと書いたが、NHKニュースに挟まれた映像以外では、本当に偶然だったのだが、女性の新体操を見た。日本語で新体操というと、新しい体操のようだが、英語では"Rhythmic gymnastics"。これに対して、体操は"Gymnastics"である。つまり、新体操はリズムに調和させる身体性、とくに美が強調され、私としてはバレイやオペラでも見るような感じで楽しめた。
 見ていくうちに気がついたのだが、個人競技だったせいか日本人がいなかった。日本人がいない競技であることに内心ほっとしている自分に気がついて変な気がした。これもなにかトラウマが関係しているのかもしれない。
 韓国の選手が一人出ていた。名前は忘れたが、演技を見ていて、これは日本人とは随分違うなあという印象からまた変な感じがした。ロシアの指導によるというのだが、そのせいだけなのだろうか。
 そういえば中国人はいないのかと思ったが、いないようだった。それどころか、アナウンサーが韓国人選手について、東洋初のメダルはなるか、とか力んでいた。へえ、この競技にそもそも東洋人はいないのかと驚いた。が、アゼルバイジャンの選手は私の目には普通にアジア人に見えた。なんだかよくわからない世界なのでその手のことを考えるのをやめた。
 新体操のメダルは金銀ともにロシアだった。圧倒的にロシアだったと言ってよいのではないか。やっぱりロシアかあと思った。冷戦時代の皮肉な平和を連想して内心安堵するものもあった。
 まあ、なんでもいいや。演技は見事だった。こうしたものが見られるなら、オリンピックもいんじゃないのとちょっと思えた。
 
 

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2012.08.12

IT投資家ミルナーによる基礎物理学賞

 オリンピックの陰に隠れた印象もあるが、ロシア人投資家ユーリ・ミルナー(Yuri Milner)が基礎物理学の賞を創設したというニュースには少し驚かされた。ミルナーでなければ、また賞金が300万ドルでなければ、それほど重要なニュースでもなかったかもしれない。7月31日付けのニューヨークタイムズの記事(参照)を元に日本では朝日新聞社が孫引きで報道していた(参照)。
 賞の名称は彼の名前にちなんでミルナー賞か、あるいは数学のフィールズ賞のようにこの分野の著名人を当てるのかとも思ったが、ニューヨークタイムズの記事や他の報道を見ても"Fundamental Physics Prize"と語頭大文字で記されている。単に「基礎物理学賞」と呼ばれるのだろうか。雑誌エコノミストの本文では参照的な言いまわしではあるが"The Milner prize(ミルナー賞)"とも呼ばれていたが。
 高額な賞金について、ノーベル賞との比較は避けがたい。ノーベル賞の賞金は1000万クローナ(約1億1000万円)だったが、不況もあり今後800万クローナ(約9400万円)に減額される。「基礎物理学賞」の賞金はこのノーベル賞の2倍半。設立に併せた初回の受賞者9人の賞金総額は2700万ドル(約21億円)にもなった。
 受賞9人の顔ぶれは、宇宙のインフレーション理論を提唱したアラン・グース(Alan H. Guth)を筆頭に、プリンストン高等研究所から4人、ナイマ・アルカーニ=ハメッド(Nima Arkani-Hamed)、フアン・マルティン・マルダセナ(Juan Martin Maldacena)、ネーサン・サイバーグ(Nathan Seiberg)、エドワード・ウィッテン(Edward Witten)が選ばれた。他は、スタンフォード大学のアンドレイ・リンデ(Andrei Lind)、カリフォルニア大学のアレクセイ・キタエフ(Alexei Kitaev)、フランス高等科学研究所のマキシム・コンツェビッチ(Maxim Kontsevich)、インド人のアショーク・セン(Ashoke Sen)である。
 受賞者はそのままノーベル賞やフィールズ賞にも相当しそうだが、ノーベル賞と基礎物理学賞の違いははっきりしている。なによりも物理学の基礎理論への貢献が重視されることだ。
 皮肉な言い方になるが、近年のノーベル賞は日本文化の功労賞のように高齢者が何十年前に行った研究に与えられているが、基礎物理学賞では実験成果は待たない。また、ノーベル賞では人類の福利に貢献した影響が重視されが、基礎物理学賞では理論そのものが重視される。
 ノーベル賞との比較で評価が難しいのは選考手法である。ノーベル賞はよく批判されるように政治的な色合いや、選考組織の官僚化の傾向が見られる。これに対して基礎物理学賞は、特定の専門委員とミルナー自身が決め。悪い言い方をすれば、ミルナーの独断という色合いも出やすい。今回の9人の受賞者のうち3人がロシア出身者であったことに、ロシア人のミルナーの思惑がなかったか、今後はどうかなど問題点は残る。
 賞金額の多さには驚かされるが、言い方が悪いが、フェイスブック・バブルの還元と見ることができないわけでもない。彼は実質フェイスブックの黒幕ともいえる人物でもある。
 簡単にミルナーの来歴をまとめておこう。彼の名前は、金正日ことソ連生まれ"Yuri Irsenovich Kim"と同じく"Yuri"である。つまり、「ゲオルギー」。英語でいうと「ジョージ」である。1961年11月11日、モスクワでユダヤ人家系の二人めの子供として生まれた。
 父親は科学アカデミー経済学部の部長を務め、米国の会社経営にも詳しかった。母親は国立の疫病予防研究所で働いていた。家庭はソ連の知的階級に所属していた。
 高校生時代にこの年代らしくパソコンのBASICや、大型機のFortranなどのプログラミングを学ぶ。大学はモスクワ大学に進学し理論物理を専攻。1985年に卒業し、さらに物理学博士号取得を目指して科学アカデミーに入り、ヴィタリー・ギンツブルク(Vitaly Lazarevich Ginzburg)とともに働く。ギンツブルクは2003年にノーベル賞を受賞している。またそこでアンドレイ・サハロフ(Andrei Dmitrievich Sakharov)とも親しくなる。彼は水爆開発から「ソ連水爆の父」と呼ばれ、またソ連時代の人権活動家として「ペレストロイカの父」とも呼ばれた。
 偉大な人物の影響を受けたミルナーの青春だが、博士号は取得できずに挫折した。ソ連解体期の混乱もあって、週給5ドルといった貧困生活にも陥っていた(参照)。しかたなく闇屋のようなビジネスで荒稼ぎを始めたが、父親は息子のそうした生き方を是とせず、ペンシルベニア大学のビジネススクールであるウォートン校にソ連人として正式に留学させ、MBAを取得させた。
 1990年代前半、ミルナーはワシントンDCの世界銀行でロシア担当として働くが、あまり気乗りのする仕事ではなかったらしい。ソ連崩壊後は、ロシア新経済の黎明期を好機として、ミハイル・ボリソヴィッチ・ホドルコフスキー(Mikhail Borisovich Khodorkovskii)と知己を得る。その支援で投資ビジネスで頭角を現すようになった。言うまでもないが、このホドルコフスキーは現在豚箱に入っているホドルコフスキーである。
 2005年、ネット投資社デジタル・スカイ・テクノロジーズ(DST: Digital Sky Technologies)を創設。その無料メール事業部門は"Mail.ru"とした。2009年にフェイスブックに2億ドルを投資し、さらに従業員から1億ドルの株も買い上げた。2011年、ゴールドマン・サックスと一緒にさらにフェイスブックに5億ドルを投資。こうしたIT分野の投資から巨額の財産を築いた(参照)。
 基礎物理学賞の設立は、フェイスブック・バブルからの儲けの社会還元と見えないこともないが、ミルナーにとっては挫折した青春の夢でもあったのだろう。アカデミックな人生とビジネスをつなぎ、自分に似た俊英を引き立てたいという思いもあるだろう。基礎物理の研究から意外なビジネスの展開を見せるかもしれない。


 
 

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2012.08.10

[書評]美味しさの常識を疑え! 強火をやめると、誰でも料理がうまくなる! (水島弘史)

 エッセイストの岸本葉子さんが、一人暮らしになった理系のお父さんの料理のことを書かれていたのが印象的だった。記憶を辿るので誤解しているかもしれないが、彼女の父が、料理というのは専門の化学と同じだと悟ってレシピ本どおり正確に調理しはじめたところ、めきめきと料理の腕を上げたという。なるほど思った。
 料理はレシピが正しければ、そのとおりするとうまくいく。では問題はレシピとその正確な再現にあるのかというと、そこが難しい。レシピに書かれている素材は自分が揃えた素材と同じなのかというと、そうもいかない。調理器具の違いも大きい。
 そもそも調理手順がきちんと再現できるものなのかという疑問もある。お習字と同じだ。私が蘭亭序を横に筆を手にしてもナンセンス。お手本に見合う基礎技術が必要。
 逆にいうと、そうした問題がクリアされると、料理は美味しくできるのか? 少なくとも想定された通りの料理になるのか?
 これについてはそのとおり。もう数年前になるが、セブンミールが面白いレシピを採用している時代があった。ポルチーニを使ったソテーとか鯛の手鞠寿司とか。素材も配送される。レシピも詳細。きちんと再現したら、おやっ、デニーズよりおいしい。あれでいろいろ料理のコツを学んだ。最近のセブンミールのレシピにはあの面白さはなくなっているのが残念。
 基本的な問題に戻れば、レシピとその遵守で調理ができるか。この問題にはいろいろな隠された要素がある。一番大きく影響するのは、レシピが定量的な表現ではない部分だ。「塩少々」とか「弱火でやわらかくなるまで煮る」とか。それと、調理器具の性能の差。

cover
美味しさの常識を疑え!
強火をやめると、
誰でも料理がうまくなる!
水島弘史
 そこでこの本「美味しさの常識を疑え! 強火をやめると、誰でも料理がうまくなる!」(参照)だが、こうした問題を真正面から例題を含めて議論し、さらに、いわゆるレシピ本がある意味伝統的に間違ってきたことを指摘している。それなりに調理をしてきた人が読むと、ああ、やっぱりそうだったのか。おお、そのやり方で作ってみるかという気になる。目から鱗が落ちるという印象もあるのだが、それ以前に、本当にそうなのかと調理に誘う力が強い。
 そうなのか。本書の長めのプロローグ「水島シェフの常識が変わる!料理教室ハンバーグを作ろう!」で実際に詳しい解説に従ってハンバーグを作ってみると、なるほどと思う。言われているように、この手法なら、玉ねぎを切っても涙は出ない、フライパンは温めない、ハンバーグは手でこねない、強火で焼き固めない……。
 私もハンバーグを手で捏ねるのは疑問で、ヘラで練っていたので、やっぱりなと思った(そう思ってた理由はソーセージ作りやパン作りの経験から)。また、中火でじっくり加熱も、そうだろうなと思っていた。その意味では、目から鱗が落ちるというより、やっぱりなという感じがした。
 この本の調理コンセプトは、火・塩・切という三点で、火については強火を使わない、塩については0.8%濃度にする、包丁は研がず斜めに切る、といったところ。話に説得力はあるし、火と塩については、この原理からするとかなりのレシピに見直しが必要になる。その意味では革命的と言えないことでもない。
 実際にやってみるとどうか? 意外と難しい。私の印象だと混迷を深める。この本に書いてあるのだが、火加減で強火を使わないということは、フライパンが調理に適切なサイズであるということを含んでいる。だから、調理内容によって、フライパンを使い分けないといけない。それにおそらく料理で一番扱いが難しいのがフライパンだろうと思う。塩については、0.8%というように定量的に書いているが、素材によって塩の浸透が異なるので、素材毎の対応になる。切り方についてはやはり実地の訓練が必要になる。
 それでもこの本読んでから自分がそれまでやってきた調理をだいぶ変えた。一番変えたのは、カポナータというか夏野菜の炒め煮。いままでは火の通り具合を見て野菜を分けて入れていたのだが、最近は最初に全部入れて油を回し、弱火でじっくり加熱するようにしている。インド料理のサブジみたいだなとも思うが、じっくり加熱していくと野菜の甘みがよく出てくる。2分おきくらいに揺すって、あらかた火が入ったらハーブ(オレガノやバジルなど)と塩で調味して火を止め味が馴染むのを待って終わり。野菜の味がシンプルに出ておいしい。ポトフと同じで多めに作ったら、あとでカレールーを少し入れてカレーにしてもいいし、パスタに入れてもトーストに乗せてもいいし、落とし卵と合わせてもおいしい。夏の朝、冷えたカポナータに落とし卵の朝食とか、いいもんですよ。
 料理が好きな人だったら、この本は必読だと思うし、この著者の手法でもう少しビジュアルな本がもう一冊欲しいところ。


 
 

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2012.08.09

カレーの夏

 カレーはあまり食べないほうなのだが、今年の夏はどういう風の吹き回しかカレーばっかり食っている。三日に一度くらいだろうか。

cover
喝采!家カレー
いつものルウだけで。
うまさ新境地。
 自分で作るときはインスタントのルーを使う。その場合、箱に書かれたレシピ通りに作る。隠し味とか工夫とかするとろくでもないことになるからだ。
 それでもカレーをなんども作っていくうちに、ちょっとアレンジし始めたら、けっこう楽しい。こういうのありかと思っていたら、そう思っている人は世の中にすでにいるもので、そのコンセプトの本「喝采!家カレー―いつものルウだけで。うまさ新境地」(参照)を見つけた。これ、参考になりますね。いくつか試してみると「うまさ新境地」というよりも、意外と味は定番どおり。日本人のくちに合わせた印象。
 この本には各社のインスタントのルーについての一覧説明があって、これも面白かった。かねがね、各社のルーの違いってなんなのかよくわからなかった。以前いくつか試してみて、S&Bは重い、グリコはくどい、みたいな印象があり、結局、自分にはハウスのが普通においしいと決めていた。定番はジャワカレー。
 しかし、これを機にスーパーでインスタントのルーを眺めていたら「地中海カレー」というのがあって気になった。さっきの本にはなかったので最近出たものだろう。オレンジ&ヘーゼルナッツ、トマト&オリーブという二種類があった。

 なんだろこれと思ったが、食ってみないと始まらない。食ってみた。うまい。これはうまいです、どっちも。
 悪のりで、オレンジ&ヘーゼルナッツのほうは水の代わりにオレンジジュースにしてチキンカレーを作ったら、わっはっはというくらいおいしい。トマト&オリーブのほうはトマトソースで作ったらこれも、わっはっはという感じ。普通のカレーが好きという人にはお勧めしないけど、変わった味好きにはそれなりに面白いでしょう。ちなみに、オレンジ&ヘーゼルナッツはショウガのフレーバー、トマト&オリーブはカルダモンの香りが印象的。特に、トマト&オリーブのカルダモンは鮮烈なんで、あまりトマト&オリーブとか考えずにこれカルダモンを意識していろいろアレンジしていいんじゃないか。
 そういえばカレーツリーのほうの他のシリーズも展開中。まだ全シリーズを食べたわけではないけど、こっちはけっこう本格的。
 
 

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2012.08.08

インド大停電で思ったこと

 インドで7月31日、首都ニューデリーを含め全土の半分に及ぶ20州と連邦直轄領で大規模停電が発生し、全人口の半数に当たる約6億人の生活に影響が出た。インドではその前日も北部9州で停電が発生し、どうやらその影響で複数州で大量の電気を引き込もうとしてさら関連地域が停電したらしい(参照)。2日連続の大停電は珍しく規模も大きかったこともあって国際ニュースにもなった。
 2日付けのフィナンシャルタイムズも「政策の失敗が招いたインド大停電」(参照)でこの問題を厳しく論じた。インド政府が十分な電力インフラを整備していればこんな事態にはならかったとして失政を責めた。経済大国を目指すインドにあるまじきという結語でもあった。
 それもそうかなと思ったが、この話題はその時点では、さほど日本では関心が持たれているふうではなかった。私と同様、悪く言う意図はないのだが、「あの広大なインドなんだし」と受け止めていたのではないだろうか。ところが今日になって、読売新聞と日経新聞でこの話題が社説に躍り出て奇妙な感じがした。
 FT紙以上の社説を日本の新聞が書けるわけもないだろうから、「これを日本にとって他山の石とすべき」なんてオチになるんじゃないかとつい先入観を持って読んだら、だいたいそうだった。読売新聞社説の結語は「インドの大停電は、エネルギー政策の見直しに取り組む日本の教訓となろう。電力の安定供給の重要性を再認識せねばならない」ということだ。日経新聞社説のほうはさすがにお笑い趣向ではなく「電力以外でも、逆浸透膜を使った海水淡水化設備や、鉄道の運行管理システムなど、日本が先行するインフラ技術は少なくない。これらの移転で新興国の成長を支えることが、日本の新興国事業のすそ野を広げる」としていた。そのあたりが無難な締めでもあるだろう。
 ここで私はなにかが心に引っかかった。FT紙の社説を読み返して気がついた。読売新聞社説でも日経新聞社説でも、FT紙が指摘した電力事業の民営化については言及していなかったのだった。
 FT紙では「ひとつの解決策は、商業ベースで送電網の運営ができるような民間企業参入をもっと認めることだ」としてさらに、発電についても民営化を後押しする政策も提言していた。
 もし日本がインド大停電を他山の石とするなら、その民営化や発送電分離という話題ではないんだろうか。このあたりいつも思うのだが、日本の政治言論というのはなにか歌舞伎のような奇妙な枠組みを感じる。
 先ほど「あの広大なインドなんだし」という印象を書いたが、今回のインド大停電のニュースで気になっていたことが私にはあった。インドだからということより、それほど大問題だったのだろうか。それが当初ニュースを聞いたときの疑念だったのを思い出した。
 後続のニュースを聞いていると、今回のインドの大停電だが同日中にニューデリーと北東部の地域で完全復旧、北部で86%、東部で79%復旧したという。
 そのあたりの報道には、私も沖縄で暮らしていたころよく台風で停電を経験したので、実感的に共感できる部分がある。
 沖縄の台風というのは本土のように台風一過として過ぎていかずにだらだら1週間くらい続くことがある。停電はよく起こる。丸二日停電だったこともあり印象深い。たいていは半日から一日すると復旧する。
 実際現地で暮らしていると、停電になると「復旧まだかな」としか思わない。その間どうするかというと、電池式のランタンとか、人によっては発電機を使う。手慣れたものである。インドでもそうだったのではないかと思ったのだった。
 どうだったのだろうか。今週号の日本版ニューズウィークにも翻訳があったが現地からの体験記事(参照)を読むと、自分が思ったとおりだった。
 メディアは今回の大停電を政治問題にして喧々囂々と議論したが大半のインド国民にとてはそれほど打撃でなかったと書かれていた("the power collapse really did not affect a whole lot of Indians")。記事はそのあと、電力を食う富裕層と僅かな電力で暮らす人々を対比していて、それはそれなりのありがちな枠組みの話に終わっていたのだが。
 都市生活では電力は十分にあったほうがいい。猛暑の日のエアコンディションは人命に関わる。だから電力は……という議論だが、それでもあまり私は気乗りしない。
 これは政治的な議論というより、技術的な議論であるように思えるからだ。技術というのは科学技術もだが、政治的な技術もだ。日本の文化的な生活そして日本に求められる生産に必要な電力については、手順を踏んで考察すれば妥当な結論が出るだろうという意味だ。
 別の言い方をすると逆説的だが、あまり政治的な議論にはならないタイプの問題だろう。繰り返すが、妥当な結論が妥当な手順で導かれるタイプの問題だろう。
 そういうふうにこの問題を見ない人たちが、いろいろなイベントで政治問題を活発にさせてしまうことが問題なんだろうなとも思った。
 
 

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2012.08.05

救世軍の制服から思う

 救世軍の制服がいつからブレザーになったのかちょっと調べてみたがわからなかった。あるいは今でも、昔ながらの詰め襟の軍服のほうも正式なユニフォームとして採用されているのだろうか。
 救世軍(The Salvation Army)について私がよく知っているというわけではない。制服の変遷すら知らない。それでも昭和時代の人生が長い私には、それが軍隊組織となっていることにずっと関心は持っていた。
 救世軍は1865年に、当時英国メソジスト教会牧師ウィリアム・ブース(William Booth)とその妻キャサリン(Catherine)が、ロンドン東部の貧しい労働者階級を支援するために設立したキリスト教団体である。後にブース大将と知られる彼は36歳だった。団体の名称は当初「ロンドン東部キリスト教徒ミッション(East London Christian Mission)」だったように、独自のキリスト教派という意識もない慈善団体だったのだろう。
 救世軍創設とされる1865年が慶応元年に当たるのか、正確にはわからない。この年は5月に改元したのでその前であれば元治2年になる。また、慶応4年の10月には明治元年となる。救世軍ができたのは明治の少し前になる。
 その時代でロンドンの貧窮した労働者階級といえば、すでに英国に亡命していたカール・マルクスを連想する。彼がエンゲルスの支援で英国に亡命したのが1849年。純粋に彼の手による「資本論」の第一巻が刊行されたのは1867年なので、ブース大将とマルクスが見ていた世界は同じものだったことがわかる。
 救世軍という名称に変わったのは、ブース大将が受けた1878年の霊感によると言われている。当時はもちろんまだ大将ではなかった。霊感はこう言われている。「われわれは志願軍ではなく、救済軍である(Not volunteer army, but Salvation army)」。「救済」ではなく「救世」という邦語を当てたのは尾崎行雄である。
 この霊感だが、英語のウィキペディアにあたると「私たちは志願軍である。志願! 志願ではない、正規なのだ("We are a volunteer army. Volunteer! I'm no volunteer, I'm a regular!")とある。霊感の元は彼の父とある。それが父なる神なのかブースの実夫を指しているのかよくわからないが、おそらく亡父だろう。英国的なゴーストの含みがありそうだ。ブース大将の父親は幼少時代は富裕であったが投資に失敗して破産。アルコール中毒にもなった。13歳のブース少年も貧しさから質屋に奉公に出され、その年父は死んだ。質屋奉公時代に彼はメソジストになり信仰を深め、説教者となった。
 霊感の話に戻る。この話は救世軍創立の神話とも言えるので有名だが、その意味合いはというと日本人には多少難しいかもしれない。なぜブース大将は志願軍(a volunteer army)のボランティア(volunteer)ではないと強調したのか。
 ここまで「志願軍」と訳したが定訳語には「義勇軍」もある。むしろ義勇軍のほうが意味が取りやすい。義勇軍は、愛国心などを理由に自ら志願して軍人となるということで、正規軍ではないという含みがある。ブース大将の霊感は、だから「自分たちは正規軍なのだ」ということに力点が置かれている。
 このあたり、当たり前すぎるのかざっと見渡した範囲で英語圏でも解説がないのだが、おそらくこれは主の祈りにもある、The Kingdom of God(神の国、神の王国)の正規軍という意味合いだろう。神が命じた軍事活動に従事するということだ。救世軍では、組織も軍隊らしく階級、制服、記章が整備されていく。公務で軍服を着てこそ救世軍なのである。これに対して義勇軍であれば、むしろ善意やイデオロギーによって軍活動に参加したということで、ゲリラとかサンダーバードとかサイボーグ009隊みたいなものになる。もっとも彼らも独自のコスチュームがある。
 オリジナルのブース大将率いる救世軍の活動は1880年代に勢力を爆発的に伸ばした。まさに軍隊活動らしい進軍と言えないでもない。日本にも影響した。
 日本での活動は1895年、明治28年に始まる。英国人の救世軍士官による伝道から、山室軍平が日本人最初の救世軍士官となった。士官は牧師に相当する。後に彼は中将となり、さらに日本軍国司令官となる。なんか言葉の響きがすごい。1924年、大正13年に彼は勲六等瑞宝章も受章する。当時の日本国家からも好意的に認められていたということである。
 日本の救世軍の著名な活動としては、遊郭から女性を解放した廃娼運動がある。一般的には社会鍋がよく知られている。昭和な私は、救世軍かあ年末の社会鍋かと思う。
 無教会系のキリスト教徒だった山本七平が生まれたのは大正10年、1921年であるが、彼の子どものころの思い出では、彼の家にはブース大将の写真が飾ってあった。その写真の中央には、大山元帥がいてその隣に外国の軍人がいた。その軍人がブース大将であった。明治40年、1907年に来日し明治天皇に謁見したときの記念写真であった。ブース大将は山室軍平の通訳で日本全国をめぐり講演した。爆発的な人気であったという。
 青年時代の山本七平はその写真を見ながら奇妙な思いに打たれたことがあった。昭和15年ごろ彼は渋谷で「救世軍の仮面をはぐ」「愛の名で行われる公然たるスパイ行為」というパンフレットは受け取ったからだった。その時代には、すでに救世軍が排外的な対象に変わっていたのだった。
 山本七平はそのとき、明治時代に熱狂的に日本に受け入れられたブース大将が、昭和の時代に排外的な糾弾に変わるまでの年月が32年かと思ったらしい。そしてさらに32年したら日本の世の中はどうなるだろうとも思った。その年は勘定すると昭和47年にあたる。それから数年後彼はこう思った。「静かなる細き声」より。


 伝統的発想と思うが、われわれはとかく現状は永遠にその方向に進むと考えがちである。ブース大将来日の時も、「紀元は二千六百年……」と歌ったときも、経済成長の最高潮のときも、その時点で書かれたものを見れば、そう考えていたとしか思えない。だがその日から五年後には明治は終わり、皇紀二千六百年式典から五年後に皇紀は消え、大日本帝国も現人神も消えた。
 そしてそれに代わって登場した新しい権威も、その権威者を迎えたときの熱狂的な大歓迎も、戦後三十余年ですべて消えたと言ってよい。
 市ヶ谷の露地の奥の、小さな事務所兼倉庫に移ったとき、時々、救世軍の士官を見かけた。私は長い間、救世軍の本部がこの近くにあることを知らなかった。
 そして士官を見かけるたびに、まるで座標のように三点、明治四十年、昭和十五年、そして現代が頭に浮かぶ。理由はおそらく、そのユニフォームが昔も今も代わらず、少年の目に映じたそのままだからだと思う。
 考えてみれば、服装も町のたたずまいも人の心も、この三つの座標でそれぞれ大きく変化している。そしてその中で、時には大歓迎をうけ、時には糾弾され、時には半ば無視されながら、それと関係なかったように、軍服型のユニフォームが今までつづいているのが、逆に不思議に見える。現代の日本で、これだけ無変化を継続し得たものは、珍しいのではないであろうか。

 山本七平がそう記したのは昭和52年ごろであった。そのころまで、救世軍の軍服は明治時代そのままだったのだろう。
 今はどうなんだろうかと思って、調べたがよくわからないというのがこの話の冒頭であった。現代ではブレザーになっている。あれからさらに32年経ったのである。たぶん、救世軍の軍服もようやく変わったのだろう。
 山本七平は先の述懐にこう続けた。

 なぜだろうか。一体この社会に無変化で継続しうるものがあり得るだろうか。
 あるとすればそれは聖書に記されたように「愛」――「愛の行為」だけであろう。不思議といえば不思議なのだが、これくらい使いやすい言葉はない。
 
 人は、教育の荒廃とか社会の荒廃とかを語り、それをさまざまに批判しながら、「愛の欠如」についてはだれも語らない。いや、ひとのことは、とやく言えない。私もその一人である。
 私は救世軍については何も知らない。知っていることといえば、子供のころ、救世軍とは「愛の行為をする軍隊です」と言われたことだけである。
 そして、市ヶ谷であのユニフォームを見かけるたびに、それを思い出す。そしてそれが、無言のうちに私にも社会にも欠けている一番大切な点を指摘しているように思えて、一瞬、足がとまってしまうのである。

 救世軍の軍服も変わった現代、愛の欠如のほうはどうなったかといえば、たぶん、変わっていない。教育の荒廃とか社会の荒廃とかも変わらず語り続けている。
 
 

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2012.08.04

シニア層にSNS広告は有効か?

 日本の成長分野とかビジネスチャンスとかいう話は、それだけ言うと、なんとなく元気が出そうな前向きの話のようでもあるが、日本の現状と中期的な未来像で言うなら、結局のところ、お金を持っている高齢者向けビジネスが主眼になる。お年寄りがもっとお金を遣ってくれる商売が重要だということだ。
 それは何か?というのは、実際にそういう層をターゲットにした産業の動向を見ていけばわかるし、その話に今回は突っ込まないが、いずれにせよ高齢者対象であれ物やサービスを売るならマーケティングや広告は重要になる。では、どうやってお年寄りにリーチする広告ができるかが当然課題になる。それは何か。
 あらためて問うまでもなく、現状の広告がそれなのだというのがひとつ。テレビを見ても新聞を見ても高齢者対象になっている。少なくともそういうのが本流になっている。今後もこれが続く。
 それだけなのか。どっかにニッチはないのかという興味もある。ニッチを見つけた人に儲けがつながるからだ。そういう発想が当然帰結するのはインターネット広告である。その流れはそれほど難しくない。インターネット広告って具体的になんだというのはどこ見てもわかる話でもあるかだ。
 その先を考えると、どういうインターネット広告が効率的かという話になる。これは時流を見ていくと、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に辿り着く。簡単にいえば、ネットのお友だちで囲ったところに広告をぶち込むというわけだ。
 ここで立ち止まる。
 ということは、これからの広告ビジネスのニッチというのは、お年寄りのSNSということなのか? それ以前に、お年寄りがSNSを使うのか?
 どうなんだろうと疑問に思ったら、そんなことを調べている事例があった。クロス・マーケティングという調査会社の話、「「シニアのライフスタイルとSNS利用」に関する調査」(参照)である。詳細が知りたいと思って資料を取り寄せようとしたが、なんかダメだったので、公開された範囲でしかわからないが、興味深いと言えば興味深い。なんだろ、これという奇妙な印象といえばそれもそう。
 調査対象は全国の60~79歳の男女1200人。お年寄りというのは、60歳以上という意味になる。ここで洒落にならない感想を言うと、私もあと5年でこの層に入っちゃうんだよ。あっちょんぶりけ。
 シニア層が商品やサービスの情報収集に役立っている媒体は、「新聞広告/記事」(61.2%)、「テレビCM」(59.8%)、「テレビ番組」(58.6%)とのこと。さっきてろっと書いた通りだが、新聞のほうがテレビより信頼性は高そうなので、今後も新聞広告は意外に安泰というか、そもそも新聞というのは、紙面の三分の一以上が広告であることからもわかるように、広告媒体なのでそこで維持できれば、新聞の未来は意外と明るい。
 他の媒体はどうかと、添付されているグラフを見ると微妙な印象がある。

 「新聞広告/記事」「テレビCM」「テレビ番組」に次ぐのが、「折り込みチラシ」である。これは簡単にいうと、地域の新聞販売店の稼ぎ元ということだ。ここで扱っている。新聞販売店もそれなりではあるだろうが、まだ安定していると見てよさそうだ。
 それに次ぐのが「インターネット上の広告」である。五位ということでが上位四位とそれほど差が開いているというわけでもない。ただ、このグラフのピンク腺がシニアのSNS利用者、青腺がSNS非利用者ということで評価は違う。SNS利用者か否かで大きな差がついている。どういうことなのか。
 その前にまず、インターネット上の広告はけっこう有効なのではないかということを指摘したい。そして、これが「新聞広告/記事」「テレビCM」「テレビ番組」「折り込みチラシ」の広告市場と見合っているかという疑問が浮かぶ。ここにズレがあるなら、「インターネット上の広告」はしばらくニッチとしてウマミがあることになる。シニアSNS利用者にとって「インターネット上の広告」の評価が高いならなおさら、新聞広告やテレビCMを打つのとさほど大きく変わらない効果がここにあるかもしれない。もっとも実際にどう程度効果があるかは別途検証しないといけないのだが、可能性はありそうだし、ニッチ広告としてのウマミもありそうだ。すでにそういうウマミのようなものは実現されているのかもしれないが。
 次に、シニアのSNS利用者が広告対象としておいしそうだというのは、情報収集についての関心・意識からもうかがえる。「気になることがあるとすぐに調べる方だ」で、あてはまる人がシニアSNS利用者73.3%と顕著に高い。よくわからないが「情報感度」というので見ると、シニアのSNS利用者(25.3%)は非利用者(10.7%)を上回っている。悪い言い方をすると、シニアSNS利用者は食いつきがいいということだろう。
 私が関心を持ったのは、この調査の本体で言及されているかわからないのだが、どのようにシニアのSNS利用者が商品広告に信頼性を与えるかという点だ。言うまでもなく、シニア層と限らず、クチコミ効果は大きいし、SNSとなるとさらにそれが強化される。具体的にシニア層のSNS利用はどのような人脈ネットワークになっているのか?
 この調査でも触れているし、身近に高齢者を見ているとわかるが、高齢者はけっこうサークル活動とかグループの余暇活動をしている。カネがあってヒマがあってということもだろうが、この世代、つまり私より上の世代はけっこうこういう団体活動が好きだ。
 調査から見ると、リアルサークルに入っているのは、シニアSNSが43.5%、SNSなしが34.7%。差はあるが率は高い。そして、シニアSNS層のSNS友人は11.4人と濃い。高校生とか100人200人はざらという世界とはかなり違う。
 推測なのだが、シニアSNS層は、このリアルサークルの延長感覚で意識されているのではないだろうか。実際にダブっていたり、あるいはリアルと交流したり。ネットで自分より上の層の人の交流を見ていると、けっこうリアルの交流に壁がないようにも見える。現在の国会前原発反対デモなどもそのノリでシニアが集まっているのではないか。
 ちょっと推測を重ねてきたので話があいまいになってきたが、そういうふうに読むとすると、シニア層への有効な広告は、リアルにベースを置いたSNSを促進する形で推進すると効果的だろうし、そのリアルのサークルでけっこうなお金持ちを選んでおくとかなり有効なのではないか。というか、そういうところには当然、犯罪も生じるので、近未来になにかそのあたりでえぐい事件が見られるのではないか。
 他、見える範囲でデータを見ていくと、継続したいSNSで、70代女性のツイッター70%というのが、ちょっと奇妙な印象がある。総体では大したことないのだろうが、おばあちゃんたち、なにげにツイッターを見ているという現状はありそうだ。どうなんですか、高木ハツ江さん。
 シニアにQ&Aサイトの利用が多いというのも目立つ。なにか知りたいとき、ネットに聞いてみるというシニアは多いのだろう。当然、それに答えてくれるところに信頼が集まるし、広告も打ちやすい。
 お年寄りは人生経験で知識は充足しているかというと、おそらくその逆で、いろいろ世界わからなくなって困っているという実態もあるのだろう。
 
 

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2012.08.02

夕涼みにマクドに立ち寄る

 夕涼みにマクドに立ち寄る。食事時も過ぎたせいか混んでいるふうもなかったが、カウンターではいろいろ注文している中年の男がひとりいた。私はその後ろに並んだ。
 注文が終わると彼はカウンターの横にずれる。さて私の番か。というとそうでもない。カウンターの店員は注文の対応に追われていた。他の店員もいるので、そう待たされることもないだろうと私は思ったが、しばらくそのままだった。そうしているうちに、別の若い男の客がカウンターの前に立った。私の前に立ったのである。割り込みということである。ありゃ。
 困ったなと思った。さてどうするか。客の動向を見ている店員もいるだろうから、カウンターに店員が戻れば、それなりの対応もあるだろう。お先のお客様は……私、ということにね。
 そうなるだろうか。
 ふと興味が湧いてしまった。案外、このまま、私は後ろに回されるということになるんじゃないかな。
 で? 考え込んだ。他にすることもなかったし。私はこの件で、不利益を被っているのか。
 私は、そうだな、もしかすると怒るべきなだろうか?
 怒るとしたら、誰に怒るのだろうか。私を無視してカウンターにつかつかと割り込んできたこの客に「あのー、私が先なんですけど」と言うべきだろうか。
 私の前に立った若い痩せた男を眺めると、なにかおなか空いてたまらんという感じでメニューを見つめている。カウンターに店員がまだ来ていないのだ。店員を待っている。
 私も店員を待ってみるかな。店員がカウンターに戻れば、私がさっきから並んでいたことを覚えているだろうし。
 店員がカウンターに戻った。
 「お客様ご注文は」と私ではなく、私の前の若い男に声をかけた。おおっ。
 私の後回しは決まった。
 こうなるとしかたないな。
 しかたない? 違うだろ。私のほうが先だよと言えばいいじゃないか。
 ここでまた考え込む。誰に? 割り込んできた客に? それとも店員に?
 注文を取り始めたカウンターに「私のほうが先なんですけど」と申し立てる意味はどのくらいあるのだろうか?
 どうせ私は、コーヒーかコーラを頼むくらいの些細なお客なのである。
 前の若い男は、ハッピーセットくらいは注文しているだろう。利益の上がらない客は後回しというのが、新しいマクドの方針かもしれない。まさかね。まあ、いいや。
 割り込んだお客の注文もそう長くかかるわけでもないだろうし。
 ところが、長い。
 そのうち、店内に新しく入ってきた客が私の後ろに並ぶ。そりゃそうだ。そして数名の列が出来る。わっはっは。私が先頭だと思った。空しい。
 それでもしばらくすれば、今度は割り込みもないから私の番になるだろう。そのときこそ、リベンジのチャンス到来。ふふふ。悪魔の微笑み。
 悪魔なのだから、まず表向きは紳士らしく、丁寧に注文をしたあと、ワン・モア・シング、そうだ大切なことを言い忘れていたよ、と言う。君、さっき私を無視してくれたね……。
 いや、そんな大人げないことしなくてもいいんじゃないか。大したことじゃないんだ。そもそも私になんか、マクドで認められるプライドなんか、ありゃしないのだし、敗者は敗者らしく黙って過ごしていけばいいんだ。
 そうだな。別に大したことじゃないな。
 というわけで、時は流れ、ようやく私は憧れのカウンターに立ち、コーヒーを注文した。
 お砂糖・ミルクはお使いになりますか? いえ。レシートはご利用になりますか。いえ。店員は私の脳内劇場を知らない。
 店員はコーヒーサーバーに向かって、コーヒーを注いでいた。そのときだ。
 割り込んできた若い男がまだそこにいたのだ。注文がまだ揃っていないのだろう。私のほうを見て、ちょっと済まなさそうな顔をして、もしかしてお先でしたか?と言った。
 かまいませんよ、と私は言った。
 彼は、そう、私が並んでいるのではなく、注文を待ってそこにぼうっとしている客だと思っていたのだ。ようやく私が注文する段になって、彼の世界の構成が変わった。この人、もしかして私の前に並んでいた客だったのか、と。間違いに気がついたのだ。
 それは、誰もがよくする間違いの一つということでもある。
 私は内心ちょっとほっとした。俺が先だみたいな変な主張しなくてよかったなと思ったのである。
 でも、とも思った。店員の態度のほうは、それでいいんか? 私が店のマネージャーだったら、これはまずいんじゃないかと思う。だが、これも考えてみると、店員もちょっとした間違いの部類だろう。
 これでこの話はお終い。
 教訓は……、うーん、なんだろ。まあ、些細だけど教訓に富んだ経験ではあったなと思うが、うまくまとまらない。
 コーヒーを持って、二階のゆったりした椅子でも探そうかと、二階を見回すと、食べたままのゴミがそのままになっているテーブルがいくつかあった。なんかいつもより汚い感じだ。今日の店員さんたちはもともとゆるい人だったということかもな。
 それでも、コーヒーは美味しかったです、とかなるといいオチなんだが、まずかったです。
 
 

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